本記事は 7月 9日「 注目記事ランキング クラシック音楽鑑賞 」で 第1位 となりました。
皆さまのおかげです、これからも 何卒よろしくお願い申し上げます。



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短い小説 「指揮者になりたい 」
小澤征爾_幻想 ボストンSo.(D.G.) 小澤征爾_マーラー第1番 ボストン(D.G.) 小澤「惑星 」(PHILIPS)
「日本のクラシック専門店に行けば、叔父さんとボストン交響楽団のレコードは、必ず並んでいるよ 」


■ 登場人物
 小澤健二 小澤征爾
 「Kenji 」  「オレ

以下の物語は、発起人による フィクションです。
モデルのお二人に 心からの敬意をもって、このストーリーを捧げます。


(1)
 1980年だったか・・・ いや、まだ79年だったような気も - 。 とにかくその頃の 忙しい夏のこと。

 かつてオレも東京にいた当時は、よく一緒に遊んでやった甥のKenjiも もう6年生になったという。小学校最後の夏休みを利用して 日本から遠く離れたボストンまでやって来るという 成長した甥っ子を、この地で6年以上も仕事を続けているオレが 数日間 預かることになったわけだが、Kenjiとは顔を会わせるのも久しぶりだったから、空港で会っても 果たしてすぐに判るかどうか 心配していた。

 ボストンは、ご存知のとおり、アメリカで最も歴史の古い街のひとつだ。
 ニューイングランドの経済と文化・芸術の中心地でもあり、市内周辺地域には ボストン美術学校、マサチューセッツ美術大学の他、有名なバークレー音楽大学、ボストン音楽学校など、美術・音楽関係の学校もたくさんある。
 ボストン市民が世界に誇る有名なオーケストラがあり、オレは日本人としては初めて そこの音楽監督に就任して かれこれ6年、以来 無我夢中でこの大役に取り組んできた。
 幸い 支持してくれる人々、団体、スポンサーがたいへん多く、何より楽団員の殆どが オレのことを好意的に迎え入れてくれたことには 深く感謝しなければならない。これまで自分自身の音楽修得への努力は怠らなかったという自負はあるが、とにかく ひたすら一生懸命 誠実に務める日々だった。

 そんな叔父であるオレの影響なのか、どうやらKenjiは 将来 指揮者になりたいという大志を抱いているという。この夏のボストンの観光地を巡る旅行の 最大の目的のひとつが、実は オレのオーケストラ・リハーサルを見学することだそうだ。

 正直 翌週以降には クーセヴィツキーの時代から毎年恒例の行事となっているタングルウッド音楽祭への準備が控えている 多忙な身ではあったが、かわいい甥っ子が わざわざ日本から来るというのだ、空港まで オレ自身で迎えに出向かぬわけにはいかないだろう(って、二重否定の肯定文だ )。
 Kenjiのやつ、ひとりで飛行機に乗るのも初めてだそうなので、かなり緊張したに違いないが、後で聞いてみると 日航の親切な搭乗員の方々のおかげで 無事に目的地である当地に到着できたのだという。空港で飛行機の無事を確かめたときに感じた安堵の感情は、忘れがたい。顔を見るなり ああ 紛れもない、兄貴の子だ、けんちゃんだと、一目で判ったものさ。
 Kenjiオレが 直々(じきじき )迎えにきたことに気づくと とても驚いていた。空港ターミナル内の広い待合所で一人、どこを向いても外人ばかりの(・・・と言っても ここでは 東洋人であるオレKenjiのほうが“外人”であるわけだが )人波の中、遠くから大声で呼びながら 元気いっぱい両手を振り回して合図する オレの存在にやっと気づいた瞬間、おそらく喜びと安心のあまりか 涙を流さんばかりの表情になった。
「叔父さん ! 」
「よしよし、よく来たな ! 」
オレKenjiの肩を抱くと、重たい荷物を一つ 持ってやった。
「親父さんやお母さんは 達者でいるか? 」
「うん ! 」


