フェンダーローズを弾く ビリー・ジョエル 「ライヴ・アット・グレート・アメリカン・ミュージックホール、1975」を聴く。
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フェンダーローズを弾く ビリー・ジョエル
「ライヴ・アット・グレート・アメリカン・ミュージックホール、1975」
Live at the Great American Music Hall, 1975 を聴く。
今晩は、“スケルツォ倶楽部”発起人です。
シンガー・ソングライター、ビリー・ジョエルのデビュー50周年を記念して昨年11月にリリース、そのキャリア前半期の重要なオリジナル・アルバムをアナログL.P.で復刻した 9枚組セット “The Vinyl Collection, Vol. 1”- すなわち 最初のソロ・アルバム“コールド・スプリング・ハーバー(1971)”から“ピアノ・マン(1973)”、“ストリートライフ・セレナーデ(1974)”、“Turnstiles - 邦題 ニューヨーク物語(1976)”、“ストレンジャー(1977)”、“ニューヨーク52番街(1978)” までのスタジオ・アルバムの名作たち - 何故か“グラス・ハウス(1980)”は含まれていませんが 多分Vol.2に収まる模様 - および 翌年にリリースされたライヴ・アルバム“ソングス・イン・ジ・アティック(1981)” までの 7タイトルを収録。ふーん。




これら懐かしいタイトルを眺めつつ リアルタイムでレコードの溝に針を下ろしていた頃の思い入れこそ一塩だったけど、さすがに今さら もう一度L.P.レコードで買い直すことはないだろうなあ・・・ などと思っていたら、これまで全く未発表だった 1975年サンフランシスコのグレイト・アメリカン・ミュージック・ホールで行われた “ストリートライフ・セレナーデ”のアルバム・プロモーション・ツアーにおける 稀少なステージをステレオ録音で収めた L.P.二枚分量の“Live at The Great American Music Hall – 1975”なるライヴ音源が このボックスセットにのみ収録… ということは このL.P.限定で アナログ再生でしか聴けない、という そりゃ何とも阿漕(あこぎ)な商売優先な情報に 今さら初めて気づいて、発起人 色めき立ちます。

ビリー・ジョエル Billy Joel
ライヴ・アット・グレイト・アメリカン・ミュージックホール1975
The Great American Music Hall - 1975
収録曲:
Somewhere Along the Line、Roberta、The Mexican Connection、Root Beer Rag、James、You're My Home、Everybody Loves You Now、New York State of Mind、Travelin' Prayer、The Entertainer、The Ballad of Billy the Kid、Ain't No Crime、Weekend Song
バンド・メンバー:
ビリー・ジョエル Billy Joel:Piano, Keyboards and Vocals
リース・クラーク Rhys Clark:Drums
ダグ・ステッグマイヤー Doug Stegmeyer:Fender Bass
ドン・エヴァンス Don Evans:Acoustic and Electric Guitars
ジョニー・アーモンド Johnny Almond:Horns and Keyboards
録 音:
1975年 6月 Great American Music Hall、San Francisco, CA, USA
しかし こんなめずらしい録音が残っていたのか・・・ これは ぜひ聴いておかねばなりません。この時期、アメリカ西海岸で活躍していた(第一次レギュラーバンドを結成する前の )ビリー・ジョエルのソロ・ステージ音源は たいへん稀少です。その理由は いくつかありますが、これから順番に述べてまいります。
