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リヒテルを 呪縛した カーネギー・ホールの 「熱情
スケルツォ倶楽部_リヒテルを 呪縛した カーネギー・ホールの「熱情 」 ベートーヴェン「熱情」_0004
幻のカーネギー・ホール・ライヴ1960  ▲
第一夜 ベートーヴェン : 「熱情 」
ベートーヴェン : ピアノ・ソナタ第3番ハ長調 Op.2-3、第9番変ホ長調 Op.14-1、第12番変イ長調 Op.26 「葬送 」、第22番ヘ長調 Op.54、第23番ヘ短調 Op.57 「熱情 」、(以下 アンコール ) シューベルト : 即興曲変イ長調 Op.90-4、D.899-4、シューマン : 幻想小曲集 Op.12-2「飛翔 」、ショパン : 練習曲ハ長調 Op.10-1、ハ短調 Op.10-12
スヴャトスラフ・リヒテル (ピアノ )
録音 : 1960年10月19日、ニューヨーク、カーネギー・ホール
音盤 : ソニーミュージック (SICC-30204~5 )



 短い夏を見送って久しい。
 長い長い冬へと向かう束の間の幻影のように、モスクワ郊外は 黄金の秋の気配が深まって 徐々に気温も下がっている。
 今宵もすでに陽は沈み、閑静な別荘の居間にも宵闇が訪れようとしていた。屋敷の広間に据え置かれたピアノの手元を照らす、ごくわずかな照明だけを灯すと、今 独りの頑健な体躯の老人が静かに楽器の前に腰をおろすと、ふと自身の遠い昔の回想に耽った。
「今から32年も前 ちょうどこんな季節だった・・・ あの喧噪の都市ニューヨークへ、私が初めて出向いたのも 」

 彼 - 二十世紀最大のピアニストの一人、スヴャトスラフ・リヒテルは、この時 すでに齢77歳を迎えようとしていた。
「客観的にみて - 」
と、偉大なリヒテルは ピアノのふたに片手を置きながら、つぶやいた。
「最近の私の音感は ズレ始めているようだ 」
ゆっくりと 彼はピアノのふたを開けると、そこに並んだ白黒の鍵盤が 手元の柔らかいライトに照らされるのを眺めた。
「音が、一音か二音、高く聴こえる時がある・・・。脳か聴覚が衰えてきているせいなのだろうか 」
撫でるように、リヒテルはその鍵盤に触れた。
「自分には 疑いなく絶対音感があるはずだったのに、うまく音が拾えない時がある・・・。 そうなると楽曲は一変してしまう。自分の意志では制御できず、意図せず、そうなってしまうのだ 」

 自身の記憶に対し焦燥感を感じた老ピアニストは、しばらく考えてから もうずいぶん長く弾いていなかったレパートリーの一曲を 衝動的に選んだ。
リヒテル_0001

 その両手の指を伸ばすと 無意識にヘ短調の分散和音をピアニッシモでゆっくりと下降させるや すぐ上昇へと転じ、その末に特徴的なトリラーを短く奏でる。 ― リヒテルが弾き始めたこの曲こそ、実は 彼が30年以上にもわたって封印し続け 公開の場での演奏を避けてきた ベートーヴェン作曲のピアノ・ソナタ第23番 ヘ短調「熱情 」の冒頭・・・。

 「熱情 」ソナタ・アパッショナートは、ずっと リヒテルの心の傷だった。

 1960年、東西冷戦の真っ只中、アメリカ合衆国とソヴィエト連邦の関係が 文字どおり冷え込んでいた時期、文化的な面から両国間の交流を深めることによって関係改善のために努力していた人々がいた。ソヴィエト首相フルシチョフのアメリカ訪問計画に合わせ 両国の親善のための手土産として、まだ共産圏内での演奏旅行しか許されていなかった ソ連最高のピアニスト、スヴャトスラフ・リヒテルの渡米は、当時の東西文化交流のまさにハイライトと言えるできごとだった。

 老リヒテルの指は、憧れと希望に満ちた変イ長調の第2主題を紡ぎだし、動機的には表裏一体である峻厳な第1主題との鮮明な対比を際立たせた。

 彼は、32年も昔の記憶を 辿(たど )るように振り返っていた。
「・・・別に 私が政治的な規制で出国を許されていなかったというわけではなかったんだ。私自身がアメリカに行きたいなどとは少しも思ってなかった、というのが真相だ。でもそんな状況下で、米国の有力な興行主ソル・ヒューロックが 毎年のようにモスクワにやって来ては 『ぜひアメリカへ 』 って、もう面倒クサイので 仮病を装って逃げ回っていたのだが、ある時 どこかの会場でばったり出会ってしまって『リヒテルさん、全然お元気そうじゃありませんか 』だって・・・もう逃げられなくなってしまった - 」
と、そこまで昔を回想した老ピアニストは 頬にちょっぴり思い出し笑いを浮かべた。
「ダヴィッド・オイストラフもキリル・コンドラシンも 党の中央委員会に泣きついたそうだ。『いい加減にリヒテルを国外へ出してくださいよ 』、 『外国へ演奏旅行に行くたびに訊かれるんですから、ソ連共産党は 一体いつリヒテルを西側へ出国させる気なんだって 』 - 」 

