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♪ 名曲の名演を 一つだけ残すとしたら

第六回 
モーツァルト 
交響曲第40番 ト短調 K.550

名曲の名演を一つだけ残すとしたら モーツァルト 40番

  「こんにちは、“スケルツォ倶楽部発起人です 」

  「のほうです、ごきげんよう(笑)。なんて爽やかな 5月の連休・・・。さて、今日は一体 何の名曲を聴くのかしら、アナタと? 」

  「本日セレクトした曲は、古典派の代表選手 モーツァルト三大交響曲の中でも 個性的な傑作 第40番ト短調 K.550 - 」

  「え? それはまた コワイもの知らずな人気曲を選んできたものね、歴史的な名演が刻まれた名盤群を数えるだけで 今年のGWは終わってしまいそうじゃない 」 ⇒ ホントに終わってしまいました(笑) 5/6

  「・・・ しかも、それら膨大な音盤の中から 果たして 一枚だけ 残せるのだろうか(冷汗 ) 」

  「って、何 いきなり震えてんの(笑)。もう やるしかないでしょ。急峻な険しい山岳ルートを選んだのは 他ならぬアナタ自身なんだし 」

  「殆ど序奏もなく突然始まる 古今稀なる交響曲の冒頭、わずか一拍半のヴィオラのさざ波のような伴奏に続いて すぐ二声のヴァイオリンによって オクターヴで開始される有名なテーマ・・・ 」


▲ モーツァルト 交響曲第40番 ト短調 K.550 ブルーノ・ワルター/コロンビア交響楽団(CBS)盤、1959年

  「美しくも哀愁に満ちた、不滅の名旋律よね 」

  「このメロディに初めて出会ったのは、音楽の魅力に憑りつかれ始めた小学生の頃・・・ すでに先に聴いていた歌劇『フィガロの結婚』の中で ケルビーノが歌う 『自分が何だかわからない(Non so piu cosa son, cosa faccio )』と(調性は違うけど )同じ音型で出来ていることを『発見 』し(た気になって )独り興奮したものの、当時小学校の同級生らは誰ひとりモーツァルトのことなんか知らないものだから 結局 自分の心の中に仕舞い込んでおくしかなかったという、そんな辛い想い出・・・ 」

  「へえ、どれどれ? 若き日のバルトリの歌唱で ケルビーノのアリアを聴いてみましょうか・・・

▲ モーツァルト オペラ・アリア集から
歌劇「フィガロの結婚」第一幕から:ケルビーノのアリア
自分が何だかわからない」Non so piu cosa son, cosa faccio
チェチーリア・バルトリ(Ms )
ジェルジー・フィッシャー/ウィーン室内管弦楽団
(デッカ・ロンドン、1990年録音 )


  「ふーん、なるほどね。ま、リズム音型が似てないこともないか(あっさり) 」

  「タメイキ(気をとり直し )・・・もとい。その“40番第一楽章のメロディと言えば、やっぱり小林秀雄の『疾走するかなしさ』なる文学的表現に魅了され、大いに影響を受けた中学生時代を回想してしまうなー 」

  「(夫の顔を しげしげと見つめて )アナタ、本当は小林秀雄の『モオツァルト』 - ちゃんと読んでないでしょ 」

  「え? な、何を言う、あれは 俺の青春の愛読書だぞー 」

  「(上から目線で)正直におっしゃい。ホントは知らないって。モーツァルトの“短調”を“かなしさは疾走するtristesse allante という絶妙な言葉 で表した人が フランスの詩人アンリ・ゲオン Henri Ghéon(1875-1944)だってことを(笑) 」

  「(大いにうろたえて)そ、そうなのか? 」

  「仏文学者だった小林秀雄が『モオツァルト』の中で紹介したのはこれだったの。さらに、よく読むと『モオツァルトの音楽の根底は かなしさ "tristesse"だ 』と(ゲオン以前に)スタンダールが すでに言った、と明記されているのよ 」

  「うう (追いつめられる ) 」

  「しかもよ、ゲオンが "tristesse allante" と呼んでいた音楽は、実は 第40番シンフォニーではなく、弦楽五重奏曲 ト短調 K.516 の冒頭、もうひとつの哀愁溢れるテーマのほうだったのよ 」

モーツァルト 弦楽五重奏曲ト短調 K.516冒頭


モーツァルト 弦楽五重奏曲第4番 ト短調 K.516 (ラ'ルキブデッリ、1994年/Sony)

