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「ねじの回転 」  前日談
映画 The Nightcomers(1971年 )邦題「妖精たちの森
~  マイケル・ウィナーの 暴走するパラレル・ワールド


Michael Winner Michael Hastings
 マイケル・ウィナー (写真 左 ) Michael Winner 監督による 映画 「妖精たちの森 」 The Nightcomers ( 1971年公開 ) は、ヘンリー・ジェイムズ Henry James の 謎多き名作 「ねじの回転 」 の 前日談を描いてみせるという、いわゆる プリクエル ( 前編に当たる部分を扱った続編作品 ) ですが、 実にミステリアスで魅力的な一編です。 「怒れる若者 」世代の脚本家マイケル・ヘイスティング (写真 右 ) Michael Hastings による 大胆な着想のシナリオが、成功の一因でしょう。
 当然 忘れてならぬことは、この映画の50年以上前に ヘンリー・ジェイムズ によって著された 「ねじの回転 」 というオリジナル・ストーリーの存在が無ければ、「妖精たちの森 」もまた この世に生れ出ることはなかった、という 今さらな事実です。これは、もうひとつの 虚構世界 なのです。
 これから映画を鑑賞しようとする人は、「妖精たちの森 」 に触れる前に、まず 原作の 「ねじの回転 世界 を予習しておかなければ そのオモシロさも半減してしまうことは 間違いありません ( もちろん 出会う順序が逆になってしまっても、ウィナーの映画の後で ジェイムズの原作世界を知って驚くことができるという楽しみ方を 必ずしも否定するものではないです )

Johann Sebastian Bach (1685 - 1750) シャルル・フランソワ・グノー Charles Franccedil;ois Gounod
▲ 似たような例を音楽史に探してみれば、もしJ.S.バッハが1717年~1723年のケーテン時代に「プレリュード ハ長調(平均律第一巻 ) 」を作曲していなかったら、シャルル・グノーもまた あの美しい「アヴェ・マリア(1859年 ) 」を 絶対に生み出すことがなかったという逸話を思い出してしまいます。
バッハ=グノー「アヴェ・マリア 」  の関連記事
 ⇒ 映画「世界の中心で、愛をさけぶ 」 ~ なぜ亜紀は「アヴェ・マリア 」を弾いたのか

 ・・・もとい。
 ジェイムズによる原作「ねじの回転 」の語り部たる女性家庭教師が 初めて馬車でブライ邸に到着する場面が そのまま映画の「ラスト・シーン 」( ! )となる - 生前のピーター・クイントミス・ジェスルを主人公にするという - そんな斬新な発想のもとに作られた「妖精たちの森 The Nightcomers 」のパラレル・ワールド的ストーリー展開のオモシロさを知ってしまった以上、やはり これを無視するわけにはゆきません。

 ストーリーは、「ねじの回転 」の女性家庭教師が赴任する半年ほど前の、同じ館が舞台です。ジェイムズのオリジナル作品は夏の物語でしたから、この仮想「前日談 」秋から冬にかけての季節の物語として描かれます。
 そんな紅葉も美しい湖沼地帯に建つ豪奢なブライ邸の屋敷。
妖精たちの森_The Nightcomers(1972 )スケルツォ倶楽部 (4)
▲ 映画の冒頭、古典的なイギリス音楽を思わせる、金管アンサンブルによるヘンデル風のバロック・ファンファーレサウンドトラックに明るく響き渡ります(音楽:ジェリー・フィールディング Jerry Fielding )。

 フローラマイルズの「姉弟 」二人(マイケル・ウィナーによる このパラレル・ワールドでは、オリジナルの兄妹関係が意図的に逆転、ついでに年齢も引き上げられ 二人は思春期という設定です )が大好きな庭師の名前を大声で呼びながら、広大な庭園の緑の斜面を駆け回る美しいシーンからスタート。その下男の名前とはもちろん 「ピーター・クイント ! 」、「どこにいるの ? ピーター・クイント !
妖精たちの森 (1) 妖精たちの森

