本記事は 3月 8日 「 注目記事ランキング クラシック音楽鑑賞 」で 第1位 となりました。
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スケルツォ倶楽部
名優ゲアハルト・シュトルツェの演技を聴く
 オルフ「オイディプス王」(クーベリック)D.G.ゲルハルト・シュトルツェ(最小サイズの肖像写真)   目次は こちら

(40)1978年、最後の映像を もう一度 見直し、
   シュトルツェの 体調を考察する

 ’指揮台のカラヤン 1970
映画「ラインの黄金」(カラヤン監督 )DVD 
▼ 詳しいデータは、こちらを ご参照
⇒  (37)シュトルツェの演技を 「観る 」 カラヤン - 映像版 「ラインの黄金 」  

最後の演技は、カラヤン監督の 映画「ラインの黄金

映画「ラインの黄金」(カラヤン監督 )

 1978年11月 ゲアハルト(ゲルハルト )・シュトルツェは、ヘルベルト・フォン・カラヤン監督の 映画「ラインの黄金 」出演のため、ミュンヘンの撮影スタジオで 自分自身の歌唱トラック( すでに音声部分は 5年前 - 1973年 - に録音済みのもの )に合わせて「小ミーメ 」役を「口パク 」で演技します。
 シュトルツェの出番は、楽劇の第3場 地底のニーベルハイム
 盗んだラインの黄金で作った( そのために愛を断念するという代償を払って )指環の力でニーベルングの王となったアルベリヒゾルタン・ケレメン )は、弟ミーメシュトルツェ )に 隠れ頭巾の鋳造を命じるものの、彼がこれを ひそかに奪おうとしていることに気づくと 力づくで取り上げた上、非道にも鞭で思い切り 打(ぶ )ちのめすのでした。
Arthur Rackham(1867 - 1939 )
Arthur Rackhamミーメ (左 ) を虐めるアルベリヒ
 
 兄アルベリヒによる かくも過酷なお仕置きに憔悴したミーメになりきったシュトルツェが その傷んだ身体を引きずって、真に迫った「演技 」をしているのであろうと、映画を観た人は 誰しもそう考えたことでしょう。特に情報がなければ、演者側の真実は 見過ごされがちです。
 しかし、これが「シュトルツェの亡くなる 4か月前の映像 」だったという真実を知ってから、私にとって みるべきポイントは変わりました。
 この映画作品におけるシュトルツェの数少ない登場シーンを観察していると、その短いカットから、ミーメの両腕の動きに 健常者とは思えない、とにかく不自然な不均衡さを感じる瞬間がたびたびある(右腕は 高く上げることが容易ではないように思え、歩行時にも不自然に振りながらバランスをとっている。逆に 反対側の左腕は 同じ歩行時でもだらりと下げたまま振っていない。そして左肘は曲がったままになっていることが多い )ことに気づきます。それでも彼は「演技として 」両腕を力強く伸ばしては 持ち上げる動作を 出演場面中 何度か繰り返すものの、その仕草を意識して観るたび 私には どうしても 機能回復リハビリ訓練を受けている療養者の動作を連想してしまうのです。

■ ポストポリオ症候群(PPS )
 シュトルツェ晩年の身体状況や死の真相を知らないため、かなり憶測が入ってしまいますが、その数少ない情報から 彼の症状が いわゆる「ポストポリオ症候群 」だったのではないか - という可能性を拭えません。
 1962年にシュトルツェは、急性ポリオ(小児麻痺 )に罹患しています。このウイルスに感染すると 「 増殖して脊髄の運動神経細胞に侵入、これにより 運動神経細胞は壊され その伝達を受けていた手足の筋肉も麻痺して動かなくなるものの、本人の体力が回復すれば 生き残った脊髄運動神経細胞から出る末梢神経は たくさんの『枝 』を伸ばし始めます。筋肉自身がウイルスに侵されずに生き残っていれば、新たに伸びたこれらの『枝 』は 麻痺した手足の筋肉へと繋がり、再び活動できるようになる (向山昌邦博士 ) 」 というものです。
 シュトルツェのように、急性期(病気の発症直後 )には全く動かなかった手足の筋肉が リハビリの努力によって かなり動かせるようになったのは、このためです。
⇒ (20)1962年、病苦を克服 : カルショー=ショルティ 「ジークフリート 」

 しかし、神経内科を専門とされる医師 向山昌邦先生の文章に拠ると 「ポリオ経験者は 一般に努力家で、後遺症をもった手足に対して 一生懸命に機能回復訓練をされた方が多く、運動麻痺が残っている手足においても 神経と筋肉がかなりよくつながって機能を果たしており、その後何十年にもわたって元気に社会生活を送ってい 」るものの、「ポリオ後遺症のある手足の筋肉に命令を伝えてきた脊髄の運動神経細胞は、健康な人と比べると 余分に神経の枝を出して頑張ってきたということもあって、50~60歳ごろになると 急激に疲れを生じさせると萎縮したり消滅し始めたりします 」、「ちょうど初老期にも達するため、老化現象の一つとして神経細胞が減るという事実もありますが、これらが ポストポリオ症候群(PPS )の原因 」だったのです。
 ポリオに罹患して 後遺症を負っている人たちの多くが、「ポリオは再発することはない 」といわれていたにもかかわらず、相当時間を経てから再び手足の筋力低下や しびれ、痛みなどを自覚し、これが病気の「再発 」なのではないか、という懸念が 世界中の専門家から報告されていたそうですが、向山先生の情報によれば PPSポリオが「再発 」したものではなく、一度ポリオを克服した患者にこそ起きる、深刻な二次障害だったのです。