でも 聴かないことには 何も語れません。
やはりL.P.セットを購入するしかないのか? 調べてみると、タワーレコード割引価格でも 税込 25,191円だと。
高い。思わず頭髪をかきむしる発起人・・・。
などと苦しんでいたら、“親切な人”(素晴らしい音源の宝庫・・・ )が ライヴ二枚組の音源すべてYouTubeに 全曲アップしてくださっていたことに気がつきました。
いやいや・・・ これだからレコードが売れなくなるんだよ。経済を正しく循環させる必要上、価値ある音楽をタダにするとは いかがなものか、結局 音楽文化と音楽産業を著しく衰退させてるじゃないか - などと考えつつ、その本音は?「正直、ありがとうございます」って はー(タメイキ ) 一体どこまで卑怯者なんだろ、自分。
▲ Billy Joel - Live at the Great American Music Hall (June 1975)
それがこれです、ピッチまで修正されています。果たして いつまで観れる(聴ける)やら不明ですが、こっそり 紹介させて頂きます。
・・・もとい。
ビリー・ジョエルのライヴ音源について語ろうとすれば、1976年にニューヨークへ活動拠点を戻して以降 ロングアイランド出身の腕利きミュージシャンたち(ベースのダグ・ステッグマイヤー、ギターのラッセル・ジェイヴァーズ、ドラムスのリバティ・デ・ヴィート、これにサックスのリッチー・カナータが加わる)を集めて結成された 第一次レギュラー・バンドとのステージ録音(代表的な音源が 1976年 6月のニューヨーク、ボトム・ライン公演、1977年 6月のカーネギーホール公演など )が、やはり質/量とも中心となります。
ではレギュラー・バンド結成前は - と言えば、1972年 4月プエルトリコでの国際ポップ・フェスティヴァル出演を筆頭に、1974年 5月のメンフィス公演、1975年 5月渡英/初出演したロンドン The Old Grey Whistle Test ライヴ(一回目)など、今も人口に膾炙する音源はいくつか残されていますが、正規にリリースされたものとしては、以前もどこかで書きましたが、フィラデルフィアのシグマ・サウンド・スタジオ・ライヴ(1972年 4月15日)レコーディングが ほぼ唯一のものではないでしょうか。ステージ構成や音質面など、この時期 満足できる数少ないレコーディングの一つでもあります(2011年“ピアノ・マン”レガシー・エディションに収録/ソニー SICP-3144/5 )。
それが今回、遅ればせながら その存在に気づいたのが 上掲の音源です。
この時のツアーメンバーの顔ぶれについて、補足しておきましょう。
ドラマーのリース・クラーク(Rhys Clark、ニュージーランド出身)と ギタリストのドン・エヴァンス(Don Evans、詳細不詳 )は、二人ともアルバム「コールド・スプリング・ハーバー」から既にジョエルとは共演歴のあったスタジオ・ミュージシャンで、特にクラークは アルバム「ピアノ・マン」収録の「キャプテン・ジャック」はじめ、ジョエルのシグマ・サウンド・スタジオ・ライヴにおいても堅実なプレイで支援してきました。
サックス担当のジョニー・アーモンド(1946–2009 )Johnny Almondは、イギリス出身のホーン奏者。1969年にジョン・マークと結成したマーク/アーモンドをはじめ ジョン・メイオール(ブルースブレイカーズ)や フリート・ウッドマックとの共演でも知られます。
そして重要なベーシストは ダグ・ステッグマイヤー Doug Stegmeyer (1951-1995)です。このとき共演した流れで レギュラー・バンドのメンバーに抜擢され、その後 不慮の死を遂げるまで、盟友ジョエルとは 長く共演を続けることになります。

ジョエルとは同郷のニューヨーク出身だったステッグマイヤー は、LAで録音されたアルバム「ストリートライフ・セレナーデ」には まだ参加していませんでしたが、同時期に西海岸を周るプロモーション・ツアーのメンバーとしてジョエルに同行、そこで意気投合することになります。すでに ニューヨークに活動拠点を戻すことを決断したジョエル は、ステッグマイヤーも 一緒に連れ帰ってきてしまったわけです。
