なぜキューブリックは、映画「シャイニング」の中で バルトークの「弦・チェレ」を使ったのか。
スケルツォ倶楽部
Club Scherzo ⇒ 全記事タイトル
映画のスクリーンに貼りつけられた音楽 ⇒ Novel List
なぜキューブリックは、映画「シャイニング」の中で
バルトークの「弦・チェレ」を使ったのか。

「シャイニング 」The Shining は、鬼才スタンリー・キューブリックが スティーヴン・キング原作の同名小説を 1980年に映画化した、モダン・ホラーの超傑作です。
映像の魅力については、多くのファンによって すでに語り尽くされた感あり、少なくともこの映画に関しては、中途半端なレヴューやあらすじを長々と述べることなど すべてが 野暮でしょう。
それでも 個人的な回想などを 少しばかり つけ足すことをお許し頂けるなら、私 “スケルツォ倶楽部”発起人の 遥か遠き 高校生時代w のこと - 1980年 - リアルタイムに封切られたロードショーを 新宿の映画館で 何の事前知識/予備情報も持たず、先入観もなく、いきなり鑑賞できた「体験」は、今にして思えば 貴重で得難いものでした。映画に誘ってくれた近所に住む高校の同級生には 感謝するしかありません、大重君 ありがとう。
その日、満員だった新宿ピカデリー館内では 今まさに多くの疑問を残したまま 映画が終わろうとするところです。
現れては消えるエンディング・ロールを追いながら(バルトークの名前と 劇中で使われていた個性的な楽曲が「弦・チェレ」だったことは かろうじてキャッチできましたが ) 全く知らないモノラルの古いノスタルジックなダンス音楽(今でこそレイ・ノーブルとアル・ボウリィによる「ミッドナイト、スター・アンド・ユー 」だと判っていますが )が延々と流される間、おそらく観客の殆ど全員が 映画の結末を理解できず、呆気にとられ 席を立つ人さえ殆どなく しーんと静まりかえっていたことを記憶しています。

初見の映画館を出て、友人と あのラスト 一体どういう意味だったんだろ、と 何も知らない高校生二人が首をひねりながら帰途に就きました。国鉄中央線に揺られながら、吉祥寺駅辺りで ようやくまとまった大重君の見解は、「ジャックは凍死せず1921年のホテルへタイム・スリップしたのでは 」と、今にして思えば 当たらずといえども遠からず? 私は - と言えば、情けなくも「全然わからない」w
映画「シャイニング」
監督:スタンリー・キューブリック
原作:スティーヴン・キング

主な登場人物:
ジャック・ニコルソン・・・ ジャック・トランス(作家志望、展望ホテルの冬季管理人。アルコール依存症を治療中 )
シェリー・デュヴァル・・・ ウェンディ・トランス(ジャックの妻 )
ダニー・ロイド・・・ ダニー・トランス(ジャックとウェンディの幼い一人息子、シャイニングを持つ )
スキャットマン・クローザース・・・ ハロラン(ホテルの料理長、シャイニングを持つ )
バリー・ネルソンス・・・ アルマン(ホテル支配人 )
フィリップ・ストーン・・・ グレイディ(ホテルに棲む幽霊、妻と娘二人を斧で躾け無理心中した前任の冬季管理人 )
ジョー・ターケル・・・ ロイド(ホテルに棲む幽霊、寡黙なバーテンダー )
コロラド州、ロッキー山脈の山裾(すそ)に - そこはアメリカ先住民の墓地の跡 - 1909年に建てられたオーバールック(展望 )ホテルは、毎年 雪に閉ざされる11月から 5月までは閉鎖され、その間は雇われた留守番役の家族によって管理されることになっています。
静かな環境と、冬季管理人という楽に思われた仕事の余暇を 自身の文筆活動に充てようと考えた、作家志望でもあるジャック・トランスは、妻のウェンディと一人息子のダニーを連れ、家族でホテルにやってきます。

冬山に閉ざされた空間という特殊な環境下に置かれた家族関係 - という稀な設定が、キューブリックの創作意欲を刺激したのでしょう。よく知られているとおり 原作者スティーヴン・キングから「シャイニング」の映画化権を獲得する際、初めから 周到にストーリーに変更を加える権利を、その契約条項の中に キューブリックは加えていました。
映画化に際し、キューブリックは キングの原作では個性豊かだったトランス一家からは カメラの「焦点を外し」、「フォーカスすべき中心を ホテルに」据え直します。すなわち “ホテルに「行く 」キング原作は、ホテルに「来る」物語へと改変” された(向山貴彦氏:キネマ旬報ムック:フィルム・メーカーズ⑧「スタンリー・キューブリック」参照 )、換骨奪胎の稀少な成功例である、という鋭い慧眼で この映画を見つめる人もいます。

たとえば、トニーという不思議な存在の意味、ハロランの辿る運命、地下のボイラーが果たす役割など、原作に登場するキャラクターから舞台の大道具に至るまで、映画版のほうは さながらパラレル世界を覗いたかのように、ことごとく「別のもの」へと変容を遂げています。中でも最も顕著なのが、「父」ジャック・トランスに加えられた変貌でしょう。
キング原作と キューブリック映画との最大の相違は?