 これに応えて、まだ元気でピンピン生きてる ピーター・クイント が登場。
 しかも 演じているのは、「ラスト・タンゴ・イン・パリ 」や「ゴッドファーザー 」で知られる名優マーロン・ブランド Marlon Brando ! その仕草や表情もさることながら、わざと品の悪いアイルランド訛りのイギリス風英語を発音してみせるなど 出生から卑しい男になりきる演技力の秀逸さ。ブランド扮するクイントは、嬉しそうに 子どもたちに合図の指笛をピーッと秋空高く吹き鳴らすや、鬼ごっこに興じるべく、素早く帽子を取って 森の茂みへと走ってゆくのです。
妖精たちの森 (2)

 うーん、やられました - もう最初から素晴らしいです。この冒頭シーンだけで、スケルツォ倶楽部発起人、二人のマイケルウィナーヘイスティング )の発想の豊かさに感動、油断して目頭まで熱くなってしまったことを告白します。
 もちろん こんな私の感想は、正常な映画愛好家の方たちのリアクションとはきっと違うでしょう。それは自分でもよく判っていますが、自分自身に具わってしまった ちょっと変な感受性を止めるのは容易なことではありません(笑 )。
 逆に、まともな一般観客の皆さんにとっては、このシーンだけで違和感一杯になるはずで、それが普通でしょう。だってオリジナルの「ねじの回転 」において、マイルズフローラ兄妹「悪魔 」ピーター・クイントの名前を 最後まで(決定的な一度の機会を除けば )決して口にすることはなかったわけですから。

 マイケル・ウィナーのドラマの中では、そんなフローラヴェルナ・ハーヴェイ Verna Harvey )と マイルズクリストファー・エリス Christopher Ellis )の「姉弟 」は ピーター・クイントのことを 心から慕っています。
妖精たちの森_The Nightcomers(1972 )スケルツォ倶楽部 (10)

 なぜならクイントは、ある意味で 二人の父親代わりのような存在だったからです。 - あ、「父親 」といっても 厳格な家長としての存在という意味では決してなく、そうですね、ちょうど かつてのガキ大将のように 子どもと一緒に森の中を走り回って 野生の動物のこと、森や自然のこと、馬の乗り方、小鳥に餌を与える方法、凧や気球の作り方や揚げ方、弓矢の作り方や射る方法、紐の縛り方など、まさしく生存するために必要な工夫や力強さ、見てはいけないものもときには見せてくれる、つまり机の上で学ぶこと以外のことはすべて教えてくれた、そんな頼もしい存在という意味においてです。
  妖精たちの森_The Nightcomers(1972 )スケルツォ倶楽部 (19)

 映画評論家 町山智浩氏も 著書「トラウマ映画館 」の中で、この映画「妖精たちの森 」を詳細に紹介なさっていることを知りました。幸い読んでみる機会があったので、真っ先に目を通してみると、の深い洞察に基づく素晴らしい文章の力に触れた結果、もう一度映画を観なおしたくなる衝動に突き動かされました。
 特に 町山氏が ピーター・クイント「に 血肉を与えた 」 マーロン・ブランドのことを「太ったピーター・パンのように自由奔放で魅力的なキャラクター 」であると表現されている文章には、深く共感しました。
Peter Pan  妖精たちの森_The Nightcomers(1972 )スケルツォ倶楽部 (7)

 私自身も「ねじの回転 」に出てくるピーター・クイントという謎めいた存在について、ベンジャミン・ブリテンオペラ化するに際して付けた まるで飛翔するような音楽を聴いてみたり、誰にも知り得ない生前のマイルズとの人間関係がいかなるものだったのか想像を巡らしたりしてきましたが、子どもたちに空の飛び方まで教えてくれる、決して歳をとらないイノセントな存在である「ピーター・パン 」という妖精のキャラクターが、ピーター・クイントに充てる最も相応(ふさわ )しい比喩であろう、との確信を深めたのでした。

 ・・・もとい。映画「妖精たちの森 」のクイントに話題を戻すと、子どもたちにとっては ある意味 頼もしい父親代わり的な存在であった反面、その判断基準基本的な考え方のほうには 実は かなりアヤシイところも多く、たとえば「塩は清潔だけど、砂糖は不潔だから テーブルで使ってはイケナイ 」という説明の根拠のなさとか、沼でつかまえてきたカエルの口に煙草を咥えさせ、その煙を吸わせ続けた挙句 破裂して死んでしまっても「このカエルは煙草が死ぬほど好きだったんだから、幸福なんだ 」などというめちゃめちゃな説明をするなど、その言動の殆どすべてに首を傾げたくなるような振る舞いばかりが続くので、そのうち映画の観客は、この身分も低い無学な下男に対し、屋敷の取締り係を務めるグロース夫人でなくても 当然強い不信感を募らせることになったでしょう。

