スケルツォ倶楽部
名優ゲアハルト・シュトルツェの演技を聴く
オルフ「オイディプス王」(クーベリック)D.G.ゲルハルト・シュトルツェ(最小サイズの肖像写真)  目次は こちら

(6)シュトルツェ、「オテロ 」を演じる(?)

 1954年「オテロ 」 ・・・ んな わけなく 「カッシオ」
~ ヴェルディ:歌劇「オテロ」

 オテロ1954(ケーゲル)WALHALL(WLCD0091-2CD)

ヴェルディ:歌劇「オテロ(ドイツ語版)」
ヘルベルト・ケーゲル 指揮/ライプツィヒ放送交響楽団&合唱団
 アレクサンダー・ミルチノフ(オテロ )、
 ブリュンヒルト・フリートラント(デスデモーナ )、
 ハンス・レーベル(イヤーゴ )、
 ゲアハルト・シュトルツェ(カッシオ )他
録音:1954年 ライプツィッヒ 放送用スタジオ録音
WALHALL(輸入盤WLCD0091-2CD)

 
 数年前、渋谷のタワー・レコード店頭で 初めてこのディスクに出会った時、そのCDジャケット ‐ 若き日のシュトルツェの顔写真の脇に“ OTELLO ” “ FIRST RELEASE ”という文字 ‐ が目に入った瞬間、“ シュトルツェ、オテロを歌う! ”という 決してあり得ぬ妄想が シュトルツェ・フリークである 私の小さな脳内で 大暴走 を始めました。
 これは「疑心暗鬼の嫉妬に狂い、徐々に人格が壊れてゆくオテロ将軍を、矮小・卑小化させる効果を狙った 怪人ケーゲルによる意図的なキャスティングに違いない!」と 勝手に納得、第3幕でデスデモーナを「あの声で」怒鳴りつけ、当惑するキプロス島の貴族や要人たちを大広間から追い出す「顔面黒塗りの」シュトルツェが、やがて痙攣しながら 床に倒れて悶絶する姿を、その時 私は明瞭に脳内にイメージしながら、興奮する手でCDを裏返し、タイトルロールを演じているのがシュトルツェ・・・ではなかったことを 確認するまでの一瞬の間、全身が幸福感に満ち溢れてしまったことを 告白します。
 もとい。それにしても このジャケット写真は、謎 です。シュトルツェは 出番も僅かなカッシオ役 を演じているに過ぎません。脇役の肖像写真を製品の顔としてジャケットに据えるマイナー盤製作者の感性を疑います。WALHALLは老舗レーベルですから、主に流通しているドイツ国内の地域市場では 今も評価の高いシュトルツェの未発表録音に稀少価値がある(本当?)、という商業的な判断だったのでしょうか。 
 ここでオテロを演じているアレクサンダー・ミルチノフという人は、私が知らないだけで、声質・声量ともに充分 この悲劇の将軍オテロに相応しい立派な声を持った「ヘルデン・テノール」と思います。デスデモーナを歌うブリュンヒルト・フリートラントというソプラノ歌手もたいへん魅力的な温かい声質を持っており、イヤーゴ役のハンス・レーベルも 意外に美しい高音域から陰険な低音域までを豊かに操る表現力です。この人の声で、是非一度 ハーゲン( 「神々の黄昏」 )など聴かせて頂きたいものです。これら主役の歌手たちは、現在では必ずしも有名なオペラ歌手であるとは言えませんが、当時の地方歌劇場の人材の厚さが察せられる内容だと思います。
 そして、ここで聴けるシュトルツェの貴重な「カッシオ」は、武人らしく居丈高な鷹揚さを示そうとすればするほど 線の細い頼りなさが透けて見えてしまう、屈折した姿を 絶妙の歌唱で表現しています。
 第1幕 乾杯の場、「ドイツ語のヴェルディ」という 絢爛豪華にして「奇妙なる響き」を持つ合唱の中から、杯を交わすシュトルツェの声が朗々と鳴り渡るという、そんな居心地の悪さの中にさえ 新鮮な喜びを感じるようになってしまった私の耳は、もはや末期症状か、やはり。
 シュトルツェの演じているカッシオという役は、やがて泥酔し 千鳥足になったところをイヤーゴの奸計に見事ハメられ、喧嘩騒ぎまで起こすことになる軽率さと、さらに第3幕では上官オテロが身を隠していることにも イヤーゴに利用されていることにも 一切気づくことなく、情婦やハンカチの話題などに機嫌よく応じてしまう甘さや脆(もろ)さを持つ性格とを、観客にも伝わるように演じなければなりません。しかも、たとえイヤーゴの計略によってであったとしても、オテロが ありもしないデスデモーナとの不倫を信じ込んでしまうほどの相手ですから、カッシオを演じるキャラクターにもそれなりの魅力がなければ、舞台上では説得力を持ち得ないでしょう。これを相応(ふさわ)しく演じようとすれば、オペラの中でも 意外に難しい役なのではないでしょうか。

William Shakespeare(Wikipedia)
オテロ」の原作者、文豪ウィリアム・シェイクスピア

 シェイクスピアを読み直してみると、オセローの副官キャシオーは 原作ではもっと剛毅な性格ですが、ボーイトヴェルディが「オセロー」をオペラ台本「オテロ」として都合よく切り詰めた結果(オペラの中での)カッシオは 今ひとつ中途半端な性格に なってしまった、と私には思われてなりません。
 これに、若きシュトルツェは「若い優(やさ)男が、身分不相応な軍副官という重職を、精一杯気負って務めている」という性格づくりを試みているように思われ、それで矛盾の無い存在としてオテロの副官を立派に演じています。キャラクターとして首尾一貫しており、十分 立っていると思います。 
 このように 端役 であっても、自身が演じる役柄の人格や存在する意味を明確に深めてから そのキャラクターづくりに取り組むという 当然にして慎重なる姿勢、これもまた天性の「演技力の引き出し」にしまってある ゲアハルト・シュトルツェの能力のひとつなのです。ここに、私は 彼のプロ意識の高さ を感じます。

  シュトルツェの地方歌劇場への出演状況
ヘルベルト・ケーゲル(1954年)
1950年代当時のケーゲル
 
 なお、同じくヘルベルト・ケーゲルの指揮により、シュトルツェヴェルディの歌劇「ルイーザ・ミラー(多分これも独語)」の ロドルフォ役を演じている録音(1956年頃)もあるそうです(!)。現時点で未入手ゆえ、筆者も聴いたことがなく 詳しくわかりませんが、果たしてシュトルツェが あの直情径行な性格の ロドルフォ を いかに演じていたか、たいへん興味深いところです。もし音源を入手できたら、これについても 感想を書きたいと思っています。

次回 (7)カール・オルフと出会う に続く・・・
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