本記事は12月20日 「 注目記事ランキング クラシック音楽鑑賞 」で 第1位 となりました。
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J.S.バッハ憐れみたまえ 」(マタイ受難曲 )で
涙していた聖ペテロは、許されて
マーラー「第3交響曲 」の第5楽章で 天国にいた。


ヘラルト・ファン・ホントホルスト_ 聖ペテロの否認(1625)
▲ ヘラルト・ファン・ホントホルスト Gerard van Honthorst (1592 - 1656 )
 「 聖ペテロの否認 」 (1625 )


 今晩は、“スケルツォ倶楽部発起人です。
 今年も間もなく訪れる キリスト・イエスの誕生日(そうそう“クリスマス”とも言いますよね )を控え、キリストにちなんだ話題を 今宵はひとつ選びました。

 その日の朝もカイシャへと向かう車中、ハンドルを握りながら いつも聴いている NHK-FM「クラシックカフェ」 ― お気に入りの粕谷紘世さんのアナウンスが 次なるプログラムの曲名を告げました。 それは・・・
 イツァーク・パールマンマルタ・アルゲリッチの共演による J.S.バッハ「ヴァイオリン・ソナタ 第4番 ハ短調BWV1017 」。 おー、これは今年 特に話題となった 新しいレコーディングの一枚ではないですか。ありがたい、コレ聴きたかったんですよ !
イツァーク・パールマン&マルタ・アルゲリッチ共演:J.S.バッハ ヴァイオリン・ソナタ 第4番 ハ短調BWV1017(W.C.)
▲ パールマン & アルゲリッチ レジェンダリー共演
1998年サラトガ・フェスティヴァルのライヴ以来18年ぶりの共演となるレコーディング
併録曲:シューマン「幻想小曲集op.73 」、ブラームス「スケルツォ(F.A.E.ソナタより ) 」
録 音:2016年 3月30~31日、パリ、サル・コロンヌ
音 盤:ワーナー WPCS-13551

 
 渋い ! 素晴らしい ! がっちりとした堅牢な組み木建築を見上げるような風格あるバッハです。
 ヴァイオリン・ソナタの冒頭から流れ出す 哀感も豊かなシチリアーノ風リズム、調性こそ異なるものの ここに聴かれる美しいメロディが、後年の銘品「マタイ受難曲第39番、アルト独唱による屈指の名アリア「憐れみたまえ Erbarme dich, mein Gott 」 と同じ音列から出来ていることは、よく知られていますよね。


▲ J.S.バッハ「マタイ受難曲 」より
第39番 アリア「憐れみたまえ 」Erbarme dich, mein Gott
デルフィーヌ・ガルー(コントラルト )Delphine Galou
フランソワ=マリー・ドリュー(ヴァイオリン・ソロ )François-Marie Drieux
フランソワ=グザヴィエ・ロト(指揮 )François-Xavier Roth
レ・シエクル Les Siècles
(レコーディング:2008年 夏 )


 このアリアは、キリスト・イエスが十字架上の死を迎えるまでの二日間を描いた「マタイ受難曲 」の中でもとりわけ印象的な場面で、登場人物ペテロの心情に託しながら歌われる楽曲です。
 アリアの背景となる重要なやり取りが「その前夜 」最後の晩餐にあったことを、私たちは事前情報として知っておく必要があります。
 晩餐の席で、イエスは 間もなく自分が捕縛され 翌日には十字架刑に処されること、その時 ここにいる弟子たちも残らず皆 散り散りになってしまうであろうことを預言するのですが、筆頭の弟子でイエスの信頼も篤かったペテロペトロサン・ピエトロ )は 立ち上がり「たとえ皆がつまずいても、わたしだけは決してつまずきません 」と決意を述べ、主イエスの預言を打ち消そうとするのです。
 しかしキリスト・イエスは 残念そうに首を振り「いやいや、お前こそ 今夜、鶏が鳴く前に私のことを知らないと言うだろう、それも三度ね 」と、ペテロに 謎をかけるような言葉を与えるのでした。

