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訃報・追悼
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坂本龍一さんを偲び、功績を讃えます
Ars longa,vita brevis
(2023年 3月28日)


若き日の坂本龍一 坂本龍一 坂本龍一 (4) 坂本龍一 (6) 坂本龍一 (5)


 おはようございます、“スケルツォ倶楽部発起人です。

 今日は キリストの復活祭・・・ 「移動祝日」である イースター は「春分の日から数えて最初の満月の次の日曜日」なので、今年(2023年)は 今日 4月 9日です。
ITS THE EASTER BEAGLE(卵を配るスヌーピー) ITS THE EASTER BEAGLE(2.卵を配るスヌーピー)

 十字架刑に処されたキリスト・イエスの受難と死(=聖金曜日)から数えて 三日後の日の出に復活したことを祝う日曜日は、客観的に考えれば 三日前に亡くなったイエスの「命日」を記念することに他ならないのですが、世界の信仰者にとって 救世主キリストは「復活」を遂げ「」を打ち消しているわけですから、敬して「命日」を記念することは避けられてきました。
 たしかに “宗教的”には 神の御子イエスは 一度死んでキリストとして復活した - これを信じるかどうかは、あなたの信仰の領域に在る命題。では 宗教を超え、観念的な領域で とらえるとしたら? キリストは永遠に 人々の「心の中で生き続ける」 - このほうが むしろ自然な解釈であるように思われます。なぜなら「」について考えることは、実は誰にとっても身近なことで 普遍的な領域のこと。すなわち、「あなたの大事だった人」は(亡くなった後も、)常に あなたが想い出す度に 心の中で “よみがえり”、永遠に生き続ける - と、そう言い換えることを否定なさる人はいらっしゃらないでしょう。

芸術は永く(しかし )人生は短い
Ars longa、vita brevis


 Ars longa、vita brevis - 賢人ヒポクラテスの言葉ですが、哲人セネカジャン=ジャック・ルソーの言葉としても諸説/伝承されてます。
 しかし 坂本龍一さんの念頭にあった出典は、おそらく ベートーヴェンでしょう。カノンの作曲は1825年。というと 楽聖 55歳 - 亡くなるわずか二年前ですが、すでにボン時代から若きベートーヴェンが 古代ギリシャ人の書き遺したこの言葉を愛好していたことを、ロマン・ロランが伝えています。

短いカノン「芸術は永く、人生は短い」
Ars longa, vita brevis, WoO 192



 まさに この「一節を好んでいた」とされる坂本龍一さんの訃報が、自身の主宰していた音楽レーベル「commmons」、およびSNSアカウントから2023年 4月 2日、発表されました。

以下、その声明を引用します(青字部分

坂本龍一 スケルツォ倶楽部 坂本龍一 (3)
わたくしども所属の音楽家/アーティスト 坂本龍一が 去る2023年 3月28日 71歳にて永眠いたしました。
謹んでご報告申し上げます。

2020年 6月にみつかった癌の治療を受けながらも、体調の良い日には自宅内のスタジオで創作活動をつづけ、最期まで音楽と共にある日々でした。

これまで坂本の活動を応援してくださったファンのみなさま、関係者のみなさま、そして病気治癒を目指し最善を尽くしてくださった日米の医療従事者のみなさまに、あらためて深く御礼申し上げます。

坂本自身の強い遺志により、葬儀は近親者のみで済ませておりますことをご報告いたします。また、弔問、ご香典、ご供花につきましても謹んで辞退申し上げます。

最後に、坂本が好んだ一節をご紹介します:

Ars longa,vita brevis

芸術は長く、人生は短し



(引用 ここまで )


 訃報を聞いてからずっと 今朝も 私の頭の中で なぜか鳴り続けるオスティナートは、どうやら パッヘルベルではなく、柔和な「黄土高原」の風のようなハーモニーです・・・

