FC2ブログ
スケルツォ倶楽部 Club Scherzo ⇒ 全記事一覧
ワーグナーの劇的な前半生 ⇒ もくじ
スケルツォ倶楽部_ワーグナーの劇的な前半生
 
ワーグナー作 / 小説「ベートーヴェンまいり
Eine Pilgerfahrt zu Beethoven
高木卓 / 訳(岩波文庫 )を 読む。

スケルツォ倶楽部_ワーグナー「ベートーヴェン詣り」 スケルツォ倶楽部_ワーグナーの著作 Eine Pilgerfahrt zu Beethoven

 今晩は、“スケルツォ倶楽部発起人です。
 さて、ワーグナーのドラマティックな前半生を ふりかえっておりますが、続きの今回は、とりわけ困窮を極めていた “パリ放浪時代” として知られる若き日々 - パリ・オペラ座で自作歌劇を上演することなど夢のまた夢、ようやく現実(うつつ )の冷たい風に気づきはじめた、1840年頃のこと。
 旧作歌劇「恋愛禁制 」の歌詞をフランス語に翻訳することによって上演してもらえるかもしれない、そんな僅かな可能性にずっと賭けてきた「最後の頼みの綱 」でもあったパリ・ルネッサンス座が倒産してしまいます。悲報を受け、前途が閉ざされたはずのワーグナーですが、逆境に屈することなく この頃 遂に大作「リエンツィ 」全五幕を完成させているほどですから、本当に深く尊敬に値する不屈の精神力です。
 「リエンツィ 」については、待ちきれなくなって すでに前々回 聴きましたよね。
⇒ 歌劇「リエンツィ 」(ホルライザー指揮 / DSK / EMI盤 )を聴く

 そんなワーグナーに以前から好意的だった先輩作曲家マイヤベーアが 忙中の夏パリに立ち寄った際、相変わらず親切なことに 今度はパリ・オペラ座の新任支配人ピエーに引き合わせてくれるのでした。
マイヤベーア Giacomo Meyerbeer ワーグナー (2)
▲ マイヤベーアと若きワーグナー

ワーグナー  「・・・でも先輩には申し訳ありませんが、社交辞令的な関係だけで 仕事をもらえないんだったら 空しくなるだけですから 」
マイヤベーア 「おいおい、ずいぶんとヤサグレちゃったね、ワーグナー君らしくないぞ、一体どうしたんだ 」
ワーグナー  「どうもこうもありませんよ。マイヤベーアの紹介だというと どこの歌劇場も愛想だけは良いんですが、先輩がパリをお留守にされた途端、まるで後光が消えるように どこも私のような無名の新人 ましてやドイツの田舎作曲家のことなんか 相手にしてくれないんすから 」

ピエー支配人 「さすがに『リエンツィ 』のような大規模な作品を 今すぐ採用というわけにはいかないが、小規模な開幕劇だったらどうかな。適当な台本があれば作曲を依頼できるかもしれないよ 」
ワーグナー  「ぴえー ホントですか、ピエーさん 」
マイヤベーア 「よかったじゃないか、ワーグナー君、一幕に収まる適当な題材は何かあるかい 」
ピエー支配人 「ぜひ今度 プロットを持って来てください 」

 その翌月、速攻で ピエーに手渡されることとなる新作歌劇「 」こそ、後の「さまよえるオランダ人 」の原型です! 渡仏翌年 ワーグナーが(シューマンに先立って )作曲した歌曲「二人の擲弾兵 」の原詩作者であるハイネが 中世から語り伝えられてきた幽霊船の伝説をもとに 一篇の荒削りな説話にしたものでした。ワーグナーは、オペラの題材に翻案することを ハイネ自身からきちんと了承を得た上で 歌劇の台本へとまとめたのです。
 これを ワーグナーオペラ座支配人ピエーに手渡す際、彼は フランス語で台本化されたら 必ず自分に作曲を依頼してもらえるよう 重ねて念を押します。
 
