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訃報・追悼
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(小)ライル・メイズ (小)ライル・メイズ 近影
パット・メセニー・グループで活躍したピアニスト、
ライル・メイズの逝去を 惜しむ。


 “スケルツォ倶楽部発起人です。
 たとえば、活動停止 または解散してしまった音楽グループがあったとしても いつの日か再び顔を揃え 音楽活動を再開してくれるのではないかという、そんなファンの熱い期待を奪ってしまうのが、主要メンバーの逝去です。
 時間が経過すればするほど、そのリスクは高まります。当然ミュージシャンだって人間ですから、歳月が人を老化させることは自然の摂理。寿命が尽きる前に 不慮の事故に遭う可能性だって否定できないでしょう。
 その最たる例は、やはりビートルズでしたね。1970年に解散してから僅か10年後 - それも最悪の方法で - 再結成の希望を粉々に打ち砕かれたことに気づいた世界は、失った価値のあまりの大きさに 深い喪失感の底へ沈んだものでした。

 ・・・ さて、昨日(22日 )土曜日も仕事だった 私“スケルツォ倶楽部発起人、朝から営業車を走らせながらFMのスイッチを入れると、ピーター・バラカン氏がパーソナリティを務める良番組 ♯ウィークエンド・サンシャインを放送中・・・。そうしたら、何と今月 2月10日に ピアニスト、ライル・メイズが亡くなっていたという悲しいニュースとともに ライルが属していたパット・メセニー・グループ時代の、とりわけ親しみやすい名曲「ジェイムス 」が流れてきました。この曲には 後半、ライルのリリカルなピアノ・ソロがあります。訃報に驚き、思わず音量を上げると路肩に停車。黙祷しつつ 懐かしい音楽に聴き入りました。
オフランプ パット・メセニー・グループ(ECM). 1983年頃のパット・メセニー グループ(ECM)
パット・メセニー グループ 「オフランプ 」(ECM、1982年 )
 ライル・メイズ - 一般の方であれば ご存知ない向きも少なくないかもしれませんが、かつてパット・メセニー・グループのキーボード奏者だった人で、知る人ぞ知る グループのブレイン的存在でした。長髪、長身痩躯なイメージのピアニスト・・・ と言えば、思い出す人もいらっしゃるのでは。

 そう言えば、私 発起人の大学生時代 - って、80年代も前半のことですが - 芸術学部で同じ音楽専攻、ピアノをたしなむ 一年後輩の美少女が、彼女の卒論テーマに「ライル・メイズ研究 」を選ぼうとしており、ジョニ・ミッチェルのレコードを持っていたら貸してくれませんか と相談されたことを 今 ふと思い出しました。あの頃から ライルの才能に注目していた彼女は、果たして 無事に卒業できたでしょうか・・・。


ライル・メイズ氏 死去
amass の記事 - 2020年 2月12日 ‐ より引用(以下青字 )
ライル・メイズ ライル・メイズ(左 )とパット・メセニー
▲ ライル・メイズ(80年代 )、盟友パット・メセニー(右)との近影。
 パット・メセニー・グループのメンバーとして知られるジャズ・ピアニストのライル・メイズ Lyle Mays が死去、66歳でした。パット・メセニー Pat Metheny の公式サイトで発表。声明では「愛する人たちに囲まれて、再発性疾患との長い戦いの末、今日(2月10日)ロサンゼルスでこの世を去った 」と伝えています。訃報は ライルのFacebookページでも発表。

 ライル・メイズは、米ウィスコンシン州ウォーソーキー生まれ。ノーステキサス大学在学中、作曲と編曲を手掛けたビッグバンド One O'Clock Lab Band のアルバム“Lab '75”が、グラミー賞にノミネートされました。1974年にパット・メセニーと出会い、1977年にパット・メセニー・グループに加入。それ以来、パットの片腕としてグループに貢献しました。