それでは 以下、収録された順序に関わらず、このライヴ盤から 特に印象に残ったナンバーについて 順不同で語ります。
「ニューヨークの想い 」New York State of Mind の原型を聴く。
私 発起人が肩入れする名曲「ニューヨークの想い 」New York State of Mindについて、今まで何度か話題にしてきましたが -
♪ ビリー・ジョエル Billy Joel 「ニューヨークの想い 」 New York State of Mind
♪ なぜ「ニューヨークの想い」には異なるサックス ソロ・ヴァージョンが存在するのか。
ここでの録音データが正しければ、まさにグレイト・アメリカン・ミュージックホールで 彼らが演奏していた瞬間こそ、ビリー・ジョエルが「ニューヨークの想い 」を作曲し立てのホヤホヤ、殆ど初めて公開したタイミングだったはずです。公で演奏された “お初”だった可能性も。
このときのジョエルは、LAでの音楽活動を全面的に見直し 故郷ニューヨークへと戻る決意を固めていたからです。事実、当時の妻エリザベスは 夫がツアーに出ている この間、一足先にニューヨークへ移り ハイランドフォールズに新居をみつけています。
アルバム “Turnstiles” に収録されるスタジオ・レコーディングよりも 一年近く前の演奏披露というわけですが、楽曲としては ほぼ完成しています。最初に アコースティック・ピアノで提示されるテーマのメロディは 後のスタジオ・ヴァージョンより1オクターヴ低く登場します。ジョエルの歌い方も まだ模索中だったらしく、翌年の完成ヴァージョンで感じるほどには レイ・チャールズばりのソウル臭を振り撒いてはいません。
8小節毎にヴォーカルが ♪ I'm in a New York state of mind という楽句を締める度、サックスとギターがユニゾンで 定型フレーズを繰り返します。最初聴いた時、このリフがめずらしく、新鮮にも聴こえ、悪くないなと思っていましたが、それも初めのうちだけ。何度も聴き直すうち 判で押すように 同じリフを毎回繰り返されると、正直その執拗(しつこ)さがハナについてきます。実際 ジョエルは、このユニゾン・リフを 後のスタジオ盤でも ライヴにおいても採用していませんので、やはり何か感じるところがあったのでしょう、止(や)めて正解だったな と感じます。完成形へと至るまでの途中の試みの一つが聴けるという意味で、貴重品ではあります。
ジョニー・アーモンドのテナー・サックスは クールで滑らかなサウンド、音数が少ない、というより無駄な音を発することを避け慎重に選んでいる、という印象。ブルーノートも意識的に避けているのではないか、とさえ思える白さ - そんなフレーズの粒立ちも揃った美しいプレイです。エンディング近くのカデンツァ風のパートも 最後まで音楽の流れを途切れさせることなく、最小限で控えめなプレイに好感が持てました。
「ロバータ 」Roberta と「素顔のままで」に聴く近親性
愛する女性の名前を繰り返し呼ぶ、美しいバラード「ロバータ」。
めずらしいことに、このナンバーをジョエルがステージ上で採りあげている録音を聴くのは 私はこれが初めてです。正確に記録を数えたり統計を取ったりしたわけではありませんが、後年になってもジョエルがこの「ロバータ」をライヴで歌った頻度は、かなり低いものではないでしょうか。
「ロバータ」、調性こそ異なりますが、実は 名曲「素顔のままで」Just The Way You Are の前身(成長する前の姿)だったように、私には聴こえます。アコースティック・ピアノのバッキング・フレーズをよくお聴きになってみてください、冒頭から ジョエルが 鍵盤を広げゆくような伴奏音型(ショパンの「子守歌」変ニ長調 作品57 が インスピレーションを与えたのではないかと憶測してます )は、そのまんま「素顔のままで 」のフェンダー・ローズへ移し替えられたプレイのようです。
そして、ヴォーカルが繰り返すサビの部分“How I wish you had(take)the time…”と歌うフレーズが何度目かで上昇を描くカーヴは、「素顔のままで」の“Don't go changing to try and please me”のメロディに とてもよく似ています。
