本記事は 8月25日「 注目記事ランキング クラシック音楽鑑賞 」で 第1位 となりました。
皆さまのおかげです、これからも 何卒よろしくお願い申し上げます。


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スケルツォ倶楽部 Club Scherzo

首が落ちる音楽 - 
小泉八雲の怪談「かけひき 」から 桜田門外を経て
革命広場に至る
- ベルリオーズ 「断頭台への行進 」 15連発!

小泉八雲 断頭台への行進_0001 ベルリオーズ

 残暑お見舞い申し上げます。 “スケルツォ倶楽部”発起人です。
 容赦ない猛暑続きの日本列島ですが、スケルツォ倶楽部 会員の皆さまに この時期 少しでも涼んで頂こうと、今年もちょっぴりコワイ話題を選んでみましたよ。

 小泉八雲 こと ラフカディオ・ハーン の 有名な「怪談集 」の中に、「かけひき」というタイトルの 短い物語があるのをご存知でしょうか。
 「かけひき 」 - 原題 Diplomacy - この言葉には 交渉相手を 欺いたり、まるめ込んだりするような手腕 などというニュアンスもこめられているようです。同じ語源の a diplomat が「外交官 」と知れば、納得です。
 そう言っておきながら、たまたま「怪談集 」を手元に置いていなかった“スケルツォ倶楽部”発起人、乏しい記憶からだけで 以下、これより八雲の物語を再現しようと企てます。


 はい。時は江戸時代、ある武士の屋敷で、不始末を仕出かした使用人が 庭先で 手討ちに処されることとなりました。
「お許しを、どうか お情けを 」
 後ろ手に縛り上げられた使用人の男は、庭砂利の上に曳き出されても必死に命乞いをしていましたが、剣の達人として知られる武家の主人 - 往年の三船敏郎あたりをイメージください - が、自ら長刀を抜いて自分の左側に立つのを見て もはや許されないことを悟った途端、態度を豹変させました。
「ええい 畜生っ、オレの首を刎(は )ねてみやがれ。この家屋敷もろともオレの怨念で呪い祟(たた )ってやるからなー 」
主人は 振り上げた刀を降ろすこともなく、落ち着いて 男に話しかけました。
「ほほう 貴様、わしの屋敷に祟ると申すのか 」
罪人は吠えるように答えます。
「おうよ、オレを斬りやがったら お前らはもちろん 親兄弟から妻子 一族郎党、ねこのタマに至るまで 皆ことごとく雷(かみなり )に撃たれて お陀仏させてやるんだから。その時になって 泣きやがれ 」
「ふんふん、面白いことを言う奴だ 」
「この屋敷の内側だってな、枯れないペンペン草を土間にも座敷にも思いきり繁茂させて もうそれこそ 天井まで生えて、手もつけられなくしてやるんだから。ふん 後悔しやがれ ! 」
そこまで聞いていた武家の主人、足元に這いながら悪態をつく男を見下ろしながら 言いました、
「お前の仕出かした不始末は 取り返しのつかぬことで、見逃すことは出来ぬ。だが逆恨みとはいえ、そこまで申すのなら・・・ どうだ、首を落とされたら、そこの - 」
と、男が引き据えられている場所から 一間(約1.8m )ほど離れた小さな庭石を指差しました。
「 あの石に噛(かじ )りついてみせよ、それは お前の怨みがどれほど深いかを われらに示すことになるだろう。 ― とは言っても それは お前の首が胴体から離れた後のこと、よほど性根の座った者でなければ そのような真似は出来まいがな。ははは・・・ 」
すると 男は 主人の挑発に応えるかのように、大声で叫びました。
「オレの怨みは本物なんだ、やってご覧にいれてやる ! 」
「そうか、やる気か。よし ! 見事にやり遂げてみせたら、手厚く弔ってやることを 考えてやらぬでもないぞ( って、二重否定の肯定文でござる ) 」
「よーし、きっと噛りついて オレの怨みを お前らに見せつけてやるからなー、あの石に 噛りついてやるよ、必ずあの石に 噛りつくさ、絶対 あの石に・・・ 」
すると その瞬間、刀身がきらりと光ったかと思う間もなく、男の首は一刀のもとに切り落とされていました。
 両腕を縛(いまし )められた身体のほうは ひざまづいて座った姿勢のまま ゆっくりと前に倒れ、頭を失った首からは 血しぶきが激しく噴出しています。しかし 胴体から離れた生首のほうは、と言うと、一度は 砂利の上に落下したものの、その勢いのまま ごろごろごろっと目的の庭石に向かって転がってゆき、なんと その手前で突如 跳躍したかと思うと、主人が指定した庭石の上端に あぐりと音を立てるほどの勢いで しっかと噛みついたのでした。
「あっ ! 」
と、この時 庭に出て これを目撃していた家来たちは皆 驚きの声を上げました。しばらくの間、罪人の首は 必死の形相で庭石に噛りついていましたが、そのままぶらぶら揺れるうち、やがて 力も失せたのか、真下の砂利の上へ どさりと静かに落ちました。
「・・・た、大変だ 」
家来の全員が恐怖に震えていました。男が最期に遺した言葉を疑う者は もはやいません。予言どおり罪人の怨霊が現れて、きっと恐ろしい復讐の挙に出るに違いないと 皆 信じ切って顔を見合わせました。おそるおそる ひとりの家来が ためらいがちに、主に進言しました。
「おそれながら 殿・・・ あやつと最期にお交わしになられた約束どおり せめて施餓鬼(せがき )供養くらいは 執り行っておいた方がよいのではないでしょうか 」
しかし、武家の主人が 刀についた血を柄杓の水で洗い流しながら、その家来に返した答えは、とても意外なものでした。 それは・・・


