本記事は10月 4日「 注目記事ランキング クラシック音楽鑑賞 」で 第1位 となりました。
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スケルツォ倶楽部 Club Scherzo

未完成 」 考
- 奥村土牛ミケランジェロ、そして シューベルト ・・・


奥村土牛(文藝春秋 ) Michelangelo.jpg シューベルトの肖像画
(左から )奥村土牛、 ミケランジェロ、 シューベルト
 
 現代の日本画家の中でも 圧倒的に高い評価を受けていた、奥村土牛(1889~1990 )。戦後は 文化勲章を授与され、日本美術院理事長にも任命された上、東京都の名誉都民でもありました。皇居には 傑作として名高い 「富士山図 」が 回廊の壁 に飾られているそうです。
 1990年、101歳で(! )亡くなるのですが、その高名な作品に課せられた巨額の相続税に悩んだ息子が、おそらく 税制への抗議もこめ、 父 土牛が遺した 貴重な素描を 焼却処分してしまったことがニュースになったのも、記憶に新しい逸話です。
 そんな 土牛が 78歳(1967年 )のときに発表した作品で、姫路城の一部を題材にした 「」という、ちょっと不思議な構図の絵があります。それが これです。

奥村土牛『門 』1967年
奥村土牛「門 」 1967年(山種美術館蔵 )

 名将 池田輝政による 姫路城は、その築城時にこそ 84もの門があったそうですが、現存しているのは 内堀以内に残る 21門だけとのこと。「 」、「 」、「 」 ・・・ の順に名づけられた それら 実在する門のうち、これは 天守へ至る「上道 」途中に 今も建つ 「は 」の櫓(やぐら )門 を描いたもの とされます。
 ひとつ興味深いことに、土牛は、この櫓門を 表側からではなく、わざわざ 「裏から 」描くという、とても変わった方法を 試みています。そのため 陰になった暗い内側と、強い日差しを受ける門外の明るい白壁との 強烈な光のコントラストも印象的な、極めて個性的な構図の絵になっています。

 高齢で天寿を全うする日まで、土牛は 精力的に作品を書き続けましたが、その晩年の語録の中に、以下のような言葉があるそうです。
 私はこれから死ぬまで、初心を忘れず、拙くとも生きた絵が描きたい。むずかしいことではあるが、それが念願であり、生きがいだと思っている。芸術に完成はあり得ない。要はどこまで大きく未完成で終わるかである。」 - 絵の題材とした「門 」を カンヴァスに描くことによって、“永遠に開かれた存在 であることと 好対照を感じさせられる、含蓄深い言葉でした。

 それから 最近 耳にした、これも 大きな背景を感じさせられる言葉を もうひとつ ご紹介 - 阪急梅田駅にも店舗を 出店されているという 兵庫・伊丹老舗の日本酒醸造責任者 辻巌さん(近年は 日本酒づくりの技術を応用し、厳選素材と徹底した温度管理によって 作られるクラフトビールが 3年連続 ドイツで金賞を受賞しているそうです by NHK )の ひとこと・・・
完成したと 自分が思ったら、そこで負け です

わたし    「今宵の話題は “未完成”の作品
      「 “像を閉じ込めている大理石の中から、その像を解放するために 彫り起こす ”って、これは 彫刻家ミケランジェロの言葉。未完成といえば、彼の最晩年には その傾向がさらに強まって “ロンダニーニのピエタ ”をはじめ、文字どおり “まるで意図的に完成させな ” かったんじゃないか、とさえ思える “掘り起こし作業途中 ”的な作品が 多く残されてるんだな 」

ロンダニーニのピエタ  ミケランジェロ
ロンダニーニのピエタ(ミケランジェロ )

わたし    「知ってる、知ってる。有名な四体の奴隷なんか、まるで大理石の中から、今しも 現れ出でようと もがいているかのようだわ。ミケランジェロは、ちょうど 息だけはつげるように、あたかも頭部と胴体だけを掘り出され、身体の残りの部分が 大理石の中に依然として埋もれたままになっている、という状態で 完成としているところは、とてもオモシロイ

Michelangelo (奴隷像 )
▲ 瀕死の奴隷(ミケランジェロ )

