本記事は 4月22日「 注目記事ランキング クラシック音楽鑑賞 」で 第1位 となりました。
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▲ 「 レコード買うと 元気がでるよ。
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イースターに聴く、
ロッティ 「クルツィフィクサス(十字架につけられ ) 」
( ザ・シックスティーン The Sixteen )

アントニオ・ロッティ_クルツィフィクサス Crucifixus The Sixteen_東京エムプラス
 
 ・・・ええと、いろいろとご心配をおかけしています、“スケルツォ倶楽部”発起人です。なんとか - 生きております(作り笑い )。
 そんな 今の個人的な感情にフィットする(? )音楽と言えば やはり「受難の曲 」か などと考えているうち、思いついたのが、 ロッティ作曲の 短いモテット「クルツィフィクサス Crucifixus(十字架につけられ ) 」 。これを思い出したのは 時期的にも「春分の日の後に訪れる最初の満月の次の日曜日 」に祝われる 移動祝日として知られるキリストの復活祭 ― 実は 今年のイースターが、たまたま「昨日 」 4月20日だったからです。

サン・マルコ大聖堂と広場
▲ サン・マルコ大聖堂と広場

 アントニオ・ロッティ Antonio Lotti(1667 – 1740 )は、イタリア・バロック期に活躍したヴェネツィアの作曲家です。若い頃より聖マルコ大聖堂の聖歌隊員として楽長ジョヴァンニ・レグレンツィに師事、その後 第一オルガニストの職を務めながら 作曲家として成功を収めますが、1717年から 2年間ドレスデンの宮廷歌劇場へと出向し、そこでオペラの作曲と上演にも携わります。
 「選帝侯がヴェネツィアから招聘したイタリアの音楽家(ロッティのこと )は、当地での方法とはまったく異なる様式で教会を賛美しました。 ・・・3時間を要する荘厳ミサは、このドレスデンでは かつて誰も聞いたこともないほど素晴らしく たいへん芸術的な技法によって演奏されました 」ヘンゲルブロック )。
 一世代ほど後輩にあたる若き日のJ.S.バッハロッティの作曲した「叡智のミサ 」 の楽譜を写譜し、このミサをライプツィヒの教会で演奏した際に使用した楽譜が ベルリン国立文書館に保存されていますが、この事実は 同世代のドイツ系作曲家たち - ヘンデル、ゼレンカ、ピゼンデルテレマンなど - への影響と当時の交流を裏づけています。
 1719年にロッティは 再びヴェネツィアへと戻り、晩年の1736年から聖マルコ大聖堂の楽長へと着任、この地で その生涯を終えます。
 ミサ曲、カンタータ、マドリガル、器楽曲のほか 約30もの歌劇を作曲していますが、私 “スケルツォ倶楽部”発起人が、ロッティの残した作品の中で 唯一 親しく知る楽曲は、八声の無伴奏合唱による「クルツィフィクサス Crucifixus(十字架につけられ ) 」という 3分ほどの たいへん短いモテット。 - ああ、この曲の素晴らしさを いかに伝えるべきでしょう。

Antonio Lotti アントニオ・ロッティ_クルツィフィクサス Crucifixus ハリー・クリストファーズ_東京エムプラス
ロッティ : 「クルツィフィクサスCrucifixus 」
ザ・シックスティーン The Sixteen
ハリー・クリストファーズ(指揮 )Harry Christophers
併 録 曲:パレストリーナ「スタバート・マーテル Stabat Mater 」、「教皇マルチェリスのミサ Missa "Papae Marcelli" 」、アレグリ「ミゼレーレ Miserere mei Deus 」
録  音:1989年11月 ロンドン
音  盤:CORO(COR-16014 )


クルツィフィクサス Crucifixus
 主は 十字架刑に処せられた、われらのために
 ポンテオ・ピラトの名のもと
 苦しみを受け、そして 葬られた
   Crucifixus etiam pro nobis,
   sub Pontio Pilato;
   passus et sepultus et sepultus est.
   
