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「気分がふさいでいるときは、いつも 新しいレコードを何枚か買うことにしてるんだよ 」

バーンスタイン3つの交響曲を聴きながら、
作曲者に架空の手紙を書くことにした。

バーンスタイン 交響曲第3番「カディッシュ」(D.G.) Bernstein.jpg
拝啓
20世紀を代表する偉大な音楽家、レナード・バーンスタイン

 音楽を聴くという悦楽をおぼえ立ての頃から スケルツォ倶楽部発起人が敬愛する対象の筆頭だった あなたの生誕100周年記念を祝う気持ちから、ここ最近 思いつくまま 勝手にものを書いておりますが、今日はあなたクラシカルな「作曲家 」としての面を伝えるオリジナル「交響曲 」について 書かせていただきます。

 あなたが 生涯に遺したシンフォニーは 僅か三曲のみ - 九曲くらい作っておいてくださってもよかったのではないかと思います。
 しかも あなたがとりくんだ「交響曲 」は、いずれもたいへん真面目な姿勢で 完全にシリアスな作品ばかりでした。ウイットやユーモアからはほど遠く、特に奇数番号の二曲は、いずれもユダヤ系/ユダヤ教徒だったご自身のルーツや存在意義を深刻に追求する 重い宗教的なテーマを扱っておられました。

 私と同様 あなたの多面的な才能を買っている ひとりの年下の友人いわく、せめてもう一曲だけでも、それもプロコフィエフの「古典交響曲 」を踏襲したような、あるいは「キャンディード序曲並みに弾(はじ )けまくり、「ウエストサイド~ 」以上に才気煥発で 誰にでも親しみやすい、そんな短い一篇を もし残してくださっていたなら、今よりもっと頻繁にコンサートのプログラムにあなたの名前をみつけられるようになっていただろうに・・・ って。そんな友人の気持ち、まあ 私にもわからなくはありませんでしたが。

 でも 実は聴かず嫌い ものぐさな友人には まず あなた交響曲第1番「エレミア 」第2番「不安の時代 」の、それぞれ「スケルツォ楽章 」を ぜひ聴いてみることを 勧めました。
 凄まじい金管の咆哮から カタルシスさえ感じる「エレミア第2楽章。そこだけソロ・ピアノとベース、ドラムスとパーカッション(ハープ、オケ内ピアノやチェレスタ等キーボードを含む )というモダン・ジャズピアノ・トリオに準じた小編成となるや否や クラシカル・ミュージックとは思えぬほど猛烈にスウィングしまくる「不安の時代 」から「マスク 」・・・ これら個性的なスケルツォ楽章たちは、もしあなた交響曲に “抹香臭い”とっつきにくさを感じる手合いがいても、スピーカーの前に座らせて 大音量で 聴かせてやれば、きっと一発で黙ってしまうほどの破壊力をもっています。

バーンスタイン 交響曲第1番「エレミア」(CBS) バーンスタイン 交響曲第1番「エレミア 」(D.G.)
▲ バーンスタイン:交響曲第1番「エレミア 」
(左 )ジェニー・トゥーレル(メゾ・ソプラノ ) ニューヨーク・フィル盤(1961年、CBS )
(右 )クリスタ・ルートヴィヒ(メゾ・ソプラノ ) イスラエル・フィル盤(1978年、D.G. )

 あなた最初の交響曲の標題に掲げられている「エレミア 」とは旧約聖書に登場するユダヤ教の預言者の名で、イザヤエゼキエルと並んで 旧約時代の三大預言者のひとり とされますね。
 ちなみに「預言者 」とは、この場合、未来を予知する“予言者”ではなく、からの言葉を人々に伝え、と人との正しい関係を仲介する古代ユダヤ共同体における指導者のこと。あなたが共感し 惹かれたものは、ノアアブラハムモーセのように と意思疎通できる能力をもつゆえに 大多数の人間の無理解によってとの間で板挟みに陥るリーダーの苦悩する心だったのではないでしょうか。
 エレミアは、当時堕落していた王族を諌め エルサレム滅亡を警告した人物として知られ、不幸にして その預言どおり古代ユダヤ王国バビロニアに侵略され、かつて栄華を築いたソロモンの神殿や王宮などすべて破壊され何千人もの人々が奴隷として捕らわれてしまいました(バビロン捕囚 )。
預言者エレミア Jeremiah(Claus Sluter 14世紀の作 )
▲ 旧約聖書の預言者エレミア(Claus Sluterによる、14世紀の彫刻 )
 「悲惨な災厄を招いたのは ユダヤの民が神を敬わず冒涜(ぼうとく )を続けてきた罪の報いである 」と、預言者エレミアは 同朋に強く警鐘を鳴らし、信仰回帰神への悔い改め を迫りました。一説では、一部の人々から疎まれ、最期は 悲劇的な死を遂げたとされます。