 ・・・が、多忙なマイヤベーアがパリを去った途端、オペラ座からワーグナーへの連絡は ぱったりと途絶えてしまうことになるのでした。
Zwangvolle Plage ! 何たる苦しみ、Müh ohne Zweck ! 先が見えぬ!
▲ Zwangvolle Plage ! 何たる苦しみ、Müh ohne Zweck ! 先が見えぬ
(楽劇「ジークフリート 」第一幕より ミーメの台詞 )
 
 もはや仕事を選んでなどいられません。八方ふさがり、食うや食わずの生計を立てるため この時期に ワーグナーが手掛けた様々なアルバイトは、まずヴォードヴィル・ショー「裏庭の下り坂 」のための通俗歌の作曲、ドニゼッティの「ラ・ファヴォリータ 」やアレヴィの「ギターを弾く男 」「キプロスの女王 」、オベールの「ザネッタ 」など当時有名だった歌劇中のアリア等をピアノ用に編曲する作業、さまざまな作曲家のメロディを用いた「コルネットのための組曲 」への編曲、さらには写譜、楽譜の校正などという音楽関係に留まらず、文筆活動にも手を広げ、その多才さゆえ(不本意ながら ) この方面で 名を知られるほどになります。
 ドイツ系の音楽図書出版業者シュレジンガーが発行する「音楽時報」(レヴュー・エ・ガゼット・ミュジカル・ド・パリ )なる週刊誌のために書いた原稿「ドイツ音楽論 」 が評判になりました。仏訳され掲載、その反響を受けイタリア語版もミラノで発行されるほど売れたようです。これ以後 ワーグナーは同誌に 評論、コラム、さらには「オリジナル小説 」まで書いています。

 1840年の晩秋「音楽時報 」に連載された オリジナル短編小説ベートーヴェンまいり 」が意外なほど好評で、一躍世間の注目を浴びる存在となりました。
 若きワーグナーの著作「ベートーヴェンまいり 」(高木卓 / 訳 ) - 原題 Eine Pilgerfahrt zu Beethoven の“Pilger”とは、メッカなど宗教上の聖地への「お詣り 」、「巡礼 」または「巡礼者 」をも指す意味の独・名詞で、ワーグナーの歌劇「タンホイザー 第三幕でも 聖都ローマへの“お遍路”を終えてヴァルトブルクに帰郷してきた巡礼者 Pilger の合唱が 重要な音楽的モティーフになっています。“fahrt”とは「 」「~行き 」といった独・名詞ですから “Pilgerfahrt”は そのまま「巡礼の旅 」という意、すなわち邦題「ベートーヴェン詣り 」は、高木卓氏による名訳と思います。

小説「ベートーヴェンまいり 」の詳しい概要
リヒャルト・ワーグナー
高木卓 / 訳に基づく

スケルツォ倶楽部_ベエトオヴェンまいり ワアグナア(岩波書店 )

 物語に先立って(小説への序 )と書かれた、ある人物による短い序文が付いています。
 それによると、本文は「さきごろパリで亡くなった友人Rの遺稿 」の中に含まれている「ウィーン旅行記 兼 ベートーヴェン訪問記 」であり、友人Rの「若い頃の時代を記し 」たものである、と書かれています。
 これは、ヘンリー・ジェイムズが「ねじの回転 」で使うことになる技法と似た工夫 - すなわち、小説の主要な語り手とは異なる人物が最初に現れ、わざわざ本編の作者のことを紹介するという方法です(ジェイムズの場合は もっと複雑で凝っていますが )。

 実際のところ「友人R 」とは、小説の作者たるワーグナー自身のファースト・ネーム、リヒャルト Richard の頭文字「R」に相違なく、自分自身は(まだ健在なのに )不遇な身のままパリで客死した、という空想の下で書かれたことになります。生前のベートーヴェンに会って 楽聖自身から親しく芸術論を訊くというのも もちろんフィクションに決まっていますが、文頭に「」を設けることによって二重構造を与え、そこに微妙なリアリティを 読み手が感じるような工夫が凝らされています。
 
