スケルツォ倶楽部 
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ハイドン 交響曲第98番 第2楽章 冒頭の音列は、
モーツァルト作曲 歌劇「フィガロの結婚 」伯爵夫人
アリア「楽しい思い出はどこへ 」 に似ている。



 こんにちは、“スケルツォ倶楽部発起人です。
 さて、休日の土曜日の午後・・・ 以前から 私 発起人が愛聴する一組 マルク・ミンコフスキ 指揮 / レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル・グルノーブル(naïve )盤で、ハイドン交響曲第98番 変ロ長調 を聴いていたときのこと - 。

Haydn_portrait_by_Thomas_Hardy_(Public Domain) マルク・ミンコフスキ 指揮 レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル・グルノーブル(naïve
ヨーゼフ・ハイドン:
交響曲第98番 変ロ長調

(併録:第93番 ニ長調、第94番「驚愕 」、第95番 ハ短調、第96番「奇跡 」、第97番 ハ長調、第99番 変ホ長調、第100番「軍隊 」、第101番「時計 」、第102番 変ロ長調、第103番「太鼓連打 」、第104番「ロンドン 」 )
レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル・グルノーブル(ルーヴル宮音楽隊 )
マルク・ミンコフスキ(指揮 )
録 音:2009年6月、ウィーン・コンツェルトハウス
音 盤:naïve V-5176-4CD 

 壮年期のハイドン先生が ロンドン活躍時代に書いた後期12曲 - 通称“ザロモン・セット” - の中の一曲・・・( 日頃から この第98番という交響曲、ちょっと風変わりな 第4楽章以外、実は  (+_+) あまり聴いておりませんでした ) そんな 古典交響曲第2楽章 アダージョ・カンタービレ へ長調の冒頭4小節、美しい弦による シンプルな旋律の出だしの動きに、私 発起人の「心の琴線 」 は勝手に反応し、立ち止まりました。

これ 」って  ―  何かに似ているんだが。 何だっけなー

うーん、女声の声楽曲( ? )だったような気も・・・

― だめだっ、思い出せない。

「おーい、何だっけー ? 」
と、困った時の 「愛妻 頼み 」。

オーディオセットのスピーカー前で腕組みしているのことを見て、は明らかにオモシロそうに近寄ってきます。
「あら アナタ、今日は 何を唸ってるのかしら ? 」
ミンコフスキ盤をリモコンで戻し、にも聴かせながら 知恵を借ります、
ハイドン 第98番アダージョ楽章の出だしってさー、何かに似てないか 」

・・・すると彼女、一瞬で
「あら、モーツァルトの歌劇『フィガロの結婚 』第3幕、伯爵夫人アリアの歌い出しと 最初の4小節同じ音列じゃない 」
と、こともなげに正解を言い当てます。

ジモーネ・ケルメス Simone kermes モーツァルト:歌劇「フィガロの結婚」ハイライト モーツァルト
モーツァルト:
歌劇「フィガロの結婚 」第3幕から
第20曲 伯爵夫人のアリア
「楽しい思い出はどこへ 」Dove sono i bei momenti
ジモーネ・ケルメス (ソプラノ、伯爵夫人 )
テオドール・クルレンツィス(指揮 )
ムジカ・エテルナ (ピリオド楽器オーケストラと合唱団 )
録音:2012年09~10月、ロシア ペルミ国立歌劇場
ハイライト盤:ソニー・ミュージック・エンタテインメント(SICC-30339 )


 もうどなたもご存知、「セヴィリアの理髪師 」の顛末を経て めでたく伯爵夫人の座に収まったロジーナでしたが、その続編「フィガロの結婚 」は それから数年後のドラマ。夫 アルマヴィーヴァ伯爵との夫婦関係にはすでに倦怠期が訪れ、伯爵が 小間使いスザンナなど 自分よりも若い女たちに色目を使っていることに気づいた伯爵夫人が 落胆する気持ちを抑えつつ 楽しかった過去の思い出に浸ります。そんな場面で歌われる、よく知られたアリアですよね。

 それにしても、滞英中のハイドンが 自作の交響曲第98番第2楽章の出だしに 果たしてモーツァルトの このアリアを意識するような事情なんて、あったのでしょうか ?

