本記事は10月20日「 注目記事ランキング クラシック音楽鑑賞 」で 第1位 となりました。
パトリス・シェローさんの ご冥福を 心よりお祈り申し上げます。


訃報・追悼
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パトリス・シェロー逝く - 
1976年 バイロイト「指環 」にみる
オペラ「読み替え 」演出の 功罪

Patrice Chereau_1983 パトリス・シェロー Patrice Chéreau

パトリス・シェローさん死去 仏の演出家・映画監督 」
 AFP通信によると、パトリス・シェローさん (フランスの演出家、映画監督 )が10月7日、死去、68歳。
 1976年 ドイツ、バイロイト音楽祭で ワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環 」を演出。大胆に背景を読み替えた 現代的な演出を提示し、その後のオペラ演出のあり方に大きな影響を与えた。
映画監督としても、2000年の映画「インティマシー / 親密 」で ベルリン国際映画祭金熊賞を受けた。ほかに映画「王妃マルゴ 」(1994年 )、「ソン・フレール ― 兄との約束 ― 」(2003年 )などがある。俳優としても活動した。  
 記事の出典は ⇒ こちら
  朝日新聞 デジタルより

 ・・・ パトリス・シェロー、2週間近くも前に 亡くなっていたそうです。
 シェローは 俳優としても 優れた素質を持っていました。
 若き “スケルツォ倶楽部”発起人 が まだ都内の大学に通っていた頃、当時のクラスメートだった“ジョージ・リカスン”さん と一緒に シアターで観た シェローの映画出演作は、アンジェイ・ワイダ監督の「ダントン 」 (1983年 ) - フランス革命を扱った スタニスワヴァ・プシビシェフスカ原作の歴史劇で、そこで当時38歳だったシェローは、バスティーユ襲撃に先立つパレ・ロワイヤルの演説で有名な カミーユ・デムーラン - 反対勢力のロベスピエールによって粛清され ダントンと共に 断頭台の露と消える ことになる悲劇の青年政治家 - の役を演じ、その繊細なキャラクターが 好印象でした。

Patrice Chereau as Camille Desmoulins(right ) (2) Patrice Chereau as Camille Desmoulins(right ) (1)
▲ (右 )同志ダントンを裏切ってしまえと囁くロベスピエールを 毅然とはねつけるデムーランパトリス・シェロー 
 そこでの清々しく若々しいイメージが 自分の脳裏にずっと残っていたためか、晩年の写真とともに68歳だったという情報を聞いたら、えー、意外に高齢だったんだなー というのが、訃報に接し 最初の感想でした。

 それでも 私にとって パトリス・シェローと言えば、やはり1976年の (それは バイロイト音楽祭創立100周年の記念年 ! ) 革新的な「読み替え 」による 楽劇 「ニーベルングの指環 」の上演史に残る 新演出を手掛けた、偉大な功績に尽きます。
 それは、32歳という若さのシェローに演出を、そして 当時は指揮者というよりも まだ どちらかといえば作曲家としての知名度のほうが高かった 鬼才ピエール・ブーレーズに指揮を - という 若手の 「フランス人 」コンビを 大抜擢して 全権を委ねたヴォルフガング・ワーグナーの慧眼でした。

(左)シェローとブーレーズ
シェロー(左 )と ブーレーズ
 シェローは、「気心知れた舞台担当や衣装担当を引き連れ、“ワーグナー上演の新しい一里塚”を打ち建てる (Wikipedia ) 」意気込みで 臨んだものでしたが、その斬新な いわゆる「読み替え演出 」は 大きな物議を醸すことになりました。

