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佐治晴夫先生が NASAヴォイジャー
搭載した J.S.バッハの旋律・・・

佐治晴夫先生 J.S.Bach Complete Cantatas (Teldec)Harnoncourt + Leonhardt

 今晩は、“スケルツォ倶楽部発起人です。
 長らくお気に入りだったNHK-FM「きらクラ ! 」終了に伴い、新しい番組「×(かける)クラシック 」が始まって ふと気づいたら 早や一年が経っていました。
わたしはカモメ_by Charles M.Schulz 上野耕平、市川紗椰「×(かける)クラシック」 わたしはカモメ_0003 by Charles M.Schulz
 番組は 月毎に異なるテーマが設けられる斬新な趣向ですが、この 6月は「宇宙を旅するクラシック」特集だと・・・。
 こりゃ「ツァラトゥストラ~ 」と「月の光」 & ホルストまつりになるだけじゃないか? などと思っていたら、案の定 冨田勲/シンセサイザー編曲の「惑星」 - その懐かしいオープニングから エレクトリック・ベースが五拍子を刻む「火星 」から始まった第一週の放送回を ふんふん聴いていたら、お若いパーソナリティお二人の話題は 1977年にアメリカで打ち上げられ、現在も宇宙空間を旅するNASAの惑星探査機「ヴォイジャー1号 & 2号 」に搭載された ゴールデンレコード に収録された音について・・・ おお、思わず身を乗り出します。

⇒ ボイジャーのゴールデンレコード
ヴォイジャー Voyager グールド バッハ 平均律曲集 第二巻
 地球外知的生命体(異星人 )へのメッセージとして地球の様々な音が録音された「ゴールデン・レコード 」 - もちろん その中には 地球の文明遺産たるクラシック音楽も たくさん収録されているわけですが、その中に J.S.バッハの「平均律クラヴィーア曲集-第2巻」から「前奏曲とフーガ」ハ長調 B.W.V.870(グレン・グールド/ピアノ の搭載を提案した人物って、実は 日本人でした・・・ って、誰だか知ってます? と、番組パーソナリティの上野耕平さんが問いかければ、相方を務める博識な市川紗椰さん、事も無げに「え? 理論物理学者の佐治晴夫さんでしょ」的な さり気なさ・・・ あまりにも素敵です、市川さんったら。

 ホント恥ずかしながら 正直に告白しますが、バッハヴォイジャーに積み込んだ人が 佐治晴夫先生だったという情報、つい先週放送された、この「×クラ」を聴いて 初めて私は知ったのでした。いえ、もちろん 佐治先生が NASA客員研究官として ヴォイジャーのお仕事に携わっておられたことは承知していましたよ、でも「ゴールデンレコード」の選曲に グールドのバッハを推挙した仕掛人が 佐治先生ご自身だった事実を 私 “発起人” 先週まで知らなかったのです。先生、すみません。
 なにしろ佐治先生ご本人は 謙虚な お人柄です。私“発起人” が 遠く若き日々 に聴講した授業の中で、ご自分で自身の功績を吹聴するようにも とられかねない話題は(私が聴いた限り )慎重に避けておられたか、あるいは 80年代は まだNASAへの守秘義務があったのではないでしょうか、それゆえ情報秘匿を順守しておられたものかもしれません(でも これは憶測です)。


 そう、思い起こせば それは 1980年代のこと - 私 発起人が通っていた成城大学に - 佐治晴夫先生は 週に一日だけ、一般教養-物理の客員講師を務めておられたのでした。先生は 当時小田急線沿線にお住まいで、成城大へ通うのに便利だったのも講師を 引き受けた理由の一つである、と そういえば 仰っていました。
成城学園前
 NASA研究官だった東大の理論物理学者の講義が聴ける、そんな話題の授業は 外部からの聴講生も押し寄せるほどの大人気で、教室も大きなホールが充てられるほどの評判でした。

 振り返って 思うこと - 佐治先生の講義が 私たち 文芸学部の学生に向けられたものだったということが その豊饒な語り口の理由であったように あらためて 感じます。そう、理系大学ではなく 文学部の学生が聴衆だったからこそ・・・ すなわち 数式を理解できない文系学生を対象として、いかに 数式を使わずに 物理を語れるか、ということが 佐治先生が ご自身に与えた ひとつの課題だったのではないでしょうか。
 それを解く鍵が、授業で 音楽を使うこと。そして 音楽について語ること・・・。 
 佐治先生が語られる 1/f ゆらぎは、 地球の自転、自然現象など 広く多岐に及ぶ共通性がみとめられ、それは J.S.バッハの音楽にも繋がります。

 毎回 佐治先生の授業前には その冒頭で、静かに音楽が流されていたことを 記憶しています。
 フォーレの「ラシーヌ讃歌 」を使われたこともありましたが、多くの場合、それは J.S.バッハの「主よ、人の望みの喜びよヘス編 )」 - 常に ディヌ・リパッティのピアノによる演奏でした。

♪ 関連記事 ⇒ 感動は 最初の一度だけ
佐治晴夫先生 (3) Johann Sebastian Bach (1685 - 1750) ディヌ・リパッティ

 佐治先生が、昭和57(1982)年‐成城大学文芸学部会(フォーラム編集委員会 )発行のミニコミ誌FORUM(22号)の中で、学生の聴き手(編集員)からの質問に応えるインタヴューのテープ起こしと思われる記事を みつけました。
 それは、当時の授業を書きとめたノートの内容とも 概ね一致するものでした。
 