 ・・・こじつけのように聞こえたら残念ですが、 実は「あった 」のです。

  「・・・って、何だっけ ? 」
  「 ≪タメイキ≫ イヤねー アナタったら。 ハイドン先生がロンドンで この第98番を作曲したのは いつのことだったかしら ? 」
  「ええと・・・ (CDのライナーを確認しながら )1792年の初頭、そして初演が同年 3月 2日 」
  「ほら、その頃 モーツァルトの身に何があったか、アナタなら知ってるくせに 」
  「・・・あ ! 前年暮れの1791年12月 5日に -  」
  「そう。ウィーンで急逝してるよね、僅か35歳の若さで 」
  「1791年の年末くらいまでには、ロンドンにいたハイドンの許へ モーツァルトの訃報は届いてたんだろうな 」
  「逝去を聞かされたハイドン先生の脳裏を真っ先によぎったのは、やっぱりモーツァルトとの ウィーンでの楽しかった思い出だったんじゃないかしらね 」
  「 “楽しい思い出はどこへ”Dove sono i bei momenti - その時、第一期ザロモン交響曲の最後を飾る第98番を作曲中だったハイドンの脳裏によみがえったモーツァルトの旋律があったとすれば、まさに これだったのかも・・・ 」


ハイドンモーツァルトの親交
ハイドン Wolfgang Amadeus Mozart(スケルツォ倶楽部 )
「1785年の春、(中略 )レオポルドの息子ヴォルフガング・モーツァルトは、高名な音楽家ハイドンと他の客二人をウィーンの自宅に招いて三曲の弦楽四重奏曲を演奏した( いずれもハイドンに献呈された作品 ‐ 変ロ長調K.458狩り 』、イ長調K.464、ハ長調K.465不協和音 』 )。その音楽の深さは前夜に聴いた ニ短調ピアノ協奏曲K.466とはまた違った感動でレオポルドの胸を打った。 / 演奏を聴き終わったハイドンレオポルトにこう言った。『正直な人間として神に誓って申し上げますが、あなたの息子さんは、私が直接間接に知れる限りの作曲家の中でもっとも偉大な人です。彼にはすぐれた美意識があり、その上 作曲法の奥義を究めています』 -  これを 娘ナンネルに宛てて 手紙で知らせるレオポルドの筆の、いかに喜びに満ちていたことであろうか 」
石井宏/著『素顔のモーツァルト 』中公文庫より )



「1790年に、英国の興行師ヨハン・ペーター・ザロモンハイドンモーツァルトとの契約を決意した。彼はこの目的でウィーンへ行き、二人の大音楽家と数回会った上で、まずハイドンが今度のシーズンに、モーツァルトは翌年ロンドンに渡ることで合意した。ハイドンザロモンが出発する日、三人は一緒に食事をしたが、モーツァルトは馬車乗場まで見送りながら 彼らの成功を祈り、さらに馬車が動き出すと 『来年は約束どおり 必ず私も行く 』 と繰り返した 」
ロビンズ・ランドン/著「モーツァルト最後の年より )



モーツァルトは自身の死を予感していた時期がありました。わが師ハイドンがこう言っていたことを思い出します。1790年暮れ、師(ハイドン )が初めてロンドンへの旅を企てた時、モーツァルトは別れを告げると目に涙を浮かべて『パパ、お互いに会えるのはこれが最後のような気がします 』と言ったそうです。モーツァルトよりもかなり年配(年齢差 約24年 )だったハイドンは、これは自分の年齢のせいで、これが最後になりそうな旅で危険な目にあうのを心配して言っているのか、と思ったようでした 」
ハイドンの弟子、ジギスムント・フォン・ノイコムの手紙より )



「100年後の世界でもこれほどの才能が出現することはありません 」
ハイドン自身がゲンツィンガー夫人に宛てた手紙より )



「 (交響曲第98番の第2楽章を指して ) ハイドンが本当にこの深く個人的な楽章を、年若い友人の死に対する追想として作曲したのかどうか、我々が真相を知ることは決してないだろう。しかし、もしハイドンが そのつもりで書いていたとしたら、この楽章こそウィーンの無銘の墓に横たわったモーツァルトにこそふさわしい、最も偉大な墓碑銘である 」
ロビンズ・ランドン



参考文献 :
素顔のモーツァルト 」 (石井宏/著 ) 中公文庫
ハイドン 106の交響曲を聴く 」 (井上太郎/著 ) 春秋社
モーツァルト最後の年 」 (H・C・ロビンズ・ランドン/著、海老沢敏/訳 ) 中央公論新社


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