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ブリテン : 歌劇 「ねじの回転 」 The Turn of the Screw
(原作:ヘンリー・ジェイムズ )
 - 本当はもっと怖い真相 について、無謀な究明を企てる。

benjamin britten (2) ねじの回転_コリン・デイヴィス_Philips盤
第二幕 第4場「寝室 」
 -  「マロの歌 」 の謎を解く


 ヘンリー・ジェイムズの原作では、第17チャプターに相当するシーン。
 闇の奥から徐々に浮かび上がってくるのは、不穏な静寂の中に沈んでいた間奏曲です。カノン風な動きをみせるアルト・フルートとバス・クラリネット、これらが象徴するものは 亡きミス・ジェスルピーター・クイント 二人の死霊の動きに違いありません。生への執着に囚われた 忌まわしき二人の霊が互いに触れ合うための方法として見出した行為こそ、子どもたちの魂を支配することでした。彼らは、マイルズフローラの姿を求め、屋敷内のすべての窓ひとつひとつから内側を舐めるように覗きまわります。

 舞台は 夜更け、ここはマイルズの寝室です。
 低音域の木管楽器が象徴する 彼ら魔の手から逃れるような か細いオーボエのメロディこそ マイルズの「マロの歌 」の旋律 - 彼は まだ寝ていません。すでに靴もジャケットも脱いで シャツをゆるめ、ベッドに端座位で腰かけているところですが、どこか落ち着かない様子。そんなマイルズが焦燥の表情のまま 繊細なオーボエに乗せて 第一幕でも披露した あの不思議な 「マロの歌 」 を、誰ともなしに歌います。

ねじの回転 Maloの歌
「 Malo… I would rather be (ぼくは むしろ… )
 Malo… in an apple - tree (リンゴの木の中に居たいんだ )
 Malo… than a naughty boy
 Malo… in adversity    (不幸な腕白小僧なんかでいるよりも… ) 」


 しかし 部屋の外に立つ「先生 」の気配に気づくと そこで マイルズは ぴたりと歌うのを止めてしまいます。
 ところで、以前も 疑問を呈したことがありましたが、 この マイルズの「マロの歌 」 には  一体 どんな 意味があるのでしょうか。 まるで暗号のように意味不明な歌詞 「マロの歌 」 は、本当は 「セレモニー・オヴ・イノセンス 」の場合と同じように これもヘンリー・ジェイムズの原作には登場しないものの、ベンジャミン・ブリテンメアリー・マイファンウィ=パイパーによる ドラマの本質への理解を幇助(ほうじょ )する、オペラならではの手法を借りた、極めて重要なカギなのではないでしょうか。
 “スケルツォ倶楽部発起人、今回は マイルズの 「マロの歌 」について 考察しました。

 その前に・・・ ここで スミマセン、唐突ですが 会員の皆さまは1970年代に話題になった あの恐怖映画 「エクソシスト 」 Exorcist をご覧になられたでしょうか。 ひとりの罪なき少女の身体に取り憑いた悪霊と これを追い払おうとするカトリック神父の死闘を描いた ピーター・ブラッティの原作を 忠実に映像化した、実に ショッキングな作品でした。
映画「エクソシスト Exorcist 」

 悪霊によってその肉体に憑依された少女の姿は醜く変わり果て、もはや彼女本来が有している意志を 家族や神父に伝達する方法などはあるまいと思われます。けれど悪霊に乗っ取られた口から溢れ出る言葉や醜い表情とは異なるやり方で - すなわち自分の 痩せ細った腹部に ミミズ腫れとして浮き上がらせるという方法によって - HELP ME という S.O.S. を求める救済のメッセージを、全身ぼろぼろになりながらも 少女は 切実に訴え、発信していたのでした。
Help Me(Exorcist )

