本記事は11月 6日「 注目記事ランキング クラシック音楽鑑賞 」で 第1位 となりました。
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スケルツォ倶楽部 Club Scherzo

大作曲家のインスピレーション (霊感、天啓 )
インスピレーション_0006 手塚治虫_ルードヴィヒ・B_スケルツォ倶楽部06
 こんばんは。
 私 “スケルツォ倶楽部”発起人(夫のほう )、クラシック音楽の大作曲家 音楽を創造するに際して得る 天啓 = インスピレーション(霊感 )について、それは 子どもの頃からの関心事のひとつでした。今回の話題は それです。

 さて、未来人である私たちの目から眺めれば、今日 その作曲スタイルが(類型的なイメージも含めて )対照的な典型であるところの 二人の音楽家こそ モーツァルトベートーヴェン である - と断言して 一般的には 差し支えないでしょう。
モーツァルト 最期の年 Beethoven_1801_By Carl Traugott Riedel
 音楽史的な位置づけは言うまでもなく、いわく 前者が天才型なら 後者は努力型とか、ひらめき型と熟考型とか、サクサク型とコツコツ型、長嶋茂雄型と王貞治型、さらに 誰が名付けたか 川下り型と山登り型( 笑 )とか。
 その二人の楽聖の才能の違いを 視覚的にも たいへん判りやすく 見事に表現されたのが 不世出の巨人 手塚治虫先生、その絶筆となった 未完の傑作「ルードヴィヒ・B 」において・・・です。
 ここに敬意をもって その画の一部(潮出版社 )を ご紹介させてください。

手塚治虫_ルードヴィヒ・B_スケルツォ倶楽部01

手塚治虫_ルードヴィヒ・B_スケルツォ倶楽部02

1787年 4月、ウィーンに出てきた若きベートーヴェンは 憧れのモーツァルトと出会います。
手塚治虫_ルードヴィヒ・B_スケルツォ倶楽部03 手塚治虫_ルードヴィヒ・B_スケルツォ倶楽部04
 
さらに 石井宏氏による 楽しくも興味深い著作「クラシック音楽 意外史(東京書籍 ) 」からも 以下 引用(以下、青字部分 )をお許しください、これに拠れば - 
「 彼(モーツァルト )のやり方はベートーヴェン式の『書いては消し、消しては書き 』の積み上げ作曲法ではなく、小林秀雄のいうように、頭の中に聞こえる音楽を書き留める方式であったので、どんな音楽も決まって彼は冒頭から書いている。それは、音楽というものが時間に乗って前から後へ流れていくものである以上、当りまえのように見えるが、作曲家によってはそうでないのもいて、ベートーヴェンのように、最初からクライマックスやフィナーレを設定しておいて書いているような例もある。
「しかしモーツァルトの譜は 殆ど例外なく前から書き始められており、主要なメロディがまず書かれる。多声部の曲では それにバスの流れが書き留められる。そうやってある小節まで進んだとき、気に入らないとモーツァルトはそこでやめてしまう。中止された譜面はそのままおクラ入りになってしまい、ほとんどが忘れられ、捨てられてしまう ―

手塚治虫_ルードヴィヒ・B_スケルツォ倶楽部05-3

モーツァルトの作曲について、石井宏氏による「クラシック音楽 意外史 」からの引用を 続けさせてください(青字 )。
「モーツァルトは早見えで、そのまま書き続けても大した作品にならないと思うと、途中で放り出してしまうわけである。彼が途中で修正したりすることはごくまれで、現在に残る未完の断片は、そうやって無修正で放り出されたままである。つまりモーツァルトの場合、完成された曲の譜面にもほとんど修正というのがないのだが、中止された曲にも修正というものがないのである。修正するくらいなら、別の曲を作ったほうがいいと思うのであろう ―

