本記事は 4月27日「 注目記事ランキング クラシック音楽鑑賞 」で 第1位 となりました。
皆さまのおかげです、これからも 何卒よろしくお願い申し上げます。


    
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アンラヴェル “ラヴェル” ラヴェルメント
Unravel RAVEL Ravelment 
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ravel[1] Unravel RAVEL Ravelment (5) Unravel RAVEL Ravelment (2) unravel RAVEL ravelment
 “unravel
─  【 vt. 他動詞 】 解明する、 (もつれた糸などを ) ほどく、
    (物語の筋を )解決させる; (話し言葉 )破綻させる.
 “Ravel
─  【 n. 固有名詞 】 モーリス・ラヴェル Maurice Ravel
    (1875-1937 )フランス印象派の作曲家.
   “ravelment
─  【 n. 名詞 】  紛糾、混乱、もつれ
                      三省堂「EXCEED 英和辞典 」より


ローマ大賞に五度も 落選 ! 
そして勃発 「ラヴェル事件 」 とは

ラヴェル作品全集(14CD)DECCA_Universal Music Company 478 3725
ラヴェル作品全集 Maurice Ravel The Complete Edition
音盤 : DECCA_Universal Music Company ( 478 3725 ) CD 14枚組
▲ モーリス・ラヴェルの ほぼ全作品14枚のCDに詰め込んだセット。宣伝する気ではないが、この全集は 素晴らしい。
 もちろん超割安な価格だったということもあったが、肝要な二つの歌劇「スペインの時 」「子どもと魔法 」が、(どうせこの手の全集ならアンセルメプレヴィン盤あたりだろうなーなどと思いながら、楽曲と演奏者のラインナップを眺めていたら ) 何と、あの鋭角的な切れ味の鮮烈さで記憶に残る 若きロリン・マゼール(D.G.)盤が選ばれていることに気づいたことが、即購入を決めた動機だった。 個人的な話、マゼールの個性的な全曲盤CDは 以前うかつにも手放してしまったきり 単独で入手する術(すべ )がなかったため、これらは大歓迎。
 管弦楽曲の多くをフォローしているのは、安定度も高いシャルル・デュトワ / モントリオール交響楽団による おなじみ デッカ / ロンドン の看板音源だが、これまた個人的なことなれど、今まで私はデュトワラヴェルは 何となく聴かずギライで、殆ど手元に置いてこなかった。 品質が悪くないことはよく知っているので、現コレクションと被(かぶ )らない以上、もちろん購入するのに吝(やぶさ )かではない。
 私 がひそかに拘(こだわ )る 「ツィガーヌ 」 も、管弦楽伴奏版はもちろん、ラヴェルが想定したオリジナルのピアノ・リュテアル(1919年に発明された、ハンマーやダンパーを改造してツィンバロンの音色に近づけたメカニカルなピアノ ) による伴奏が聴ける音源から選ばれている、そんな細やかな配慮も良心的。
 これによって、ラヴェルの最も初期(1893年 )の作品である歌曲「愛に死せる女王のバラード 」から、ドビュッシーの 「夜想曲 」を ラヴェルがパリ音楽院時代在学中に 二台ピアノ四手用に編曲した めずらしい版による演奏まで、手軽に聴くことができる。

収録曲
CD1
グロテスクなセレナード、古風なメヌエット、亡き王女のためのパヴァーヌ、水の戯れ、ソナチネ、ハイドンの名によるメヌエット、前奏曲、ボロディン風に、シャブリエ風に (グノー : 「ファウスト 」アリアのパラフレーズ )、クープランの墓

  ジャン=イヴ・ティボーデ (ピアノ )
録音:1991年 (音源:Decca )
パレード
  フランソワ=ジョエル・ティオリエ (ピアノ )
(音源 : Naxos )

CD2
高雅にして感傷的なワルツ
  
  マルタ・アルゲリッチ (ピアノ )
録音 : 1974年 (音源:DG )
組曲「鏡 」
  ピエール=ロラン・エマール (ピアノ )
録音 : 2010年 (音源:DG )
夜のガスパール
  イーヴォ・ポゴレリチ (ピアノ )
録音 : 1982年 (音源:DG )

CD3
組曲「マ・メール・ロワ 」 (4手用 )

