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ブリテン : 歌劇 「ねじの回転 」 The Turn of the Screw
(原作:ヘンリー・ジェイムズ )
 - 本当はもっと怖い真相 

benjamin britten (6) ねじの回転_スケルツォ倶楽部

第二幕 第2場 「鐘 」

 よく晴れた明るい日曜日の朝。
 主人公の家庭教師が、幼い兄妹マイルズフローラを連れ、家政婦グロース夫人も伴って 日曜のミサに出席するためでしょう、教会へと向かう場面です。
 『鐘 』 The Bell との表題どおり、教会の中庭が舞台となる第二幕第2場は、その高い尖塔から聞こえてくる鐘の音を模すチューブラー・ベルズが 最初から最後まで 執拗に鳴り続けるという、個性的なオーケストレーションによっても知られます。
チューブラー・ベルズ ⇒ Wikipedia
チューブラー・ベルズ (3) チューブラー・ベルズ (2)
( 写真 の近接画像は、GANREF きんぞうさんのポートフォリオ より、感謝して お借りしました )

 チャイムの音は、一義的には 教会の鐘そのものを描写する 写実的な役割を担っているわけですが、実は それ以上に、心理的な「迷路 」に迷い込んでいる家庭教師の激しい焦燥感の昂ぶりや、幼い兄妹に迫りくる危機への、文字どおり 「警鐘 」といった意味も表現する、劇的な効果を果たしていますね。
 これゆえ 作曲者ベンジャミン・ブリテン氏への敬意をもって、私 発起人、この一場に「チューブラー・ベルズ協奏曲 」 の別称を捧げたいと思います(笑 )。 

チューブラー・ベルズ
 ・・・もとい。教会の中庭に立つ兄妹二人が チャペルの鐘の響きに合わせ、声を揃えて信仰深く祈祷の聖句を唱えている・・・ように聞こえます。が、実は ここでの祈りを捧げる行為もまた「ごっこ遊び 」=イノセント・オブ・セレモニー に過ぎないのです。
 なにしろ、ここで子どもたちの口から出てくる「神の祝福を受く 」べき対象とは、( 「川、海、湖 」に続く歌詞をよくよく聞いてみれば、 )オペラ第一幕「授業 」マイルズが暗誦していた、ラテン語の「男性名詞 」で「語尾に is が付く単語 」の羅列そのまま( ! )だったのですから - amnis(海流 )、axis(軸 ) 、caulis(茎 )、collis(丘 )、clunis(お尻 )、crinis(髪 ) 、fascis(束 )、follis(ふいご ) ・・・ 
 でも こんな幼稚な替え歌ごっこ遊び、実際 子ども の頃には よくやりましたよね・・・幼かった頃の私 - 発起人 にも 同じような記憶ありますよ。
 この祈祷が 子どもたちごっこ遊び であることを鋭く看破し、真実を聴衆へ見事に明示し得ている 代表的なレコーディングといえば、
ダニエル・ハーディング / マーラー室内管弦楽団Virgin)盤です。
ブリテン ねじの回転_ハーディング盤 ブリテン ねじの回転_0001
 
 このシーンにおける 子どもたち二人(キャロライン・ワイズ、ジュリアン・ラング )の個性的な歌い方は ホント 一聴に値します。 具体的には、言葉の語尾のアクセントを 戯画的に かつ大真面目に 思いきり強調してみせる - というもので、若いころのディートリヒ・フィッシャー = ディースカウが破裂音を発音する時のモノマネ なのかもしれませんが (? )、とにかく「百聞は一聴に如かず 」、繰り返し聴くうちに この「聖歌隊 」の妙味にハマったら 噴き出すこと必至。

 グロース夫人は、無邪気な子供たちの様子を指差しながら、家庭教師に「大丈夫です、取り越し苦労はおやめなさい。子どもたちは きっとうまくいきますから 」と安心させようとします。そして、たとえクイントジェスルの死霊が現れたとしても 「 いまさら 彼らに何ができるというのです ? 」 などと 楽観的です。
 ヘンリー・ジェイムズ原作から 説明を補足しながら、このシーンを紐解いてみましょう。 善良で呑気な面もある グロース夫人に ちょっぴりイラっときた 家庭教師の「先生 」は、家政婦にもっと危機意識をもってもらおうと、より具体的に はっきりと言い放ちます。
「できますとも。彼らは あの子らを 破滅させてしまうことだって - 
「でも それがどんな方法になるかは まだ見つかっていないようですが、彼らは それを 必死に探しているはずです。
「いまは まだ どこか向こう、離れたところにいるだけです。
「塔の上、家の屋根、窓の外、池の端ですね。でも二人(の幽霊 ) と子どもたちは 互いにその距離を縮めたがっています、彼らは 断固そうしようとする意志さえあるのです。誘惑者からすれば 子どもたちに危険な誘惑を続ければいいだけですから、やがて成功してしまうのは 時間の問題でしょう 」