手塚治虫_ルードヴィヒ・B_スケルツォ倶楽部06 手塚治虫_ルードヴィヒ・B_スケルツォ倶楽部07
「有名な伝説によると、彼(モーツァルト )は ポンチを飲みながら妻にアラジンのランプの話などをさせては 笑いながら、一夜のうちに『ドン・ジョヴァンニ 』序曲を書いてしまったとのことであるが、これはどうも眉唾であろう。あの序曲の中にある音符の数からすると、いくらモーツァルトが速筆でも 一晩で書くのは物理的に不可能である。
「これと並んで引き合いに出されるのは 交響曲『リンツ 』で、モーツァルトは10月30日から11月 4日までいわゆる中四日(なかよっか )という短期間でこの曲を書いている。とても常人にできる業ではない。才能のタイプが違うとはいえ ベートーヴェンなどは1年か2年もかけて一つの曲を仕上げるのである 」


手塚治虫_ルードヴィヒ・B_スケルツォ倶楽部08

手塚治虫_ルードヴィヒ・B_スケルツォ倶楽部9

手塚治虫_ルードヴィヒ・B_スケルツォ倶楽部10

・・・はい。 
では 上記の モーツァルト に対し、次は いよいよ ベートーヴェン の場合です。
手塚治虫_ルードヴィヒ・B_スケルツォ倶楽部11

グスタフ・ノッテボーム Gustav Nottebohm(1817-1882 )が 著書「ベートーヴェニアーナ 」の中で ベートーヴェンの作曲方法について研究した文章を、武川寛海氏が自著「ベートーヴェンの虚像をはぐ(音楽之友社 ) 」で ご紹介されてますが、これも 併せて引用(以下、青字部分 )させて頂きます。

「ベートーヴェンがスケッチ帳を使ったことは、彼の作曲の仕方と関係がある。彼はゆっくりと、しかも苦労をして仕事をした。楽想はそれこそ噴出するように浮かぶのであるが、これらが最終的な形式に落ち着くまでには、いろいろに変えられなければならなかった(中略 )
「ベートーヴェンは、常にあるいは殆どいつも、複数の作品を同時に着手しており、そのため内部で不断に営まれてゆく形成の過程、および変形の過程に、記憶が常に従っていけるとは限らないということ、それから見つけたものは書きつけて確保しておく必要があったのだ、ということは容易に理解されるのである。スケッチをすることと、スケッチ帳を携帯して歩くことは習慣となり、必要となり、どんな小さな作品でも 清書をする前には必ず原稿が書かれなければならなかったのである。ベートーヴェンは自分のスケッチ帳を監視していた。すなわち、以前に書いたものは あとになっても眼を通したのである。彼の興味をそそった個所はもう一度書き直され、以前に捨てておかれた楽想は再び取り上げられ、部分的には仕上げられた(中略 )
「ベートーヴェンのスケッチは、彼の作品が断片的に発芽し、ゆっくりと成長していくのを具体的に見せてくれる 」


武川寛海氏の非凡な洞察は、ここでヒンデミットの書いた「音楽のインスピレーション 」という論文を ノッテボームの趣旨に紐づけながら 優れた考察を加えていることです。
では、引き続き 武川氏の「ベートーヴェンの虚像をはぐ 」から、そのヒンデミットの文章青字 )を引用している部分を -

「夜間、雷雨のあるとき、激しい稲妻があったときのことを思い出してみよう。おそらく一秒くらいの間であろうが、われわれは大きな景色を見ている。輪郭ばかりではない、実は 細かなところまでである。どんな部分が集まって 全体になっているかを書き出してみろ、といわれても咄嗟にはできないが、いろいろなものが沢山ある中で、われわれは それこそ小さな草の茎一本でさえ、ちゃんと見ていると感じているのである・・・(以下 略 )
by Julius Schmid_散策するベートーヴェン

