本記事は 4月30日 「 注目記事ランキング クラシック音楽鑑賞 」で 第1位 となりました。
皆さまのおかげです、どうもありがとうございました。


スケルツォ倶楽部 
「モーツァルト 最期の年 」 
モーツァルト 最期の年     ▶ もくじは こちら


(19) 「その音、何色? 」

 再び 舞台はウィーンです。
 ドナウ川沿いに古(いにしえ )より建つ 歴史あるロマネスク様式の教会で、興行師シカネーダーのプロデュースによって 盲目の少女マリアンネ・キルヒゲスナーが 天国的な音色のグラスハーモニカを演奏するチャリティ・コンサートには 善良で熱心な聴衆が多数つめかけ、W.A.が ひそかに銀の小笛の力を借りて新しく作曲した作品たち - この特殊楽器が活躍するハ調の室内五重奏曲、そしてアンコール・ピースの短い独奏用アダージョなど - の評判も上々で、大成功を収めたのでした。

 演奏会を終えた日の夕べ、慈善事業としての成果にも大喜びの教会側が 開催関係者一同を労(ねぎら )う ささやかな晩さん会を開きました。W.A.もシカネーダーと一緒にそこへ招かれ、質素ながらも心のこもった温かい食事に舌鼓を打っていました。彼ら二人が指定された中央の三人掛けテーブルには、コンサートの花形マリアンネ・キルヒゲスナーも座っていました。
「このチーズ 美味しいね、モーちゃん! 」
幼女のように天真爛漫なマリアンネが、可愛らしい声でW.A.に話しかけてきました。
「も、『モーちゃん 』? 」
慣れない呼ばれ方に W.A.が顔を引きつらせているのを見て、隣に座ってワインを飲んでいたシカネーダーが、くすくす笑いながら、説明を加えました。
「驚くなよ、ヴォルフィ。この娘(こ )に 好かれたら、誰しもみんな 本名の最初の一字で 短く呼ばれるという決まりなんだ 」
「あはは、そうなんだ・・・ 。ええと、マリアンネさん、このチーズは チャリティに協賛してくれた、地元の乳製品商社ロイトゲープ印のチーズなんですよ 」
「だから美味しいんだね、モーちゃん。でも 今日のために用意してくれた貴方の音楽は、もっと素敵だったわよ 」
と、純粋なマリアンネは イノセントに首を傾けながら言いました。
「ど、どうもありがとう (って、チーズと比べてですか ) 」
「よかったな、ヴォルフィ 」
シカネーダーに肩を叩かれ、気を取り直してW.A.も、
「貴女の演奏も 想像していたより遥かに素晴らしいものでしたよ 」
と称賛の言葉を付け足しました。 実際、彼女のグラスハーモニカ演奏は、目の不自由な妙齢の女性が奏でていたとは にわかには信じられぬほどの技巧でした。
「わたしはね、目が見えないことを障がいとは思ってないの。たとえ光を感じられなくても わたしは自分ができることを通して 世界を広げてきたんだよ 」
ご機嫌なマリアンネは 彼らのほうに身体を向けると、そこで ひとつ重大な秘密を打ち明けるように ソット・ヴォーチェでささやきました。
「ね、他のみんなには内緒だよ。わたし 普通の人のようには見えない代わりに、人の目には見えないものを『見る 』ことができるんだよ 」
「それ、本当? 」
W.A.には にわかに理解できない話でした。
「うん。健康な視力をもった貴方がたには たとえば、そうね - そよ風の形も見えるのかしら? 」
「いやいや、風には形がないじゃありませんか。目で見たことはないですね 」
「ふふん、でも わたしには 見えるんだな、風の形が。 」
ささやくように話すマリアンネの言葉は とても神秘的でした。
「それじゃ 普通に目が見えてる貴方がたは、風が 林や丘や部屋の中を吹き抜けてゆくのを どうやって見ているの? 」
「普段 おれたちって 風の形を・・・見ているのかな? 」
シカネーダーは 腕組みをすると黙ってしまいました。W.A.のほうは 慎重に考えながら、ゆっくり口を開きました。
「そうですね・・・。 風が吹くと 木々の枝葉や草が揺れたり 水面には波が立ったりするものなんです。そういう目に見えるものの微かな動きを通して、ぼくたちは 目に見えない風の動きを『見ている 』のかもしれませんね 」
「ふうん、そうなんだ。ちゃんと目が見えていても 不便なこともあるのね 」
と、マリアンネは 少し満足そうに微笑しました。