 パット・メセニーは「ライルは 私が知っている最も偉大な音楽家の一人だった。30年以上にわたって、音楽で共有したすべての瞬間は特別なものでした。一緒に演奏した最初の音から、すぐに絆が生まれました。彼の幅広い知性と音楽の知恵は、全ての面において彼が誰であるかのあらゆる側面を知らせた。あなたがいなくて寂しいです」と追悼しています。

記事の引用 ここまで )


 本日は 故ライル・メイズについて、思いつくまま勝手に書き流しておりますが、ライルが参加したパット・メセニーとの長い楽歴の中で 私が個人的に最も愛好しているのは(傑作「シークレット・ストーリー 」を別格とすれば、 )やはりECM時代の、いわゆる初期“パット・メセニー・グループ”なのです。
 今、その理由を考えながら ハッと気づいたことのひとつ - それは、とりもなおさずグループの主要メンバー、ライル・メイズのピアノとキーボードが描くサウンドカラーを とりわけ自分が好んでいたからに他なりません。
 ステージ上(ライヴ演奏 )で実用性の高い プリセット可能なシンセサイザーの音色ほど ジャズ=フュージョン系のキーボード奏者の嗜好や個性を表すものはないと言ってもよいでしょう。この楽器の真のパイオニアだった冨田勲以外に、シンセサイザーで新しい音色を創りだすことに心血を注いだ演奏家は殆どおらず、キース・エマーソンハービー・ハンコックチック・コリアジョー・ザヴィヌルでさえも、予め準備された「シンセらしい音 」( そもそもシンセって 縮める言い方も 私は大キライです )が画一的に鳴るようにしたプリセット鍵盤を 叩くだけでした。
 ライル・メイズは、自身が基本的にピアニストであるという矜持を捨てることなく、ソロ・プレイ(ジャズ・ミュージシャンの命でもある )では、常にアコースティック・ピアノを演奏することにこだわりました。ステージ上で ライルの傍らに繋がれたシンセサイザーなどエレクトリック楽器は、彼がメインの手段と信じる生ピアノのアコースティックな響きを ただ引き立たせるために使われ、且つそのために選ばれたサウンドのみに限られました。
 私は、自分がパット・メセニーの音楽を好きだと思っていたけれど、実は その半分は ライル・メイズへの好意だったような気が、今 しています。

As Falls Wichita, So Falls Wichita Falls (ECM) As Falls Wichita, So Falls Wichita Falls (ECM) (2)
ライル/メセニー共作「ウィチタ・フォールズ (ECM、1981年 )
 1980年 9月、ノルウェーの首都オスロメセニーとの双頭名義でレコーディングされたアルバム「ウィチタ・フォールズ 」As Falls Wichita, so Falls Wichita Falls(ECM )は、翌1981年リリースされると ビルボードのジャズ・アルバム・チャートで 第一位を獲得した名盤です。基本的にメセニーライル二人による多重録音を含むレコーディングですが、ナナ・ヴァスコンセロスが、パーカッションとヴォーカル(アルバム最後の一曲 Estupenda Graça のエモーショナルな絶唱が素晴らしい )で一部参加しています。
 夏の高原を吹き抜けてゆく風のように爽快で格好良い「オザーク」Ozark における、ほぼ全編ライルのリズミカルで力強いアコースティック・ピアノをフィーチャーしたプレイも聴きどころですが、L.P.レコードならB面二曲目に収録されていたバラード「 9月15日」September Fifteenth(共作 )の美しさも、忘れられません。
 北欧でのレコーディング中、彼らのもとに 突然飛び込んできたニュースが、偉大なジャズ・ピアニスト、ビル・エヴァンスが1980年 9月15日に急死した - との訃報でした。
晩年のビル・エヴァンス 晩年のビル・エヴァンス
▲ 晩年のビル・エヴァンス
 エヴァンスは、若きライル・メイズが 最も大きな影響を受けたピアニストだったのです。
 彼ら二人は、急きょ 亡きビル・エヴァンスに捧げる楽曲を仕上げることにしました。その追加ナンバーこそ、エヴァンスの命日をそのままタイトルにした、この「 9月15日 」です。
 パット・メセニーが爪弾くアコースティック・ギターと、ライルの繊細さが胸に迫るアコースティック・ピアノとのデュオ演奏を基本に、あたかも日没の背景を静かに覆うがごときストリングス・オーケストラ系シンセサイザーの控えめな音色が好ましくオーヴァーダビングされています。