もともとキング原作「シャイニング」で描かれた、“オリジナル”な 父ジャック像は、心から妻子を愛する善良な男でした。
しかし彼は 人間として多くの弱点を抱えていました、すなわち意志も自制心も弱く 自己の感情もコントロールできず、かつて素行の良くない生徒に対し 衝動的に手を挙げてしまったことが災いし 高校教師という職を失っています。そのため 酒に溺れ アルコール依存症へと陥ってしまい、一人息子のダニーのことも可愛がっているにもかかわらず、飲酒して泥酔状態で感情的に叱りつけた際 不注意にも 怪我を負わせてしまったことが、夫婦関係の深刻なトラウマになっています。
それゆえジャックは なおさら良き父親であろうと努め、大いに苦しみながら酒を断つことを誓い(断酒会への出席 )、コネに頼って仕事を見つけ(冬季ホテルの管理人職に就活 )、プライドさえ捨て(ホテルの面接で支配人アルマンに侮辱されても耐えてみせ )ます。
しかし、彼の弱さにつけ込んで誘惑してくるホテルの幽霊たちに 巧みに酒(蒸留酒 Spiritの語源は Sprite霊と同じだそう )を飲まされ、操られ、狂気に陥った「父」ジャックは、自分の意志に反して 妻子を「躾(しつ)け」ようと 凶器を振り回しますが、ダニーの「シャイニング」によって、一瞬 正気にめざめたジャックの性善な理性は、愛する妻ウェンディと息子ダニーを 安全に逃がそうと、老朽化したボイラーの圧力を意図的に最大限まで上げることで 幽霊たちもろともホテルを吹き飛ばし 炎上させることに成功するのでした、その代わり 自分自身を犠牲にして・・・ 。
後に 原作者キング自身が監修する形で、原作に忠実に つくり直されたTVドラマ版のラストは、事件から 十数年後 成長し、首席で卒業証書を授与される高校の演壇に立つダニー(=トニー:謎の存在だったトニーは 実は未来のダニー自身だったという仕掛けが明かされます )の「シャイニング 」が、彼の目の前に冬山のホテル火災で亡くなったジャックの姿を その場に出現させ、卒業と前途を 父が笑顔で祝福してくれる、という 和解の涙と感動に溢れるハッピー・エンディングへと至るのです。
・・・が、ご承知のとおり、キューブリックが映画で描きたかったものとは、もちろん この種の生ぬるい感情などでは 決してありませんでした。キューブリックが 真っ先に原作から排除した要素とは、まさに「妻子を愛する父ジャック」と家族とのドラマであり、逆に キングにとって致命的なことは、まさに そここそが ストーリーテラーたる原作者の 最も大事にしていた場所だったのです。
仮説「キューブリックが『シャイニング』で描きたかったもの 」とは?
ある程度 収入が安定していたり、健康に恵まれている間は、特に考えもしないことかも知れませんが、仕事上のストレスや失敗、病気・怪我、人間関係の悪化、リストラ、コロナ禍など 様々な要因から苦境に追いつめられると、家庭内で 自分が「夫」として、あるいは「父親」として、養い守っている家族のことを 内心 「重荷」に感じたりする瞬間が ふと胸中をよぎることがあるかもしれません。
本質的に 人間とは弱い存在です、精神的に未熟な親(夫 )は、子ども(妻 )を養っているつもりでも、状況によっては 自身の欲求を満たすことを優先させてしまうものです。
それは たとえば、ああ、妻子さえいなかったらなあ・・・ ああ、もし独りだったら どれだけ気楽な生活であることか。遠慮せず 好きなだけ酒も飲める、口うるさく咎(とが)めだてする女房もいなければ、仕事で得られた報酬だって全部 自分だけのために使えるんだ・・・。
おお、そうだ、いっそのこと邪魔な妻子など置いて どこかへ逃げ出してしまおうか、いや、それとも 思いきって -
そうだ、これは 躾(しつ)けなんだ !
赤いレスト・ルームで グレイヴィ先輩に教わった「躾け」なる便利な言葉で、遂に俺は「自由」の身となる、そんな自分勝手で凶暴なエゴイズムを正当化するんだ!
・・・いえいえ、そういった空恐ろしい考えが、万に一つ あなたの心の裡に湧き起こったとしても、正常な あなたの健全な感覚では、実行はおろか 言葉に出すことすらなく 自分の中で抑圧し、忘れてしまおうとするでしょう、奥さんやお子さんらに悟られたりする前に - 。
ましてや そういう恐ろしい想念だって、人間社会や集団生活の中にあれば、普通なら 芽生えることさえ ないでしょう。
けれど、もし交通が遮断され、社会からも隔絶した冬山に孤立した閉鎖空間の中で、きわめて近い家族関係が たいへん険悪になったとしたら・・・ あり得ないことでしょうか?
キューブリックが その凄まじい想像力で 画にしたかった衝動とは、まさにそこにありました、キングの原作などを遥かに超えた次元で、人間の フロイト的な 深層心理を描くことだったのです。
そう考えれば、この場面も 意味深です。
▲ (左 )ジークムント・フロイト 「夢とは抑圧された願望の表れであり、潜在意識の顕在化でもある」
(右 ) 「夢の中で、俺は お前とダニーを殺してしまったんだ ! 」

高額な契約料を支払ってまで、キューブリックが、キングから 原作の映画化権を買いとった理由とは、単にホラー映画などを撮りたかったわけではなく、冬山の閉鎖空間が呼び起こす幽霊や恐怖というマテリアルを象徴的に使うことによって、追いつめられた人間の本質 - その弱い姿や 異常な精神状態、狂気を描くことに 焦点を置いたからに間違いないありません、それは 出来上がった映画を観れば 明白です。
キング原作では、ジャックの家族への「不本意な」殺意は、幽霊に操られていたからでした。
キューブリックの映画は違います、ジャックの殺意とは、本来なら 心の奥深く 理性によって抑圧され 意識さえしていなかった「近親を憎悪する感情」が “スピリッツ” をきっかけに 表面へ現われてしまった結果なのです。
キューブリック監督は そんなジャックと家族の閉塞状況を 徹底的に描き重ねてゆきます。“閉塞”とは、もちろんジャックと家族のメンタル面もですが、文字どおり その居住空間も閉ざされています。
広いホテル内のあらゆる場所で空間が閉塞されていることが、キューブリックの好んだ 左右対称「シンメトリック」な映像で暗示されていることに意識を向ければ、気づきに枚挙の暇(いとま)は ありません。
▲ 展望ホテルの美しい外観から すでにシンメトリックです。

▲ ホテルのロビーもカメラを離せば こんなにシンメトリカルな構造。

▲ 構図に注目。支配人アルマンらから冬季ホテル管理について引継を受けるジャック(右)

▲ ダーツのデザインだって 左右対称形です。

▲ 有名な双子ちゃん姉妹も左右対称ですか、でも顔が微妙に違うのは二卵性双生児?

▲ 有名な「あのシーン」。エレヴェータ・ドアの前、ホール両側へ左右対称に置かれた二つのソファを、凄まじい血の奔流が押し流し、終にシンメトリー構図自体も壊してしまうところ・・・ 要注意です。

閉塞的な空間は建物の外にも存在します。ホテルの庭園に設えられた、これもシンメトリカルな生垣の迷路がそれです。もともとキング原作に書かれていたトピアリー(動物の形に刈り込んだ植木が一家を襲ってくる、という映像化困難な設備 )の代替案としてキューブリックが創作した このアイディアは 誠に素晴らしく、その結果、ドラマの行方に決定的な展開をもたらします。

