FC2ブログ
   
訃報・追悼
スケルツォ倶楽部 Club Scherzo
メニュー は こちら ⇒ Novel List
全記事一覧 ⇒ こちら

イェルク・デムス逝去、
弔意とともに感謝を表明する(2019年 4月16日 )。

追悼イェルク・デムス

訃報 / オーストリア
ウィーンのピアニスト、イェルク・デームス
4月16日 ウィーンで死去 90歳。

 オーストリアのピアニスト、イェルク・デームス が 4月16日に亡くなった。90歳だった。
 フリードリヒ・グルダ、パウル・バドゥラ=スコダとともに「ウィーン三羽烏 」と呼ばれた存在。バッハ、モーツァルト、シューマンといったドイツ=オーストリアのレパートリーを中心に350枚を超えるL.P. 200枚を超えるCDをリリース、国際的に高い評価を受けてきた。
 1961年の初来日以来、毎年のように来日した親日家で、2011年春の東日本大震災後の時にも 多くのアーティストが来日をキャンセルする中、訪れて演奏会を開いている。2018年11月には東京でも90歳を迎えた記念リサイタルを開き、これが最後の来日となった。
 デームスは1928年、ウィーンの西に広がるザンクト・ペルテン生まれ。父親は高名な美術史学者オットー・デームス、母親はヴァイオリニストだった。11歳で ウィーン音楽アカデミーに入学、ウォルター・ケルシュバウマー、ハンス・スワロフスキー、ヨーゼフ・クリップス、ヨーゼフ・マルクスから指導を受けた。1945年に卒業した後も、パリでイーヴ・ナットに師事。その後、ザルツブルク音楽院でヴァルター・ギーゼキングにも師事、さらにヴィルヘルム・ケンプ、アルトゥーロ・ベネデッティ=ミケランジェリ、エトヴィン・フィッシャーら 伝説的な巨匠の薫陶を受けた。1956年のブゾーニ国際コンクールで優勝。その後、世界的な活躍を続けてきた。
 伴奏者としての評価も高く、ソプラノのエリーザベト・シュヴァルツコップ、バリトンのディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ、ヴァイオリンのヨーゼフ・スークといった名演奏家のパートナーとしても活躍した。ザルツブルク郊外に設けた拠点「ムゼオ・クリストフォリ 」に歴史的な鍵盤楽器のコレクションを陳列し、毎年夏にはマスタークラスを行っていた。

(以上、青字 月刊音楽祭 より、一部加筆の上 引用 )

追悼イェルク・デムス師
▲ 浜松市楽器博物館の開館(1995年 )に伴い制作された記念盤(HJD-001 )の画像より


 ピアニスト、イェルク・デムス Jörg Demus 師は、私 “スケルツォ倶楽部発起人が、幼い頃よりその演奏に(音盤を通してのみでしたが )親しむことによって、音楽を愛する心を育まれた土壌とも言える存在のひとりでした。ありがとうございました、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
イェルク・デームス Jörg Demus イェルク・デムス Jörg Demus(ウェストミンスター国内盤) イェルク・デムス(DHM シューベルティアーデ ) イェルク・デムス来日公演(2018年11月)

 私がこの個人的なブログ - スケルツォ倶楽部 - を始めるにあたって 最初の話題として選んだ一枚が、デムスと若きエリー・アーメリングが共演した「シューベルティアーデ 」(DHM )だったことからも、私の愛着ぶりをお察し頂けると思います( 架空のシューベルティアーデ第一回“歌曲 「岩の上の羊飼い 」 D.965 )。
Schubertiade Ameling, DemusHarmonia Mundi 1967年 イェルク・デムスとアーメリンク
▲ 「シューベルティアーデ 」 SCHUBERTIADE
  エリー・アーメリング (ソプラノ )
  イェルク・デムス (ハンマーフリューゲル )
  ハンス・ダインツァー (クラリネット )
収録曲:歌曲「岩の上の羊飼い 」、12のレントラー、歌曲「幸福 」、「糸を紡ぐグレートヒェン 」、「わたしを愛してはいない 」、「秘めた恋 」、「春に 」、「」、「泉のほとりの若者 」、「ミューズの子
録 音:1965年(DHM )

