本記事は 2月26日 「 注目記事ランキング クラシック音楽鑑賞 」で 第1位 となりました。
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スケルツォ倶楽部
名優ゲアハルト・シュトルツェの演技を聴く
 オルフ「オイディプス王」(クーベリック)D.G.ゲルハルト・シュトルツェ(最小サイズの肖像写真)   目次は こちら

(37)シュトルツェの演技を 「観る 」
   カラヤン - 映像版 「ラインの黄金 」


映画「ラインの黄金」(カラヤン監督 )

シュトルツェ、遂に「ローゲ 」役を 降板
 カラヤンは 1973年のザルツブルク・イースター音楽祭ワーグナーの「ラインの黄金 」単独上演を行ないます。それは 4月15日と21日の二公演でしたが、ここで珍しく シュトルツェは 当たり役だった「ローゲ 」でなく、「ミーメ 」を演じているのです ( しつこいようですが「ジークフリート 」のミーメではなく、「ラインの黄金 」に出てくる「小ミーメ 」のほう )。
 今まで カラヤンが指揮してきた「指環 」で、シュトルツェが この役を演じたことは なかったはずです ( カラヤンが「ラインの黄金 」を上演する際、ローゲ役には 常にシュトルツェを ファースト・コールで指名してきたことは どなたもご存知ですよね )。 
 
 代わって ローゲを演じたのは、当時はモーツァルトのオペラなどでリリックなイメージがあった ペーター・シュライヤー Peter Schreier で、その意外なキャスティングには 多くの人々が驚きの声を上げたものと思われます。
Peter Schreier_ Loge Peter Schreier
「おやおや、ペーター君。 ボクのヘアースタイル 真似したね? 」 by ゲルハルト
 
 ペーター・シュライヤーは、シュトルツェより十歳ほど若いマイセン出身の美声テノールでした。亡きヴンダーリヒの後継者として、ドイツのリリック・テナーの本流を受け継ぐ存在とみなされていた歌手でした。
 「ローゲ 」役を ヴィントガッセンのようなヘルデン・テナーでもなく、シュトルツェのようなキャラクター・テナーでもなく、シュライヤーのようにリリックな歌手を充てるという習慣は殆どなく、いかにもカラヤンらしいサプライズ満点のキャスティングだったと言えます (この後、シュライヤーは 積極的に オペラのキャラクターテノールの役柄を演じるようになり、やがて 「ジークフリート 」のミーメばかりか、フンパーディンクの「ヘンゼルとグレーテル 」に登場する魔女にまで挑戦することになります )。
 
 ちなみに、シュトルツェ、シュライヤー以外の配役は、テオ・アダム(ヴォータン )、ゾルタン・ケレメン(アルベリヒ )、カール・リーダーブッシュ(ファーゾルト )、ルイ・ヘンドリクス(ファーフナー )、ブリギッテ・ファスベンダー(フリッカ )、ジャニーヌ・アルトマイヤ(フライア )、レイフ・ロール(ドンナー )、ヘルミン・エッサー(フロー )、ビルギット・フィニレ(エルダ )、リゼロッテ・レープマン、エッダ・モーザー、エヴァ・ランドヴァ(ラインの乙女たち )というもので、詳しい皆さまには これがカラヤン監督映画版「ラインの黄金 」の ベーシック・キャスト(ヴォータンを除く )であることに、すでにお気づきでしょう。下記の映画版の出演者一覧と比較なさってみてください。


■ 1973年(映像撮影は 1978年 )「小ミーメ
~ ワーグナー:楽劇「ラインの黄金 」

Stolze as Mime_Rhein Gold (3) カラヤン監督
ワーグナー:(映画 )楽劇「ラインの黄金 」
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮・監督
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
  トーマス・スチュアート(ヴォータン )、
  ブリギッテ・ファスベンダー(フリッカ )、
  ペーター・シュライヤー(ローゲ )、
  ゾルタン・ケレメン(アルベリヒ )、
  ゲアハルト・シュトルツェ(ミーメ )、
  ジャニーヌ・アルトマイヤー(フライア )、
  カール・リッダーブッシュ(ファゾルト )、
  ゲルト・ニーンシュテット(ファゾルト:映像演技のみ )、
  ルイ・ヘンドリクス(ファフナー )、
  ヘルミン・エッサー(フロー )、
  レイフ・ロール(ドンナー )、
  ウラディーミル・デ・カネル(ドンナー:映像演技のみ )、他
音声の録音:1973年04月(ザルツブルク祝祭大劇場 )
映像の撮影:1978年11月 (ミュンヘン ) ← データが重要