 「熱情 」第1楽章の主題の展開部は、十六分六連音符および五連音符を伴って テーマの動機を劇的に発展させゆく技巧的なプロセスだ。そんな複雑なパッセージを積み上げる一つ一つの音 - 長い間 弾かなかったにもかかわらず - それらすべての音符は、しっかり鮮明にリヒテルの大脳皮質に刻まれていた。

 そんな 「幻のピアニスト 」 が鉄のカーテンを越えてやってくる初公演は全米の話題をさらい、1960年10月にカーネギー・ホールで催される、すべて異なるプログラムでの五夜ものリサイタルのチケットは、ニューヨーク・タイムズ紙に「なんとしても手に入れるべき 」 という扇情的なコメントの効果もあってか、これが告知されるや わずか数時間で全席完売してしまった。

 「熱情 」 ソナタの第1楽章を居間のピアノで弾き終えた老リヒテルは、今、続いて穏やかな第2楽章へ入った。
 緩徐楽章は、和声進行だけのようにさえ聞こえる とてもシンプルな主題と三つの変奏からなる静寂の中間楽章だ。両端楽章の嵐のような激しさを柔らかく吸収するスポンジのような、いわば緩衝材的役割を担っている。

 1960年 遂にアメリカ上陸を果たしたリヒテルは、まず10月15日、シカゴにおけるエーリヒ・ラインスドルフ指揮 シカゴ交響楽団とのブラームスの第2ピアノ・コンチェルト のソリストを務めたのを皮切りに、いよいよ全米注目のカーネギー・ホールにおける連続ソロ・リサイタルへと臨むことになる。
 リヒテルが得意とするハイドン、ベートーヴェン、プロコフィエフから シューマン、ラフマニノフ、ドビュッシー、ラヴェル、スクリャービンにいたる広範なレパートリーを聴衆に力強く印象づけるものだった。
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 しかし、ここでリヒテルのアメリカ嫌いを決定的にしてしまう、ひとつの事件が起きようとしていた。
 歴史的ともいえるソロ・リサイタルを、当時CBSコロンビアのA & Rディレクターだったスカイラー・チェイピンは、ロシア演奏家の著作権を一手に扱っているとされたソ連図書貿易公社メジュドゥナロードナヤ・クニガ(以下MK )と交渉し、組織に6万ドルもの巨額な契約金を払うことによって、10月にカーネギー・ホールで5回開かれるリヒテルの全リサイタルを録音する権利を得た。
 しかしコロンビアが自社の最新レコーディング機材をホールにセッティングしようとすると、なぜかMK側はそれを許可せず、結局 演奏家が個人的な記録用に録音する場合だけに使われる、ホール備え付けのモノラル・マイクを用いてレコーディングせざるを得なかったのだった。
 これは、イヴェントの興行主ヒューロックと強力なパイプを持っていたアメリカ側のレコード会社RCAによって、12月に入ってから同じカーネギー・ホールとニューアーク・モスク劇場の二ヶ所で催されたリヒテルの追加リサイタルのレコーディングが、良質なステレオ録音によって収録されたことと あまりにも好対照である。

リヒテル_0002
▲ RCA
1960年12月26日、ニューヨーク、カーネギーホール
ハイドン:ピアノ・ソナタ第50番 ハ長調、ショパン:スケルツォ第4番 ホ長調、バラード第3番 変イ長調、ラフマニノフ:前奏曲 嬰ヘ短調、イ長調、ロ短調、嬰ト短調、ラヴェル:水の戯れ、鐘の谷( 組曲「鏡より 」 )、プロコフィエフ:ピアノ・ソナタ第6番 イ長調、「束の間の幻影 」より 第3、4、5、6、8、9、11、14、15、18曲
1960年12月28日、ニューアーク、モスク劇場
プロコフィエフ:「シンデレラ 」から3つの小品、「束の間の幻影 」より第4曲、ドビュッシー:前奏曲集第1巻から 第5曲「アナカプリの丘 」、ショパン:練習曲第10番 変イ長調、第12番「革命 」、マズルカ ハ長調