■(仮説 )シュトルツェの体力低下が PPSだった可能性
 PPS発症の頻度は ポリオ経験者の40~60%にも当たり、なおかつ50~60歳前後の初老期の男性に その発症事例が多いこと - その具体的な症状は、筋力が低下して力が入らなくなったり、筋肉が痩せてしまったり、筋肉痛や関節痛、腰痛、全身倦怠感 などであるそうです。
 拠ってポリオ罹患経験者には、後遺症のある手や足に過剰な負担をかけないこと、過体重が筋肉や関節に余分な負担をかけるため 体重増加(肥満 )にならぬこと などが 注意喚起されています。
メト出演時の G.シュトルツェ 晩年のシュトルツェ Stolze as Mime_Rhein Gold (3)
▲ にもかかわらず 晩年、肥満気味のシュトルツェ  
 1970年代に入ってから、それまでの約10年間 絶好調だったシュトルツェの身体に、上記のとおり ポリオの二次障害であるPPSが発症した上、そこに脳梗塞や癌などといった、何らかの深刻な合併症が起きてしまったのでは - などというのは 考えすぎでしょうか。
 晩年のシュトルツェには 当てはまる条件が とても多く 目についてしまいます - 意識し過ぎかもしれませんが - 以上は あくまで ひとつの仮説 とお考えください。 ・・・あ、エラそうに書いてますが、私 発起人は 医療の現場に従事する者ではありません、念のため。
 その 参考文献は、障害保健福祉研究情報システム  (以上、青字部分 は、こちらに基づく文章 です )
 ⇒ ポストポリオ症候群(PPS)について ( 向山昌邦先生に 感謝します )

ニーベルハイムのセットは カラヤンシュトルツェに配慮したものかも
 また、ミーメニーベルハイムの近況を、不意の訪問者ヴォータン(トーマス・スチュアート )ローゲ(ペーター・シュライヤー )に語って聞かせるシーンで、シュトルツェは 岩盤の中にくり貫かれた穴の中に入って、胸から下を隠したままで演技を続けます。その両腕は 力なく岩の上に乗せたままで・・・。 
 このときミーメは、アルベリヒによる 激しい暴行を受けた直後であるというストーリー進行から 瀕死状態だったという演出であれば 必ずしも不自然ではないものの、観るべき視点を変えれば、このような演出にせざるを得なかった 何らかの理由が シュトルツェの身体にあったのではないか - と 私は 感じるようになりました。

Stolze as Mime_Rhein Gold (3)
 私 発起人は このニーベルハイムの場面における 不思議なセット映像を凝視しているうち、ひとつ確信を深めたことがあります。ミーメがすっぽりと入ってしまうほど広い岩盤の穴は、歌手の身体をぐるりと取り囲むような形状をしているのですが、これがシュトルツェの身体を配慮して カラヤンが大道具係に作らせた、事実上の福祉用具 - 転倒防止・体幹保持のための補助柵 - だったのではないか、という仮定です。

「福祉用具プランナーテキスト」_座位保持 「福祉用具プランナーテキスト」から
テクノエイド協会「福祉用具プランナーテキスト 」 座位保持から

 もし、この「補助柵 」が 仮にシュトルツェ体力消耗を最小限に抑えるために配慮されたものだったとしたら、彼は この時、立った姿勢での長い時間にわたる演技や待ち時間に耐えられないほど、あるいは 耐えられないことを周囲が心配するほど、衰弱していた可能性もあります。
 けれど その短い出番も最後の方になると、シュトルツェアルベリヒの 強まる権力欲への懸念を歌いながら「補助柵 」の内側から出て、よろめきつつも岩盤によじ登り、いかにもヨッコラショという感じで立ち上がると、再度 両肘を伸ばした腕を一生懸命に上下させてみせたりするものの、その後は 岩の縁に腰かけてしまい、その座位姿勢のまま 肩で息をしながら 演じ続けます。

シュトルツェ(手前 )と シュライヤー(奥 )
シュトルツェ(手前 )と シュライヤー(奥 )「先輩、大丈夫ですか? 」
 もちろん演者の細かい動作など、ある程度は演出者からの指示があってのことでしょうが、ペーター・シュライヤー演じるスキン・ヘッドのローゲが、ミーメの話に耳を傾ける仕草で 岩盤の隣りに いかにも軽々と座ってみせたりすることによって、その若々しいシュライヤーのフットワークばかりが目立ち、却ってシュトルツェの もはや演技とは思えない、真に苦しそうな動作を 一層際立たせてしまう結果にもなっています。
 それでも 遂に代役を置くことなども決してせず、たとえ短い出番ではあっても 自分に与えられた役割を 最後まで演じ切ったゲアハルト・シュトルツェの、オペラ俳優としての表情演技は、もはや神域です。 そして・・・ これが、彼の生涯で 最後の演技となったのでした。 どうか 心からの喝采を -
 この撮影から わずか 4か月後 - 1979年 3月11日 - われらがシュトルツェは 帰らぬ人となるのでした。

■ そういえば -
 蛇足かもしれませんが、興味深い情報を ひとつ。
 シュトルツェ最後の共演者の一人でもあったハンガリーのバス・バリトン歌手、ゾルタン・ケレメン Zoltan Kelemen も 実は 同じ年に急死していたことをご存知でしょうか。そうです、ニーベルングの兄弟にして互いに宿敵だったミーメアルベリヒを演じていた二人が・・・ 偶然とはいえ、不思議なシンクロニシティだと思います。
Zoltan Kelemen
Zoltan Kelemen

次回、最終回 シュトルツェまつり マーラー「大地の歌 」(? ) に続く・・・

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