庭園に設(しつ)えた巨大な迷路と同じ模型が、ホテルのロビーにも展示されているのですが、ホテル内のジャックがジオラマを上から覗きこむと 中央を実際に歩いている妻子の姿が映るという、不思議なシーンがありました。
この映画が作られた当時は まだCGという発想が存在せず、いわゆる特撮シーンも一ヶ所の例外を除いて用いられていません。その唯一の例外が コレだったそうです。
すなわち 庭園迷路の中心部分だけを別に大道具係に施工させ、その中を歩くダニーとウェンディの動画を高い足場から撮影、わざわざその映像を切り取ってジオラマの画の中央に重ねたといいます。神秘性さえ感じさせる、効果的な映像でしたね。
また 関連して、左右対称性というモティーフに関連し、「鏡」という小道具を用いるシーンも至る所で目につきます。

ホテル生活が始まって間もなく、たとえば ウェンディがワゴンに載せた温かい朝食を運んでくると 朝寝坊していたジャックは 寝室の大鏡に映った自分自身の顔をベッドの中から見つめ 舌を出してみせる平和なシーン。

週が明け、今度は次の「月曜日」、同じ寝室を消防車のおもちゃを取りに ダニーが訪れるシーンにも大鏡が登場。その鏡面に映っているジャックの姿と、力なくベッドに腰掛けている存在と、どちらが現実の「パパ」なのか・・・ 「ホテルに住めて楽しいなー」などと心にもないことを言わされるダニー、「うわー・・・ この人、パパじゃないかも」と、怯えた表情で固くなり、もはやパパとは目を合わせられません。真実のジャックの立ち位置は 一体どこに在るのか、観ている側は不安を煽られます(ここは後述 )。

それとは逆に、謎の赤いレスト・ルームのシーンでは 壁には鏡がたくさん在るにもかかわらず、おそらく意図的に、ジャックの鏡像は映されません、むしろ不自然なほどに。その理由とは、かつて妻と娘を躾(しつ)けた上、自分自身も猟銃で自決した前任の冬季管理人グレイヴィの幽霊と 初めてジャックが会話する重要な場面であることを思えば、彼と向かい合って立つグレイヴィの姿こそ、今や霊界に取りこまれつつあったジャック自身の鏡像だからです。
ジャック 「ええと・・・ 君は 冬季管理人だった人だろ 」
グレイヴィ 「違います。管理人は あなたです、ずっと前から 」

さらに、鏡に映された像のほうに 「真実」が在るということを伝えたのが、あの REDRUM ≠ MURDER の衝撃です。
映像、舞台、人物設定、大道具/小道具、それら ことごとくを シンメトリカルに配してきたキューブリックが、徹底を究める「映画」の総仕上げに加えた素材こそが・・・ 音楽 でした。
映画「シャイニング」のサウンド・トラックに
バルトークの「弦・チェレ」が使われた理由(わけ)とは

バルトーク「弦楽器・打楽器とチェレスタのための音楽 」
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録 音:1969年 9月
音 盤:DG
キューブリックが以前からお気に入りのリゲティ(「ロンターノ」 )やペンデレツキ(「ウトレンニャ」 )など 無調手法で書かれた音楽作品の役割とは、鑑賞者に与える衝撃の大きさを別にすれば、単にサウンド・エフェクト的な効果を 画面へ付加するにとどまっていると、私は思います。
映画「シャイニング 」の中で、これらよりも重要な意味をもつ音楽と言えば バルトーク作曲「弦楽器と打楽器とチェレスタのための音楽」 - 愛称「弦・チェレ」でしょう。
バルトークが意図したところは、そのままキューブリックが選曲した動機にもなっていることに、きっと どなたも驚かれると思います。
第3楽章は 17:30から
Texas Festival Chamber Orchestra、Linus Lerner, conductor
June 21, 2014
この動画は、楽器のシンメトリカルな配置が視覚的に判りやすいので 任意に選んだものです。
お判り頂けますでしょうか、この特異な楽曲の演奏家の配置と 楽器構成が、キューブリックの「シャイニング 」に相応(ふさわ)しく 完全にシンメトリー であることを。
この曲は、演奏する際の楽器配置まで 作曲者バルトークがわざわざ指定した、稀にみる作品として有名なものです。スコアには楽器の配置図まで付けられました。
2つの弦楽オーケストラ(ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス )が、真ん中の指揮者をはさんで、左/右 両翼(対向)に配されます。
ステージ中央(指揮者の正面)には ピアノとチェレスタが、ステージ奥には打楽器群(木琴、ドラムス、シンバル、タムタム、バス・ドラム )がずらりと並び、重要なハープとティンパニは、あたかも将棋の飛車/角のように 左端/右端に振り分けて配置されています。
映画では、精緻にして神秘的な 第3楽章アダージョが使用されていましたが、その楽章の構成は、さらに驚くべきことに A-B-C-B-A という 5パートの C を頂点にして分節されるシンメトリカルな形式(バルトーク自身はブリッジ構造と呼んだそうな )で作られていたのでした。
もちろん曲想が映像に合っていることは、映画をご覧になられたどなたもお感じになるでしょうが、とりわけシンメトリーを好んだバルトーク作品の中でも わざわざ「弦・チェレ」を選曲したキューブリックの動機とは、その個性的な楽器編成と楽曲構成にあったことは 間違いありません。
もしこの名曲を まだきちんと聴いたことがない、という幸運な方がいらっしゃったら、ぜひ一度全曲耳を傾けることをお勧めします。必ずステレオで(ステレオ再生であればイヤーフォンでもOK )ご鑑賞ください。
ちなみに私 “スケルツォ倶楽部”発起人のおススメは もう絶対に モダンな第2楽章のスケルツォなのですが、左/右両側に分けられた2つの弦楽オーケストラが、短い楽句を交互に鋭く飛ばし合う様子は、あたかも高速道路で車の両側を風景が次々飛んでゆくような爽快感です。
キューブリックがサウンド・トラックとして選んだ、カラヤン/ベルリン・フィル(1969年/DG)盤は 弦の切れ具合も素晴らしい名盤でしたが、肝心なチェレスタとピアノの音バランスが 些か小さいように感じられ、外にも数多(あまた)ある推薦盤については、また別の機会で 文章をしたためようと思っています。
♪ バルトークの音楽が使われたシンメトリカルなシーン
1.ホテルの広大な敷地内にある、生垣で作られた迷路の中をウェンディとダニー親子が歩き回るシーン。迷路内をダニーが予習していたことも結末近くへの重要な伏線となります。

2.誰もいないホテルの廊下を ダニーが独り 室内用三輪車でパトロールするシーン。ハロランに入室を禁じられた 237号室の前で 何かを感じとり、停車します。ドアのノブに手を掛けるも 施錠されていて入れず この時は あきらめて立ち去るまで 音楽は印象的に画面の背景で流れています。