 小説は、まず作者R=「」の「貧乏神 」への真摯な祈りに始まります。これが(執筆当時パリで )逆境に暮らすワーグナーの自虐なユーモアと皮肉に満ちた愚痴であることに、まず気づかなくてはなりません。かなりひねった導入です。
 中部ドイツの中くらいな町で「」は生まれた、ということは まさにワーグナーの出身地ライプツィヒを指していることに相違ないでしょう。いかに「」が幼き日よりベートーヴェンの音楽に熱烈な尊敬と崇拝を寄せるようになったかが述べられ、ウィーンにいるベートーヴェンに会おうとする動機が述べられます。

 一人の貧しい音楽家がウィーンへの旅費を貯めるためには、高尚なピアノ・ソナタの作曲などではなく(芸術家のプライドなんか捨てて )それまで軽蔑していたギャロップポプリなど、売れ線のダンス音楽を量産することも止む無しとあきらめなければイケナイと決意するまでの苦悩の過程が、ユーモアたっぷりに描かれます。
 そんな「」は 出版者にダマされ それから二年間もの間 ギャロップポプリばかりを作曲し続けた結果(これも不本意ながら )軽音楽の分野で名声を得てしまいます。おかげでベートーヴェンの許へ向かう旅費も ある程度は貯まったようです。
「ありがたいことにベエトオヴェンは 私の名が世に出るまで生きていてくれた。神聖なベエトオヴェンよ、どうかこの虚名をゆるしてください、あなたに会えたならと思ってかちえた名前ですから 」
(以下も、引用させて頂く文章は 青字で表示します )

 こうして「」は ウィーンを目指し 旅立ちます。旅費が貯まったとは言っても 貧しい予算で倹約しなければならず、基本的には徒歩での移動となります。けれども、「骨の折れる徒歩での巡礼のほうが、いっそう神聖で敬虔であり、その巡礼の目的地も、馬車で驕(おご)りたかぶってそこへ乗りこむ者よりも、いっそう多くの倖せをあたえてくれるように思われた 」と、目的のためには 労苦を厭わぬ苦労人です。

 旅の途中「」は 高級馬車に乗った若い金持ちのイギリス人と知り合います。ドラマトゥルギー的に、この人物こそ 「 」の前に立ちふさがる テルラムントベックメッサー的な存在です。貧しい徒歩旅行と裕福な馬車旅行、最初から二人は行き違いでお互いを侮辱し合い、そのくだりは かなり笑えるのですが、そのうち偶然二人ともウィーンへ赴こうとしている目的が、ベートーヴェンに会うためという同じ動機であることを知ります。

 イギリス人のほうも 音楽への造詣は多少あるものの ベートーヴェンに会うことを まるで観光地見物のように考えていて、それが内心「 」の怒りを招きます。
 イギリス人は、目的地が同じなのだから馬車に乗せてやる、と誘いますが「」は 巡礼は徒歩ですべきと誓ったため、決してイギリス人の馬車には乗りません。

 長く苦しい遍歴(文字どおり Pilgerfahrt ですね )の末、とうとう「 」はウィーンに到着します。目的に着いた感激とともにベートーヴェンの住所を調べ、その近所の宿の六階に部屋をとります。
 しかし、何度訪ねても「ベエトオヴェンさんはお留守です」と玄関で断られるばかり。
 一日早く当地に到着していたイギリス人も「」と同じ旅館に泊まっていました。彼もまた すでに六回以上もベートーヴェン邸を訪問していましたが、やはり会えずにいることを「」に打ち明けます。イギリス人は、ベートーヴェン邸の玄関が見下ろせる旅館の部屋の窓際に座って ベートーヴェンが出かけるのを見張っているのですが、二日経って ベートーヴェンが決して外出せず 部屋で仕事を続けている、つまり「二人とも居留守を使われたのだ 」というのが 彼の見解です。