 「エクソシスト 」における 少女の救済を求めるメッセージ と同じような役割を果たしているのが、このオペラ「ねじの回転 」における マイルズの 「マロの歌 」なのではないか - と 私には思えます。
 マイルズ (とフローラ )は ピーター・クイントの呪縛に囚われており、子どもたちを 救おうと必死な 家庭教師に対しても、死霊は 何らかの方法によって 子どもたちの口を封じることが出来たため、これによって「先生 」にも 最後まで本音を吐くこと ( = 助けを求めること )ができなかった - と考えるほうが自然ではないでしょうか。
 それは、ちょうど思春期の少年が、年上の美しい女性に対し 口を閉ざしがちになるのにも似て・・・。それでも 死霊が目を離した隙や、部屋で独りになった時などに マイルズの その口をついて流れ出す「マロの歌 」の中に、もし 真実のメッセージがこもっているとしたら ? 
 この歌詞の意味は、実は 子どもから大人へと身体の成長を遂げる ( = 「セレモニー・オブ・イノセンス 」期を終える )ことを、敢えて 「拒絶したい心 」 を 表現していたのではないでしょうか。この 謎めいた歌詞を マイルズの心になり替わって判読すれば、以下のように読み下すことも可能ではないでしょうか。 すなわち、こうです ・・・

ぼくは、リンゴの実が成熟するようには、まだ成長したくないんだ、
 いや、いっそ リンゴの樹の中に ずっと とどまったままで いたいんだ

だって、男の子が 大人として発揮すべき性徴を 身体が示す年齢になれば、
 それこそ ぼくとフローラにとって、不幸なことが起きる しるしだから
 ―  」


 その“不幸なこと”とは、すでに セレモニー・オブ・イノセンス 」の回 で解説したとおり、子どもたち二人成長を 待ちかまえている男女の死霊 大人の身体へと成長を遂げたばかりの子どもたちに憑依することなのです。そうです、憑(と )りついた死霊二人の目的とは、成長を遂げた マイルズフローラの若い肉体を使って、彼らが思い残した欲望の交歓を楽しむような、口にするもおぞましき行為を 試みることなのです。
 もはや時間の問題です、子どもたちには危険が迫っています。そして、少なくともマイルズは、自身の危機( = 身体の成長 )が近づいていることに気づいているに違いありません。もしかしたら この場面が始まる まさに直前、少年はベッドの上で 精通を 迎えてしまったのではないでしょうか ? 

スケルツォ倶楽部_ねじの回転 (3)
 はい。ヘンリー・ジェイムズの書いた原作で補いながら、オペラの進行に沿って この場面の紐解きを続けましょう。
 舞台は 夜中、屋外は嵐です。窓ガラスを激しく打ち続ける風雨の音。「先生 」は、今宵はフローラが安らかに眠っていることを確かめると、いつものように邸内見回りのためキャンドルを手にし、部屋を出ると廊下を抜け、マイルズのドアの前に到達、そこで立ち止まると 彼の寝室の内側の物音に耳を澄ませます。すると、
「そこにいるんですね、先生 ? お入りください 」
と、中からマイルズの明るい声が。
「まだ眠っていなかったのですね 」
原作では マイルズは ベッドの中に寝ているものの 目は開いています。
その横に立つ「先生 」に マイルズは手を差し伸べ、
「いつも横になってから いろいろ考える習慣なんです 」
これに応じて、原作では、「先生 」はマイルズのベッドの端に腰をおろします。
「ふふん、考えるって どんなことを 」
「もちろん先生のことを 」
「それは・・・うれしいけど 先生としてはアナタが眠ってくれたほうが、ずっとうれしいんだけどな 」
「ぼくたちの間の妙な問題も考えます 」
ここでマイルズ「先生 」の手を握ってきます。「先生 」は彼の手が冷たいと感じます。
スケルツォ倶楽部_ねじの回転