3.続くシーン、ロビーの大きなテーブルにタイプを持ちこみ、執筆中のジャックの後ろ姿からカメラ。タイプを打つ音。画面の奥から現われた妻ウェンディが近づき 夫に創作の進捗具合を訊ねるところまで。ジャックが苛立たしげにタイプライターから紙を抜き取ると同時に、音楽は止みます。

4.両親の寝室にやってくるダニー、部屋にはジャック独りベッドに座っています(前述の大鏡のシーン)。父親の顔色が良くないことを案じるダニーに、ジャックは「大丈夫だ、疲れてるだけだ」と答えると ダニーを抱き上げ、このホテルに「いつまでも永遠にずっといようね」などと 双子ちゃん姉妹の幽霊と同じ言葉を発していることに気づいたダニー、「この人 パパじゃないかも・・・ 」もはや父親と視線を合わせられません。

以上、バルトークの音楽は、上記いずれの場面でも 家族に迫る危機感を大いに高める効果を上げています。
そう言えば、少し脱線しますが、バルトークが編成に加えた 鍵盤楽器チェレスタの独特な音色を、やはり英国の作曲家ベンジャミン・ブリテンも また歌劇「ねじの回転」(ヘンリー・ジェイムス原作のオカルト・オペラ )の中で、幽霊ピーター・クイントが登場するシーンやその曖昧な存在を暗示するシーンなどで効果的に使っていましたね。共通して英国人が幽霊を連想するサウンドなのでしょうか。
⇒ ブリテン「ねじの回転」 - 本当はもっと怖い真相

映画「シャイニング」
オリジナル・サウンドトラック
ワーナー/パイオニア(P-10894-W)
1980年 1月リリース

Side-A
1.メイン・タイトル ~ グレゴリオ聖歌「怒りの日 」に基づく (03:27)
ウェンディ・カーロスとレイチェル・エルカインド
Wendy Carlos and Rachel Elkind
2.ロッキー山脈 (03:00)
ウェンディ・カーロスとレイチェル・エルカインド
Wendy Carlos and Rachel Elkind
3.リゲティ「ロンターノ」(10:14)
Lontano(György Ligeti )
4.バルトーク「弦楽器,打楽器とチェレスタのための音楽」第3楽章(08:08)
Music for Strings, Percussion, and Celesta ~ Movement III(Béla Bartók )
Side-B
1.ペンデレツキ「ウトレンニャ」抜粋(03:30)
Utrenja – Ewangelia (Krzysztof Penderecki)
2.ペンデレツキ「ヤコブの目覚め」(07:26)
The Awakening of Jakob (Krzysztof Penderecki)
3.ペンデレツキ「デ・ナトゥラ・ソノリス第2番」(08:58)
De Natura Sonoris No. 2 (Krzysztof Penderecki)
4.HOME(03:06)
「ホーム(影が差す頃 )」(ヘンリー・ホール & ザ・グリニーグルス・ホテル・バンド )1932
Home (Peter Van Steeden) Henry Hall and the Gleneagles Hotel Band
「シャイニング」制作当初、キューブリックは前作「時計じかけのオレンジ」で音楽を担当したウェンディ・カーロス(モーグ・シンセサイザー奏者 )と レイチェル・エルカインドに、オリジナル音楽の作成を依頼をしていました。
カーロスは、シベリウスの「悲しいワルツ」(シンセサイザー・アレンジ )や その他オリジナル楽曲を試作していましたが、冒頭シーンの「怒りの日」(ベルリオーズの「幻想交響曲」で用いられたトロンボーンによる音色を模して わざわざシンセサイザーで再現したパフォーマンス )、ドラマが始まって間もない一曲「ロッキー山脈」以外は 結局 採用されず、バルトークやペンデレツキ、リゲティによる既存の楽曲が転用されることとなりました。
その他 おぼえがき
この映画にも 複数の版がありますが、普通一般に観る機会が多いインターナショナル版(119分)では カットされてしまったシーン(いわゆる北米公開版-143分 )にも興味深い表現が いくつかありました。

たとえば、「このホテルには何度も来たことがあるような気がする 」と さり気なくジャックが呟くシーン、冬の間は 節税対策で ホテル内には「一切酒類を置かない」と、アルマンが証言する言葉の重要性を始め、237号室の女の幽霊にダニーが襲われた後 しばらくの間 ダニーの様子がおかしくなってしまいますが、実は トニーが(おそらく助けに来て )人格が入れ替わっていると思われるシーンも・・・ ウェンディに「ダニーはここにはいないよ、トランス夫人 」と、他人行儀なダニーが(トニーの声で )告げる部分も重要で、さらに この後に続く 衝撃的な REDRUM のイントロダクションともなり得る流れですから、ここもカットされないほうがよかったのになあと思います。
ついでに、ウェンディがヘヴィ・スモーカーである描写が強調されるのは、ジャック夫婦がすでに セックスレスになっていることの遠まわしなサインでしょう。過度な喫煙の遠因が、夫に触れられることなく 独り渇きゆく妻の欲求不満とストレスにあることが暗示されています。

ステディカム・カメラ

最後に もう一つ、映画が封切られた直後、振動を吸収するカメラを自由自在に動かせる、当時開発されたばかりの「ステディカム」の注目度の高さについて。
撮影された映像は、当時 驚異的な効果として映っていました。それもそのはず、まだ一般には未知のカメラでした。撮影者がカメラをもって走れば、映像もブレるのが当たり前な時代でした。
それが、この映画中では たとえば ダニーの三輪車のシーンやホテル内をウェンディが走るシーン、とりわけ雪の中 幼い息子を追いかけるジャックの映像が まったくブレていない、一体どうやって撮ったんだろ、と日本でも撮影技術に携わる人たちの間で (当時では)「あり得ない」画面 を指して 騒然となっていたことを覚えています。

今でこそ小型携帯カメラが当たり前な時代に生まれた若い人たちにとっては、特に何の感動もなく眺めている映像かもしれませんが、当時はホント画期的でした。もはや今日では 些細な範疇ですが、リアルタイムで 当時の驚きに満ちた空気感を書き留めておきます。


↓ 清き一票を

にほんブログ村

にほんブログ村

クラシックランキング

ジャズランキング
Club Scherzo, since 2010.1.30.
Club Scherzo ⇒ 全記事タイトル
映画のスクリーンに貼りつけられた音楽 ⇒ Novel List
なぜキューブリックは、映画「シャイニング」の中で
バルトークの「弦・チェレ」を使ったのか。



