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ブリテン : 歌劇 「ねじの回転 」 The Turn of the Screw
(原作:ヘンリー・ジェイムズ )
 - 本当はもっと怖い真相 


Benjamin Britten and Peter Pears  ねじの回転_Innocents (3)
ブリテン(左 )と 初代クイントピーター・ピアーズ

第二幕 第8場「マイルズ 」

 ヘンリー・ジェイムズの名作「ねじの回転 」を原作とする、古今に類を見ない ベンジャミン・ブリテン作曲のオカルト・オペラを、カタストロフィのラスト・シーンへと導く 不吉な前奏曲(第15変奏 )は、ピットで演奏する室内オケ全員が - 弦も管も打楽器も - まるで恐怖に戦慄するあまり 一斉にトレモロで震え出すような、異様な不協和音で始まります。
 亡きピーター・クイントが、悪霊となり ブライ屋敷めざして滑降してくる姿を描く、一際高いピッコロ・ソロが 天空に飛翔を描き、再びオーケストラが震えてみせると、これにとどめを刺すように炸裂するティンパニのソロ。

ブリテン ねじの回転_初演メンバー ブリテン ねじの回転_ハーディング盤
▲ “スケルツォ倶楽部発起人、例によって ブリテン自身が指揮する初演時のメンバーによる歴史的名演(左 Decca、1954年録音 )と、俊英ダニエル・ハーディング(右 Virgin、2002年録音 )盤の二組を 交互に聴き比べていますが、やはりここは 新しいレコーディングで聴ける、シュテファン・ラップが叩くモダン・ティンパニの轟(とどろ )くクレッシェンドと抜けの良い破裂音の何と耳に快いこと。
 ゆっくりと 中低音域の楽器たちがユニゾンで ブリテン基本音列をなぞりながら下降してゆくと、舞台は 前場から明けて翌朝になっています。

 旅装のグロース夫人に伴われた少女フローラが、お気に入りの人形と小さな旅行かばんを持って玄関ポーチに現れます。
 昨夕 ヒステリーの発作を起こし 錯乱したフローラは、グロース夫人に伴われ ブライ屋敷へ戻ったものの終始落ち着かず、三分おきに恐怖の発作に( ジェスル先生の霊に ではなく、今の家庭教師に対しての恐怖だという )襲われるので、結局自室には入らず、とうとう兄マイルズとも顔を会わせることなく、そのまま昨晩は 家政婦の寝室で休んだのでした。
 旅立とうとする二人に 家庭教師が玄関へ近づくと、フローラは「先生 」のことを避け あからさまに背を向けると数歩遠ざかります。グロース夫人のほうは、「先生 」に話をしようと歩み寄ります。
 二人のソプラノ歌手が交わすレチタティーヴォ風の会話を支えているのは、一台のハープ以外 必要最小限の通奏低音のみなので、聴感的には殆ど無伴奏であるような錯覚さえしてしまう、舞台空間の広さを感じさせる効果にも感嘆します。
グロースさん・・・ 」
「ああ 先生、貴女のおっしゃっていたことは 本当でした 」
と、家政婦は涙ぐんでいます。
 昨晩 フローラを隣に寝かせたグロース夫人は、真夜中に「幼いレディが言うような言葉ではない 」、「ぞっとする言葉で 」、「卒倒しそうなほどに恐ろしいこと 」を、フローラが寝言で口にしたのを聞いてしまったというのです。それが 実際にはどんな言葉だったのか 意図的に明かされないことが より一層私たちの恐怖心と想像力を刺激します。
 いずれにしても「先生 」は、自分の正しさが これで証明されたことを感じ、また これまでグロース夫人からは得られなかった全面的な同意を得て、救われた喜びと新たな勇気を取り戻していたに違いありません。
「そんな汚い言葉を フローラがどこで覚えたのか、わたしには見当がつくわ 」
「はい、実は 私にも・・・。 あんな言葉を 以前聞いたことがありましたから 」
と、グロース夫人。彼女は、生前のクイントミス・ジェスルの二人が まだ屋敷にいた頃、彼らの口から同じ言葉が出たのを記憶していたのでしょう。