  「うひゃー、どこで混線しちゃったのかな・・・ で、でもオレみたいに 勘違いして記憶している人って、意外に多いと思うぞ 」

  「(笑 )負け惜しみ言わないの。そうであるなら 今こそ正すべき時でしょ。それでは ついでにもう一発 とどめの一撃を、小林秀雄が 大阪 道頓堀を歩いていたとき 彼の頭の中で鳴ったという モーツァルト40番は、何を隠そう、第一楽章のメロディではなく、第四楽章アレグロ・アッサイ のほうだったのよ! 」

モーツァルト 交響曲第40番 ト短調の第4楽章


モーツァルト 交響曲第40番 ト短調 K.550 第4楽章

  「(絶句 )第一楽章のテーマは、『モオツァルト』に登場しない・・・? 」

  「その後モーツァルトの音楽を語るとき、わが国では 誰もが 判で押したように引用することとなる『疾走するかなしみ』という言葉を発したゲオンの表現力のオリジナリティに、日本人で最初に出会って衝撃を受けた人物こそ 他でもない小林秀雄だったというのが、正しい流れ。『モオツァルト』の中で、小林は出会ったその瞬間を“自分の感じをひと言で言われたように思い驚いた” と告白しているし、それこそが - 」

  「そう、“涙は追いつけない。涙の裡に玩弄(がんろう)するには美しすぎる。空の青さや海の匂いのように、万葉の歌人が、その使用法をよく知っていた『かなし 』という言葉のように かなしい”という、まったく独自な視点に照準を合わせた文章で詩人ゲオンへの共感を綴り、モーツァルト音楽への想いのたけを迸(ほとばし)らせた・・・ 終戦間もない日本人に広く『モオツァルト』を紹介することになった小林秀雄の功績だったというわけだな 」

  「って、今さら角川文庫広げて 読んでんじゃねーよ(笑)。アナタとのつき合いも長い わたしのこと、すでに予想ついたわよ。モーツァルト40番一枚だけ 選ぶとしたら、もうこれしかないでしょ? ワルター/ウィーン・フィルのライヴ盤(と、ご丁寧に 二種類とも すでに手にして)ね 」

ワルター モーツァルト 第40番 1956年 6月24日? ワルター モーツァルト 第40番 1952年 5月18日  
モーツァルト
交響曲第40番 ト短調 K.550 
ブルーノ・ワルター指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録 音:1956年 6月24日 楽友協会大ホール、ウィーン
音 盤:Altus ALT-079
(同一音源のソニー盤は1952年説 )


♪ 過去記事
⇒ ウィーンフィルのポルタメントに音空間が歪んだ思い出
ブルーノ・ワルターモーツァルト40番)& 録音年問題の真偽


  「古き良き時代の格調高いウィーン・フィルの生演奏を記録した、貴重なレコーディング 」

  「かつて CBSソニーからリリースされたL.P.の時代から アナタの大好きな演奏よね」

  「ホントよくぞ録音を残してくださった、よくぞ発売してくださったと、もう関係者の方々への感謝に堪えない。とにかく 有名な主旋律の提示部ばかりでなく 全曲いたる所で、往年のウィーン・フィルだけがもっていた、あの艶のある弦のとろけるポルタメントが何度も聴けるのだから」

  「語る、語るぅ(笑 ) 」

  「恰も冬の窓ガラスに凍りついた淡雪が陽射しで溶けて滲むがごときアンダンテの儚(はかな)さ、メヌエットのトリオでは オケのプルトを減らして典雅な美しさを際立たせ、そしてまさに“疾走する哀しみ”と化す終楽章・・・ 」

  「責任感の強かったワルターは50歳になるまでずっと この曲を指揮する決心がつかなかったけれど、楽曲を自己のものとする困難さを克服して 初めてコンサート・プログラムに載せるようになった、という逸話があるわよね 」

  「だが、今日は この一枚だけは別格” 扱い して、敢えて 候補から外そう と思うんだ! 」

  「(耳を疑って )ええっ? 最有力候補にして大本命のワルター/ウィーン・フィル盤を 外しちゃうの? 」

  「(迷いを振り払って )さあ、気にせず 行ってみよう 」


モーツァルト 40番 フルトヴェングラー ウィーンフィル1948年 EMI (2) モーツァルト 40番 フルトヴェングラー ウィーンフィル 1948年 EMI  
モーツァルト
交響曲第40番 ト短調 K.550 
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