「シャイニング 」The Shining は、鬼才スタンリー・キューブリックが スティーヴン・キング原作の同名小説を 1980年に映画化した、モダン・ホラーの超傑作です。
映像の魅力については、多くのファンによって すでに語り尽くされた感あり、少なくともこの映画に関しては、中途半端なレヴューやあらすじを長々と述べることなど すべてが 野暮でしょう。
それでも 個人的な回想などを 少しばかり つけ足すことをお許し頂けるなら、私 “スケルツォ倶楽部”発起人の 遥か遠き 高校生時代w のこと - 1980年 - リアルタイムに封切られたロードショーを 新宿の映画館で 何の事前知識/予備情報も持たず、先入観もなく、いきなり鑑賞できた「体験」は、今にして思えば 貴重で得難いものでした。映画に誘ってくれた近所に住む高校の同級生には 感謝するしかありません、大重君 ありがとう。
その日、満員だった新宿ピカデリー館内では 今まさに多くの疑問を残したまま 映画が終わろうとするところです。
現れては消えるエンディング・ロールを追いながら(バルトークの名前と 劇中で使われていた個性的な楽曲が「弦・チェレ」だったことは かろうじてキャッチできましたが ) 全く知らないモノラルの古いノスタルジックなダンス音楽(今でこそレイ・ノーブルとアル・ボウリィによる「ミッドナイト、スター・アンド・ユー 」だと判っていますが )が延々と流される間、おそらく観客の殆ど全員が 映画の結末を理解できず、呆気にとられ 席を立つ人さえ殆どなく しーんと静まりかえっていたことを記憶しています。

初見の映画館を出て、友人と あのラスト 一体どういう意味だったんだろ、と 何も知らない高校生二人が首をひねりながら帰途に就きました。国鉄中央線に揺られながら、吉祥寺駅辺りで ようやくまとまった大重君の見解は、「ジャックは凍死せず1921年のホテルへタイム・スリップしたのでは 」と、今にして思えば 当たらずといえども遠からず? 私は - と言えば、情けなくも「全然わからない」w
映画「シャイニング」
監督:スタンリー・キューブリック
原作:スティーヴン・キング

主な登場人物:
ジャック・ニコルソン・・・ ジャック・トランス(作家志望、展望ホテルの冬季管理人。アルコール依存症を治療中 )
シェリー・デュヴァル・・・ ウェンディ・トランス(ジャックの妻 )
ダニー・ロイド・・・ ダニー・トランス(ジャックとウェンディの幼い一人息子、シャイニングを持つ )
スキャットマン・クローザース・・・ ハロラン(ホテルの料理長、シャイニングを持つ )
バリー・ネルソンス・・・ アルマン(ホテル支配人 )
フィリップ・ストーン・・・ グレイディ(ホテルに棲む幽霊、妻と娘二人を斧で躾け無理心中した前任の冬季管理人 )
ジョー・ターケル・・・ ロイド(ホテルに棲む幽霊、寡黙なバーテンダー )
コロラド州、ロッキー山脈の山裾(すそ)に - そこはアメリカ先住民の墓地の跡 - 1909年に建てられたオーバールック(展望 )ホテルは、毎年 雪に閉ざされる11月から 5月までは閉鎖され、その間は雇われた留守番役の家族によって管理されることになっています。
静かな環境と、冬季管理人という楽に思われた仕事の余暇を 自身の文筆活動に充てようと考えた、作家志望でもあるジャック・トランスは、妻のウェンディと一人息子のダニーを連れ、家族でホテルにやってきます。

冬山に閉ざされた空間という特殊な環境下に置かれた家族関係 - という稀な設定が、キューブリックの創作意欲を刺激したのでしょう。よく知られているとおり 原作者スティーヴン・キングから「シャイニング」の映画化権を獲得する際、初めから 周到にストーリーに変更を加える権利を、その契約条項の中に キューブリックは加えていました。
映画化に際し、キューブリックは キングの原作では個性豊かだったトランス一家からは カメラの「焦点を外し」、「フォーカスすべき中心を ホテルに」据え直します。すなわち “ホテルに「行く 」キング原作は、ホテルに「来る」物語へと改変” された(向山貴彦氏:キネマ旬報ムック:フィルム・メーカーズ⑧「スタンリー・キューブリック」参照 )、換骨奪胎の稀少な成功例である、という鋭い慧眼で この映画を見つめる人もいます。

たとえば、トニーという不思議な存在の意味、ハロランの辿る運命、地下のボイラーが果たす役割など、原作に登場するキャラクターから舞台の大道具に至るまで、映画版のほうは さながらパラレル世界を覗いたかのように、ことごとく「別のもの」へと変容を遂げています。中でも最も顕著なのが、「父」ジャック・トランスに加えられた変貌でしょう。
キング原作と キューブリック映画との最大の相違は?

もともとキング原作「シャイニング」で描かれた、“オリジナル”な 父ジャック像は、心から妻子を愛する善良な男でした。
しかし彼は 人間として多くの弱点を抱えていました、すなわち意志も自制心も弱く 自己の感情もコントロールできず、かつて素行の良くない生徒に対し 衝動的に手を挙げてしまったことが災いし 高校教師という職を失っています。そのため 酒に溺れ アルコール依存症へと陥ってしまい、一人息子のダニーのことも可愛がっているにもかかわらず、飲酒して泥酔状態で感情的に叱りつけた際 不注意にも 怪我を負わせてしまったことが、夫婦関係の深刻なトラウマになっています。
それゆえジャックは なおさら良き父親であろうと努め、大いに苦しみながら酒を断つことを誓い(断酒会への出席 )、コネに頼って仕事を見つけ(冬季ホテルの管理人職に就活 )、プライドさえ捨て(ホテルの面接で支配人アルマンに侮辱されても耐えてみせ )ます。
しかし、彼の弱さにつけ込んで誘惑してくるホテルの幽霊たちに 巧みに酒(蒸留酒 Spiritの語源は Sprite霊と同じだそう )を飲まされ、操られ、狂気に陥った「父」ジャックは、自分の意志に反して 妻子を「躾(しつ)け」ようと 凶器を振り回しますが、ダニーの「シャイニング」によって、一瞬 正気にめざめたジャックの性善な理性は、愛する妻ウェンディと息子ダニーを 安全に逃がそうと、老朽化したボイラーの圧力を意図的に最大限まで上げることで 幽霊たちもろともホテルを吹き飛ばし 炎上させることに成功するのでした、その代わり 自分自身を犠牲にして・・・ 。
後に 原作者キング自身が監修する形で、原作に忠実に つくり直されたTVドラマ版のラストは、事件から 十数年後 成長し、首席で卒業証書を授与される高校の演壇に立つダニー(=トニー:謎の存在だったトニーは 実は未来のダニー自身だったという仕掛けが明かされます )の「シャイニング 」が、彼の目の前に冬山のホテル火災で亡くなったジャックの姿を その場に出現させ、卒業と前途を 父が笑顔で祝福してくれる、という 和解の涙と感動に溢れるハッピー・エンディングへと至るのです。
・・・が、ご承知のとおり、キューブリックが映画で描きたかったものとは、もちろん この種の生ぬるい感情などでは 決してありませんでした。キューブリックが 真っ先に原作から排除した要素とは、まさに「妻子を愛する父ジャック」と家族とのドラマであり、逆に キングにとって致命的なことは、まさに そここそが ストーリーテラーたる原作者の 最も大事にしていた場所だったのです。
仮説「キューブリックが『シャイニング』で描きたかったもの 」とは?



