本記事は 1月22日 「 注目記事ランキング クラシック音楽鑑賞 」で 第1位 となりました。
皆さまのおかげです、これからも 何卒よろしくお願い申し上げます。


スケルツォ倶楽部
映画「世界の中心で、愛をさけぶ 」タイトル
「映画のスクリーンに 貼りつけられた音楽 」  ⇒ All Titlelist


映画「世界の中心で、愛をさけぶ
・・・ 亜紀は なぜ J.S.バッハ=グノー
アヴェ・マリア 」を 弾いたのだろうか

世界の中心で愛をさけぶ_スケルツォ倶楽部 (9)
映画 「世界の中心で、愛をさけぶ 」 (2004年、監督:行定 勲 )
 
 年が明けてから間もなくNHK-BSプレミアムで放送されていた、映画 「世界の中心で、愛をさけぶ2004年、監督:行定 勲 ) 」 - 何気なく録画しておいたものでしたが、ようやく 本日 昨日になって「初めて 」観たら、四国香川県の青い海を望む架空の町を舞台にした その瑞々しい映像の美しさ、ストーリーの解りやすさ、それぞれの登場人物を演じるキャスト全員の自然で初々しい演技、とりわけ主人公である女子高生 - 亜紀 - 役を演じた 長澤まさみさんのキラキラと輝くような若さといったら この映画を観た男性なら 誰しも恋に落ちてしまうのではないかと思えるほど 魅力的でした。

世界の中心で愛をさけぶ_スケルツォ倶楽部 (6)
 うーん、なるほど。これが噂に聞く「セカチュー 」だったか - すでにブームが去って10年近くも経っているでしょうか、とっくの昔にリアルタイムで観た人にとっては コイツ 何を今さら(? )な話題でしょうが - なるほど、とても良い寓話だったんだなあーと、すみません、「初めて 」知りました。
 映画が商業的にも成功を収めたので、その後 綾瀬はるかさんの主演でTVドラマにもなったそうですが、一部ではこの「映画版 」を上回る高い評価の「TV版 」のほうを、私は観ておりません。また 片山恭一氏の原作も 実は まだ読んでおりません、念のため。ここでは あくまで映画版の「世界の中心で、愛をさけぶ 」から、美しい「体育館の場面 」に使われた、ある音楽の効果について 感じたことを 私は これから 思いつくまま 書きたいだけです。

 私の心の琴線に触れた場面の背景となる秀逸なる設定は、ストーリーの背景となる1980年当時 広く普及していた「カセット・テープ 」を使って、主人公である清純な高校生カップル  朔太郎(森山未來 )亜紀(長澤まさみ ) - が互いの「声 」で「交換日記 」を交わすというもの。
世界の中心で愛をさけぶ_スケルツォ倶楽部 (4)
懐かしいー、TDKAD-46 だって
 