 またも 思い出ばなし から。
 小四-夏休みのこと。シューベルトの伝記を読んで、まだ未知だった(当時は全部そうでしたが )「糸を紡ぐグレートヒェン 」という歌曲をやたら聴いてみたくなり、銀座数寄屋橋の中古レコード店へ探索に出かけたものの(今思えば 女声限定歌曲であるだけに種類が少なく )どうしても見つけられず、殆どあきらめ気分で 帰りかけたところ、「新入荷 」コーナーに ちょうど店員が投入したばかりの「この一枚 」を拾い上げ、めでたく邂逅を果たせたという幸運・・・。
 大事に抱えて帰宅。何気なくピアニストの名前を眺めると、すでにお気に入りだった「楽興の時 」のレコードでも ピアノを弾いている演奏家と同じであることに気づきました。さらに、当時 聴き始めたばかりだった「冬の旅 」は(まだフィッシャー=ディースカウ盤ではなく )ユリウス・パツァークによるテノール独唱の廉価盤レコードでしたが、このピアノ伴奏者も同じ人物だ・・・ はい、それこそが イェルク・デムス - 私“発起人”が 小四にして初めて その名を意識して聴く 最初のピアニストとなった経緯です。

 そんなアルバム「シューベルティアーデ 」・・・ 大好きなレコードでした(詳しくは過去記事へ )入手した当初は全然意識していませんでしたが、実は、私が音楽を楽しむ在り方において とても重要なレコードとなりました。
 それは、この一枚によって シューベルト歌曲の世界のみならず、19世紀ウィーンのサロンにおける小規模で親密なリサイタルのイメージであるとか、このレコーディングにデムスが持ち込んだ古楽器ハンマーフリューゲルの(生まれて初めて聴く )独特な音色に興味を抱くことが 当時 徐々に注目され始めていた古楽への復興運動、さらにオーセンティックな演奏を指向する潮流など、今日のクラシック音楽を理解する重要なキーワードをすでにいくつも認識させられ、文字どおり手引きしてもらえたことなど、後になって気づいたからです。

 アルバム「シューベルティアーデ 」冒頭に収められた 長尺な「岩の上の羊飼い 」で クラリネットのソロ・パートを務めていたハンス・ダインツァーは、古楽オケの草分け コレギウム・アウレウム合奏団のメンバーでもありました。
 ヴェンツィンガーバーゼル・スコラ・カントゥルム以降、すなわちオリジナル楽器による演奏が一般に聴かれるようになってきた1960年代の商業録音と言えば - 私の個人的な感覚では - レオンハルトアーノンクールよりも、当時はまず コレギウム・アウレウム合奏団の名前を認識するほうが先でした。
コレギウム・アウレウム合奏団 - モーツァルト レクイエム コレギウム・アウレウム合奏団 ベートーベン 交響曲第3番「英雄」
 彼らは、1974年にしてモーツァルトの「レクィエム 」を 初めてバイヤー版でレコーディングしたり、1976年にはベートーヴェン交響曲(「英雄 」 )を 初めて初演当時のオリジナルな小編成で再現したり、まだ古楽演奏自体がもの珍しかった頃にもかかわらず 多種多様な試みに挑戦し、積極的に海外公演もこなしていました。
 そんなコレギウム・アウレウム合奏団を設立させたレーベルでもあった 同じハルモニア・ムンディに在籍していた「ピリオド楽器の収集家イェルク・デムスが彼らと結びついたのは、ごく自然な流れだったと思います。

モーツァルト、デムス、コレギウム・アウレウム モーツァルト、デムス、コレギウム・アウレウム (2)
 (今日の視点からは )古楽のカテゴリーには入らないイェルク・デムスが ソリストとして、最初期の古楽オーケストラ、コレギウム・アウレウム合奏団と共演した、忘れ得ぬモーツァルトピアノ協奏曲のパフォーマンスといえば、第8番ハ長調K.246「リュッツォウ」、第21番ハ長調K.467、第23番イ長調K.488、第26番ニ長調K.537「戴冠式 」、第27番変ロ長調K.595 などを収めた、一連のレコーディングが挙げられるでしょう(ハルモニア・ムンディ、1969年~1975年録音 )。これらは、デムスのコレクションだったハンマーフリューゲルオリジナル楽器オケによる、最初のモーツァルトのコンチェルトでした。
 そんなコレギウム・アウレウムの演奏は、この後 満を持して登場することとなるアーノンクールの、過激で先鋭的な奏法とは無縁の、古楽器の雅でまろやかな音色を 良い意味で楽しめる、(おそらく一般には )聴きやすいものでした。

 けれど間もなく 研究が進むにつれ、コレギウム・アウレウム合奏団の「古楽奏法 」に対し、時代考証の甘さなど、次々と疑問が指摘されるようになります。
 アーノンクールの言葉を引用すると、「わざわざ古楽器を使っても それだけでは作曲当時の演奏を再現したことにはならない、単に『古楽器で 』演奏しているというだけのことだ。弾いている人間は現代人なんだし、演奏も今の時代のもの。モーツァルトが指揮したオーケストラは、今とはまったく違った響きであるはず。古楽器で演奏したからと言って、演奏内容まで『オーセンティック 』になると考えるのは、大間違いだ」と いうこと・・・。このような厳しい問い は、また鍵盤奏者でもあるイェルク・デムス自身に投げつけられた疑義でもあった筈です。