 ベートーヴェンに会えぬまま あっという間に一週間が過ぎてしまいます。
 裕福なイギリス人めと違って、滞在費に限りがある「」は焦って 旅館の主人に相談します。主人は「決してイギリス人に言わないと誓うなら 」という条件付きで、不運のわけを教えてくれるのです。
 それによると、連日 大勢のイギリス人が 高名なベートーヴェン先生に会おうとあつかましく訪れては仕事の邪魔をするものだから、ベートーヴェンは これに腹を立てて決して会おうとはしないのだ、と。 
 なるほど、「」が目的を達せられないのは、哀れにも自分が「イギリス人 」だと思われていたからなのでした。旅館の主人は、ベートーヴェンがいつも裏口から出て、行きつけのビアガーデンに出かけている時刻を教えてくれます。さらに面識のない「」に、大先生の容姿と特徴まで親切に伝えてくれるので、「」は もうすっかり元気づき、屋外でベートーヴェンに会うため それから何日もビアガーデンへと足を運ぶことになります。
 そんな「」の行動を 窓際から毎日見下ろしていた例のイギリス人が、さてはと怪しんで、ある日のこと 「」の背後からついてくるではありありませんか。イギリス人のことを まいて逃げようとする「」のことをあきらめずにどこまでも追いかけてくるイギリス人。古今東西、単純な手法でも追っかけシーンはやはり盛り上がりますね。
 
 その後、とうとうビアガーデンの奥で 崇拝するベートーヴェン本人の姿を発見し、少し離れた場所から歓喜に陶酔するほど感動にふるえる「 」を差し置いて、あつかましく好奇のまなざしで楽聖に近づこうとするイギリス人
スケルツォ倶楽部_ワーグナー「ベートーヴェン詣り」
礼儀作法もわきまえずに気でもちがったのか 」と、その上衣の裾を必死につかんで引き止めようとする「 」を「コラ、放せ」とふりきるイギリス人。その勢いのあまり 遂に上衣がちぎれて・・・ って、そんなドタバタで抱腹絶倒な描写もユーモラスな筆致に溢れていますが、結局ベートーヴェン師は、ビアガーデンで理由もわからず暴れている「二人のイギリス人 」に侮蔑の一瞥(笑 )を投げると、その場から姿を消してしまうのでした。

 その後「」は、もはや会う術を失った(?)ベートーヴェンに対し、自分が(あつかましいイギリス人などではなく )素朴なドイツ人であり、世俗的には貧しいけれど、超俗的には感激にみちていること、「衷心を披歴して手紙を書くことに決め 」、真心こめた崇拝の念を封じた手紙を みずからベートーヴェンの邸に投函するのでした。

 誠意が通じたのか、間もなく 「」宛てに届いた 「翌日午前においで願う 」と 走り書きされた、楽聖からの返書に 嬉しさのあまり涙で目がくもってしまうという喜びの描写は、ちょっと感動的です。もはや「」はじっとしていられなくなり、その晩 ウィーンの街を歩きまわります。とある劇場で歌劇「フィデリオ」が上演されるのを知ると もはや迷うことなく入場、一階後方の席に座ると、それはヴィルヘルミーネ・シュレーダーレオノーレ役を演じる、素晴らしい舞台でした。
ヴィルヘルミーネ・シュレーダー=デフリントWilhelmine Schroeder-Devrient(1804-1860 )
ヴィルヘルミーネ・シュレーダー=ドゥヴリアン(デフリント )は、その後 ドレスデンでのワーグナーの歌劇「リエンツィ」初演の舞台でも 難役アドリアーノを歌うこととなる伝説のメゾ・ソプラノ歌手です。

 翌日、約束の時間、いよいよ「」は 尊敬するベートーヴェンとの面会がかないます。ただし小説の中では、ここにも例のイギリス人が登場、強引に押しかけてきて 制止する「」をふりきって 邸の中にまで侵入してきてしまうというドタバタ劇が もう一場あるですが、そこのくだりは省略します。

 肝心なのは そこから以下、ベートーヴェンと「」=リヒャルト・ワーグナーとの架空の会話がはじまります。最初に、若きワーグナーの文学的想像力の片鱗に触れ、読んでいて思わず目頭を熱くしました。