  パスカル・ロジェ & デニス・フランソワ・ロジェ (ピアノ )
録音 : 1974年 (音源:Decca )
口絵
  アロイス & アルフォンス・コンタルスキー (ピアノ )
録音 : 1973年 (音源:DG )
耳で聞く風景
  ジャック・フェヴリエ (ピアノ )
録音 : 1971年 (音源:仏ユニバーサル )
スペイン狂詩曲 (4手用 )、ラ・ヴァルス
  ヴラディーミル & ヴォフカ・アシュケナージ (ピアノ )
録音 : 2008年 (音源:Decca )
ドビュッシー : 夜想曲 (ラヴェル編 )
  アンネ・シャスビー & リチャード・マクマホン (ピアノ )
録音 : 1974年 (音源:Decca )

CD4
ツィガーヌ、ハバネラ形式による小品、ヴァイオリン・ソナタ(遺作 )、フォーレの名による子守歌、ヴァイオリンとチェロのためのソナタ、カディッシュ、ヴァイオリン・ソナタ ト長調

  シャンタル・ジュイエ (ヴァイオリン )
  パスカル・ロジェ (ピアノ、ピアノ・リュテアル )
  トゥルルス・モルク (チェロ )
録音 : 1995年 (音源:Decca )

CD5
弦楽四重奏曲ヘ長調

  メロス四重奏団
録音 : 1979年 (音源:DG )
序奏とアレグロ
  オシアン・エリス (ハープ )
  メロス・アンサンブル
録音 : 1961年 (音源:Decca )
ピアノ三重奏曲イ短調
  ボザール・トリオ
録音 : 1983年 (音源:Philips )

CD6
ステファヌ・マラルメの3つの詩、マダガスカル島民の歌

  フェリシティ・パーマー (ソプラノ )
  ナッシュ・アンサンブル
  サイモン・ラトル(指揮)
録音 : 1975年 (音源:Decca )
歌曲集「博物誌 」、5つのギリシャ民謡  
  フェリシティ・パーマー (ソプラノ )
  ジョン・コンスタブル (ピアノ )
録音 : 1975年 (音源:Decca )
ハバネラ形式のヴォカリーズ、ギリシャ民謡「トリパトス 」、2つのヘブライの歌、民謡集(第1-4曲 )
  チェチーリア・バルトリ (メゾ・ソプラノ )
  チョン・ミョンフン (ピアノ )
録音 : 1996年 (音源:Decca )
民謡集 (第5曲 )
  インヴァ・ムーラ (ソプラノ )
  デイヴィッド・アブラモヴィッツ (ピアノ )
音源 : Naxos

CD7
愛に死せる王女のためのバラード、ロンサール - その魂に寄せて、暗く果てしない眠り、紡ぎ車の歌、おもちゃのクリスマス、花のマント、何とも打ち沈んだ、夢

  インヴァ・ムーラ (ソプラノ )
  ヴァレリー・ミロー (ソプラノ )
  クレア・ブリュア (メゾ・ソプラノ )
  ローラン・ナウリ (バリトン )
  デイヴィッド・アブラモヴィッツ (ピアノ )
音源 : Naxos
クレマン・マロの2つの墓碑銘、聖女、ドゥルシネア姫に思いを寄せるドン・キホーテ、激しい風が海のかなたから、草の上で
  ジェラール・スゼー (バリトン )
  ダルトン・ボールドウィン (ピアノ )
録音 : 1963年、1968年 (音源:Decca )

CD8
「シェエラザード 」序曲

  モントリオール交響楽団
  シャルル・デュトワ (指揮 )
録音 : 1992年 (音源:Decca )
歌曲集「シェエラザード 」
  レジーヌ・クレスパン (ソプラノ )
  スイス・ロマンド管弦楽団
  エルネスト・アンセルメ (指揮 )
録音 : 1963年 (音源:Decca )
2つのヘブライの歌、ステファヌ・マラルメの3つの詩
  シュザンヌ・ダンコ (ソプラノ )
  スイス・ロマンド管弦楽団
  エルネスト・アンセルメ (指揮 )
録音:1954年 (音源:Decca )
3つの歌
  モンテヴェルディ合唱団
  ジョン・エリオット・ガーディナー (指揮 )
録音 : 1992年 (音源:DG )
ツィガーヌ
  ジョシュア・ベル (ヴァイオリン )
  ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
  アンドルー・リットン (指揮 )
録音 : 1991年 (音源:Decca )