 そう言えば、同じ 1980年代には大学生だった 私“スケルツォ倶楽部”発起人にも、その頃 お気に入りの曲を編集して 一本のカセット・テープに録音しては 自分の音楽の趣味を女の子に押しつけていた、そんな記憶がたしかにあります。
 ・・・もとい。カセット・テープの交換は、ドラマの主人公である二人が 付き合い始めてから やがて亜紀が白血病で亡くなってしまう その日の朝まで続き、生前の彼女の語りが吹き込まれた膨大な量のカセットは - 最期の録音を除き (後述 ) - その後 朔太郎(以下 サク )の実家に遺されることとなります。
 物語の詳細は 省略しますが、若き日の この不幸な経験によって、主人公であるサクの心には、二つの挫折感が深く刻まれ、古傷として残っています。
 そのひとつは、白血病末期で 瀕死の亜紀が 最後まで行きたがっていた場所、オーストラリアのウルル(エアー’ズ・ロック )に - そこは、先住民アボリジニ によって「世界の中心 」と呼ばれている国立公園に存在する巨大な一枚の岩石によって有名 - 彼女を 「必ず 」連れてゆくことを サクは 約束したものの、台風襲来という天候悪化によって 肝心の旅客機が周航せず、結局 約束を守れなかったという挫折感
 もうひとつは、サクにとって最愛の存在であったはずの亜紀が 臨終に際し「彼女の意志によって 」自分を臨終の床に立ち会わせることを許さなかったという不可解、なぜ彼女が最期に臨んで会おうとしなかったのか、その理由がサクにはとうてい理解出来ず、ゆえに 恋人の死に伴ない 癒(いや )されぬ喪失感だけが残っている - それは 今もなお疼き続ける古傷であり、これが 彼の二つめの挫折感なのです。
 映画のストーリーは、亜紀の死から17年経ち、今や三十代になったサクが、ある事件をきっかけに 衝動的に郷里へと戻るのですが、そこで 亡き亜紀の懐かしい声の詰まったカセット・テープを ( かつて自分が高校の頃に愛用していたソニー製のウォークマンに乾電池を入れて )ヘッドフォンで聴きながら、彼女との思い出の地を巡るという 詩的なシーンが続く展開となります。そんな17年後の、苦悩を背負ったサクの姿を 大沢たかおさんが 真摯に演じています。

世界の中心で愛をさけぶ_スケルツォ倶楽部 (2)
亜紀の声 ) 「・・・わたしのサクへの想いは変わりません。その証拠を学校に残しておきました。ちょっとした宝探しをしてみませんか? まずは、化学実験室の前へ行ってみて ― 」
 ・・・と、こんなふうに 17年前の恋人の「」に「耳元で指示されながら、高校の校舎内を次々と徘徊することになる「三十代の 」サク化学実験室に続いて 今度は体育館にも足を向けます。そこもまた亜紀との思い出が溢れる場所なのです。
亜紀の声 ) 「体育館って好きよ。高い天井・・・大きな窓から落ちた陽射し・・・ワックスを引いた板張りの床・・・キュッ、キュッ、キュッと、靴音が鳴くの 」
亜紀の声 ) 「ステージに上がって ― 」

体育館に設えたステージの下手には、一台のグランド・ピアノが置かれています。
亜紀の声 ) 「ピアノの前に立って。 」
テープから流れる亜紀の「 」に命じられるまま、サクは従います。
亜紀の声 ) 「瞳(め )を閉じて。 ・・・閉じたー? いい? わたしがいいっていうまで 絶対に目を開けちゃ ダメだよ 」
(そこで ステージのグランド・ピアノがぽーんと鳴ります - 高いの単音 -  )
ピアノの音に驚いて、一瞬 目を開けてしまうサク
亜紀の声 ) 「開けちゃダメ! 」
あわてて両目を閉じるサク、思い出の恋人の名を 口の中でそっと呟きます。
サク   「亜紀・・・ 」

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彼の目には見えたのです、白い夏服を着た亜紀の姿が - 。
亜紀 「目をつむっててよ。小学校以来だから、上手く弾けるかどうかわからないけど・・・ 」
映画では、そこで ゆっくりとカメラがグランド・ピアノの鍵盤側まで寄ってくるのですが、ピアノの椅子には 高校2年生の亜紀が座っているのでした。
亜紀 「人前で弾いたことないし - 。(だから )かなり貴重なの 」

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 ― そう言いながら、亜紀がピアノの鍵盤に両手を揃え、やがて静かに弾きはじめる一曲は、J.S.バッハ=グノー作曲「アヴェ・マリア 」 ( 初心者向けピアノ・ソロ用に アレンジされた簡易版で弾かれています、また途中 残念ながら 旋律線が最も高く上昇カーヴを描く 美しい数小節が省略されてます ) - グノー作曲の高音メロディを弾く右手の最初の音が、サクの耳に最初に聴こえた「高いの単音 」です。