 と、ここまで長々と引っ張っておいて 誠に申し訳ありませんが、結末だけは 「ネタバレ自粛 」とさせて頂きます(笑 )。ストーリーにご興味を持たれたかたには すみませんが、ぜひ 小泉八雲のオリジナル文章を お読みになってみてください。
 え? 「性格が悪い 」だなんて おっしゃらないでくださいよ。実は、この短い怪談を 夏の軽井沢で 私が初めて読んで 眠れなくなった夜、子ども心にも 一番興味深く感じたところって、物語の結末部分ではなく、「胴体から離れた首に どれだけ人の意識が残っているのだろうか 」ということだったからです。
 そして、実は 今宵の話題も それです。

 平将門の首が 平安京の都大路で三日間も晒(さら )された後 夜空に飛び上がって 故郷の坂東へ向かったという逸話は さすがに 現実にはあり得ないとしても、リヒャルト・シュトラウスが楽劇に仕立てた オスカー・ワイルド原作の戯曲「サロメ 」の衝撃的な幕切れ - 

Salomé by Lucien Lévy Dhurmer, 1896
 - 少女サロメが 恋い慕う洗礼者ヨハネの切断された首を抱き、その唇にキスするというショッキングなエンディング - 胴体から首を切り落とされた予言者の唇は、果たして少女の温かく柔らかな唇や冷たい舌の感触を 最後の最期、その脳で感じたのでしょうか。

