スケルツォ倶楽部 短期 集中連載 

マーラー 交響曲第10番の終楽章は、
掘り起こされた 「歌う骨 」


マーラー「嘆きの歌 」ブ―レーズ旧盤(Sony ) マーラー「嘆きの歌 」シャイー(Decca )盤 マーラー「嘆きの歌 」(初稿版 )ケント・ナガノ(Erato )盤
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2.第1部 Waldmärchen 森の伝説

   むかし、誇り高い王女がいた
   姿は この上なく愛らしかった
   彼女の意にかなう騎士は ひとりもなかった
   彼女は 求婚者らを ことごとくきらった

   おお、なんてことだ、世にも美しい女性よ !
   御身の甘美な肉体は 誰のために花咲くのだ ?



 はい、今は亡き グスタフ・マーラーの妻だった、わたし アルマです。
 ご存知ないかたもいらっしゃるでしょうが、実は わたし、夫グスタフと結婚する前には あり余るほどの作曲の才能がありました。それは ツェムリンスキーでさえ 本気で目をみはるほどのものだったんですよ、ふふん(鼻息 )。
 でも グスタフと結婚するに際して、自分の音楽を楽しむことは厳に禁止された上、彼へのひたすらの献身と従順な奉仕を求められたわたしは、不本意ながら 自分の豊かな才能のすべてを 封じ込めることに同意したのでした。
 それは、翼をもがれ 鳥かごに閉じ込められたような気持でした。

グスタフ・マーラー アルマとマーラーの二人の娘
 ・・・いえ、でも物事は考えようです。このまま自分を殺して夫に仕え続けながら、こどもたちを生み育ててゆくということに 女としての喜びを感じ、そこに希望と幸福を見出すという 人として あたりまえの選択肢も わたしにはあったのだと思います・・・。
 それは、まさに そんな矢先のことでした。


   赤い一本の花が 森に咲いていた
   まるで王女たちのように美しかった
   その花を見つけることのできた騎士は
   貴な婦人を かち得ることができる

   おお、胸がいたむ、誇り高い王女よ !
   その騎士が 御身のかたくなな心を破るのは いつ ?



 どこか不吉な兆候を感じたわたしが、「その詩集 」への作曲だけは 絶対に思い止(とど )まってくれるように 繰り返し頼んでいたにもかかわらず、リュッケルトの「亡き子をしのぶ歌 」などという 救いようもない暗澹たる歌曲集を、グスタフは ・・・とうとう完成させてしまいました。
 わたしの悪い予感が 的中したのです。

マリアンナ・マーラー
 心から可愛がっていた長女マリアンナが、若くしてお腹を痛めた わたしの最初の娘が、5歳の誕生日を迎える前に ジフテリアで急死してしまったのです - わたしには 偶然のこととは思えませんでした。


   二人の兄弟が 森へ出かけていった、
   その花をさがしだそうとして ―
   弟はやさしい、おだやかな心の持ち主だったが
   もう一方の兄は 呪いを吐くことしか 能がなかった

   おお、騎士殿、心のねじくれた騎士殿よ、
   おお、呪いを吐き散らすのは いい加減におし !
   呪いを吐き散らすのは !



 今、思い返すと これがすべての引き金になった気がします。全部グスタフのせいだ。こんな無神経な夫を わたしは 決して許すことは出来ない・・・ そう思うと、夫の いつもいつも高飛車な話し方や口ぶりも、その尊大な考え方も、せかせかした歩き方も、大げさな身ぶりや手ぶりも、どんなときも上から目線で 格好つけた眼差しも、そのくせ下手な筆跡も、落ち着かない食事の仕方から食物をくちゃくちゃと咀嚼する音さえも、その挙句 体臭や口臭から髪の臭いまで 夫への反感や嫌悪感が、もう耐えきれなくなるほど 急速に膨れ上がってしまったのは、この不幸なできごとが起きてからのことでした。


   兄弟二人は しばらくは連れ立って歩いていたが、
   やがて わかれわかれになった
   二人は競ってさがしはじめた
   森に入り、荒野に出て !