DVD-ドイツ・グラモフォン(ユニヴァーサル・クラシックUCBG-1247 )


 「動く(! )」ゲアハルト・シュトルツェを おそらく唯一 視聴することの出来る、たいへん貴重なDVDです。舞台公演などの活動はともかく、シュトルツェの録音媒体(レコードなど )への仕事は、1970年代に入ると 何故か急速に激減しているので、この映画への出演は 稀少と言えましょう。
 
 しかし、「 『ラインの黄金 』で、なぜミーメだったんだろう・・・ 」というのが、私がこの映画の存在を初めて知った時の疑問でした。
 カラヤン先生、せっかくワーグナーの楽劇にゲアハルト・シュトルツェを投入するのであれば、「 『ラインの黄金 』であれば 小ミーメより ローゲでしょう 」、「もしミーメを充てるのなら、『ジークフリート 』も製作してほしかったのに」などと、無い物ねだりをしたくなってしまいます。けれど そうなった理由は、後ほど述べたいと思います。
 そして この映像が残っているおかげで、少なくとも シュトルツェの演技力の「片鱗 」を観ることができるわけですから、カラヤン監督には 心から感謝しなければなりません。

シュライヤー(ローゲ)とトマス・スチュアート(ヴォータン ) 演技指導するカラヤン
 さて、これは 前述のとおり1973年のザルツブルク・イースター音楽祭上演期間中に録音された音源 (舞台上演のキャストと比べると、テオ・アダムヴォータントーマス・スチュアートに替わっているなど、ライヴ音源からの転用ではないことは明らかで、わざわざ 一部異なる歌手を使って カラヤンは セッション録音を組み直していたようです ) に合わせて、5年後の1978年ミュンヘンのスタジオ・セットで、歌手の「口パク 」と演技によって - アテレコの逆 - 上書きするように映像撮影された「映画 」作品です。
 そのサウンド・トラックの録音に参加していた歌手と、映像で演技している配役にも一部 異動がありますが、小ミーメは 歌唱も演技も共通してゲアハルト・シュトルツェが務めています
 オペラの舞台上演の実況録画やゲネプロを収録したような、よくある映像作品とは異なる点が特殊です。例えば、アルベリヒ隠れ頭巾(映画では 頭巾でも兜でもなく、仮面のようなデザインになっているのが興味深い 写真ご参照 )の呪文を唱えると 本当に姿が消えてしまうなど、実際の舞台ではあり得ない特撮効果もなかなか新鮮です。
Zoltan Kelemen (2)
アルベリヒを演じる ゾルタン・ケレメン

■ ヴィジュアルのシュトルツェから受ける印象
 私“スケルツォ倶楽部発起人 がこの映像で初めて観ることになった、「動く 」シュトルツェについての感想を語らせて頂きます。
 まず 外見の印象、厚塗りし過ぎでは・・・とさえ思える不自然な顔面白塗りメイクを別にしても - それはボロボロの衣装のせいもあるかも知れませんが - 相当太って見え、正直 精彩を欠いています。
 それも なんだか不健康な太り方で、両の二の腕の筋肉さえ落ちて弛んでいるようです。1950~60年代のシュトルツェの数少ない写真や ディスクで聴かれる、常に走り回っているような迫力ある歌唱の印象からは正反対で、筆者の想像の中では - 痩身とまでは言わなくとも - 精悍で敏捷なイメージがあったため、この映像にみられる 変わり果てたような姿には 少なからずショックを受けました。
Stolze as Mime_Rhein Gold
 さすがにこれは演技ではなかろう、必然性もないし・・・当時シュトルツェは まだ52歳だった筈ですから、なぜこれほどまでに老いて見えるのか、違和感というより それは驚きに近い衝撃でした。
 