 さらに、幕末の大事件、桜田門外ノ変( 安政7年 = 1860年 )を、“スケルツォ倶楽部”発起人が 勝手に ファンタジー風に描いてみると・・・。

映画「桜田門外ノ変 」より
 大雪の中、水戸・薩摩の浪士に襲われ、遂に 切り落とされた大老 井伊直弼の頭部、今まさに襲撃者のひとりである 薩摩の有村次左衛門がかざす大刀の切っ先に突き刺され、エイ、エイ、オーという浪士らの勝鬨(かちどき )の声とともに 高く掲げられたところです。
 見事 本懐を遂げ、意気揚々と現場から立ち去ろうと、有村次左衛門井伊大老の首を降ろすと 長い大刀から急いで引き抜き、自分の小脇に抱(かか )ようとしました。その瞬間のことです、今や 首だけになった筈の井伊大老有村の左手の親指を その根元から喰いちぎらんばかりの激しい勢いで噛みついたとしたら !
 切り落としたはずの生首が 本気で噛みついてくるなどという想定外の逆襲に、勇猛果敢で鳴らした さしもの有村でさえ 一瞬 ひるんだに違いありません。その隙(すき )を突いて、主君の御首(みしるし )まで奪われてたまるものかと 背後から必死に追い駆けてきた彦根藩士 小河原秀之丞が大きく振りまわした長刀の切っ先が、「仇敵 」有村の後頭部に 致命傷を与えることになるのでした。
 そう考えたら、雪の桜田門外で 襲撃者らのひとりが (森五六郎 と伝わる ) 発射した 水戸製のピストルによって腰を撃たれ、中枢神経のとおる腰髄を損傷させられたことによって おそらく下半身が完全に麻痺して 立つことさえ出来ない身体状態であったところを、なんと髻(もとどり )を掴まれて 駕籠から引きずり出された上、雪に汚れた地面にひざまづかせられた挙句、力づくで首を落とされるなどという 不名誉で屈辱的な暴行を加えやがった ふとどき者らに対し、「許さぬ 」と怒り心頭に達した井伊大老自身が 最期の意趣返しを果たしたとも言えるわけで、強靭な意志の力さえあれば、たとえ首が胴から離れようとも、人はできることをどこまでも実行するものなのであろうか - などと、発起人が 空に架けた想像力の翼は どこまでも高く、勝手に羽ばたいてゆきます。

 それでは 実際に、胴から切断された後の頭部に 果たして どれだけ 人としての「意識 」が残っているものなんでしょうか。
 この話題に関しては、上記のとおり、私 “スケルツォ倶楽部”発起人は 子どもの頃から たいへん興味を抱き、いろいろな本を集めたり読んだりしてきました。それら書物からの興味深い記述を 以下、抜きだして集めてみようと思います。


サンソン家の紋章
▲ 社会から偏見を受ける、歴史的な首切り役人の家系 サンソン家 の紋章


「ギロチンの祭典 」より
モニク・ルバイイ著
柴田道子、白石敬晶 他 共訳(ユニテ出版

ギロチンの祭典_ユニテ
 当時チェンバロの製作者だった シュミットと呼ばれるドイツ人の機械工が、私(注 シャルル=アンリ・サンソンの孫 )の祖父(注 フランス革命で ルイ16世を処刑したことで知られる死刑執行人シャルル=アンリ・サンソン )の家にやってきた。祖父は、シュミットに 時折 自分やギヨタン医師が陥っている窮地のことを話していた。
 もともと わたしの祖父に売った楽器を通じて 祖父と知り合いになったシュミットは、ときにはチェンバロの調律に、ときには それ以外の楽器用に注文を受けた要具を届けたりなどするうち、次第に親交を深めていった。二人は音楽への趣味が共通しており、ヴァイオリンやチェロをかなり上手に演奏していた祖父シャルル=アンリ・サンソンと シュミットとは、音楽によって より緊密に結びついたと言える。特にグルックの曲がレパートリーであったことから、 間もなく二人は 完全に意気投合したのであった (中略 )
 ある晩のこと、「オルフェ 」のアリアと 「タウリスのイフィゲニア(アウリスのイフィジェニー ) 」の二重唱との間、楽器を取り替えようとしていたとき、私の祖父は どういう形態がいいか、あれほど途方に暮れながら探していた道具のことに 突然 意識を立ち戻らせた。
 シュミットは「待ってください、それは あなたの問題だとは思いますが、実は 私もそのことを ずっと考えていたのです 」と答えると、鉛筆を手にして 手早く図面を粗描した。
 それが ギロチンだったのだ !
 ギロチンには、二本の柱の間に吊るされ ロープの操作だけで働く 鋭利な鋼の刀身が備えられており、被処刑者は 跳ね板付きの台の上に全身を固定されるのであり、その台が低くなった時には 被処刑者の首は落下しながら 刀身がはねたばかりの まさにその場所にあるようになっていた。
 難点は克服され、問題は解決した。
 ついにシュミットは、被処刑者を水平な姿勢で処刑し、かつ 処刑を失敗させ得ない状態にする方法を見つけたのである。
(中略 )以上の経緯から、まさに「音楽の最中に ギロチンは生まれた 」と言える。

