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スケルツォ倶楽部 
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プッチーニ 歌劇「蝶々夫人 」のラスト
- 未解決な「最後の和音」の行方が 気になる。

プッチーニ Madame Butterfly 1904 プッチーニ on his piano
 “スケルツォ倶楽部発起人です。
 さて、前回は1987年のハリウッド映画「危険な情事 」(原題:Fatal Attraction )が、実はプッチーニオペラ「蝶々夫人 」翻案である、という裏テーマについて 長々と考察を加えました。いつもの調子で 長い拙文におつき合いくださり、誠にありがとうございました。

 未読の方は こちら ⇒ 映画「危険な情事」未公開のオリジナル・エンディングは、マイケル・ダグラスを“ピンカートン”にした翻案「蝶々夫人 」だったのに

 オペラヒロインとしては 古今稀なる 若き日本女性が、不遇のうちにその命を散らさねばならなかった表面上の要因を挙げれば、そもそも“現地妻”を求めて異国に上陸した水兵ピンカートンのことを「夫 」だよ と信じこまされ、至誠を尽くした15歳の蝶々さんのイノセント(純心=無知 )にあったとも言えます。
 ピンカートンのほうだって異国の周旋屋に 易々とダマされていたことを忘れてはいけません。現代人が遊園地のアトラクションに乗車するような感覚で、「エキゾチックな結婚式」体験ツアーを 期待していたのに、東洋の花嫁と 3年ぶりに再会した途端 いきなり その相手が日本風「ハラキリ」自害を遂げてしまう、そんな悲惨な姿を目の当たりにした 「さすらいヤンキー 」には状況を理解することができず、トラウマになってしまったのではないでしょうか。

 かつてはシーボルトでさえ 日本に“現地妻”を囲っていました - もし「良い/悪い 」を問うのであれば、両者を欺いた日本人の女衒ゴローこそ 悪者でしょう? 双方に都合のよい条件を騙(かた )って 儲けては その陰で蝶々さんのことを嘲笑していた、あの野郎のことです。お仕置き担当だった“浮雲スズキさんには、もっと強く叩いてもらわねば 気が済みませんよね。
シャープレスに女を紹介する女衒ゴロー
▲ 女衒ゴローから「現地妻」を勧められ、パスする良識のシャープレス “No,Thank You”
 ちなみに、そんなゴロー役のイメージと言えば、フレデリ・ミッテラン監督による イン・ファン主演のフランス映画「蝶々夫人 」に出演していた中国系テノール、范竞马 Jing Ma Fan が演じてみせた イケメン(?)なゴロー像が興味深く、あの描き方こそ女衒の実体に近い演出ではなかったかと興味を覚え、彼の登場する場面になる度に じっと見入ってしまいましたよ(ジェームズ・コンロン指揮/パリ管弦楽団 )。

 ・・・もとい。
 おかげで今年のG.W.は 映画ばかりか、あらためてオペラ「蝶々夫人 」を繰り返し セラフィン(レナータ・テバルディ )ローマ聖チェチーリア盤、カラヤン(ミレッラ・フレーニ )ウィーン・フィル盤という二組のロンドン/デッカの名盤で、何度も聴き直しを重ね さらにはYou Tubeのお世話になって(便利な時代になりました )映像でも複数種類、いろいろ観なおしたりすることとなりました。
テバルディ、セラフィン「蝶々夫人」(デッカ ロンドン) プッチーニの肖像写真 Giacomo Puccini プッチーニ:歌劇「蝶々夫人 」カラヤン ウィーンフィル、フレーニ、パヴァロッティ (2)
(左から ) テバルディ、セラフィン/ローマ聖チェチーリア(L.P. )盤、フレーニ、カラヤン/ウィーン・フィル(L.P. )盤

