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ワーグナーの劇的な前半生 ⇒ もくじ
スケルツォ倶楽部_ワーグナーの劇的な前半生

序曲「ポロニア(ポーランド ) 」、「ルール・ブリタニア 」を
ヴァルジャン・コージアン/香港フィルハーモニー管弦楽団
Marco Polo) 盤で 聴く。


 こんばんは、“スケルツォ倶楽部発起人です。
 ここ最近、若きワーグナーのドラマティックな“遍歴時代に書かれた作品を、 決して多いとは言えない音盤の中から拾い集めては、連聴しています。

 今宵も 前回の続き、1836年 - ベートマン歌劇団の一座解散に 花を添えるがごとく( ? )大失敗の裡に 華々しく砕け散った歌劇「恋愛禁制 」 - けれど、まがりなりにも 初めて自作の歌劇を 舞台に乗せ、「実上演 」まで果たした、という自己満足によって この時 ワーグナー本人は「ちゃんとした劇場と歌手さえ揃えば、俺のオペラは完成する ! 」という自信と手ごたえを、内心 得ていたのではないでしょうか。
 そんな勢い余って「恐れを知らぬ若者 」23歳のワーグナーは 歌劇「恋愛禁制 」の総譜だけを小脇に抱え、単身ベルリンまで出かけると 何の見込みもないというのにケーニヒシュタット劇場の支配人に面会を申し込むと 自信満々で自作の上演を要請します。が、当然のように玄関払いを食わされてしまいます。そんな扱いは、生地ライプツィヒでも同様でした。一失業者は 厳しい現実を知るのでした。

 ちょうどその頃、一足先にプロイセンケーニヒスベルク劇場へ移っていた妻(正式にまだ婚姻前 )ミンナから、当劇場に「指揮者の口があるから 後任に推薦しておいたよ 」との便り。渡りに舟とばかり当地へ駆けつけ、めでたく彼女と合流(その勢いで、年齢詐称して結婚も )することになった若きワーグナーでしたが、着任してみれば 何と、ここもベートマン劇場同様に 破産寸前な財政状況だったことを知って がっかり・・・。

かつてケーニヒスベルクという美しい街があった
かつてケーニヒスベルクという美しい街があった
たいへん美しい景観だったようですが、第二次大戦で ソ連軍が徹底的に破壊し尽くし、現在は往時の跡形もないそうです。


 この時期、夫婦で静養のため ドレスデンを訪れた際、ワーグナーは 英国人エドワード・ブリュワー=リットン卿が1835年に書いた「ローマ最後の護民官 リエンツィ 」をベールマンの独訳で入手、初めてこれを読んで霊感を受け、プロットのスケッチを書き留めています。

 そんなケーニヒスベルク劇場時代、ここで作曲されたのが 序曲ポロニア(ポーランド ) 」と「ルール・ブリタニア 」の二曲です。いずれも 今日の演奏会場では まず かえりみられることもない稀少なワーグナー作品。どれどれ・・・ と、CD棚を総ざらえしてみたところ、いつ入手したか記憶さえ定かでないものの 一枚だけ 両曲が聴ける貴重なディスクを見つけましたよ。

Varujan Kojian (小)ワーグナー ポロニア、ルール・ブリタニア コジアン 香港フィル Marco Polo 8.220114
序曲「ポロニア(ポーランド )」“Polonia”Ouvertüre WMV.39
序曲「ルール・ブリタニア 」“Rule Britannia” Ouvertüre WMV.42
ヴァルジャン・コージアン 指揮
香港フィルハーモニー管弦楽団
録 音:1983年 1月20~21日 荃湾タウンホール、香港