      「そのアイディアは、一説によれば1506年 トラヤヌス浴場付近の地中から発見された “ラオコーン像 ”の発掘を 見学に来ていたミケランジェロが “地中に半ば埋もれている像 ”というテーマに感銘を受け、その発掘現場の様子から 新しいテーマへのインスピレーションを得た、とされているんだな 」
わたし    「ミケランジェロって、やっぱり天才よね。・・・ってゆーか、考察力の深さは尋常じゃありません 」

Gruppo del Laocoonte
ラオコーン像 Gruppo del Laocoonte

      「すでに ルネサンスの時代に、“未完成の美学”を追求していたミケランジェロ。 しかし このような考え方は、当時は全く評価されず、19世紀のロダンの登場まで、その意図が正しく理解されることは決してなかった、と言われてるんだ、残念なことに 」
わたし   「ミケランジェロは、外見を磨いて表面だけ仕上げて完成と呼ぶような行為に対して疑問を抱いちゃったんじゃないのかな。常に制作途上にあることを表現するため、意図的に “未完成 ”の状態に作品を置き、その中に美しさの本質を見いだした、ということだと思うの。 永遠に開かれた状態に作品を置けば、その完成 鑑賞者の想像力に委ねられる、って考えたのではないかしら 」

     「それじゃ、シューベルトの “未完成”の場合は?
わたし   「第3楽章 スケルツォの草稿が残っている事実などから、“意図的に完成させなかった”ということは 考えにくいけど・・・ 」
     「でも結果的に ミケランジェロの意図したところに極めて近い場所に着地してしまった・・・とは言えまいか 」
わたし   「ふんふん 」
     「さっき オマエが言ってたように、未完成っていうのは、すごく開かれた形態だよな。創作する側である芸術家が、作品を最後まで完成させてしまわず、敢えて 最も大切な部分である残りを 鑑賞者に委託するとしたら、それこそ 逆説的だが “完全でないことこそが 『完璧 』たり得る要素 ”かもしれない 」
わたし   「シューベルトロ短調交響曲が、スケルツォの途中で放棄されてしまった(かのように見える ) 二楽章の交響曲という不完全な作品であるのにかかわらず、最高傑作であるのは、まさに そこに真理があるからに違いないわ (鼻息 ) 」
     「しかも、この未完成の交響曲が発見されたのは、あまりにも劇的なことに、 シューベルトの死後だったんだ。 これは、音楽史上でも 稀な 偶然が生んだ “演出” では ? なにしろ創作者 シューベルト はもちろん、楽譜の発見にかかわった周囲の関係者でさえ ひとり残らず 意図的な作為性とは無縁だったゆえに、あの未完成交響曲 こそ、『完璧 』 な トルソー だ 」
わたし   「そうね、たとえ 肝心なスケルツォが無くてもね ! 」
     「いや、むしろ スケルツォが 無いゆえに だろ ! 」


■ 倶楽部会員 ぶるねろ(仮 )さん、良コメント つぶやく。  
 はい、ここで、“スケルツォ倶楽部”会員第1号ぶるねろ(仮 )さんの とても興味深い「つぶやき 」を、以下(青字 )勝手ながら ご紹介。

ぶるねろ(仮 )さん
「さて、メンデルスゾーン第二交響曲『賛歌 』は、凝縮された交響曲楽章の1, 2, 3楽章 と、ベートーヴェン第九を引き延ばしたような残りの楽章からなる、竜頭蛇尾の反対のような交響曲ですが、スケルツォ楽章第2楽章は、全体が宗教曲っぽい中であるにもかかわらず、恐ろしく世俗的で、まるでドヴォルザーク交響曲第3楽章たちのように、リズミカルに流れるようで、それでいて感傷的、舞踏的な楽想です。

メンデルスゾーン『賛歌 』第2楽章ほど ワルツ的な要素を備えた交響的なスケルツォって、これ以前には 殆ど見当たらず、とてもめずらしい発想だと思います。

「それこそ ベートーヴェン以前には まず見当たりません。ウェーバーにもないし、リースシュポーアにも - 必ずしも作品の全てを 聴いたわけじゃありませんが - 存在しないんじゃないでしょうか。

