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ワーグナーの劇的な前半生 ⇒ もくじ
スケルツォ倶楽部_ワーグナーの劇的な前半生

歌劇「リエンツィ 」
(ルネ・コロ他、ホルライザー指揮 /
ドレスデン・シュターツカペレ / EMI盤 )を 聴く。


 今晩は、“スケルツォ倶楽部発起人です。
 今月に入って 何かと多忙で 二週間ほど失礼してました、スミマセン。
 さて、若きワーグナーのドラマティックな“遍歴”時代の動向について書きながら、その時期の知られざる作品を自室のCD棚の中から探し出してきては あらためて耳を傾ける日々。
 今宵もまた前回までの - 1837年秋に就任した 帝政ロシア領リガ(現在のラトヴィア )の歌劇場で二年間、音楽監督として指揮・演出・上演の実績を残していたところから - 続きを述べてまいりましょう。

 何といってもまだ25歳 - 若きワーグナーは、いつ蒸発するかわからない年上の“爆弾妻”ミンナを傍らに、先年ドレスデンで入手した「リエンツィ」独訳を壮大なグランド・オペラに仕立てる構想を練っています。そんな田舎歌劇場の音楽監督に 劇団の支配人が持ってきた次なる仕事は、この土地の水準に合わせた楽しいヴォードヴィル台本に付ける音楽の作曲でした。
【オルゴール内蔵】生誕200周年ワーグナー 限定テディベア(グリーンハーマン社 ) < Fort mit dem Tier ! Was taugt mir der Bär ?
グリーンハーマン社製 / ワーグナー生誕200年記念テディベア
(内蔵オルゴールは「ローエングリン」の結婚行進曲 )
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 それは、幸福なクマつかいの一家 という、寄席や漫才の要素も併せ持った 大衆的な娯楽芝居だったようです。
 ローマ帝国最後の護民官の深い苦悩を脳裏に描く一方で、次の瞬間 クマ使い芸人家族の低俗な恋物語の展開に頭を切り替えることを求められたワーグナーは頭をかきむしり、途中二曲ほど作曲したものの「アダン風の軽率な音楽に対する同意が堪ら」なくなり「嫌悪の情をもってこの作品を手放した 」と自伝にあります。
 そんな意見の一致しなかったワーグナーのことを、劇場支配人が解雇しようと水面下で画策、御しやすい他の音楽指揮者を雇おうとしていた事実が判明するのが、1839年の春のこと。
 すでに「リエンツィ第一幕まで作曲し終えていたワーグナー、新作歌劇の進捗には 今までにない大きな手応えを感じており、自身の「芸術的実力が増した 」ことを自覚していました。傑作の予感に満ちた偉大な「リエンツィ 」を こんな片田舎の小劇場などではなく、大都市の、それも花の都パリで上演したい、という誇大な思いにとらわれていたところでしたから、もはや迷うことなく妻ミンナと愛犬ロッパー君(ニューファウンドランド種 )だけを引き連れ、同年 7月リガの町を後にします。