CD9
バレエ音楽「ダフニスとクロエ 」全曲、亡き王女のためのパヴァーヌ、・ラ・ヴァルス

  モントリオール交響楽団
  シャルル・デュトワ (指揮 )
録音 : 1980~1983年 (音源:Decca )

CD10
ピアノ協奏曲ト長調

  マルタ・アルゲリッチ (ピアノ )
  ロンドン交響楽団
  クラウディオ・アバド (指揮 )
録音 : 1984年 (音源:DG )
左手のためのピアノ協奏曲
  ミシェル・ベロフ (ピアノ )
  ロンドン交響楽団
  クラウディオ・アバド (指揮 )
録音 : 1987年 (音源:DG )
古風なメヌエット、組曲「クープランの墓 」、高雅にして感傷的なワルツ
  ロンドン交響楽団
  クラウディオ・アバド (指揮 )
録音 : 1987~1988年 (音源:DG )

CD11
バレエ音楽「ジャンヌの扇 」より ファンファーレ、ボレロ、道化師の朝の歌、マ・メール・ロワ、海原の小舟、スペイン狂詩曲

  モントリオール交響楽団
  シャルル・デュトワ (指揮 )
録音 : 1981~1983年 (音源:Decca )

CD12
歌劇「子どもと魔法 」全曲

  フランソワーズ・オジェア (ソプラノ : 子ども )
  ジャニーヌ・コラール (メゾ・ソプラノ : ママ、支那のティーカップ、とんぼ )
  ジャーヌ・ベルビエ (メゾ・ソプラノ : 安楽椅子、白猫、リス、羊飼い )
  シルヴェーヌ・ジルマ (ソプラノ : 火、お姫様、うぐいす )
  コレット・エルツォグ (ソプラノ : こうもり、ふくろう、羊飼いの娘 )
  ハインツ・レーフス (バリトン : 肘掛椅子、樹 )
  カミーユ・モラーヌ (バリトン : 振り子時計、黒猫 )
  ミシェル・セネシャル (テノール : ティーポット、数字のこびと、蛙 )
  フランス国立放送管弦楽団 & 合唱団
  ロリン・マゼール (指揮 )
録音:1960年(音源:DG )

CD13
歌劇「スペインの時 」全曲

  ジャーヌ・ベルビエ (メゾ・ソプラノ : コンセプシオン )
  ジャン・ジロドー (テノール : トルケマダ )
  ガブリエル・バキエ (バリトン : ラミーロ )
  ヨセ・ヴァン・ダム (バリトン : ドン・イニーゴ )
  ミシェル・セネシャル (テノール : ゴンサルヴェ )
  フランス国立放送管弦楽団
  ロリン・マゼール (指揮 )
録音 : 1965年 (音源:DG )

CD14
カンタータ 「アリッサ 」

  ヴェロニク・ジャンス (ソプラノ )
  ルドヴィツ・テジエ (バリトン )
  ヤン・ブーロン (テノール )
カンタータ 「アルシオーネ 」
  ミレイユ・ドゥルンシュ (ソプラノ )
  ベアトリス・ウリア=モンゾン (メゾ・ソプラノ )
  ポール・グローヴス (テノール )
  トゥールーズ・キャピトール管弦楽団
  ミシェル・プラッソン (指揮 )
カンタータ 「ミルラ 」
  ノラ・アンセラン (ソプラノ )
  ポール・グローヴス (テノール )
  マルク・バラール (バリトン )
  トゥールーズ・キャピトール管弦楽団
  ミシェル・プラッソン (指揮 )
録音 : 2000年 (音源:EMI )