 ベエトオヴェンは私をさえぎって、一枚の紙に鉛筆をそえて出しながら、こうつけくわえた。「書いてください、私は耳が聞こえないのです。」
私はベエトオヴェンが聾である(原文ママ )ことは知っていたし、それは覚悟のうえで来たのであった。にもかかわらず、「私は聞こえないのです 」と ざらついた声でいわれたとき、胸を刺される思いがした。ああ、よろこびもなく貧しくこの世に生き、音の力のなかに唯一つの高揚を知って、しかも「聞こえないのです 」と云わねばならないとは。瞬間、私はベエトオヴェンの外見や、頬にうかぶ深い悲憤や、目なざしの陰気な不満や、唇にこめられた反抗などがすっかりわかった気がした。ああ、ベエトオヴェンは耳がきこえなかったのである。


」は 歌劇についての考え方を (架空の)ベートーヴェンに訊きます。
「少なくとも私(ベートーヴェン )が よろこんで歌劇を書きたいと思うような劇場は、この世の中では二つと知りませんね。もし自分の思い通りの歌劇を書こうとしたら、聴衆は逃げ出してしまうでしょう。次なる歌劇には もはやアリアも二重唱も三重唱もなく、こんにち歌劇を綴りあわせている あらゆる道具がいっこう見いだせないんですからね。さらに、私がその代わりにつくろうとする歌劇を もはや歌える歌手もありますまいし、聴きたがる聴衆もないでしょう。彼らはみんな、はなやかな嘘や、きらびやかな出たらめや、甘ったるい退屈さだけしか知らないんです。真の音楽劇を作るものがあれば莫迦と思われるでしょうし、じっさいそういった作品を、自分だけでとっておかずに人々の前に持ちだそうとすれば そう思われかねませんね 」
 架空のベートーヴェンの口を通して、ワーグナーが述べる “理想の音楽劇” - ここは最も注目すべきくだりと思います。「もはやアリアも二重唱も三重唱も存在しない、さらに(1820年頃の基準では )歌える歌手も、聴きたがる聴衆も存在しない 」 - そんな舞台世界こそ 未来にワーグナーが創作することとなる「楽劇 」のイメージそのものではありませんか。

」は、声楽の使命について (架空の)ベートーヴェンに訊ねます。
「なぜ声楽が器楽と同様に偉大で厳粛な芸術種目(ジャンル)を成してはいけないのでしょうか。(中略)人間の声というものは、もともと存在しているのです。それどころか声はオオケストラのどの楽器よりもはるかに美しい高尚な音の器官なのです。この声を、楽器と同様に独立して用いてはいけないでしょうか。そしたらどんなに斬新な結果が得られないとも限りますまい。すなわち人の声は、その天性が楽器の性質とは全然違っていますが、まさにその特性が一段と強調され確保されて多様極まる結合を生みださせるのです。
「楽器が代表するのは、創造と自然との原始器官です。楽器で表現されるものは、決してはっきりと規定されたり確定されたりはしません、というのは 楽器が再現するのは原始感情そのものですが、それを心の中に取り入れうる人間すら おそらくまだ存在していなかった頃 最初の創造の混沌の中から生じた そんな原始感情ですからね。
「しかし人間の声という神霊になると、すっかり話がちがってきます。声は人間の心、および心がもつ完結した個人的な感覚を代表します。声の特性は、ですから制限されていますが、その代わり規定されていて明瞭なのです。そこで、楽器と声という この二つの要素を合わせてごらんなさい。統合してごらんなさい。無限なものの中へ漂い出ていく激しい原始感情は 楽器によって代表され、人間の心がもつ明瞭な規定された感覚は声によって代表されている、その原始感情と声の感覚とを向き合わさせてごらんなさい。
「第二の要素である声の参加は、原始感情の闘争へこころよい宥(なだ)めの作用をおよぼし、その流れにひとすじの規定され統合された進路を与えるでしょう。
「一方、人間の心は心で、そういう原始感情を取り入れることによって 限りなく強化され拡充されて、以前は最高のものを漠然と予感していたのに、今度はそれを神の意識に変えて、はっきりと内部に感じることができるようになるでしょう 」