“スケルツォ倶楽部”発起人「読み替え 」演出を 拙く解説する
シュローダーとルーシー (1)
   「 ねえねえ “読み替え演出って どういう意味なの ? 」
   「うーん、そこからか。 本来 古典オペラは、音楽が中心の舞台芸術だけど、作曲家が楽譜に書き残した音楽オリジナル台本の歌詞とを 基本的に尊重・遵守しながら、舞台上の演出だけ 演出家が自由に改変する試みのこと - とでもいうかな。 ト書き時代場所なんかも 軽視されることが多い んだ 」
   「ちょっと わたし ピンとこないなー 」
   「しようがないヤツだ。 じゃ、わかりやすい具体例を ひとつ考えてやるか。 そうだな - たとえば、ロッシーニの有名な 歌劇『セヴィリアの理髪師 』第1幕の冒頭を思い出してみろ、アルマヴィーヴァ伯爵が 恋するロジーナの寝室のバルコニー下に立って、屋敷の中にいる彼女に向け、愛のセレナーデを歌うシーン 」
   「カラオケのない時代、伯爵は 歌の伴奏をさせるために 数名の楽師たちを従えてくるのよね 」
   「そうそう、でも ロジーナの部屋の窓は開かない。人目をしのぶ恋路に 長居は無用と、そこで伯爵 楽師たちに演奏を止めさせ 手間賃として報酬を渡すんだけど、相場以上の気前の良い支払い額を手にして 歓声をあげる楽師たち伯爵に感謝の気持ちを表そうと その場で歌いだしてしまう場面 - 」
   「ユーモラスなシーンよね 」
   「台本どおりにやれば そのままでも十分 面白いんだけど、この同じ場面を、アルマヴィーヴァ伯爵が 実はケチな貴族だったら - という“読み替え”演出を施したとすると -  」
   「ふんふん、どうなるのかしら 」
   「楽師たち は 期待していた金額よりも 全然少ない手当に憤慨し、これはないんじゃねえのと 精一杯の皮肉を込めながら 『ありがとうございます、こんなに たくさん 』、『これほどの金額は 手にしたこともありませんぜ 』などと、その場で騒ぎ出してしまうとかね 」
   「ははーん、台本と音楽は オリジナルのまま であっても 演出家の自由な発想で、異なるメッセージを 聴衆に伝えることができるわけね 」
   「そう言えば、オペラではないけど、かつてシェイクスピアの名作『マクベス 』の舞台を 蜷川幸雄が 我が国の戦国時代に物語を置き換えた、有名な演出があっただろ 」
   「桜吹雪が舞う バーナムの森ね ! 」
   「 あの いわゆる 『ニナガワ・マクベス 』だって かなり早い時期の わが国が世界に誇れる『読み替え 』演出と言えるんじゃないか 」
   「 でも アナタ、『マクベス 』の 読み替え なら もっと昔、黒沢明監督の映画『蜘蛛巣城 』(1967年 )のほうが先だったんじゃないかしら、わたし 生まれてませんけど 」
   「え ? 」
   「しかも 日本の演出家によるオペラの独創的な 『読み替え 』 なら、他に こういうのもあったなーって 今 わたし思い出しちゃった、ブロンテの『嵐が丘 』を 鎌倉時代に置き換えた映像作品で有名な、吉田喜重監督の演出した プッチーニ 『蝶々夫人 』
   「 ムムッ・・・ 」

Giacomo Puccini 吉田喜重監督
▲ (左 )プッチーニ、(右 )演出家 吉田喜重監督
   「1990年、リヨン歌劇場の委嘱を受け、ケント・ナガノが指揮する『マダム・バタフライ 』の舞台演出をすることになった吉田喜重は、オペラの舞台が 長崎 であることを 逆手にとって、オリジナルな時代設定の時間軸を大胆にずらし、蝶々さんの『 』たる ピンカートンの祖国 アメリカによって投下された 原子爆弾のイメージを ドラマに加えるという、革新的な 『読み直 』 しを 決行したのよね。 第1幕は 戦前の平和だったベルエポック時代の長崎、でも 続く第2幕の冒頭には 空襲を思わせる爆撃音のようなS.E.を加え、そこで平和な舞台装置を 敢えて解体させたわけ。 で、幕が上がると 舞台は一転して そこは 原爆投下後の廃墟と化した長崎の丘で、ピンカートンとの間に 授かった子どもを 原爆で亡くしてしまった蝶々さんは 狂気に陥り、動かない人形を抱きながら、それが 生きているわが子であると信じて語りかけ、アリア 『ある晴れた日に 』 を歌うという - 」
   「 って、オマエ、やたら詳しいんじゃねえか(怒 )。やめろよ、また そんな知らない振りをして いつもオレに 下手な解説をさせるのは (涙目 ) 」
   「 (嘲笑 ) 」