 しかし、彼らが進もうとするコースは なぜかまっすぐフランスの方角には向いていませんでした。なぜ? ワーグナーは 若い頃から貯蓄心が欠如している上、他人に借金することに躊躇しない困った性格で、すでにマクデブルグ劇場、ケーニヒスベルク劇場時代からの返済不能な案件で いくつも訴訟沙汰にされていたのでした。さらに、当時リガでは入国者や出国者の氏名が法令で新聞等に公示される習慣でしたから、ワーグナーが正規に届けを出して出国しようものなら、そういった情報に目を光らせている債権者らが国境で待ち構えていることは必至。普通なら身動きとれぬ状態であるところ、この「恐れを知らぬ若者 」の頭にひらめいたのは、密かに夜逃げするという名案でした。
 早速 自分自身は「農民 」姿に、妻ミンナは「木こりの女房 」の姿に、ロッパー君は「猟犬 」に(笑 )それぞれ変装して ロシアプロイセンの国境地帯に設けられた監視小屋に待機する哨兵の目を巧みに避け越境に成功、ケーニヒスベルクの港からロンドン行きの帆船に乗り込みます。パリへ行くのにロンドン経由という遠回りの、しかも海路を選んだのは、当時陸路より費用が安かったことと 債権者の目を欺く必要があったためでしょう。
 そんなワーグナーの航海は、まるで天罰のような酷い暴風雨に遭遇します。強風で北海を遠くノルウェー南端まで流され、ザンドヴィーゲンという峡湾に避難して沈没を回避したそうです。
 後年、ワーグナーは「さまよえるオランダ人 」の嵐の海の場面で、ノルウェー船のダーラント船長に「ここはザンドウィーケだ。この湾なら私はよく知っている 」と言わせていますよね、そりゃ「よく知ってる 」わけです、この台詞 そのまんま実体験なんですから(笑 )。
 そんな経緯を辿って ワーグナー夫妻がロンドンに到着したのは、ケーニヒスベルクピラウを出港してから 何と三週間半も後 - 8月12日 - のことでした。
 さらに翌週 8月20日 ドーヴァーから英仏海峡を渡ったワーグナーは、フランス対岸の港町ブローニュ=シュル=メールに着きます。目的地たるパリを目前に 彼がここでしばらく滞在することにしたのは、作曲中の「リエンツィ 第二幕の総譜を書き上げるためでした。

 さて、もう待ちきれません。ここで 歌劇「リエンツィ 」を聴いてしまいましょう。
 私“スケルツォ倶楽部発起人の手元にあった唯一の全曲盤は、ルネ・コロがタイトルロールを務めた、ホルライザー/ドレスデン・シュターツカペレ(EMI )盤です。

ハインリヒ・ホルライザー Heinrich Hollreiser ワーグナー 歌劇「リエンツィ」(ホルライザー)EMI盤 Cola di Rienzo
ワーグナー
歌劇「リエンツィ」全曲

ハインリヒ・ホルライザー指揮 Heinrich Hollreiser
ドレスデン・シュターツカペレ Staatskapelle Dresden
ライプツィヒ放送合唱団 Leipziger Rundfunkchor
配役
ルネ・コロ René Kollo(テノール ):リエンツィ Cola Rienzi ローマの護民官
シフ・ウェンベルク Siv Wennberg(ソプラノ ):イレーネ Irene リエンツィの妹でアドリアーノの恋人
ジャニス・マーティンJanis Martin(メゾ・ソプラノ ):アドリアーノ・コロンナ Adriano Clonna コロンナ家の長男でイレーネの恋人
ニコラウス・ヒルレブラント Nikolaus Hillebrand(バス ):ステファーノ・コロンナ Steffano Colonna コロンナ家の当主、アドリアーノの父
テオ・アダム Theo Adam(バス ):パオロ・オルシーニ Paol Orsini オルシーニ家の当主
ジークフリート・フォーゲル Siegfried Vogel(バス ):枢機卿ライモンド Raimond 法王の特使
ペーター・シュライヤー Peter Schreier(テノール ):バロンチェッリ Baroncelli ローマ市民
ギュンター・リーブ Günter Leib(テノール ):チェッコ・デル・ヴェッキオ Cecco Del Vecchio ローマ市民
インゲボルク・スプリンガー Ingeborg Springer(ソプラノ ):平和の使者
音盤:EMI(CDM 7 63980 2 )CD 三枚組
録音:1974年 8月・ 9月、1976年 2月・ 4月 ルカ教会、ドレスデン