ドラムスの刻むリズムも「素顔のままで 」では ボサ・ノヴァにも似たブラジルのバイヨンというリズムが採用されています(フィル・ラモーンがスタジオで提案したという)が、また「ロバータ」の曲調も間違いなく同じリズムに乗ります。
「素顔のままで 」では アコースティック・ピアノを敢えて使うことなく、明らかに「ロバータ」とは異なる音色のフェンダー・ローズを選んで差別化を明確にしたこと、ライヴのレパートリーとして「素顔のままで 」を歌う機会が増えると「ロバータ」は同じステージでは披露しなくなったなど、こじつければ(?)限(きり)がありませんが、ビリー・ジョエルがこれを意識的に(あるいは無意識に… )行っていたかどうかまでは 推測の域を出るものではありません。
「ジェイムス」James
- フェンダー・ローズを弾く ビリー・ジョエル
“ピアノ・マン”ビリー・ジョエルが、最初にエレクトリック・フェンダー・ローズを使ったのは、アルバム「ストリートライフ・セレナーデ」収録の Los Angelenos(邦題:ロスアンジェルス紀行)と思われ。初めて スタジオ録音を聴いた時、あの歪んだエレクトリック・ピアノの音色をウーリッツァーだと勘違いしたものです。ローズもウーリッツァーも鍵盤アクションが振動板を叩くという仕組みは共通ですが、よく聴き直したら ジョエルの1980年全米ツアーを収めたライヴ盤「ソングス・イン・ジ・アティック」においても エフェクターをかけて歪ませたフェンダー・ローズの音で、同曲のバッキングを弾き通していましたから(ソロはハモンド・オルガンを使用 )間違いないでしょう。
フェンダー・ローズを用いたビリー・ジョエル・ナンバーと言えば、一般には「素顔のままで」 - 。が、それより一年前に発表された、この楽器本来の透明感に満ちたサウンドを活かした隠れ名曲こそ 「ジェイムス」 です。ボサノヴァ風なリズムに哀愁漂う Dマイナーの美しい旋律とは対照的な、ちょっと辛辣な歌詞が ジョエルらしい 屈折した友情の歌です。
翌年のアルバム“Turnstiles(邦題「ニューヨーク物語」)” B面冒頭に収録、その最も初期の姿を ここで垣間見る(聴く )ことができます。完成形には リッチー・カナータによる 繊細にして絶妙なソプラノサックス・ソロが挿入されることになりますが、まだグレート・アメリカン・ミュージックホールでは そこまでアイディアが熟しておらず、ジョエルは ジョニー・アーモンドを休ませています。
完成形のスタジオ録音では オーヴァーダビングによって まるで「二台の」フェンダー・ローズが放つ音の粒球が 左/右のスピーカーから転がってくるように美しく、特にイントロと後奏部分では 懐かしいMJQっぽい擬バロック風なフレーズで演奏効果を上げていましたね。
私は この「ジェイムス」の曲調もまた 二年前(1973年 2月)に「ロバータ」フラック Roberta Flack が歌って 4週連続ビルボード誌の第一位を達成した名曲「やさしく歌って」Killing Me Softly With His Song から霊感を得て産まれたものと考えています。それは、楽曲のもつ思索的な雰囲気や、ヴォーカルのフラック自身がエレクトリック・フェンダー・ローズを弾き語りで演奏していること、マイナー(短調)のナンバーでありながら 楽曲の最後の一音をメジャー(長調)コードで効果的に終わらせているところ・・・ などの共通点から 私には(ジョエルが意識的にか無意識にであったかは定かでないものの )ここでもまた そう感じてしまうのでした。
おまけ : アーティストへの影響の連鎖を 聴く ⇓
▲ ロバータ・フラック やさしく歌って(1973年) Killing Me Softly With His Song
▲ ビリー・ジョエル ジェイムス(1976年) James
▲ セルジオ・メンデス 愛をもう一度(1983年) Never Gonna Let You Go
▲ 松任谷由実 ノーサイド(1984年) Album「NO SIDE」収録