Ravel Cantates de Rome - Alyssa, Alcyone, Myrrha
▲ EMI原盤ジャケット表紙 この全集ボックスを入手したことによって 初めて耳にすることが 叶(かな )った ラヴェル極めて珍しい 三つの声楽曲 - 「アリッサ Alyssa 」、「アルシオーヌ Alcyone 」、「ミルラ Myrrha 」
 これらは、ラヴェルが 音楽院時代、ローマ大賞の審査のために作曲したカンタータである。 よく知られているように、ラヴェルは、大賞受賞を逃すのだが、それが 芸術院の政治的な背景による不公正な結果だったという問題の渦中に巻き込まれ、音楽とは別の部分で注目されてしまった いわゆる 「ラヴェル事件 」 と 切り離して語ることはできない。
 それにしても、コンクールの課題曲だった 三年分の カンタータの実演を、それも一挙に、耳にすることなど まずあるまいと思っていたから、このディスクの存在は クラヲタ にとっては 望外の喜び だ (踊 )。 しかも いかなる経緯か 私には不明だが、ユニヴァーサル系の音源を集めたCD全集だというのに、これ一枚のみ オリジナル音源はEMI のものなのだ。

ローマ大賞、栄えある受賞者歴
 ローマ賞の審査のために 若きラヴェルが作曲したカンタータ を聴く前に、ローマ大賞の 栄えある第一等受賞者の一覧から、特に重要で著名な作曲家を 挙げてみよう。大賞歴史重み を 実感するために。。。

ルイ・ジョゼフ・フェルディナン・エロルド(またはエロール、Louis Joseph Ferdinand Hérold, 1791年 - 1833年) ジャック=フロマンタル・アレヴィ(Jacques-Fromental Halévy, 1799年- 1862年) ベルリオーズ
▲ (左から ) エロール、アレヴィ、ベルリオーズ
 今日 (こんにち )では 序曲しか演奏されないけれど、その当時はヨーロッパ中で大当りしたとされる 歌劇「ザンパ 」の作曲者エロール ( または エロルドLouis Joseph Ferdinand Hérold、1812年受賞 )グノービゼーサン=サーンスの先生として知られている名指導者ジャック・アレヴィ (Jacques-Fromental Halévy、1819年受賞 ) は、歌劇「ユダヤの女 」で国際的な成功を収めていた。 四度目の挑戦で漸く大賞を受賞したことでも知られる ベルリオーズ(Louis Hector Berlioz、1830年受賞 )は、そのローマ留学中 パリに残してきた婚約者が勝手に他の男と結婚しようとしたことに怒髪天を衝いて怒り狂い、相手の男と可愛さ余って憎さ百倍の婚約者を殺害する目的で ピストルと毒薬を用意、しかもわざわざ女装までしてパリへ向かう馬車に乗り込んだという劇的交響曲な騒動の顛末は、また別の機会に詳しく。

アンブロワーズ・トマ. Thomas, Charles Louis Ambroise 仏 1811 - 1896  エルネスト・ブーランジェ Ernest Henri Alexandre Boulanger (1815 – 1900) French composer シャルル・フランソワ・グノー Charles Franccedil;ois Gounod
▲ (左から )トマ、エルネスト・ブーランジェ、グノー
 歌劇「ミニヨン 」で知られる アンブロワーズ・トマ(Charles Louis Ambroise Thomas、1832年受賞 )、24歳で夭折する才媛リリLili Boulanger、その後 1913年女性で最初の受賞) と 後に名教師となるナディア ブーランジェ姉妹の実父エルネスト・ブーランジェ(Ernest Henri Alexandre Boulanger、1835年受賞 )、 J.S.バッハとの137年越しの共作「アヴェ・マリア 」が有名な シャルル・グノー(Charles François Gounod、1839年受賞 )・・・

Georges Bizet (1838‐1875) エルネスト・ギロー(Ernest Guiraud, 1837年 - 1892年) テオドール・デュボワ(François-Clément Théodore Dubois )
▲ (左から )ビゼー、ギロー、デュボア
 天才ジョルジュ・ビゼー(Georges Bizet、1857年受賞 )、そのビゼーとの親交と彼の「アルルの女 」第2組曲を編曲したことでも名高い エルネスト・ギロー(Ernest Guiraud、1859年受賞 )、後にパリ音楽院院長に就任、ラヴェルの天敵(? )となる テオドール・デュボワ(François-Clément Théodore Dubois、1861年受賞 ) ・・・

