スケルツォ倶楽部 Club Scherzo 
  全記事一覧は ⇒ こちら All Title List
  ねじの回転 」 もくじは ⇒ こちら


ブリテン : 歌劇 「ねじの回転 」 The Turn of the Screw
(原作:ヘンリー・ジェイムズ )
 - 本当はもっと怖い真相 

ブリテンの記念切手  ねじの回転 第一幕 第7場「湖 」 (2)

第一幕 第7場「湖 」

 場面転換の間に 室内オケが演奏する間奏曲には、前場「授業 」の後半で登場した 神秘的な「マロ Malo の歌 」が、その和声と旋律線の中に見え隠れします。曲の背後では ピッツィカートを刻み続ける弦セクションがリズムの駆動役を担い、その隙間を注ぐように流麗な木管楽器たちが 水のように流れ落ちてゆきます。

英国ヴィクトリア朝ガーデンの湖(イメージ )
 舞台が明るくなると、ここは 屋敷の広大な庭園に設けられた 小さなの畔(ほとり )です。
 周囲には葦が茂って密集しており、そこへ 家庭教師の「先生 」が フローラを伴って登場します。幼い彼女は人形を、「先生 」のほうは一冊の本を手にしています。

 ジェイムズの原作に拠れば、フローラは 地理の勉強を始めたばかりで、この湖のことを(遊びで )「アゾフ海(ロシアとウクライナに接する黒海北部の海域 ) 」と呼ぶことになっています。 マイファンウィ=パイパー 歌劇の台本を翻案する際 この部分を巧みに生かし、「先生 」がフローラと会話しながら お庭の湖に命名すべき名前の候補として 知っている世界の海の名を 彼女に暗唱させようという、ここも日常的な授業シーンへとつなげています。

ねじの回転 第一幕 第7場「湖 」 (4)
「さあ フローラ、始めてごらんなさい 」
  子どもたちが暗唱するときの音楽は、ここでも 五拍子です。
アドリア海、エーゲ海、バルチック海、ボスニア海、カスピ海 ・・・ 」
「グッド ! 」
黒海、紅海、白海、黄海、ええと、地中海! 」
「いいわよ、続けて ! 」
「ええと、ええと・・・ 死海 the Dead Sea ? 」
死海 - あるわよ 」
  それまで快調だった音楽のリズムは、ここで停滞してしまいます。
「ねえ、海が死んじゃうって どういうこと、先生 ? 」
  フローラは「 」という言葉にこだわります。
「海水の塩分濃度が高すぎて 生き物が住めない海だから 死海というのよ 」
「そんなところには 行きたくないわ、マイルズだって・・・ 」
  庭園にある この広い池には「死海 」という名前が ふさわしいのでしょうか・・・ ?

 二人は 湖の畔に腰を降ろします、「先生 」はベンチに フローラは お人形を抱いたまま 石の上に。
 「先生 」は、フローラに 人形を寝かしつけるため 子守唄を歌うことを提案します。幼女は、可愛がっている お人形を静かに揺すりながら 子守唄を歌い、やがて 歌い終えると、黙ったままお人形をあやす仕草だけを続けながら、不意に 湖のある方角から 意図的に視線を避けるかのように 身体の位置を変えると、慎重に (舞台上では )客席のほうへと顔を向け、正面で 静止します。
 客席に向かっている フローラの背景側となった (つまり 幼女の視界の外になる )湖の葦が密集している辺りに、いつのまにか 黒衣の若い女性が 立っています ( ! )。

ねじの回転_フローラのイメージ ねじの回転 第一幕 第7場「湖 」 

 「先生 」は、フローラが歌を止め 身体の向きを変えたことに気づき、不審に思います。そして フローラの視界から外れた方角 - 湖のほう - を見て、そこで初めて 真っ青な顔をした見知らぬ女性が立っていることに気づくのでした。 彼女は それが 自分の前任者だった家庭教師で 亡くなった ミス・ジェスル 死霊に違いないと 直感で悟ります。 が、その途端、「ミス・ジェスルの姿 」 は 消え去ります。 それは まさに目を疑うような 一瞬のできごとでした。

ねじの回転 第一幕 第7場「湖 」

 ここでのブリテンの音楽は まるで 急速に水が満ちてくるように不協和な十二音が段階的に重ねられ、あたかも津波のような恐怖が髪の毛を逆立てるようです。ティンパニが激しく叩きつけるリズムは「 」や「 」の場で使われた、あの「誰だろう Who is it ? 一体何者だろう Who can it be ? 」の動機が 強烈な形に変貌を遂げた再現に違いありません。

 そこへ タイムリーに 二人を迎えにやってきたマイルズの呼びかける声 - 
「Hullo ! Where are you , you two ? おーい、どこにいるの、二人とも ? 」
マイルズの この “ you two ? ” (あなたがた 二人 ) という言葉が、しかし 「先生 」の耳には “ you, too ? ” (あなたも また いらっしゃるんですね )と、それは あたかも 湖に「立っている 」ミス・ジェスル に対し マイルズが 挨拶している言葉であるかのようにも 聞こえたのです (! )。