・・・で、以下が これ を補足する 武川寛海氏の文章(緑色字部分 )となります。
「 - 作曲というのもこれと同じことで、作曲家は ある瞬間に、あらゆる部分が それぞれあるべき場所にそなわっているところの、完全な全体のヴィジョンを見ていなければならないのだ ―
「あとは ヴィジョンどおりに五線紙を旋律で、あるいは和音で埋めていけばよいのであって、旋律をさがしたり 和音をつなぎ合わせたりする苦労をする必要はない。ベートーヴェンが主題の材料をしつこく、ああでもないこうでもないと いじくり廻したことの本当の理由は、実はここにあったのである - 
「ベートーヴェンは、浮かび上がった動機なり主題なりを、改良したりあるいは改変したりしようとして苦労していたのではなく、実は 動機なり主題なりを、稲妻に一瞬照らされたヴィジョンの中で見たオリジナルのフォルムにぴったり合わせようとしてやっていたのだ、と(ヒンデミットは )説くのである ―
「ヒンデミット自身すぐれた作曲家であったのだから、この説はある面でベートーヴェンの作曲の神髄に触れているかも知れない 」

・・・と語る 武川寛海氏って、 ここで唐突に トリヴィア情報ですが、かつて 一世を風靡した、あの ゴダイゴのヴォーカル、タケカワユキヒデさんの お父上なんですって ! 知ってました ?  

シューベルトの肖像画 
もとい。 では 次は フランツ・シューベルトの場合。
彼の才能は モーツァルト型と同じ 天才的ひらめき型として伝えられています。
 以下は、天才作曲家が 歌曲「魔王 」着想の霊感を得たその瞬間に立ち会った、友人ヨーゼフ・フォン・シュパウンによる 有名な証言です。
「1815年12月のある午後、当時ヒンメルフォルトグルントに父親と一緒に暮らしていたシューベルトの家を訪問したが、彼はゲーテの詩『魔王 』を大声を上げて読んでいた。しばらく本を片手に何回も部屋の中を歩き回っていたが、そのうち突然デスクの椅子に腰を下ろすと 恐ろしいほどの速度で 彼はこの曲を五線紙に書き上げてしまった 」
ゲーテ「魔王 」
 その僅か31年ほどの短い生涯で 600曲もの歌曲を量産したとされる シューベルトの才能を伝える典型的な逸話です。
 彼にはこの種のエピソードが多く、他にも 友人とウィーン郊外を散歩中とある居酒屋に立ち寄った際、そこでシェイクスピア戯曲「シンベリン 」クロートンイモージェン に歌いかける朝のセレナーデ(シュレーゲル / ライルによる独訳 )の歌詞を目にしたシューベルトが、勝手に店のメニューの裏側に鉛筆で五線を引いて書きつけたのが、歌曲「きけきけ ひばり Ständchen D.889 」だったという有名な伝承もありますよね。
 霊感を受けた瞬間のシューベルトはもう最強で、一説(グローヴ )によれば「シルヴィアに 」、「アントニーとクレオパトラ 」という、いずれもシェイクスピア原詩による 2つの歌曲も ここで同時に作曲されたそうで、だとしたら店のメニューの全部がシューベルトと友人の囲む このテーブルに集められてしまったに違いないです(笑 )。

オネゲル
アルテュール・オネゲルの言葉
「きみが建てている建物( = 作曲中の音楽作品 )を想像し給え。まず大体の計画をぼんやりと感じとり、それは心の中で少しずつ、より明確になってゆくだろう・・・ 私はまず輪郭を探し求める。すなわち作品の全般的な外形だ。たとえば、とても濃い霧の中で輪郭を際立たせた宮殿の類が見えるとでも言おうか、じっと見つめていると 次第にこの霧が追い払われ、少しずつ、より鮮明に見えるようになる。時々 陽の光が差し込み、建築中である この宮殿の片翼を照らし出す - こうした断片のひとつひとつが、私の作曲の規範となるのだ 」