■ 1976年 シェロー 「リング 」初めて聴いた 思い出
 ・・・もとい。
 1976年当時、バイロイトの貴重なライヴ録音は、夏の音楽祭上演から 半年近くも( ! )待たされた挙句、やっと 「冬休みに 」なってから NHK-FM 放送 で聴けるという習慣でした。
 その年、話題の シェロー=ブーレーズ「リング 」公演の様子を ようやく実況録音で聴いたのは、私 “スケルツォ倶楽部”発起人 が まだ白面の(笑 )中学生時代だったわけですが、そんな私を 心底驚かせたものは、音楽ではありませんでした。楽劇の幕が降りる度に 耳を疑うほどの大ブーイングの声が 一般の拍手の音より 遥かに大きく沸き起こり、(昨年までの放送では そんなことは決してありませんでした ! )意味不明な罵声、批判的な嬌声や野次が飛び交い、鋭い口笛の音、そして何より 祝祭劇場の 木造の床を踏み鳴らす - それこそ ドンナーの雷鳴さえ敵わぬほど(笑 ) - 物凄い 地鳴りのような足音でした。このままでは リヒャルト・ワーグナー自身が設計させた 由緒あるバイロイト祝祭大劇場の床は抜け落ち、建物も倒壊してしまうのではないか - などと、ホント 誇張なしで 真剣に危惧したものでした。実際、警備強化の必要を感じた歌劇場側の要請で、警察が歌劇場周囲に出動するという事態に至ったそうです。
 そんな 幕間と終演後の騒音まで 当時は 延々とFMステレオで、放送されていたのです。 ・・・本当に、凄かったです。

 当時は 視覚情報が乏しかったため、シェローの描いた舞台装置が 一体どんなものなのか 想像することさえできませんでしたが、これが放送される半年前、現地バイロイト祝祭劇場で 生の舞台を観てきたという幸運な解説者( たしか作曲家の柴田南雄氏だったか ? )が 聞き手を務める 音楽評論家との対話形式で説明されるところを聞けば、なぜ それほどまで シェロー演出が 当時の保守的なワグネリアンの反感を買ってしまったのか、その理由もうなづけるほど、全く新しい発想の革新的「読み替え 」演出だったわけです。

pierre boulez wagner - wagner das rheingold bayreuther festspiele
▲ 初っ端(しょっぱな )の 楽劇 「ラインの黄金 」から 時代考証を無視しまくって、神話時代古代ライン川にあるまじき人工建造の巨大なダム、そこに棲むラインの乙女たちの仕草は まるで客をひく娼婦のような痛ましさ、片や ヴォータン天上の神々は 18世紀のヨーロッパ王侯貴族が羽織る豪奢な衣装で、そんな神々に背を向けて 彼らを 嘲笑しながら前夜祭幕引きをする - って、文字どおり 貴族社会を葬るギロチンの紐を引くような - 火の半神ローゲだけは 19世紀初頭のフランス革命家ロベスピエールのような市民スタイル、 これらは もうすでに いろいろな人によって分析され 語り尽くされていますし、シェロー自身も 自分の演出意図について説明していたとおり、 その目的とするところは 「産業革命後の政治権力と近代国家との関係を見通したワーグナーの炯眼を掘り起こすことにあった 」のです。そのため 時代背景も 「18世紀末から19世紀にかけての激動の時期に移し、その時代の寓話として 読み替えた 」結果だったわけです。
 今さら 私 発起人が さらに余計な説明を重ねるまでもありませんが、ニーベルング族が 搾取される小作(奴隷 )社会の階層を表わしており、さらに 彼らを支配する専制君主的なアルベリヒという存在が 悪辣な地主(帝国主義的な資本家 )層を象徴、特に 巨大な溶鉱炉ノートゥングを鍛えなおす 英雄ジークフリートが、近代の労働者階級の代表 であって、同時に「神々の黄昏 」に登場するグンターハーゲンなど ギービヒ家19世紀の新興市民層の象徴でもあるという、階級闘争的なドラマ解釈なども、すでによく知られているところですよね。