「それじゃ、モーちゃん。この音は 何色だか見える? 」
彼女は テーブルの上のワイン・グラスを引き寄せると、薄い縁(ふち )の周囲を、その慣れた指先でくるんと丸くなぞってみせました。文字どおりグラス・ハープと同じ原理で空気が振動してヒューンという音をたてるのを三人は同時に耳にしました。
「音程的には 高いE♭(イー・フラット )なんだけどなー 」
それでも 音には色なんかついちゃいないぞ、とW.A.は困りました。
「ほら、モーちゃん。今の音、何色だった? 」
と、マリアンネは 絶句するW.A.の反応を察しながら くすくす笑っていましたが、すぐ自分から正解を告げました。
「今のE♭の音はね、野を吹き渡る涼しい夏風と同じ色をしているの 」
「彼女には 本当に音が 『見え 』ているのかな? 」
川魚料理にナイフを浅く入れながら、シカネーダーがちょっぴり疑わしげな表情でW.A.の耳元で尋ねました。この声を聞いたマリアンネは 興行主が座っている場所に顔を向けて、言いました。
「本当だよ。健康な人の目には見えないものが、わたしにはちゃんと見えるんだからね。そうだ、それが証拠に 今日のチャリティ・コンサートのお礼も兼ねて、シカネーダーさんの心の中を わたしが見てあげましょう! そこでシカネーダーさんが 今 一番知りたがっていることを 教えてあげちゃおうかな? 」
シカネーダーは W.A.と顔を見合わせました。 この娘(こ )ったら スゴイことを言いだしたぞ。
「よ、よーし、それじゃ やってもらおうじゃねえか 」
W.A.も ことの成り行きに興味津々、黙ってマリアンネとシカネーダー 二人の表情を交互に見比べています。微笑みを絶やさぬまま マリアンネは、静かに口を開きました。
「・・・ええと、シカネーダーさんは ご自分の劇場に戻りたいと思ってるでしょ。でも手ぶらでは帰れない、何か困った事情がおありなのね 」
これを聞いてシカネーダーは 思わず顔色を変え、手にしたフォークを床に落としてしまいました。
「え? あっ、そ それは・・・ 」
「ふふん、でも大丈夫。そこは 武士の情け。口には出さないことにしといてあげるから 」
と、含み笑いのマリアンネ。若い女優との軽率な浮気が原因で 共同経営者である妻エレオノーレから劇場を叩き出されたなどという 同情の余地もない身の上を、この娘(こ )は どうやって「見抜いた 」んだろ? 
「シカネーダーさんが ご自分の劇場に復帰なさるには、奥さまに対する誠心誠意のお詫びと それから成功間違いなしっていう新しいお芝居のプロットをひとつ考えて、これを持って帰ることが絶対に必要ね 」
「そ、そのとおりだ。今 オレは溺れる者が藁をもつかむ心境なんだ。頼むよ、マリアンネさん ! 」
「いいわよ。恋あり冒険あり、シカネーダーさんのところの劇場が日夜大入り満員になるような 凄い大活劇ストーリーのアイディアを、わたしがひとつ 貴方に伝授して進ぜましょう ! 」
事態の急展開とシカネーダーの態度の豹変ぶりに お腹を抱えていたW.A.は、マリアンネが新しい芝居にどんな「アイディア 」を語ろうとするのか、キャンドル・ライトが眩しく反射するワイングラスを引き寄せながら、興味深く耳を傾けました。

  ― つづく ( この物語は パラレル・ワールドのフィクションです。史実との違いを お楽しみください )