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フェンダーローズを弾く ビリー・ジョエル
「ライヴ・アット・グレート・アメリカン・ミュージックホール、1975」
Live at the Great American Music Hall, 1975 を聴く。
今晩は、“スケルツォ倶楽部”発起人です。
シンガー・ソングライター、ビリー・ジョエルのデビュー50周年を記念して昨年11月にリリース、そのキャリア前半期の重要なオリジナル・アルバムをアナログL.P.で復刻した 9枚組セット “The Vinyl Collection, Vol. 1”- すなわち 最初のソロ・アルバム“コールド・スプリング・ハーバー(1971)”から“ピアノ・マン(1973)”、“ストリートライフ・セレナーデ(1974)”、“Turnstiles - 邦題 ニューヨーク物語(1976)”、“ストレンジャー(1977)”、“ニューヨーク52番街(1978)” までのスタジオ・アルバムの名作たち - 何故か“グラス・ハウス(1980)”は含まれていませんが 多分Vol.2に収まる模様 - および 翌年にリリースされたライヴ・アルバム“ソングス・イン・ジ・アティック(1981)” までの 7タイトルを収録。ふーん。




これら懐かしいタイトルを眺めつつ リアルタイムでレコードの溝に針を下ろしていた頃の思い入れこそ一塩だったけど、さすがに今さら もう一度L.P.レコードで買い直すことはないだろうなあ・・・ などと思っていたら、これまで全く未発表だった 1975年サンフランシスコのグレイト・アメリカン・ミュージック・ホールで行われた “ストリートライフ・セレナーデ”のアルバム・プロモーション・ツアーにおける 稀少なステージをステレオ録音で収めた L.P.二枚分量の“Live at The Great American Music Hall – 1975”なるライヴ音源が このボックスセットにのみ収録… ということは このL.P.限定で アナログ再生でしか聴けない、という そりゃ何とも阿漕(あこぎ)な商売優先な情報に 今さら初めて気づいて、発起人 色めき立ちます。

ビリー・ジョエル Billy Joel
ライヴ・アット・グレイト・アメリカン・ミュージックホール1975
The Great American Music Hall - 1975
収録曲:
Somewhere Along the Line、Roberta、The Mexican Connection、Root Beer Rag、James、You're My Home、Everybody Loves You Now、New York State of Mind、Travelin' Prayer、The Entertainer、The Ballad of Billy the Kid、Ain't No Crime、Weekend Song
バンド・メンバー:
ビリー・ジョエル Billy Joel:Piano, Keyboards and Vocals
リース・クラーク Rhys Clark:Drums
ダグ・ステッグマイヤー Doug Stegmeyer:Fender Bass
ドン・エヴァンス Don Evans:Acoustic and Electric Guitars
ジョニー・アーモンド Johnny Almond:Horns and Keyboards
録 音:
1975年 6月 Great American Music Hall、San Francisco, CA, USA
しかし こんなめずらしい録音が残っていたのか・・・ これは ぜひ聴いておかねばなりません。この時期、アメリカ西海岸で活躍していた(第一次レギュラーバンドを結成する前の )ビリー・ジョエルのソロ・ステージ音源は たいへん稀少です。その理由は いくつかありますが、これから順番に述べてまいります。
でも 聴かないことには 何も語れません。
やはりL.P.セットを購入するしかないのか? 調べてみると、タワーレコード割引価格でも 税込 25,191円だと。