 原作では、「先生 」とグロース夫人の会話は 早朝まだ明け方前、夫人が「先生 」の部屋を訪れて 交わされる設定になっていました(その間、フローラは 一人で家政婦の寝室に寝ていますが、夫人は部屋には鍵をかけてきたと説明しています )。この段階で、「先生 」は グロース夫人に 重要な指示を与えることになります。
フローラ(に憑依したミス・ジェスル )の望みは、わたしを屋敷から追い出すということでしょうね 」
「・・・先生には、二度とお会いしたくないそうです 」
「そのことですが、いろいろ考えた末、わたしも結論を出しました 」
「 ? 」
「たしかに、わたしが屋敷を出ていけば簡単だし、日曜日には実際そのつもりでした。でも それではダメ、出ていくのはあなた、グロースさん。それもフローラを連れていくのでなければ -  」
少なからず驚くグロース夫人
「え、いったいどこへ ? 」
「ここの外(ほか )、『あの二人 』 の幽霊がいないところです。さらに フローラ的には “わたしもいない所”でなければね(笑 )。そうなると 兄妹の伯父様 - ロンドンの後見人のところしかないと思います 」
てきぱきと指示を与える「先生 」、その気力たるや 大したものです。彼女の言葉に 今は力強く頷(うなづ )いてみせるグロース夫人。とにかく今は 兄妹二人を互いに離しておくべきであるという、「先生 」同様、彼女も直感で ことの危険性を判断しています。
フローラを 安全な所へ連れて行ってくださいますね 」
「わたしは 先生の味方ですから 」

 もうひとつ、「先生 」には心強い材料がありました。彼女は(オペラの第二幕では日曜日に )ロンドンの後見人に宛て、面会を求める手紙を書いていました(第3場「ミス・ジェスル 」 )。この手紙が着いていれば、子どもたちの伯父でもある後見人は ブライ屋敷で少なくとも何かが起きていることをすでに察しているだろう、そう彼女は期待していたのでした。 ・・・しかし これにグロース夫人、なぜか首を横に振ります。
「実は、先生のお手紙は ロンドンには着いていません、まだ投函されていないので -  」
これを知って驚く「先生 」。真相を推理しても、マイルズが盗(と )ったということ以外には考えられない状況です。オペラでは、それが 死霊クイントに操られた結果だったということが暗示されていた・・・どころか、いささか説明過剰気味に「マイルズが手紙を盗まされる 」という行為の描写だけに まるまる一場を割いていました(第5場「クイント 」 )。
 の昨夕からの異変に対し、なぜか無関心を装い続ける 兄マイルズの不自然な態度・・・ 「先生 」は、昨晩から 彼が自分に何か 話したがっている気配を感じていたので、もしかしたら 少年らしい好奇心から 手紙を読んで破り捨ててしまったことを告白しようとしていたのかもしれない という考えに至り、フローラグロース夫人に連れられてロンドンへ発った後 この広い屋敷に少年と二人だけになれば、手紙のことはもちろん、クイントのこと、学校のことなど、自分に心を開いて マイルズはすべて話をしてくれるのではないか、そのチャンスに賭けてみよう - という、思い切った行動に出る「先生 」。
 
 とうとう最後まで「先生 」に視線を合わせようとしないフローラと馬車に乗り込むグロース夫人の二人を見送りつつ、「マイルズを守ってみせるわ、彼を決して失うものか、必ず救ってみせるから 」と、強い決意表明をする「先生 」の真摯な独白。けれど、この部分の旋律線を繰り返し注意深く聴いてみると、クイントマイルズを覚醒させようとする時の呼び声と どちらもたいへん似た曲線を描いていることに気づくでしょう。

ねじの回転_Innocents (4) 
 さて、玄関から屋敷内へ戻ってくると ダイニング・ルームでひとりマイルズが笑顔で「先生 」 との午餐を待っています。いよいよラスト・シーンです。マイルズをはさんで、「先生 」が、静かにピーター・クイント死霊と対峙します。
 けれど音楽のほうは、美しい弦の繊細な動きも親しみやすい、ティンパニが静かに合いの手のリズムさえ刻む、まるで それは柔和な結婚行進曲のような旋律なのです。結婚行進曲 ? そういえば、たしかにジェイムズの原作にも ダイニング・ルームでの二人だけの午餐の場面で 以下のような描写があるのを見つけました 土屋政雄 / 訳、光文社版 )
 - メイドがダイニングにいる間、わたしたちは押し黙っていました。まるで新婚旅行中の若夫婦みたい、とふと思いました。ハネムーン中の男女というものは、給仕がいる前では、やはりこんな風に無口でいるものなのでしょう。やがて給仕も去り、マイルズが振り向きました。「さて、先生。これで二人きりですよ 」