ジュール・マスネ(Jules Emile Frédéric Massenet, 1842年 - 1912年 ) Claude Achille Debussy
▲ (左から )ジュール・マスネ、ドビュッシー
 歌劇「タイス 」 「マノン 」 ジュール・マスネ(Jules Emile Frédéric Massenet、1862年受賞 )、そしてラヴェルと並ぶ近代音楽史の巨峰ドビュッシー(Claude Achille Debussy、1884年受賞 ) の名も もちろんある。

ローマ大賞の審査方法
 毎年五月が訪れると、ローマ大賞の選考時期である。
 審査には、与えられた主題に基づく四声の「フーガ 」 および、独唱ソプラノ・混声合唱・管弦楽による「合唱曲 」という二つの課題を 一週間以内という短期間で完成させ、期日までに提出しなければならなかった。
 この予備審査に通ると、コンクール本選となる難関の第二段階が待ち受けている。それは、三人の独唱者と管弦楽による大規模な「カンタータ 」を 一ヶ月間で完成させることだった。本選に残った受験者は、各人 ピアノと机だけの個室に隔離され、与えられた課題に取り組むのだった。この結果によって大賞受賞者が決定されることになっていた。
 われらがモーリス・ラヴェル本コンクールに公式挑戦したのは 計五回。 順に一年ずつ 振りかえってみよう。

最初の挑戦 1900年
 最初の挑戦となった年 - 1900年 - には 「フーガ 」(ニ長調 四分の三拍子 )と「合唱曲 」( 「レ・バヤデール(舞姫 ) 」ト短調、八分の六拍子 )を提出。ラヴェルは 自身に生来具わっていた鋭い爪を敢えて隠し、「音楽はかなり味気なく、控えめに情熱的に、学士院の紳士方にも近づきやすい程度の大胆さをもって(友人に宛てたラヴェル自身の手紙より、1900年3月21日付 ) 」 などと慎重に作曲に臨んだにもかかわらず、初年度は予備審査で落選している。
フォーレ
ガブリエル・フォーレが この時 ラヴェルの才能を擁護する発言をしようとしたが、1896年以来 音楽院の院長に就任していたテオドール・デュボアは、フォーレに対し「君のクラスの生徒の音楽的な素養について、君は重大な思い違いをしているよ 」と断言する、しかもラヴェル本人の目の前で( ! )。
 過度に保守的なデュボア院長と若い前衛的な在校生ラヴェルとの間には 相当なジェネレーション・ギャップがあったと考えられる、それも感情的なレヴェルで。 ローマ大賞コンクール落選から二ヶ月後の七月、(大賞とは別に )パリ音楽院では「フーガ 」コンクールが開催されたが、そこでデュボア ラヴェルの提出作品に 「不可、書法の酷い不正確さのため 」 というコメントとともに 「0点 」 を付け、あろうことか、さらに難癖つけまくり ラヴェル作曲のクラスから除籍処分に してしまったのである。
 失意と絶望の淵に落ちていたに違いない ラヴェルを救い上げたのが、仏の フォーレ教授だった。25歳のラヴェル成績報告書にはフォーレによる見識のコメント - 「非常に優秀な学生。よく勉強し時間に正確。革新的なことに魅せられる音楽的性質、無邪気な率直さで ! 」と描写され、作曲のクラスを除籍されても その後 フォーレのクラスに聴講生として参加することが許されたのだ ( ! )。 教授のおかげで、ラヴェルは「元学生 」として1903年までパリ音楽院に在籍フォーレの指導によって 短期間でさらに著しい熟達と進歩を果たすことになる。