高い。思わず頭髪をかきむしる発起人・・・。
などと苦しんでいたら、“親切な人”(素晴らしい音源の宝庫・・・ )が ライヴ二枚組の音源すべてYouTubeに 全曲アップしてくださっていたことに気がつきました。
いやいや・・・ これだからレコードが売れなくなるんだよ。経済を正しく循環させる必要上、価値ある音楽をタダにするとは いかがなものか、結局 音楽文化と音楽産業を著しく衰退させてるじゃないか - などと考えつつ、その本音は?「正直、ありがとうございます」って はー(タメイキ ) 一体どこまで卑怯者なんだろ、自分。
▲ Billy Joel - Live at the Great American Music Hall (June 1975)
それがこれです、ピッチまで修正されています。果たして いつまで観れる(聴ける)やら不明ですが、こっそり 紹介させて頂きます。
・・・もとい。
ビリー・ジョエルのライヴ音源について語ろうとすれば、1976年にニューヨークへ活動拠点を戻して以降 ロングアイランド出身の腕利きミュージシャンたち(ベースのダグ・ステッグマイヤー、ギターのラッセル・ジェイヴァーズ、ドラムスのリバティ・デ・ヴィート、これにサックスのリッチー・カナータが加わる)を集めて結成された 第一次レギュラー・バンドとのステージ録音(代表的な音源が 1976年 6月のニューヨーク、ボトム・ライン公演、1977年 6月のカーネギーホール公演など )が、やはり質/量とも中心となります。
ではレギュラー・バンド結成前は - と言えば、1972年 4月プエルトリコでの国際ポップ・フェスティヴァル出演を筆頭に、1974年 5月のメンフィス公演、1975年 5月渡英/初出演したロンドン The Old Grey Whistle Test ライヴ(一回目)など、今も人口に膾炙する音源はいくつか残されていますが、正規にリリースされたものとしては、以前もどこかで書きましたが、フィラデルフィアのシグマ・サウンド・スタジオ・ライヴ(1972年 4月15日)レコーディングが ほぼ唯一のものではないでしょうか。ステージ構成や音質面など、この時期 満足できる数少ないレコーディングの一つでもあります(2011年“ピアノ・マン”レガシー・エディションに収録/ソニー SICP-3144/5 )。
それが今回、遅ればせながら その存在に気づいたのが 上掲の音源です。
この時のツアーメンバーの顔ぶれについて、補足しておきましょう。
ドラマーのリース・クラーク(Rhys Clark、ニュージーランド出身)と ギタリストのドン・エヴァンス(Don Evans、詳細不詳 )は、二人ともアルバム「コールド・スプリング・ハーバー」から既にジョエルとは共演歴のあったスタジオ・ミュージシャンで、特にクラークは アルバム「ピアノ・マン」収録の「キャプテン・ジャック」はじめ、ジョエルのシグマ・サウンド・スタジオ・ライヴにおいても堅実なプレイで支援してきました。
サックス担当のジョニー・アーモンド(1946–2009 )Johnny Almondは、イギリス出身のホーン奏者。1969年にジョン・マークと結成したマーク/アーモンドをはじめ ジョン・メイオール(ブルースブレイカーズ)や フリート・ウッドマックとの共演でも知られます。
そして重要なベーシストは ダグ・ステッグマイヤー Doug Stegmeyer (1951-1995)です。このとき共演した流れで レギュラー・バンドのメンバーに抜擢され、その後 不慮の死を遂げるまで、盟友ジョエルとは 長く共演を続けることになります。



ジョエルとは同郷のニューヨーク出身だったステッグマイヤー は、LAで録音されたアルバム「ストリートライフ・セレナーデ」には まだ参加していませんでしたが、同時期に西海岸を周るプロモーション・ツアーのメンバーとしてジョエルに同行、そこで意気投合することになります。すでに ニューヨークに活動拠点を戻すことを決断したジョエル は、ステッグマイヤーも 一緒に連れ帰ってきてしまったわけです。
それでは 以下、収録された順序に関わらず、このライヴ盤から 特に印象に残ったナンバーについて 順不同で語ります。