録 音:1948年12月 楽友協会大ホール、ウィーン
音 盤:東芝EMI(TOCE-55706)


  「この度あらためて聴き直してみたら、第二次世界大戦後初のウィーン楽壇復帰という背景もあるためか、緊迫感に溢れた凄い演奏に驚いた。このフルトヴェングラー(EMI)盤は、ワルターに代表される(語弊はあるけど)従来の円満な古典的演奏とは対極に立つ峻厳さを誇る、異形な名演だったのだ 」

  「1948年録音にしては 音質も聴きやすいよね。まだ“オーセンティックな”古楽的解釈など存在しない時代・・・ 特に両端楽章の駈け抜ける速さといったら、トスカニーニさえ連想してしまう“即物的”演奏であるとも感じないこと? 」

  「ほう、では 参考に そのトスカニーニ/NBC交響楽団(RCA)盤を聴いてみたら・・・ 」


モーツァルト トスカニーニ RCA BMG モーツァルト トスカニーニ RCA BMG (2)
モーツァルト
交響曲第40番 ト短調 K.550 
アルトゥーロ・トスカニーニ指揮
NBC交響楽団
録 音:1950年 3月12日 NBC 8-Hスタジオ、ニューヨーク

音 盤:RCA / BMG(海外盤)


  「あら意外・・・。トスカニーニより フルトヴェングラー盤のほうがめっちゃ速かったことが判明(笑 ) 」

  「第一楽章に限っては フルトヴェングラーと比べたら、むしろトスカニーニの歌わせ方の方が 穏当で古典的な抒情性さえ感じてしまう 」

  「うーん、わたし トスカニーニの主なレコーディングに使われたNBCスタジオの音って、正直やっぱダメだわ。このドライすぎる個性的な音質は生理的に受けつけない・・・ 」

  「今回 あらためてトスカニーニ盤を聴き直したら、第3楽章メヌエット主題にかなり粘着質なレガートがかかってるところとか興味深かったなあ。そして第4楽章は オレ好みな快速スピードと楽団員の必死な弓使いまで聴こえてくる深彫りな名演。これ、オーケストラのアンサンブルを合わせるため、鬼のトスカニーニ、きっと団員を居残りさせて相当絞り上げた特訓の結果なんだろなー、可哀そうに・・・ 」

  「楽団員の哀しみの後で 音楽が疾走してゆくわけね(もらい泣き) 」


モーツァルト 40番 クレンペラー EMI モーツァルト 40番 クレンペラー EMI (2)  
モーツァルト
交響曲第40番 ト短調 K.550 
オットー・クレンペラー指揮
フィルハーモニア管弦楽団
録音:1956年 7月 キングズウェイ・ホール、ロンドン

音盤:EMI/Warner


  「全体にテンポは かなりスローだけど もたれることなく、切れ味の鋭い弦セクションによるアンサンブルが素晴らしい 」

  「それでもやっぱりテンポは大事よね。クレンペラーの統率力が高次元で生かされたオーケストラが デモーニッシュな表現力で応えている凄味は随所に感じるけど、わたしはもう少し速いほうが好みなの。メヌエットも少々重たいし、肝心の終楽章も 期待に反して大人しい - 」

  「オマエは、クレンペラーがもっと暴れてくれたらイイのに・・・とか思っているわけだ(笑 )」


モーツァルト ベーム ベルリンフィル 40番 DG モーツァルト交響曲全集 ベーム ベルリンフィル DG
モーツァルト
交響曲第40番 ト短調 K.550 
カール・ベーム指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

録 音:1961年12月 イエス・キリスト教会、ベルリン
音 盤:D.G.