                  

 ロッティの「クルツィフィクサス Crucifixus 」と言えば、その作曲された時代にしては めずらしいほどの不協和音の効果が 有名です。この曲をご存知の方は きっと頷(うなづ )かれることでしょう。しかし、なぜロッティが この曲で かくも多くの非和声音を用いたのか - 皆さんも お考えになられたことは ありませんか。

 私 “スケルツォ倶楽部”発起人は、目下 自分自身も 正常な精神状態ではないことを自覚しておりますが、その苦しみの中で考察した結果、以下のような考えに思い至りました。
 ― もしも バロックの作曲家が キリストの磔刑という極限の苦痛を表現しようと試みたとしたら、果たして いかなる手法へ行き着くだろうか。敢えて協和音に含まれない 濁った音をぶつけることによって、強い緊迫感のある響きや、苦痛を連想させる響きを 効果的に得ることができるのではないだろうか・・・。
 激しい痛み・深い苦しみを そこに表現しようと ひとかどの作曲家が追求すれば、やはり 必然的に不協和音を用いるのではないでしょうか( とは言っても、一貫して不協和音だけを 延々と続けている楽曲ではないということも 当然 書き添えておかなければなりませんが )。
 優れた作曲家は 非和声音を含めて、どんな音の組み合わせの和声であっても いかに配置すれば いかなる効果を得られるかを すでに研究・習得し尽くしており、さらにいうと 「本能的に知っている 」のです。実は 楽理上「不協和音 」とされる音が、聴者の耳に不快で不協和な音として聞こえるかどうかということとは まったく別の問題であることも 彼らは熟知しているのです。
 そう、たとえ緊張の不協和音が鳴っていたとしても、次に その和声を構成している音たちが どのような動きをして その先の和音へと繋がっていくか、それによって 弛緩する - その緊張と弛緩とが快く交互に訪れることによって得られる - 一種の刺激が、鑑賞者たる聴者の聴感覚上の「快 」に繋がっているのです。

 そのような思いに至る様々な考えをめぐらせてくれる アントニオ・ロッティ作曲の「クルツィフィクサス 」の綾なす混声合唱が 不協和な係留と安堵の解決とを重ねて繰り返す 心地よい動きに耳を傾けながら、約束されたイースターの日に キリストの受難について、静かに想いを馳(は )せることといたしましょう。

ザ・シックスティーンによる「クルツィフィクサス 」Crucifixus を、
You Tube に この曲を 楽譜で追える動画を発見 ⇒ こちら 
これ 素晴らしい ! 一度ご覧ください、動画を投稿してくださった方に感謝して お借りします。



■ キリストの 十字架磔刑の受難
 では 今宵は 最後に、キリスト・イエスの磔刑について、かつて高校生だった発起人が 最も感銘を受けた 忘れられぬ一冊「キリストが死んだ日 The Day Christ Died(ジム・ビショップ Jim Bishop 著 / 荒地出版社 ) 」から、受難のくだりを 抜粋させてください。三浦朱門による名訳(引用文章は 例によって 青字部分 ) です。

ホフマン「ゲッセマネの祈り」
ホフマン 「ゲッセマネの祈り 」
個人的な思い出・・・ ミッションスクールだった高校のチャペルに この複製画が掲げられていました。


 ・・・ 十字架を最初に発明したのはフェニキア人である。
 彼等は死刑をするのに槍で突き、油で煮、杭にさし、石で打ち殺し、首を締め、おぼれさせ、焚いたりした。しかしどのやり方も罪人が早く死に過ぎるのを知った。彼らは罪人をゆっくり残酷に罰する手段を望んだ。その結果、十字架を発明した。これは殆ど理想的であった。何故ならば、その最初の考案では死に方は、遅く苦しく(灼けつく太陽の下で二日以上の間 生き長らえることがあった ) そして同時に罪人は公衆の面前で充分、曝しものにすることが出来たからである。

San Zaccaria_Crucifixion(Venice、1622 )
▲ フランドルの画家 アンソニー・ヴァン・ダイク による磔刑図。
現在は ヴェネツィアのサン・ザッカーリア教会に所収とのこと。その経緯は不詳ですが ヴェネツィアの地に到着したのが1622年のことだそうですから、もしかしたら 時代的に ロッテイも この絵を見上げたことがあるかもしれませんね。