「ニューヨークの想い 」New York State of Mind の原型を聴く。
私 発起人が肩入れする名曲「ニューヨークの想い 」New York State of Mindについて、今まで何度か話題にしてきましたが -
♪ ビリー・ジョエル Billy Joel 「ニューヨークの想い 」 New York State of Mind
♪ なぜ「ニューヨークの想い」には異なるサックス ソロ・ヴァージョンが存在するのか。
ここでの録音データが正しければ、まさにグレイト・アメリカン・ミュージックホールで 彼らが演奏していた瞬間こそ、ビリー・ジョエルが「ニューヨークの想い 」を作曲し立てのホヤホヤ、殆ど初めて公開したタイミングだったはずです。公で演奏された “お初”だった可能性も。
このときのジョエルは、LAでの音楽活動を全面的に見直し 故郷ニューヨークへと戻る決意を固めていたからです。事実、当時の妻エリザベスは 夫がツアーに出ている この間、一足先にニューヨークへ移り ハイランドフォールズに新居をみつけています。
アルバム “Turnstiles” に収録されるスタジオ・レコーディングよりも 一年近く前の演奏披露というわけですが、楽曲としては ほぼ完成しています。最初に アコースティック・ピアノで提示されるテーマのメロディは 後のスタジオ・ヴァージョンより1オクターヴ低く登場します。ジョエルの歌い方も まだ模索中だったらしく、翌年の完成ヴァージョンで感じるほどには レイ・チャールズばりのソウル臭を振り撒いてはいません。
8小節毎にヴォーカルが ♪ I'm in a New York state of mind という楽句を締める度、サックスとギターがユニゾンで 定型フレーズを繰り返します。最初聴いた時、このリフがめずらしく、新鮮にも聴こえ、悪くないなと思っていましたが、それも初めのうちだけ。何度も聴き直すうち 判で押すように 同じリフを毎回繰り返されると、正直その執拗(しつこ)さがハナについてきます。実際 ジョエルは、このユニゾン・リフを 後のスタジオ盤でも ライヴにおいても採用していませんので、やはり何か感じるところがあったのでしょう、止(や)めて正解だったな と感じます。完成形へと至るまでの途中の試みの一つが聴けるという意味で、貴重品ではあります。
ジョニー・アーモンドのテナー・サックスは クールで滑らかなサウンド、音数が少ない、というより無駄な音を発することを避け慎重に選んでいる、という印象。ブルーノートも意識的に避けているのではないか、とさえ思える白さ - そんなフレーズの粒立ちも揃った美しいプレイです。エンディング近くのカデンツァ風のパートも 最後まで音楽の流れを途切れさせることなく、最小限で控えめなプレイに好感が持てました。
「ロバータ 」Roberta と「素顔のままで」に聴く近親性
愛する女性の名前を繰り返し呼ぶ、美しいバラード「ロバータ」。
めずらしいことに、このナンバーをジョエルがステージ上で採りあげている録音を聴くのは 私はこれが初めてです。正確に記録を数えたり統計を取ったりしたわけではありませんが、後年になってもジョエルがこの「ロバータ」をライヴで歌った頻度は、かなり低いものではないでしょうか。
「ロバータ」、調性こそ異なりますが、実は 名曲「素顔のままで」Just The Way You Are の前身(成長する前の姿)だったように、私には聴こえます。アコースティック・ピアノのバッキング・フレーズをよくお聴きになってみてください、冒頭から ジョエルが 鍵盤を広げゆくような伴奏音型(ショパンの「子守歌」変ニ長調 作品57 が インスピレーションを与えたのではないかと憶測してます )は、そのまんま「素顔のままで 」のフェンダー・ローズへ移し替えられたプレイのようです。
そして、ヴォーカルが繰り返すサビの部分“How I wish you had(take)the time…”と歌うフレーズが何度目かで上昇を描くカーヴは、「素顔のままで」の“Don't go changing to try and please me”のメロディに とてもよく似ています。