  「これは 実に立派な演奏ね。一点一画も崩すことなく、きちんと楷書で運ばれる筆づかい、重厚でがっしりした堅牢な構造物に思わず敬意を込め見上げたくなってしまう素晴らしさ 」

  「このベーム / ベルリン・フィル盤、久しぶりに聴き直してみたけれど、オレにとっては やはり予定調和的に整然と進行する(ように聴こえてしまう )、貫禄はあるけれど 文字どおり過去の演奏だ。まあ それでも動脈硬化的な遅さを 味わい深い“枯淡の境地”などと忖度されまくったウィーン・フィルとの再録音(1976年 / D.G.)ほど激しい落差ではないけれど 」

  「アナタにとってのベームは『リング』や『トリスタン~ 』をバイロイトで振っていた頃みたいに、もっと暴れてほしいんでしょ(笑 )」

アーノンクールとレオンハルト(右 )
  「そして、いよいよ20世紀の演奏様式に激変が訪れる。言うまでもなく、アーノンクールレオンハルトらによるオーセンティックな古楽研究に基づくピリオド楽器使用、大胆な演奏解釈などが一大ムーヴメントとなり、モンテヴェルディからJ.S.バッハなどのバロック時代から 遂にモーツァルトの時代にまで その検証が及んだことを意味する 」

♪ 過去記事
⇒ ニコラウス・アーノンクールを追悼し、偉業を振り返る


モーツァルト 交響曲第40番 クリストファー・ホグウッド(LOISEAU-LYRE) ホッグウッド、シュレーダー、エンシェント室内管弦楽団 
モーツァルト
交響曲第40番 ト短調 K.550 
クリストファー・ホグウッド指揮
ヤープ・シュレーダー(コンサートマスター )
エンシェント室内管弦楽団

録 音:1981年、ロンドン
音 盤:(ポリドール L30C-5200~01)


  「古楽器によるモーツァルト時代の演奏を再現する試みで、20代のアナタに衝撃を与えたのが クリスファー・ホグウッド(1981年)による全集だったわね 」

  「そう。オリジナル楽器で編成されたピリオド・オーケストラによるモーツァルト交響曲全集を 世界で最初に完成させ、その高い価値と可能性を世界に広く周知させた歴史的な功労盤だ 」

  「個々の交響曲について、というより 世界初の全集という歴史的な業績、あるいは 斬新なコンセプト(疑作や異稿も含めた結果 71曲収録 )のほうにスポットが当てられ 語られることのほうが多いよね 」

  「ホグウッドは、当時モーツァルトのオペラから手がけ始めていたアーノンクールより(交響曲というジャンルに限っては)先んじていたし、一般の愛好家にとっては 初めて耳にする古楽器オケによる モーツァルトの音楽が与えた印象は 鮮烈だった。時期的にも ちょうどLPからCDに切り替わる時代の真っ最中だった。幸運にも モーツァルト没後200年記念というイベント・シーズンにも重なるなど、成功しないほうがおかしいとさえ思える、そんな絶好のタイミングでもあったわけ 」

  「その透明感あるサウンドは、まるで風が吹きぬけてゆくような爽やかさ。今聴いても心地良いスピード感とノンヴィブラート奏法が新鮮な名演よね 」

♪ 過去記事
⇒ クリストファー・ホグウッド追悼、
歴史的な「モーツァルト交響曲全集」の回想


  「いよいよ ホグウッド録音から 2年後、満を持して アーノンクールモーツァルト交響曲レコーディングを開始した 」

  「手兵コンツェントゥス・ムジクスかと思いきや、モダン・オーケストラ、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団を指揮して - という意外性には驚いたものよね 」

モーツァルト 40番 アーノンクール アムステルダム・コンセルトヘボウ 1983年 Teldec  
モーツァルト
交響曲第40番 ト短調 K.550 
ニコラウス・アーノンクール指揮
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

録 音:1983年 6月 コンセルトヘボウ、アムステルダム
音 盤:Teldec


  「素晴らしい演奏。焦燥感さえ感じる 異常な速さで始まる第一楽章。たとえ“涙は追いつけない”としてもアーノンクールのタクトに オーケストラは遅れることは許されないのだ。これを初めて聴いた時の感想は、この交響曲では外されているティンパニの代わりをホルンの凄まじい咆哮が務めていると直観で感じたこと。今まで他のどの演奏からも聴こえなかった何かが 確かに伝わってきた 」

  「モダン・オーケストラにこれほどまでアグレッシヴな表現を求め(応えたオケも凄いし)引き出してみせたアーノンクールの剛腕に唖然。指揮者は自由自在にアッチェレランドをかけ、あたかも恣意的に加速/減速を繰り返し 指揮台上で見得を切っているようにさえ聴こえるけれど、もし本当にそんなことしたらアンサンブル崩壊するに決まっているじゃない。つまり緻密な計算尽くギリギリのところで、炸裂と熱狂を演じてみせている、そんなスリリングな演奏だったということなんじゃないのかな 」