 そんな “スケルツォ倶楽部発起人(1962年生まれ )が、自分よりちょうど十歳年上だった坂本龍一さんの名前を初めて意識するようになったのは、おそらく多くの皆さまと同じく、“細野晴臣”さんのイエロー・マジック・オーケストラ(以下YMO)からでした。
 回想すると、それは高校時代、リアルタイムで初めて聴いたYMOのアルバム「パブリック・プレッシャー(公的抑圧 )」(1979年ワールド・ツアー公演のライヴ盤) -
イエローマジックオーケストラPUBLIC PRESSURE- 公的抑圧 ALFA YMO海外ツアーの画像

 しかし 初めて耳にした当時は 収録曲のどれもが - 正直に申し上げると - そのメロディ・ラインのどれもが 臆面もなく ペンタトニック・スケール で作られていたことが 当時の(まだ若かった未熟な )私の耳には とても幼稚に聴こえてしまい、何だか生理的に気恥ずかしくなって すぐに聴くのを止めてしまったことを覚えています。でも 考えだしたら どうにも気になって、他のことが手につかなくなり、仕方なく 戻ってきては また聴き直す、と そういう無駄なことを 何度も何度も繰り返したものです。あくまで「最初のうち」の回想です。それほどまで このバンドの音楽には、聴くことを拒否できない、何かしら 抗し難い、力ずくの魅力があったのです。

 そのパワーが何だったか、若き日の感情記憶を思い出してみると、恐ろしくタイトなドラムスが刻むマシーンのようなタイム感覚を持った(高橋幸宏さんの )リズムセクションが放つ魅力の他、すでに冨田勲ワルター・カーロス等の作品で自分には耳馴染みの深かった“未来”の楽器シンセサイザーがバンド・サウンドの中心にあったこと、とりわけこの楽器を巧みに操る若いプレイヤーが(どんな背景を持った人物であるかは知らなかったけれど )その作曲/演奏を聴く限り、とにかく 「 只者ではない」 ことを直観したせいでした。

 それは、たとえば The End Of Asia坂本龍一/作曲 )という曲のテーマ呈示が終わった経過部で、シンコペートする特徴的な音型をシンセサイザーが執拗に繰り返しつつ一小節ずつコードを変えてゆくわけですが、その動きに身を委ねる気持ち良さは 従来のロック・ミュージシャンの楽曲/発想には無かった 新しい感覚でした。また、Firecracker マーティン・デニー/作曲 )というカヴァー曲では、複数の中華風なテーマ・パートがひと通り呈示された後に 4小節のブレイクが設けられていますが(デニーのオリジナル・ヴァージョンでは マリンバが単純に半音上昇するだけのところ)そこが YMOヴァージョンでは アコースティック・ピアノ(初期のライヴではシンセサイザーを使う場合も )による印象派風なアルペジオになっており、その華麗な指さばきの素晴らしさに驚嘆しました。さらに、代表曲 Rydeen高橋幸宏/作曲)の後半で 再現されるメインテーマに重なって、ピッコロ風の高音シンセサイザーが彩る装飾的な対旋律がトリルを交えて高く舞い上がる部分などを聞くと、こういうアレンジは もう間違いなく クラシックの音楽教育を受けた素養の高いピアノ少年によるものに違いあるまいとの印象を さらに強くしました。
 ― このバンドの “ピアニスト” の名前が知りたい・・・ と、猛烈に思いました。いえ、ピアニストに相当する鍵盤楽器奏者のことを「キーボーディスト」と呼び習わすようになったのもYMOからでしたね。そのキーボーディストこそ、はい、坂本龍一さん その人だったのでした。