■ 夢は しばしば インスピレーションの源泉に
インスピレーション_0007-1 インスピレーション_0007

ワーグナー_ニーベルングの指環_ブーレーズ_バイロイト( PHILIPS ) ワーグナー
リヒャルト・ワーグナーの言葉
スペツィアのホテルで 白日夢の状態にあった作曲者が 楽劇「ラインの黄金 」前奏曲の霊感を得た瞬間を回想して )
「ごうごうと勢いよく流れる水は、まもなく私の頭の中で分散和音となって絶えず波のように押し寄せてくる変ホ長調の和音として、その音楽の形を整えた。この分散和音は、動きを増してゆく旋律的装飾であることが明らかになるのだが、変ホ長調の純粋三和音は決して変化することなく、かえって その確固たる持続によって、その時に私が沈み込んでいた水(エレメント )に 無限の意味を添えているように思われた。
「私はまるで波が勢いよく自分の頭上高く押し寄せてくるかのように感じ、仰天して その白日夢から目覚めた。それと同時に、心の中に入れたまま長いあいだ持ち歩きつつ明確な形にできずに悩んでいた『ラインの黄金 』の管弦楽による前奏曲のフォルムが、ついに私のうちに誕生したのだということを悟った
「私は自分の天性の真髄を直ちに理解した。すなわち、生命の流れは外から自分のもとにやって来るものではなくて、自分の内から湧き出てくるものだということを 」


インスピレーション_0001 Gustav Mahler
グスタフ・マーラーの言葉
「その夜 眠っている時に、私の耳は ベートーヴェンか ワーグナーの 大きな叫び声をたしかに聞いた - 『ホルンを三小節後に鳴らせ ! 』
「ああ、そうか - わが耳を疑うことはなかった。なぜなら、それこそ 作曲中で行き詰まっていた 私の第3交響曲のとある個所にとって、この上なく素晴らしくシンプルな解決方法だったからだ 」


インスピレーション_0002 Richard Strauss
リヒャルト・シュトラウスの言葉
「私自身、よく体験するのは こういうことだ - 夜中に作曲していて ある個所までくると霊感が途切れ、そこで立ち往生してしまうことがある。どんなにじっくり考えても もうそれ以上 続けるだけの有益な方法が見出せない場合には、どうするか ?  そんな時、私はピアノのふたを閉め、五線紙も閉じ、歯を磨いて寝てしまうことに決めている。翌朝 目覚めると、どうだ !  昨晩の続きから音楽をいかに続けるべきか 分かっているじゃないか。
「私は自分の想像力が 意識から独立し、夜通し働いて 音楽の霊感を熟成させるものと信じている 」


バーンスタイン 春の祭典_交響楽団(1972年 CBS )盤 Igor Stravinsky( 1882-1971)
ストラヴィンスキーの回想
( 「春の祭典 」の原型となる独創的なイメージの着想を得たのは、1910年 ペテルブルクで 彼が「火の鳥 」のエンディング部分を仕上げていた時のこと )
「・・・束の間のヴィジョンをみた、それはまったく驚くべきことで、その瞬間 私の心はこのインスピレーションに満たされてしまった。私はトランス状態で 荘重な邪教徒の祭典をみた。車座になって座った長老たちが、ひとりの乙女が死ぬまで踊り続けるのをじっと見守っている光景だった。彼らは 春の神の心を和らげるために 少女を犠牲に捧げているのだ。この幻影に深い印象を与えられ、私はただちにそれを友人のニコラス・レーリヒに話した、彼が邪教的な題材を得意とする画家だったからである。彼は熱心に私の霊感を歓迎して、この創作に私の共作者となった。次にパリで 私はそれをディアギレフに語った。彼もまたたちまちその考えに熱中した・・・ 」
ストラヴィンスキー「自伝 」より )


