ウェイン・ショーターの冥福を祈ります(2023年 3月 2日) 「作曲家」ショーター 名曲10選

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ウェイン・ショーターの冥福を祈ります
(2023年 3月 2日)
「作曲家」ショーターが遺したジャズ名曲10選
ジャズ界のレジェンド、テナー/ソプラノ・サックス奏者で作曲家のウェイン・ショーター Wayne Shorter が 3月 2日、ロサンゼルスの病院で死去。89歳でした。
ウェイン・ショーターは、1933年 8月 ニュージャージー州ニューアーク生まれ。1950年代半ばにニューヨーク大学で音楽を学んだ後、兵役やメイナード・ファーガソンのビッグ・バンドを経て 1959年アート・ブレイキーのザ・ジャズ・メッセンジャーズ Art Blakey & The Jazz Messengers に参加、サックス奏者/作曲家として ジャズ界で注目されるようになりました。同年には初リーダー作を発表、以後コンスタントにリーダー・アルバムを制作します。

1960年代にはマイルス・デイヴィス・クインテットに加入。マイルス Miles Davis の右腕として大活躍、ハービー・ハンコック(ピアノ)、ロン・カーター(ベース)、トニー・ウィリアムス(ドラムス)らとともに 世代を超え 絶大な影響を与えました。
1964年から1970年にかけての 名門ブルーノート・レコードとの関係は、アルバム「ジュジュ」Juju、「スピーク・ノー・イーヴル」Speak No Evil、「予言者」The Soothsayer など 今日では名盤との評価が定着した数々のレコーディングに結実しました。
さらに1970年には旧知の仲であったジョー・ザヴィヌルとエレクトリック・ジャズのグループ、ウェザー・リポート Weather Report を結成、その後のフュージョン・ブームを力強く牽引しました。ジャコ・パストリアスに引き合わされることがきっかけで共演することになったジョニ・ミッチェルとは、その後10枚ものアルバムにソリストとして参加、長く実りあるパートナーシップを築きました。
またブラジルのシンガー ミルトン・ナシメント、ギタリストのカルロス・サンタナ、スティーリー・ダンなどロック・ミュージシャンともコラボレートしました。グラミー賞は11回、生涯功労賞も受賞しています。
以上、発起人による 一部加筆の上 引用(青字)
Amass 2023(令和5)年 3月 3日掲載





偉大な ウェイン・ショーターが亡くなりました。
著名なモダン・ジャズの即興演奏家であり、同時に作曲家でもあった、その存在はジャズ界に聳(そび)え立つ、まさに巨峰、今日のジャズに与えてきた その影響力たるや絶大でした。
“スケルツォ倶楽部”では、私 発起人が敬愛するショーターの音楽について、以前から いくつか記事を投稿してまいりました。
PV閲覧回数最多の人気記事の一つです
⇒ “スティーヴ・ガッドを讃える。” 1977年「エイジャ Aja 」(スティーリー・ダン ) - ウェイン・ショーターとの共演


上記の“続編”的な記事でした
⇒ “スティーヴ・ガッドを讃える。”【 番外編 】「エイジャ Aja 」(スティーリー・ダン ) - ウェイン・ショーターに関わる 35年ぶりの補足情報


カフェ ソッ・ピーナの記事です
⇒ 敢えてウェイン・ショーター(が演奏する)スタンダード・ナンバーが聴きたい。
(各スタンダード名曲について、実は 当初一曲ずつコメントを入れようと考えていましたが、時間が足りず、結局 未完成のまま投稿しました)

現在進行形の“ジャコ・パストリアス伝”にも登場、ショーターは 重要人物の一人です
⇒ ジャコ・パストリアス ~ A Remark You Made

さて、今宵は “村上春樹”風に(笑)「作曲家」ウェイン・ショーターが遺した、彼のオリジナル名曲ベスト10タイトルを 選んでみようと思います。
ベスト10を選考する “物差し” は、①良い楽曲であること、② 独創的であること、③ バイオグラフィ的に重要度が高いこと、④ 同時代 および後輩ジャズ・ミュージシャンらに採り上げられる頻度が高いこと・・・ などです。さらに、すみません、これに個人的な好みと愛着/思い入れを加味し、最終的には 独断で セレクトさせて頂きます。あしからず。

第10位
サイトシーイング Sightseeing
1978年/アルバム「8:30」(ウェザー・リポート)収録
過去記事はこちら ⇒ サイトシーイング Sightseeing


