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ワーグナーの劇的な前半生 ⇒ もくじ
スケルツォ倶楽部_ワーグナーの劇的な前半生

序曲「ファウスト 」
(ブーレーズ / ニューヨーク・フィル / CBS盤 )
を聴き、作曲の真意を想う。


 今晩は、“スケルツォ倶楽部発起人です。
 さて、ワーグナーの ドラマティックな遍歴時代を辿る旅路もいよいよ“パリ放浪時代”に突入です。
 1839年 9月16日早朝、「恐れを知らぬ若者 」26歳のワーグナーは ゴミゴミした市場が立て混んだ立地の古い建物“モリエール館”五階にある狭い貸間に 妻ミンナと愛犬ロッパー君を連れ、転がり込みました。

 フランス上陸直後に滞在していたブローニュ=シュル=メールで、幸運にも 同朋の先輩オペラ作曲家マイヤベーアの知遇を得、彼に書いてもらった推薦状を携えると パリ・オペラ座の支配人デュポンシェルヴァリエテ座の劇場監督デュメルサンルネサンス座の支配人ジョリーといったパリ在住の大物に 次々と積極的な表敬訪問(営業活動? )を開始します。成功者マイヤベーアのおかげで 最初は何処を訪れても好意的な応対を貰えることにぬか喜びしていたワーグナーも、しかし そこからは何事も先へ進まぬことにようやく気づき、徐々に迫りくる経済的な困窮に 不安と焦りが拍車を駆けます。

 もはや生活のために仕事を選んではいられなかったのでしょう。上演されるまでに膨大な時間を要するオペラ(いえ、上演されず全てが徒労に終わる可能性さえある )と違い、手っ取り早く需要もありそうに思えたのか、この時期 - 1839年の冬から翌40年にかけて - ワーグナーは、多くのフランス語の歌曲を残しています。が、これらが 今日(こんにち )リサイタルの演目に採りあげられることは稀です。

ワーグナー 歌曲集 Wagner sämtliche Lieder グンドゥラ・シュナイダー Gundula Schneider ヨッヘン・クプファー Jochen Kupfer
パリ時代の知られざる歌曲が聴ける貴重な一枚
歌曲全集 Sämtliche Lieder

  グンドゥラ・シュナイダー(メゾ・ソプラノ )Gundula Schneider
  ヨッヘン・クプファー(バリトン )Jochen Kupfer
  フェリツィタス・ストラック(ピアノ )Felicitas Strack

  ディーター・クルツ(合唱指揮 )Dieter Kurz
  ヴュルテンベルク室内合唱団 Württembergischer Kammerchor
  スザンヌ・コルネリウス(ソプラノ )Susanne Cornelius
  ベルンハルト・ゲルトナー(テノール )Bernhard Gärtner
  エリーザベト・フェルホーフェン(朗読 )Elisabeth Verhoeven
歌曲「墓がばらに囁いた 」La tombe dit a la rose (02:15 ) WWV.56
歌曲「眠れ、わが子よ 」Dors, mon enfant (02:41 ) WWV.53
歌曲「エクスタシー 」Extase (02:18 ) WWV.54
歌曲「期待 」Attente (01:50 ) WWV.55
歌曲「ミニョン 」Mignonne (02:03 ) WWV.57
歌曲「すべては束の間の幻 」Tout n'est qu'images fugitives (02:23 ) WWV.58
歌曲「二人の擲弾兵 」Les deux grenadiers (06:25 ) WWV.60
歌曲「メアリースチュアートの別れ 」Les adieux de Marie Stuart (06.50 ) WWV.61

併録曲:
ゲーテの『ファウスト』への7つの場面 WWV.15、合唱曲「フリードリヒ・アウグスト陛下に捧げる忠実なる臣下の挨拶 」WWV.71、歌曲「もみの木 」WWV.50、ヴェーゼンドンク歌曲集 WWV.91
録音:2002年11月
音盤:Bayer Records BR-100349