 この貴重な発明がなされた翌日、シャルル=アンリ・サンソンは ただちに そのことをギヨタン医師に知らせ、(中略 )ギヨタンは、1792年 4月31日の審議の際に、この仕掛けのことを 初めて議会に知らせた。彼は、即席演説の熱弁を議場でふるったが、(中略 )この人道的な死刑方法は 全く苦痛を伴わないと主張した際、彼は「被処刑者は せいぜい頸部に冷たさを感じる程度だ 」と述べた。その表現だけでも 些(いささ )か 危ない発言であったのに さらに 彼が続けたことには、「この機械を用いれば、私は アッという間に 諸君らの首をはねてご覧にいれます。しかもその時、諸君らは まったく痛みを感じないのです ! 」などと言ったので、議会全体が爆笑に包まれてしまった。その笑いは止まらず、次の議題に移るまで 会場が鎮まることはなかった。(以下、略 )



図説「死刑物語 」 - 起源と歴史と犠牲者 - より
K.B.レーダー著
西村克彦、保倉和彦 共訳(原書房
 
死刑物語_原書房
 斬首が即座に行われないと、死刑囚が恐ろしい瞬間に耐えなければならないことは、容易に想像できる。ところが、一撃で首が斬り落とされたとしても、その首が即座に意識を失うかどうか、あるいは逆に、しばらくは自分の悲惨な状態を意識していないのかどうか。そこのところが未知数なのである。だが、ほとんどすべての執行吏は、斬り落とした首がなお 口と顔の筋肉を動かしており、まだ眼光を失っていないところからみて、しばらくは 生きているしるしがあったと報告をしている(中略 )

 さて、ギロチンによる首切りは、ギヨタン博士の考えていたような迅速かつ人道的な死を保証するものだろうか ? 剣による斬首の場合には、切られた首がまだ動くかどうかについて、相反する観察がなされていることを思い出す。ギロチンで首を切られた者についても同様の観察はなされているが、報告例の乏しいのは、ギロチンの下に用意されているバスケットの中に首が転がり込んで見えなくなることが多いからであろう。 (中略 )
 とうとう1905年には、本当に有益できわめて驚くべき結果をもたらすテストが行われるにいたったボーリオという医学博士に、ある死刑囚の処刑直後の首を調べる機会が与えられたのだ。同医師の報告書にはいう、「首は、切られた頸部の平面を底にして立てられてあったため、私は その首を立てて見るために手に取る必要はなかった。ギロチンで死刑された男の眉と唇とは、5~6秒間 不規則でリズミカルな引きつりを見せた ・・・ それからは引きつらなくなった。顔はゆるみ、瞼は半眼に開いていて 白眼しか見えない。大声で相手の名前を呼んでみた。すると瞼はだんだん開いたが、引きつって収縮するのではなく - この事実を 特に強調したい - 眠っているか、物思いにふけっている人が醒めた時に よく見せるような、平静でまったく明白かつ正常な動きを見せた。囚人の眼はじっと私を見つめ、瞳孔は狭くなっていたが、死人にみられる漠として 表情のないような目つきではなかった。そこで 私を見つめていたのは、たしかに生きている人間の眼であった 」。
 医師ボーリオがさらに言うには、それから眼はだんだん閉じられた。もう一度 囚人の名前を大声で呼んでみたら、またしても眉が上がり、じっと医師を見つめてから 眼は閉じられた。三度目に呼んでみたら、もう反応はなかった。瞼を開けてみたら、眼は動かないガラス状になっていた。首が切られてから 約30秒が経っていた。
 胴体から切断された頭にしばらく意識があるかどうかという問題では、近代医学者の意見は一致していない。ただ。酸素の通わなくなった脳が、1分後、おそくとも2分後には死ぬことは たしかである。しかし それまでは 切られた頭が 自己の惨状を意識している可能性だけはある。(以下、略 )



