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アンラヴェル “ラヴェル” ラヴェルメント
Unravel RAVEL Ravelment 
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 “unravel
─  【 vt. 他動詞 】 解明する、 (もつれた糸などを ) ほどく、
    (物語の筋を )解決させる; (話し言葉 )破綻させる.
 “Ravel
─  【 n. 固有名詞 】 モーリス・ラヴェル Maurice Ravel
    (1875-1937 )フランス印象派の作曲家.
   “ravelment
─  【 n. 名詞 】  紛糾、混乱、もつれ
                        三省堂「EXCEED 英和辞典 」より


意図的な破綻か、偶発的なトンデモ演奏か、 
シェルヘンの 「ボレロ 」 (1957年 )

ヘルマン・シェルヘン(指揮 )Hermann Scherchen シェルヘン_ボレロ_Westminster MVCW-18037
ラヴェル「ボレロ 」 (14:44 )
ヘルマン・シェルヘン (指揮 )Hermann Scherchen
ウィーン国立歌劇場管弦楽団 Vienna State Opera Orchestra
併 録:スケルツォ「魔法使いの弟子 」(デュカス )、バレエ音楽「恋は魔術師 」より「恐怖の踊り 」、「火祭りの踊り 」(ファリャ )、狂詩曲「スペイン 」(シャブリエ )
録 音:1957年 3月ウィーン、
音 盤:Westminster (MVCW-18037 )


 今宵は たいへん個性的な演奏として、長く記憶に残したい「ボレロ 」のレコード。
 一般的には 「ああ、また 例によって シェルヘンがやっちまったヤツね 」、「ふふん、シェルヘンに ありがちな失敗演奏のひとつか 」などと決めつけ さっさと片づけてしまう「冷たいヒト 」派と 背水の陣の如くキレまくった凄演として高評価を与える「物好き 」派との両極端に分かれてしまうに違いない。
 「シェルヘンにありがちな 」とは、たとえば 知る人ぞ知る、いずれも 1965年に録音された、あの あり得ないテンションの高さを誇るベートーヴェンの交響曲全集(ルガーノ放送交響楽団 )とか、ズタズタに切り刻まれたシェルヘン版(! )マーラーの高速 第5交響曲(フランス国立放送管弦楽団 )など、その評価も真っ二つ。
あり得ないテンションの高さを誇るベートーヴェンの交響曲全集(ルガーノ放送交響楽団 ) マーラーの高速 第5交響曲(フランス国立放送管弦楽団 )
 
 そして シェルヘンの「ボレロ 」もまた・・・。

 重要なリズム要素を担っている小太鼓の独特な響きに、まず耳が引き寄せられる。
 標準的な小太鼓には 響振の調節をする「さわり (Snare ) 」、「スナッピー 」、「響き線 」などと呼ばれる 独特の仕掛けがついている。 「細いコイル状の金属線が底面の膜に接するように張られ、これが振動する膜に副次的な打撃を与えて独特の音響を発揮する(Wikipediaより ) 」。
 パーカッション奏者が レバーで このスネアを緩めると、小太鼓は ざらざらした明るく乾いた音色とは打って変わり、ピッチが約1オクターヴほども下がると 「とん・とこ・とん・・・ 」とでも表現するしかない タムタムに似たような湿った音色になる。
 小太鼓さわりを緩めるように指定したのは、もちろん シェルヘン自身であろう。
 終結部ffでの全合奏の部分(14分24秒目 )から、第三の小太鼓奏者が、しっかりと「さわり 」を締めた、明るい響きでリズムに参加してくることからも、これが意図的な考えあってのことは明らかだ。
 さらに、音楽評論家の草野 次郎 氏も シェルヘンが 「小太鼓の音色を 曲中で切り替えている 」ことに鋭くお気づきで、「この曲の二つの主題はそれぞれ楽器を替えながら 2回繰り返し、それを一巡として元の主題に戻ってくるが、二巡目に入った時に シェルヘンは小太鼓の音色に変化を与えている。同様に三巡目に入った時にも変化させ、曲の構造と全体を一貫して流れる打楽器の音色とを対応させている 」などと詳細に分析しておられる。

 かつて 映画「のだめカンタービレ 」における 架空のルー・マルレ・オケによって 引き起こされた 抱腹絶倒 史上最悪の「ボレロ 」演奏ほどでは もちろんないけれど、 このシェルヘン盤における ファゴットは音が引っかかりまくり、ソプラノ・サックスも 悲鳴のような不安定ピッチでソロを取るなど、管楽器奏者が 次々とコケてゆくショーケースを聴かされるのは 正直 かなりイタイ
 けれど、当のシェルヘンは そんな彼らを平気で踏んづけ、踏み越え、決して歩みを緩めない。この点だけでも シェルヘンが意図していたことが 各楽器の次々と移り変わる音色の変化によって、聴く者を楽しませること  などではなく、ただクレッシェンドに向かう以外 一切変化しない、ひたすら反復邁進する 機械のようなリズム自体に意味を持たせることにあったのではないか、と考えたくなる。

 そう こうするうち、いよいよトロンボーン・ソロの背景で、小太鼓奏者が リズムを叩き間違えてしまうという 有名な「その瞬間 」 を迎えるわけだが、そんな偶発的な出来事にさえ顔色一つ変えず そのまま淡々と録音を続けてしまう 指揮台のシェルヘンの姿勢をみると、まるで これが意図された想定内のアクシデントであったかのようにさえ思えてしまう。 なぜなら、一瞬 リズムが予期せず止まってしまった その効果(? )によって、 「そこで 」 逆に 聴衆は 機械のように輪転し続けていた ボレロのリズム の存在を、 より一層強く意識することになったからだ。

 そして第291小節目で (さわりを緩めた 同じ音色の ) 小太鼓奏者は 突然二人に増えるのだが、この二人のリズムは 何故か決して揃わない、きれいにずれている。意図的な「ずらし 」なのであろうか ? そうだとすれば、それも かなり高度な技術であろう。
 うーん、やはり 「ボレロ 」に於けるラヴェルのアイデアの奥深く 潜在的に芽吹いていた 現代のミニマル・ミュージックへと繋がる要素を、鬼才ヘルマン・シェルヘンは 鋭く強烈に 指摘・示唆していたにちがいない。 さらに 徐々に加圧が増す その小太鼓たちが叩き続ける 強烈なアクセントは 音楽のエンデイングに向かうほど 暴力性を帯びてゆく。

 ここで 私 “スケルツォ倶楽部発起人の想像力が 火を噴くように飛躍する。
 ・・・そうだ。 二人目の小太鼓奏者とは、録音風景の画像こそ残っていないものの 実は、ヘルマン・シェルヘン自身だったのだ ! 
 トロンボーンが旋律を吹き始める頃、おもむろに指揮者がタクトを指揮台に置く。 その手には 指揮棒の代わりに なんと 小太鼓のスティックが持ち替えられていた。ニヤリと 悪魔のように笑うシェルヘンの 怪しい表情を目撃してしまったパーカッション奏者は 自分の目を疑いつつ 思わず 両目をこすろうとした、その瞬間 叩き続けていたリズムを 一瞬停止させてしまう・・・。
 これこそが、 ラヴェルの「ボレロ録音史上にも有名な シェルヘン盤における「小太鼓のリズム叩き違え事件 」の真相だったのだ・・・ ! (笑 ) 
 って、このレコーディングには そんな革新性に満ちた驚きまで掘り起こしてしまうほど 聴く者の想像力を刺激するサムシングがある。

      ―  この文章は、2001年 5月28日に発起人自身が書いた ディスク・レヴュー に 手を加えたものです。

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