グロース夫人は尋ねます、
「お子たちに 来い、と・・・ ?
「その試みの中で死ね、と・・・ 」

先生 」は 駄目押しします、
「わたしたちで 阻止しないかぎりね 」
それなら今こそ 兄妹伯父である後見人に頼むときではありませんか、と グッド・アイディアを 口にするグロース夫人
「・・・ って、それを 誰が頼むのです ? 」
「もちろん 先生しかいらっしゃいませんわ 」
「あなたのお屋敷はお化けたちに毒されてます、甥御さん姪御さんもオカシクなってます・・・なんて、わたしが手紙に書けると思う、グロースさん ? 」
「・・・ 」
「依頼主たる旦那様を煩(わずら )わさないようにと、教育の全権を委任されているわたしに、そんな内容を書くことはできないわ 」

           (原作から 直接の引用は、土屋政雄 / 訳、光文社版を 参考にさせて頂きました - 青字部分です -  )

「・・・そうでしたわね、ご主人様は煩わしいことがお嫌いでした。気になさらないで、先生。万事うまくいきますよ、心配いりません。さ、時間です。教会の中に入りましょう 」
それでも楽観的なグロース夫人は、一足先にフローラを伴って 建物の中へと姿を消します。

 今度は マイルズが近づいてきます。彼は 先生の腕をとると、歩きながら 親しげに質問します。
「ね 先生、ぼくはいつ学校に戻れるんでしょう ?
まるで稲妻の光のように 短い不吉な動機が 室内オーケストラで繰り返され、同時にチューブラー・ベルズの上端をハンマーが叩き込むことによって、文字どおり 警鐘を打ち鳴らします。
ねじの回転_先生とマイルズ
 「先生 」は 大いに狼狽したはずです。だって マイルズ本人には、学校側から一方的に退学を通告された事実を まだ説明していなかったからです。
 けれど退学を宣告された事情を調べる行為は、( 以下、原作から引用 - 青字 - させて頂くと ) 「その背後に積み重なる恐怖の数々を調べることに ほかなりません。本来なら、あの方兄妹伯父である後見人にブライに来ていただき、ともにその疑問を解き明かすことこそ わたし(家庭教師 )自身が望んで当然の解決策だったはずです。でも、それに伴う恥辱と苦痛を思うと耐えきれず、もう一日、あと一日と、解決を先送りにしてきました。残念ながら、マイルズの言うことが正論です。 『ぼくの勉強が中断している件を 後見人と話し合え、さもなければ 男の子に不自然きわまる生活を押しつけるのをやめよ 』 - と、マイルズは、当然 そう言える立場にあります。 ただ・・・ なぜ いま 彼が突然そう考えるようになり、行動の計画まで立てたのか。その点が どうしても不自然に思えました  (青字部分原作より 引用 )。

「・・・ええと、あなた ここでは楽しくないのかしら ? 」
「ぼくは成長していますからね、仲間が欲しいんです 」
「そうね、あなたは成長している・・・ 」
成長・・・そうです。 前回「対話と独白 」で詳説させて頂いたとおり、子どもたちが まさに 「成長 」 して大人の身体になる時( = セレモニー・オブ・イノセンスが終わる時 )こそ、実は 二人の死霊が ひたすら待ちかねている「瞬間 」なのです。 しかし「先生 」 自身も まだそこまで気づいていないと思われますが、鋭い女性の直感で、マイルズが 口にした 「成長 」 という言葉に 何か不吉なものを感じたに違いありません。

「ぼくは 自分でしたいことがあれば、もう何でもできるんです。
「ぼくの伯父さまは 先生がお考えになるのと同じようなことを考えるでしょうか ?
「(先生は )伯父さまに ぼくが大きくなっていることを 気にしていただくべきだと思いますよ。 」
先生 」は 思わず 少年に尋ねます。
「どうやって - 」
「ここに来ていただくんです 」
それは、少年の伯父である後見人が 決して望まなかった条件ではありませんか。
「それを 誰がお願いするのです 」
「ぼくがします 」
驚くほど明るい、力のこもった返事をするマイルズ
それこそ 「先生 」が、与えられた仕事を 全うすることができず、「不適格 」との烙印を 依頼者に押されることが 決定的となる行為です。 立ち尽くす「先生 」に背を向け、一人 先に マイルズは どんどん 教会の中へと入ってゆきます。 ここで鐘の響き はクライマックスに達し、そして突然 - 鳴り止むのでした。

 
 マイルズの言葉に圧倒され、教会に入るタイミングを失った「先生 」は、動揺から立ち直れず、墓石の上に座りこんでいます。
先生 」はマイルズの言葉に 不自然な 「挑戦 」の匂いを嗅ぎ分け、また同時に深い「孤独 」と「身の危険 」を感じた結果、強い緊張感にとらわれています。
 彼女は、もう この苦境から 逃れたいという気持ちが極限に達し、衝動的に立ち上がると、教会とは反対の方向に - それは、屋敷へと戻る方角に - 歩き始めます。 二人の子どもたちグロース夫人が 教会で祈りを捧げている裡(うち )に、さっさと荷物をまとめ、「里へ帰らせて頂きます 」とばかりに、屋敷から ひとり 逃げ出す (避難する? ) ことを 決心したからです。

次回は・・・ 【第二幕 第3場 「ミス・ジェスル 」 】

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