「パリの断頭台 」より
バーバラ・レヴィ著
喜多迅鷹、喜多元子 共訳(法政大学出版局

パリの断頭台_法政大学出版局
 ノルマンディー地方出身、まだ24歳の若い娘だったシャルロット・コルデー(ジロンド派を擁護し、ジャン=ポール・マラーを暗殺した女性 )が処刑された後に起きたエピソードは有名で、すでに何度も 繰り返し語られているため、当時の文献のほとんどに出てくる。
 いかつい大男フランソワ・ル・グロの本職は大工だったが、死刑執行人シャルル=アンリ・サンソンの助手の一人として、しばしば彼の手伝いをしていた。
 その日の午後も 断頭台の修繕をしていたことから、シャルロット・コルデーの処刑にも居合わせていた。ギロチンの刃が落ちるや、ル・グロは 腰を屈(かが )め、シャルロット・コルデーの切断された首を拾いあげた。そして それを高く掲げながら 処刑台上を一巡りし、観衆の眼前で振り廻して見せると、何故か その頬を何度も激しくひっぱたいた。この、胸を悪くさせるような行為には、群衆の中の最も血に飢えた輩(やから )でさえ憤慨し、皆 怒りの声を上げた。助手の暴挙に吐き気を催したシャルル=アンリは、その場でル・グロを殴り倒すと 即座にクビにしてしまった。
 しかし、この話の最も興味深い点は、シャルロット・コルデーの切断された筈の首が平手打ちを受けた後、その頬が紅潮するのを見たと 観客の多くが証言したことである。(中略 )それは まるで彼女が生き返ったかのように、あるいは その助手の男に対する 強い憤りの眼差しを投げかけたかのようにも見えたという。
 元解剖学教授のセギュレ博士は、(中略 )そのようなこともあり得ると保証した。彼は、以前 ギロチンの効果に関して実験するよう依頼され、刑死直後の死体を調査して、次のような結果を報告したことがあったそうである。
「我々は ふたつの切断された直後の首を 日光に対面させ、その瞼(まぶた )を指先で開けてみた。すると瞼は はっとしたかのような唐突な活力をもって、あたかも眩しい太陽の光を避けるかのように固く閉じた。そして顔全体が極度の苦しみの表情を見せた 」
「首の一つは 口が半開きで そこからは舌が出ていた。医学生の一人がこれを針の先端で 突つこうとしたら、まるで危険から逃げるかのように 舌は口の中に引っ込み、顔面は 苦痛を感じたかのように歪んだ 」
「また 別のギロチンの犠牲者で、トリエという名の殺人犯も これと似た実験に供せられたが、断頭後15分以上経ってもなお、その眼は 喋っている男の方向に向けられていた 」

(中略 )首を切断された直後の 遺体の反応について書いた人は、他にも大勢いる。中には処刑後 10分も経ってから 突然 首の無い胴体だけが起き上がり、処刑台の周りを歩きまわった後、がっくりと崩おれ、その身体が 断末魔の苦しみにのたうつのを見たことがある、などと主張する者もいた。
 もし こうした話が本当にあったとすれば、当然 死刑執行人シャルル=アンリ( ・サンソン、死刑執行人 )も目撃していた筈で、きっと 夢に 現(うつつ )に、恐怖に憑きまとわれたことは 間違いあるまい。
「ギロチンは、これまでの諸発明の中でも 最も恐ろしい、最も非人道的な処刑方法の一つである。断頭後の苦痛は、実は 凄まじいものであり、その苦しみは 遺体が冷え切るまで続くものと私(セギュレ博士 )は固く信じている・・・(以下、略 ) 」。



「斬首の美学 」より
吉田八岑 著(桜桃書房

斬首の美学_桜桃書房
 ピエール・ゴティエという医者は、生身の人間が首を切り落とされるときの臨床的な意見を述べている。彼は、五体満足な人間が 突然 首を切り落とされた場合、切られた頭部には 数秒間に過ぎないが、まだ明瞭な感覚や思考が残されているものだ、という論説を表明している(中略 )。

