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ブリテン : 歌劇 「ねじの回転 」 The Turn of the Screw
(原作:ヘンリー・ジェイムズ )
 - 本当はもっと怖い真相 について、無謀な究明を企てる。

benjamin Brittenねじの回転 ねじの回転_フローラのイメージ


第二幕 第7場「フローラ 」 

 第7場への短い前奏曲(第14変奏 )は、今も前場(教室 )でマイルズが叩き続けるピアノの音と、ピットの室内オーケストラが刻むシンコペイテッド・リズムとがシリアスに応酬し合う、非常に緊迫度の高い「ピアノ協奏曲 」です。
 無断で屋外へ出てしまったフローラの行方を探し求め、追いかけるように邸内から庭へ出て「フローラ、フローラ 」 と、声高に呼ばわりながら 必死に走り回る家庭教師の「先生 」と グロース夫人の荒い息づかいまで感じられます。

 ヘンリー・ジェイムズの原作では、いつも湖畔に係留させているボートがなくなっており、フローラは ボートを使って、広大な敷地内にある湖の向こう岸に渡ったことになっています。このため二人のおとなは 徒歩で湖を半周することになるのですが、事態は一刻の猶予もありません。水面に浮かんでいるフローラの冷たくなった姿を発見するようなことは、万が一にも想像したくない「先生 」は、グロース夫人に もっと速く走るよう促します。

 少女は、第一幕第7場「湖 」と同じ場所 - まさに そこは かつて不幸なジェスル先生が 溺死した湖畔 - で、笑顔で佇(たたず )んでいるところを 無事発見されます。
 グロース夫人 フローラを抱きしめると、帽子も被らず外套も着ず、なぜこんなところまで黙って来てしまったのか、と詰問します。一方、家庭教師の「先生 」は意を決して、フローラの目をじっと見据えると、今まで決して尋ねることのなかった質問を 敢えて少女に投げるのでした - 「答えなさい フローラ、ジェスル先生はどこにいるの ?
 その瞬間、第一幕で出現した時と同じ場所にミス・ジェスルの死霊が現れると、さっきまで「先生 」と家政婦が 敷地内を呼ばわっていたのと同じように、「フローラ 」の名を ソプラノで連呼するのです。
 よし、出た ! 幽霊の出現に、「先生 」は 逆に勢いを得ます。なぜなら、これまで死霊が出現した場には 過去一度もグロース夫人は立ち会ったことがなかったため、「先生 」は 果たして自分の言葉が夫人に信用されているのかどうか不安があったに違いありません。でも幽霊がこれほど明白な形で登場してくれた以上、これをグロース夫人にもしっかりと見せつけ、彼女を自分の味方としてより心強い存在にできる、この上ない機会だという思惑が「先生 」側に働いたわけです。ヘンリー・ジェイムズの原作にも この辺りの心理的な根拠が 巧みに描かれています (以下、引用部分 / 青字 )

 - ジェスル先生が、先日と寸分違(たが )わぬ姿で 対岸に立っていました ! そのとき わたしの心にまず生じた思いとは、不思議なことに、鳥肌が立つほどの「喜び 」だったのを覚えています。ようやく証拠が現れてくれたという喜びです。ジェスル先生があそこにいて、わたしの正しさを - 虚言や偽りでなく、気が触れたわけでもないことを - 証明してくれています。怯えた哀れなグロースさんのために、そして何よりフローラのために、彼女はそこにいるのです。総じて悪夢のようだったあの時期でも、あのときほど異様な瞬間はなかったでしょう。青白く血に飢えた悪鬼さながらの女に、わたしが言葉にならない「感謝 」の気持ちを投げかけ、受けとめて理解してくれるよう願ったあの時ほど…。 
ジェイムズ「ねじの回転 」 ~ 土屋政雄 / 訳、光文社 )


 ・・・しかし「先生 」の そんな屈折した「喜び 」も一瞬のことでした。なぜなら グロース夫人の目には、対岸にいるジェスル先生の姿など 映っていなかったからです。
「どういうことですか、先生。一体どこに何が見えるとおっしゃるんです ? 」
「って、よく見てごらんなさいよ。あなたには見えないのですか、ほら、あそこに ! ほら ! 」
と、もう必死になってひたすら湖畔の一点を指差す「先生 」の様子に、さすがのグロース夫人も 別の意味でコワくなり、ひょっとしてオカシイのは 「先生 」のほうかも - などと 一瞬 気持ちがグラついたのでしょうか、「否定と嫌悪と同情の入り混じった表情に」なると、向き直って 今度はフローラのことを気遣う姿勢になります。
「い、いませんですよ、お嬢さま。大丈夫です。何も見えなくて当然です。可哀そうなジェスル先生なんて… だって もう亡くなって 埋葬された方ですからね。そうでございましょう ? 」