 
 ジャン=ピエール・ポネル演出によるDVD版カラヤンの「蝶々夫人 」は、白塗りのミレッラ・フレーニで有名(笑)ですよね。 開幕直後 いきなり障子を蹴破って 飛び出してくる 水兵ピンカートン(プラシド・ドミンゴ )が まるで何かを振り払うように どこまでも走ってゆく不可思議な演出に驚かされますが、歌劇を最後まで観てゆけば これがピンカートンの衝撃と悔悟する姿だったことが明かされるという仕掛けです。ようやくラストで過ちに気づいたって 映画のように冒頭に戻ってこれるわけありませんから、後悔してみせたって許しませんよ。え? 船乗り が一体 どんなふうに悔やむって? なに、「航海」? コラー、逃げるな !
ポネル演出「蝶々夫人」(カラヤン)ユニテル (2) ポネル演出「蝶々夫人」(カラヤン)ユニテル

 ・・・ それにしても「蝶々夫人」の音楽って、つくづく 良くつくられた名作である、と深く思い知りました。一体これほど泣けるオペラが かつて他にあったでしょうか。その情緒に訴える度合といったら もう半端なく、本当に素晴らしい歌劇だと思います。特に、幼いわが子と死に別れで絶唱するアリアなど 映像を伴なうと 、間違いなく 観ているこちらの涙腺を 決壊させることも判りました。
 
 その最期の場面、座敷に蝶々さん独りとなり、彼女は父の形見の短刀を使って決意の自刃を遂げます。
 ほぼ同時に、舞台裏からピンカートンめの「バッテルフラーイ、バッテルフラーイ 」という、その名を米語で呼ばわる声が。いえ、これ実は 死に瀕した蝶々さんの脳裏をかすめた幻聴だったのかもしれませんよ。その背後でトランペットとトロンボーンが繰り返す全音音階風なフレーズは 第2幕アリア「ある晴れた日に 」の中で蝶々さん自身が予言していた、待ち人が“丘の登り坂を駆け上がってくる”動機(の変形 )です。
 さらに 第2幕の「雨の日も風の日も~ 」で聴かれた、あの不吉な 「死の旋律 」をもって、可哀そうに、蝶々さんが絶命したことを 音楽が明示します。

「蝶々夫人」終結部(ピアノ譜)

 不吉な「死の旋律 」は 管弦楽のユニゾンで これでもかとばかりの音圧で強奏され、その果てに 低いロ音をもって終結するわけですが「急速に幕を降ろすべし」との指定がある次の小節で、プッチーニロ音の上に不思議な三和音を乗せることによって(上掲楽譜の、最後の二小節 )まるで断ち切るように音楽を終わらせています。
 その「最後の和音 」が、いわゆる協和音でないことが 些か気になりました。

 古典的な楽理なら ベースを含む多くの楽器が終止音としてを鳴らしているのですから、その上に重ねるべき和音は、ロ短調を構成する音(シ・レ・ファ♯ )が自然というものでしょう。
 しかし、近代作曲家プッチーニが選んだ「最後の音 」は、を根音にして その上に ソ・シ・レ を重ねた音なのです。音の構成比としてルートを鳴らすロ音が勝っているため 聴感上の印象では必ずしも終結感を損なうものではありませんが、けれど・・・ どこか解決を得られない まだ進行途中な和声に聴こえます。一体ここでプッチーニが意図したこととは・・・?

 行き詰まっていた 発起人に、重要なヒントをくださったのは、増井敬二氏の「名作オペラの盲点 - 『蝶々夫人は本当の悲劇だ 」(オペラを知っていますか / 愛好家のためのオペラ史入門、音楽之友社 )でした。
「オペラを知っていますか、愛好家のためのオペラ史入門 」(増井敬二著、音楽之友社
▲ こちら 以前にも紹介させて頂きました、名著です ⇒ カルメン謎の一時間

 増井氏が注目するところ、ロングの原作を基にベラスコが戯曲にした「蝶々夫人」を オペラ化するに当たって、プッチーニが改変した最大の設定は、仏教徒だった蝶々さんを キリスト教徒改宗させたことだといいます。オペラ第一幕にあたるドラマは、まるまるプッチーニの創作だったのです。
 蝶々さんは、自分がの宗教であるキリスト教改宗したことを身内に隠していたため、婚礼当日に伯父ボンズの怒りを買い 親族一同から勘当されます。たとえ一人ぼっちになっても 夫の神を信じ続け 三年もの月日を送っていた蝶々さんに、何とピンカートンの裏切りという衝撃の事実が伝えられ・・・以下、増井氏の文章をお借りします(青字部分 )。