 ドイツの解剖医であるS.T.ゼメリンク教授は、「断頭後の意識問題 」について「・・・知覚および感覚の座は脳にあり、この感覚に関する意識の働きは、脳内の血液循環が 止められようと弱められようと、部分的には その機能が続行する(中略 ) 」つまり彼の言によれば、「感覚 」、「人格 」、「自我 」などは、たとえ頭部が胴から切り離されようと しばらく頭部に過去の経験を留め置くことができるので、ギロチンの犠牲者は 生前 首に受けた処刑の激痛を 首が切断された後も まだしばらくは知覚している(中略 )ばかりか、「もし空気を相変わらず(犠牲者の )器官内に循環させることができたとしたら、これらの切断された首は、言葉を発することさえできた筈である 」(以下略 )。



「ギロチン 」 ‐ 死と革命のフォークロア より
ダニエル・ジェルールド 著
金澤 智 訳(青弓社

ギロチン_青弓社
 19世紀も終わり頃になると、科学の名のもとに行われる この悪夢的な(処刑直後の 切断された生首を使うような )実験への抗議が高まった (中略 )。 
 大デュマとヴィリエ・ド・リラダンの小説は このような異様な医学の実例を空想物語へと発展させている。パリのナイトクラブ「シャ・ノワール(黒猫 ) 」の風刺シャンソン歌手ジュール・ジュイは、1887年にギロチン台に送られた 殺人犯プランジーニをモデルにして「意識が残るか 」と問いかける歌をつくった。
 
 「ああ、プランジーニ ! 教えておくれ
  首がなくなって 苦しいかい ?
  ああ、友よ ! 答えておくれ
  胴がなくなって 苦しいかい ? 」

 「いや 友よ、俺は答えん
  そいつは ちょっと愚問に過ぎる
  いや 友よ、ただ 言えるのは
  自分の首を斬ってみな
  そうすりゃ 自分でわかるだろうさ ! 」


 医師ピエドリエーブルとフルニエは、ギロチンにかけられて 首を切断された身体への調査に基づき、1956年になるまでに 医学学会に次のように報告している。
「すべての生命機能は 首を斬られても生き続ける。医者は恐ろしい経験をし、殺人的な生体解剖をしたという思いに駆られ、さらには 早まった埋葬だったと思うようになる 」
科学的論証は いまだなされていないが、この問題は大衆的想像力においてはすでに答えが出ている - 人間は 首を斬られても 意識は残るのである。(以下、略 )



ベルリオーズ 「断頭台への行進 」 15連発  
 さて、今からもう10年も前になるようですが、ベルリオーズ生誕200周年だった2003年に とても変わった企画盤がリリースされました。 それが、これです。

断頭台への行進_0001 ベルリオーズ
La Guillotine - 断頭台への行進 15連発 ! !
ユニバーサル・ミュージック (UCCS-1043 )

 ベルリオーズ作曲の「幻想交響曲 」 - 夢の中で恋人を殺害し、死刑台に引かれてゆくという奇怪な情景を描いた第4楽章 - その「断頭台への行進 」ばかりを、デッカ(ロンドン )、フィリップス、ドイツ・グラモフォン、フンガロトンなど、ユニヴァーサル系音源から ぜいたくにセレクト、50年代のベイヌムから90年代のチョン・ミョンフンまで15組、「15連発 聴き比べ 」という、今後 もう二度と企画されないような(笑 ) 作曲者の生誕200年を記念して発売されたコンピレーションCDでした。
 首が落ちたついでに( ? )、今宵は これを ご一緒に聴きながら、お別れしましょう。 おやすみになる前には どうか 戸締りをご用心くださいね。

Eduard Van Beinum
1. エドゥアルト・ヴァン・ベイヌム指揮 1951年
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(04:30

繰り返しなし、堅実で手堅い演奏。この時代の音質 (1951年、モノラル )にしては 弦の切れが鮮明で 狂的な迫力や熱狂にも事欠きません。但し、さすがに 音の薄さ、特に シンバルの軽さには 違和感あり です。

Pierre Monteux
2. ピエール・モントゥー指揮 1957年
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(04:55