ジェスル先生はどこ
 当のフローラのほうは「先生 」の指が差し示す方向にある「異変 」など見ようとする素振りさえせず、反抗的な表情のまま「先生 」の顔をにらみつけています。その表情は まるで「先生 」の心を読み、非難し、弾劾しているかのよう。いえ、少女自身が 恐怖の「あの存在 」に変身してしまったかのようだった、と原作には描写されています。

ほら、ジェスル先生 あそこに
 そして「先生 」は直感するのでした - やはり この子は すべてを見ていると。 そう悟った瞬間、フローラは突然ヒステリーの発作を起こし、硬く険しい表情のまま 一気にまくし立てます。
「わたしには誰も見えやしないわ。何も見えないんだから。誰も、何も、誰も何も。アナタが何を言ってるのか わたし全然わからない ! 」
と、激しく泣き出したフローラの肩をグロース夫人が庇(かば )うように抱くのは、当然の成りゆきです。
「お嬢さま、これは何かの間違いです、きっと冗談です、さあ 早くお屋敷に戻りましょう 」
と、慰めるグロース夫人のドレスにすがりつきながら、泣き叫び続ける少女の目だけは「先生 」のことをじっとにらんでいます。
「アナタは意地悪で怖いわ、本当にイヤな酷い女、一体どうしてここになんか来たのよ、わたし、アナタのことなんか嫌い、もう大嫌いよ 」
先生 」は大きなショックを受けます。少女は号泣し、絶叫するように家政婦に頼みます。
「お願いだから連れてって、わたしを。 あの女のいない所へ連れてってよ ! 」
「あ、『あの女 』って、それ わたしのこと・・・ ? 」
もはや 「先生 」は 喘ぐしかありません。

ねじの回転 innocents
「そうよ ! オマエなんかのいない所よ ! 」
刺すように言い放つと、絶叫し続けながらフローラは きっぱりと 家庭教師に背を向けてしまいます。 ここでの少女のヒステリックな言動ですが、これにブリテンがつけた音楽は、しかし今日の私たちの耳には かなり穏当なものです。もっと さらに過激な表現で炸裂してもよかったのでは - と感じます ( 台詞も )。 

ブリテン ねじの回転_ハーディング盤
▲ そんな中でも、やはり ハーディング(Virgin )盤における 少女のソプラノ キャロライン・ワイズ が叫ぶ 潰されたような嬌声には 高いリアリティがあり、ここを聴くなら やはりコレでしょう。 一聴を おススメします。


先生 」は、当惑するグロース夫人に、正気を失った少女を 屋敷まで送るよう 短く指示を与えると、遠ざかってゆく二人の後ろ姿を 独り眺めながら 湖畔に立ち尽くすのでした。
ねじの回転_innocents
「・・・ああ、わたしの味方まで わたしを見離したのね。とうとう あなたもわたしを捨てたのね。フローラ、あなたは わたしの手から離れてしまった。あの女(ミス・ジェスル )が あなたに わたしを嫌いにする方法を教えたのだわ。わたしは 恐ろしい人間なのかしら ? いいえ ! いいえ ! でも わたしは失敗したのだわ、まったく惨めに失敗したのだわ。そして もうわたしの中に純真なものはないのだわ(there is no more innocence in me )。今や あの子はわたしを嫌っている ! 憎んでいる ! 蔑んでいる ! 」
( 「ねじの回転 」デッカ国内盤 歌詞より 対訳:柴田南雄 / 発起人一部加筆 )


 私的に雇用された「家庭教師 」という立場から考えれば、ここまで子どもに嫌悪されてしまった「先生 」には、(たとえ100年前でなくても ) もはや その職を辞するしか道は残されていなかったでしょう。

 
■ なぜミス・ジェスルの死霊は、
  「先生」を屋敷から追い出そうとしたのか。


 “スケルツォ倶楽部発起人が、ここで また 性懲りもなく 深読みして考え込みます。
 虚構であるフィクションの世界に仮説を加えようとするのは 些かおかしな行為だと自覚していますが、すでに亡き原作者ヘンリー・ジェイムズの意図が とにかく不明確に隠されたまま 曖昧なまま 判らぬままなので、気になってしようがありません。 
 尚、再三お断りしているとおり 私 発起人(の文章 )は、この「ねじの回転 」に 「現れる」幽霊の存在を、独身の女性家庭教師精神的抑圧が生んだ幻影だった という、どちらかというと 今日では主流な解釈に属する (と思われる ) フロイト風の心理小説として 読むことはしておりません。 は、これをオペラ化した イギリスの作曲家 ベンジャミン・ブリテン と同じ立場から、すなわち このドラマを シンプルに 「幽霊譚 」 である - とする一読者に過ぎません。 この点をご理解の上、よろしければ 読み進めて頂きたく存じます。

 この第二幕第7場で、「先生 」とフローラの関係は 突然 決裂、瓦解しました。でも ここまで「先生 」にとっての残念な流れが、もし彼女を辞職に追い込もうとする 死霊ミス・ジェスルによる企ての結果であったとしたら・・・ ? 
 果たして少女フローラをあんなに錯乱させてまで ミス・ジェスルの死霊家庭教師の「先生 」を屋敷から追い出そうと画策したとすれば、その意図は 一体どこにあったのだろう、というのが 以下、今回の考察です。