第9位
チルドレン・オブ・ザ・ナイト Children Of The Night
1961年/アルバム「モザイク 」(アート・ブレイキー & ザ・ジャズ・メッセンジャーズ )収録
初演は ジャズ・メッセンジャーズ参謀時代のショーターが 思いきりテナーサックスを吹きまくる、忘れがたいブルーノート盤でした。曲頭からテナーサックス一本で情熱的に始まるので クァルテット編成なのかと思って油断していると、突然テーマの途中から 隠していた(?)三管編成(+ フレディ・ハバードとカーティス・フラー )へとアンサンブルが一気に広がった瞬間の目も覚めるような効果など 忘れがたい名曲/名演でした。
片や 30年以上も経った1995年にリリースされた リーダー・アルバム「ハイライフ」(Verve / マーカス・ミラーのプロデュース)冒頭に収められ、円熟のサックス(多重録音によるテナー/ソプラノ持替 )と斬新なリズム・セクションが刻むクールなカッコ良さは 同年(第39回)グラミー賞最優秀インストゥルメンタル編曲賞にノミネートされるなど、高い評価を得ていましたね。



第8位
インファント・アイズ Infant Eyes
第7位
ウィッチ・ハント Witch Hunt
1964年/アルバム「スピーク・ノー・イーヴル」収録
個人的に マッコイ・タイナーのピアノが どうも好きになれず、それゆえ ブルーノートのショーター作品は ハービー・ハンコックに交替した第3作「スピーク・ノー・イーヴル」以降のリーダー作を 偏って愛聴する傾向にあり(スミマセンw)。そんな “BLP-4194 ” は、収録作すべてが名曲揃いの名盤です。
中でも 第8位に置いた「インファント・アイズ」は、イントロから やっぱりハンコックのデリカシー溢れるリリシズムが光ります。息の長い神秘的なメロディは ショーター以外の何ものでもない、屈折した美しさです。これを スタン・ゲッツが、1977年にモントルーで ボブ・ジェームス(ピアノ)、ゴードン・ジョンソン(ベース)、ピーター・アースキン(ドラムス)を従えて演奏した時のちょっとめずらしい実況録音(「モントルー・サミット」 CBS)盤がありますが、ヴィブラートをかけるゲッツのモダンな奏法を通しても 格別な美しさが際立つ、やはり名曲だなとの認識を新たにさせられたものです。
第7位の「ウィッチ・ハント」も そのフレーズに独特の間の呼吸を置きながら四度上昇してゆく傾向の音程が 実に格好良い、これまたショーターらしい個性が光る名曲です。これには デビュー直後の若き ウィントン・マルサリスが在籍していた頃のジャズ・メッセンジャーズによる スピード感も魅力的な飛びきりの名演(「アルバム・オブ・ジ・イヤー」1981年/タイムレス )盤も残っています。ぜひ一度聴かれることをお勧めします。


第6位
リンボ Limbo
1967年/アルバム「ソーサラー」(マイルス・デイヴィス)収録
マイルス・クインテットの初演も もちろん悪いわけありませんが、驚きの再会として記憶に残る名演奏は それから20年後 スイス、モントルー・ジャズフェスティヴァルに於いて ミシェル・ペトルチアーニ(ピアノ)、ジム・ホール(ギター)という“アンダーカレント”風なデュオに ショーターが加わるという、超斬新な「パワー・オブ・スリー」トリオのステージで採りあげられた「リンボ」でした。ジャズ・ビギナーにも解りやすく かつ好ましい演奏、さらに流れるような16分音符を広げてみせる ショーターの吹くテナーには唖然として聴き入ってしまいます。


第5位
エレガント・ピープル Elegant People
1975年/アルバム「ブラック・マーケット」(ウェザー・リポート)収録
ウェザー・リポート時代に書かれた、決して多くはないショーター作品には、短いリズム動機をオスティナート的に執拗反復させ、その上にソロを重ねてゆくという手法(「Mysterious Traveller 」「Port Of Entry 」「When It Was Now 」など )が目立ちました。この「エレガント・ピープル」も バンドの伴奏セクションで定型リズムを刻みつつも すでにイントロダクションから始まっていた息の長いメロディが 徐々に姿を現わすという、魅力的な形式を借りて慎重に作られた特異な作品で、ウェザー・リポートでは その活動の最後期まで ステージで演奏されていた代表的なショーター・スタンダード。ソロになって以降のジャコ・パストリアスも 好んで演奏していましたね。



