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ブリテン : 歌劇 「ねじの回転 」 The Turn of the Screw
(原作:ヘンリー・ジェイムズ )
 - 本当はもっと怖い真相 

benjamin britten 映画「回転(ねじの回転 ) 」

第一幕 第8場「夜 」

 第一幕 第8場『 』への神秘的な前奏曲
 このオカルト・オペラの舞台上では、「死霊 」ピーター・クイントの存在が暗示されるシーンになると 常にチェレスタの透明な響きがこれを象徴するという 約束ごとがあるようです。
 そこに、まるで夜風が木々の枝葉を揺らしながら吹き抜けてゆくざわめきを表すかのように 繊細な撥弦楽器ハープが 音響全体に彩りを添える中、深ーく ゆっくりと呼吸を繰り返す 魅力的なフレンチ・ホルンの遠吠えが 闇の中にひそむ死霊の息づかいまで感じさせます。その信号風の独特な旋律は この歌劇の随所にしばしば登場する 四度と五度を跳躍する空虚な効果をもつ重要な音列。
daniel-harding_c_1_jpg_681x349_crop_upscale_q95[1] ブリテン ねじの回転_ハーディング盤
ダニエル・ハーディングVirgin Classics )盤に聴ける、マーラー・チェンバー・オーケストラのホルン奏者ジャン=フランコ・ディニ の素晴らしいホルン・ソロを おススメします。

 それでは、いよいよ 問題の第8場「夜 」・・・ 「問題の 」というのは まさに この場面こそが、ブリテンオペラが 独自の解釈を加え、ある意味 ヘンリー・ジェイムズの原作と 袂(たもと )を分かったとも言える 決定的な分岐点となっているからです。

 この場面に相当するジェイムズの原作は、第9チャプターから第11チャプターまでのくだりです。
 夜中、しばしば大気の中に「得体のしれないうごめき 」や 怪しい霊感を感じるようになった女性家庭教師は、ガウンを羽織ってベッドから起きだし、燭台にキャンドルを灯すと 広い屋敷内を 毎晩のように巡回する習慣になっています。
The Turn of the Screw in Boston at the Cutler Majestic Theatre ねじの回転_コリン・デイヴィス_PHILIPS
 
 夜更けまで邸内を歩きまわるようになった彼女は、ある明け方には 屋敷の階段を見降ろす高い窓のみえる場所で 男の幽霊ピーター・クイントの幻影と三度目の対面を行ったり、また別の日の夜中には やはり高い場所から階段を見降ろせる位置から、下段のステップに背を向けて座りこんでいる女の幽霊ミス・ジェスルが上体を倒して両手に顔を埋め その肩を深い悲しみに震わせている姿を目撃したりするのでした。

ねじの回転
 そんなある晩、「先生 」は 子どもたちのベッドが(兄妹二人とも )空っぽになっていることに気づき、真っ青になって屋敷中を探し回ります。まもなく妹フローラのほうは 寝室の外に向かって開かれた窓の敷居にもたれながら月夜の庭を眺めている (第7場「先生 」が ミス・ジェスル死霊を目撃した「 」も その窓の高さから視界に入ります ) ところを見つけ、ベッドへ連れ戻すことができました。この時 「先生 」は、フローラが「池(湖 )の端に現れたミス・ジェスルの幻影と向かい合って 意思の疎通を果たしてい 」たのではないかと 内心 疑いの気持ちを抱きます。
 一方、兄マイルズのほうは 真夜中の庭に裸足で降りて 月明かりの中庭の芝生の上に立っているところを発見、これも屋敷内に連れ戻すことに成功するのですが、「先生 」は その不審な行為の理由を マイルズ本人に問いただすのです。 かつてこの屋敷で マイルズが生前のピーター・クイントと何ヵ月にもわたっていつも親しく一緒に過ごしていたという事実をグロース夫人から聞かされていた「先生 」は、マイルズの心の中に ピーター・クイントという存在が果たしてどういう形をとって占めているのか 本人の口から確かめようとするのです。