 あなたの「エレミア交響曲は 全三楽章から成り、その前二楽章 - 緊張が漲るイントロダクションの「預言」と、素晴らしいジャンプ力で炸裂する異端者のスケルツォ楽章冒涜」 - は、終楽章「哀歌 」の前に並べて供えられた「二つの序章 」です。
 交響曲核心たる第三楽章「エレミアの哀歌 」は、旧約聖書が書かれた言語であるヘブライ語で歌うメゾ・ソプラノ独唱を伴います。その言語(ことば)の音の響きの何という美しさでしょうか。
 特に、歌詞の最後の一行に使われる、アドナイ Adnai という言葉が。
 ユダヤ教唯一神エホバヤハウェ)、 を意味する単語ですが、ユダヤ教キリスト教においては 畏れるべき」というより 敬慕する対象として縋(すがり)りつけば 必ず抱きしめてくれる「主なる父 」という印象が勝るようです。たとえ一度は忘れ 心が離れてしまったとしても、最後には愛する父の許へ帰る(帰るしかない )、でも立ち帰れば 必ず温かく迎え入れてくださる、そんな信頼できる存在が、「アドナイ 」なのですね。

バーンスタイン チチェスター詩編(CBS ) バーンスタイン 交響曲第1番「エレミア 」(D.G.)
▲ バーンスタイン:チチェスター詩編
(左 )ジョン・ボガード(ボーイ・アルト )、ニューヨーク・フィル盤(1965年、CBS )
(右 )ウィーン少年合唱団員(ソロ )、イスラエル・フィル盤(1978年、D.G. )

 「アドナイ 」 ― この一語は、あなたが その後(1965年に )作曲した、やはりヘブライ語を テキストとする、実に美しい傑作チチェスター詩編 」の歌詞中にも繰り返し登場していますね。
 かつてザルツブルク音楽祭のライヴが聴けるFM放送で、ウィーン少年合唱団のソリストを務めるボーイ・アルトの少年の純真な声が、美しい 2曲目の冒頭、ふるえるように「アードーナーイ… 」と歌いだすのを 初めて聴いたとき、私は清らかな感動とともに直感したものです - 旧約聖書の「エレミア 」の時代から 人間は常に危機に直面してきた、わたしたち現代人の心が信仰へと回帰する可能性を、あなたは力強く信じておられるに違いないと。


バーンスタイン 交響曲第2番「不安の時代」(CBS) バーンスタイン 交響曲第2番「不安の時代 」(D.G.)
▲ バーンスタイン:交響曲第2番「不安の時代 」
(左 )フィリップ・アントルモン(ピアノ ) ニューヨーク・フィル盤(1965年、CBS )
(右 )ルーカス・フォス(ピアノ ) イスラエル・フィル盤(1978年、D.G. )

 奇数番号の交響曲が、と人間とを仲介する預言者の苦悩がテーマであるのに対し、これら二つのシンフォニーに挟まれている第2番「不安の時代 」は、都会に潜む小さな人間の側から見る(見えない )神の不在に対する不安信仰の回復( ? )までが そのテーマとして描かれているようです。
 現代詩人オーデンが書いた原作「不安の時代 」の「エピローグ」において、主人公のユダヤ人の女性ロゼッタは、旧約聖書に描かれたエレミア時代のバビロン捕囚に言及し、ヘブライ語一神教を主張しつつ独白を終えますが、これがエンディングクライマックスへつながるエピソードなのでしょうか ?
 彼女を含む 4人の登場人物は、白けた雰囲気の中 一晩中酒に浸りつつ 現実から逃避していましたが、やがて夜明けとともに別れ、各自それぞれが日常生活に帰っていく - という、最後は まるで風船が萎(しぼ )んでゆくのをみせられるような 寂しい結末が、オーデン原作でした。
 しかし これにあなたがつけた音楽のエンディングは、信仰を取り戻したとされる女性(ロゼッタ )が、と一体となることを ピアノオーケストラが象徴するかのように 輝かしく 壮大なクライマックスを 築きます。コンサート会場は盛り上がり、聴衆からも間違いなく 祝福の「ブラヴォー 」が飛ぶことでしょう。でも・・・ ちょっと違いませんか ? この“神との和解”のエンディングは、オーデンの読者にとっては かなり唐突な感じを受けるはずです。本当に、これでよいのでしょうか、ちょっと間違ってはいませんか ? 果たしてあなたの意図は 何処に ?
 悩んだときは 初心に還ってみるか、と 手元にある音楽之友社「名曲解説全集(交響曲Ⅲ )」あなたのページを開いてみると、奥田恵二氏による解説が。どれどれ。