楽譜 バッハ=グノー 「アヴェ・マリア 」 アレンジ譜
亜紀の演奏中、戸外はいつのまにか雨となり、大きな窓ガラスを 雨だれが上方から下方に流れ落ち続ける動きが反射して二人の姿を美しく照らします。

世界の中心で愛をさけぶ_スケルツォ倶楽部 (11)

 それにしても、ここで「アヴェ・マリア 」を使うという選曲の趣味 ・・・絶妙です。この神秘的な場面に相応(ふさわ )しい、バッハ=グノーの「アヴェ・マリア 」成立の特異さは、“スケルツォ倶楽部会員の皆さまなら もうご存知と思いますが、実は 音楽史的にも めずらしいものだからです。

J.S.バッハ=グノー 「アヴェ・マリア 」驚異の成立事情とは
Johann Sebastian Bach (1685 - 1750) シャルル・フランソワ・グノー Charles Franccedil;ois Gounod
(左 )J.S.バッハ(1685 – 1750 )、(右 )グノー(1818 – 1893 )
 この「アヴェ・マリア 」の「原曲 」となった作品は、J.S.バッハ(1685 – 1750 )の平均律クラヴィーア曲集 第1巻「プレリュード第1番 ハ長調(1722年 ) 」 - 出だしから最後まで 美しいピアノのアルペジオが延々と続く、どちらかというと練習曲のように平易な楽曲であると思われた時代もあったそうです。
バッハ 平均律クラヴィーア曲集第一巻第一曲「プレリュード 」
 この「プレリュード第1番 ハ長調 」を 137年後、そっくりそのまま伴奏パートとして取り扱い、その上にフランスのシャルル・グノー(1818 – 1893 )が「アヴェ・マリア 」の聖句を歌詞に、新しく加筆・付加したメロディを -
楽譜 グノー アヴェ・マリア
 ・・・バッハのアルペジオ重ねると ぴたりと合うように作曲した斬新な声楽曲こそが、バッハ=グノーの「アヴェ・マリア 」だったのです。
 バッハの原曲なしに グノーが この「アヴェ・マリア 」の旋律を生み出すことは 決してあり得ませんでした。そう考えると グノーにこのメロディを作らせたのは、まさにバッハ自身だったとも言えます。同時に、グノーが この作品を最も聴かせたかった人物がいるとすれば、それは言うまでもなく、他ならぬバッハ自身だったに違いありません。そのまごころ バッハに伝わることは、残念ながらありませんが、その代わり この名曲は 未来に向けて発信されることとなり、今に至るまで 不滅の名曲として、J.S.バッハの高名をさらに押し上げる役割も ささやかに果たしているのです。
 そうです、これは 偉大な2人の作曲家による「137年もの時空を超えた比類なき共作 」だったのです!

■ J.S.バッハ作曲
平均律クラヴィーア曲集 第1巻から
「プレリュード第1番 ハ長調 」

グールド 平均律クラヴィーア曲集第一巻 (J.S.バッハ )Columbia
グレン・グールド(ピアノ )
録 音:1962年
音 盤:Columbia

 J.S.バッハの オリジナル原曲から聴きましょう。
 とても個性的なピアノの弾き方に驚きますが、チェンバロの響きと音色を模しているんだよという奏者の意図を説明されれば、ああ なるほどとも思います。一聴、好き嫌いの分かれる演奏ですが、その音の粒立ちの美しさに関しては グールドの右に出る者はいないでしょう。
 ところで よく聞くと、ピアノでアルペジオを弾きながら グールドが ふんふんと鼻歌を唸っている声が かなりはっきりと聞こえてきますが、彼が ここで歌っているのは もちろん グノーの「アヴェ・マリア 」のメロディ・・・ であるわけが、ないです(笑 )。

