本記事は 2月 1日 「 注目記事ランキング クラシック音楽鑑賞 」で 第1位 となりました。
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音楽史の重要人物 イグナーツ・モシェレス
グノーに先立って J.S.バッハ「平均律 」前奏曲
チェロ独奏の オブリガート・パートを つけ加える。


イグナツ・モシェレス Ignaz Moscheles モシェレス_バッハの平均律クラヴィーア曲集による ピアノとオブリガート・チェロのための10 の前奏曲(OHEMS )

発起人(妻 )  「 スケルツォ倶楽部のみなさん、今晩は 久しぶりにゲストをお呼びしているんですよ。イグナーツ・モシェレス Ignaz Moscheles ( 1794 – 1870 )さんでーす。どうか拍手でお迎えください 」
モシェレス    「今晩は、私 モシェレスです 」
発起人(妻 )  「モシェレスさんには、先月の忘年会では、赤穂浪士吉田忠左衛門の役、お疲れさまでした 」
その記事は こちら ⇒ “スケルツォ倶楽部”忘年会『忠臣蔵 』

モシェレス    「ああ、あの時は 堀部安兵衛役を務めたワーグナーが暴走するので、ヤツを止めるのには ホント 一苦労しましたが、でも楽しかったです。どうもありがとうございました。ところで、今回 私がこちらに呼ばれた理由とは? 」
発起人(妻 )  「わたしたちの スケルツォ倶楽部で 前回、映画『世界の中心で、愛をさけぶ 』 で使われた音楽 - それが 何と J.S.バッハ=グノーの 『アヴェ・マリア 』 - について 考えたんですけど、この曲が 二人の作曲家によって、長い時間を隔てた上に完成された、という特殊な経緯に とても興味をおぼえたんですね 」
その記事は こちら ⇒ 映画「世界の中心で、愛をさけぶ 」 - 亜紀は なぜ J.S.バッハ=グノー「アヴェ・マリア 」を弾いたのか
Johann Sebastian Bach (1685 - 1750) シャルル・フランソワ・グノー Charles Franccedil;ois Gounod
(左 )J.S.バッハ(1685 – 1750 )、(右 )グノー(1818 – 1893 )

モシェレス    「ふんふん、確かに 偉大なバッハ平均律クラヴィーア曲集第一巻を出版したのは1722年、そしてシャルル・グノー君が これに乗せた旋律に『アヴェ・マリア 』の歌詞を正式に付けたのが1859年 - 137年もの時間を隔てていることになりますね。尤も 私は その映画のほうは観ておりませんが(笑 )、けれど 情報の発信者と 時間も空間も隔てた受信者との関係を もし音楽で象徴させようとしたら この『アヴェ・マリア 』は とても相応(ふさわ )しい作品でしょう、きっと その機能を立派に果たしたのではないでしょうか 」
発起人(妻 )  「さすが、モシェレスさん。意図を把握していらっしゃるわ。それで今宵は、実は・・・ グノーさんを 最初 ここにお呼びするつもりだったんです 」
モシェレス    「ほう 」
発起人(妻 )  「で、連絡を取ってみたところ、グノーさんがおっしゃるに、『バッハの平均律に 異なるメロディを重ねるというアイディアを教えてくれたのは、モシェレスさんだった 』って! 本当ですか、それを確かめたくて、今日は お呼びしたんです 」
モシェレス    「グノー君が J.S.バッハの作品に触れたのは、私の年下の友人であるメンデルスゾーンとの交友においてだったのではないかな、彼らが 本格的に親交を深めたのは、グノー君が ローマ大賞を得て、イタリア留学の地に赴いて以降のことだと思うな。だから当初 グノー君をメンデルスゾーン家と親しくさせたのは 必ずしも 私の功績というわけではない。あの頃 メンデルスゾーン家では、フェリックス(・メンデルスゾーン )も 彼の姉ファニィバッハの音楽に夢中でね、で、ひとりが平均律をピアノで弾きながら、同時に もう一人が異なるメロディを即興的に付けて遊ぶなんていう程度のことは、いつも交替で日常から 演(や )っていたことだったのさ 」
発起人(妻 )  「すごい姉弟(きょうだい )ですね 」
モシェレス    「最初は どちらかといえば 弟よりも 姉のファニィのほうが、バッハへの傾倒が強かったね。なにしろ 彼女が13歳の時、父親の誕生日だったか、この『平均律 』第一巻のプレリュードとフーガ24曲 すべて暗譜で演奏して聞かせていたくらいだからね 」
発起人(妻 )  「もう絶句! 」
モシェレス    「そんな中で、私たちと一緒になって、ゲストの グノー君も 最初は 遊び半分で プレリュードに あの美しいオブリガートを付けたんだ。たしか、初めは違うフランス語の歌詞だったんだけど、そのうち 聖歌『アヴェ・マリア 』のよく知られた聖句を当ててみたら、何と そこにぴたりと収まってね。それは 奇蹟的なことだった 」
発起人(妻 )  「遊び半分で・・・ですか? 」
モシェレス    「そう、ゲーム感覚で。そんなメンデルスゾーン家で、私も フェリックスと一緒に 彼の自作の ピアノ協奏曲などを よく一緒に連弾したものさ。どっちが こみいったむずかしいカデンツァを弾けるかを 競い合ったりなんかしてね。 でも やっぱり夢中になったのは かれら姉弟が よく演(や )っていた、二人で バッハの『平均律 』に乗っけて、交替で 片方が即興演奏をかぶせるゲームだったな、あれは 毎回 白熱したね。忘れられないよ、いつも日曜日のディナーの後、夜中の12時半から始めて、気づいたら 夜明けまで弾き続けていたなんてことも ごく普通だったなー 」
発起人(妻 )  「どひゃー 」
モシェレス    「そうそう、メンデルスゾーン家での あの時の 『平均律 』ゲームを ヒントにして、後に 私は 『 ピアノとオブリガート・チェロのための10の前奏曲 』 を まとめたんだよ! 」
発起人(妻 )  「グノーさんの『アヴェ・マリア 』も、その発想は 同じだったわけですね 」