 でも 当時は それほどまでに衝撃的だったのですよ、だって ワーグナー聖地バイロイトで でしたからね、総本山ですよ。それまでは そんな方法があるということさえ知らなかった、決して許されなかった、シェローのような「読み替え 」演出が、まるで 禁断のパンドラの箱を開けてしまったかのように、その後のあらゆるオペラ演出(ゲッツ・フリードリヒ、ハリー・クプファー、ピーター・セラーズ など )に与えた 影響といったら、良しにつけ 悪しきにつけ、たいへん大きかったはずです 。

pierre boulez wagner - wagner das rheingold bayreuther festspiele (2)
 実際、シェロー=ブーレーズ・プロダクションによる 歴史的「リング 」公演が 毎年繰り返されるたび 徐々に世界規模の聴衆に 演出が意図する理念や方法が 容認・理解されるようになり、結局 それから5年間、毎シーズン バイロイトで上演されるワーグナーの演目の中でも 彼らの「ニーベルングの指環 」が 最も人気の高い演目となってゆきました。そして とうとう最終(1980年 )上演の年には、初年度の酷い悪評からは想像もできない、100回を超えるカーテンコールの大喝采を 演出家と指揮者は 1時間以上にも渡って 浴びたのでした。

シェロージークフリートルネ・コロ影武者 ( ? )を演じる
 そんなシェロー = ブーレーズによる「リング 」も初年度には 舞台裏で 大小いろいろな事故や不手際があり、まだ慣れない「裏方さん 」の筆頭だったシェローは、さぞや大変だったろうなーと想像します。
 たとえば 「ジークフリート 」第2幕で 機械仕掛けの荷車のような大蛇ファーフナーが 動かなくなり 本番で立往生してしまったという話、同じく第2幕のエンディングで ジークフリートは 本物の小鳥を籠から実際に放し、その飛び立つ姿を追うようにステージから走り去って幕 という演出だったそうなのですが、その直後にオーケストラの最後の一音が「ジャン ! 」と鳴り、これと同時に 一瞬で カーテンが下りる - いわゆる「落とし幕 」の - 仕掛けを用意しておいたにもかかわらず、途中でカーテンが引っかかって、せっかくの効果が台無しになった残念な話 など・・・。
 しかし 何と言っても 残念話の極め付けは、初年度の「ジークフリート 」で タイトルロールを演じていたルネ・コロ脚を骨折してしまい、舞台上で演技することができなくなってしまったという事件でしょう。 
 この時、前代未聞のことですが、なんと演出家パトリス・シェロー自身が 怪我したコロ代わりに わざわざ金髪のかつらまで(笑 )つけ、「ジークフリート 」の扮装をした上で舞台に立ち(歌以外はすべて )演技をしてのけた - という、ウソのような本当の話
René Kollo, Gwyneth Jones als Brünnhilde und Regisseur Patrice Chéreau als Siegfried. Siegfried 1976
▲ (左から )杖をつくコロブリュンヒルデG.ジョーンズジークフリートの扮装、影武者P.シェロー