 ここで音楽が発散させている 独特の艶(なま )めかしい雰囲気を醸し出す絶大な効果が、ブリテンによって用意された周到な仕掛けだったことに気づいて、深く納得してしまいます。

 最初に口を開くのは、「先生 」のほうです。
「親愛なマイルズ、アナタを大事に思っているわ。わたしはアナタと居ることが大好きなの。他にどうして わたしがここに居る理由があると思って ? 」
「それじゃ先生先生は ぼくのために ここにいらっしゃると言うの 」
「そうよ、先生は アナタのお友だちとして ここに残ったのよ。マイルズ、先生は アナタのためであれば 何でも喜んでしてあげる。忘れないで - 」

 前回も思いめぐらしたとおり、ここでの「二人きり 」というシチュエーションは、ある意味 「先生 」にとっても、実は たいへん危険な状況です。すでにマイルズの身体は 大人の「男 」になりつつあり、「家庭教師 」フェチクイントが 少年の身に憑依すれば、まだ処女である「先生 」を 性的に屈服させることも可能です。
 脱線しますが、まだ世間知らずで男性経験もない20歳の「先生 」と、設定10歳ほどマイルズとの年齢(とし )の差は、R.シュトラウスの楽劇「ばらの騎士 」の元帥夫人マルシャリン30歳位 )と、青年貴族オクタヴィアン17歳 )よりも離れていないではありませんか。おお アブない、この二人はできます !
先生のために、ぼく 何か できることがあればよいのにな ― 」
って そう考えると、マイルズの口から出る言葉は、意味深です( 尚、クレイトン映画で「先生 」役を演じていたデボラ・カーは、ちょっと齢(トシ )をとりすぎています。実は 40歳近かったカーの起用だけは、ここだけ唯一 原作に忠実とはいえません )。

アナタの心には一体何があるの ? それを話してほしいの、先生アナタからお話が聞きたいのよ 」
ここで歌劇では、舞台にクイントの影が登場します。そして背後からマイルズに「気をつけろー 」とか「余計なこと言うなー 」とか、さかんにマイルズに いらぬ知恵をつけようとするのです。
 ここは 演出上も判りにくいところだと思われますが、霊感の強い「先生 」は、マイルズの背後に現れたクイントの姿や声には「ちゃんと気づいています 」が、マイルズには その姿を 決して見せまいと 少年幽霊の間に立ちはだかって、マイルズの視界からは遮ろうと 必死になっています。
 音楽的にも、先生(ソプラノ )、クイント(テノール )、マイルズ(ボーイ・ソプラノ )三人の声が、めいめい勝手に錯綜するアンサンブルは、かなり緊迫感が高まります。

先  生  「先生に話してしまうのが、一番良いことよー 」
クイント  「マ~イルズ、他人に話しちゃダメだぞー 」
マイルズ 「先生には 全部話します。えーと・・・でも 今じゃなく 」

いよいよ 手紙のことについて、「先生 」が少年に訊ねます。

先  生   「先生の手紙をとったのは アナタなのね ? 」
クイント   「マ~イルズ、お前はオレの味方だろう。黙っているんだ ! 」
マイルズ  「ボクはとってません、いえ・・・ ボク とりました

クイントが部屋の中にいることに気づいてしまい、苦しむマイルズ
邪魔しようとするクイントに、混乱しつつもこれを肯定します。
先生 」は フローラの時のように、敢えて尋ねるのでした。

先  生   「マイルス、そこに誰かいるのね ? 誰だか 言ってご覧なさい 」
クイント   「マ~イルズ、オレを裏切るなよー 」
マイルズ  「Nobody 誰もいません ! Nothing 何でもありません ! 」
ねじの回転_Innocents (2)

 高まりゆく音楽的緊張感は 手に汗を握る凄いものがあります。ここで「先生 」は、マイルズに 決定的な知恵を授けるのでした。
「アナタに手紙を盗ませたり、アナタのことを待ち続けている、そいつの名前を 今 おっしゃい ! アナタの口から その名前を言うだけでいいのよ。そうすれば そいつは永久にどこかへ行ってしまうのだから ! さあ、言うのよ ! 」