 実際、その後ゲッセマネの園で(イスカリオテのユダに案内させた )ローマ兵がイエスを捕縛しようと現れた時、これを防いで剣で応戦しようとまでした者は唯一ペテロだけだったのです、彼はイエスへの自分の気持ちに誠実であろうとしたのでしょう。けれど、それさえもイエスに拒否されます(「武器を捨てよ。剣をとる者は皆、剣で滅びるのだから 」 )。
 自分から逮捕されてしまったイエスを、それでも何とか救出しようと考えていたのでしょう、ペテロイエスが連行された ユダヤ教祭司長の屋敷に忍び込み、こっそり隠れていました。 - ここから先は まさに J.S.バッハが作曲した「マタイによる福音書第26章69節から 引用(青字 )させて頂きましょう。

ヘラルト・ファン・ホントホルスト_ 聖ペテロの否認(1625) 
 ― ペテロは外にいて中庭に座っていた。そこへ一人の女中が近寄って来て、「あなたもガリラヤのイエスと一緒にいた 」と言った。ペテロは皆の前でそれを打ち消し、「何のことを言っているのか、わたしには分からない 」と言った。ペテロが門の方に行くと、ほかの女中が彼に目を留め、居合わせた人々に、「この人はナザレのイエスと一緒にいました 」と言った。そこで、ペテロは再び、「そんな人は知らない 」と誓って打ち消した。しばらくして、そこにいた人々が近寄って来てペテロに言った。「確かに、お前もあの連中の仲間だ。言葉遣いでそれが分かる 」そのとき、ペテロは呪いの言葉さえ口にしながら、「そんな人は知らない 」と誓い始めた。するとすぐ、鶏が鳴いた。
 ペテロは、「鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう 」と言われたイエスの言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。                                             
 (新共同訳にもとづきます )


 同じ件(くだり)で「ルカによる福音書 」では、鶏が鳴いたその瞬間、屋敷の中で縛られているキリスト・イエスが中庭のほうを振り向き、そこで自分のことを知らないと言い張っているペテロと目が合う、という劇的な描写さえあります。
 ああ、一体どんな気持ちだったことでしょうか、この時 ペテロさんは。
 不甲斐ないという自己嫌悪と悔悟の極みだったに相違ありません。千言万語を費やしても表せないであろう、そんな心情が「激しく泣いた 」という無駄のない一文に凝縮されていると思います。
 「マタイ受難曲 」では、ここまでの記述を 福音史家が語り終えると、余韻をもって 第39番アリア「憐れみたまえ 」Erbarme dich, mein Gott が始まります。
  憐れんでください、わが神よ
  わたしの涙ゆえに
  ご覧ください、
  心も目も、御前に激しく涙を流しています
  憐れんでください、わが神よ
  わたしの涙ゆえに


 ・・・さて、この時 もう一人 後悔に苛(さいな )まれ、苦しんでいる人物がいました。言うまでもなく、イスカリオテのユダです。ご存知のとおり、この後 ユダは 血の畠で首吊り自殺を遂げてしまうわけですが、同じく主イエスのことを否認してしまった、そんな激しい自責の念に駆られていたペテロもまた この時 悲嘆のあまり自決を選んでいた、そんな危険な可能性さえあったことを 私は想像します。
 もちろんペテロユダ(滅び )の道を選びませんでした。そこがペテロユダとの決定的な違いです。ペテロは、キリストの復活マグダラのマリアから伝え聞くと 使徒ヨハネとともに真っ先にイエスの墓に駆けつけ、その後は、まるで目が覚めたかのようにエルサレムにおいて弟子たちのリーダーとして力強く布教活動を開始、ローマで殉教を遂げることになりますが、カトリック教会においては初代のローマ教皇とされる功績を遺したからです。
 言い換えると、イスカリオテのユダは自死を選んだが故に「裏切り者 」の汚名を着たまま その生を半ばで終えたのです。もし彼が死を選ぶことなく、悔い改め、力強く生き長らえた上、ペテロパウロらとともにキリスト教の布教に努める道を歩んでいたら - そんな可能性だって あったのではないでしょうか ?
 なぜなら、キリスト・イエスは、この翌日 筆舌に尽くせぬ苦難の十字架上で、全ての人類ひとりひとりのあらゆる罪を贖(あがな )ってくださったからです。イエスが代わりに流された尊い血は、ご自身を犠牲にすることによって、わたしたちの罪を、あなたがたの罪を、もちろんペテロの罪をも許してくださっていた、さらには「裏切り者 」ユダの罪をさえ 許していた筈なのです。