ある程度 収入が安定していたり、健康に恵まれている間は、特に考えもしないことかも知れませんが、仕事上のストレスや失敗、病気・怪我、人間関係の悪化、リストラ、コロナ禍など 様々な要因から苦境に追いつめられると、家庭内で 自分が「夫」として、あるいは「父親」として、養い守っている家族のことを 内心 「重荷」に感じたりする瞬間が ふと胸中をよぎることがあるかもしれません。
本質的に 人間とは弱い存在です、精神的に未熟な親(夫 )は、子ども(妻 )を養っているつもりでも、状況によっては 自身の欲求を満たすことを優先させてしまうものです。
それは たとえば、ああ、妻子さえいなかったらなあ・・・ ああ、もし独りだったら どれだけ気楽な生活であることか。遠慮せず 好きなだけ酒も飲める、口うるさく咎(とが)めだてする女房もいなければ、仕事で得られた報酬だって全部 自分だけのために使えるんだ・・・。
おお、そうだ、いっそのこと邪魔な妻子など置いて どこかへ逃げ出してしまおうか、いや、それとも 思いきって -



そうだ、これは 躾(しつ)けなんだ !
赤いレスト・ルームで グレイヴィ先輩に教わった「躾け」なる便利な言葉で、遂に俺は「自由」の身となる、そんな自分勝手で凶暴なエゴイズムを正当化するんだ!
・・・いえいえ、そういった空恐ろしい考えが、万に一つ あなたの心の裡に湧き起こったとしても、正常な あなたの健全な感覚では、実行はおろか 言葉に出すことすらなく 自分の中で抑圧し、忘れてしまおうとするでしょう、奥さんやお子さんらに悟られたりする前に - 。
ましてや そういう恐ろしい想念だって、人間社会や集団生活の中にあれば、普通なら 芽生えることさえ ないでしょう。
けれど、もし交通が遮断され、社会からも隔絶した冬山に孤立した閉鎖空間の中で、きわめて近い家族関係が たいへん険悪になったとしたら・・・ あり得ないことでしょうか?
キューブリックが その凄まじい想像力で 画にしたかった衝動とは、まさにそこにありました、キングの原作などを遥かに超えた次元で、人間の フロイト的な 深層心理を描くことだったのです。
そう考えれば、この場面も 意味深です。


▲ (左 )ジークムント・フロイト 「夢とは抑圧された願望の表れであり、潜在意識の顕在化でもある」
(右 ) 「夢の中で、俺は お前とダニーを殺してしまったんだ ! 」


高額な契約料を支払ってまで、キューブリックが、キングから 原作の映画化権を買いとった理由とは、単にホラー映画などを撮りたかったわけではなく、冬山の閉鎖空間が呼び起こす幽霊や恐怖というマテリアルを象徴的に使うことによって、追いつめられた人間の本質 - その弱い姿や 異常な精神状態、狂気を描くことに 焦点を置いたからに間違いないありません、それは 出来上がった映画を観れば 明白です。
キング原作では、ジャックの家族への「不本意な」殺意は、幽霊に操られていたからでした。
キューブリックの映画は違います、ジャックの殺意とは、本来なら 心の奥深く 理性によって抑圧され 意識さえしていなかった「近親を憎悪する感情」が “スピリッツ” をきっかけに 表面へ現われてしまった結果なのです。
キューブリック監督は そんなジャックと家族の閉塞状況を 徹底的に描き重ねてゆきます。“閉塞”とは、もちろんジャックと家族のメンタル面もですが、文字どおり その居住空間も閉ざされています。
広いホテル内のあらゆる場所で空間が閉塞されていることが、キューブリックの好んだ 左右対称「シンメトリック」な映像で暗示されていることに意識を向ければ、気づきに枚挙の暇(いとま)は ありません。

▲ 展望ホテルの美しい外観から すでにシンメトリックです。

▲ ホテルのロビーもカメラを離せば こんなにシンメトリカルな構造。

▲ 構図に注目。支配人アルマンらから冬季ホテル管理について引継を受けるジャック(右)

▲ ダーツのデザインだって 左右対称形です。

▲ 有名な双子ちゃん姉妹も左右対称ですか、でも顔が微妙に違うのは二卵性双生児?

▲ 有名な「あのシーン」。エレヴェータ・ドアの前、ホール両側へ左右対称に置かれた二つのソファを、凄まじい血の奔流が押し流し、終にシンメトリー構図自体も壊してしまうところ・・・ 要注意です。

閉塞的な空間は建物の外にも存在します。ホテルの庭園に設えられた、これもシンメトリカルな生垣の迷路がそれです。もともとキング原作に書かれていたトピアリー(動物の形に刈り込んだ植木が一家を襲ってくる、という映像化困難な設備 )の代替案としてキューブリックが創作した このアイディアは 誠に素晴らしく、その結果、ドラマの行方に決定的な展開をもたらします。

庭園に設(しつ)えた巨大な迷路と同じ模型が、ホテルのロビーにも展示されているのですが、ホテル内のジャックがジオラマを上から覗きこむと 中央を実際に歩いている妻子の姿が映るという、不思議なシーンがありました。
この映画が作られた当時は まだCGという発想が存在せず、いわゆる特撮シーンも一ヶ所の例外を除いて用いられていません。その唯一の例外が コレだったそうです。

すなわち 庭園迷路の中心部分だけを別に大道具係に施工させ、その中を歩くダニーとウェンディの動画を高い足場から撮影、わざわざその映像を切り取ってジオラマの画の中央に重ねたといいます。神秘性さえ感じさせる、効果的な映像でしたね。
また 関連して、左右対称性というモティーフに関連し、「鏡」という小道具を用いるシーンも至る所で目につきます。

ホテル生活が始まって間もなく、たとえば ウェンディがワゴンに載せた温かい朝食を運んでくると 朝寝坊していたジャックは 寝室の大鏡に映った自分自身の顔をベッドの中から見つめ 舌を出してみせる平和なシーン。