   あわただしく駆けめぐる二人の兄弟よ、
   どちらが花を見つけることやら ?



 夫グスタフもまた 妻であるわたしの 自分に対する態度が 徐々によそよそしいものへと変わってきたことを、きっと肌で感じ取ったのでしょう。そう言えば、その頃には わたしのことを まるで腫れものにでも触るように意識し始めていたことを憶えています。
 それを良いことに、わたしは ひとり保養に出かけた温泉地で、4歳年下の若く逞しい情熱的なドイツ人の青年建築家ワルター・グロピウスと出会ってしまったのでした。


   弟は 森や荒野を踏みこえて進んだ
   それほど長くは歩かないうちに
   まもなく遠くから その赤い花が
   しだれ柳の根もとに咲いているのが見えた

   彼はその花を帽子に挿し、
   ひと休みしようと身を横たえた
   ひと休みしようと !



 ああ、どうしてわたしは マーラーより先に この若者と出会わなかったのだろう !  わたしは 彼に求められるまま、もうまるでタガが外れたかのように、この夫以外の男性を 深く受け入れたのでした。気がつくと、わたしは 今まで経験したこともないくらい 「わたし自身 」が 濡れて潤い 溢れていたことにも驚きましたが、年下の青年は それを わたしが恥ずかしがって 隠そうとすることを 許しませんでした。 精悍で引き締まった若い肉体に わたしは情熱的に組み敷かれ、激しく抱き合ったまま お互いの汗に濡れた身体を貪るように奪い合い、与え合い、激しく熱い口づけを交し合い、やがて官能の川底に深く沈みながら わたしたちは 罪深い喜びの声を 幾度もあげつづけたのです。

ワルター・グロピウス Walter Gropius アルマ・マーラー Alma Mahler
 ああ、「男性 」とは、わたしたちの子宮の奥底で、これほどまでに 心地よく跳ね返すリズムと音楽的な拍動を繰り返し、これほどまでに 熱き雄叫びをあげながら のたうちまわり、これほどまでに 魔的で絶倫な存在だったとは、そしてまた「男性 」の「性能 」に これほどまで 個人差があったとは、今まで まったく知りませんでした。
 そして わたしは 「わたし自身 」が、実は 未開地も同然だったということを 初めて 教えられました。だって、その青年グロピウスの あまりにも素晴らしい「性能 」を誇る「男性 」に出会うまでは、わたしの唯一人の交情相手は 20歳近くも年上の くたびれた夫ひとりだけだったのですから - そんなマーラーと過ごしてきた すべての夜が、果たして わたしにとって 何の意味があったのだろう、とさえ思いました。
 わたしは、自分自身の若い肉体が はち切れんばかりに美しく輝いていた筈の季節を 今まで意識せず 無為に過ごしてきてしまったことを、そして それをすでに失ってしまった 7年間もの歳月を想うと、後悔にさえ似た 切ない感情が 胸の裡に湧きあがってくるのを感じました。それは まもなく静かな怒りへと変容を遂げました。
 くそ、マーラーめ、よくも わたしの青春を奪ったわね。思い知らせてやる。取り返さなければならないわ。なぜ今まで気がつかなかったのかしら、わたしのような 美しく成熟した健康な欲望をもつ女にとって、恋愛関係の相手を選ぶことは、実は 優れた芸術的才能を秘めた男性に出会うのと同じこと、いえ、それ以上のことだったということに。 ああ、わたしは選択を誤っていた ! ウィーンで最高の教養を身につけていることを自負している、このわたしの美しい肉体に 相応(ふさわ )しい悦びを与える権利を有する男性とは、少なくともグスタフ・マーラーなんかではなかったんだわ (鼻息 ) !


