本記事は 10月19日「 人気記事ランキング クラシック音楽鑑賞 」で 第1位 となりました。
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スケルツォ倶楽部
名優ゲアハルト・シュトルツェの演技を聴く
 オルフ「オイディプス王」(クーベリック)D.G.ゲルハルト・シュトルツェ(最小サイズの肖像写真)  目次は こちら

(14)1960年バイロイト、ケンペの「ラインの黄金 」でローゲを演じる

 Wolfgang Wagner(バイロイト音楽祭 公式ホームページより) 1960「ラインの黄金」バイロイト音楽祭 公式ホームページより Rudolf Kempe(バイロイト音楽祭 公式ホームページより)
 左から ヴォルフガング・ワーグナ、1960年「ラインの黄金第2場の舞台写真、ルドルフ・ケンペ (バイロイト音楽祭 公式ホームページより)
 1960年のバイロイト音楽祭での注目すべき動向は、ヴォルフガング・ワーグナーによる新演出「ニーベルングの指環」を、バイロイト初登場となる名匠ルドルフ・ケンペが振ることになった、ということでしょう。
 ゲアハルト(ゲルハルト)・シュトルツェは、すでに昨年(1959年)1月25日にウィーン国立歌劇場カラヤンの指揮によって初めて「ローゲ」役を務めて以来、その後もシュターツオパーの上演には度々出演して好評を博していました。しかし バイロイト音楽祭で この役を演じるのは、当年が初めてとなります。

 1960年「ローゲ
~ ワーグナー:楽劇「ラインの黄金

 ケンペ 「ニーベルングの指環」1960年バイロイト・ライヴ Audiofile Classics ケンペ 「ラインの黄金」1960年バイロイト・ライヴ Audiofile Classics
ニーベルングの指環」1960年バイロイト・ライヴ Audiofile Classics盤
ワーグナー:楽劇「ラインの黄金 」
ルドルフ・ケンペ指揮
バイロイト祝祭管弦楽団
  ヘルマン・ウーデ(ヴォータン )、
  ゲアハルト・シュトルツェ(ローゲ )、
  トーマス・スチュアート(ドンナー )、
  ゲオルグ・パスクーダ(フロー )、
  ヘルタ・テッパー(フリッカ )、
  イングリッド・ビョーナー(フライア )、
  マルガ・ヘフゲン(エルダ )、
  オタカール・クラウス(アルベリヒ )、
  ヘロルド・クラウス(ミーメ )、
  アーノルド・ファン・ミル(ファーフナー )、他
ライヴ録音:1960年 7月26日
AUDIOPHILE CLASSICS(海外盤 APL101846 )


 兄ヴィーラントに代わって ヴォルフガング・ワーグナーが初めてリングの新演出を担当することとなった1960年、クナッパーツブッシュに継いで 「ニーベルングの指環」の指揮台には 1950年代からコヴェント・ガーデン王立歌劇場で度々「指環」を指揮し ロンドンの聴衆から高い評価を得ていた ルドルフ・ケンペが立っていました。
 この録音を聴くと、ケンペの指揮からは 危なげ無く安定した重心の上にアンサンブルが成り立ち、その柔らかい音響は 決して力づくで鳴らすことなく 本来の目的に達するような 優れた統率力の裏付けあっての技能と感じます。彼が指揮した1960~1963年のバイロイト音楽祭における「ニーベルングの指環」は、ぜひ 良好な音質による正規音源のリリースを 期待したいものです。
 歌手もまた クナッパーツブッシュ指揮の年とは異なり(?)、 ケンペの指揮では たいへん歌いやすそうに聴こえます。その反面 楽劇「ラインの黄金」においては、主神ヴォータンヘルマン・ウーデを筆頭に 強い個性を感じさせる「役者」が少ないためでしょうか、物語は ケンペの統制する音楽とともに滑らかに進行こそすれ、人間関係の深み(それこそ「ドラマ性」という要素ですが)までは、録音状態のせいもあってか 今ひとつ 心に響いてきません。
 そんな中、シュトルツェローゲが登場すると、 - 私の贔屓(ひいき)目もあるから 当たり前なのですが - 俄然 音楽は生き生きとしてきます。
 1960「ラインの黄金」ローゲを演じるシュトルツェ(バイロイト音楽祭 公式ホームページより)
 舞台でローゲを演じるシュトルツェ(出典:バイロイト音楽祭公式サイトより)
 
 ローゲの登場第一声 「Wie ? それが何か? Welchen Handel hätt’ich geschlossen ? どんな取引を私が結んだとおっしゃるんですか 」と反駁する最初から、神々からも 巨人たちからも「見下されてなるものか」と鷹揚に腕組みしながら 斜に構えて語る、そんな策士のゆとりを演じてみせる態度は、実に心憎いばかりです。巨人兄弟が建てたヴァルハラ城の堅牢さを まるで評論家のように「上から目線」で褒めてみせる 横柄な態度や、「ボクを怠け者と呼ぶような奴は、ウソつき(der lügt !)だ」と発音する時の独特な母音の長い伸ばし方や、「自分の恥をごまかそうとしてボクの悪口を言う、馬鹿な(Dumme !)奴らめ」と口を尖らして攻撃する時の発音など、ごく一例に過ぎませんが、シュトルツェの強烈な個性が弾(はじ)けまくる好サンプルです。
 シュトルツェ=ローゲ の個性的な語りが、ラインの黄金やアルベリヒの指環鋳造について といった核心に触れてくると、その雄弁さも手伝って 徐々に神々や巨人たちも引き込まれてゆくわけですが、同時にバイロイトの聴衆もシュトルツェの巧みな説得力に引き込まれ、歌劇場の温度さえ上昇してゆく気配を感じます。実に見事です。この余裕綽々の演技(歌唱)は、「ラインの黄金」のフィナーレで ローゲヴァルハラへの入城を躊躇する瞬間まで首尾一貫して持続するのです。
 ところで、その虹の架け橋の手前で立ち止まって、シュトルツェローゲが「もうこれ以上、終焉へと向かう神々のお伴をすることはできない」と、心の内を表白する言葉は、実は ドラマ「ニーベルングの指環」ストーリーの行方を左右する決定的な分岐点として ワーグナーが設けた、重要な台詞でもあります。 

・・・ ここで ちょっと脇道を歩こうと思うのですが、すみません、おつき合い願えますか ?