「叔父さんの活躍は日本でも評判だよ。クラシック・レコードの専門店に行けば、イエロー・レーベルからリリースされてる叔父さんとボストン交響楽団のレコードが 店頭の新譜コーナーには必ず並んでいるんだよ 」
他ならぬ甥っ子に誉められ、さすがのオレも 少しばかり鼻が高くなった。
「Kenji、お前は 何か楽器をやってるか 」
「ピアノ、それから フォーク・ギターやエレキ・ベースも弾けるよ 」
「でも大きくなったら、俺みたいな指揮者になりたいんだって 」
「うん、だってオーケストラの指揮者って、ほんとミラクルだよね。記号しか書かれていない設計図だけを頼りに 指揮棒一本で大勢の演奏家を操って、それを形にしちゃうんだもん。すげえや! 」
「そんなふうに見えるものかな。まあいいや、腹が減っただろう、何か美味いものをごちそうしてやろう 」
「わーい 」


(2)
 その晩、ボストン・ハーバーの夜景が一望に見渡せる 老舗のシーフード・レストランで食事しながら、オレKenjiと かなりまともな音楽談義を交わすことになった。小6の子ども相手だったら 大したことあるまいと 正直 軽く考えていたオレだったが、こいつは想像していたよりずっと音楽について勉強しているなあ、しかも かなり詳しく いろいろ知っていることに、少なからず驚いてしまった。
「叔父さんは レナード・バーンスタインの副指揮者を務めていたんだよね 」
「そうだよ、1962年の5月までだから、もう17~18年も昔のことになるけど、ニューヨーク・フィルの練習指揮者として飯食ってた。」
「すごいなー。常任指揮者に不都合があれば、いつでも代わってタクトを振らなくちゃいけないんでしょ 」
「うん、あの頃は 俺もまだ経験が浅くて 大変だったよ。実際 副指揮者に就任してすぐ こんなことがあったな - バーンスタインが体調が悪くなったというんで 俺に緊急の警戒体制が指示された、そのシーズン全部のレパートリーをいつでも指揮できるように さらっておけっていうんだよ 」
「へえ、それは大変そうだね 」
「たいへんなことさ。何十回か開く予定になっている音楽会は みんな違うプログラムだし、いわゆる現代音楽の全く未知の新曲だってある 」
「その時 叔父さん、どうしたの 」
「そりゃもう やるしかないだろ、寝る間も惜しんで徹夜したり、楽旅(ツアー )移動の汽車の中だろうがバスの中だろうが、とにかく朝から晩までスコアと首っぴきだったよ 」
「うわー・・・ それで ? 」
「どうにか全部のスコアに目を通して、まあ予習OK、ああ やれやれと思っていたらね・・・・ 」
でかい ボイルド・ロブスターが盛りつけられた皿を前に フォークとナイフの手を止めて、真剣な表情で聞いているKenjiの顔に気づくと、そこでオレは 急に 思い出し笑いを抑えきれなくなり、話を続けるよりも先に 自分が噴き出してしまった。
「ぷっ 」
「いやだなー、叔父さん。どうしたんだよ 」
「えへへ、ごめん ごめん。その段階でさ、どうやらバーンスタインの病気がウソだということがわかったんだ 」
「ええ~ ? ! 」
「な、バーンスタインったら ホテルのロビーに出てきて 俺ともう一人の副指揮者のやつれた顔を見て、思い切り笑ってるんだから。って、ヒドい話だろ? 若い副指揮者を訓練するための仮病だったというわけなんだよ 」
「嘘も方便ていうヤツですか 」
「おかげで 俺のほうは損したんだか 得したんだか、わからない気になったものさ 」
「へええ、おもしろいなー、バーンスタインって ぼくの思い描いていたとおりの人だ 」
「Kenjiは、バーンスタインの演奏を、やっぱりレコードで聴いてるのか 」
「うん、大好きさ。とにかく格好いいもん 」
「若手のカルロス・クライバーあたりと比べたら、どうだ 」
「クライバーは将来の期待株だけど、バーンスタインのレパートリーの幅広さと比べたら、今は全然 勝負にならないね 」
「言うねい、おい 」
「バーンスタインも 最近はヨーロッパでライヴ録音する機会が増えてきたみたいだけれど、でもやっぱりレニーを聴くなら ニューヨーク・フィルを振っていた若い頃のレコードのほうが 僕は好きだなー 」
「お前、何を聴いたんだ? 」
「ドヴォルザークの『新世界より 』がスゴいんだよ、あの猪突猛進に突っ込んでくる第一楽章導入部の真に迫った凄い迫力は バーンスタイン自身でも二度と再現できない記録だったんじゃないかな 」
「そうか、バーンスタイン / ニューヨーク・フィルの『新世界 』は 面白かったか 」

