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ブリテン : 歌劇 「ねじの回転 」 The Turn of the Screw
(原作:ヘンリー・ジェイムズ )
 - 本当はもっと怖い真相 について、無謀な究明を企てる。

benjamin britten (9) ねじの回転_ミス・ジェスル

第二幕 第3場「ミス・ジェスル 」

 前場の音楽から続けて演奏される「第3場への間奏曲 」 - これまた不安を煽(あお )られる音楽です。
 もはや職責も使命も捨てブライ邸から「逃げる 」ことを決めた家庭教師の「先生 」が独り 荷物をまとめるために 一旦教会からブライ邸の屋敷へと戻ろうとする、そのどんどん歩く歩幅に合わせるように重々しく鼓動を打つティンパニの不吉なリズムが特徴です。木管のアンサンブルが シンコペートした十六分音符となって、歩き続ける彼女の傍らを一緒に流れてゆきます。 苦しむ「先生 」の 思いつめた心と疲労した神経を表現しているようです。
 
 ヘンリー・ジェイムズの原作によれば、屋敷に辿りついた彼女は まっさきにホールへ入ると 上り口階段の最初の一段目のステップに座りこみ、しばし呼吸を整えます。しかし 「先生 」が腰を下ろしている その階段のステップこそ、以前 キャンドル片手に屋敷内を見回りしていた彼女自身が 真夜中に目撃した 亡きミス・ジェスル死霊が - 肩を震わせながら両手に顔を埋め、ちょうど 今の「先生 」と同じ姿勢で - 座りこんでいた階段と まさしく同じ場所だったのです。 これに気づいて青くなる 「先生 」、思わずギョッとして 階段から立ち上がります。
 
 急がなければなりません。日曜日の礼拝中、屋敷の周囲は静まりかえり、邸宅の中も無人です。荷物をまとめて速やかに立ち去れば、誰とも言葉を交わすことなく、きっと騒ぎも最小限にとどめられる、と「先生 」は考えます。
 気力を奮い起こして階段を駆け上がると、「先生 」は そこに置いてあるいくつかの私物を取りに、いつも二人の子どもたちの勉強をみていた教室のドアを開けます。オペラでは、ここからが 第3場

ねじの回転_ミス・ジェスル
 まるで不意打ちのように、澄んだ真昼の光の中、全身びっしょり濡れたミス・ジェスルの死霊が 黒い喪服で 教師のデスクに座っているではありませんか ! 「わたしの堕落した前任者、名誉を失った女の悲劇的な姿 」をみとめた「先生 」は、驚き、絶句して 立ち尽くします。
 原作では 「やつれた美しさの中に言うに言われぬ悲しみを抱え 」と説明されているミス・ジェスルの影は、「先生 」の入室も意に介さず、しばらくの間 両肘を突いて 両手で頭を抱えた姿勢のままじっと座っていますが、やがて ゆっくり立ち上がると 一瞬「先生 」のことを見るものの 終始無言のまま消え去ります。
 しかし ブリテン = マイファンウェイ・パイパー による オペラ版の脚本では、ミス・ジェスルの死霊は、 はい、 ここで 「歌い 」ます !  あ、歌う - とはいっても、呟くように 恨みと嘆きの言葉を、前々からずっと繰り返し続けてきた行為であるかのように、同じ独り言を 延々再生機でループさせるような、とても不思議な歌唱です。壊れた操(あやつ )り人形のように単調なファゴットの動き、ハッ と われに帰るように上昇するフルートなど、この場における 木管楽器の効果にも 注目です。

「Alas, alas (ああ、何ということだろう )
「わたしは休息できない、わたしは疲れているのに休めないのだわ
「ここ(教室 )でわたしの悲劇が始まったのだから、ここでわたしの復讐も始まるのだわ
「ああ、わたしは苦しんだのだから、ここで わたしの平和を見出さなければ・・・
「って、平和 ? 違う。わたしの苦痛を残酷に知らせてやるのだわ
「わたしはもっともっと近くまで、そしてもっとしばしば来てやらなくちゃ
「そうしてわたしは 漂いながら待つのだわ、子どもたちに準備ができるまで
( = セレモニー・オブ・イノセンスが終わる まで )・・・
( 歌劇の台本から、柴田南雄 / 訳に基づく )

 オペラの舞台では、机に座って嘆きの呟きを繰り返すミス・ジェスルの影に対し、「先生 」は果敢に話しかけるのですが、もちろん両者にコミュニケーションなど成立しません。 故人の生前の姿を映したループ映像が プロジェクターで室内にエンドレスで投影され続けているようなものですから、虚空に向かって 「その机はわたしのだから 退(ど )いてよね ! 」 などと叫んでいるようなものです。


 ここで、またも脱線しますが、もしも 私“スケルツォ倶楽部”発起人このオペラの演出をやらせてもらえたと想像したら (なーんて、わぁお・・・ そりゃ 夢みたい )、家庭教師ミス・ジェスル 二人を演じるには 身長・体格の相似した歌手を ぜひ揃えてみたいですね、声質も互いに近い二人を探し出し、さらに まったく同じような衣装を着てもらって、舞台上では あたかも両者の間に鏡をはさんで向い合わせに立っているかのように、同じ演技・所作をしてもらいましょう。
ミス・ジェスル 妖精たちの森_The Nightcomers(1972 )スケルツォ倶楽部ミス・ジェスル
▲ 「あの子たち、わたしの生徒だから 」、「教室のデスク、わたしの席だから 」