週が明け、今度は次の「月曜日」、同じ寝室を消防車のおもちゃを取りに ダニーが訪れるシーンにも大鏡が登場。その鏡面に映っているジャックの姿と、力なくベッドに腰掛けている存在と、どちらが現実の「パパ」なのか・・・ 「ホテルに住めて楽しいなー」などと心にもないことを言わされるダニー、「うわー・・・ この人、パパじゃないかも」と、怯えた表情で固くなり、もはやパパとは目を合わせられません。真実のジャックの立ち位置は 一体どこに在るのか、観ている側は不安を煽られます(ここは後述 )。

それとは逆に、謎の赤いレスト・ルームのシーンでは 壁には鏡がたくさん在るにもかかわらず、おそらく意図的に、ジャックの鏡像は映されません、むしろ不自然なほどに。その理由とは、かつて妻と娘を躾(しつ)けた上、自分自身も猟銃で自決した前任の冬季管理人グレイヴィの幽霊と 初めてジャックが会話する重要な場面であることを思えば、彼と向かい合って立つグレイヴィの姿こそ、今や霊界に取りこまれつつあったジャック自身の鏡像だからです。
ジャック 「ええと・・・ 君は 冬季管理人だった人だろ 」
グレイヴィ 「違います。管理人は あなたです、ずっと前から 」


さらに、鏡に映された像のほうに 「真実」が在るということを伝えたのが、あの REDRUM ≠ MURDER の衝撃です。

映像、舞台、人物設定、大道具/小道具、それら ことごとくを シンメトリカルに配してきたキューブリックが、徹底を究める「映画」の総仕上げに加えた素材こそが・・・ 音楽 でした。
映画「シャイニング」のサウンド・トラックに
バルトークの「弦・チェレ」が使われた理由(わけ)とは



バルトーク「弦楽器・打楽器とチェレスタのための音楽 」
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録 音:1969年 9月
音 盤:DG
キューブリックが以前からお気に入りのリゲティ(「ロンターノ」 )やペンデレツキ(「ウトレンニャ」 )など 無調手法で書かれた音楽作品の役割とは、鑑賞者に与える衝撃の大きさを別にすれば、単にサウンド・エフェクト的な効果を 画面へ付加するにとどまっていると、私は思います。
映画「シャイニング 」の中で、これらよりも重要な意味をもつ音楽と言えば バルトーク作曲「弦楽器と打楽器とチェレスタのための音楽」 - 愛称「弦・チェレ」でしょう。
バルトークが意図したところは、そのままキューブリックが選曲した動機にもなっていることに、きっと どなたも驚かれると思います。
第3楽章は 17:30から
Texas Festival Chamber Orchestra、Linus Lerner, conductor
June 21, 2014
この動画は、楽器のシンメトリカルな配置が視覚的に判りやすいので 任意に選んだものです。
お判り頂けますでしょうか、この特異な楽曲の演奏家の配置と 楽器構成が、キューブリックの「シャイニング 」に相応(ふさわ)しく 完全にシンメトリー であることを。
この曲は、演奏する際の楽器配置まで 作曲者バルトークがわざわざ指定した、稀にみる作品として有名なものです。スコアには楽器の配置図まで付けられました。
2つの弦楽オーケストラ(ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス )が、真ん中の指揮者をはさんで、左/右 両翼(対向)に配されます。
ステージ中央(指揮者の正面)には ピアノとチェレスタが、ステージ奥には打楽器群(木琴、ドラムス、シンバル、タムタム、バス・ドラム )がずらりと並び、重要なハープとティンパニは、あたかも将棋の飛車/角のように 左端/右端に振り分けて配置されています。
映画では、精緻にして神秘的な 第3楽章アダージョが使用されていましたが、その楽章の構成は、さらに驚くべきことに A-B-C-B-A という 5パートの C を頂点にして分節されるシンメトリカルな形式(バルトーク自身はブリッジ構造と呼んだそうな )で作られていたのでした。
もちろん曲想が映像に合っていることは、映画をご覧になられたどなたもお感じになるでしょうが、とりわけシンメトリーを好んだバルトーク作品の中でも わざわざ「弦・チェレ」を選曲したキューブリックの動機とは、その個性的な楽器編成と楽曲構成にあったことは 間違いありません。
もしこの名曲を まだきちんと聴いたことがない、という幸運な方がいらっしゃったら、ぜひ一度全曲耳を傾けることをお勧めします。必ずステレオで(ステレオ再生であればイヤーフォンでもOK )ご鑑賞ください。
ちなみに私 “スケルツォ倶楽部”発起人のおススメは もう絶対に モダンな第2楽章のスケルツォなのですが、左/右両側に分けられた2つの弦楽オーケストラが、短い楽句を交互に鋭く飛ばし合う様子は、あたかも高速道路で車の両側を風景が次々飛んでゆくような爽快感です。
キューブリックがサウンド・トラックとして選んだ、カラヤン/ベルリン・フィル(1969年/DG)盤は 弦の切れ具合も素晴らしい名盤でしたが、肝心なチェレスタとピアノの音バランスが 些か小さいように感じられ、外にも数多(あまた)ある推薦盤については、また別の機会で 文章をしたためようと思っています。
♪ バルトークの音楽が使われたシンメトリカルなシーン
1.ホテルの広大な敷地内にある、生垣で作られた迷路の中をウェンディとダニー親子が歩き回るシーン。迷路内をダニーが予習していたことも結末近くへの重要な伏線となります。

2.誰もいないホテルの廊下を ダニーが独り 室内用三輪車でパトロールするシーン。ハロランに入室を禁じられた 237号室の前で 何かを感じとり、停車します。ドアのノブに手を掛けるも 施錠されていて入れず この時は あきらめて立ち去るまで 音楽は印象的に画面の背景で流れています。

3.続くシーン、ロビーの大きなテーブルにタイプを持ちこみ、執筆中のジャックの後ろ姿からカメラ。タイプを打つ音。画面の奥から現われた妻ウェンディが近づき 夫に創作の進捗具合を訊ねるところまで。ジャックが苛立たしげにタイプライターから紙を抜き取ると同時に、音楽は止みます。

4.両親の寝室にやってくるダニー、部屋にはジャック独りベッドに座っています(前述の大鏡のシーン)。父親の顔色が良くないことを案じるダニーに、ジャックは「大丈夫だ、疲れてるだけだ」と答えると ダニーを抱き上げ、このホテルに「いつまでも永遠にずっといようね」などと 双子ちゃん姉妹の幽霊と同じ言葉を発していることに気づいたダニー、「この人 パパじゃないかも・・・ 」もはや父親と視線を合わせられません。