Peter Quint (Marlon Brando ) and Miles (Christopher Ellis )
 「姉弟 」の両親二人が揃って海外で事故死してしまったという重大な事実を、子どもの心情に配慮して周囲の大人たちが しばらくの間は伏せておこうとしていたのにもかかわらず、これをあっさり伝えてしまったのもクイントでした。

妖精たちの森_The Nightcomers(1972 )スケルツォ倶楽部 (17)
▲ 「姉弟 」の両親二人の亡骸を収めた棺が二つともにブライ邸領地内の墓地に埋葬されようとする短いショット。

 そんなクイントの存在は、「姉弟 」の生活と館の家事全般を取り仕切っているグロース夫人ソーラ・ハード Thora Hird )にとって 決して好ましい存在ではありません。
 今はこの館の主人となった、「姉弟 」の叔父である後見人ハリー・アンドリューズ Harry Andrews)が自己都合のビジネス優先でロンドンへ帰ってしまうという その朝、グロース夫人は 怠惰で不良な下男クイントの解雇を 後見人に仄(ほの )めかします。
Harry Fleetwood Andrews
後見人自身も 実は クイントの不品行には うすうす気づいていたものの、しかし ここで簡単にクビにしてしまっても 広大な屋敷・庭園に男手がいなくなってしまう不便のことを考え、しばらくの間 様子をみることにしたのでした。

 子どもたち「姉弟 」が クイントと同じくらい慕っていたのは、住み込みの若い家庭教師ミス・ジェスルステファニー・ビーチャム Stephanie Beacham )でした。彼女は、子どもたちに上流階級にふさわしい礼儀作法だけでなく ラテン語や数学・歴史・地理・聖書ばかりか音楽なども教えており、とりわけ「フローラとは大の仲よしでした。
ミス・ジェスル 妖精たちの森_The Nightcomers(1972 )スケルツォ倶楽部
▲ まだ20歳代の美しいジェスル先生は、原作「ねじの回転 」の主人公である女性家庭教師と、そのキャラクター自体は 酷似している気がします、置かれてしまった状況が異なるだけで、もし赴任時期がズレていれば 両者の立場は容易に逆転していた可能性もあるでしょう。

 身分制度の厳しい大英帝国時代のイギリスにおいて、下男は自分の私用で主の屋敷に出入りすることなどは許されず、クイントも 夜は馬小屋で寝なければなりません。一方、子どもたち家庭教師として屋敷の一部屋を私室として宛(あて )がわれているジェスル先生。 クイントなんかとは身分が違いますから 当然です。しかしクイントには恐るべき夜の顔がありました。

 若い女性教師の寝室に 大胆にも夜這いをかけるピーター・クイント。屋敷に立ち入るだけでも許されないというのに、館に暮らすレディを本来なら守るべき使用人が、一体なんということを。 ・・・おお、信じられません。 「ピーターはオオカミ 」 だったのです !
 しかも クイントの好みは 目を覆うばかりの特殊な変態プレイです。
 貞節な未婚女性らしく そんな真夜中の侵入者を捕え、悲鳴を上げて助けを求めるかと思えば、こんなSオヤジの打擲を易々と受け入れてしまうジェスル先生も 実はスゴイMでした。
妖精たちの森_The Nightcomers(1972 )スケルツォ倶楽部 (8) 妖精たちの森_The Nightcomers(1972 )スケルツォ倶楽部
▲ 「縛ってほしいの 」、「叩いてほしいの

 嫌がる素振りや苦痛の表情をみせても 実は「やめて 」は口先だけ、期待に火が付いた彼女の内心の欲望は その濡れた瞳が雄弁に語っています。縛られ 打(ぶ )たれることに性的興奮を抑えきれなくなり、やがて むき出しにされた豊かな白い胸を 中年男に荒々しくわしづかみにされながら、いろいろ恥ずかしい体位で凌辱される悦びのあまり 口元からヨダレまでたらしてます。 そうです、ジェスル先生のほうも 昼は衣装の下に隠している夜の顔があったのでした。