 このディスクに収録されているフランス語歌曲のうち「墓がばらに囁いた 」と「エクスタシー 」は、ワーグナーの作品(WWV番号 )一覧では「未完、断片のみ 」とされる楽曲ですが 前者は無伴奏で、後者もおそらく中途の書き残された個所まで丁寧に歌われています。
 子守唄「眠れ、わが子よ 」の柔和な旋律線は、後の「オランダ人 」で「糸車の紡ぎ歌 」への萌芽に聴こえなくもありません。佳作「期待 」は 逸り湧きたつ心を抑えるシューベルト風な歌曲。ロマンツェ「すべては束の間の幻 」は、ワーグナー独特の美しく上昇するメロディ・ラインを描いています。
 ベルリーニ風のロマンツェ「メアリー・スチュアートの別れ 」は、当時パリ・オペラ座の歌手らの歓心を得ようと ワーグナーが必死にこしらえた痕も痛ましい作品です。オペラ座で上演されていた歌劇「ノルマ 」(ベルリーニ )でもヒロインの父オロヴェーソを演じていたラブラーシュというバス歌手に、ワーグナー第二幕で歌って貰えるよう追加アリアを独自に足すことを提案するのですが、あっさり本人から却下されるという憂き目にも遭っているそうです。あのプライドの高いワーグナーが・・・ これほど屈辱的な仕打ちにも よくぞ辛抱強く耐えたものです。
 そんな中、最も注目される歌曲は パリで親交をもったハイネ作詩(仏訳 )による「二人の擲弾兵 」でしょう。四年後に同じ歌詞(オリジナル独語 )に曲をつけることになるロベルト・シューマンの作品のほうが 今日ではずっと高名ですが、詩の後半「マルセイエーズ 」の旋律を、シューマンとは異なる方法で - (声楽パートでなく )ピアノ伴奏部に引用するというアイディアなど、もっと認識されてもよいのではないかと思います。


 さて、マイヤベーアの紹介で訪れたパリ音楽院で ドイツ系の名指揮者アブネックと知り合ったことは、ワーグナーにとって 特筆すべきインスピレーションをもたらします。彼がパリに滞在していた、まさにその三年の間(1839、40、41年 )アブネックが音楽院オーケストラで催す冬楽季のプログラムに毎年選んだ演目こそ ベートーヴェン交響曲第9番ニ短調 だったのです。
指揮者アブネック habeneck
アブネック François Antoine Habeneck(1781-1849 )は、パリ・オペラ座管弦楽団の音楽監督としても知られ、この当時は パリ音楽院管弦楽団の終身名誉指揮者でした。
 当時は まだ一般に「未知のシンフォニー 」だったとされる「第九」を、すでに学生時代 総譜からピアノ譜に編曲したこともあるワーグナーにとって、この交響曲はよく知っている作品でした。が、実際にオーケストラで鳴らされるのを聴く機会は決して多くなかったと思われます。
 ゆえにアブネックが指揮するパリ音楽院管弦楽団のリハーサルを見学に三年間通い続けたことで、あらためてベートーヴェンへの感銘を深めたワーグナーは、まさに「異郷の空の下にあって、故国の音楽の神髄に初めて触れた(髙木卓 )」といっても過言ではない心境だったことでしょう。
Beethoven_部分_Joseph Karl Stieler、1820 Goethe(Wikipedia).jpg
 そんなパリの地に在りながら、故郷ドイツの偉大なベートーヴェン第九に あらためて刺激されたワーグナーは、かつて少年時代に感銘を受けた もう一人のドイツの巨人、文豪ゲーテの「ファウスト 」を題材にした器楽作品 - 交響曲 - を突然 衝動的に手がけます。ろくにスケッチもせず、それはもう鬼神の勢いで 1840年 1月には「第一楽章 」を総譜まで書き上げてしまいますが、そこまで作ったら 落ち着いてしまったのでしょうか、気が済んだのでしょうか(?)シンフォニーの創作は そこでストップ、完成した単一楽章 序曲「ファウスト 」として完結させるのでした。

ブーレーズ 序曲「ファウスト」(ワーグナー)CBS ピエール・ブーレーズ
序曲「ファウスト」Ouvertüre“Faust”
ピエール・ブーレーズ 指揮
ニューヨーク・フィルハーモニック