アーノンクール ヨーロッパ室内管弦楽団 モーツァルト 40番 Teldec
モーツァルト
交響曲第40番 ト短調 K.550 
ニコラウス・アーノンクール指揮
ヨーロッパ室内管弦楽団

録 音:1991年12月 5日 ムジーク・フェラインザール、ウィーン
音 盤:Teldec


  「アーノンクールの意図したところは正直 わたしには判らないけど、少なくとも演奏のテンションも気合いもコンセルトヘボウ管弦楽団との第一回スタジオ録音(1983年)盤のほうが数段高かったように感じられるわ。もちろんヨーロッパ室内管弦楽団も 十二分に素晴らしい名演奏ではあるのだけれど、旧盤の威力があまりにも凄すぎて、今回は どこか再現に落ち着いてしまった感が否めない・・・。ヨーロッパ室内管は、より若い世代で 技巧も柔軟性に富んでいたオケであったがゆえに、アーノンクールの要求にも ある意味 余裕で応えられた、良くも悪くも そこが演奏結果に表れている・・・ ということでは? 」

  「そう、たしかに ちょっと醒めてるよ、ヨーロッパ室内管は。何というか、パッションが足りない、もっと狂気の要素が必要なんだ。アーノンクールの基本的な解釈は、最初のコンセルトヘボウとのセッション録音盤と同じ路線上にあるものと思われるけれど、そうすると このレコーディングの意味、あるいは 目的の一つは、ムジーク・フェラインザールの聴衆を前にした一夜のライヴで 三大交響曲通して演じてみせる という試みにあったのではないか・・・ などと想像。憶測だが 」


アーノンクール モーツァルト鋼機三大交響曲(Sony )
モーツァルト
交響曲第40番 ト短調 K.550 
ニコラウス・アーノンクール指揮
ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス

録 音:2013年10月12~14日 ムジーク・フェラインザール、ウィーン
音 盤:ソニー(SICC-30170~71)


  「さらに 20年が経過する。公式レコーディングも “三回目” - これこそ ニコラウス・アーノンクールの大いなる遺産。1983年のモダン・オケとのセッション録音、1991年の小編成な室内オケとのライヴ録音を経て、2013年 手兵たるピリオド楽団を - 意外にも 初めて - 起用して ライヴ・レコーディングを目的に、再びムジーク・フェラインザールに戻ってきたマエストロ。 とは言っても、これがリリースされた当時 すでに 二年後に引退する決意表明をしており、WCMとの後期交響曲レコーディングは、この二枚組をもって完結 とするつもりだったようだ 」

  「興味深いことに、アーノンクールは この三大交響曲を『器楽によるオラトリオInstrumental Oratorium と呼び、“三幅対で一つの作品”という解釈をしていたそうね、いわば言葉のない三幕のオペラであると - 」

  「たとえば 第39番 変ホ長調 第一楽章の冒頭に置かれた序奏は“オラトリオ”の始まりを告げる壮大なイントロダクションであり、最後の『ジュピター終楽章に登場する モルト・アレグロフーガは“三部作”すべてを締めくくる 本当のフィナーレだという 」

  「言われてみるまでは 殆ど気づかなかったけれど、アーノンクール説には 目から鱗が落ちるような気がしたわ。マエストロの確信は、一晩のコンサートで 三つ並べて通し演奏してしまう試みさえ聴衆を納得させる力があった 」。

  「これもまた憶測になるけど、アーノンクールは 1991年のヨーロッパ室内管弦楽団との 三大交響曲ライヴ・レコーディングには やっぱり満足できない要素を 内心 残していたんじゃないかな。いつか機会さえあれば、手兵ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスを率いて 三回目を演(や)り直したいと考えていたのでは・・・」

  「どうかしら? まあ少なくとも 20年前のヨーロッパ室内管弦楽団との 三大交響曲通し公演を決行した一夜を、今度は アーノンクール自身が創設し 手塩にかけてきたW.C.M.を起用して、自身なじみ深い ムジーク・フェラインザールで 再び取り組んでみたくなった、という心境に至ったとしても、それは 自然なことだったでしょう 」

  「で、その演奏のほうは と言えば、実は この三回目=最後のレコーディングこそ パッション狂気もたっぷり宿った、最も過激な大爆発をみせていたことに驚かされるよ。第40番に限って感想を述べると、敢えて遅いテンポを選ぶことによって、猛烈に凄味を感じる 風圧の高い演奏になっている ・・・ 」