Young、 Leonard Bernstein バーンスタイン「新世界より 」CBS-Sony
「うん。特に第三楽章のリズムが最高。のりのりにスウィングしまくってて、とにかく めちゃくちゃ格好良いよ。あの録音のスケルツォったら どうしてセカンド・ヴァイオリンのピッツィカート、あんなに弾(はじ )けてるんだろ 」
「たしかに あそこでのニューヨーク・フィルの弦セクションの刻みは 他では聴けないよな。Kenji、お前 バーンスタインの『春の祭典 』聴いたか 」

ストラヴィンスキー「春の祭典 」バーンスタイン ニューヨーク・フィル 国内盤 バーンスタイン 春の祭典_交響楽団(1972年 CBS )盤
「うん、もちろん。レニーの『ハルサイ 』なら、ロンドン交響楽団との再録音より やっぱりニューヨーク・フィルとの旧盤の方が ぼくは数段好きだけど。ね、叔父さん。バーンスタインって すごい人だよね 」
「おう。その音楽と同じで、力強く、そして人柄も素晴らしく、演奏にも強いオーラがあったな 」
「ふううん、そうだろうな。それで それで 」
「博学で、舞台、映画、文学、絵画、音楽、あらゆる芸術分野に誰よりも秀でていたし、とにかく知らないことなど 何もなかったな。音楽にしたって クラシックだけじゃなかったんだぞ、ベニー・グッドマンの高い技術について、ルイ・アームストロングの吹奏スタイル、デューク・エリントンの新しい 厚い和声、チャーリー・パーカーの優れた即興、マイルス・デイヴィスの新しいものを見抜く先見性、そしてデイヴ・ブルーベックの斬新なアイディア… と ホント何でも知っていたし、自分でも演奏できた。とにかく説得力があったな。そして驚くほど心も広く、包容力もある人だったんだよ 」
小澤征爾とレナード・バーンスタイン_ 「ボクの音楽武者修行(新潮文庫 ) 」より
若き小澤征爾(左)とレナード・バーンスタイン_ 「ボクの音楽武者修行(新潮文庫 ) 」より

「明日は 朝から 叔父さんのオーケストラ・リハーサルを見学できるんだよね、楽しみだなあ 」
「今夜は お前と音楽の話ができて とても楽しかったよ。もちろん 俺の見る目とはあちこちで違うところもあるんだけど、なんというか 『なるほど、こういう見方もあるんだ 』という、その違いのあり方が 俺にとっては 新しい体験だった 」