 ベートーヴェン晩年の友人としても知られるモシェレスですが、その作品や生涯・功績などは 必ずしも 有名であるとは言えません。以下、モシェレス小伝(青字 )は、Wikipediaの解説文から 抜粋させて頂きました。原典は こちらです ⇒ Ignaz Moscheles
イグナツ・モシェレス Ignaz Moscheles
イグナツ・モシェレス Ignaz Moscheles ( 1794 – 1870 )
 1794年、プラハで 裕福なユダヤ系の商人の息子として生まれた。父親を早くに亡くした後、モシェレスは1808年にウィーンに移り住むが、その時すでに彼の音楽的才能はアルブレヒツベルガーに対位法を、サリエリに作曲を習うに値するものであった。
 彼は1814年から1815年のシーズン、ウィーンにおいて牽引役となるピアノの名手であり、マイヤベーアと親交を結び、二人のピアノによる即興演奏は大絶賛を浴びた。かのロベルト・シューマンが 自らヴィルトゥオーゾ・ピアニストへの道を断念したのは、モシェレスのカールスバードでのコンサートを聴いた後だったほどである。1820年代のヴィルトゥオーゾの中でも、フンメル、カルクブレンナー、クラーマー、エルツ、そしてウェーバーは、モシェレスの最も有名なライバルだった。
 このウィーン時代に モシェレスは憧れの存在であったベートーヴェンに会うことができた。
Beethoven at the age of 49( Josef Karl Stieler)
 若いモシェレスの才能にいたく感激したベートーヴェンは、自作のオペラ「フィデリオ 」のピアノ譜作成を モシェレスに一任したほどであった。モシェレスは、ベートーヴェンの音楽を生涯にわたって人々に紹介し続け、楽聖の作品による多くの演奏会を開いた。1832年には「ミサ・ソレムニス 」のロンドン初演を指揮し、またシンドラー著のベートーヴェンの伝記を英訳したのモシェレスである。二人の良好な関係は、ベートーヴェンの死に至るまで 互いにとって重要なものだった。
 モシェレスが 初めてメンデルスゾーンに出会ったのは1824年、裕福な銀行家アブラハム・メンデルスゾーンより、彼の子どもであるファニィとフェリックスの姉弟にレッスンをして欲しいと請われ、その頼みを承諾してベルリンに向かった時のことである。
ファニィ・メンデルスゾーン メンデルスゾーン、少年時代の肖像 (1)
(左 )姉ファニィ、(右 )弟フェリックス・メンデルスゾーン  ― 少年時代
 メンデルスゾーン姉弟が 二人とも楽才に恵まれた すでに立派な芸術家であったことを認める、モシェレス自身の文章が残っている -
「 ― 今日の午後、私はフェリックスに初めてのレッスンを行ったのだが・・・自分の隣に座る彼が、生徒ではなく一人の芸術家であるという事実に、しばらく呆然としてしまった 」
「 ― 見たこともないような家庭だ。15歳になるフェリックスはまさに神童である。これほどまでの才能があろうとは・・・もはや既に一人の成熟した芸術家といっても過言ではない。彼の姉のファニーもまた、非凡な才能に恵まれている 」
 こうして始まった 極めて親密な付き合いは、メンデルスゾーンが没するまで続いた。メンデルスゾーンが1829年に初めてロンドンを訪問し、英国で大いに成功を勝ち得たことには、彼の年上の友人であるモシェレスが大きく影響している。
 ロンドンにおいては、モシェレスは サー・ジョージ・スマートとロイヤル・フィルハーモニック協会のかけがえのない助言者となっていた。そこで彼は、演奏旅行中に出会った欧州の才能ある音楽家たちを彼らに推薦していたが、その中には ベートーヴェンやメンデルスゾーンの名も含まれていた。
 モシェレスは、ピアニスト そして作曲家として 精力的にヨーロッパを回っていたが、1825年から1846年にかけて ロンドンに定住することを選ぶ。1832年には フィルハーモニー協会の共同監督となっていた。
 一方 1843年にライプツィヒ音楽院を設立したメンデルスゾーンは、モシェレスを音楽院の講師に迎えようと熱心に勧誘し、演奏活動と作曲とに十分な時間の確保まで約束した。モシェレスは 喜んでこの申し出を引き受け、その後 1847年にメンデルスゾーンが早世して以降は 彼に代わって 音楽院の院長職を引き受けたほどだった。
 23年後の1870年 3月10日、モシェレスは ライプツィヒで没するが、それは 彼がメンデルスゾーンから引き継いだライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の最後のリハーサルに立ち会ってから 9日後のことであったという。