 もし当時のイェルク・デムスが、ここで 歴史的な演奏習慣の復興という方向に大きく針路を切り、その後半生を 時代の波中へ 己が身を投じることによって もうひとりのアーノンクールとなっていた可能性も あったはずです。当時コレギウム・アウレウムのメンバーでもあった 同世代のグスタフ・レオンハルトや年下のクイケン兄弟らは、その後 この道で成功を収めています。
 しかし、それは デムスが目指したい方向ではなかったようです。彼は、その後 古楽研究からは距離をおき、ピリオド楽器はあくまで「骨董収集 」的な趣味領域内にとどまることになります。その代わり、急速に後進の育成が 彼の活動のウェイトを占めるようになったことは、どなたもご存知のとおり。
 あるいは、多少古楽に関わったことを契機に、賢明なるデムス師のこと、この時点で すでに将来の「オーセンティック 」な演奏を指向することとなる 未来のプレイヤー像までをも 透視できてしまったのかもしれません。その結果、演奏家としての自己の能力の限界にも 気づいてしまったのではないでしょうか。
 さりとてコレギウム・アウレウム合奏団の活動はもちろん、デムスの ここまでの功績は、あたかも救世主キリストの来るべき「道を備えし 洗礼者ヨハネ 」的な役割を果たしたようにも 私には感じられるのです。


 さて、デムス師の教育者としての面と、歴史的鍵盤楽器収集家としての側面を両立させた、稀有な生涯の集大成的なCD二枚組セットがあります。
イェルク・デムス Gradus Ad Parnassum イェルク・デムスの拠点ムゼオ・クリストフォリ、ザルツブルク
イェルク・デムス
「グラドゥス・アド・パルナッスム(パルナッソス山への階梯)」

収録曲:CD-1
J.S.バッハ:アルマンド、サラバンド(フランス組曲ト長調 )、フーガ(平均律クラヴィーア集第1集ニ長調 )、シンフォニア 変ホ長調
デムス:シンフォニア 嬰ハ短調
クラーク:アリア
モーツァルト:メヌエット ト長調KV.1、クーラント 変ホ長調KV.399/3、幻想曲 ハ短調KV.396、幻想曲 ニ短調KV.397
ハイドン:アンダンテと変奏 ヘ短調
クレメンティ:ソナチネ ハ長調
ベートーヴェン:バガテル Op.119-3、同Op.126-3、エリーゼのために、ソナタ第31番変イ長調Op.110 ~ 第一楽章
シューベルト:アレグレット ハ短調、「楽興の時」D.780-1、同曲に基づく歌曲「クックスルーフ」、「ピアノに寄せて 」、「モーツァルトの主題による幻想曲」
1829年製ナネッテ・シュトライヒャーを弾くデムス師
:CD-2
シューマン:「メロディ 」、「夜に 」、「ことづて 」(エリー・アーメリング独唱 )、「間奏曲 」(「ウィーンの謝肉祭の道化 」より)、「森の入り口で 」「孤独な花 」「親しみのある風景 」(「森の情景 」より)
シューベルト:「野ばら 」(ヴェレーナ・クラウセ独唱 )、
ショパン:「前奏曲 」Op.28 から4番、9番、11番、15番 & 17番、「夜想曲 」Op.62-2
ドビュッシー:「グラドゥス・アド・パルナッスム博士 」、「ちびくろ」
フランク:「前奏曲、フーガと変奏曲 」
リスト:「ペトラルカのソネット123変イ長調 」
デムス:「アーベントグロッケン 」
ベルク:ピアノ・ソナタ ロ短調から
ブラームス:「間奏曲Op.116-6 」、「狂詩曲Op.79-2 」
ドビュッシー:前奏曲集第一巻から「西風の見たもの 」「沈める寺 」、前奏曲集第二巻から「花火 」
録 音:1997~2000年(一部1962年、1967年、1970年あり )
音 盤:Demusica DEMUSICA-75~76(墺SONY )