 ・・・その晩、「外に出て激しく泣い 」ているペテロに 優しく声をかけてくださった人がいました。
「さて、どうしてお前は ここに立っているのかね。よく見れば泣いているようにもみえるのだが ? 」
振り向いて ペテロは答えました。
「どうして泣かずにおられましょう、こころ寛き神よ ! 私は、ウソの証言を禁じた十戒を犯してしまったのです。だから ここに出て、思いきり泣いていたのです 」
お前は 決して死んではいけないよ
「ああ、どうか私を憐れみたまえ !
「偽りを申したと思うなら、そこに跪(ひざまず)いて、祈りなさい。そしていついかなる時も 神を愛することだよ。そうすれば、天国の歓喜を その身に受けることになろう 」
「ああ、主よ。神の子、キリストよ 」
「わたしは お前に天国の鍵を授けよう。そして、お前が地上でつなぐことは 天でもつながれ、お前が地上で解くことは 天でも解かれるであろう 」

― 天国の歓喜とは祝福された都のことだ
天国の歓喜、そはもはや限りなき喜び !
天国の歓喜がペテロに授けられた。
イエスから、人類すべての至福のため !

可愛らしい歌を歌っていたのは三体の天使
喜びあふれた祝福の調べが 天国に響いていた
天使たちは歌いながら嬉しそうに歓声を上げ、
ペテロの罪が許された ! 」と、喜んでいた。


マーラー:交響曲第3番 第5楽章 「少年の不思議な角笛 」より、
 一部発起人が 意図的に手を入れました )


▲ マーラー:交響曲第3番 ニ短調 より
第5楽章「三人の天使が歌った 」(「少年の不思議な角笛 」より )
クリスタ・ルートヴィヒ (コントラルト )
レナード・バーンスタイン (指揮 )
ウィーン国立歌劇場女声合唱団、ウィーン少年合唱団
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
1972年 4月 ウィーン、於ムジークフェラインザール


 「マタイ~」と同じアルト独唱が「ああ、どうか私を憐れみたまえ ! 」Ach komm’ und Erbarme dich über mich と歌う部分が、J.S.バッハの「憐れみたまえ 」Erbarme dich, mein Gott に極めて似た旋律線を描いているように、私には聴こえます。J.S.バッハに深い敬意を抱いていたマーラー、ココは意図的な創作だったのではないでしょうか、機会があれば あらためてご傾聴ください。


・・・最後に、おまけ です。
マーラーの第3交響曲から「第5楽章 」を聴かれるなら・・・
マーラー 第3番_クラウス・テンシュテット ロンドン・フィル 1979年EMI Klaus Tenstedt
▲ 児童合唱の「向う見ずに 」などという マーラー自身による「やんちゃな指示 」(長木誠司氏 )を かなり忠実に実行しています、そんなクラウス・テンシュテット / ロンドン・フィル(1979年EMI )盤がおススメ。コントラルト独唱は、オルトルン・ウェンケル

マーラー 第3番_デイヴィッド・ジンマンチューリヒ・トーンハレ管弦楽団 2006年RCA デイヴィッド・ジンマン
▲ 時計台から鳴り響く時報のような、他のどのレコーディングとも異なる 個性的な鐘の音も可愛らしい、デイヴィッド・ジンマン/チューリヒ・トーンハレ管弦楽団(2006年RCA )盤。コントラルト独唱は、2015年のデュトワ / N響公演にも参加していた ビルギット・レンメルト

マーラー 第3番第5楽章 プラズマ・シンフォニー・オーケストラ(1986年RCA ) 冨田勲_スケルツォ倶楽部
▲ 冨田勲が手掛けた、おそらく唯一のマーラー作品がこれです。ローナ・マイヤース(コントラルト )と聖ヨハネ教会女声合唱団以外は すべてシンセサイザー(プラズマ・シンフォニー・オーケストラ )による演奏という、天上の調べを聴くような04分10秒。これは1986年 9月13日、ニューヨークの「自由の女神100年祭 」で催されたトミタ・サウンドクラウド・イン・ニューヨークでの残響豊かなライヴ録音(RCA )から。


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