 歌劇「リエンツィ」 - オペラそのものが上演される機会は今日 殆どありませんが、単独で演奏されることも多い有名な序曲は、その冒頭 たった独りトランペット奏者が無伴奏で単音(A )を長く延ばす、不思議な開始です。この序曲を初めて聴いた時、私“発起人”は この音に何とも言えぬデ・ジャヴを感じました、正確には既視感ならぬ「既聴感 」 - それは言うまでもなく、ベートーヴェンの「フィデリオ 」の舞台裏から響いてくる、あの主人公らの救済を告げるトランペットの記憶と同じ種類のものでした。歌劇の序曲は、常に舞台本編に先立って 少しだけ聴衆に明かされる「未来の予感 」でもあります。
 「リエンツィ 」において、序曲で聴衆の耳に届く 長く延ばされたトランペットの音は、やがて自由の狼煙(のろし )を上げて蜂起する ローマ市民の徴(しるし )です。第一幕リエンツィが 広場に集まった民衆に朗々と歌う「トランペットが長く響き渡る音を聞いたなら 」"Doch höret ihr der Trompete Ruf"で、これが自由を求め 立ち上がる市民に呼びかける符牒だったことがわかります。
 しかし、終幕(第5幕 )の幕開けでは、抵抗勢力に裏切られ続けた末に法王から破門を告げられ、挙句味方だった市民らにまで背かれて敗色濃くなったリエンツィの耳に聴こえてくるトランペットの長く延ばされた音 - もはや戦いへのファンファーレではなく、リエンツィ自身の内面へと深く思索が向かう「神への祈り 」の主音となります(序曲では、その音はAでしたが、最後の場面ではB♭に半音上昇しています )。彼の求める精神が、もはや異なる次元へと移行したことを表しているようにも 私には聴こえます。
ルネ・コロ René Kollo ジークフリート・フォーゲル Siegfried Vogel ニコラウス・ヒルレブラント Nikolaus Hillebrand テオ・アダム Theo Adam
▲(左から )ルネ・コロ(リエンツィ役)、ジークフリート・フォーゲル(枢機卿ライモンド役 )、ニコラウス・ヒルレブラント(コロンナ役 )、テオ・アダム(オルシーニ役 )

 さて、「リエンツィ 」作曲に当たっては、若きワーグナー自身「感激に満たされ 」「ひたすら心に食いこむ感情に身を任せ 」「たとえ わずか一小節にもせよ、意識的に皮相または陳腐になることを思えば慄然たるものがあった 」(「素描の自叙伝 」より 高木卓/訳 )という熱い描写から、これに全身全霊で取り組んでいたことが伝わってきます。ドラマ的には、リエンツィの勝利-裏切り-戦と勝利-再び裏切り-そして敗北 という、まるで足利尊氏の救いのない生涯を追うように、戦に次ぐ戦の描写が繰り返し続き、主人公の感情と市民らが護民官への不信の念を徐々に募らせてゆくプロセスにこそ説得力はあるものの、その都度若きワーグナーのエネルギーが全開で注がれているため、最終的にリエンツィが孤立して悲劇的な幕切れに至るまでを聴いていると、もうくたくたに疲れきってしまいます、もちろん歌い演じる側は言うに及ばずでしょう。