 40ページ以上もの豪華なカラー写真集に デムス師が生涯かけて収集に心血を注いできた歴史楽器の解説付き。このプログラムの多くは、デムス師が アカデミーやマスタークラスの教材として学生に選んだ楽曲なのでしょう。
 たとえば モーツァルト幻想曲KV.397アントン・ワルターハンマーフリューゲルベートーヴェンソナタ第31番(第一楽章 )はコンラート・グラーフハンマーフリューゲルドビュッシーの「グラドゥス・アド・パルナッスム博士 」はベヒシュタインアルバン・ベルクの「ソナタ 」(抜粋 )はベーゼンドルファー、ショパンの「前奏曲 」(抜粋 )には1850年製プレイエル・・・ といったように、各楽曲に それぞれ最も適する楽器をデムス師が慎重にチョイス、私たちは演奏を聴きながらカラー写真で楽器を眺め 楽しむことができるのです。各曲毎に全部の楽器の画像を ブログにアップしたくなる衝動に駆られましたが、さすがに それは自粛(って 当然 ? )。
所蔵の卓上フォルテピアノを弾くデムス
 この二枚組セットは、長い間 商業ベースに乗せられることなく、生前デムスのリサイタル会場でのみ頒布されていた逸品だったそうです。商品としては地味な装幀ながら、収録内容の充実たるや驚くほどです。
 おそらく どれも弾きにくい古楽器であるにもかかわらず、出生も背景も異なる楽器を一台一台 慈しむように奏でるデムス師の 日常的な演奏レヴェルの高さに胸を打たれます。

1928年製ネオ・ベヒシュタイン( ! ) Claude Achille Debussy
 そんな収録曲の中でも最大の珍品は、1928年にドイツのベヒシュタイン社がミュンヘンの電子機器会社シーメンスと共同開発したという、世界初( ? )のエレクトリック楽器「ネオ・ベヒシュタイン 」の音が聴けることではないでしょうか。
 ここでデムスドビュッシーが作曲した、もうひとつのケーク・ウォークちびくろ(時と場所によっては差別用語、ご注意 ! )」を弾いてくださいますが、これが実に不思議な音色なのです。同じエレクトリック・ピアノであるフェンダー・ローズの響きにちょっと似ているかなと感じられなくもない音域も - いえ、とても言葉では表現しようがないです。弾き終えると先生、最後に“Ja ! ”と一声・・・(笑 )。ご興味を覚えた方、ぜひデムス師のディスクを購入され ご自分の耳でお確かめください。

19世紀末のエラール、コンサート・グランド フランク
 特筆すべきは、これも二枚目に収録されているセザール・フランクの内省的な「前奏曲、フーガとヴァリエーション 」 - この素晴らしさたるや格別、19世紀末に製造されたエラールコンサート・グランドの深い思索の扉を開くような音色に深く沈澱するような・・・。 特に「ヴァリエーション 」のコーダ、「前奏曲 」のテーマが戻って来る個所で 不覚にも 私“発起人” 目頭を熱くしました。

イェルク・デムス Zauber der Taste
イェルク・デムス Zauber der Taste
 「シューベルティアーデ 」のレコーディングで用いられたハンマーフリューゲルはじめ、膨大な鍵盤楽器コレクションによって楽器収集家としても世界的な知名度を誇ったデムスは1995年 4月、わが国の浜松市楽器博物館が開館するに伴って コレクションのうち約40台( ! )を譲渡(売却 )したのだそうです。その中には、今日オリジナル現存数が世界に四十台以下といわれるアントン・ワルターフォルテピアノ(1808~1810年製造 )や、晩年ベートーヴェンが所有していたのと同型のブロードウッドフォルテピアノなど、貴重な名器が多数含まれています。
 貴重なデムス・コレクションを見学に、機会があったら ご一緒に浜松を訪れてみませんか。ザルツブルクへ行くより ずっと近いですよ ?


さて、イェルク・デムス師を追悼する今宵 最後の一枚は、こちらです。
ウラッハ、ブラームス クラリネット・ソナタ(ウエストミンスター ) イェルク・デームス Jörg Demus
▲ ブラームス
クラリネット・ソナタ第2番 変ホ長調 作品120-2
レオポルド・ウラッハ(クラリネット )53歳
イェルク・デムス(ピアノ )25歳
録音:1953年 ウィーン、コンツェルトハウス(モーツァルト・ザール )
音盤:ウエストミンスター

 20年ほど前のこと。同好の趣味をもつとわかってから 一層親しくさせて頂いていた、年長の顧客から紹介されたウェストミンスターの名盤です。
 差し出された古風なジャケットにプリントされた見おぼえのある顔に思わず「あ、イェルク・デムスだ ! 」と過剰反応してしまい、そんな私を「おや、まだお若いのに デムスをご存知ですか 」と身を乗り出され、しばらくデムス談義となったことも懐かしく思い出されます。
 年長のクラリネット奏者を敬しつつ真摯に支える20代のデムスが奏でる意外に明晰なピアノの技巧が冴えています。聴いているうち モノラルであることも忘れるほど。素晴らしい・・・。


にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ
にほんブログ村
にほんブログ村 音楽ブログ ジャズへ
にほんブログ村

クラシックランキング

ジャズランキング
Club Scherzo, since 2010.1.30.

関連記事
スポンサーサイト



コメント

コメントの投稿

トラックバック

トラックバック URL
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)