繰り返しなし、一貫して 揺るぎないテンポで 押し通る堂々たる名演(1957年、ステレオ )。最初の12小節でホルン・アンサンブルに ベルリオーズの指定したとおり「ヴァルヴを使わずハンド・ストップで音を出すこと」を忠実に実行していることが聴きとれる(他の演奏で ここまで鮮明に聴きとれるディスクは、殆どありません )、さすがの慧眼と思います。

Willem van Otterloo
3. ウィレム・ヴァン・オッテルロー指揮 1958(~59 )年
ハーグ・フィルハーモニー管弦楽団(04:39

繰り返しなし、残響の長いホールでの録音。金管と木管が拮抗して鳴っているアンサンブルは 好感度高く、弦セクションの精度、力強さも特筆すべき威力あり。
「首が落ちる」と、わずかにテンポ・ダウン、ファンファーレの迫力を増してます。二分音符であるべき 最後の一音が 半価ほどの短さに切り上げられ、その意外性に 思わず「あれっ 」

Igor Markevitch
4. イーゴル・マルケヴィッチ指揮(1961年 )
ラムルー管弦楽団(04:48

繰り返しなし、パーカッションも弦のピッチカートも思い切り鳴らす 爽快さ。ブツブツ言うバッソンの音色、とにかく個性的。62小節目からの 有名な行進曲のテーマが現れてから、その底部で響き渡るチューバのアクセントにも凄みを感じます。毅然とした歩みは 最後まで停滞しません。その最期の一音は オッテルロー盤より さらに短く、その潔い切り方に驚き。

Charles Munch
5. シャルル・ミュンシュ指揮(1966年 )
ハンガリー放送管弦楽団(04:43
) 

繰り返しなし、ミュンシュハンガリー放送管弦楽団に客演した際の 比較的 珍しいレコーディングですが、かなり前から フンガロトンの輸入盤として流通していました。さすがに この翌年 録音される 歴史的名演 ― パリ管(EMI )盤には及ばぬものの、「首が落ちる 」と テンポが速まるなど、速度を一定に決めない 自由な揺らし方など、ミュンシュらしい 煽りの即興性も高い名演です。

Ernest Ansermet
6. エルネスト・アンセルメ指揮(1967年 )
スイス・ロマンド管弦楽団(05:08

繰り返しなし、どっしりと重心の低い 安定感ある演奏で、テンポの遅さが最後まで ダレないのは、スイス・ロマンドの録音をいつも手がけていた デッカのレコーディング技術がものを言うメリハリ効果による部分も大きい気がします。巧みなミキシング操作によってクローズアップされる ティンパニの強烈さ、弦セクションの切れ味の鋭さ、金管の鳴りも気持ちいいです。

Leopold Stokowski
7. レオポルド・ストコフスキー指揮(1968年 )
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団(04:17

繰り返しなし、特異な演奏として有名な怪盤。第4楽章は 一聴して イケイケ・テンポの快速さに驚きます。17小節目に登場する低音弦が 大きく見得を切り、テインパニがうなりをあげます。62小節目からの行進曲のメリハリは凄まじく、マルケヴィチが試みたのと同様、チューバの強奏も採り入れられています。「首が落ち 」てからのファンファーレでは さらに加速、最後の一音は これでもかとばかりに長く伸ばされ、打楽器までクレッシェンド。

小澤征爾
8. 小澤征爾指揮(1973年 )
ボストン交響楽団(04:05

繰り返しなし、ストコフスキー盤に続けて聴いてしまうと あまり感じないでしょうが、この演奏のテンポも相当の速さです。その推進力ったら もう 脇目も振らず、見得も切らず、ひたすら前に進む、無駄な動きを削ぎ落とした 現代的なマシーンが駆動するようです。
「首が落ち 」た瞬間、一瞬 不自然な間が空いた直後、同じ速さのまま ガッツポーズのようなファンファーレに突入。

Zubin Mehta
9. ズービン・メータ指揮(1979年 )
ニューヨーク・フィルハーモニック(04:26
 )