「さあ、外に出たのはなぜなの ? 外で一体何をしていたの ? すべてをありのままに話して頂戴。 」
「話せば、先生はわかってくれるんですか ? 」
美しく微笑みながら 澄んだ瞳で 穏やかに訊き返すマイルズに 「先生 」は うんと頷きます。
「・・・実は、先生が いま思っていることを思ってほしくて 」
「思うって何を ? 」
「たまには ぼくを悪い子だと思ってほしかったんです 」
愛らしい口調でそういうと、マイルズは「先生 」に敬愛のキスをします。その釈明は実に巧妙です。「先生 」 は、もうこれ以上 さらに掘り下げて尋問を重ねることはできなくなってしまいます。
「・・・でもそんな真夜中に、もしわたしが気づかなかったらどうするつもりだったの ? 」
「だってフローラが手伝ってくれましたから 」
「フローラと打ち合わせてやったわけね 」
これによって フローラの怪しい行為の理由も 同時に説明がついてしまうことになります。
「彼女は起きだして 窓から外をみる手筈でした。先生の目を覚まさせて 自分が外を見ていれば、きっと先生も気づいて 窓から中庭を見るでしょう ? 」
マイルズは「いたずら 」が成功したということを装って、そこで満面の笑みを浮かべます。それは、「先生 」の聞き出そうとしていた答えではありませんでしたが、こうしてすっかり相手側のペースになってしまった以上、もはや「先生 」側の完敗です。負け惜しみのように 少年をたしなめるしかありません。
「でも、夜風に身をさらして・・・身体によくないわよ 」
勝利したマイルズにとって 「先生 」の言葉への同意など小さな譲歩でした。
「そのくらいしないと、悪い子にはなれないから たいへんなんですよ(笑 ) 」

― 以上が、オペラ第8場「夜 」の場面に相当する 原作部分の流れです。例によって 土屋政雄氏の名訳(光文社 )を参考にさせて頂きました、感謝申し上げます。
「ねじの回転 」ヘンリー・ジェイムズ(土屋政雄 訳 )光文社
▲ 「ねじの回転 」 ヘンリー・ジェイムズ土屋政雄 訳 )光文社

 そういうわけで、原作では この夜、マイルズフローラの兄妹は わざと大人を心配させるようないたずらを仕組んだのだと釈明しています。客観的にも 子どもたちの弁明を疑う状況はまったくなく、実際 クイントミス・ジェスル二人の「死霊 」も、その晩「先生 」の前には姿を現わしていません。
 しかし「先生 」は、子どもたちが自分に嘘をついているのだ、と「見抜いて 」います。二人は 間違いなく 真夜中の外気に触れながら 「死霊 」と交信していたに違いない - と、彼女は信じています。
 
 けれども原作を読み進めている読者にしてみると、そろそろこの辺りで 一体どちらが正しいのか、わからなくなってきます。なぜなら 死霊の姿を目撃し 恐怖に慄(おのの )いている者は、よく考えてみれば、主人公である 家庭教師 =「わたし 」一人だけなのですから。子どもたちは「死霊 」の存在を認識しているかどうかは おくびにも出さず、また 死んだ二人の使用人の名前も、「先生 」の前では 一切 話題にもしません、それは不自然なほどに。

 果たして この屋敷に「死霊 」は いるのか いないのか、読者は「語り手 」である「先生 」の話をすべて信用してもよいのか。
 そもそも 原作の大半は 一人称形式で書かれていますから、ストーリーの語り手「わたし 」すなわち 女性家庭教師の視点からだけでしか綴られていません。ですから、もしも「先生 」が正気でなかったとしたら・・・ 「死霊 」も はじめから存在せず、それが 彼女の妄想の世界にだけ現われる産物であるとしたら、この物語自体が 実は「神経症を患った 」孤独な女性患者の自覚症状記録 - ということになってしまいます、実際このように解釈する文学者、批評家も多いそうなのですが、でも 一方でそう割り切ってしまうのも ちょっとツマラナイなあ - と、私 “スケルツォ倶楽部発起人は 思うのです。
 だって、読み手自身でさえ 己の立ち位置を判らなくさせてしまうのが、ヘンリー・ジェイムズの巧みな技による「曖昧性 」に起因するからではありませんか。この「ワカラナい 」点にこそ、「ねじの回転 」という稀有な文学作品の旨味があり、最も「オモシロいエッセンスが沈殿している と思うからです。

Benjamin Britten Mary Myfanwy Piper
ベンジャミン・ブリテン(左 )と、台本 マイファンウィ=パイパー 
 しかし、ベンジャミン・ブリテンは、オペラ(マイファンウィ=パイパー台本 )「ねじの回転 」を作曲する際、このせっかくの 「曖昧であることの旨味 」を残すことを 潔く放棄し、明確に「幽霊はいます 」と割り切ってストーリーを進行させることのほうを 選択します。
 ・・・決してワルいとは申していません。ひとつの見識には違いありませんし、また この題材を 「歌劇作品 」として、逆に そうしなかった場合には、果たして その脚本はどんなものになっていたでしょうか、収拾はついたでしょうか、一体どんなオペラに仕上がっていたでしょうか、ちょっと想像できません - 未来の私たちには、それをイメージすることは、困難です。