   粗暴な気性に急き立てられて、
   兄は荒野をやみくもに歩きまわった
   やがて夕闇がせまる頃になって
   彼は 緑のしだれ柳のところに来た !

   おお、たいへんだ、彼が見出したのは
   そこに眠っている者の 帽子の緑のリボンに挿した赤い花だ !



 わたしは、夫に 今までずっと 自分の頭を抑え続けられてきましたが、ついにその手を振りほどける時が来たことを知りました。そして「ささやかな 」復讐をすることを決意したのです。
 まず、「夫とは別れるから 」などと偽って( わたしは世間体を慮って、社会的地位もある夫と離婚することまでは 毛頭考えていませんでしたから )巧みにグロピウスをも欺くと、彼の わたし宛てのラヴレターが、夫マーラーに「親展で 」届くよう慎重に手配したのでした (笑 )。
 案の定、これを開封したことによって起爆装置の信管を抜いてしまったマーラーは、ショックのあまり自信喪失状態となりました。見事、彼はその夜から 絵に描いたような不能者となり果て、立ち上がれない情けなさ 不甲斐なさが わたしの 夫への嫌悪感を さらに深めたのでした。
 そうです。今や、夫マーラーの苦しむ泣き顔を見ることが、わたしの荒んだ心を癒す薬の代わりでした。


   おお、心たのしませる夜うぐいすよ、
   まがきの蔭のこばしこまどりよ、
   お前たちは その歌声で、あの気の毒な騎士の目を
   さまさせようとしているみたいだ !

   帽子のうしろの赤い花よ、
   お前は きらきら輝く、まるで血のように !



 グスタフ・マーラーの生涯最後の数年間、彼がわたしに対して捧げ続けた 過剰なほどの愛情表白と崇拝には どこか狂的なところさえあり、とても正常な人間のものとは思えませんでした。わたしを失いたくない一心で、卑屈なほど 妻への態度を軟化させ、ありとあらゆる方法で わたしを引き留めようと、文字どおり必死になっていました。
 それは、飼い主の足元に追いすがって きゃんきゃん鳴き続ける 哀れな子犬にも似て、わたしは お望みどおり (笑 ) その頭文字Mの尻尾を思いきり踏んづけてやると 無慈悲に蹴飛ばしてあげましたが。
 そう、たとえば 結婚後ずっと禁止していたはずの「作曲 」という封印を かくもあっさりと解いたばかりか( その転身の安易さにも 心底 腹が立ちましたが )、わたしの作品出版の途(みち )を用意しようと マーラー自身が出版元や関係者の間を駆けまわるなどといった異常な行為は、形勢逆転の ごく一例に過ぎません。真夜中、私の枕元に 誰かが 幽霊のように立っていることに気づいたので、思わすびっくりして大声を上げると、なんとそれは マーラーで ( その頃は もうすでに 寝室を別にしていたのよね - 笑 )彼は ミュンヘンでの初演が大成功を収めた 第8交響曲 - 千人の交響曲 - を わたしに献呈したいのだが 良い考えだろう、などと 突然 その暗闇の中で呟くのでした。ああ、もはや新婚当初には想像もできなかったほど、その ありとあらゆる変貌ぶりは 傷まし過ぎて、もう笑うしかないほどでした。


   一つの眼が 凶悪な喜びにぎらりと光った
   その輝きは 正直に彼の内心を表していた
   兄の腰には 鋼鉄の剣が吊るされていたが、
   今や彼は その剣をひき抜いた
   鋼鉄の剣を !