  「あ、さては アナタ、今回のモーツァルト第40番で セレクトしようとしてる一枚のディスクは、この “三回目” なんでしょ? 」

  「うーん、実はね 今 どうしようか迷ってるディスクが、他に もう一枚あるんだなー 」

  「え? 一体 誰のだろ、ブリュッヘンかな? ノリントンかな? ヤーコプスミンコフスキ? あ、まさか・・・ 意表を衝いて カラヤンとか? 」

  「いや、どれでもないよ。凄いのは コレなんだ 」

モーツァルト 40番 エンリコ・オノフリ モーツァルト エンリコ・オノフリ指揮 デイヴィーノ・ソスピーロ(マイナー盤)
モーツァルト
交響曲第40番 ト短調 K.550 
エンリコ・オノフリ指揮
ディヴィーノ・ソスピーロ Divino Sospiro

併 録:セレナード第6番ニ長調 K.239「セレナータ・ノットゥルナ」
録 音:2006年11月9、10日 ベレン文化センター、リスボン
音 盤:Harbor Records(NQCL-3001~02)


  「エンリコ・オノフリは、僅か20歳そこそこで アーノンクールウィーン・コンツェントゥス・ムジクスに客演として招聘されるほどの才能。アーノンクールからは、間違いなく、古楽のオーセンティックな解釈を演奏に加える真髄を学んだのだろう 」

  「イタリア、ミラノの古楽団体イル・ジャルディーノ・アルモニコでソリストを務めていた。イル・ジャルディーノ・アルモニコ(以下IGA)といえば、ウィーンのコンツェントゥス・ムジクス、ドイツのベルリン古楽アカデミーなどと並んで 古楽復興を推進する急先鋒、過激かつ刺激的な演奏を実践する人たちっていうイメージだったけど 」

  「その印象は必ずしも間違ってない。すでにIGA初期の名盤『四季』(Teldec / 1983年)でソロを披露していたのが26歳のオノフリだった。
イル・ジャルディーノ・アルモニコ 四季 (Teldec) (2) イル・ジャルディーノ・アルモニコ 四季 (Teldec) チェチーリア・バルトリ ヴィヴァルディ・アルバム(1998年)
  「彼は1999年 7月に チェチーリア・バルトリの名盤『ヴィヴァルディ・アルバム(Decca) 』レコーディングにも起用され 歌劇『テルモドンテに赴くヘラクレス』のアリアの中での精妙なソロ・プレイにも注目が集まった 」

  「ポルトガルの古楽オケであるディヴィーノ・ソスピーロも またIGAの自由で大胆なスタイルを 同じく踏襲した若い団体であると思われる。IGAのラディカルな切れの鋭いリズム感を打ち出したヴィヴァルディと同じ解釈で モーツァルト40番 ト短調 K.550 を 大胆に捌(さば)いてみせるピリオド・アプローチが聴けるんだ 」

  「中でも注目すべきは やっぱり第4楽章ね。ここまでくると“疾走する哀しみ” どころか “疾走する怒り”。嵐のように駆け抜ける凄まじさ、お手本だったアーノンクール師さえ追い抜いてゆく猛烈な速さ。弦セクションが交互に滑り降りるフレーズなど もう真っ逆さまに落ちてくるようだし。半音階下降形の連鎖で急加速/急減速を繰り返す難所も過ぎ、オケが見得を切って 次々とポーズを決める場面の暴力的なまでの凄まじさにも 唖然とするわね 」

  「特に フィガロスザンナ小二重唱で使われた “♪ ディンディン”動機 が、途中 何度も スタッカートに、レガートに、一斉に弦セクションが 奏法を変えながら警告を発するように強調されるところなど、手に汗を握ってしまう」

  「そこね。遠くへお使いを命じられ 出かけたフィガロの留守を狙って、独りスザンナの寝室の戸口に “♪ ドンドン” と アルマヴィーヴァ伯爵を連れて訪れる者とは、さあ 誰でしょう? 」

  「え? 何の話だっけ・・・ 」

  「 悪魔 でしょ!」

  「・・・ 」

  「それでは アナタ、今日のお題 モーツァルト交響曲第40番ト短調 は、このエンリコ・オノフリ率いるディヴィーノ・ソスピーロ(Harbor Record)盤 一枚あれば、もう他は イラナイと・・・ 言えますか? 」