二度目の挑戦、1901年
 翌年 - 1901年 - 「フーガ 」(ヘ長調、四分の四拍子 )、「合唱曲 」( 「すべては光 」イ長調、八分の六拍子 )で予備審査を通過、大賞を争う参加者たちの仲間入りを果たすことになる。
 課題の「カンタータ 」は、フェルナン・ベッシエ作詞、バイロン卿の「サルダナパルス 」に基づく悲劇「ミルラが選ばれた。
 ラヴェル全集14枚目 に収録されているプラッソン(EMI )盤で、ラヴェルがコンクールに臨んで どんな音楽を作曲したのか、実際の音で聴くことが出来る・・・ 誠にありがたい。
Ravel Cantates de Rome - Alyssa, Alcyone, Myrrha
▲ ドイツ・ロマン派風の重厚な序奏で始まる。もしブラインドフォールド・テストなどで聞かされたとしたら、もう絶対にラヴェルの作曲とは判らない、と胸を張って(笑 )断言できる。音響はむしろワーグナー風で、主人公の女奴隷ミルラサルダナパルス王の抒情的な二重唱などは、いわばドイツ・オペラをフランス語上演で聞かされる感覚に近い。 ドラマの大詰め近く、敗北したと運命を伴にし、自死を選ぶ決意をするミルラ、付点リズムで半音階的に上昇下降を執拗に繰り返す音型が 悲劇の緊迫度を高める効果は 並々ならぬもので、今日(こんにち )のラヴェルのスタイルを知るわれわれの耳にとっては違和感満載でも まるで複数のチャンネルを切り替えるように 保守的な大賞審査員の好みに合わせて 柔軟にスタイルを変えてみせ、これだけ高度な楽曲を短期間で創造し得る 自由自在な構築能力こそ大したものではないか。
 考えてみてほしい、「ミルラ 」を作曲したのと同一人物が、同じ時期に、別のチャンネルで 「水の戯れ 」も作曲していることを !

 しかし、この年は、アンドレ・カプレ大賞が、ガブリエル・デュポン二等賞が授与され、ラヴェルには 彼らより下位である「三等賞 」 ( 「二等次席 」 と表記する資料もある、同じことだが )  しか与えられなかった。
サン=サーンス
▲ けれど審査委員のひとりだったサン=サーンスは、ラヴェルカンタータに感銘を受けたとされ、事実 シャルル・ルコックに宛てた手紙(1901年7月4日付 )の中で、わざわざ「ラヴェルという名前の三等賞受賞者は 重要な経歴を積む運命にあると思われる 」と書き残しているそうである。 尤も この「重要な経歴を積む運命 」という表現に相当する原文のニュアンスは 私には判らないので、あるいは反意的な意味だったのかもしれない、なぜならサン=サーンスは この翌年出版された「水の戯れ 」を評して 「まったくの不協和音に過ぎない 」という短い一言で切り捨てることになるからである。

三度目の挑戦、1902年
 その翌年 - 1902年 - 「フーガ 」(変ロ長調、四分の四拍子 )、「合唱曲 」( 「 」変ホ長調、八分の十二拍子 ) で予備審査を通過本選に進んだラヴェルに与えられた「カンタータ 」課題は、ユジェーヌ・アデニスエドゥアール・アデニス共作詞、オヴィデウス「変身物語 」に基づく 「アルシオーヌ 」 だった。
Ravel Cantates de Rome - Alyssa, Alcyone, Myrrha
▲ 高貴な王と女王悲劇的な恋愛が描かれる。オーケストラのみによる間奏曲では、王が難破する不吉な夢に苦しむ女王の心情が描写される。
 音楽はドラマティックなスケールで展開し、ここでもワーグナーからの露骨な影響を隠さない。豊かな色彩感に満ちた管弦楽の音響と 抒情的なシーンにおける東洋的な美しいメロディは ドラマの随所に溢れ、ほぼ同時代のプッチーニオペラへと繋がる方向さえみえる気がする( 「マダム・バタフライ 」が初演されるのは「アルシオーヌ 」の翌1903年 )。 もちろん両者の間に連関などあるべくもないが、当時のラヴェルの時代を読む先見性は 彼が本来もつオリジナリティと決して断絶するものではない。
 事実、これを一聴すれば 誰しも感じるとおり、曲中「マ・メール・ロワ 」や「ダフニス~ 」 を連想させる個所が 一度ならず存在する。エンディング近く、繰り返し流れ落ちる弦セクションの音型はラヴェルらしくはないけれど、とても美しい。
 しかし、この年の第一等の栄誉シャルル・ルヌヴーの生徒エメ・キュンクの頭上に降った。「アルシオーヌ 」の質をもってしてもラヴェルは受賞選外に落ちた。