 当時リヒテルは リサイタルのプログラム終盤で 必ずと言っていいほどベートーヴェンの「熱情 」を据えるほど 積極的にこのソナタに取り組んでいた。 それは、演奏一回一回が まるで明日なき完全燃焼のショーケースと言い得るほど濃い演奏姿勢で、特に第三楽章のコーダに入ってからのプレストの尋常ならざる追い込みは 特筆に値した。
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▲ 同時期(1959年 )のリヒテルによる バリバリの 「熱情 」が聴ける ライヴ音源。
   (左 ) 於キエフ録音 TNC盤、(右 ) 於プラハ録音 Praga盤  


 これほどまで激しい気迫を感じさせる演奏は 他の演奏家でも古今稀であろう。 この時期のリヒテルは、多少のミスタッチなどは眼中に無い - なぜなら、録音されて繰り返し聴かれることなど考えていない - 常にその場一度限りで燃え尽き果てる演奏だったからだ。
 そんな演奏姿勢に賭ける素材として選ばれてきた「熱情 」を、45歳のリヒテルは 米国公演でのリサイタル初日という異様な状況下、異常な精神状態のもとで演奏することになった。
 それは もはや常人の想像を絶する凄演だった。
 特に 7分を切る速さで疾走する第3楽章 (拍手を除いたら正味06:48ほど ) は コーダに向け さらに加速を増し、プレストに入ってからの凄まじい熱狂はもはやリヒテルらしくない、正確な打鍵さえ犠牲にするものだったからだ。


 今、久しぶりにソナタ「熱情 」を弾きながら、老リヒテルは 静かな第2楽章からアタッカで アレグロの第3楽章へ入る瞬間を迎えた。
 同時に心の裡で 当時を回想しがら つぶやいた。
「アメリカ楽旅は、興行としては成功だったらしいが、
 動揺して精神状態は混乱の極みだったね。
 音を外しまくって われながら酷い演奏だった、自分で自分が許せない。
 たとえ聴衆が喜んでくれても 私は 大いに不満だった。
 喝采に値しない演奏だったのにもかかわらず・・・
 やはりアメリカ人は 音楽を理解していなかったようだ 」

 ことの成りゆきに不安を抱いたCBSのチェイピンは、MK側の代表者に連絡を取り、演奏者であるリヒテル自身にライヴ・テープの販売承諾をもらっているのか確認してほしいと頼む。その結果「リヒテル 」から届いた音源を許可すると称する電報は なんとアーティスト本人が関知しない偽物だった。
 信用できる連絡ルートを求めたチェイピンは、遂にヴァイオリニストのアイザック・スターンの仲介によって、リヒテルが直に書いた手紙を読んで 彼の真意を聞き、大きな衝撃を受けることになる。リヒテルは 激しく傷ついていたのだ。
「私は、10月のカーネギー・ホールの不本意なリサイタルをコロンビアが録音していたことも、これにMKが私に無断で許可を与えていたことも一切知らされていませんでした。あの時のニューヨークでの演奏には満足しておらず、たいへん困惑しています。どうか この音源は発売しないでください。いえ、それどころか 録音テープのすべてを消去して頂けると 大変ありがたいです 」


 これを受け、実直だったチェイビンは すでに米英市場に流通していたL.P.二枚組三巻、および一枚もの一巻という計四タイトル(10月19日、23日、25日、28日という第一夜から第四夜までの計四回分のリサイタルのプログラムをほぼそのままL.P.七枚分を各巻に収録する形での発売、)を販売停止にすると、さらに 残り第五夜(10月30日 )の演奏と各日のアンコール・ナンバーを収録する予定だったL.P.二枚組のリリースも中止させたのだった。
 尤も その後1970年、なぜか日本だけで(当時創業直後だったCBSソニーから )「カーネギー・ホールのリヒテル 」と題され、この音源すべてがL.P.一枚ずつシングル・ジャケットに収められ 全九枚(九巻 )シリーズとして市場に流通していたことがある。
 これが、ちょうど初来日を果たしていたリヒテル自身の知るところとなり、即座に本人から販売中止を要請されたという。
特に その第八巻と第九巻はかつて米英で販売中止された10月30日(第五夜 )の音源と未発表アンコール曲が収録されたものだったため、リヒテルの意を請けて廃盤となった後は 世界中のリヒテル・ファンが血眼になって探すレア・アイテムになってしまった - という 余計な逸話も くっついた。

 アメリカのレコード産業と狡猾な党の官僚組織の共謀によって、この時 受けた心の傷が原因で リヒテルは とうとう公開の演奏会での「熱情 」演奏を封印してしまったのだった。


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▲ DOREMI(DHR-7864~9 )盤
リヒテル・アーカイヴズ Vol.10 : 1960年10月 - 5日間に渡って カーネギー・ホールで行われた リヒテル歴史的リサイタルのほぼ全貌を収めた CD 6枚組。問題となった「熱情 」の演奏を聴きたければ、これまでは CBSソニー オリジナル音源が再リリースされるまで、このDOREMI盤 を入手する他なかった - 。