  「いやー ・・・ やっぱり コレではないな。オノフリは さすがにヤリ過ぎだ 」

  「(ずっこけて )まあ、アナタったら ホント優柔不断ね 」

  「やはり アーノンクール盤だな。それも 第一回目の コンセルトヘボウ管弦楽団とのセッション録音(1983年/Teldec)に 決定! これさえあれば、他は 要りません 」

  「初回のレコーディングを選んだのね。どうして モダン・オケ盤に決めたの? 」

  「何より素晴らしい名演であることは言うまでもなく、ここでのアーノンクールには 作為性が一切皆無であること、コンセルトヘボウの楽団員に 古楽解釈に基づく演奏を仕向けるという困難な課題を克服し、しかも 飛びきり見事な成果に達したことが、コレに決めた理由です 」

  「では逆に、なぜ 世評も高く アナタもさっき絶賛していた アーノンクール最後のレコーディング(ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス/ソニー盤)のほうを 『選ばなかった 』のかしら? その理由は 」

  「それは、コンセルトヘボウ盤の速いテンポが個人的に好きだから - というのは 半分冗談だけど、もし アーノンクール師の意志を 尊重するとしたら、最後のW.C.M.(ソニー/二枚組)盤の鑑賞法は 常に 三曲通して全部 聴くことが正しい、という考えに至ったからだ 」

  「・・・はあ? (ト 辛辣な視線を向ける ) 」

  「いいか、この二枚組セットから40番だけを抜き出して聴こうなどと考えるから 判断を見誤るんだ。モーツァルトの三大交響曲は、互いに“内的連関を持った一連のチクルスだった”という アーノンクールの、延(ひ)いては モーツァルトの意志を、ひとつの『 』にしたものが、W.C.M.(ソニー/二枚組)盤なのだ 」

  「(圧倒され )おお・・・ 」

  「すなわち 39 - 40 - 41 と 並んだ順序も崩すことなく、常に 二枚両面を 最初から通して 全部聴かなければイケない。ゆえに はじめから 第40番 ト短調 K.550一曲だけを 俎上に乗せようという、今回のセレクト自体から W.C.M.(ソニー/二枚組)盤は 外さざるを得ないと(力強く )、そういうわけだ 」

  「(疲れた )はー、やたら まわりくどかったなー、分かったような、意味不明のような・・・。もとい、それでは アナタ、 モーツァルト40番 ト短調 は、アーノンクール 最初の録音盤、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団(Teldec)盤 さえあれば、他には イラナイ・・・ と、言えますか? 」

  「 はい、言えます ! 但し、別格ワルター/ウィーン・フィル も 一緒に携えて 持って行くぞ ! 」
モーツァルト 40番 アーノンクール アムステルダム・コンセルトヘボウ 1983年 Teldec ワルター モーツァルト 第40番 1956年 6月24日?

  「ええっ? そ、それは ないでしょ。だって、名曲の名演は “一つだけ”残すんじゃなかったっけ? 」
スヌーピー 絶句

  「わはは(哄笑 ) 別格とは こういう時に使えるカードなんだから 」
となりのトトロ お父さん爆笑

  「アナタ って、ちょっと ズルい・・・ 人間性を 疑わざるを得ない - 」
ルーシー 不機嫌な顔


モーツァルト 40番 疾走する哀しみ?

 あ、(ふと思い出して )そう言えば、壮年期のベームアムステルダム・コンセルトヘボウを振って 三大交響曲フォンタナフィリップスの米系列レーベル、のちポリグラムに吸収 )のL.P.一枚に 収めていましたね(1955年)。これにもお世話になりました。
ベーム モーツァルト三大交響曲 アムステルダム・コンセルトヘボウ(Fontana)

♪ 参考文献

小林秀雄「モオツァルト」 角川文庫
ニコラウス・アーノンクール「音楽は言葉である」(訳/井上征剛)
矢澤孝樹「三連画(トリプティーク)をめぐる、三度目の冒険」
オットー・ビーバ「モーツァルト最後の三部作交響曲を巡る考察」(訳/井上征剛)
以上 ニコラウス・アーノンクール/ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス
「モーツァルト 後期三大交響曲」(ソニー/SICC-30170~71)ライナーノート所収


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