 コロは ステージ袖に隠れ、スツールに軽く腰掛けると、時々 喉を潤すために用意したキャンディやコーラを 余裕で口に含んだりして、しっかりと楽譜を読みながら 客席から見られない安全な位置で、無事 全曲を 歌い果(おお )せたそうです。
 逆に、舞台上で 必死に コロの歌唱に合わせつつ 大きな身振り手振りで 感情豊かにジークフリートの演技をしながら 口パクで 「歌った 」のが、シェローでした。
 5時間近い楽劇の主人公として 出ずっぱりの終演後、くたくたに疲労困憊して床に倒れこんだ 汗だくのシェローを 見下ろして、コロは 笑いを抑えながら 「パトリス君よ、君の演出どおりに 歌手が動くことが どれほど大変な重労働だか、これで判っただろう ? 」 と、皮肉にも言い放ったとか・・・。 仲がワルかったんでしょうか、この二人?


■ リング四部作 1976年度の全キャスト 
ラインの黄金 Das Rheingold
Das Rheingold 1976
( 7/24、8/4、8/12、8/21 )
ヴォータン:ドナルド・マッキンタイヤ
        ハンス・ゾーティン( 8/4 )
ドンナー:イェルカー・アーヴィッドソン
フロー:ヘリベルト・シュタインバッハ
ローゲ:ハインツ・ツェドニク
フリッカ:エヴァ・ランドーヴァ
      イヴォンヌ・ミントン( 8/4、8/21 )
フライア:ラシェル・イェーカー
エルダ:オルトルン・ヴェンケル
     ハンナ・シュヴァルツ(8/4、8/12 )
アルベリヒ:ゾルタン・ケレメン
ミーメ:ヴォルフ・アッペル
ファーゾルト:マッティ・ザルミネン
ファーフナー:ベンクト・ラングレン
ヴォークリンデ:河原洋子
ヴェルグンデ:イルゼ・グラマツキ
フロースヒルデ:アデルハイド・クラウス


ヴァルキューレ Die Walküre
Die Walküre 1976
(7/25、8/5、8/13、8/22 )
ジークムント:ペーター・ホフマン
フンディンク:マッティ・ザルミネン
        カール・リーダーブッシュ(8/5、8/13、8/22 )
ヴォータン:ドナルド・マッキンタイヤ
        ハンス・ゾーティン(8/5 )
ジークリンデ:ハンネローレ・ボーデ
ブリュンヒルデ:ギネス・ジョーンズ
フリッカ:イヴォンヌ・ミントン
ゲルヒルデ:ラシェル・イェーカー
オルトリンデ:イーリャ・アウローラ
ヴァルトラウテ:ドリス・ゾッフェル
シュヴェルトライテ:アデルハイド・クラウス
ヘルムヴィーゲ:ケイティ・クラーク
ジークルーネ:アリシア・ネーフェ
グリムゲルデ:イルゼ・グラマツキ
ロスヴァイゼ:エリザベート・グラウザー


ジークフリート Siegfried
Siegfried 1976
(7/27、8/1、8/7、8/24 )
ジークフリート:ルネ・コロ
ミーメ:ハインツ・ツェドニク
さすらい人:ドナルド・マッキンタイヤ
        ハンス・ゾーティン(8/7 )
アルベリヒ:ゾルタン・ケレメン
ファーフナー:ベンクト・ラングレン
エルダ:ハンナ・シュヴァルツ
     オルトルン・ヴェンケル (8/1、8/7、8/24 )
ブリュンヒルデ:ギネス・ジョーンズ
          ロバータ・ニー Roberta Knie (8/1、8/7 )
森の小鳥:河原洋子


神々の黄昏 Götterdämmerung
Götterdämmerung 1976
(7/29、8/9、8/17、8/26 )
ジークフリート:ジェス・トーマス
グンター:イェルカー・アーヴィッドソン
アルベリヒ:ゾルタン・ケレメン
ハーゲン:カール・リーダーブッシュ
       ベンクト・ラングレン(8/9 )
ブリュンヒルデ:ギネス・ジョーンズ
          ロバータ・ニー(8/9 )
グートルーネ:イーリャ・アウローラ
ヴァルトラウテ:イヴォンヌ・ミントン
第一のノルン:オルトルン・ヴェンケル
第二のノルン:ダクマー・トラベルト
第三のノルン:ハンネローレ・ボーデ
ヴォークリンデ:河原洋子
ヴェルグンデ:イルゼ・グラマツキ
フロースヒルデ:アデルハイド・クラウス