繰り返しなし、やはり速めのテンポを採用、オーケストラの機能性は 小澤盤のボストン響に勝るとも劣りません。ティンパニが刻むリズムの弾力的で明るい躍動感に特色があり、一言でいって「快適 」「爽快 」な演奏です。「首が落ち 」た後のファンファーレでは、少しスピードを落とします。

Charles Dutoit
10. シャルル・デュトワ指揮(1984年 )
モントリオール交響楽団(04:55

繰り返しなし、堂々たる緩慢な速度、後半 付点リズムに入ってもイン・テンポを守り、スケールが大きいです。弦セクションの切れ味のよさは特筆されてよいと思います、この演奏に限ったことではありませんが、ベルリオーズが「 (この楽章では )管を倍増してもよい 」と スコアに書いているとおり、金管隊が増員されていることが はっきりわかる音の威力です。

James Levine
11. ジェイムズ・レヴァイン指揮(1990年 )
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(07:10

珍しく 繰り返しあり、演奏時間の長さは そのためですが、速度自体も相当遅いです。代わりに 音楽の表情は豊かで、やはりベルリンフィルの弦セクションの雄弁さは最強。「首が落ち 」てからの打楽器も強烈ですが ファンファーレ以降は まるでスローモーションのよう。

Colin Davis
12. サー・コリン・デイヴィス指揮(1990年 )
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(06:51

繰り返しあり・重心の低いどっしりとした 表情豊かな演奏・テンポの遅さ・・・など、この9ヶ月前に録音されているレヴァイン/ベルリンフィル盤に影響を受けたのでしょうか、両者には不思議なほど共通点が多いです。
「首が落ちる」ピッツィカートの音は 何故か小さ過ぎ、まるで「落ちる」前に小太鼓のドラムロールと ファンファーレが 期せず鳴り出してしまったかのような。。。

John Eliot Gardiner
13. ジョン・エリオット・ガーディナー指揮(1991年 )
オルケストル・レヴォリュショネール・エ・ロマンティーク(06:40

繰り返しあり、ピリオド・オーケストラによる「幻想 」としては、ノリントン(EMI )盤以降 最もよく知られた「革命と浪漫主義のオーケストラ 」による演奏、同曲が初演された旧パリ・コンセルヴァトアールのホールでの録音です。
マルケヴィチ盤やストコフスキー盤、あるいは コンスタンティン・シルヴェストリ / パリ音楽院管弦楽団(1960年、EMI )盤なども採り入れていた、62小節目からの賑やかな行進曲部分において チューバの低音を思いきり強調する表現 が、実は セルパンオフィクレイドなど オリジナル楽器の音色を模していたのではないかという、目から鱗的な発見もある DVD映像版もお勧めです。

Georg Solti
14. ゲオルグ・ショルティ指揮(1992年 )
シカゴ交響楽団(04:53

繰り返しなし、打楽器の豪快な鳴り、弦の豊かな表情、思い切り弾かれるピチカート、金管の合いの手、行進曲旋律の個性的な歌い回し、「首が落ちる」打楽器の強烈さ、ファンファーレのスケールの大きさ、意外だったなどと言っては 巨匠には失礼ですが、ホント 壮年期の名演と比較しても 何ら遜色ありません。これは1992年、ザルツブルクにおけるライヴ音源。

鄭明勲
15.  鄭明勲(チョン・ミョンフン )指揮(1993年 )
パリ・バスティーユ管弦楽団(04:29

繰り返しなし、行進曲の旋律の歌い回しに、とにかく オモシロいほど独特なレガートをかける特徴と、弦セクションのザラザラしたドライな感触とともに 意欲的で個性溢れる演奏。
ミョンフンが初代音楽監督を務めていた バスティーユ歌劇場のオーケストラとの相性は良く、演奏には凄みのある勢いが伴い、同様な傾向の演奏スタイルが聴ける D.G.録音 - ビゼー「アルルの女 」、サン=サーンス「交響曲第3番 」、リムスキー=コルサコフ「シェヘラザード 」、特に メシアン「トゥーランガリラ 」ヴェルディ「オテロ 」には注目 - が多くないのは、とても残念なことですね ( 芸術は 政治などとは 一線を引くべき )。


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