「妙な問題って ? 」
「ぼくの教育のこと、あと その他のこと 」
横になったままマイルズは「先生 」に微笑みかけます。
「その他のことって・・・ ? 」
「先生もご存知のくせに 」
二人は 互いの手を握ったまま しばらく見つめ合います。「先生 」はこうして黙っていることが 何かよくないのではと考えているうち、そうそう、今朝 マイルズが教会へ向かう途上 学校にはいつ戻れるのかと訊いてきたことを思い出して、話題をこれに変えようとします。
「あー、学校のことね。もちろん - でも前の学校じゃなくて、別の もっと良い学校を探さなくちゃね。でもアナタが そのことで悩んでいたなんて、わたしに何も話してくれないから、わかってあげようがないじゃない。前の学校の先生のこと、お友だちのこと、学校で起きたこと・・・アナタは何も教えてくれないんだもん 」
マイルズは愛らしく微笑みながら
「そうでしたっけ 」
・・・ここで、原作には 少し謎めいた数行が置かれています。例によって 土屋政雄 / 訳(光文社 )から 引用させて頂きましょう(青字部分 )。原作は、家庭教師が語る、という文体です。

  ―   マイルズには秘めた成熟性(といいますか、どう呼んだらよいのか、言葉で表現するのもはばかられる あの力がもたらした毒 ) がある - わたし(主人公の家庭教師 )はそう確信していました。その確信に立ったとき、マイルズが - 内に問題を抱えているらしいことは薄々察せられましたが - ずっと年上に、知的に大人と対等に見えることは驚くばかりでした。
(中略 ) 「男の子の望みは先生もご存知でしょうに 」
マイルズほどはよく知らないと感じて、その場しのぎを試みました。「伯父様の所へ行きたいのかしら 」
これを聞くと、マイルズは愛らしくも皮肉っぽい表情のまま、また枕の上で頭を動かしました。「先生、そんな風に逃げないでください 」
 わたしはしばらく何も言えず、今度はわたしの顔が赤らんだのではないかと思います。「あら、逃げているつもりはありません 」
「逃げたくたって逃げられませんとも 」マイルズは見つめながら、美しく横たわっています。
(以下 略 )

 原作では、この後 「先生 」はマイルズ伯父である ロンドンの後見人に 遂に手紙を書きはじめたことに触れると、今まで少年が話さないでいた諸々のことがら(学校のことだけでなく、自分が家庭教師として赴任してくる前に この館で起きたすべてのこと )を 包み隠さず話してほしいと訴え、哀れみの気持ちから マイルズの身体をぎゅっと抱きしめ、キスします。

 この「寝室 」の場面における 先生とマイルズのキス と言えば、鋭い洞察に基づく ジャック・クレイトン監督によるモノクロ映画「回転 Innocents 」の中の、ある注目すべき描写を 忘れることができません。
 真夜中、マイルズが、夢遊病者のように 中庭に立っているところを 「発見 」される場、その後 自分の寝室のベッドまで 連れ戻そうとする 「先生 」に 「いたずらだった 」 と主張する、 オペラでは第一幕第8場 「夜 」 に相当する場面から、そのまま流れるように 巧みに 「寝室 」のシーンへと接続させる演出効果に、新鮮さを感じます。
 そこで「先生 」は、マイルズの枕の下から一羽の鳩の死骸 - いつも塔に集まってくる鳩たちにマイルズが餌を与えている - を見つけてしまいます。
ねじの回転_鳩[2]
▲ それが自然死などではなく、明らかに首を折られ意図的に殺されていることに気づくと、もしやマイルズの仕業なのではないかと、内心戦慄を覚えます。
 さらに映画では、そこでマイルズが「先生 」に「おやすみの口づけを ! 」と言って彼女の唇にキスすることになるのですが、本来 「おやすみの挨拶 」程度であれば互いの唇が触れるかどうかくらいであるべきところ、これが必要以上に長い、まさしく大人のキス なのでした。今日の表現であれば、 少年女性家庭教師役の二人には さらに長い時間 お互いの舌を激しく絡め合わせながら 狂おしく唾液交換するくらいの演技を 監督は求めたかもしれません。