架空の「ベエトオヴェン」は、「」に 言葉についての見解を述べます。
「もちろんこの問題の解決を試みると、いろいろ厄介なことにぶつかります。
「歌わせるためには言葉が要ります。だがそういうあらゆる要素の統合の基礎となるような詩を言葉で表現することを 誰ができましょう。
「文学はそこで控えていざるを得ない、と言うのも言葉は この問題に対してあまりにも弱い器官だからです。」


架空の「ベエトオヴェン」が いよいよ自作の第9交響曲に言及します。
「私はいずれ一つの新作をお聞かせするつもりですが、そうすれば今日述べたことをお思い出しになるでしょう。新作は合唱付きのシンフォニイです。お断りしておきますが、助けを求められた文学が不十分だという厄介なことを片づけるのは、どんなに困難だったでしょう。だが結局シラアの美しい讃歌『歓びに寄せる 』を使うことに決めました。もちろんこの場合でも 世界中のいかなる詩も表現できないものを表現しようとする事は思いもよらぬことですが、ともかくも この讃歌は高尚な高揚的な作品です 」

 「」は、感激のあまり目に涙を浮かべ ベートーヴェンの足元にひざまずきたくなる衝動に駆られます。「」の大いなる感動に気づいた(架空の)ベートーヴェンは、最後にそんな「」を「半ば憂鬱に、半ば揶揄的にほほえみながら見て」云います。
「この新作が問題になったら、弁護していただけるわけですね。どうか私を忘れないでいてください。(中略 )世間の人々は、彼らが美しくていいものだと思いこんでいるものを私が書くように要求しているのです。しかし彼らは、このあわれな聾者(原文ママ )がまったく自分自身の考えを持たなければならない、という事は考えていないのです。つまり私は自分で感じる以外には作曲することができない、ということをですね。彼らがきれいだとするものは、私は考えたり感じたりはできないのです 」彼は皮肉につけ加えた、「ということが、まさに私の不幸なのです。 」

 そう言うとベエトオヴェンは立ち上がり、早い短い足どりで部屋を横切って歩いた。私はふかく心の奥底まで感動していたが、同じく立ちあがった。私は身体がふるえているのを感じた。身ぶりでも筆談でも、話をつづけることは私にはできなかったであろう。今は 私の訪問が先生にとってうるさくなりかねない潮時がきたことを私は意識した。感謝と別離の深い感情のこもった言葉を、紙にかくことは あまりにも白々しく思われた。私は帽子をとり、ベエトオヴェンの前へすすむと、私の心に起こったものを 私自身の目なざしで読んでもらうことで満足した。
ベエトオヴェンには私の心がわかったらしかった。「おかえりですか 」と、彼は訊ねた。(中略)「ではお達者で 」と彼はつづけた。
「私をおぼえていてください。不愉快なときは いつも私をおもってがまんしてください。」


(以上、岩波文庫から引用させて頂いた文章は 青字で 表記 )

 物語の最後に 「 」と 例の “救いがたいイギリス人とのエピソードが 短くエピローグ的に綴られ、思わず頬が緩む後味を残すのですが、もしご興味をおぼえたら ぜひ訳文岩波文庫)を お読みになってみてください。

スケルツォ倶楽部 小説 ベートーヴェンまいり 高木卓 岩波文庫

次回につづく

参考文献
Wikipedia ワーグナーの楽曲一覧 
ベエトオヴェンまいりワアグナア髙木卓/訳 )岩波書店
素描の自叙伝ワアグナア、髙木卓/訳 )岩波書店
大音楽家・人と作品 ヴァーグナー(髙木卓 )音楽之友社
ワーグナーの世界(オードリーウィリアムソン、中矢一義/訳 )東京創元社
クラシック音楽作品名辞典(井上和男/編著 )三省堂


↓ 清き一票を
にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ
にほんブログ村
にほんブログ村 音楽ブログ ジャズへ
にほんブログ村

クラシックランキング

ジャズランキング
Club Scherzo, since 2010.1.30.

関連記事
スポンサーサイト



コメント

コメントの投稿

トラックバック

トラックバック URL
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)