 ヘンリー・ジェイムズの「ねじの回転 」における、ピーター・クイントミス・ジェスルという二人の死霊の邪悪なる企てとは、一体何だったのでしょうか - それは、マイルズフローラ兄妹が 子どもの身体から成長を遂げ (性交することが可能な )大人の身体になった時 = セレモニー・オブ・イノセンス が終わりを告げた時、兄マイルズの身体にはクイントが 妹フローラの身体にはミス・ジェスルが それぞれ憑依し、 若い二人の肉体を使って 死霊のカップルが 前世に置き残してきた欲望を満たそうという、もう想像するだけで 身の毛もよだつ、 「不気味で 理不尽なまでに陰惨な (原作が発表された当時の新聞批評より ) 」 背徳的企(たくら )みです。
詳細はこちら ⇒  第二幕 第1場「対話と独白 」セレモニー・オブ・イノセンス とは 何か
おとこのこ、おんなのこ 
 そんな原作者ヘンリー・ジェイムズが 二人の子どものうち 男の子 マイルズのほうを「 」に 女の子 フローラのほうを 「 」 に設定した - ということが 実は 絶妙な計算の上に敷かれた伏線だったのです ( 映画「妖精たちの森 」マイケル・ウィナー監督は 彼ら二人の関係を「姉弟 」へと逆転させていましたが、その意図に 私は そうでなければ という必然性を あまり感じません )。
 
 おそらく年上の兄であるマイルズのほうは すでに精通を迎え、それは、「教会(鐘 ) 」や「 」、「寝室 」などの場面における と「先生 」との間に交わされる微妙な会話の随所で 暗示されています。映画「回転 」においても、すでにピーター・クイントマイルズの身体への一時的な憑依さえ試みているらしい、そんな危険信号の点灯する描写も見られました。

 しかし、ここからが重要なところなのですが、まだ幼いフローラの肉体的成長には 大分 時間がかかりそうです。
 そんな時、新しい家庭教師である「先生 」がブライ邸へ赴任してきました。この物語の主人公でもある 彼女は 原作では20歳、すでに成熟した女性です。ここからは想像に過ぎませんが、もしクイント「家庭教師 」フェチだったら(笑 )、新しい「先生 」を 塔の上から見染めて欲望を感じ、死して猶(なお ) 己(おのれ )が性欲を満たすことに燃えたとしたら ? 大人になりかけのマイルズの肉体を使って、早速 試してみようとするのではないでしょうか。
 そう考えたら、 「先生 」自身にも 重大な危機が迫っていたのです !
 
 原作では 新しい「先生 」の赴任当時は、まだマイルズ少年は 学校の寄宿舎に居住していました。 そこで クイントは、何らかの方法で 少年が ブライ邸へ帰されてしまう状況をつくったのでしょう。その詳細は知り得ませんが、きっと邪悪な方法を駆使して マイルズが学校の寄宿舎に いられなくなるような画策をしたに違いありません。やはり「先生 」は あの時 学校に問い合わせるべきだったのです。
 
 一方、ミス・ジェスルのほうは、フローラが 大人の女へ成長を遂げるまで、すなわち 「セレモニー・オブ・イノセンス が終わりを告げる 」時まで、ただ待つしかありません。
 けれど、そんなミス・ジェスルが 原作に忠実な映画「回転 」で描かれていたように 生前はピーター・クイントの足元にすがりつくような、そんな男女関係だったとしたら ? クイントと 心中した (ようなものである )自分を差し置いて、マイルズに憑依したクイントが、自分の後任の (しかも生きている )若い家庭教師と関係を持つような事態に至るなどと想像することは、到底 我慢ならないことだったでしょう、化けて出たくもなるでしょう。 「先生 」の目の前に現れるミス・ジェスルの表情が、常に深い恨みと悲しみを湛えているのは、実は それが理由だったのではないでしょうか。
 フローラとの絆を強めながら、同時に「先生 」の立場を 窮地に追い詰め、家庭教師を続けられなくしてしまうことによって、「恋敵 」(笑 )のブライ邸からの追い出しを図った - と解釈すれば、それこそが ブリテンの歌劇の 第二幕第7場で展開された一場の意味なのではないか、と考えるものです。

 ・・・また さらに思いつく 別の解釈においては、ミス・ジェスルもまた ピーター・クイントの支配下にあって 実は 彼女も救いを求めているという、もうひとつのストーリーです。そうすると 彼女は、死後もまだクイントに操(あやつ )られ続けている - という悲劇的な存在となり、生前可愛がっていた 彼女の生徒たち マイルズフローラ兄妹の身を案じているがゆえに 度々出現するということになるわけです。 ・・・が、まあ これについては もう限(きり )が無いので、この辺にしておきましょう。

次回は・・・ 第二幕 第8場「マイルズ 」

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