シャルル・グノー作曲
アヴェ・マリア

アヴェ・マリア スケルツォ倶楽部_0002
鷲見恵理子 / 紀尾井リサイタル
収録曲:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番ニ短調( J.S.バッハ )、無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番イ短調( イザイ )、奇想曲第22番、第3番、第13番、第11番、第14番( パガニーニ )、レチタティーヴォとスケルツォ・カプリース( クライスラー )、アヴェ・マリア(グノー )
録 音:2006年11月30日 紀尾井ホール
音 盤:ムジカミーチ / オフィス・アミーチ(ES-1002 )

 これは たいへんめずらしい、グノーが1859年に加筆・作曲した「アヴェ・マリア旋律のみを 無伴奏ヴァイオリンで演奏した、しかもライヴ録音です。ヴァイオリン一本で臨んだ、完全ソロ・リサイタルの録音ですから、この「アヴェ・マリア 」においても バッハ原曲プレリュード 」は 当然聴こえてこないのですが、けれども この演奏がアンコールとして かくも伸びやかに弾かれた時、紀尾井ホールで彼女のヴァイオリンを聴いた人々全員の心の奥深くでは、きっと同時にバッハのアルペジオが鳴り響いていたことでしょう。
 鷲見恵理子さんは、実は あの鷲見三郎の直系の孫にあたるヴァイオリニストで、ミラノを中心に演奏活動を行う実力派です。

■ J.S.バッハ作曲 + シャルル・グノー加筆 / 作曲
「アヴェ・マリア 」

森麻季_あなたがそばにいたら~Bist du bei mir~ スケルツォ倶楽部
森 麻季(ソプラノ )「あなたがそばにいたら Bist du bei mir 」より
山岸茂人(ピアノ )

収録曲:あなたがそばにいたら(J.S.バッハ )、オラトリオ《メサイア》より『大いに喜べ、シオンの娘よ 』、歌劇《セルセ 》より『オンブラ・マイ・フ(懐かしい木陰よ ) 』、歌劇《リナルド 》より『涙の流れるままに 』、歌劇《エジプトのジュリオ・チェーザレ 》より『つらい運命に涙はあふれ 』、『嵐の海で難破した小舟は 』、(以上、ヘンデル )、リディア(フォーレ )、蜂すずめ(ショーソン )、私にとってあなたは(コルンゴルト )、神様護って下さい(ミヨー )、歌劇《ホフマン物語 》より『小鳥はあかしでの木に止まって 』(オッフェンバック )、春の声(J.シュトラウスII )、からたちの花(山田耕筰 )、アヴェ・マリア(J.S.バッハ=グノー )
録 音:2003年 5月23日 ニューヨーク、カーネーギー・ホール
音 盤:Avex Classics(AVCL-25005 )

 歌曲の伴奏としての働きに徹するJ.S.バッハの原曲「プレリュード 」のほうにも意識的に耳を傾けつつ、同時にグノーの作った「アヴェ・マリア 」旋律いかに美しくバッハの和声の流れに溶け込んでいるかを 聴きどころといたしましょう。
 ピアノ(バッハ )ソプラノ独唱による、グノーのオリジナル編成での録音は 意外に少ないもので(アレンジされている演奏が殆ど )、発起人の手元にあった唯一のCDは、この 森 麻季盤だけでした( 但し ト長調に移調されてます )。

■ J.S.バッハ作曲 + シャルル・グノー加筆 / 作曲
「アヴェ・マリア 」

アヴェ・マリア スケルツォ倶楽部_0001
キャスリーン・バトル(ソプラノ )
クリストファー・パークニング(ギター )
収録曲:
ジョン・ダウランドの音楽、アヴェ・マリア(バッハ=グノー )、アリア(ヴィラ・ロボス )、ゴヤのマハ(グラナドス )、3つのブラジルの歌(エンリケ、オヴァーレ、バローゾ )、7つのスペイン民謡(ファリャ )、6つの黒人霊歌
録 音:推定1985年頃
音 盤:EMI(東芝 EMI / CC33-3668 )