 引用(以下、青字 )「この旋律(エピローグの輝かしいコラール風のメロディ )が大団円、原詩とは趣を異にしたロマンティックで希望にみちた結末を作るのだが、作曲者は、そこに一種のアイロニーを 聴き手が感じることを期待しているようだ。

 ・・・なるほど、デウス・エクス・マキナ(機械仕掛けの神 )だ。
 “神様が助けてくれました”式の強引なハッピー・エンドを意味する演劇用語で、転じて良識ある観客(鑑賞者 )が そこに矛盾や不自然さを感じるようになったことから「アイロニー 」を指すようになったという説明を聞いたら、どなたも ここで膝を叩くのではないでしょうか。
 思いつくまま モンテヴェルディの「ポッペーアの戴冠 」とか、近代オペラならクルト・ワイルの「三文オペラ 」とか。チャイコフスキーの「悲愴交響曲などは、どちらかと言うとアンチ・クライマックスでしょうか。マーラーなら 交響曲第7番終楽章など、首を傾げたくなるほどの唐突さ。聴きかたによっては ショスタコーヴィチ第5番終楽章にも矛盾を感じる人はいるのでしょう。また音楽ではありませんが、文豪ゲーテの童話「狐のライネッケきつねのさいばん )」なんかは、この最たるもの。限(き )りがないのでこの辺で止めますが、この話題は、いずれ掘り起こしてみたくなるかも。
 だから あなたは、初演の時 この交響曲を聴く前には オーデンの原作詩を読んでおくことが「絶対に必要 」だとおっしゃったのですね。でも 私 発起人、実は・・・ 未読(笑 )。ですから 本当は あなたの「2番 」について 語る資格は、「皆無といえよう 」なんですね、すみません。


バーンスタイン 交響曲第3番「カディッシュ」(CBS ) バーンスタイン 交響曲第3番「カディッシュ」(D.G.)
▲ バーンスタイン:交響曲第3番「カディッシュ 」
(左 )フェリシア・モンテアレグレ(語り ) ニューヨーク・フィル盤(1964年、CBS )
(右 )マイケル・ワガー(語り ) イスラエル・フィル盤(1978年、D.G. )

 さらに、あなた交響曲第3番「カディッシュ 」アラム語で“聖なるもの”の意 )について、これも 思いつくまま勝手に語ることをお許しください。
 「カディッシュ 」は、オーケストラ + 語り手 + 独唱 + 合唱を加えた大規模な宗教的作品、1963年12月10日にイスラエルのテル・アヴィヴで あなたご自身の指揮するイスラエル・フィルによって初演されましたが、特異だったのは「語り手 」の役割でしょう。「語り手 」には台本が与えられていましたから、オーケストラとともに立つ舞台上でも 著しく演劇的な存在となりました。
 私たち人間に「沈黙 」を続けるに対し、ステージ上に立つ「語り手 」は、祈ってみせ、嘆いてみせ、疑問を呈してみせ、苛立ってみせ、怒りをぶつけてみせ、すぐ謝罪してみせ、懺悔してみせ、さらには人間との和解が叶うべく延々と熱く話し続けてみせますが、それらはすべて演技となります。
 音楽的にも 第3交響曲には「エレミア交響曲(と同様に「チチェスター詩編 」とも )と関連する音型・音程フレーズが たいへん多く使われていることが印象的でした。何度もレコードで繰り返し聴きながら、ふと 私は思いついたことがあります。
 そう、もしや「カディッシュ 」の中心で熱弁をふるう「語り手 」の存在とは、あなた第1交響曲の主人公「エレミア本人だったのでは ? 古代ユダヤ預言者が時空を超え、今一度 現代で 人間と(そこには不在かもしれない )との仲介を果たすために降臨した もう一つの姿だったのでは ?

 さらに深読みすると・・・
 1963年11月23日、あなたが「カディッシュ 」最後の「アーメン 」(そうでありますように )のオーケストレーションを仕上げていた まさにその時、ジョン・F.ケネディ暗殺の訃報を聴き、あたかも天啓のように ケネディへの愛する思い出に このシンフォニーを「レクィエム 」として献呈すべきだという発想を強く感じた、と発言しておられます。
JFK_スケルツォ倶楽部 レナード・バーンスタイン(小)ポートレート
▲ J.F.ケネディ と バーンスタイン
 ともにボストンで育ち ハーバードの同窓生として親しく交友関係まで築いていた大統領ケネディの姿に、もしや同じようにと人(理想と現実 )との間で板挟みに悩み、志半ばで悲劇的な最期を遂げた苦悩のリーダーエレミアの姿とが あなたの心の中で重なって「みえた 」ということはないでしょうか。
 そして、ケネディエレミアとみなしたとき、果たして そこに・・・ はいたのでしょうか ?

                                                      敬具

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