 以下、 80年代の私立文系大学の教室で 佐治先生が 好まれた 音楽に関わる話題 から、少し抜粋/引用(以下青字 )させて頂きましょう。

聴き手
「先生は音楽がたいへんお好きだと聞いていますが、音楽に対する自然科学的な迫り方のようなものがあるのでしょうか」

佐治晴夫
「“J.S.バッハの音楽っていうのが何であるか”ということを物理学の立場から考えると、非常に 今までより明確になってきます。

バッハの音楽の中の、たとえば『マタイ受難曲 』のある音型をつなぐと、荒井(松任谷)由実の『海を見ていた午後 』になってしまうとか。そういうことをね、音楽学だけの中からは抽出できないわけです。ところが、物理学をやってますとね、何となく見えてくるわけです。同じようにカンタータの中の ある和声部分をとると、ビートルズの『イエスタデイ 』になってしまう、基本的にはね。
荒井由実 海を見ていた午後 ビートルズ イエスタデイ
「・・・ だから、『私はバッハしか聴かない 』とか『モーツァルトしか聴かない 』とかいう人がいるけれども、結局、現代でモーツァルトを聴く人は どういう気持ちでモーツァルトを聴くかと言うと、モーツァルトが生きている時代のモーツァルトを聴くとは限らないわけで、モーツァルトの次に、例えばベートーヴェンあり、ロマン派の音楽があって、そういう歴史を積み重ねた末に現代があって、その現代からモーツァルトを聴いているわけです。

「だからユーミンが どうやって作曲したかは知らないけれど、彼女だって 実は バッハの音楽を、モーツァルトを 聴いているわけです。さらに ベートーヴェンを、それからひょっとすると 他の歌謡曲や浪花節も聴いているわけです。そういう歴史の面に立って作ってみて、意図的ではなくて、基本的にバッハの音楽と同じだったと言うことになれば、バッハが偉いとか偉くないとか言う以前に、人間と音との関わりとは一体何なのかということを考える時、バッハとか何だとかとを限定する以前の“音楽”創造という行為に対して 何か不思議なものがあると。だから、“事実”と“忠実”の区別が必要になってくるわけです。

「例えば、千八百何年に誰がどうやったという事は 事実かどうかはわからない。史実なんです。過去が集積して衣を着て現代がある。それを一枚一枚剥ぎ取っていく必要がある。それで過去になるべく近い状態まで持っていく。だけど、今いる“私”というのは絶対過去にはなり得ない、現在なんです。そういう矛盾がある。でも過去にどんどん近づいていこうという事はどういうことかと言うと、現在から過去を照射しているということです。

「その結果、“現在とは何か”ということが分かる。現在“自分は何か”とか“現代の音楽に対する評価”ということが分かるということは、過去が現在に対して逆照射しているわけです。そういうふうに、お互いに交錯している。そういう美学的迫り方というのは、非常に自然科学的なわけです。

「明日の朝、太陽が昇るかということを考えた時に、誰も本当に昇るとは断言できない。明日になってみなければ分からない。つまり“時間とは何か”ということを意味するわけです。だから、時間と人間がどう関わってきたかということを、歴史的に考えることも一つの意味あることです。

「だけど、それを文科系の言葉だけで追求しても、所詮はうやむやになってしまう、歴史がそれを物語っている、そうすると そこに宇宙論が出て来るわけで、宇宙論という要において“時間とは何か”ということを 少しでも追求できれば、これは大変なことで、そこからいろんなことがわかってきます 」


聴き手
「先生は 学ぶこととは、どうお考えですか 」

佐治晴夫(小)先生
佐治晴夫
「“学ぶ”とは 常識が常識をこえるものであることを認識することでしょうね。

「一杯のコーヒーに宇宙のすべてを観るような…。例えば、このコーヒー・カップは、その成分から言えば、星のかけらからできているわけだし、コーヒーは太陽のエネルギーの別の表現でしょう?

「そんな感動に出会うことが大切です。つまり、教えるとは希望を語ること、学ぶとは真理を胸に刻むことでありたいと思っています 」

「あなたは 一枚の紙の中に雲や太陽を見ることができますか。紙の原料はパルプ、樹木です。樹木は水によって育ちますが、その水は雨がもたらし、雨を降らせるのは雲であり、その雲をつくるのは太陽です。一枚の紙の背後に 太陽や雲を感じたり、雨や風の音を聴いたりなど、いかにも詩人の視点のように思われるかもしれませんが、実は これらは科学によってもたらされる事実であり、これに気づく眼差しこそ 科学のセンスでもあるわけです。

「同じく、昼間でも 星は在るけれども、とりあえず見えないのだ、ということに気づくのも 科学のセンスですね。

「言葉を変えれば、私たちの五感には 物理的な限界があるという認識、さらに、あらゆる存在は 目には見えぬ他のものたちとのかかわりの中でできているという認識、これらが 科学のセンスであることに 他なりません 」



- 佐治晴夫先生のお言葉(青字 )は、成城大学文芸学部会(文芸フォーラム編集委員会 )発行 FORUM(第22号/昭和56年度/昭和57年 1月発行)から引用させて頂きました。

Long Distance Voyager/The Moody Blues (2)Long Distance Voyager/The Moody Blues
Long Distance Voyager / The Moody Blues 
19世紀の銅版に描かれた世俗画の上空に ヴォイジャーが映りこんでいる(?)。

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