 ― 以上、青字部分の文章は、Wikipedia の原典に 発起人が 一部、手を加えたものです。

■ 今宵の音盤
モシェレス_バッハの平均律クラヴィーア曲集による ピアノとオブリガート・チェロのための10 の前奏曲(OHEMS )
イグナーツ・モシェレス作曲
「バッハの平均律クラヴィーア曲集による ピアノとオブリガート・チェロのための10 の前奏曲 Op.137A 」
「チェロとピアノのためのソナタ ホ長調 Op.121 」
ラモン・ヤッフェ (チェロ )Ramon Jaffe
エリザヴェータ・ブルーミナ (ピアノ )Elisaveta Blumina
録 音:2002年 4月、2003年12月 バイエルン放送スタジオ
音 盤:OEHMS( OC-544 )

 グノーの「アヴェ・マリア 」の発想と同じく、J.S.バッハ「平均律 」(前奏曲 ) 第一巻から 第1番ハ長調、第2番ハ短調、第4番嬰ハ短調、第6番ニ短調、第15番ト長調、第21番変ロ長調、第24番ロ短調 第二巻から 第5番ニ長調、第6番ニ短調、第7番変ホ長調 という全10曲に、それぞれチェロの豊かで秀逸なオブリガート・パートを加えることによって ピアノとチェロによる二重奏作品に編曲したもの。
 初めて聴くと、あっと声をあげたくなるほどのアイディアの新鮮さと成果の素晴らしさに、きっと目が開かれます。第一巻第1番ハ長調などは、グノーが付けた「アヴェ・マリア 」のメロディに聴かれるアプローチとは まったく異なる発想の旋律線に、まだこんな可能性があったのか! と驚かされること必至です。 以前「G線上のアリア 」の回でも触れましたが、 ⇒ こちら   このような試みによって バッハの音楽が内在している、ロマン性が表出されることが、何と言っても驚きです、バッハの懐の深さと言いましょうか。
 余白(? )に収められている 同じくモシェレスチェロ・ソナタも、初期ロマン派とブラームスを繋ぐ ような 渋い逸品です。こちらについては、“スケルツォ倶楽部”の第一号会員である ブルネロ(仮 )さんによる たいへん興味深い文章(青字部分 )を、以下 掲載させて頂きます。
 ・・・よいですよね、ブルネロ(仮 )さん? だってオモシロいんだもん。