 ローマ人は十字架を罪の予防手段として採用した。彼らはその効きめを信じていた。やがてローマ人達は一定のルールを作って、はっきりと秩序づけた。ローマの兵士達はこの方面の訓練を充分うけた。スパルタクスの反乱が鎮圧された時、六千人の者が一日に処刑され、カプアとローマの間で 彼らは十字架にかけられた。こういう形の処刑の初期においては、罪人の両足に釘を打ち込み、両手を横木に縛りつけた。しかし、これでは罪人がなかなか弱らないので、十字架の下に番兵を何日もつけておく必要があるのを、ローマ人達は知った。後になると彼らは 釘や綱をやめて 手首と足に大釘を打ちこんだ。そうすれば罪人がよほど物凄いエネルギーの持ち主でない限り、二、三時間で死んでしまう。
(中略 )

 刑執行人はイエズスのうしろの横木を置き、腕をつかんでうしろに引き、彼をすばやく地面に押し倒した。イエズスが倒れると直ぐ横木を彼の項(うなじ )に当てがい、両側の兵士が彼の肘の内側を膝でおさえた。イエズスはさからわず何も言わなかったが、しかし倒れるとき 頭を打って茨(いばら )が傷ついた頭に刺さったとき、彼はうめき声をあげた。
 一度はじまると 事は急速に能率的に運ばれた。執行人はポケットのあるエプロンを着ていた。彼は五インチの大釘を二本 口にくわえ、手には金槌をもって右腕のそばに膝をついた。膝で肘をおさえている兵は上膊部を板に押さえつけた。右手で処刑人はイエズスの手首をさぐり、骨のない小さな部分を見つけた(釘は手のひらに打ちこまれたのではない )。それが見つかると、口にくわえていた四角い鉄釘を一本とって「そこ 」に当てがった。一般に生命線の末端はそのすぐ手前に達しているといわれている、それから彼は金槌を振り上げて 力いっぱい釘の頭を打った。

from TEVES DESIGN STUDIO _Passion-Golgotha
TEVES DESIGN STUDIO _Passion-Golgotha より

 丘の麓では 十二弟子のひとりヨハネが 師の母マリアの頭を服に抱きしめていた。彼女を慰めるためであり 且つ、見えないようにするためであった。見ていた者の中、多くの者は顔をそむけ、ある者は泣いた。大声で祈る者もあり、ゼナト門のほうへ歩み去る者もいた。
 処刑人は 飛び移るようにして 反対側の手首へ移った。
 罪人がもがいても 釘から離れて十字架の前に倒れないことを確かめると、あとは両手をさしあげた。これは横木を上げる合図であった。
 二人の兵士は 横木の両端をつかんで持ち上げた。引き上げる時に イエズスは手首のところでひきずられた。一息ごとに彼はうなっていた。兵士らが縦棒に着くと 四人がかりで横木をさし上げ、イエズスの足が地面を離れるようになった。体中は苦痛で耐えがたいほどであったに違いない。
 四人の兵は 次第に高く押し上げて 横木を組み合わせる部分が重なるまでになった(中略 )。

ルーベンス「キリスト昇架 」
▲ ルーベンスキリスト昇架
 
 横木がしっかりとつけられると、処刑人は罪人と罪の名前を書いた板を上につけた。それから彼は 十字架の前に膝まづいた。二人の兵士が手伝いに走り寄った。めいめいが片足ずつ ふくらはぎをつかんだ。足に釘を打つ場合の定まったやり方は 左足の上に右足を重ねるのであるが、この仕事が一番むずかしかった。もし足をひき下げて 十字架の下のほうで釘を打つと、罪人は必ず すぐ死んでしまう。ずっと前から ローマ人達は 十字架の上のほうに足を押し上げることを知っていた。そうすれば罪人は 足に打たれた釘に体重をかけて体を真直ぐ伸ばすことができる。