「・・・蝶々さんは、夫だけでなく頼りとしていた異国の神からも見放されたのであって、誰にも苦しみを訴えることすらできないのだ。先に仏を捨て親類からも離れた蝶々さんに残された道はただ一つ。
「(だが )自殺がキリスト教で許されないのは、周知のとおり(中略 )、
「(蝶々の最期のアリアの中で、彼女は子どもをかき抱いて )通常の母親なら、これから自分は天国へ昇り、空からお前を見守っているよというはずである。だが彼女は(中略 )神様に認めてもらえず昇天もできないので、武士の教えに従って消えていくほかないのだ。
「しかし金髪の子どもは、別である。父の国で神様が幸せに守ってくださるだろう。天国から降りてきた わが子に、蝶々さんはせめてこの母の顔を忘れないでとだけ願ってから、独り屏風の陰に入っていく。女としてベストを尽くした 短い一生の、これはまたなんと哀れな絶望の姿だろう。
「重要なのは、彼女は夫と夫の神を心から信頼したこと、それが聖書の教えとは違って報われずに、まったくの絶望のうちにこの世から消え去らなくてはいけないということ、人生の悲しい哀しい本当の悲劇であることを知ってほしいのである。 」


以上、引用(青字の文章 )
増井敬二/著:「オペラを知っていますか / 愛好家のためのオペラ史入門」(音楽之友社 )より

「蝶々夫人」終結部 2-1「蝶々夫人」終結部 2-2
 増井氏の文章を 読み直しているうち、私はプッチーニが、彼の「蝶々夫人最後の二小節を このような形( 上記楽譜 )で終わらせた、いえ、正確には そうせざるを得なかった、その理由が、実は 宗教的な動機から だったのではないか - との発想に至りました。
 
 讃美歌の最後を締めくくる「アーメン」が、この和音で歌われることが多いことから「アーメン終止 」、あるいは「プラガール終止 」と呼ばれる、定型的な古典終止の型があります。具体例は・・・ と 考えて、思いついたのは モーツァルトの絶筆「レクイエム 」の中で 一度だけ聴かれますね。それは、ジュスマイヤー「ラクリモサ(涙の日)」を締めくくる 敬虔さも極まる 最後の二小節です。
ロ短調のアーメン終止
▲ ロ短調の 基本的なアーメン終止の型

 「アーメン Amen 」とは「そうでありますように 」という意味のヘブライ語で、キリスト教の典礼で用いられます。「キリスト教徒にとっては 特別な言葉であり、これを発するときの精神と心の有様には計り知れない重みと感慨がある」(近藤憲一氏 )とされます。
 「蝶々夫人 」の最後の音は - スケルツォ倶楽部発起人の想像の域を出るものではありませんが - 「アーメン終止の変形」ではないかと思うのです。 敢えて名づけるなら「アーメン終止にならなかった変則終止 」とでも呼ぶべきです。
 自ら命を絶つことになるオペラのヒロインたち - トスカアンジェリカ - と同じように、蝶々さんもまた夫の神にすがろうとした姿勢を の代理和音が象徴しているように、私には聴こえます。しかし、本来のアーメン終止なら バス進行Ⅳ→Ⅰ のところ、神の御心は厳しく はじめからずっとに終始したままなのです。
 
 私は 思います、これによって 哀しくも自決するしかなかった蝶々さんの「そうでありますように 」との祈りは、敢え無く 夫の神から拒絶されたことが表され、それゆえ コードも代理和音のまま 行き場をなくして留まり、本来であれば ロ短調の主和音)へ向かって 解決されるべき和声進行も聴かれることなく、だから 救いのない「あの和音でドラマの幕を降ろすことに、作曲者プッチーニの 何らかの感情が働いていたのではないか、と。




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