 調べてみると、YMOのファースト・アルバムがリリースされたのと同年(1978年)、坂本さんは すでに自己名義のファースト・ソロ「千のナイフ 」Thousand Knives というアルバムもリリースなさっていました。
 慌てて当時 後追いで(文字どおり必死に追いつこうと )聴いてみたら(アルバム冒頭に置かれた ヴォコーダー KORG VC-10毛沢東を朗読するパートだけは 些か長過ぎると感じたことを除けば )実に素晴らしいレコードでした。
坂本龍一 千のナイフ(ベターデイズ) 坂本龍一 千のナイフ(ベターデイズ) (2)
 アルバム・タイトル曲の他、Plastic BambooThe End Of Asia などYMOのステージでも再演されている、どれも個性的なナンバーの他、特に私が注目したのは「グラスホッパー」Grasshoppers なる 祭囃子のようなリズム/合いの手を繰り返すオリジナル作品で、そこで坂本さんは 何と 高橋悠治さんとアコースティック・ピアノで軽妙な二重奏を演じ これにシンセサイザーでオーヴァーダビングを加え仕上げていました。

 その後、これも後追いで調べたら、東京芸大/大学院・作曲科卒という凄い学歴で在らせられたことを知ります。

坂本龍一(25歳)プロフィール
▲ 25歳の坂本龍一プロフィール(ロック&キーボード'77 掲載)

 うーん、なるほど・・・ そんな輝かしい経歴だから 高橋悠治と共演できたり、自作のレコードのライナー・ノーツに林光が寄稿してくれたり、その根底にはアカデミア=クラシック音楽があり、ユキヒロさんから“教授”呼ばわりされ、周囲からも一目置かれる存在だったんだ・・・ そんなアカデミー出身であることを知るや、その権威に負けた(笑)私は、それ以来 坂本さんを 一段上の高い場所に飾ると 尊敬のまなざしで 下のほうから見上げるようになりました。
 それには 絶対に敵うはずもない10歳年上の坂本さんの輝くような才能への嫉妬と、最新のあらゆる機材と情報が集まる 恵まれた環境に囲まれていることへの羨望が含まれていたことを、40数年前の若かった心と感情を恥ずかしく思い返しながら、今 正直に告白します。音楽/芸術アカデミーの技能を修めた才気溢れる天才、そんな彼の“本来の棲み家”ではない“階下の”ポップス世界へと降臨してきた 多才な二枚目が、この先どんな仕事をするのだろうかという興味で、俄然目が離せなくなってしまったわけです。
坂本龍一 (3) マドンナ レイン 坂本龍一

 その後 YMOを散開してしまってからも、このバンドの仕事が多才な坂本さんの活動のごく一部でしか無かった筈であるのに、その絶大な成功ゆえに、自己の経歴/イメージとして世間に築かれてしまった虚像とのギャップに苦しんだとされます。
 果たして(商業的な )“成功”は、坂本さん自身が望んだ結果だったのでしょうか。どこへ行ってもコンサートでは“戦メリ”を弾いてくれと(不本意にも )要求され、クライアントの要求に応える商業的音楽家に堕してしまった自分の姿にも複雑な感情とストレスを抱いたとされます。
坂本龍一 戦場のメリークリスマス 坂本龍一(甘粕大尉)ラスト・エンペラー 坂本龍一 Abel Ferraras Movie New Rose Hotel (1998)Hosaka

 坂本さんの音楽に、以前よりも「驚き」を あまり感じなくなってしまったのも、個人的には その頃からのことでした。
 1986年「メディア・バーン・ライヴ」で確認できる、当時流行(はや)りのYAMAHA‐KX(ショルダー型キーボード)を背負ってステージに登場、すでに同時期 ハービー・ハンコックマテリアルらと試みていた“Future Shock”(バーナード・ファウラー起用etc. )路線をトレースしたようなダンス・サウンドなどよりも、同じステージの合間に ふと我に返ったようにピアノに座り ソロで奏でてくださった「ゴリラがバナナをくれる日」や Dear LIZ 、あるいはアルバムcodaの一隅に そっと置かれた Last Regrets といった素朴な作品のほうが、何倍も好感を持ちました。