ドラムスの刻むリズムも「素顔のままで 」では ボサ・ノヴァにも似たブラジルのバイヨンというリズムが採用されています(フィル・ラモーンがスタジオで提案したという)が、また「ロバータ」の曲調も間違いなく同じリズムに乗ります。
「素顔のままで 」では アコースティック・ピアノを敢えて使うことなく、明らかに「ロバータ」とは異なる音色のフェンダー・ローズを選んで差別化を明確にしたこと、ライヴのレパートリーとして「素顔のままで 」を歌う機会が増えると「ロバータ」は同じステージでは披露しなくなったなど、こじつければ(?)限(きり)がありませんが、ビリー・ジョエルがこれを意識的に(あるいは無意識に… )行っていたかどうかまでは 推測の域を出るものではありません。
「ジェイムス」James
- フェンダー・ローズを弾く ビリー・ジョエル
“ピアノ・マン”ビリー・ジョエルが、最初にエレクトリック・フェンダー・ローズを使ったのは、アルバム「ストリートライフ・セレナーデ」収録の Los Angelenos(邦題:ロスアンジェルス紀行)と思われ。初めて スタジオ録音を聴いた時、あの歪んだエレクトリック・ピアノの音色をウーリッツァーだと勘違いしたものです。ローズもウーリッツァーも鍵盤アクションが振動板を叩くという仕組みは共通ですが、よく聴き直したら ジョエルの1980年全米ツアーを収めたライヴ盤「ソングス・イン・ジ・アティック」においても エフェクターをかけて歪ませたフェンダー・ローズの音で、同曲のバッキングを弾き通していましたから(ソロはハモンド・オルガンを使用 )間違いないでしょう。
フェンダー・ローズを用いたビリー・ジョエル・ナンバーと言えば、一般には「素顔のままで」 - 。が、それより一年前に発表された、この楽器本来の透明感に満ちたサウンドを活かした隠れ名曲こそ 「ジェイムス」 です。ボサノヴァ風なリズムに哀愁漂う Dマイナーの美しい旋律とは対照的な、ちょっと辛辣な歌詞が ジョエルらしい 屈折した友情の歌です。
翌年のアルバム“Turnstiles(邦題「ニューヨーク物語」)” B面冒頭に収録、その最も初期の姿を ここで垣間見る(聴く )ことができます。完成形には リッチー・カナータによる 繊細にして絶妙なソプラノサックス・ソロが挿入されることになりますが、まだグレート・アメリカン・ミュージックホールでは そこまでアイディアが熟しておらず、ジョエルは ジョニー・アーモンドを休ませています。
完成形のスタジオ録音では オーヴァーダビングによって まるで「二台の」フェンダー・ローズが放つ音の粒球が 左/右のスピーカーから転がってくるように美しく、特にイントロと後奏部分では 懐かしいMJQっぽい擬バロック風なフレーズで演奏効果を上げていましたね。
私は この「ジェイムス」の曲調もまた 二年前(1973年 2月)に「ロバータ」フラック Roberta Flack が歌って 4週連続ビルボード誌の第一位を達成した名曲「やさしく歌って」Killing Me Softly With His Song から霊感を得て産まれたものと考えています。それは、楽曲のもつ思索的な雰囲気や、ヴォーカルのフラック自身がエレクトリック・フェンダー・ローズを弾き語りで演奏していること、マイナー(短調)のナンバーでありながら 楽曲の最後の一音をメジャー(長調)コードで効果的に終わらせているところ・・・ などの共通点から 私には(ジョエルが意識的にか無意識にであったかは定かでないものの )ここでもまた そう感じてしまうのでした。
おまけ : アーティストへの影響の連鎖を 聴く ⇓
▲ ロバータ・フラック やさしく歌って(1973年) Killing Me Softly With His Song
▲ ビリー・ジョエル ジェイムス(1976年) James
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▲ 松任谷由実 ノーサイド(1984年) Album「NO SIDE」収録
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