「で、話題のシューベルトです。彼も、メヌエットスケルツォには 興味深い音楽を沢山書いていますが、やはり こういう方向には 一度も流れなかった。

「後世への影響ですが、シューマン 第2交響曲では、メンデルスゾーン『スコットランド 』におけるスケルツォのような無窮動型を採用、『ライン 』では、『賛歌 』の 陽性ワルツ型、第1第4ベートーヴェン型(四分音符3つ )です( ちなみに ブルックナーは 基本的にベートーヴェン型で、私からは一徹と聴こえます )。

「もとい、ドヴォルザークチャイコフスキーなどの非ドイツ系の人たちは、好んでこのワルツ型を採用しているように見えます (ドヴォルザーク 第7 や 第8 チャイコフスキー 第5 や「悲愴 」など )。

シューベルト『未完成 』第3楽章スケッチを見ると、コテコテのベートーヴェン型と思えます。でも もしシューベルトが メンデルスゾーン『賛歌 』第2楽章的な方向性を思いつき、『そうだ、スケルツォ楽章は こういう風に書いていいんだ! 』と、たとえば『ロザムンデのテーマを 3拍子でワルツ風にしたような音楽を ホ長調アンダンテ・コン・モート緩徐楽章に続けて 第3楽章の位置に収めようというアイディアに思い至っていたら、ひょっとして『未完成 』交響曲第4楽章までいけたのではないでしょうか・・・。 」


(以上、スケルツォ倶楽部 会員 ぶるねろ(仮 )さんの文章より、引用 2008年 )

わたし   「(拍手 ) うーん、ありがとうございました。ぶるねろ(仮 )さん の切り口って、独特で とってもオモシロい・・・   あ、そうだ! ねー ねー、のびたさん、ドラえもんに頼んで ぶるねろ(仮 )さんの この グッド・アイディアを、1822年のシューベルトさんに 教えてあげてよ ! 」
     「はー、オマエは しずかちゃんか。 ・・・って しようがないな、おーい ドラえもーん、聞こえたかー、ついでに 1822年の シューベルトさんに エステルハージ家の小間使い には 絶対に手を出すな って、 くれぐれも よろしく伝えてくれよー、頼んだぞおーっ 」
わたし   「 の、のびた さん ったら・・・ ( 目頭を押さえる ) 」

シューベルト「未完成 」( 第3楽章 フラグメントつき )
 渡邊暁雄 / 日フィル(DENON )盤 を聴く。

未完成_第3楽章
▲ オーケストレーションが遺された 9小節だけの「未完成 」スケルツォ楽章 

 シューベルトの遺した「未完成 」フラグメント - 第3楽章のオーケストラで残された 9小節まで(約20秒 )、および トリオが始まるあたりまで書かれたスケッチを ピアノ河野純子 )で忠実に弾いてみせる、他にありそうでなかった、珍しい試み を聴くことのできるディスクが、この 渡邊暁雄 指揮 / 日本フィルハーモニー交響楽団(DENON COCO-80716 )盤です。
シューベルトの肖像画 シューベルト_未完成_渡邊暁雄_日本フィル
 あらためて 前半二つの楽章を傾聴すると、冒頭に提示されている低弦の有名な動機は、その後 伸ばされ、縮められ、反転され、様々な形にその姿を変えつつ 全曲のあらゆる場所に姿を現しています。シューベルトは、この基本動機を処理するに際して とても大事に扱いながら これを尊重していたことが察せられます。
 中断されたスケルツォ楽章の、一聴 平凡な楽想も よく聴いてみれば、 第1楽章冒頭の基本動機のヴァリエーションであるということに、どなたも 容易にお気づきになれるのではないでし

未完成_第3楽章中断されたトリオ部分
▲ 第3楽章 中断されたトリオ部分
「フラグメント ふたつめのパートは 『ピアノ譜による部分(03分44秒 ) 』とされる、二段譜に残されたスケッチです。このレコードでは、スケッチに書かれた音符のみを、便宜上 ピアノで演奏し、研究や参考の資料(のため )に吹き込んであります。 しかし これは、あくまでも作曲者自身の頭の中に浮かんだもので、もとよりピアノで演奏するために書かれたものではありませんから、そのまま音にして再現することは、きわめて不完全なことであり、しかもスケルツォのトリオ部分は (略 )、メロディだけが単音で記されているにすぎません 」 ( 有坂愛彦氏による解説に 一部 加筆した上 引用 - 1961年 -  )。 



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