出典:公式HPバイロイト音楽祭 (1976年 ) より


■ 「読み替え演出 」のパイオニア、パトリス・シェローの 功「
Patrice Chereau_1989 ワーグナー
▲ 「ワーグナー先生、ボクの演出 ダメだったんでしょうか 」 「 それは 禁問じゃ !  」

 ・・・さて、今や 猫も杓子も 現代のオペラ演出家は 突飛で奇抜な「読み替え 」演出 をするのが もはや「当たり前 」になってしまっているほどです、が これは ちょっと 文化の 異常事態ではないでしょうか。
 オペラ音楽主導の舞台芸術であるにもかかわらず、 「読み替え 」演出は 「演出家自身の存在を目立たせることだけが目的なのではないか 」などという 批判的な意見もあるそうです(岡村喬生氏など )。
 たとえば、ワーグナー生誕200年を迎えた 今年のバイロイト音楽祭では フランク・カストルフ「リング 」新演出が やはり話題になりましたが、神々ニーベルング族指環を巡って争う物語を、石油の利権米ソ対立などという政治的な 視点や発想で 「読み替え 」演出を 行ったのだそうです。私は バイロイトの舞台を観たわけではありませんが、こんな報道記事やレポートに目を通すだけで、もはや食傷気味です。
 パトリス・シェローは、 彼が1976年にバイロイトで初めて試みた (当時は )革新的(だった )演出の手法が、今やすっかり 流行の風潮となり、すっかり鮮度も失せている、こんな世界を 今は 天国から、どんな気持ちで 見おろしていることでしょうか。
 以下は、2013年 9月 9日の 読売新聞からの引用となります。

「2013 バイロイト音楽祭報告 読み替え演出 の枯渇 」
( 9月 9日 読売新聞 松本良一氏 )
 出典は ⇒ こちら
 ・・・ 序夜「ラインの黄金 」は1960年代のアメリカ・テキサスのモーテルが舞台。続く第1日「ワルキューレ 」は一転、20世紀初頭ロシアの油田地帯バクーに移り、迫り来る革命の気配に 未来の英雄ジークフリートの誕生が重なる。
 カストルフは 「指環 」の筋書きを借用して、資本主義という「呪い 」と共産主義という「希望 」のせめぎ合いを描きたかったのだろう。
第2日「ジークフリート 」では、英雄ジークフリートは カラシニコフ銃で敵を倒し、第3日「神々の黄昏(たそがれ)」では、ブリュンヒルデが ニューヨーク証券取引所そっくりの神々の居城に火を放ち、世界は崩壊する。
 舞台は 随所にあらが目立った。演出家選びが遅れたことによる準備不足が響いたのか、全体を通して大きなテーマがなかなか見えてこない。特に後半2作は不自然な場面転換や音楽を邪魔する演技が目立った。舞台上のスクリーンに映し出される映像の多用も集中力をそぎ、散漫な印象を与えた。(中略 )
 地元ドイツでも批判的な声が大勢の今年の「指環 」。音楽学者の広瀬大介さん(青山学院大准教授 )は、「カストルフの設定は目新しいものではなく、欧州の歌劇場を席巻してきた『読み替え演出 』のアイデアが、枯渇しつつあるのではないか。音楽に対して敬意を払わない演出優先の作品ばかりでは、オペラファンが離れてしまう 」と危惧する。

 ・・・スミマセン。 “スケルツォ倶楽部”発起人は、広瀬さんのご意見に 同意するしかありません。それは 残念なことです。
 

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