 モシェレス作曲の「チェロ・ソナタ 」は、ショパン、メンデルスゾーンによる「チェロ・ソナタ 」と、ブラームスの「チェロ・ソナタ第1番 」とを まさに「つなぐ 」作品です。節回しなども まさにブラームスの前駆体と言えます。
 本ブログ的には 第2楽章のスケルツォをとりあげるべきですが、第3楽章のボヘミア風バラードを取り上げたいです。チェコ出身のユダヤ人、モシェレスのユニークな土着風味を味わえます。
 ブラームスの「チェロ・ソナタ第1番 」は1862~65年の作品ですが、それ以前にチェロ・ソナタの豊作時期と言えば、ベートーヴェンが 第3、4、5番を書いた1810年前後 (リースなどの佳曲もあり )、シューベルトが「アルペジオーネ・ソナタ 」を書いた1824年前後 (この時期、フンメルなどもあり )、その後は メンデルスゾーン(第2番 )やショパンが佳作を書いた1843年付近・・・と考えられます。
 それぞれの作品が、互いに影響を受け合って 後世への前駆体になっているようなケースもあれば、楽曲の構成やピアノとチェロとの組み合わせ方にヒントを得ているのでは - と思わせるケースもあり、興味は尽きません。
 例えば、シューベルトの「アルペジオーネ 」とフンメルのソナタとは、全体的にかなり似ているし (特に、両方の終楽章のハンガリー的な雰囲気とか )、メンデルスゾーンの第2番とショパンのソナタとは、スケルツォ楽章のトリオの歌わせ方に 相互類似が認められるし、リース作曲のト短調は ピアノの使い方においてショパンの直前っぽい・・・。
 では、ブラームスの「チェロ・ソナタ第1番 」は 突然出てきたのかと思うと、その第3楽章は ベートーヴェンの「第5番 」終楽章におけるフーガの成功例があり、同じく第2楽章もメンデルスゾーンの「第2番 」からショパンの系列・・・。だけど 第1楽章は、長い間 類例が思いつきませんでした、チェロにひたすら歌わせてピアノが伴奏するという・・・室内楽というより歌曲だと考えればいいのかもしれないけど、そうとも思えず・・・ たとえば第1楽章の展開部に入る手前でチェロが 五度を奏で、ピアノが旋律を弾くというような個所の発想のヒントは どこからきているんだろう・・・ そんな疑問が、1850年代前半に書かれてシューマンに捧げられたという、モシェレスの「チェロ・ソナタOp.121 」を聴いたときに氷解したのです。
 モシェレスは、ロンドンの自宅で メンデルスゾーンとピアッティを会わせたりしていて、そこでメンデルスゾーンの「第2番 」や“幻の協奏曲”が演奏されたと言われますが、そこでいつか自分も「チェロ・ソナタ 」を書こうと考えていたのではないでしょうか。                         
 そういう意味で、1794年生まれのモシェレスは、当時にあっては長老ですが、作品としては、メンデルスゾーンの「第2番 」やショパンと、ブラームス「第1番 」との中間に位置するものです。 - 時代って正直なものだなーって、思いませんか?
 そう考えると、シューマンがもし「チェロ・ソナタ 」を書いていたら一体どんなだっただろう - などとも妄想してしまいます。その一方で、「ヴァイオリン・ソナタ 」では あまりに名曲を書きすぎたために ブラームスが「雨の歌 」で変化球を投げるまで 勝負できなかったことを考えたりすると、先例が このモシェレスくらいだったので、早い段階でブラームスが「チェロ・ソナタ 」に着手できたとも思われ・・・などと、いろいろ妄想がふくらむ次第。
 とにかくモシェレスのチェロ・ソナタは、コンサートに載せる価値ある作品だと思いました。 ・・・なお、このCDの余白に収録されてる チェロのオブリガート入りバッハ「平均律 」編曲のほうは、マニアックすぎて笑えますが。


 ― 以上、青字部分は ブルネロ(仮 )さん(2008年 )の文章でした。卓見に拍手を送りたいです、どうも ありがとうございました。

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