以上、バルトークの音楽は、上記いずれの場面でも 家族に迫る危機感を大いに高める効果を上げています。
そう言えば、少し脱線しますが、バルトークが編成に加えた 鍵盤楽器チェレスタの独特な音色を、やはり英国の作曲家ベンジャミン・ブリテンも また歌劇「ねじの回転」(ヘンリー・ジェイムス原作のオカルト・オペラ )の中で、幽霊ピーター・クイントが登場するシーンやその曖昧な存在を暗示するシーンなどで効果的に使っていましたね。共通して英国人が幽霊を連想するサウンドなのでしょうか。
⇒ ブリテン「ねじの回転」 - 本当はもっと怖い真相


映画「シャイニング」
オリジナル・サウンドトラック
ワーナー/パイオニア(P-10894-W)
1980年 1月リリース



Side-A
1.メイン・タイトル ~ グレゴリオ聖歌「怒りの日 」に基づく (03:27)
ウェンディ・カーロスとレイチェル・エルカインド
Wendy Carlos and Rachel Elkind
2.ロッキー山脈 (03:00)
ウェンディ・カーロスとレイチェル・エルカインド
Wendy Carlos and Rachel Elkind
3.リゲティ「ロンターノ」(10:14)
Lontano(György Ligeti )
4.バルトーク「弦楽器,打楽器とチェレスタのための音楽」第3楽章(08:08)
Music for Strings, Percussion, and Celesta ~ Movement III(Béla Bartók )
Side-B
1.ペンデレツキ「ウトレンニャ」抜粋(03:30)
Utrenja – Ewangelia (Krzysztof Penderecki)
2.ペンデレツキ「ヤコブの目覚め」(07:26)
The Awakening of Jakob (Krzysztof Penderecki)
3.ペンデレツキ「デ・ナトゥラ・ソノリス第2番」(08:58)
De Natura Sonoris No. 2 (Krzysztof Penderecki)
4.HOME(03:06)
「ホーム(影が差す頃 )」(ヘンリー・ホール & ザ・グリニーグルス・ホテル・バンド )1932
Home (Peter Van Steeden) Henry Hall and the Gleneagles Hotel Band
「シャイニング」制作当初、キューブリックは前作「時計じかけのオレンジ」で音楽を担当したウェンディ・カーロス(モーグ・シンセサイザー奏者 )と レイチェル・エルカインドに、オリジナル音楽の作成を依頼をしていました。
カーロスは、シベリウスの「悲しいワルツ」(シンセサイザー・アレンジ )や その他オリジナル楽曲を試作していましたが、冒頭シーンの「怒りの日」(ベルリオーズの「幻想交響曲」で用いられたトロンボーンによる音色を模して わざわざシンセサイザーで再現したパフォーマンス )、ドラマが始まって間もない一曲「ロッキー山脈」以外は 結局 採用されず、バルトークやペンデレツキ、リゲティによる既存の楽曲が転用されることとなりました。
その他 おぼえがき
この映画にも 複数の版がありますが、普通一般に観る機会が多いインターナショナル版(119分)では カットされてしまったシーン(いわゆる北米公開版-143分 )にも興味深い表現が いくつかありました。

たとえば、「このホテルには何度も来たことがあるような気がする 」と さり気なくジャックが呟くシーン、冬の間は 節税対策で ホテル内には「一切酒類を置かない」と、アルマンが証言する言葉の重要性を始め、237号室の女の幽霊にダニーが襲われた後 しばらくの間 ダニーの様子がおかしくなってしまいますが、実は トニーが(おそらく助けに来て )人格が入れ替わっていると思われるシーンも・・・ ウェンディに「ダニーはここにはいないよ、トランス夫人 」と、他人行儀なダニーが(トニーの声で )告げる部分も重要で、さらに この後に続く 衝撃的な REDRUM のイントロダクションともなり得る流れですから、ここもカットされないほうがよかったのになあと思います。
ついでに、ウェンディがヘヴィ・スモーカーである描写が強調されるのは、ジャック夫婦がすでに セックスレスになっていることの遠まわしなサインでしょう。過度な喫煙の遠因が、夫に触れられることなく 独り渇きゆく妻の欲求不満とストレスにあることが暗示されています。


ステディカム・カメラ

最後に もう一つ、映画が封切られた直後、振動を吸収するカメラを自由自在に動かせる、当時開発されたばかりの「ステディカム」の注目度の高さについて。
撮影された映像は、当時 驚異的な効果として映っていました。それもそのはず、まだ一般には未知のカメラでした。撮影者がカメラをもって走れば、映像もブレるのが当たり前な時代でした。
それが、この映画中では たとえば ダニーの三輪車のシーンやホテル内をウェンディが走るシーン、とりわけ雪の中 幼い息子を追いかけるジャックの映像が まったくブレていない、一体どうやって撮ったんだろ、と日本でも撮影技術に携わる人たちの間で (当時では)「あり得ない」画面 を指して 騒然となっていたことを覚えています。

今でこそ小型携帯カメラが当たり前な時代に生まれた若い人たちにとっては、特に何の感動もなく眺めている映像かもしれませんが、当時はホント画期的でした。もはや今日では 些細な範疇ですが、リアルタイムで 当時の驚きに満ちた空気感を書き留めておきます。



↓ 清き一票を

にほんブログ村

にほんブログ村

クラシックランキング

ジャズランキング
Club Scherzo, since 2010.1.30.
- 関連記事
-
-
NHK大河「鎌倉殿の13人」の音楽に ドヴォルザーク「新世界より」が切り貼られた違和感。 2022/07/17
-
なぜキューブリックは、映画「シャイニング」の中で バルトークの「弦・チェレ」を使ったのか。 2021/08/09
-
映画「トリスタンとイゾルデ」 - 楽劇が開幕するまでのドラマの経緯(いきさつ)に納得する。 2021/05/05
-
世界から「ビートルズ 」が消えたなら ~ 映画「イエスタデイ 」(日本公開 2019年10月11日 ) 2019/08/03
-
映画「ボヘミアン・ラプソディ」 - クイーン雑感 2019/01/03
-
映画「ニュー・シネマ・パラダイス 」 の音楽(エンニオ・モリコーネ作曲 )を聴く 。 2018/09/25
-
映画「危険な情事」未公開のオリジナル・エンディングは、マイケル・ダグラスを“ピンカートン”にした翻案「蝶々夫人 」だったのに。 2018/05/20
-
スポンサーサイト
コメント
コメントの投稿
トラックバック
- トラックバック URL
- この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)