 けれど当ホルライザー盤をあらためて聴いてみると、そんな若き作曲者の内面に湧きあがった霊感を聴き手にダイレクトに伝え得る、猛烈に覇気の漲る、熱い素晴らしい名演でした。残念ながら、随所でテープを繋いだ個所が露骨に聴きとれる雑な編集だけは 些か興醒めですが、それでも全体の流れを損なうまでには至っておりません。
 弦セクションの演奏は 私“発起人”好みの、まさに“剃刀のような切れ味”を楽しめます。特に両翼に対抗配置されたヴァイオリン二部は、両スピーカーからはっきりそれと判るステレオ効果で 眼前に切迫してくる迫力、手に汗を握ります。
 オーケストラの重要なアクセントであるティンパニ奏者、これも私“発起人”が愛好するケンペリヒャルト・シュトラウス(特に「ツァラトゥストラ~ 」)やサヴァリッシュシューマン交響曲全集(いずれも1973年、EMI盤 )で聴けるのと同様、凄まじい鳴りがとどろく「ドレスデンの太鼓 」特有の打撃に思わず恍惚となります。
 教会を表すオルガンに鐘、舞台裏の四方から聴こえてくるバンダのファンファーレとの距離感も快く、オーケストラ内の輝かしい金管との対比も興味深いレコーディングです。
 群衆シーンが多いのもこのオペラの特徴ですが、ワーグナーゆかりの地ライプツィヒ放送合唱団によるコーラスの力強さも特筆すべき熱唱で、ワーグナーが綿密に書いた 多声部を織りなす美しい混声の綾と、セッション録音であるにもかかわらず荒々しい迫力との共存がとにかく絶妙、実際に上演されるステージ上で これほどまで素晴らしく再現されることは少ないんじゃないかとさえ思いました。
 さらにローマ市民らが「Gegrüsst, sei, hoher Tag ! (万歳、素晴らしい日だ ! )」と大挙 教会に殺到し、喜びを爆発させる臨場感の迫力ったら 一体何でしょう、この興奮は? そして これに続いて姿を現したコロ護民官が「新たに甦れ、偉大なローマよ ! ローマ人は皆自由だ ! 」と宣言。その瞬間 何だか胸の奥から猛烈に熱い昂揚感が湧きあがってくるではありませんか。はっ ! これぞ毒性と感染力の強いワーグナー熱・・・ 私 発起人も 見事にヤラレてしまったようです。注意、要注意・・・ (笑 )。
シフ・ウェンベルク Siv Wennberg ジャニス・マーティン Janis Martin.
▲ (左から )シフ・ウェンベルク(イレーネ役 )、ジャニス・マーティン(アドリアーノ役 )

 ワーグナーが若い頃から好んで題材に選んできた(たとえば破棄された初期の「婚礼」なども )互いに対立する勢力に所属するがゆえに苦しむことになる恋人たちの姿は、将来的に「トリスタン~ 」に昇華されますが、「リエンツィ」においても護民官の妹イレーネと、護民官に敵対する貴族コロンナ家の長男(アドリアーノ )という関係の中に、明白に現われます。
 第一幕で歌われる そんな恋人たち(イレーネアドリアーノ )の生き生きとした二重唱たとえ世界が崩れ、あらゆる希望が断ち切られても~ 」で信じ合うカップルのアンサンブルを表現する魅力的な旋律の妙。いやいやワーグナー・オペラに この種の女声二重唱なんかあり得ないだろ などと内心考えながら聴いてるから感動できないんですよ、アナタ。このフランス・オペラ風の華やかな女声二重唱ったら、たしかに後年のワーグナーを知る未来の聴者には 信じられないような楽曲ですけど、潔く先入観を掃(はら )って耳を傾ければ、すでにこの時点でドニゼッティベルリーニなんかよりもずっと先を走ってるのは 明らかだと思うんですが。
 ホルライザー盤で聴ける二人のソプラノは、私の耳には声質がとても似ており、歌詞を追わずに聴いていると、重唱などではどちらが歌っているのか 判らなくなることも正直しばしばありました。このようなスタジオ録音では 声の質が異なる歌手をキャスティング段階で揃えることも、録音で鑑賞することになる聴衆への配慮として製作者は大事にすべきではないかと思います。

 さらに、もし視点を変えて このオペラ台本を練ったとしたら、シェイクスピアの“ロミオ”的キャラクターでもある、アドリアーノを主人公にするという案もあり(?)だったのではないか、と私は思います。その場合 女声のズボン役のままではちょっと不都合ですね、ちゃんと男性になって演じてもらいましょう。