アーノンクール_J.S.バッハ マタイ受難曲 (1970年録音 )
 イエズスは ついに十字架にかけられた。彼は見納めの聖都に正対した(中略 )。

ゴーギャン「黄色いキリスト 」
ゴーギャン「黄色いキリスト 」

 彼は 時折り頸を胸につけてうなだれ、急激な苦痛の発作に襲われるたび 首を左右に振り、唇を動かしながら太陽を見上げた、体が疲れてだらりとすると体重が両手首の釘にかかり膝が前に出てくる。
 腕は今やV字型になった。そしてイエズスは耐えがたい二つのことを意識した。第一は 手首の苦痛が辛抱しきれなくなって、筋肉のけいれんが腕や肩を襲うことであった。第二は 両腕の筋肉が瞬間的に麻痺することであった。そのために 彼は我を忘れて狼狽した。吸い込んだ息を吐き出せないことに気づいたからである。
 イエズスはすぐに血の流れている足の釘に体重をかけた。彼の体重が足の甲にかかると、一本の釘が傷の上部に食い込んでくる。ゆっくり少しずつ彼は身体を持ち上げて、遂に一瞬 頭部が罪状を書いた標識を隠すまでになった。肩が手と水平になると、息はせわしく楽になった。数分間、せわしい息をするために 彼は足の苦痛と戦った。やがて足や腿をけいれんさせて、どんな強い人でも唸り声をしぼり出されるような 下半身の苦痛に耐えかねて、体は次第に低く崩れ落ち、膝はしばらくの間 前に突き出て 深い溜息とともに 彼は自分の身体が両手首だけでぶらさがっているのを感じる。そして この過程は何度も繰り返されねばならない(中略 )。

ダリ「十字架の聖ヨハネのキリスト」
ダリ「十字架の聖ヨハネのキリスト 」

 罪人の中には何度も失神する者があるらしい。しかしそれは長くは続かなかった。何故なら 意識を失っている楽な時間には 呼吸ができなかったからである。意識を失う前の見物人やエルザレムの城壁がぐるぐる廻り出して闇と耳鳴りの中に沈み込んでいく時よりも、意識を取り戻す時のほうが 遥かに苦痛であった。しかし再びさめることのない時だけは 別である(中略 )。

ダリ「キリスト磔刑図(肉体のハイパーキューブ ) 」
ダリ「キリスト磔刑図(肉体のハイパーキューブ ) 」

 人間として死にかけ、また人間の肉体的な条件に従って死にかけているメシアは、苦痛がいよいよ烈しくなるのをおぼえた。ゆっくり、しかし着実に、まるで二つの手で喉元をせめられるように息がつまりかけていた。
 出血は命にかかわるものではなかった。茨や傷口からかなりの血が流れはしたが、手首や足の動脈は傷ついていなかった。ローマの磔刑では死因は決して出血のためではなく、殆ど常に窒息死であった(中略 )。

ヴェロネーゼVeronese「磔刑Crucifixion 」1580
ヴェロネーゼ「磔刑 」

 誰にもましてイエズスは自分の死が迫っていることを知っていた。彼は自分の意志で、いつでも死ぬことが出来た。しかし彼は徹底的に苦しむことによって、自分の人類に対する愛を示したかった。そして苦難の極限には彼はまだ達していなかった。烈しく、また絶え間ない苦痛の中で死ぬまいとするには強い意志が必要であった - (以下 略 )。

以上、「キリストが死んだ日 The Day Christ Died(ジム・ビショップ Jim Bishop 著 / 三浦朱門 訳 / 荒地出版社 ) 」より


ベラスケス 「十字架上のキリスト」プラド美術館
ベラスケス 「十字架上のキリスト 」プラド美術館蔵
 たった独り 深い漆黒の闇に沈むキリストの姿は 全世界に見捨てられたような寂寥感さえ感じさせる ベラスケスによる名画ですが、その十字架上のイエスの両足の描写には ちょっと首をかしげました。キリストは、ステップ台のような場所に その両足を乗せることが許されており、しかも五寸釘まで左右別々に打たれているように見えます。調べてみますと、ギリシャ正教や東方正教会とも呼ばれるキリスト教の教派の聖伝においては 十字架にこのような「足台 」が設けられていたとされる伝承がたしかにあり、おそらくベラスケスの描写も この教派の多くのイコンに共通して描かれていたものの反映なのでしょう。
 しかし これでは J.ビショップの理にかないません、つまり受刑者は 自分自身の身体を持ち上げて呼吸を楽にすることさえ この姿勢では できないはずで、短時間ですぐ死に至ってしまうのではないか (それが 受刑者にとって 幸か不幸かは 別のはなしですが ) -  などと、“スケルツォ倶楽部発起人、勝手に懸念するものです。


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