■ 今宵の音盤
Kirchgessner_Thanks to © 2008 Freia Hoffmann
 マリア・アンナ・アントーニア・キルヒゲスナー Maria Anna Antonia Kirchgäßner(1770~1808 ) - 愛称マリアンネ - 史実では この当時(1791年 )21歳、不幸な失明は後天的な病因によるもので、4歳まで視力は健康だったようです。しかし彼女の才能を見出し、育て上げた名教師シュミットバウアーの指導のもとグラスハーモニカの演奏家として有名になり、その後 彼女の名は、この特殊楽器の世界的な第一人者として パガニーニリストに匹敵するほどになったと伝えられています。
 マリアンネが 実際にウィーンでモーツァルトの新曲を演奏したのは、1791年6月10日 於ブルク劇場( 「五重奏曲K.617 」 )、および 同年 8月19日 於ケルントナートーア劇場( 「アダージョK.617a 」 )でした。当初予定されていた公演日程が なぜか急に変更となったため、モーツァルトマリエンネグラスハーモニカで自分の作品を演奏するのを聴く機会を 永遠に逃してしまい、たいへん残念がっていた - という逸話も残っています。
 アインシュタインなどは、この特殊なガラス楽器による作品を、同年の - すなわち最後の年の - 作品の一典型として、その天国的な奥深い美しさを 「アヴェ・ヴェルム・コルプス K.618 」に対比させ、絶賛する文章を残しています。

Bruno Hoffmann (VOX ) モーツァルト グラスハープ音楽(ブルーノ・ホフマン )_Archiv(ポリドール POCA-2065 )
モーツァルト:グラスハープのための音楽作品
グラスハープ、フルート、オーボエ、ヴィオラ、チェロのためのアダージョ ハ短調とロンドハ長調K.617、アダージョ ハ長調 K.617a
ブルーノ・ホフマン(グラスハープ )
グスタフ・シェック(フルート )、ヘルムート・ヴィンシャーマン(オーボエ )、エミール・ザイラー(ヴィオラ )、アウグスト・ヴェンツィンガー(チェロ )
録 音:1951年6月(K.617a )ハノーファー、1953年10月 (K.617 ) フライブルク
音 盤:Archiv(ポリドール POCA-2065 )

C/W 「12のカノン 」(北ドイツ合唱団、1955年 )

グラスハープ Glasharfe の演奏 
グラスハープ Glasharfe の演奏
今となっては いささか古いモノラル録音ですが、間違いなくガラス素材の楽器が鳴っているという音響を 近接マイクが見事にとらえた 稀有なレコーディングだと思います。その音の鮮明さには 古臭さなど 全く感じません。ブルーノ・ホフマンの指先が 複数のグラスの縁(ふち )を擦りながら 次々とまた隣のグラスに素早く移ってゆく、独特の間接音が聞こえる心地よさは、他の音盤からは 決して得られない快感です。
 なお、このディスクの国内盤ジャケットに記載されたタイトルや帯は「グラスハーモニカ 」という表記になっているのですが、残されたホフマンの演奏写真を参照したり、また実際に録音されたこの楽器の音を聴く限り、これは間違いなく 「グラスハープ 」( 水を満たした大小のグラス複数を立ててテーブルに並べ、指先でグラスの縁を擦りながら音を出すもの )です。要ご注意。


Thomas Bloch on GlassHarmonica グラスハーモニカ音楽_トマ・ブロシュ_Naxos 8.555295
グラスハーモニカのための音楽
トマ・ブロシュ(グラスハーモニカ )
収録曲:
ラルゴ(シュルツ )、アダージョ、第一組曲~「幻想曲 」、「アルマンド 」、メヌエット第2番 」(以上、ホルト・ゾンバッハ )、ロンド変ロ長調(ライヒャルト )、ソナタ第3番(ナウマン )、アダージョ ハ長調 K.617a 、アダージョとロンド K. 617(以上、モーツァルト )、「レオノーレ・プロハスカ 」の音楽 ~ メロドラマ(ベートーヴェン )、小さな音楽作品(レーリヒ )、カンタータ「音楽の勝利 」~ 三重唱(アペル )、歌劇「ランメルモールのルチア 」~ 狂乱の場(ドニゼッティ )、聖マリア(ブロシュ )
録 音:1997 ~1998年 フランス
音 盤:ナクソス (Naxos 8.555295 )