坂本龍一 坂本龍一 追悼
 音楽著作権関係のルールに目を向け、1997年当時 “JASRACさま” が独占して管理する日本の音楽著作権の取扱いについて疑問を呈したことは 功績だったと思います。この種の発言は音楽家でなければ決して出来ないことですから。尤もこの動きがその後どうなったのかは、知りませんが。

 晩年には社会活動や 格好イイ政治的な言動が目立ちました。これは、生まれ育った世代の影響もあるでしょうが、伝えるマスコミの側も 著名な文化人である “世界のサカモト” が発信してくれるパフォーマンスは 絶好の話題として報道しやすかったということもあったのでしょう。坂本さん自身は「普通の人が口を出すのが民主主義であり、誰しも職業に関係なく声を上げられる社会じゃないとダメ」という考えをお持ちだったそうで、至極ごもっともです。もちろん私も「音楽家は音楽だけやっていろ」などと言う粗暴な意見に決して同調するものではありません。が、正直に申し上げて、たとえば地雷撤去作業などという危険な体験をするため わざわざアフリカまで出かけるようなことは、本来 坂本龍一に「しか出来ない仕事」をすべき貴重な時間を浪費したのではないかと、心から惜しむものです。
 なぜなら、政治的/社会活動に勤(いそ)しまれていたように見える、しかし本来であれば人生の収穫期たるべき“晩年”に 発表された寡作な試みからは、坂本龍一さんが 文字どおり “教授” に堕し、かつて揶揄したはずの“象牙の塔”の中へと自ら立て籠もってしまわれたようにも一瞬見えたからです・・・ って、すみません。ここは個人の感想です。

!坂本龍一、最も重要な功績とは

 ・・・ もとい。
 それでは 坂本龍一さん「最大の功績」とは何だったか、それは数多くの名曲を生み出した個性的な作曲家であったということに留まらず、優れたピアニスト、キーボーディストであったということばかりでさえなく、アレンジャー、音楽プロデューサー、ましてや 歌手、俳優、いえいえ 社会活動家、コメンテイター などでは、決してありません。
 音楽史的に観て 坂本龍一さんの最も評価されるべき功績とは、音楽ジャンルを隔てていたカテゴリーの高い壁を 先端テクノロジーの力を借りつつ マジックのように取り払ってみせたことです。
 それまで(1970年代まで) 社交性に欠けた「偶然性の音楽」や「家具の音楽」「コラージュ/引用」、具体音だけで構成された「ミュージック・コンクレート」、人間とのコミュニケーションを拒否するようだった「電子音楽」、“象牙の塔” に籠りがちだった「無調音楽」「十二音音楽」「ミニマル」、それら 悪い意味でのアカデミズムの内側に凝固しがちだった現代音楽の「要素」を、誰にも解りやすいポップな形に(格好良さを壊すことなく ) 「アレンジ」し、商業的な交流の場へ、ライヴ空間へ、イヴェント空間へ、日本から発信して世界へ、陽の当たる場所へと連れ出すことに「成功した」こと、それこそが 坂本龍一さんの偉大な功績でした。

 坂本さんが頭角を現した まさに1970年代後半は 世界的にもクロスオーヴァー/フュージョン系の音楽が台頭してきた変革期でもありました。
 すでにマイルスが ジャズにロックの要素を吹き込み、クリード・テイラーは クラシック音楽のメロディや ボサノヴァのリズムをジャズに掛け合わせジャコ・パストリアスも エレクトリック・ベース奏法の革新とともに R&Bのエネルギーを ジャズへもたらすことによって 音楽カテゴリーの壁を壊していました。
 坂本龍一さん自身も その活動の初期には ジャズ・ギタリスト渡辺香津美さんらとの交流を通し、すでにジャズとロックの融合(“KYLYN”など )を早々に果たしていましたが、やはり最も注目すべき功績は、YMOというフィールドを生かして、当時 まだ一般の音楽愛好家の耳からは 最も遠い場所にあったアカデミックな領域の近/現代音楽種子を わかりやすく クロスオーヴァー/フュージョン/ポップス の畑に 次々と撒いてみせたことでしょう。
 その「種子」は、しっかり芽吹いて 確実に音楽愛好家全体のレヴェルを広く底上げしました。
 