併録曲:「アメリカ独立100年祝典大行進曲 」、「表敬(忠誠 )行進曲 」
音 盤:Marco Polo 8.220114

 すでに故人となったヴァルジャン・コージアン Varujan Kojian (1935 – 1993 )指揮による ワーグナー没後100年を記念してレコーディングされたと思しき この録音によって 私 発起人が初めて聴いたオーケストラ、香港フィルハーモニック。すでに35年以上も前の演奏ですから、今日のレヴェルとは一概に比較できないでしょうが、この当時でも音響バランスに長け 過不足を感じさせない熱演です。しかし、ここでは おそらく録音のせいでしょう、サウンドの質感が薄く、重厚さにも欠けますね。
 序曲「ポロニア(ポーランド )」 - 1830年11月に蜂起したワルシャワ革命は、全ヨーロッパに衝撃を与えましたが、 9ヶ月後には 圧倒的な武力を有する帝政ロシア軍によって鎮圧、その翌年以降にはポーランドからの政治亡命者が次々とライプツィヒへ逃れてきては 当地で歓迎を受けています。
 当時、聖トーマス教会カントルであるヴァインリヒ師に就いて 楽理を学んでいた少年ワーグナーは、このニュースを亡命ポーランドの活動家から直接聴き、大いに刺激を受けたはずです。そんな心情を反映して作曲された 序曲「ポロニア 」 - この当時 すでに全体のスケッチは完成されていました。それが、ケーニヒスベルク滞在中に、初めて 総譜化・完成されます。
 暗い序奏は 帝国ロシアの圧政下に喘ぐポーランド市民を表すようですが、やがて解放を告げるファンファーレを経てポーランド国歌に基づくアレグロ・モルトの新しい主題(国歌そのままの形では使われてはいません )が提示され、後半はオーケストラによる快活なマズルカから行進曲風な曲調へと転じ、最後は華々しくコーダが築かれます。
 序曲「ポロニア 」が演奏される機会は なかなか訪れず、ようやく初演されたのは、ワーグナーが すでに68歳(1881年 )になってからのことでした。
 もう一つの 序曲「ルール・ブリタニア 」  -  プロムスの大合唱でもおなじみ イギリスを擬人化した女神“ブリタニア”が世界を支配するという、英国の愛国歌トーマス・アーン作曲、1740年 )が原曲。その原曲メロディを大きく崩すことなく、オリジナルの形を尊重しつつ何度も繰り返されます。変奏と呼べるほどの展開も殆どありません。最初にテーマを提示した後で、一度全体が伏せて沈むようなパートを経過するものの、間もなくファンファーレが繰り返され、オルガンが鳴り、行進曲調へ前進するリズムでメイン・テーマをその後 何度も延々と繰り返し、なかなか終わりません。
 この曲の初演は 作曲後まもなく、ワーグナーケーニヒスベルク歌劇場にいた頃、彼自身の指揮によって歌劇場で行われたそうですから、明らかに機会音楽と思われますが、誰がどういった経緯で依頼したのか、詳細が書かれた資料を見つけることができませんでした。
 尚、余談ですが ワーグナーが(1839年、渡仏途上でロンドンを通過した時を除く )イギリスを訪れ 8回もの演奏会をロンドンで指揮したのは 1855年3月のこと。が、その時「外来の指揮者で こんなにも法外なことをオーケストラにも聴衆にも要求し、こんなにも後味の悪い印象を残していった者は かつていなかった(伝;武川寛海 ) 」という評が残っているそうです、一体何があったのでしょう。この時の演奏プログラムをぜひ知りたいものです。少なくとも序曲「ルール・ブリタニア 」を演奏することはなかったようですね。

リガ(現在のラトヴィア )
リガ(現在のラトヴィア
 さて、その後 ワーグナー夫妻は 1837年の秋、さらに帝政ロシア領リガ(現在のラトヴィア )へ赴き、そこで新しく旗揚げされた歌劇場へと移ります。その地で 二年間 音楽監督としてとどまることになるのですが、最初の年には15曲、翌年には24曲もの新しいオペラのレパートリーを指揮・演出・上演したそうですから、大した仕事量でしょう。
 さらに驚くべきことに、そんなリガ歌劇場での仕事と同時進行で、ワーグナーは 次なる大作「リエンツィ 」の台本執筆と作曲とに着手しているわけですから、その創作意欲の旺盛さは、もはや超人並みと言ってよいでしょう。

次回につづく

参考文献
Wikipedia ワーグナーの楽曲一覧 
素描の自叙伝ワアグナア、髙木卓/訳 )岩波書店
大音楽家・人と作品 ヴァーグナー(髙木卓 )音楽之友社
ワーグナーの世界(オードリー・ウィリアムソン、中矢一義/訳 )東京創元社
クラシック音楽作品名辞典(井上和男/編著 )三省堂


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