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▲ しかも どうやらマイルズのほうも 若いジェスル先生の寝室を 前々から覘(のぞ )き見する習慣があったらしく、暗闇の中を慣れた足取りで窓に近づくと カーテンの隙間から そんなオトナの男女二人が くんずほぐれつ汗だくで絡み合う肢体を目撃、「学んで 」しまうことも どうやら これが初めてのことではないらしい・・・。
 尚、このシーンに流れる印象的な音楽ジェリー・フィールディングによるオリジナル楽曲ではなく、バルトーク作曲のピアノ協奏曲第2番から第2楽章(アダージョ )の一部が使われています。

 その翌日、マイルズは 早速「フローラと 昨晩新しく「学んだ 」オトナの行為を実践してみます。ロープで縛られる「 」は 痛がって「嫌がる素振り 」、後ろから追いかける「」は「 」の服を引き裂き、露わになった白い背中にキスします。「 」はベッドに押し倒され、激しく抵抗。でも「やめて 」は口先だけ・・・
 二人の嬌声を聞きとがめ、さてはまた姉弟喧嘩しているのかと駆けつけたグロース夫人、子ども部屋のドアを開けた瞬間、この光景を見て驚きます。
「一体 何をしているの ? 」
必死に笑いを堪(こら )えているフローラをベッドに組み敷きながら、「マイルズイノセント(無邪気 )な笑顔で 家政婦に返答します。
セックスごっこだよ、グロースさん !

 そうなのです、彼らにとって これは「ごっこ遊び 」なのでした。本当の行為ではありません、だって彼らは まだ 無垢(イノセント )な子ども ですから。 
 おそらく幼い頃からピーター・クイントに遊んでもらいながら育った「姉弟 」にとっては 階級的な偏見など目に見えず、また純真であるがゆえに そんな下男のことを卑しい存在であるとも考えず、このため彼の言動すべてを殆ど盲目的に信用してしまうという危険にさらされていました。

グロース夫人Thora Hird
▲ フローラマイルズへの教育上の悪影響を考慮したグロース夫人は、クイントはもちろん ジェスル先生も解雇することを決めます。

 塔の中で 残りわずかな二人だけの時間を過ごす クイントミス・ジェスル・・・ クイントが真面目な顔で結婚を 仄(ほの )めかす言葉を口にするのを聞いた瞬間、ジェスル先生身分違いの下男と暮らすことなど無理であることに気づくのでした。ツンデレの彼女は 思わず口元を軽蔑に歪ませながらクイントに屈辱的な言葉を投げてしまいます。
お前なんかの汚い豚小屋に わたしを寝かせようっていうつもりなの ?
激怒したクイントは、美しいジェスル先生の顔をめちゃめちゃに殴打しながら、彼もまた決して 現世では彼女と結ばれることなどあるまい - と痛感するのでした。

誰かを心から愛すると、相手を殺したくなるものなんだ
と、二人の諍(いさか )いを目撃してしまった子どもたちに まるで言い訳するかのように語るクイント。彼は、ゆがんだ形ではあっても ミス・ジェスルのことを 心から愛していたのでした。
もし愛する人が死んでも、自分が死ねば また会えて 結ばれる
それらは、大人にとってはひとつの比喩に過ぎない言葉でしたが、クイントの言動すべてを鵜呑みにしてしまうフローラマイルズは、クイントジェスル先生の二人が結ばれることを心から願って、二人に素敵なプレゼント計画を実行するのです。
妖精たちの森_The Nightcomers(1972 )スケルツォ倶楽部 (18)

 ・・・さて、ジェイムズの原作「ねじの回転 」では 館を解雇された直後にジェスル先生は亡くなったことになっています。原作の中では、主人公の家庭教師グロース夫人ジェスル先生の死について訊ねる、以下のような 曖昧な会話が記されているのみです。