坂本龍一 (4) 坂本龍一 (2)
 坂本さんの最後のピアノ演奏(Playing the Piano in NHK & Behind the Scenes )を 先週 初めてNHKの再放送で観ました
 一切の虚飾がとり払われた、虚心坦懐そのものといった素朴な演奏に - 心が動かされました
 それは、もはや 正確さや技巧を競うようなレヴェルのプレイではなく、
 まるで 自由律俳句のような深みに達していました
 ありがとうございました・・・ 選ばれた人だけに許された、本当に良い人生でしたね

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追記
テレ朝『題名のない音楽会
追悼企画「坂本龍一の音楽会
( 4月22日放送回)を観て


番組ページ
⇒ https://www.tv-asahi.co.jp/daimei/index.html
題名のない音楽会 (坂本龍一の音楽会)2023.04.22.
懐かしかったな、黛敏郎の司会/進行
あの当時の「題名のない~」は
まるで大学の講義みたいに
あの静かな雰囲気が 好きだったな

・・・ 結局「戦メリ」、「ラスト・エンペラー」で
映画音楽」の商業作曲家として
一般的には カテゴライズされてしまうのだろうか “教授”・・・
それは 不本意だろうな

ああ、一曲でいいから
ビジネスとは 一切関係ない時間を割いて、
ご自身で とことん納得のいく 渾身の「交響曲」を
ほんと 一つでも
残しておいてくだされば
よかったのにな - と、

それこそ Ars longa な遺産として
世界のコンサートホールの演目として
日本人作曲家の手による シンフォニーとして
永く 演奏され続けるようになったに 違いないのにな - と、
ふと思いました
あれだけの才能を・・・

(以上 追記、2023年 4月22日)





wowな ねこ
!さらに追記
自身の“葬儀”で流す 33曲のプレイリストの中に
スカルラッティ K.87 ロ短調が-


 坂本さんが、自らの葬儀で流すために制作していた とされるプレイリスト「funeral」が公開されました。
 昨年 6月から曲が集められ、アルヴァ・ノト から 生前より折に触れ尊敬/敬愛の念を表明していた J.S.バッハ、ドビュッシー、サティ、ラヴェル、さらには モリコーネ、ニーノ・ロータ まで、坂本さんの“音楽的ルーツ”を 静かに振りかえる選曲とも言えます。
 その中でも、唯一選ばれた スカルラッティのソナタは K.87 ロ短調・・・
 目下( 2023年 5月時点)スカルラッティに ドはまりしている 私 発起人

関連記事 ⇒ ドメネコ・スカルラッティの音楽室 

 中でも K.87 ロ短調は、枯淡な寒さ極まる絶美のソナタ・・・
 全集を完成させたスコット・ロスはもちろん、チッコリーニ、ワイセンベルク、プレトニョフ、ポゴレリチ らも弾いています
 が、選ばれたのは ホロヴィッツ、それも1947年(RCA)盤ではなく、(私の耳には)よれよれに聴こえる 晩年のライヴ(DG)盤のほう・・・
 たしかに “funeral” というイメージには 相応しい高齢の演奏でした
 “教授” が観たという YouTube はこれに違いないでしょう


以下、生前の坂本さん自身の語りを引用
・・・(ホロヴィッツの動画は )真に老境の域に達していなければ弾けない演奏でした。以前、細野晴臣さんが、「キューバの『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』の老ベーシストの演奏がすごい」と話してくれたことがあり、細野さんはそれを「豆腐を切るようにベースを弾く」と表現しました。ホロヴィッツの演奏はまさに その表現どおり。
(『坂本龍一選 耳の記憶 後編』ブックレット 第48回より )

(以上 追記、2023年 5月28日)

 
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