四度目の挑戦、1903年
 さらに翌年 - 1903年 - 「フーガ 」(ホ短調、二分の三拍子 )、「合唱曲 」( 「プロヴァンスの朝 」イ長調、四分の四拍子 )も ラヴェル予備審査を通過して本選に臨んでいる。二次選考の課題は、マルグリット・コワフィエ作詞の アイルランド伝説に基づく 「アリッサ 」 だった。ラヴェル自身は その稚拙なプロットにまったく共感出来ず、ジレンマに陥ったとされる。
Ravel Cantates de Rome - Alyssa, Alcyone, Myrrha
▲ 今回も ラヴェル本来の香りを 排した、保守的なイントロダクションに過剰な抑制を感じつつ、徐々にボロディンリムスキー=コルサコフを思わせるロシア風の音響に乗せて 半音階が多用される旋律や色彩感あるオーケストラ書法に、かろうじて ラヴェル本来の才能が感じとれる。
 この「アリッサを 初めて聴いて 特に感じたのは、雄弁な行間だ。 主人公たちの感情や思惑を伝える方法として、単に歌詞に頼るのではなく、歌手が沈黙している間に活躍する管弦楽の動きに意味がある。 臣民のために戦うべくブライズィルが妖精アリッサに別れを告げるシーン、ハープによるグリッサンドの後 一瞬訪れる弦のトレモロの効果など特筆すべき個所も多い。
 しかし、この年もまた ラヴェルは結果を出すことはできなかった。大賞第一等ラウル・ラパラの手に渡り、ラヴェルはまたも選外に甘んじた。

最後の挑戦、1905年
 そして、一年おいて1905年 - とうとうラヴェル コンクール規定制限年齢30歳を迎えるため、この年の挑戦が最後となった。
 例によって「フーガ 」(ハ長調、四分の二拍子 )、「合唱曲 」( 「夜明け 」変ホ長調 ) という二つの課題を提出するも、当年は 何と予備審査の段階で落選させられてしまう。
 しかし、この1905年時点モーリス・ラヴェルは 「古風なメヌエット(1895年 ) 」、「逝ける王女のためのパヴァーヌ(1899年 ) 」、前述の 「水の戯れ(1901年 ) 」、歌曲集シェエラザード(1903年 ) 」、「弦楽四重奏曲(1903年 ) 」、「ソナチネ (1905年 ) 」、組曲(1905年 ) 」など、後世に残るような 傑作・名曲を いくつも発表しており、もはやローマ大賞受賞の結果などに関わらず、すでに ひとりの人気作曲家として、最先端の音楽を愛するパリジャン、パリジェンヌたちの間では 知らぬ者もないほどの存在だった。

そして 「ラヴェル事件  
ロマン・ロランRomain Rolland
▲ ロマン・ロラン Romain Rolland
 そんな新進気鋭の才能が 五度も挑戦した挙句 ローマ大賞第一等を受賞することなく参加資格を喪失したことに対し、「ジャン・クリストフ 」や「ベートーヴェンの生涯 」などで知られ、音楽芸術全般にも造詣の深い作家ロマン・ロランが 芸術院会長である ポール・レオン に対し 落選の真意を問う公開質問状を 新聞(日刊「ル・マタン 」紙 )一面に掲載させたことを、世間が注目しないわけがなかった。

ロマン・ロランの質問状(1905年5月26日 )より 一部抜粋
 - わたしロランは この一件に関し、完全に公平な立場です。
 ラヴェル氏の友人というわけでもありませんし、彼の繊細で洗練された芸術に対しては むしろ共感していないとさえ申し上げられます。
 しかし正義が わたしに言わせるのです、ラヴェル氏が 有望な学生であるばかりでなく、すでに彼がフランス音楽を背負って立つ数少ない若き巨匠のひとりであるということを。
 わたしは審査が誠実におこなわれたことを一瞬たりとも疑ってはいません。それを問題にするつもりはありません。しかし、これは審査員団にとって 永遠の有罪宣告なのです。彼ら審査員団は、一体何を守ろうとして ラヴェル氏のような独創性のある類まれな芸術家にさえ ローマ留学の門戸を閉ざそうとするのでしょうか、わたしには理解できません。
 ラヴェル氏は国民音楽協会のコンサートで、試験で要求されるよりもはるかに重要な諸作品によって、その地位を固めたのです。彼は、コンクール自体の名を高めたのです。ラヴェル氏の作品が他の参加者に比べて劣っている、もしくはそのようにみえたとしても、少なくとも彼には特別賞が与えられるべきでした。これはベルリオーズの場合にいささか似ています。ラヴェル氏はローマ賞コンクールに、学生としてではなく、すでに自分の力量を示した作曲家として参加したのです。わたしはラヴェル氏を審査する勇気があった作曲家たちを賞賛します、彼らの番になったら、一体だれが審査するのでしょうか?