グラスハーモニカ Glassharmonica の演奏 
グラスハーモニカ Glassharmonica の演奏
このCDで使用されている楽器こそ、かつてベンジャミン・フランクリン (ジャケット写真は発明者フランクリンの肖像です )によって発明・改良された「グラスハーモニカ 」(大きさの異なるガラスのお碗をいくつも寝かせた状態で重ね、串刺しにしたものを足踏み回転させながら 水で濡らした指先を 随時 縁に当てることによって発音させるもの )、その典型的な音色です。モーツァルトの時代に マリアンネ・キルヒゲスナーが巧みに弾きこなしていた楽器とは、まさに これです。
 ブルーノ・ホフマンや わが国の 高橋美智子女史による「グラスハープ 」演奏と比較したとき、その音色との最も異なる点は、やはり「グラスハーモニカ 」に特有の美しいレガートな音のつながりや滑らかさでしょう。さらに高音の倍音が より密に鳴るのでしょうか、まるで電子楽器が響くような印象さえ持ちます。
 蛇足ながら、個人的な好みを述べさせて頂くと 私の耳には ホフマン盤に聴ける「グラスハープ 」のリアルな間接音を含む魅力的なサウンドのほうが、僅差で勝ります。


■ グラスハーモニカが 効果的な音楽
Gaetano Donizetti ドニゼッティ_ランメルムーアのルチアから「狂乱の場 」_ナタリー・デセイ_Virgin Classics(TOCE-56013)
ドニゼッティ Gaetano Donizetti
歌劇「ランメルムーアのルチア 」から「狂乱の場(あの方の声の優しい響きが ) 」
デセイ 「イタリア・オペラ・アリア集 」より
  ナタリー・デセイ(ソプラノ )
  サシャ・レッケルト Sascha Reckert(グラスハーモニカ )
  エヴェリーノ・ピド 指揮 / コンチェルト・ケルン
録 音:2007年7月28日、8月5日 ケルン
音 盤:Virgin Classic(TOCE-56013 )

 ドニゼッティの有名な「ルチア」の「狂乱の場 」、今日では ヒロインのソプラノ独唱にフルートのオブリガートが伴奏するという演奏形態が当たり前に普通ですが、知る人ぞ知る作曲者が 当初書いたオリジナル譜では、何と(フルートではなく )グラス・ハーモニカによる伴奏(! )でした。
 そうなんです。このデセイ(Virgin )盤は、元々作曲者が意図したとおりの、まさに「天上の響き ( Un'armonia celeste, di', non ascolti ? ) 」で「狂乱の場 」を聴くことができる、数少ない貴重なディスクなのです ( 上掲 トマ・ブロシュナクソス盤においても、モンセッラ・サンロマのソプラノ、エットーレ・ボッリのピアノによる版でしたが、しっかりと収められていましたね )。

 これを聴いて思い出すのは、当時 この楽器グラスハーモニカの あまりにも美しい音色のせいで、多くの人々が神経障害や鬱病を発症し、社会問題にまでなった、という実話です。 「その甲高い響きが死者の魂を呼び寄せて神秘的な力を宿らせたとか、聴いた人の頭をかき乱しておかしくしたと口々に言い始めるようになってしまった。更には演奏会場で子供が死亡するという事件まで発生してしまい、その事件をきっかけに、ドイツのあちこちの地方で警察当局が全面的にアルモニカ演奏の禁止令を発令するまでに発展、(中略 )演奏しているのを発見されると逮捕される始末であった(Wikipedia ) 」 - この楽器による精神障害への影響について、科学的な根拠など説明されてはいないのですが、しかし「ルチア 」の作曲者ドニゼッティが 当初のグラスハーモニカという楽器指定を わざわざ線で消してフルートに換置したことは、このような当時の社会情勢への配慮があったのではないでしょうか。
 なぜなら、実際に この天国的な楽器の音色でオブリガートされる歌唱を聴けば、政略結婚の犠牲になったヒロインの少女が 初夜の床で無理やりの結婚相手を 錯乱の末に刺し殺してしまった後の まさしく「イッちゃった 精神状態を描く放心の場面に、これほどまで効果的な楽器選択はあるまいと、ホント納得させられてしまうからです。
 グラスハーモニカの澄み切った音なればこそ、「狂乱 」の末 返り血を全身に浴びて立ち尽くす悲劇の女性ルチアが 辿り着いた果てに見た彼岸の景色を 初めて示現し得るのです。それは、今日 習慣となっている フルートなどでは 決して代替できない機能だったのです。


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