 こんなアイディア(思いつき ) の根拠となったのは、最近ネット上でみつけた 武井博美さんという英文学の研究者がお書きになられた「『ねじの回転 』におけるゴシシズム 」という論文です。たいへん感銘を受けました。
 武井さん ピーター・クイントミス・ジェスルという「二人の幽霊は 家庭教師の想像の産物である 」というエドナ・ケントンによる 「妄想 」説 をとられる点で、私“スケルツォ倶楽部”発起人とは、基本的な考え方は異にされていますが、その文章の説得力たるや素晴らしく、発想・思考のすべてが魅力的です。 詳細は省きますが、ぜひ一度 お読みになってみてください。
⇒ こちら 「『ねじの回転 』 におけるゴシシズム 」 (武井博美 )
 
 「武井 」さん説によれば、主人公の家庭教師にとって 前任者のミス・ジェスルとは、 「性の誘惑に負けて堕落した 」存在であり、「穢れた、自ら認めたくないもう一人の自分の姿 」だったのです。彼女が これを忌み嫌っているのは、実は ミス・ジェスルが 内に秘めたる彼女自身の潜在的な欲求の化身であるから 」という、鋭い指摘。
 その象徴的な部分は、ヘンリー・ジェイムズ原作において 以下のように書いている文章にも見出され、たしかに「武井さん 」説を 裏づける材料になっていると思います。

 「(死霊は )消え去る前に一瞬わたし(主人公の家庭教師 )を見て、何か言ったようでした。確か、この机はあなたのものであり、わたしのものであり、使う権利はあなたに劣らずわたしにもある・・・と。その間、わたしはひどく寒々とした - まるでこちらが侵入者だったかのような - 感覚にまとわりつかれました。それを振り払いたいという必死の思いからだったでしょうか。女に向かって叫んでいました『恐ろしい女(ひと )、哀れな女(ひと )! 』 ― その声は一つの音塊となり、開け放されたドアを抜けて、長い廊下を伝わり、空っぽの屋敷中に響きわたりました。女にも聞こえたのか、こちらを見ましたが、わたしはすでに立ち直っていて、響きの残る部屋の空気を払いました。次の瞬間、部屋には何もなく、射し込む日の光と、残らねばならないという思いだけがありました。 」 (「ねじの回転 」土屋政雄 / 訳、光文社 )

 性懲りもなく、 想像の世界の私 発起人によるオペラ演出(笑 )の続きです - ミス・ジェスルの死霊が消え去ると (舞台上で 姿を消し去る技術的な特殊効果は、舞台監督さんにお任せしますが ) 同時に、ジェスルと同じ動作・演技をしてきた 主人公の家庭教師も また ここで一緒に 一旦消えてもらいましょう。
 で、舞台が一瞬 無人になって 音楽が速くなると、殆ど間を措かずに “ I can't go, I can't ・・・ ” と叫びながら 主人公の家庭教師には あらためて (廊下から )この勉強部屋へと慌ただしく 駆けこんできてもらいます。彼女は、ひとり教会から走って屋敷に戻ってきたところで、ホールから階段を駆け昇って、実は 今 「初めて 」勉強部屋に入ってきたところなのです。 ・・・はい、すなわち ついさっきまでの ミス・ジェスルとの 不思議な「邂逅 」場面は、実は 現実には起きていない 架空の幻想であった、と解釈されて構いません。「先生 」は、この勉強部屋に入るまで 途中あれこれと思案した挙句、やはり館から逃げ出すことはできないと、思いとどまる決意を 語るのでした。 「でも 到底一人では耐えられない。やはり あの方に 禁じられている手紙を 書かなくては。 今すぐにも 書かなくては - 」

 ミス・ジェスルの死霊が さっきまで腰かけていた 「自分の 」 デスクの椅子を引き寄せて そこに座ると、彼女は 遂に 子どもたち伯父でもある後見人に、救援の来訪を求める手紙を 書き始めるのでした ( 尚、原作では、この手紙をしたためるのは 第17チャプター 「マイルズの寝室の場面 」の後であることが、その翌日のグロース夫人との会話によって 解ります。興味深いことに クレイトン監督による 往年のモノクロ名作映画 「回転 」では、手紙が書かれるシーンは マイルズの「ピアノ 」の場面においてです )。
 教室のデスクに座って 家庭教師が とうとう手紙を書き始めると、音楽は弦の落ち着いたハーモニーを ハープによる分散和音が美しく飾ります。それは まるで 「先生 」 が、実は内心 慕い続けた ロンドンの後見人の力にすがりつくことを 決したことによって、ずっとためこんできた精神的なストレスが和(やわ )らぎゆく様子を 暗示しているようにも聴こえます。 - が、そうは いかなかったのです。

次回は・・・ 【第二幕 第4場「寝室 」】

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