 一方クイントは、第二幕第1場「対話と独白 」 ミス・ジェスルと二重唱で披露していた、「小経の上や 森の中、クイントを忘れるな、窓や塔の上、蝋燭が消えた後に クイントを思い出せ On the paths、in the woods remember Quint. 」という あのカノン風の旋律を唄い出すのです。これは、おそらく生前のクイントマイルズとの間の 何らかの思い出に関わる記憶の歌なのでしょうか。もう必死に 少年を かき口説くように歌います。
マイルズのほうは、かなりためらった末、遂にその名前を叫ぶのでした。
ピーター・クイント、この悪魔 ! Peter Quint, you devil ! 」
楽譜 ねじの回転 Peter Quint、you devil

 その瞬間、ティンパニの激しい一撃とともに木管を中心とする お祓いのようなトレモロのざわめき。遂に名前を呼ばれ、あっ気なく消え去りゆくピーター・クイントの別れの言葉は、同時に「先生 」の歌唱パート(勝利宣言 )の台詞と注意深く韻を踏んでいて、効果的です。
 遂に悪霊に打ち克った「先生 」は、マイルズを強く抱きしめ、ああ よかった、よかった、と肩を撫でていましたが、やがて様子がおかしいことに気づきます。マイルズは・・・ 何と 息絶えていたのでした。

 原作では、この最後の場面は 以下のように書かれています土屋政雄 / 訳、光文社 )。

― でも、マイルズはもうぐいと首をまわし、ぎらつく目を見開いて、静かな午後を見つめていました。私の得意満面が、マイルズには大きな喪失だったのでしょうか。その打撃の大きさに、奈落に投げ落とされた動物の絶叫が放たれました。わたしは正気に戻そうと手を伸ばし、倒れかかる体を受けとめました。そう、受けとめて、抱きかかえました。どれほどの激情で抱いていたことでしょう。それから一分後、わたしはようやく何を抱いているかを悟りはじめました。わたしたち二人だけの静かな午後、憑き物の落ちたマイルズの小さな心臓は すでに止まっていました。


▲ 過去 さまざまな映画に描かれてきた、 「ねじの回転」 衝撃のエンディング集


 さて、ブリテンの歌劇では、最後に「先生 」が 哀れな少年のなきがらを抱いたまま、マイルズの「マロの歌 」を放心状態で歌うシーンで ドラマの幕は降ります。

「 Malo… I would rather be (ぼくは むしろ… )
 Malo… in an apple - tree (リンゴの木の中に居たいんだ
 Malo… than a naughty boy
 Malo… in adversity    (不幸な 腕白小僧なんかでいるよりも… ) 」

 すでに 第二幕第4場「寝室 」 で 詳しく述べたとおり、マイルズの「マロの歌 」は、ピーター・クイントの強烈な呪縛下にあって 自身の意思を表明することさえ許されなかったマイルズ少年が、頼りなく救いを求める 心のS.O.S.だったのではないか - というのが、私 発起人の解釈です。
 
 この歌詞の意味は、子どもが「自分の成長を拒絶する心 」でした。
 マイルズフローラ兄妹にとって、自分たちの身体が成長を遂げた時こそ、死霊に憑依される運命にあることを知っていたため、それゆえ「オトナにはなりたくないんだ 」という切実な想いが、「マロの歌 」の謎めいた歌詞の中に隠されていたものです。
 オペラの最終最後の場面で「先生 」が これを 少年に代わって歌うことの意図は、マイルズの死に直面した 「先生 」 が「マロの歌 」に隠されていた意味と、実はずっと閉じ込められていた マイルズ少年の心の苦しみに 初めて 気づいたことを 婉曲に表現しようとしたものと思われます。
ねじの回転_Innocents
 歌劇情緒的なエンディングは、まるで断ち切られたように終わっている ヘンリー・ジェイムスの原作とは大きく異なる、ブリテン = マイファンウェイ・パイパーによる独自なアイディアに基づくものですが、彼らの意図を推察すれば、主人公の家庭教師が少年マイルズの 苦悩を悟った瞬間の驚きと深い後悔とを 私たち鑑賞者側も理解・共感することができるはずです。それは、「音楽 」の力を借りることなしには決して表現し得ない、「歌劇 」という 過剰にドラマティックな世界だからこそ 可能な方法だったことは、最後に指摘しておかなければなりません。


次回は ⇒ 最終回 エピローグに代えて 「マイルズはなぜ死んだのか

ねじの回転 」 もくじは ⇒ こちら


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