楽劇「ニーベルングの指環」における
  ローゲの重要さについて、考える
 
 このシーン( 「ラインの黄金」のフィナーレで、ローゲが 神々から別れようと独白する場面 )は、文字どおり「 “火”が神の手を離れた」ことを そのまま象徴しているように思えます。
 私は、楽劇「ラインの黄金」において、ローゲ(=火)は、神々におとなしく従っている期間だけ 限定して「人格」 を 付与されていたのではないか、と思うのです。「ラインの黄金」のフィナーレで 神々に疑念と邪心を表明してしまったローゲは、つづく楽劇「ヴァルキューレ」以降は、もはや人格を備えて舞台に登場することが許されていないことから、そう考えたくもなるのです。
 岩山に眠れるブリュンヒルデを炎で囲む、という大仕事をヴォータンから仰せつかった時、もはやローゲ歌手 によって演じられることはありません人格を伴っていません
 ですから、たとえば「魔の炎の音楽」でローゲに扮したダンサーがバレエを踊ってしまうような演出は(そんな演出があるとすれば、の話ですが)、決して やってはいけないと思います。ローゲは「ヴァルキューレ」以降、その姿を消し去られ、存在が「見えなくなっていること 」が重要で、それは まさに音楽が目に見えないのと同じく、管弦楽で暗示される炎の象徴としてのみ、ドラマの中でただ機能する存在として 聴衆の記憶に留まる必要があるのです。
 ・・・そう思って観れば、後にカラヤンが監督することになる映像版「ラインの黄金 」では、ペーター・シュライヤー演じるローゲが ドラマの最後のシーンにおいて、特殊撮影によって その姿を炎に転じて消え去る・・・という演出となっていました。今日(こんにち)の目には さすがに陳腐に映りますが、カラヤンの 発想自体は とても納得できるものでした(けだし慧眼とさえ思います )。
焔に転じるローゲ
カラヤン監督 / 映画「ラインの黄金 」ラストシーン

 ・・・もとい、それではドラマ「ヴァルキューレ」以降の ローゲ(=火 )が果たすことになる「機能 」「役割り 」について考えました。
 神々の手を逃れたローゲは 地上に降りて、今度は暫く人間の手によって制御される存在となります。英雄ジークフリートが、父ジークムントの 折られた剣を鍛え直してノートゥングを仕上げるための鍛冶仕事には 燃え上がる炎の高熱を欠かすことは出来ません。 炎(=ローゲ)の助けを得て初めて鍛え直された剣ノートゥングが、「ジークフリート」第3幕で ヴォータン契約の槍を真っ二つに折ってしまう ということの意味も また象徴的です。ヴォータン(神々)の意志は、ここでも(結果的に )ローゲの働きによって 阻止されてしまった・・・と解釈すると オモシロイと思うのです。
 そして、楽劇「神々の黄昏 」のフィナーレで その炎を操る のは、もはや神ではなく、人間(神性を喪失したブリュンヒルデ)なのです。といっても、炎を「操る」という言葉は 適切とは言えないでしょうね。 所詮 人間の小さな力で 巨大な炎を制御することなどは 決して出来ません、かつては神々でさえ思うままに御せなかった炎(ローゲ )です。ブリュンヒルデもそれは知っています。そして神々の終末には その炎の力こそが必要であるということも、ブリュンヒルデはよく知っていました(これも 実は ヴォータンの遺志であった筈なのです)。
 彼女はジークフリートの棺も、ギービヒ家の館も、天上のヴァルハラ城さえも、その炎が焼き尽くしてくれることを期し、愛馬グラーネとともに自分自身の肉体をも 紅蓮の炎の中に投じるのでした。
 さあ、今や ローゲ世界を焦土と化す制御不能の炎となって大暴れし、あらゆるものを浄化する役割を担うのです。そして、これに 唯一 拮抗出来る存在が、全てを洗い流し 押し去ってしまう 母なるライン河の豊かな奔流に相違なし、と考えるものなのです。

 ・・・もとい。
 ゲアハルト・シュトルツェが演じる素晴らしいローゲは、後に(1967年 )さらなる飛翔を遂げ、スタジオ録音のカラヤン/ベルリン・フィル(D.G.)盤によって「完成」されることになりますが、この当時(1960年 )のケンペ/バイロイト盤で聴かれる シュトルツェの 台詞の一点一画まで丁寧に考えられた抑揚や発音の処理は、後年の歌唱ではどちらかというと影をひそめてしまう性質のものなのです。
 楽劇「ラインの黄金」DG(カラヤン)盤
 後年のカラヤン盤 ↑ におけるシュトルツェローゲの演じ(歌い)方は、どちらかというと 草書体へと近づいていくように感じられますが、無論 どちらも見事な歌唱です。シュトルツェ・フリークでもある 私 “ スケルツォ倶楽部 発起人 にとって、両方の録音を聴き比べることは、この上なく楽しい行為なのです。
 その詳細は また後日。どうぞ お楽しみに。

 次回 (15)1960年、クナッパーツブッシュの指揮でダーヴィットを演じる に続く・・・

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