 こうして 甥のKenjiにとっては 初めてのボストンの夜が更けた。


(3)
 翌朝、シンフォニーホールでのリハーサル開始に当たって オレはボストン・シンフォニーのオーケストラ・メンバーに甥のKenjiを自己紹介させた。
「アイ’ム・リヴィン・イン・カナガワ。イレヴン・イヤーズ・オールド 」
すでに事務局から内諾は得ておいたものの、この微笑ましい挨拶に 楽員たち全員から好意的な拍手が自然に湧き起こり、特別に見学許可を与えることが出来たオレは、Kenjiを預かる叔父の立場として ひとまずホッとした。
 稽古の演目は、翌週からタングルウッドで演奏する予定になっているプロの一つ、モーツァルトの歌劇「魔笛 」序曲だ。Kenjiもよく知っている曲であるらしく、無人のホールの客席にひとり座って 熱心にリハーサルの様子を観ていたようだったが、そのうちオレのほうは 徐々に楽員との稽古に熱が入り、思わず 甥っ子の存在を忘れがちになってしまった。
 なにしろ 今日のリハーサルは昼までの予定だし、来週タングルウッドへ行くまでにシンフォニーホールで しかもフル・メンバーで合わせられるのは これが最後の機会だったからだ。とは言っても 予定プログラムは すでに手慣れた演目が中心だったから、オレにもオーケストラにも過度な緊張感はなかった。それでも 仲間たちと音楽づくりに没頭するうち、時間は 瞬く間に過ぎる。
 最終的な確認も無事に終えた頃、ようやくKenjiのことを思い出したオレは、 客席にぽつんと座っている甥っ子に 声をかけた。
「どうだ、Kenji ? せっかくの機会だから、少しだけ ボストン・シンフォニーの指揮台に立ってみるか 」
稽古を仕上げた気安さで、楽団員達も皆 楽器を片付けるのを中断すると、この小さな「指揮者のたまご 」に温かい眼差しを向けながら 頷(うなづ )いてくれた。
「え、いいの? 叔父さん 」
「今日だけ。特別だぞ 」
だが Kenjiのやつ、喜んで指揮棒を振りまわすかと思いきや、意外なことに、何だか躊躇(ためら )っている様子だ。どうしたんだろ。
「ええと・・・ 『魔笛 』の序曲を振るんだよね、叔父さん? 」
「ああ、お前も よく知ってる曲だろう? 大丈夫だよ、初めてでも。俺が隣に立って 一緒に拍子を取ってやるから 」
指揮台の脇で、Kenjiは おそるおそる口を開いた。
「・・・最初の3つの和音の振り方が ぼく、わからないんだ 」

Mozart_Die Zauberflöte

「和音と和音の間にある休止にはフェルマータがついているから 十分に間を取りながら、タクトを3回振り下ろせばいいんだよ 」
と、オレがお手本を示そうとすると、Kenjiは首を横に振った
「そうじゃないんだ。ここで リハーサルを聴いていて思ったんだけど、叔父さんの解釈は、カール・べームが1964年にベルリン・フィルを指揮したグラモフォン・レコードでの演奏に似てると思った。二つ目と三つ目の和音の前に それぞれ付いてる 短い16分音符を、実際には 8分音符くらいの音価まで 叔父さんは 長めに取っていたじゃないか 」