Lyle Mays_Fictionary Marc Johnson Jack DeJohnette ライル・メイズ Lyle Mays
ライル・メイズ・トリオ「フィクショナリー 」 (Geffin、1993年 )
 それから約12年後(1992年 )、ライルは その名も「ビル・エヴァンス 」というタイトルを冠したナンバーを、マーク・ジョンソン(ベース )、ジャック・ディ=ジョネット(ドラムス )という、生前ビル・エヴァンスとも共演実績ある名手らを従え ピアノ・トリオでレコーディングしていますが、興味深い人選は このアルバムのプロデュースも務めた盟友パット・メセニーの厚意による人脈でしょう。
 意外にもライルにとって初めてとなった、アコースティックなピアノ・トリオ・アルバム「フィクショナリー 」Fictionary 冒頭に置かれたこの一曲は、ヴィレッジ・ヴァンガードにおける幽玄な「マイ・フーリッシュ・ハート 」を髣髴とさせる詩的な仕上がりで、ライルビル・エヴァンスへの敬意と影響の深さが偲ばれる、秀逸な名演でした。
録音:1992年 4月 ニューヨーク
音盤:Geffin(海外盤 )



80年代のライル・メイズ(ECM) ライル・メイズ LYLE MAYS(Geffin、1986年 )  
ライル・メイズ LYLE MAYS (Geffin、1986年 )
 さて、紹介は前後しますが、これがソロ作品リリース第一作
 美しい視覚的なイメージを喚起させる 成功作です。
 初めてレコードに針を下ろした時、冒頭 Highland Aire が始まって早々 あの柔らかなシンセサイザーの聴き慣れた音が鳴りだした瞬間「ああ、PMGサウンドだ ! 」と、全身に幸福感のアドレナリンが溢れたことを記憶しています。もちろん美しいアコースティック・ピアノによる、耳に馴染んだライル独特の(良い意味で )手癖フレーズも奔出・・・。これに続いて パット・メセニーのギターが被ってくるに違いないと、自分の耳が勝手に待ち構えてしまう衝動を止められませんでした。
 ここではメセニーの代役(?)ビル・フリゼールのプレイも素晴らしく、異なるギタリストとの調和は、まるでライルPMGで描いてみせた風景を 別の角度から撮った映像で眺めてみるような錯覚さえ感じたものです。
 ECMを連想させるヨーロピアン・モードな雰囲気は、これからライル最初のソロ・アルバムを聴こうとする聴者の期待を裏切りません。さり気なく最後に置かれた一曲 Close to Home の、一歩間違えば 俗な歌謡性に陥る危険からこの名曲を救っているのは、ひとえに 音楽家としてのライル自身に備わるデリカシーでしょう。