■ 健康のため、夜更かしせず 睡眠は しっかりとりましょう
インスピレーション_0006


クルト・ザンデルリンクのブラームス交響曲全集
ブラームスの言葉
「ベートーヴェンもそうだったように、『われわれには創造主がともにいてくださる 』と実感できることは、驚きに満ちた 畏敬の念を起こさせる体験だ(中略 )、そこには、内なる魂の力を照らし出す霊が存在し、この高尚な気分の中で、いつもなら不明瞭なものが はっきりと見える。次に私は、ベートーヴェンのように霊感を上から引き寄せられると感じる(中略 )、この身震いは、私が求めるものについて望みと意志を明白に述べた後、幾つかの鮮明な心像(イメージ )の形をとる。私が求めるのは 霊感に満たされることであり、それにより私は、人類を高め益する音楽を作曲できるのだ - 永遠の価値を持つ音楽を。
「その回答は、ただちに神から直接 私に流れ込み、明確な主題が心の目で見えるのはもちろん、適切な形式の衣をまとっている - 和声や管弦楽法という衣を。仕上がった作品は一小節ごとに この希少な霊感に満ちた気分の中で、私の前に明らかにされる。ちょうどタルティーニが 最高傑作のソナタ「悪魔のトリル 」を作曲したとき 明らかにされたように。こうした結果を得るためには、セミ・トランス状態になければならない。意識が一時停止し、潜在意識に支配された状態だ。というのは、霊感とは 全能者の一部である潜在意識の心をとおして 霊感とは湧いて来るからだ。だがこの時、意識を失わないように気をつける必要がある。さもないと着想が消え失せてしまうからだ 」

関連記事 ⇒ タルティーニ 「悪魔のトリル」物語

シェーンベルク_ Arnold Schönberg
アーノルド・シェーンベルクの言葉
「作曲家は自分自身の夢想を絶対に正しいと確信し、また自分自身のインスピレーションを信じなければならない 」

Gustav Mahler
グスタフ・マーラーの 恐るべき予見性をもった言葉
「わたしの作品は いずれも、来たるべき人生の予感である 」
関連記事 ⇒  マーラー 交響曲第10番の終楽章は、掘り起こされた「歌う骨

― 参考文献 ―
インスピレーション、音楽家の天啓 」(ジョナサン・ハーヴェイ著、吉田幸弘 / 訳 )春秋社
我、汝に為すべきことを教えん 」(アーサー・M.アーベル著、吉田幸弘 / 訳 )春秋社

「クラシック音楽 意外史 」(石井宏 / 著 )東京書籍
「ベートーヴェンの虚像をはぐ 」(武川寛海 / 著 )音楽之友社
「ルードヴィヒ・B 」 (手塚治虫 )潮出版
「最新 名曲解説全集 」 音楽之友社



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コメント

teamoon. さま

お便り ありがとうございます。
teamoon. さんは お若い頃から熱心に音楽活動をされ、一緒に音楽を手掛けたこともありましたよね。懐かしい 大事な思い出です。ご自分自身のためにも、情熱を 抱き続けられる音楽を ぜひ大切になさってくださいね。今は何も出来ませんが、心より応援しています。
・・・考えてみれば、 日常のビジネスにおいても 社内報告や プレゼンテーションなどを、どういう方法で 構成しようかなどと考え 悩んだ結果、他人(ひと )とは 異なるやり方で 相手に深い印象を与えることができる、そんな独特のアイディアが ふと思いつくことって ありますよね。
そんな「ひらめき 」を得た瞬間は、たしかに全体のヴィジョンが一瞬すべて見えている、と感じる場合もあれば、全体のごく一部 あるいは断片しか 得られないけれど そこから逆算して思考を深めてゆけば 実は 全体の構成に紐づいているといった場合もあります。
人間の思考が インスピレーションを得る場合って、必ずしも 音楽に限ったことではありませんね。

URL | “スケルツォ倶楽部”発起人 ID:-

こんばんは~(^^)

「ひらめき」は時として薬にも毒にもなる・・・・そんなふうに私は解釈してしまいます。自分は・・・・いまだに20代のころに作ったサントラ作品を越えられないでいます(^^;それは考えて作ったものではなくひらめきから書いたものだからです。それから音楽の知識を増やせば増やすほど曲が書けなくなり・・・スケルツォ倶楽部”発起人(夫のほう )様に色々とお世話になりました。絵画にしろ音楽にしろ降りてくるものを形にするのは難しい。しかしながら人生の中における解決すべきテーマの1つととれば気楽に付き合っていける芸術でもありますね♪また音楽を作ろうと思ってますよ(^^)

URL | teamoon. ID:-

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