 

 長い冬へと向かう前の 深い秋の気配に包まれる空気の中、暗い広間の一室でピアノの手元だけをごくわずかに照らす灯りを頼りに、今 リヒテルは32年ぶりに - 本当に久しぶりに「熱情 」を弾ききろうとしていた。

 308小節目、コーダへ入ろうとする瞬間、ヘ短調の和音がフォルティシモで二発叩かれると、楽曲は八分音符で たたみかけるように激しい農民舞踏風のテーマに追い込んでくる。かつて32年前のカーネギー・ホールでは これに続く第1主題のテーマを猛烈な強奏で弾き切ると 狂ったように連続アルペジオを繰り広げたものだった。
「 もはや何者とも競う気は無い。迫力も力強さも決して失うことなく、それでいて 昔と変わらぬ『熱情 』のパワーを失うこともなく、堅実なスピードで 充分に同程度の効果を上げることが、今の私には出来るのだ 」
老ピアニストは 胸の奥から 押さえきれぬほどの喜悦が湧き上がってきて、発作的に 笑い出したくなる衝動を感じた。
 殆ど暗闇の中、リヒテルは心の裡に溜まった感情を 怒涛のカタルシスとともに洗い流しながら、ヘ短調の和音を フォルティッシモで三連発、手元の照明に照らされたピアノの鍵盤に打ちつけると、遂に演奏を終えた。

 その瞬間 ピアノの周囲から万雷の拍手が あたかも 潮(うしお )のように大きくなって広がり、徐々に打ち寄せてくる。何だ、この音は ? それが 音楽に感動した聴衆による 演奏家への賞賛を伝えようとする拍手のクレッシェンドだと気づくと、老ピアニストは 深く心を打たれていた。
 いつのまにか ここは・・・ 別荘の居間に据え置かれたピアノだと思い込んでいたが、これは アムステルダム・コンセルトヘボウの大ホールに置かれたスタインウェイではないか ? ああ、そうだ - 彼は思い出した、リサイタルの会場照明をすべて落とし、自身はピアノの鍵盤と手元を照らすだけの灯りを置いて、今宵 ベートーヴェンの「熱情 」に臨んでいたことを・・・。 そう、32年前 ニューヨークで リヒテルにかけられた「熱情 」という名の長き呪縛は、今宵 ようやく解けた。

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▲ ベートーヴェン : 「熱情 」 1992年
ベートーヴェン : ピアノ・ソナタ第19番ト短調 op.49-1、第20番ト長調 op.49-2、第22番ヘ長調 op.54、第23番ヘ短調 op.57「熱情 」
スヴャトスラフ・リヒテル ( ピアノ )
録 音 : 1992年10月、アムステルダム、コンセルトヘボウ (ライヴ )
音 盤 : PHILIPS原盤


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コメント

お便り ありがとうございます

たつさま、お久しぶりです。
拙文を ナイスフォローしてくださる良コメント いつもありがとうございます。尚、さきほど この文章は、所属カテゴリーを 「オリジナル小説 」のほうに移すことに決め、早速 実行しました。
さて、リヒテル・ファンにとって幻の音源 「1960年10月のカーネギー・ホール・ライヴ 」が ソニー・クラシカル所蔵のオリジナル・マスターから初めて正規CD化(!)となどという情報に 興奮して入手、早速聴いてみましたが、以前からカナダのDOREMIレーベルから出ていた 6枚組( LP板起こし音源 )復刻盤の音質と さほど変わっているところがないことに 軽くがっかり・・・。 でも 考えてみれば、このソースとなった音源は もともとカーネギー・ホールに設置されたモノラル・マイクをとおして録った音だったわけですから、針音が消えて拍手の収録時間が延びた程度でも満足しなければイケナイのかも知れませんね。
いつか 吉祥寺バロック でお目にかかりたいものですね。私は 次回は(たぶん ) ゴールデン・ウィーク辺りに 足を運ぼうかなと考えています。

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リヒテルと「熱情」

 こんにちわ

 カーネギー・ホールでリヒテルにかけられた「熱情」の呪縛が解けるまで32年を要し、その間「熱情」を封印していたとは、大芸術家のリヒテルの苦悩はいかばかりかと思います。
 昔テレビで「芸術は爆発だ~」と表現していましたが、「熱情」はその言葉どおりの音楽と思います。
30番ピアノソナタは間逆で、世俗から解脱した「無」の境地の音楽と感じています。
 リヒテルは、真正直な人で大芸術家でも驕りがなくていい人ですね。
今回の内容はドキュメンタリー番組を作成できそうです!!
 で、先月は吉祥寺のバロックに行きましたが、客が多くないのにリクエストできないままコーヒーを飲んで帰りました。

URL | たつ ID:mQop/nM.[ 編集 ]

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