併録曲:
楽劇「ニュールンベルクのマイスタージンガー 」第一幕への前奏曲、歌劇「タンホイザー 」序曲、楽劇「トリスタンとイゾルデ 」前奏曲と愛の死
録音:1971年 9月24日 ニューヨーク
音盤:CBS / ソニー SOCL-1130

 暗闇の中から徐々にその身をもたげる 闘争的な性格を秘めた主要主題は、偉大なベートーヴェンの「第九 」と同じニ短調です。光り輝く副主題の登場に伴って 上昇する弦セクションの美しい分散和音の動きは、旧作「妖精 」序曲の技法によく似ています。しかし それも一瞬のこと、間もなく天空には あっという間に黒雲が大きく広がり、コンサートホールから急激にあらゆる光を奪ってゆきます。それもまた「エグモント序曲を思わせる ベートーヴェン的な突風を伴った、恐ろしくも格好よい エモーショナルな展開となります。
 特に、今宵あらためて聴き直して気づいたブーレーズ盤の素晴らしさたるや、安全運転なサヴァリッシュ(EMI)盤などと比較すれば、後半に加速するスピード感、表現の力強さ、猛烈にクレッシェンドをかけるティンパニの効果など、それはもう目覚ましく、さあ この先 一体どうなるのか、70年代の強靭なニューヨーク・フィルによる さらなる激しいオーケストラの嵐を期待していると・・・ おや? 意外に台風はあっさりと通り過ぎ、それこそ拍子抜けするほど大人しく しぼんでしまうのです。 え? も、もう終わりですか。ちょっと短くありませんか ワーグナー先生? これではフラストレーションたまります。しかも結尾に置かれた 何とも中途半端に聴こえるパートも 私には 今ひとつ意味不明です。
 そもそも標題音楽である筈なのに ワーグナーが この序曲の総譜冒頭に記した具体的なプログラムが 「ファウスト第一部からの引用という、以下の文章三行だけって・・・? それでも読んでみましょう、どれどれ。

― (ファウスト )の心の中に住む神は、私の存在すべてを動かすことができる。そして私のすべての力を司(つかさど)ってはいるが、しかし 神は、私の周囲の何ものをも動かすことはできない。だから、私の苦悩多い人生で希(ねが)うものは死であり、自己の存在を否定することである。

 上記の引用個所(青字 )は、藤田由之氏の解説文(音楽之友社 )に拠ります。
 ここは 「ファウスト第一部の巻頭で、あらゆる学問を究めた末に絶望し、自死を選ぼうとしていたドクトル・ファウストの心の叫びでしょう。あるいは「自己の存在を否定する」者とは、間もなく 博士の目前に 犬の形を借りて現れるメフィストフェレスに他なりません。
 あ、もしかしたら・・・ と、ここからはスケルツォ倶楽部発起人の思いつきになりますが、そもそも ワーグナー序曲「ファウスト 」という作品は、文豪ゲーテが著すことになる 壮大なドラマの まだほんの発端部分に立ったばかりの 老ファウストの絶望 - あらゆるすべてのものに希望を失った挙句 自死をさえ選ぼうとした - 的な 荒涼たる心象風景をこそ 20代だった作曲者は 描きたかったのではないでしょうか。それこそ、花の都パリで 立往生し 途方に暮れる 若きワーグナー自身の心象風景でもあり、ゆえに 作曲者は これを 単に「序曲」と(ある意味 謙虚に )名づけることによって、次なるシーンの劇的なる展開 - メフィストフェレスの訪問のような - を渇望する心境だったということではないでしょうか、実は?

次回につづく

スケルツォ倶楽部 ワーグナーの劇的な半生 - フランス語の歌曲(グンドゥラ・シュナイダー他 Bayer盤 )を聴き、序曲「ファウスト 」(ブーレーズ ニューヨーク・フィル CBS盤 ) に頭を抱える
参考文献
Wikipedia ワーグナーの楽曲一覧
素描の自叙伝ワアグナア、髙木卓/訳 )岩波書店 
大音楽家・人と作品 ヴァーグナー(髙木卓 )音楽之友社
ワーグナーの世界(オードリー・ウィリアムソン、中矢一義/訳 )東京創元社
クラシック音楽作品名辞典(井上和男/編著 )三省堂


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