ベーム盤「魔笛」パパゲーノはF=ディースカウ(D.G.)
「魔笛 」カール・ベーム(D.G. )盤 
 Kenjiの指摘したとおりだった。コイツ、そんなことまで考えていたのか、とオレは半ば呆れつつ 半ば嬉しくなってきた。 ベーム(D.G. )盤の冒頭がどんな演奏だったかは 記憶になかったが、たしかにオレたちは Kenjiが言うとおり16分音符を長くテヌートさせていた。
「ぼく、あそこは 16分音符 本来の『短さ 』を強調したいんだ、二つ目と三つ目のトゥッティの和音に あたかも『前打音 』が付いてるくらいなイメージで。でも それをどうやって指揮したらいいか、ぼくには わからないんだ 」
Kenjiは困った顔になっていた。だがオレには 彼の演(や )りたがっている意図は判った。
 そこで コンサート・マスターのシルヴァースタインとボストンシンフォニーの連中に、冒頭の三つの和音を 甥の希望通り 一度だけつき合ってやってほしい、と英語で頼んだ。
「ええと、『魔笛 』冒頭 アダージョ、具体的には さっき演ったような ① ターン、② パン、パーン、③ パン、パーン・・・ではなくて、こうです。 ① ターン、② パ・パーン、③ パ・パーン・・・と。Did you get that ? All right, Let's go ! 」
楽団員たちは頷いてくれた。オレKenjiに向き直って、促した。
「大丈夫だ、さあ やってみろ 」
だが、それでもKenjiは緊張が解けない様子で、今度はこう言った。
「いや・・・やっぱりダメだよ、叔父さん 」
「こんどは何だ ? 」
「ぼく、どこで ティンパニが入るのか、全部は頭の中に入っていないもの。休止の多いトランペットやホルンにも アインザッツを正確に与えられるかどうかだって自信ないし。それを考えたら 何だか急に怖くなって・・・ 」
・・・普通できなくて当り前だ、ましてや いきなり暗譜で振ろうなどと考えているのか、お前は まだ子どもで プロじゃないんだから - と、心の中でオレは思ったが、でも 頭のどこかで ある意味、なかなか大したものじゃないか - とも感じていた。だって 音楽の何たるかが解っているからこそ、また指揮者の役割の重大さも解っているからこそ、今Kenjiが感じている不安こそ 真実なのだから。
 それでも「自信がない 」という言葉だけは、残念ながら 指揮者としては致命的だった。オレは、自分が遊び半分で Kenjiを指揮台に上げようとしたことに気づいて 少し後悔しつつ、彼の小さな肩を 静かに たたいた。


(4)
「 - 指揮者は 何より自信を持たなければいけない。その判断基準とは 作曲者の視点に立って 目前のオーケストラを引っ張ってゆくことだ 」

 Kenjiが そのあと 当初の予定どおりにボストン観光を終え、日本へ帰ってしまう その日の午後、空港のティールームでコーヒーを飲みながら、オレは ボストンシンフォニーとのリハーサル以来 落ち込んでいる甥っ子を励ましながら、指揮者とはいかにあるべきかを 話題にしていた。
「大丈夫だよ、Kenji。 ただリズムと拍子だけを しかもオケに合わせて振ってるだけの、素人に毛が生えた程度の『似非(えせ )指揮者 』だって世間には いるかもしれない、けれど そんな奴らより ある意味では お前のほうが よほど 音楽に対して 誠実だと俺は 思う。
「しかし それでも 不安を克服した上で、指揮者は 楽団員を常に納得させて演奏に向かわせなければならない。たとえ少人数の室内オケだろうと100人以上の合唱を伴った大編成であろうとも 一つにまとめなければならないんだ。
「そうそう、大指揮者で マーラーの弟子だったブルーノ・ワルターが、晩年のインタヴューで とても興味深いことを語っているんだよ、って そう言う この俺も ヴァイオリニストのアイザック・スターンから 実は 教わったんだけどさ・・・ ( 以下、青字の文章

Bruno Walter Wien 1912 ベートーヴェン第9 ワルター盤(ソニー・クラシカル SICC-1069 )
ブルーノ・ワルター Bruno Walter の言葉
『演奏家とは 幼い頃から 青春時代のすべてを費やして 自分の楽器を習得し、技術を磨いてきたはずです。しかし指揮者は 指揮台で自分が演奏するわけにはいきません。指揮者の楽器とは 百以上の頭を持った竜のようなものですから、始めから思うように 扱いこなせるわけがありません。
『ですから 駆け出しのうちは緊張の連続です、それを克服するには ひたすら何年も経験を積み重ねてゆくことだけです。
『指揮者の課題とは、いかに人を動かすか、ということです。演奏家に対して 言葉や動作や目つきでどう訴えるかにかかってきます。
『それには 指揮者の人間性が 大きく関わっています。もし心温かく 誠実な人柄であれば、オーケストラは たとえ自分たちのほうが 年齢も経験も音楽的見識も遥かに上だったとしても、きっと素直に耳を傾けるでしょう。
『もし 指揮者が自然を愛さず 草原や小川のせせらぎを知らなければ、ベートーヴェンの田園を指揮することはできません。また もし 指揮者が情熱を持たず、エクスタシーを知らなければ、トリスタンとイゾルデを振ることは 決して出来ないでしょう 』