第4位
ザ・スリー・マリアズ The Three Marias
1985年/アルバム「アトランティス」収録
名盤「アトランティス」は、ザヴィヌルのバンドと化してしまったウェザー・リポートを解散させた後、ショーターが11年ぶりに発表したリーダー・アルバムでした。発売当時リアルタイムで入手、これまでザヴィヌルに抑圧されてきた鬱憤を晴らすように、テナー・サックスを吹きまくるアコースティック・ジャズ・サウンドが(VSOPのような?)聴けるに違いないと予測しつつ ターンテーブルに置いたレコードから流れてきたサウンドは、そのまんまウェザー・リポート風なエレクトリック・フュージョン・・・ 期待が外れてショックを受けた そんな記憶を引きずっています(笑)。
いえ、当時のまだ未熟だった私の耳には理解することが出来なかっただけなのです、その後ショーターが自己のバンドを率いて 日本を含む世界規模の楽旅(ツアー)に出る先々のステージ上で 披露する即興演奏の素材として綿密に準備された それらの楽曲が どれほど価値の高い名曲揃いであったかということに・・・。
たとえば、アルバム冒頭に置かれた「エンデインジャード・スピーシーズ」 Endangered Species(「絶滅危惧種」)を 2015年ウィントン・マルサリスが 15人編成のビッグバンド Jazz At Lincoln Center Orchestra にウェイン・ショーター本人を ソリストに招き演奏したヴァージョンも聴きましたが、それはショーターのオリジナル素材を丁寧に活かした、決めや仕掛けが随所に張り巡らされたアコースティックな響きのビッグ・バンド・ジャズへと目が覚めるように生まれ変わっていて、誠に興味深かったものです。
などと前置きが長くなりましたが、その後 ショーターが最晩年まで何度もステージ上でソプラノ・サックスによる即興の材料として採りあげてきた、情熱的かつ変化にも富んだ素晴らしき逸品「ザ・スリー・マリアズ」のタイトルには、定冠詞 The が付いていますから 一義的にはオリオン星座のベルト、いわゆるオリオン・ベルトを構成する三つの明るい星、ゼータ(アルニタク)、イプシロン(アルニラム)、デルタ(ミンタカ)を指すものでしょう。が、実は 表題通り “三人のマリア” すなわち 聖母マリア、マグダラのマリア、そして ショーターにとっては かけがえのない存在だった二番目の妻アナ・マリアの名前を指すダブル・ミーニングだったのではないか - とも 僭越ながら考えます。
【追記 2023年 4月 2日】
「ザ・スリー・マリアズ」The Three Marias のタイトルについて
この曲の標題を ショーター自身が説明したとされる記述が、評伝「ウェイン・ショーター/フット・プリンツ」(ミシェル・マーサー/著、新井崇嗣/訳、潮出版社)に載っているとの重要な情報を “スケルツォ倶楽部”会員 Yさん から頂きました。Yさん、誠にありがとうございます。
それによると、この楽曲タイトルの由来とは「アンゴラ」や「アウン・サン・スー・チー」などと同様、実は政治的なもので、1970年代ポルトガルの独裁体制下にあったリスボンで 言論弾圧を受け 不当に拘束された女性ジャーナリスト、マリア・イザベル・バレノ(1939~ )、マリア・テレサ・オルタ (1937~ ) 、マリア・ヴェーリョ・ダ=コスタ (1938~ )という “三人のマリア” の功績を讃えて名づけられたものだったのです。
但し、ポルトガルの女性活動家の名も、オリオン・ベルト(Las Tres Marias)も、それら呼称の由来は 新約聖書に遡ります。そして憶測ですが、亡き妻アナ=マリアさんの名を公に呼ぶことも、おそらく愛妻キャロライナさんへの配慮から、ショーターのデリカシーにとっては 憚(はばか)られることだったように思われるのです。