家庭教師   「 (二人の関係は )ジェスル先生が望んだことでもあったのでしょう ? 」
グロース夫人 「・・・おかわいそうに。高くつきましたね 」
家庭教師   「では、なぜ(彼女が )死んだか やはりご存知なのですね 」
グロース夫人 「いいえ、何も存じませんし、知りたくもありません。知らなくてよかったです。もう苦しみから抜け出されたわけですし 」
家庭教師   「でも何か思い当たることはあったのでしょう ? 」
グロース夫人 「ここを去る理由ですか ? ええ、むろんです。それは、もう・・・いられはしませんですよ。考えてもみてください、家庭教師がですよ ! あとからいろいろ考えましたし、いまでも恐ろしいことを考えます 」
家庭教師   「きっとわたしの想像ほど恐ろしくはないでしょう 」
                                    (土屋政雄 / 訳、光文社 「ねじの回転 」より )



 この映画の意外な結末については、前述の町山智浩氏による 「トラウマ映画館集英社 ) 」の中に たいへんわかりやすく描かれている要約を 見つけてしまいました、以下 敬意をもって 引用させて頂こうと思います。
 また、併せて ここからは 監督マイケル・ウィナーと シナリオ・ライターであるマイケル・ヘイスティングによる この映画「妖精たちの森 」の せっかくのショッキングな結末について暴露してしまうという重大なネタバレを含みますので、もしも あなたが まだ この映画を観ていない、あるいは 観るまでは結末を知りたくない というご希望であれば、ここから先はもう 敢えて読まれないことを 強くおススメします









 先に映画をご覧になってからのほうが、その意外な結末に驚き、楽しむことができると思いますよ。










ご注意  ―  以下、映画のエンディング・ネタバレを含みます ― 

町山智浩「トラウマ映画館(集英社 ) 」


 ・・・ フローラはジェスル先生にクイントが湖の向こうの小屋で待っていると伝える。別れ際に やはり一目会いたくて、彼女はボートを漕ぎ出す。だがボートの底にはあらかじめマイルズによって穴が開けられていた。泳げないジェスルは溺死する。
妖精たちの森_The Nightcomers(1972 )スケルツォ倶楽部 (13)

 ジェスルの遺体を発見したクイントは失意のあまり酒をあおる。泥酔した彼の脳天にマイルズが弓矢を撃ち込む。「じっとしてクイント、すぐにジェスル先生に会えるからね 」と言いながら。
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 マイルズは落ち着いてクイントの頭から矢を抜いて証拠を隠滅する。『ねじの回転 』では、道端で死んでいたクイントの頭には小さな傷があり、酔っ払って転んで頭を打って死んだのだろうと推測されている。
 クイントは 実は被害者で、無垢な天使のはずの子どもたちこそ殺人者だった。いや、彼らは無垢だからこそ残酷だったのだ (以下、略 )
                      ― 町山智浩トラウマ映画館集英社 ) 」より 引用 (青字部分 )



 ・・・いかがでしょうか。
 以上の経緯が、フローラマイルズ姉弟が愛するピーター・クイントミス・ジェスルのカップルに用意してあげた素敵なプレゼントです。原作者ヘンリー・ジェイムズが わざと曖昧なまま書き残しておいた 影の部分に、 マイケル・ウィナーマイケル・ヘイスティングの二人が 巧みに光を照射したことによって、ある程度まで つじつまが合う結末となっています。
 ひとつの仮説として、あるいは、共通のキャラクターが暮らすパラレル・ワールドの出来事として観る限り、これは 素晴らしい想像力だと思います。
妖精たちの森_The Nightcomers(1972 )スケルツォ倶楽部 (14)
 また、新たに創作された、この「前日談 」 から眺めれば 「続編 」であるともいえる 本編 「ねじの回転 」における 不可解な のひとつ - 子どもたちの口から決してピーター・クイントミス・ジェスルという二人の名前が出てこないこと - への理由もまた、これによって (ある程度 )納得できます。
 さらに、この恐ろしい始末によって、死霊となって現れる 二人の男女が 何故マイルズフローラに憑依しようとしているのかという 疑問 に対する合理的な説明にもなってしまっていることは、ひとつの驚くべき功績だと思うものです。



▲ この貴重な映画が、おそらく今だけ YouTube で 全編視聴できてしまいます(対訳付 )。

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