スケルツォ倶楽部_ねじの回転 (4)
 次の瞬間、ハッと我に返って 理性を取戻し やっとの思いで 自分の唇を引き離した「先生 」、おそらく彼女にとって初めてだったディープ・キス体験に 顔を上気させつつ、そんな エッチなキスをしかけてきた相手 = イノセント(無垢で純粋 )なままの 少年の顔を 愕然としつつ 見つめるところで・・・ 暗転、場面転換。
 この場面の秀逸さは、死霊ピーター・クイントが すでにマイルズの身体に憑依し始めていることを暗示しており、少年の清い手を借りて鳩を殺してみたり、その無垢な唇を借りて「先生」から キスを奪ったりしたのだ - とも解釈できる点にあります。マイルズは成長を続け、その危険信号は点滅を始めていました。

 ・・・もとい。
 ブリテンのオペラでは さすがに「先生 」とマイルズキス描写はありませんが、少年から過去のすべてを聞き出そうと 「アナタを助けたい 」 と必死に懇願する その背後から、おもむろにピーター・クイントの死霊が登場します。
 クイントの「聞いているか、マイルズ 」、「ここにいるからな、俺は 」、「待っているからな、俺は。待っているよ、お前(たち 兄妹の身体の成長 ) 」と、妖しく囁(ささや )く声が 同時に「先生 」の懇願の声と重なり合って、マイルズの心を苦しめることになります。ここでは、はからずも生者たる「先生 」死者であるクイントマイルズを巡って 綱引きを競うような図式になっています。しかし今回は「先生 」にはクイントの姿は見えず、その声も聞こえていません。
 その挙句、マイルズ「きゃー ! 」 と絶叫するところの意味は、残念ながら歌劇ではちょっと解りにくいでしょうね。 ヘンリー・ジェイムズの原作から ここと同じくだり(第17チャプター 最後の部分 )を 引用させて頂きましょう (以下 青字部分、土屋政雄 / 訳:光文社版より )。

「ああ、マイルズ、マイルズ、わたしがどんなにあなたを助けたいと願っているか、わかって ! それだけなのですよ、マイルズ。ほかには何もありません。あなたを苦しめ、ためにならないことをするくらいなら、わたしは死んだほうがましです。髪の毛一本たりと傷つけるくらいなら、死んだほうがましです。ああ、マイルズ 」 たとえ行き過ぎたとしても、すべてをさらけ出すつもりでした。「あなたを救いたいの。だから、あなたの手助けがほしいの 」 でも、そう言ったとたん、確かに行き過ぎたのだとわかりました。わたしの懇願への答えが、瞬時に、異様な突風と寒気という形で返ってきましたから。凍えた空気が吹き込み、部屋を大きく揺すりました。まるで強風で窓が砕かれたかのようです。マイルズが大きく甲高い叫び声をあげました。すぐにほかの物音に吸い込まれ、消えていきましたが、それは歓喜の叫びのようにも恐怖の叫びのようにも聞こえ、すぐ近くにいたわたしにも判然としませんでした。わたしは飛び起き、すぐに部屋の暗さを意識しました。二人ともしばらく身動きしませんでしたが、ふと見まわすと、引かれたカーテンには何の乱れもなく、窓は固く閉ざされたままです。「あら、蝋燭(ろうそく )が・・・ 」と、私は叫びました。
「ぼくが吹き消しました 」と、マイルズが言いました。


 マイルズが絶叫した瞬間、弦の激しいトレモロを伴って オーボエが 「マロの歌 」の断片を しっかりと提示しているではありませんか。 やはりブリテンマイルズが言葉にならない救いのメッセージを発信していることを 音楽によって暗示していたに相違ない、と “スケルツォ倶楽部発起人は 解釈しています。
 ああー、CDで (音だけ ) ではありますが、私 発起人、今年の夏から このオペラ 「ねじの回転 」に どっぷりハマって以来、今日まで 果たして もう百何十回以上、歌劇の全曲を通して 耳を傾けたことでしょうか。 一向に 飽きることありません。聴けば聴くほど その都度 新しい発見があり、何気なく 最初に聞いたときには、ホント これほどまでに奥行き深く、よく考え抜かれた 音楽であったという事実に、全く気づいていませんでしたよ。

次回は・・・ 【第二幕 第5場「クイント 」 】

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