(以上 青字部分  「ラヴェル - 生涯と作品 」 音楽之友社、アービー・オレンシュタイン / 著、井上さつき / 訳、一部 発起人の文意に沿った手直しあり )

 その影響力の大きさは、これをきっかけに 音楽院に対する疑問と不信の念を叫ぶ 世論が沸騰したことに表れている。 これが 今日まで 「ラヴェル事件 」 と呼ばれる、フランス楽界に 波紋を招くことになった 「事変 」 である。 尤も その名を冠されても ラヴェル本人には 何の非も責任もない。 - どこに問題があったのかと問われれば、象牙の塔内部の不公正さ にある。 なにしろ 1905年のコンクール本選に選ばれていた候補者たちが 揃いもそろって大賞審査員を務めていたシャルル・ルヌヴークラスに属する生徒だった という事実においても、その一端が表れていよう。
 有能であったにもかかわらず 「意図的に落選させられた 」 ( と、一般にはみなされた )ラヴェルは、 社会的名声も高かったガブリエル・フォーレ教授の聴講生クラスからコンクールに参加していた唯一の存在であったがゆえに、これによって 革新的なフォーレ自身の音楽院における 「不当な孤立 」 までも問題視されたのだ。
 こうなると、もはやラヴェル個人の作曲家としての評価などではなく、フランス楽壇恣意的な政治性に起因する問題として 改善を求めて白熱した議論は、多方面に飛び火した。そして、とうとう ラヴェル天敵(笑 )だった テオドール・デュボワが、問題の責任を負ってパリ音楽院院長職を辞任せざるを得ないところまで追い込まれてしまった。 しかも その後任の音楽院院長として就任したのは、ラヴェルの恩師ガブリエル・フォーレ だった。 
 そう、 いわゆる 「ラヴェル事件 」 は (ある意味において )、革新的な 若い作曲家 勝利 と、旧弊な 保守勢力の崩壊 という、まるで絵に描いたような 勧善懲悪劇的な 結末を 迎えたわけである。

 尚、ローマ大賞自体が本来持っていた性格について、留意すべき重要な情報を 相場ひろ氏 が紹介している。 たいへん興味深い。 以下、参考に 引用させて頂こう ( 青字 )。
  ―  ( ローマ大賞は ) 必ずしも有望な作曲家を発掘するためのものではなく、アカデミズムを継承する音楽エリートを国家として認定し、各地にある国立音楽院などでのポストを埋めるにふさわしい人材を拾い上げることを第一の目的としていた。 「ローマ大賞受賞者で作曲家として成功したのはベルリオーズとドビュッシーだけだ 」 などと言われるのもこのためだし、その意味では、作曲家として十分自立できるだけの地位を固めつつあったラヴェルが、これほどローマ大賞に執着したことは、今となっては理解し難い。おそらくは第一位副賞の3万フランが、いまだ裕福とまでいかなかった彼にとって 魅力的だったためと思われる。
  ( 青字部分相場ひろ氏 の文章 - 音楽之友社「レコード芸術 」2007年3月号 「ラヴェル & ガーシュウィン とその時代 」から )


 ・・・ そんな波乱に満ちた若い作曲家の塞いだ気分を転換させ、楽しませてやろうとの粋な計らいから、親しいパトロンのエドワール夫妻らから、ベルギー ~ オランダへのヨットでの船旅に行かないかという素敵な誘いを ラヴェルは受けることになるのだが、その話題は また次回に 。


参考文献
「ラヴェル 生涯と作品 」 音楽之友社
(アービー・オレンシュタイン / 著、井上さつき / 訳 )

「ラヴェル その素顔と音楽論 」 春秋社
 (マニュエル・ロザンタール / 著、マルセル・マルナ / 編、伊藤制子 / 訳 )

「ラヴェル & ガーシュウィンとその時代 」から 音楽之友社
(「レコード芸術 」2007年3月号 ~ 相場ひろ氏による文章 部分 )


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