 そういうわけで、オペラの第8場「夜 」、それは おそらく 主人公の「先生 」が 彼女の想像の中で描いていたとおり、最初から「死霊 」ピーター・クイントが塔の上に現れ、屋敷内で睡眠中だったマイルズの名を「声に出して呼び 」、自分のほうへと呼び寄せる姿です。
楽譜 ねじの回転 クイントの招聘の声
 
 クイントの「第一声 」が放つ、その底知れぬ怖さ、ここは ブリテンによる自演Decca / LONDON )盤に聴ける “史上最初のクイントピーター・ピアーズの声に スタジオで特殊なS.E.効果までかけた 個性的なサウンドが やはり「最強 」では。ホント怖い。機会があれば、一度 ぜひお聴きになってみてください。
ブリテン ねじの回転_初演メンバー ベンジャミン・ブリテン と ピーター・ピアーズ(右 )
▲ (左 )ブリテン自演 (Decca / LONDON ) 盤、(右 ) ブリテン ピーター・ピアーズ

 覚醒させられたマイルズは、クイントが立つ塔の真下に位置する中庭まで 寝間着のまま歩いてゆき、夜露の降りた冷たい芝生の上を裸足で立っています。まるで夢遊病者のような状態で、クイントの呼びかけに応えるマイルズ「I’m here、Oh, I’m here (ここにいます、はい、ぼくはここです ) 」
 クイントは、ジェイムズの原作では 登場 (・・・って、敢えて「登場 」という言葉が許されるならば ですが ) - 登場しても 幻影のように姿を見せるだけであって、決して自ら言葉を発することはありません。ですから この歌劇クイントが詠じる歌詞のすべてが、台本マイファンウィ=パイパーが自由に創作したオリジナルであることを、鑑賞する私たちは 意識しておく必要があると思います。

「俺は奇しくも 雄々しいすべてのものだ
「海辺の堅い砂の上で 激しく喘ぎあがく 裸馬だ - 
「国中を略奪する梟雄だ - 
「俺は 手にしたものを黄金にするミダス王だ。 」

「俺は 平穏な世界の陰の暗黒の半面
「禍と神の詭計とを翼とするマーキュリーの踵だ - 
「俺の中で 秘密と半熟の欲望が出会うのだ。 」

「俺は ろうそくの光が消えるとともにうごめき始める 隠れた生命 - 
「階上から階下へと辛うじて聞きとれる足音 - 
「俺は 人知れずになされる身振り、そして ひそやかにくり返される言葉 -
「俺は 夜飛ぶ鳥の 長い吐息のような飛翔だ。 」
                              (柴田南雄 / 対訳、国内ユニバーサル盤より )


 この歌劇のように 「ねじの回転 」 を 舞台化しようとした場合、百歩譲って黙役にでもすべき存在 ピーター・クイントに、どうしても 歌わせたいとしたら - 原作者ジェイムズの関与しないところで 新たに歌詞をオリジナル創作しなければなりません。そんな難しい課題を与えられた マイファンウィ=パイパーは、それでも かなり堅実に仕事を成し遂げたと言えるのではないでしょうか。なぜなら この歌詞に対する、 私“スケルツォ倶楽部発起人の好感度は とても高いからです。