ヴィルヘルミーネ・シュレーダー=デフリントWilhelmine Schroeder-Devrient(1804-1860 )
ヴィルヘルミーネ・シュレーダー=デフリント Wilhelmine Schroeder-Devrient(1804-1860 )
 そもそもこの難役は、ワーグナーが若い頃から尊敬の対象だった大歌手ヴィルヘルミーネ・シュレーダー=ドゥヴリアン(デフリント )が、実際に初演で歌うこととなる大役で、構想段階から彼女に演じてもらうことを想定して - 特に第三幕の長大な情景とアリア「神よ、もうすべては決まってしまった 」を - 気合を込めてワーグナーは書いたようです。恋人イレーネを守ろうとすれば その兄リエンツィと敵対している実父に背かねばならない、そんな板挟みの苦悩を切々と表白するアリアですが、珍しくもワーグナーの書いたコロラトゥーラが聴けるという、極めて貴重な一曲でもあります。

 脱線したついでに語り続けると、護民官リエンツィには「恋人がいない 」ことも このオペラの不思議な特徴で(もっとも「私の恋人はローマだ 」などと、やせ我慢して叫んでいましたが )その代わり、最後まで彼のそばに従うことになるのは 妹イレーネなのです。最終的にイレーネは 兄と敵対したアドリアーノに別れを告げ、焼け落ちる殿堂の中、と生死を共にするわけですが、脚本を書いたワーグナー自身 「ヴァルキューレ 」のジークムントジークリンデのように、兄と妹という関係に対し 何か深い思い入れがあったのではないかって、私には思われます。他にも後年、ワーグナーの いわゆるパリ時代 プロットのみ書きかけて破棄した「サラセンの女 」という史劇も、謀殺されかけた若き新王のことを守り、身代わりになって死んでゆくファティーナというヒロインが 実は「王の異母」だったことを告白して息を引き取る、という劇的な最期だったそうです。
 実際ワーグナー自身には が一人いました(リヒャルトチェチーリエ兄妹二人は 他の年上の兄姉たちと異なり、二番目の父ガイヤーの血だったとされ、より深い絆で結ばれていたとも考えられます )。

ブローニュ=シュル=メール
イギリス海峡を臨む潮騒の街 ブローニュ=シュル=メール
 
 ・・・ さて、もとい。
 ブローニュ=シュル=メールに滞在中、ワーグナーに思わぬ偶然が味方することになります。
マイヤベーア Giacomo Meyerbeer
▲ それは、パリグランド・オペラの作曲家としてすでに大成功を収めていた、同朋の先輩ジャコモ・マイヤベーア Giacomo Meyerbeer(1791 – 1864 )がこの地にたまたま逗留していたことでした。これを知るや急ぎ訪問、作曲中だった「リエンツィ」の完成した二幕を見せたところ、たいへん親切にパリでの援助を約束してくれるので、若きワーグナーはもう躊躇することなく目的地パリへと向かうことにします。
 この時の感激を、ワーグナーは自伝にも書いています - 「資金は乏しかったが、おかげでこの上ない希望をもって、私は今やパリに入った。まったく何の紹介もなく、ただマイヤアベエアだけが頼りであった。彼は至れり尽くせりの気のつかいかたで、なにかと私の目的に役だちうることを取りはからってくれそうにみえ、たしかに私は望みの目的がすぐにも叶いそうな気がした 」(「自叙伝 」)-
 しかし、それは 甘い観測だったのです。

次回につづく

スケルツォ倶楽部_ワーグナーのドラマティックな半生
参考文献
オペラ対訳プロジェクト_ Richard Wagner ワーグナー_ Rienzi リエンツィ
Wikipedia ワーグナーの楽曲一覧
素描の自叙伝ワアグナア、髙木卓/訳 )岩波書店 
大音楽家・人と作品 ヴァーグナー(髙木卓 )音楽之友社
ワーグナーの世界(オードリー・ウィリアムソン、中矢一義/訳 )東京創元社
クラシック音楽作品名辞典(井上和男/編著 )三省堂

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