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・・・ はじめに
冨田勲 展覧会の絵_RCA カラヤン 展覧会の絵_DG 展覧会の絵_リヒテル_Fontana

≪ ごあいさつ ≫
 いつも 当ブログ スケルツォ倶楽部 にご来場くださり、誠に ありがとうございます。
さて、また衝動的に 新しいコーナーを 立ち上げました。
 いつまで続くかわかりませんが、文章がまとまり次第 更新してまいりたいと企てています。何卒よろしくご支援ください。
 - “スケルツォ倶楽部”発起人

■ はじめに
 時間の流れという厳しい審査と淘汰とを経て、なお今日まで生き続けている稀少な名曲たち - 日々 新しく大量生産されては消耗され、即座に忘れ去られてゆく膨大な音楽がある一方で、1761年に 5歳の幼児がクラヴィーアを叩いて作ったメヌエットの断片が 今もしっかりと残っている・・・ って、考えてみれば、これって もの凄いことですよね。
 音楽の歴史に「勝ち残った 」 - その要因には、それぞれの曲を成立させた 背景となる個体差(個曲差? )も もちろんあったでしょうが、しかし何と言っても その最大の要素とは、やはり 誰にとっても解り易い「美しいメロディ 」を有している - ということが 必要不可欠なのではないでしょうか。

 第二次大戦後、世界は録音技術を 驚異的に向上させました。同時に電波やインターネットなどの発達によって 地球的規模で音楽を伝達させたり、普及させたりすることも 広範囲かつタイムリーに可能としてきました。
 その一方で、霊感の失せた(偏見? )現代の作曲家たちが 名曲の保証付きたる 過去のクラシック音楽のメロディの価値を認め、現代の技術や演奏手段を用いてアレンジしたくなる気持ちは、自然な「本能 」でさえある - と言い換えてもよいのではないでしょうか。
 それらの方法は、演奏家の見識によって異なりますが、大きく三種類ほどに分類できるのではないかと、勝手に 発起人は仮定します。


その1 : ダンスミュージック、ポップス、ロックなどにアレンジされ、再構築される例
Benny Goodman_  Lets Dance(ASV 復刻盤 ) ELP_Pictures at an Exhibition Sylvie Vartan_ Best(RCA )
 たとえば、ベニー・グッドマンの「レッツ’ダンス 」(ウェーバー作曲「舞踏への勧誘 」 )、エマーソン・レイク & パーマー E.L.P. による「展覧会の絵 」(ムソルグスキー作曲 )や ナットロッカーチャイコフスキー作曲「くるみ割り人形 」 )、シルヴィ・ヴァルタン Sylvie Vartan の「哀しみのシンフォニー Caro Mozart 」(モーツァルト作曲 交響曲第40番ト短調 第1楽章 )など。
 シルヴィ・ヴァルタンのように、単にメロディ要素だけ抜き出し、これに歌詞を付しただけの簡単な場合もあります。

その2 : ジャズ・インプロヴィゼーションの素材として使われる例
MilesDavis_Sketches Of Spain_CBS-SONY Bob James “ ONE ”(C.T.I.~TAPPAN ZEE)VACM-2002 Barney Kessel _Carmen
 個人的には、この手法が音楽的に 最も面白く思われ、多様な可能性も感じます。
 このケースには枚挙に暇(いとま )がないほどです。その筆頭に マイルス・デイヴィス = ギル・エヴァンスによる「アランフェス協奏曲 」(ロドリーゴ作曲 )をはじめ、思いつくだけでも クリード・テイラーがプロデューサーとして手掛けたC.T.I.レーベルの諸作、たとえばエミール・デオダートの「ツァラトゥストラはかく語りき 」(R.シュトラウス作曲 )、「逝ける王女のためのパヴァーヌ 」(ラヴェル作曲 )、ドン・セベスキーの「火の鳥 」(ストラヴィンスキー作曲 )、「ヴォーカリーズ 」(ラフマニノフ作曲 )、この流れをくんだボブ・ジェームスの「はげ山の一夜 」(ムソルグスキー作曲 )、「ファランドール 」(ビゼー作曲 『アルルの女 第2組曲より )の諸作は忘れがたいです。コンテンポラリーにもバーニー・ケッセルの「カルメン 」という傑作がありましたっけ。

Jacques Loussier_ Play Bach_Decca LP_スイングル・シンガーズとバッハとの対話_Fontana_Gloria
 そして この系列には、単に“ジャズ風のリズムを付加”しただけだったり、“ジャズ風の「それ、よくある 」楽器編成で 再現しただけのものも散見されます。ジャック・ルーシェ(ピアノ )による フォー・ビートのバッハや、スイングル・シンガーズの「ダバダバ 」いうバロックのアレンジものなんかがそうです。

その3 : 原曲と異なる楽器(編成 )で演奏される例
 この手法は、原作曲家が本来指定した以外の楽器を使って演奏するというもので、元の音楽をあまり崩していない場合が多いです。
ワルター・カーロス_スイッチト・オン・バッハ 月の光 Snowflakes Are Dancing ~ ドビュッシーによるメルヘンの世界 (2) 冨田勲=ホルスト_惑星_RCA
 代表的な例は、ワルター( = ウェンディ )・カーロスによる モーグ・シンセサイザーバッハや、それを飛躍的に発展させた わが国の冨田勲の「月の光(ドビュッシー名曲集 ) 」、「展覧会の絵 」(ムソルグスキー作曲 )、「惑星 」(ホルスト作曲 )でしょう。

こわれもの_イエス
 冨田勲の諸作から伝わってくるような創造性に対し、イエスの「こわれもの 」に収録された シンセサイザー演奏によるブラームス第4交響曲 第3楽章などは、比較すると 創意工夫の欠如を感じた凡作で、初めて聴いたときから 少なからずがっかりした覚えがあります、残念でした。中途半端に楽器を移し替えただけでは、ダメなのです。

バッハ無伴奏チェロ組曲第1、2,3番_今井信子_PHILIPS バッハ無伴奏チェロ組曲 第1、2、3番 _清水靖晃_VICP‐63779 寺神戸亮(ヴィオロンチェロ・ダ・スパッラ )_バッハ無伴奏チェロ組曲_COGQ‐32
 これに比べると、今井信子ヴィオラで、清水靖晃テナー・サックスで、さらに寺神戸亮ヴィオロンチェロ・ダ・スパッラで、と それぞれ異なる楽器に替えて試みた、J.S.バッハ「無伴奏チェロ組曲 」演奏のほうが、イエス編曲のブラームスなどより 遥かに画期的で創造的な内容だったと感じます。

Johann Sebastian Bach (1685 - 1750) Jaco Pastorius ( Illustration )
バッハ「ほら、楽譜をよくみて 」 ジャコ「とても全部は弾けません 」
 また、ステージのジャコ・パストリアスフレットレス電気ベースで 突然 弾き始める バッハの「半音階的幻想曲 」もこれに似た手法でした。尤も 彼の場合は自分自身の演奏にすぐ飽きてしまって、残念ながら めったに最後まで演奏してくれることはありませんでしたっけ - 中断するや否や 怒涛のようにジミ・ヘンドリックスのナンバーに突入するのが常でしたし・・・。 

 では 第1回 ラフマニノフ : 交響曲第2番 ~ 第3楽章 につづく・・・

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