   しだれ柳の下で、兄は 笑い声をあげた
   弟は ほほえんでいた、夢をみているように



 そういえば その頃には、こんなこともありましたっけ。
 マーラーと最初にニューヨークに滞在したとき、わたしたちが渡米する 少し前 マンハッタンでホテル火災が起き、そこで 多くの被災者を救出する代わりに、ひとりの消防士が身代わりとなって殉職したのだそうです。
 翌週の日曜日、この悲劇の英雄を悼む葬儀の列が わたしたちの宿泊しているホテルに面した大通りを 粛々と進んできましたが、これを11階から見下ろしていた わたしたちの部屋の窓の まさしくその真下で 葬列は一旦停まると 弔意を表する大太鼓が ゆっくりと間をおきながら 二発、三発と、強く鳴らされました。そのドラムは 全体を大きな黒い布で覆っていたため、ミュート(消音 )がかかった、とても独特の鈍い音色でした。そのドライな音は、静寂が支配する朝のニューヨーク、セントラルパークの上空 高くにまで響き渡るように聞こえました。その時、わたしの隣で この光景を見ていたマーラーが、突然苦しそうに わたしに話しかけてきました。
「ね アルマ、僕の葬儀には あの大太鼓の 消音を施した音を思い出しておくれ・・・ 」
「はあ ? 」
もうあまりにもウザいので 耐えられず、わたしは そんな彼の泣き言は 一切 無視しましたが(笑 )。


   花たちよ、夜露のせいで そんなに濡れて
   重く頭(こうべ )を垂れるのか ?
   それは おそらく 涙であろう !



 意図的に苦しみを与え続けた結果、短期間のうちに マーラーがあまりに衰弱し切ってしまったことに、わたしはとても満足していました。
 それでも夫の症状が 肉体的にも精神的にも かなり酷いことになってきたため、口でこそ「グロピウスとはもう別れました 」、「わたしには あなたが必要なの、グスタフ 」などと嘘をついてやりましたが、実際には 依然 飽きることなく 月に数回の密会を続けていたグロピウスとわたしは、互いの若い肉体の 熱い渇きを舐め合うように潤(うるお )し合っていたのでした。
 さらに 残酷なことに、わたしは そんな罪深い行為を わざと知らしめる証拠を - ホテルの領収書とか乗車券などを - マーラーの目にも触れやすい場所へ わざわざ置いておいたりしたほどですから、きっと夫は その都度 衝撃を受け、打ちのめされていたことと思います(笑 )。


   風たちよ、なぜそんなに悲しそうに
   吹き寄せてくるのだ ?
   お前たちは 何を囁き、何を語ろうとするのか ?


フロイトに受診するマーラー
 溺れる者は藁をもつかむ - というように、マーラーは 自分の衰弱した身体を奮い立たせ、高名な精神分析医フロイト博士の診断を受けに はるばるオランダまで救いを求めに出かけましたが、まあ、果たしてどうだったのかな、結局 気休めにしかならなかったのではないかしら。なにしろ その留守中にさえ「わたしたち 」は、絶えず交わしていた手紙の往信を使って素早く連絡を取り合うと、僅かな時間も惜しんで まるで二頭の獣が激しくまぐわうような逢瀬を情熱的に重ねていたのですから(笑 )。


   森の中に 緑の荒野に、
   年古りし 一本のしだれ柳が立っている



 で、それから間もなくのこと、わたしへの報われぬ渇愛と嫉妬、疎外感、後悔の念などに さんざん悩み苦しみ抜いた挙句、グスタフ・マーラーは 孤独の淵に力尽き、遂に倒れました。享年50歳。

晩年のマーラー アルマ・マーラーAlma_1900
 晴れて自由の身となった わたしは、女盛りの健康な32歳 - こんな奔放な若い妻が与え続けた 過剰なストレスが原因で、重い心臓病を患っていたマーラーが 身も心も消耗して、その死を早めたことは 言うまでもありません。わたしの耳には、マーラーの最期の言葉が 今も 弱々しく聞こえる気がします。
「アルマ・・・ きみのために生き、きみのために死す ! 」ですって ? (笑 )。


 文中に コラージュさせて頂いた詩(青字 )は、グスタフ・マーラー作「嘆きの歌 Das Klagende Lied 」(西野茂雄氏の訳に、発起人が 若干 手を加えたもの )の引用です。

次回 「第2部 : Der Spielmann 吟遊詩人 」 につづく

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