ライル・メイズ (2) Lyle Mays_Street Dreams(Geffin)
ライル・メイズ「ストリート・ドリームス 」 (Geffin、1988年 )
 ソロ・アルバム第二作
 前作が “” なら、本作は “” - あるいは、内向性へ沈みゆく第一作に対し、今回は 外向的でアーバンな香りがします(あくまで個人の感想ですw )。
 多彩な方向に顔を向ける楽曲たちが ずらっと並ぶ傑作です。個人的には 発起人 妻 が贔屓(ひいき )にするスティーヴ・ガッド(ドラムス・ソロこそ無いけれど )が 唯一参加している冒頭一曲目Feet First のカッコよさは出色ですし、キーボード・アンサンブルだけで仕上げられた不思議な三曲目 Chorinho の どこか近未来的な可愛らしさも捨てがたい・・・。
 おやっと思ったのは、ライルの従来のイメージとは明らかに違う、ホーン奏者らを加えたアンサンブル中心で 4ビートがスウィングするビッグ・バンド風の楽想をもつナンバー Possible Straight - ちょっと意表を突かれました。しかし、ライルの初期キャリアを見なおしてみれば ノース・テキサス大学に在学中すでに 自身の作曲とアレンジ譜を演奏させたビッグバンド編成のアルバムが グラミー賞にノミネートされ、1976年にはウディ・ハーマン・オーケストラに加入するほどでしたから、むしろ こちらのスタイルのほうが 彼のルーツだったと言えるのもしれません。意外なスタイルには驚かされますが、もし当時の録音が残っているなら ぜひ聴いてみたいものです。
 ところで、このアルバムの最後に置かれた長尺のタイトル・ナンバーストリート・ドリームス 」を 高く評価されるご意見もあるようですが、私の個人的な考えは どちらかと言えば「否定派 」です、すみません。もちろん パート2におけるアコースティック・ピアノによるソロの素晴らしさを認めぬものでは決してありませんが。
 この手の組曲風な構成は、ことジャズの領域に限っては、楽譜(事前に書かれた部分 )の縛りが強く、本来自由に羽ばたけるジャズ・プレイヤーの居場所(フィールド )を制限するため、成功した例も多くないように思うのです。たとえば、チック・コリアの「タッチストーン 」、ウェザー・リポートの「N.Y.C.」、ジャコ・パストリアス「ワード・オブ・マウス」Bサイドなど せっかくの良い素材なのに リーダーが生かし切れず、いずれも 今ひとつ散漫な印象ばかり残しています(あ、好き/嫌いの感情とは別ですから )。

「サン・ロレンツォ 」
 さて、初期パット・メセニー・グループのレコード中で、ライルの とりわけ瑞々しく美しいピアノ・プレイが聴ける音源と言えば、やはりグループ名を冠した最初のアルバムPMG(ECM )ではないでしょうか、邦題は「想い出のサン・ロレンツォ 」。
パット・メセニー グループ(ECM) パット・メセニー グループ(ECM) (2)
パット・メセニー・グループ : 同名タイトル(ECM、1977年 )
 PMG最初のアルバムにして 彼らの出発点。
 特に、名曲「サン・ロレンツォ 」 - ああ 大好きですね、これに尽きます。もしPMGで最も好きな演奏を一曲だけ選べと言われたら、うーん、当時の看板曲だった「フェイズ・ダンス 」と比べて どっちにしようかと さんざん迷った挙句、やはり私なら僅差で「サン・ロレンツォ 」を 選ぶでしょう。
 後半に聴ける ライル・メイズの、実は 気が済むまで弾いてていいよ とでも言われたんじゃないかと思ってしまうような、長尺に歌うピアノ・ソロの素敵なこと。それはもう まるで長い旅のような、季節と起伏の遠い道のりに満ちた多彩なソロ演奏が終わって 漸くアンサンブルと一体になるところまで辿り着いた途端、出迎えてくれた仲間たちとの間に 胸いっぱい湧きあがる懐かしい感情・・・。

Pat Metheny Group - Travels - 1983 Pat Metheny Group - Travels 1983
▲ パット・メセニー・グループ「トラヴェルズ 」(ECM、1982年 )
 ちなみに、ECM時代のライヴ・アルバムの傑作「トラヴェルズ Travels(二枚組 - ECM、1982年 )に収録されたほうの「サン・ロレンツォ 」のピアノソロ・パートは、さらにゆったりと構えたテンポで、スタジオ盤に負けず劣らず素晴らしい出来。リズミカルな名曲「フェイズダンス 」のピアノソロも、どうかお聴き逃がし無きよう。
 ああ、ライル・メイズについて語っているつもりでしたが、結局自分の思い出や主観的な感想を縷々述べただけでした。って、いつもそうですがw

 偉大な才能が また一人、世俗の世を翔び去ってゆきました。地上でのご活躍に、深くお礼を申し上げます、ありがとうございました。心よりご冥福をお祈りいたします。

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