 さて、クイントをいかなる人物にするか、これは じっくりと考えてみる価値のある課題だと思います。
 私は、生前のクイントが この屋敷で長い時間 マイルズと過ごしていた頃の姿を、以下のように 勝手にイメージしています。
 すなわち、まるで少年同士のように 子どもと一緒になって 冒険ごっこや海賊ごっこに明け暮れ、まるで年齢の近い友だちであるかのように 歴史的な王族たちが皇位を巡って繰り返す戦争ごっこを ともに模して遊んでいたのではないか。またあるいは、父親がいなかった少年にとって、馬の乗り方や泳ぎ方・弓矢の放ち方などを まるで父の代わりを務めるかのように 熱心に教えていたのではないか - などと想像します。
 ですから、もしクイントの「死霊 」が現れたとしても、少年マイルズの目には、たとえばピーター・パンのように 魅力的な妖精の姿として映っていたと想像することも 実はオモシロいと思うのです( そんなクイントも、また初演でクイント役を演じた テノール歌手 ピアーズも また、揃いも揃って 皆 名前が 同じピーターなのは、偶然とはいえ 興味深いシンクロニシティですよね )。 
Peter Pan
▲ 永遠の少年、妖精ピーター・パンのイメージ
 マイルズを呼び寄せるクイントの発する神秘的な言葉に、まるでブリテンは着色するかのように多彩な音楽をつけていますが、特に「平穏な世界の陰の暗黒の半面~ 」以下の部分では、まるで空を自由に飛べる妖精ピーター・パンの姿を模すかのように 木管楽器が大きな飛翔を描いています。すでに亡くなったピーター・クイントは、もはやそれ以上 歳をとることはありませんが、ご存知のとおり ネバーランドで冒険に明け暮れるピーター・パンも同じく いつまでも不老の少年の姿のままではありませんか。
 但し、それは子どもたちに向けたピーター・クイント昼間だけの顔であり、実は 生前のクイントには もうひとつ 夜の顔も - 「平穏な世界の陰の暗黒の半面 」も - あったのです。 あ、でも それについては、今後また詳しく述べます。

 少年が好む言葉 - Gold 黄金、Secrets秘密、Bird 鳥 などを巧みに織り込みながら、マイルズの関心を自分に向けようとする ピーター・クイント
 やがて 湖畔には ミス・ジェスルの悲しげな「死霊 」も姿を現わし、厳かにフローラの名前を呼びます。ここは 音楽的にも 一瞬無調に近い表現が採用され、聴感的にも かなり怖いです。彼女は、フローラのことを「いらっしゃい、いらっしゃい 」と、自分のもとへ繰り返し呼び寄せようとします。これに重ねるように クイントマイルズの名を呼び続け、子どもたち二人も - 彼らに呼応しているようにも聞こえますが、しかし依然 夢遊状態のままで - マイルズクイントに、フローラミス・ジェスルに、返答の声を上げます。
 この辺りで 「死霊 」の二人は、木管の細かい動きを伴いながら 新しいフガートな旋律を歌いはじめます、これは 先にクイントが出た後で ミス・ジェスルが、これを追いかける印象的な動きです。
小径や森の中や上堤の上、壁の傍らに、丈高く生い茂った草の間に、そして冬の枯葉や落葉の中にも わたしたちは待っている、忘れないで ! 」

 さらに続けて、これに間奏曲で聴かれたフレンチ・ホルンの繰り返す深呼吸が まるで 音楽の空間を埋めるように広がり、その闇を 「死霊 」二人の呼び掛けが貫き、さらに これに応える子どもたち二人の返答が重なります。
 この辺で ようやく 夜中の寝室にいるはずの子どもたちの姿が消えたことに気づいた家庭教師グロース夫人が燭台を手にして屋敷内を探し出す様子が ( 本来の原作であれば この場面は まさに ここから始まるわけですが )、そして二人がそれぞれマイルズフローラの名を呼ぶ声も加わると、さらに 全員すべての声が同時に重なって 音楽的にはカオスに近い音響となります。
 ようやく 子ども二人の所在 - マイルズが中庭に、フローラがバルコニーに立っていること - に気づいた「先生 」は、ティンパニ奏者が 例の「誰だろう Who is it ? 一体何者だろう Who can it be ? 」を 激しく叩くリズムに乗って、グロース夫人とともに 二人に駆け寄るのでした。
「マイルズ ! ここで何をしていたの ? 」
絶叫するように尋ねる 「先生 」。
その途端 ここで全楽器が 突然沈黙、深い静寂の中、ハープだけが爪弾く静かなグリッサンドに乗せて、マイルズは無邪気に 「先生 」 に答えます、
「おわかりでしょう、ぼくは悪い子なんです。 そうでしょ ? 」
ああ、惜しいな。 前述したとおり、原作がもっている この会話の、手に汗を握る やり取りの豊かなニュアンスが オペラではすっぽり失われています - 先生マイルズとの腹芸のような心理の交錯 が読み取れる秀逸なシーンだったのに - これを 聴衆には伝えきれない、もどかしく 残念な、一言で言えば 「もったいない 」 場面です。
 そして、音楽は 最後に ティンパニが最弱音で「誰だろう リズムを 一度だけ静かに轟(とどろ )かせた後に そっと止まるのですが、その瞬間は まるで 心臓の鼓動が停止したかのようなのです - って、誰の ?
 はい。これで 第一幕 は 終わりです。

次回は・・・ 【第二幕 第1場 「対話と独白 」 】

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