 急いで フローラを 舞台の外 - 水際から遠くの 安全な方角 - へと避難させてしまうと、独り 湖の畔に残って 「先生 」は、
「・・・ 今の幻影は 亡きミス・ジェスルに違いない ! she too, she too  彼女も また ここへ 戻ってきたんだわ ! 」
と うわごとのように呟きながら、次の瞬間 激しく絶望に暮れながら 頭を抱え込みます。
 一体なぜ そう思うのでしょう・・・ ? その理由は、彼女の台詞の中に説明されています。
ミス・ジェスルの あの姿を さっきフローラだって 見ていた筈なのに、あの子は どうして わたしに何も言わなかったんだろう ? 」
先生 」は、フローラが 自分に対して隠し事をしている、マイルズにだって 見えている、だって 現に彼は 幽霊に挨拶の言葉までかけていたじゃないか。 やっぱり 子どもたち二人は自分のことを まだ信用してくれては いない、そればかりか すでに亡くなっている筈の 前任の家庭教師の ( しかも死霊の ) ほうに 心を寄せているのではないか - などと、どんどん悪い方向へ 悪い方向へと 想像を膨らませ続け、自信を 喪失してしまうのでした。

 このシーンにおける音楽の切迫感は、尋常ないほどの切なさです。烈しく不安が煽られます。
「二人とも もう駄目かもしれない、わたしには あの子たちを助けることなどできない。思っていたよりずっと悪い状態なのだわ、あの子たちは もうすっかり駄目になっているのよ・・・ 」

 実際、この湖で フローラミス・ジェスルの死霊が見えていたのか 見えていなかったのか、ここまでの舞台進行では 判然としません。この歌劇台本においても もし ト書き指定どおりに歌手が演技するならば、少なくとも フローラミス・ジェスルの姿に相対していないので、客観的には「彼女は 死霊を見なかった 」と言えます。しかし その存在を子どもたちが 実は 「知っているか 」どうかは別です。
 この点は どうか おぼえておいてください - 歌劇における ここまでのシーンで、 亡きピーター・クイントミス・ジェスル 死霊の姿を目撃した者は、主人公である 女性家庭教師 ただ独りだけなのです。

原作にみつけた 不思議な文章
 
 ところで、ヘンリー・ジェイムズ原作から 同じシーンに相当する場面を振り返る時、湖畔にたたずむフローラの ある動作について、ひとつの不思議な文章に気づきます。 例によって、土屋政雄氏による翻訳(光文社 )から 引用(青字 )させて頂きましょう。

―  (フローラは )姿勢を変え、池に背を向けていました。彼女の手には、拾ったと思(おぼ )しき 小さくて平らな木片が二つあり、一つには小さな穴が開いていました。それを見た彼女は そこにもう一本を挿し込んでマストにし、船を作ろうと思いついたようです。わたし(家庭教師 )が見ている前で、一心不乱、二つ目の木片の穴に もうひとつをはめこんで互いに固定させようとしていました - 

 ・・・果たして この部分が、何か意味を持つ文章なのか、実は 判然としません。
 しかし 原作の この部分を繰り返し読んでいるうち、少女フローラの こんな些細な手慰みの行為を目にし、これに似た 何か別の行為を 心の中で連想したに相違ない語り手 「わたし( = 家庭教師 ) 」 は、あらやだ そんな衝動は 無意識のうちに忌避すべき事柄じゃないの などと、自身の忌まわしい欲望を 意識することなく 心の底で抑圧してしまったということではないでしょうか・・・ ?
 そもそも 彼女が ピーター・クイントを 「 」の上で、また 濡れたジェスル先生の姿を「 」で、それぞれ目撃することになる という設定も フロイト深層心理的に考えれば 偶然とは言えなくなってきます。 多少でも心理学を かじった方なら もうご推察のとおり、「 」が 棒や竿、茎、剣、杖 などと並んで 「男性器 」 を表しており、また同様に 「」も 「女性器 」の象徴だった、と 考えることは 容易です。 男女の死霊が登場した場所は、原作者ヘンリー・ジェイムズによって、実は 意図的に 選ばれた結果だったのです。

生前のピーター・クイントとミス・ジェスル(イメージ )
 それは、生前のピーター・クイントジェスル先生 との間に デキてしまった(らしい ) 恥ずべき 爛(ただ )れた関係を、( もし就職する時期が先になっていたら、前任者の境遇が そのまま 「自分自身 」 のものとなっていた可能性さえある )「わたし 」 が - 内心 若干の羨望を抑えつつ - イヤラシい想像を 頭の中で、しかし無意識に、思いめぐらせた結果だったのではないか などと、「ねじの回転 」の原作者ヘンリー・ジェイムズが 「意識の流れ Stream of consciousness 」概念で知られる プラグマティズムの心理学者 ウィリアム・ジェイムズ William James 1842-1910 の 実弟である( ! )という 情報を知ってしまった以上、これをフロイト流に解釈してみたくなってしまうのも 自然なことじゃありませんか ? - って、必死に自己弁護を試みる 私 “スケルツォ倶楽部発起人 なのでした(笑 )。
 ( この意味は、いずれ さらに詳しく述べるつもりです )。

William James
ヘンリー・ジェイムズの兄 ウィリアム William James 1842-1910

次回は・・・ 【第一幕 第8場「夜 」

にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ
にほんブログ村
blogram投票ボタン
人気ブログランキングへ
Club Scherzo, since 2010.1.30.



関連記事
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

トラックバック

トラックバック URL
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)