第3位
ネフェルティティ Nefertiti
1967年/アルバム「ネフェルティティ」(マイルス・デイヴィス)収録
ショーターが加入したマイルス・クインテットの作品の中では 個人的に最高傑作に位置づけたい、アコースティック楽器のみによって演奏されたマイルスの(その後、電化/ロック要素を加えてゆく)最後のアルバムでもあります。
中でもタイトル・ナンバーの名曲「ネフェルティティ」は、まるでクラシック音楽の演奏のように、ミュージシャンが全くソロ・アドリブを取ることなく同じメロディだけを繰り返す楽曲でありながら、リピートされる度に磨きがかかるように輝きを増す純度は目を瞠(みは)る美しさです。
このレコーディング時の有名なエピソードですが、マイルス・クインテットの面々がスタジオに集まって「初めて」新曲を合わせてみせた、その初回のプレイは マイルス、ショーターを含む ミュージシャン全員が認める奇蹟的な素晴らしさだったそうです。にもかかわらず、レコーディング・プロデューサーは 録音テープを回していなかったと - 結局アルバムに収録された演奏は 「一回目のあの秀演を もう一度再現しようと もがいている」スタジオのドキュメンタリーだった・・・ という裏話。
私 発起人の個人的な思い出 - ウェザー・リポート解散後、いよいよソロ活動を始めた ショーターが初めて自己のグループを率いて来日(1986年 1月 )、公演を聴きに都内簡易保険ホールだったか 中野サンプラザだったか(?)とにかく駈けつけたものです。私から離れた前のほうの席には チック・コリアも座っていました(トム・ブレックラインがドラマーを務めていた)。WR時代のナンバー「プラザ・リアル」からメドレーで突然 この「ネフェルティティ」のメロディが始まった瞬間 湧き起こった凄い拍手と歓声と、これに応え、演奏中に一瞬マウスピースから口を離したショーターの、照れたようなクシャッとした笑顔を忘れることができません。


第2位
フォール Fall
1967年/アルバム「ネフェルティティ」(マイルス・デイヴィス)収録
ショーターの旧友にして マイルス・バンドでは先輩でもあった 偉大な ジョン・コルトレーン の急死(1967年 7月17日)の報を聞いてから わずか二日後にレコーディングされた深遠なナンバーです。追悼の発露だったのでしょう 「結び切り」です。ゆえに その後 再演もないのです。
もはや多言無用。ああ、大好きです。


第1位
フットプリンツ Footprints
1966年/アルバム「アダム'ズ・アップル」収録
基本は シンプルな 12小節ブルースなのに、まるで広い平野を高く自由に飛行するがごとき独特の浮遊感覚は比類なきもの。肌感覚的な印象ですが、「フットプリンツ」は 晩年まで繰り返し演奏にとりあげた生前のショーター本人も含め、マイルスを筆頭とする他ミュージシャンによって演奏される頻度の最も高かった(今も)名曲ではないかと感じています。
ショーターは、この名曲を1966年 2月にブルーノート・レーベルのアルバム「アダム'ズ・アップル」に初録音(このヴァージョンが最も好き)、同年11月にマイルス・クインテットでもレコーディングしています。


この曲の記憶に残る印象的な音源と言えば、白血病を宣告され余命少なかった音楽評論家コンラッド・シルヴァートによる生前最期の夢のコンサート企画(1982年 2月)で、作曲者ウェイン・ショーターと若きウィントン・マルサリスの二管フロントが ハービー・ハンコック、チャーリー・ヘイデン、トニー・ウィリアムス というリズム・セクションで演奏した晩の実況録音です(ジャコ・パストリアスもソリストとして招待されており、耳を澄ますと エレクトリック・ベースの音が所々で 微かに聴こえるものの 体調が最悪だったそうで、残念ながら “演奏”レベルにまで至らなかったようです)。


2001年ヨーロッパ・ツアーにおける、ダニーロ・ペレス(ピアノ)、ジョン・パティトゥッツィ(ベース)、ブライアン・ブレイド(ドラムス)ら名手を 文字どおり自身の手足のように率いてみせたアコースティック・バンドで再演された名曲(素材)の数々・・・。
オリジナル動機を(かつてのマイルスとのセッション以上に )ばらばらに細分化し、空中高く放散してみせる 自由で斬新な解釈に唖然とします。注目すべき「フットプリンツ」の他、ライヴ・アルバム冒頭に置かれた「サンクチュアリ」から切れ目なく続く「マスクァレロ」に至る、音の奔流が一度堰き止められた瞬間と さらに別の急流へと飛んでいったバンド・メンバーが飛沫を迸らせながら その先でいきなり築くクライマックスには ヤラレます!

選外には落ちましたが、「ネイティヴ・ダンサー」から ソプラノ・サックスが美しい「Diana(ヂアナ)」を聴きながら、偉大なウェイン・ショーターを偲び 今宵は 寝(やす)もうと思います。
おやすみなさい -

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