「 - な? ワルターの言葉って、とても含蓄深いだろう。
「Kenjiに すごく当たり前のことを言うけれど、音楽は 指揮者がひとりで作ってるわけじゃないんだぞ。 もし『 指揮棒一本で大勢の演奏家を操って 』いるように見えたとしたら、それは お前が 物事の一面しか見ていないってことだ。指揮者は 演奏家を信頼し、演奏家と一緒になって 音楽を形にするんだ。だから良い演奏ができたとしたら、それは 指揮者と演奏家との人間関係がものを言い、さらに それが良いコンサートだったとしたら、その場合は 指揮者、演奏家、加えて 質の高い聴衆の存在という三者の関係が素晴らしかったということになるからなんだ 」
「ね、叔父さんは - 」
と、Kenjiは、コーヒーカップにクリームを注ぎながら、ようやく 顔を上げた。
「うん? 」
「叔父さんは 一体 どこを目指しているの 」
唐突で抽象的な質問だ。オレは一瞬 どう返そうかと 言葉に詰まったが、ゆっくりと考えてから、子どもに対しても誠意をもって 答えた。
「そうだな、実は 俺には ひとつの問題意識があるんだ。一人の日本人である俺が 伝統を持たない西洋音楽を一体どこまで理解出来るんだろうか、どこまで表現出来るんだろうか、そして西洋音楽の本場で 果たして どこまで通用するものだろうか、俺自身の存在が そのための実験台だと思っている。行けるところまで行ってみるさ 」
「ゆくゆくは ウィーン国立歌劇場の音楽監督にまで登りつめるかも? 」
と、Kenjiが元気を取り戻してきたので、思わずオレも つり込まれて一緒に笑ってしまった。
「はは、それは 俺の運と努力次第さ 」
「偉いなあ、叔父さんは - 」
「お前もがんばれよ、Kenji 。俺なんかより 全然若いんだからな 」
「はい! 」
Kenjiが乗る予定の飛行機へのチェック・インには まだ余裕があったので、オレは ウェイトレスに手を挙げて合図すると、コーヒーのお代わりと サンドウィッチを 二人前 頼んだのさ。


遠くまで旅する人たちに あふれる幸せを祈るよ
ぼくらの住むこの世界では旅に出る理由があり
誰もみな手をふってはしばし別れる

僕は腕をふるって 君にあて返事を書いた
とても素敵な長い手紙さ
( なにを書いたかはナイショなのさ )


ぼくらが旅に出る理由 」より
(作詞、作曲 : 小沢健二

小沢健二 スケルツォ倶楽部_0002

この物語の登場人物は、実在する小澤征爾、小沢健二の両氏ですが、
文章は 完全なフィクションであることを お断りします。
勝手ながら、モデルにさせて頂いた お二人へ、心からの敬意をもって このストーリーを捧げます。
“スケルツォ倶楽部”発起人


― 参考文献 ―
 小澤征爾:「ボクの音楽武者修行 」(新潮文庫 )
 小澤征爾 / 武満徹:「音楽 」(新潮文庫 )
 小澤征爾 × 村上春樹:「小澤征爾さんと、音楽について話をする 」(新潮社
 遠藤浩一:「小澤征爾 日本人と西洋音楽 」(PHP新書 )
 モーツァルト:歌劇「魔笛 」序曲 総譜(日本楽譜出版社 )
 DVD:アート・オブ・コンダクティング (ワーナー・ヴィジョン・ジャパン )

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