 それでもシュトルツェの、あくまで「歌唱 」を聴く限りにおいては、やはり絶好調です。敢えて映像を観ないで、音(声 )にだけ集中して鑑賞すると よく判るのですが、すでに若い頃に完成され身につけている独特の歌唱力と“ シュトルツェ節 ”とでも呼びたい その独特の表現力には、未だ衰えは まったく聴かれません。
 試みに1958年録音のクナッパーツブッシュ/バイロイト祝祭の実況録音で 同じ小ミーメの語りの部分を比較してみても、アルベリヒへの憎悪を迸(ほとばし )らせるシュトルツェの強烈さは、15年前に遜色無い素晴らしさなのです。
 そこで、映像での印象に話を戻します。
 ヴォータンローゲに問われるまま 地下の近況を語るミーメニーベルハイムでの短い場面における シュトルツェの表情を観て、私は「思っていたとおり、やはりゲアハルト・シュトルツェは 舞台でも一流であった 」と、自分が見込んだ芸人を改めて見直すような、嬉しい気持ちになりました。
 例えば、アルベリヒに酷使される以前は「わしらニーベルング族は もともと気楽な鍛冶屋で、女性の好むアクセサリーや子供のおもちゃを、楽しく平和に笑いながら作っていたものだった・・・ 」と、遠い過去を回想するシュトルツェの あたかも過ぎ去りし人生を懐かしく振り返るような嬉しげな顔は、その歌唱同様、舞台演技者としての能力の高さを示していました。
Stolze as Mime_Rhein Gold (2)
 ニーベルングの支配者となったから 隠れ頭巾を作るよう命じられた時、それを横取りすることを思いついた、と「ミーメとして 」語る瞬間、豹変する鋭い表情と、指環も奪って立場を逆転させを酷使する自分を想像しながら嬉しげに両手を持ちあげる仕草などに、この人物が 後にジークフートを騙して指環を手に入れることを思いつく人物と同一であることを、あらためて観客に印象付けるには十分です。しかし、隠れ頭巾の使い方を知らなかったため 結局アルベリヒに見抜かれ、細工物を取り上げられてしまった、と大声で悔しがる小人の表情を、シュトルツェが泣き顔と本気の絶叫で表現するに至っては、ミーメ本来の滑稽さを通り越し、人間の持つ本物の苦悩が形となって結晶するのを見せられるようでした。

■ その映像は、シュトルツェが亡くなる 4か月前のもの でした
 この映画でシュトルツェを 「観る 」際に、ぜひ知っておかねばならない 重要な情報があります。
 それは・・・、もう皆さまもお気づきのとおり、シュトルツェが この演技撮影をしてから 僅か 4ヶ月後の1979年 3月に亡くなっている という事実です。ですから、これはシュトルツェ最晩年の映像記録でもあるわけです。
 そうしてみると、この短い出演部分の映像からでは はっきり判りませんが、「老い 」だけではない、何らかの健康上の理由 ‐ 1962年に発症した麻痺性ポリオ(注、この疾病は、普通 再発はしないはずなのですが・・・ )の後遺症か、あるいはその他の疾病か ‐ が、この撮影時の彼の身体状況に表れているように感じます。疾患名までは 詳細もわかりませんが、おそらく長く後世に残す目的で 映像版「ラインの黄金 」 ( 計画当初では おそらく『指環 』四部作 すべて )を製作しようとしていたカラヤン監督が、それまでウィーンでもザルツブルクでもニューヨークでも「ローゲ 」として起用し続けてきたベテランのシュトルツェを 突然「小ミーメ 」役に替えたことの、実は それこそが 真の理由だったのではないでしょうか・・・。
 今の私には真相は知り得ません。憶測に過ぎませんけれど、もしかすると 1970年代に入ってから シュトルツェのレコード録音が 急に絶えてしまったという事実と、それらとは 何らかの相関関係を示しているものかも知れません。
 この点は 二回ほど置いて、その後の 最終回で もう一度 考察したいと思っております。


次回、(38)シュトルツェ晩年の舞台出演、そして再婚 に続く・・・

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