 こちらは クリストファー・パークニングギター伴奏キャスリーン・バトルソプラノ独唱による「アヴェ・マリア 」です。その音色にまったく違和感はありません、むしろ同じ撥弦楽器であるチェンバロに共通する音色を思わせます( 但しヘ長調に移調されてます )。


サクの喪失感を 癒(いや )せるのは、亜紀ひとりだけ
世界の中心で愛をさけぶ_スケルツォ倶楽部 (12)
 17年前の亜紀が弾くピアノの録音を聴きながら、17年後のサクは いつの間にか ヘッドフォンを外しています。
 彼の耳には、たとえ録音テープを再生しなくても 高校時代の夕日が差しこむ体育館のステージで 実際に亜紀が弾いた「アヴェ・マリア 」を聴くことが出来たし、また たとえ亜紀が そこにいなくても、ピアノに座って鍵盤に指を運ぶ彼女の姿を 瞳をとじて描くことも出来たのです。なぜなら その日とは、彼が初めて亜紀自身から 彼女の不治の病名を告げられた日でもあり、その衝撃の大きさから きっと記憶も鮮明であったはずだからです。
 あの場面の秀逸な幻想的映像は、そんなサクの心象風景だったに違いありません。ピアノの音亜紀の姿サクの記憶に深く刻まれているもので、彼はヘッドフォンを通さずとも自分自身の思い出の中に 彼の愛する存在を 描くことが出来たのでしょう。

【 以下、映画のネタバレを含みます 】
 その後、大人になったサク亜紀カセット・テープには、実は まだ聴いていない「最期の一本 」があったことを知ります。それは、当時 不可抗力によって サクの手元には 届かなかったメッセージでした ( それが 17年後に渡されるという劇的な経緯については、映画のストーリーを構成する もう一つの対位法的な副主題とも言い得るエピソードが織り込まれているのですが、スミマセン、そちらの詳細は ここでは省略させて頂きます )。
 
 彼は、生前の亜紀が そこへ行くことを切望しながら遂に叶わなかった オーストラリアのウルルの地 = 「世界の中心 」に立ちながら、その風の中で、彼女の最期の声を 初めて聴くことになります。
ウルル(エアーズロック )
オーストラリア ウルル(エアー'ズ・ロック ) Wikipediaより

 そのテープは、亜紀が亡くなった日 - 10月28日 - に録音されたもので、先立とうとする亜紀が もう彼には 会わないことを決めた理由と、今までのサクの愛ヘの深い感謝と未来のサクへの温かい希望を述べた言葉が綴(つづ )られていたのでした。

亜紀の声 ) 「・・・あのね、わたしたち もう会わないほうがいいと思うの。 あなたと過ごした、永遠の何分の一かの時間が、わたしの生涯の宝ものです。あなたがいてくれて幸せだった・・・ いいよね? わたしたちは 今日でお別れ - 。 あなたが大人になって・・・、結婚して・・・、仕事をして・・・、未来を生き続けることを想像しながら、今夜は眠ります・・・ 」
亜紀の声 ) 「(でも )目を閉じると、やっぱり あなたの顔が 忘れられない・・・ 」
「思い出すのは、焼きそばパンを頬張った 大きな口、 - 顔をくしゃくしゃに崩して笑う笑顔、 - ムキになってふくれるけど すぐに振り返って笑ってくれたときの優しさ、 - 夢島でのあなたの寝顔・・・ 今もすぐ目の前にあって 触れていたいよお・・・ 」
「バイクに乗せてくれた時の あなたの背中の温もりが、一番大切だった・・・ 」
「あなたとのたくさんの思い出が 私の人生を輝かせてくれた・・・ 」
「本当に、そばにいてくれて ありがとう 」
「忘れないよ、 あなたと過ごした大切な時間・・・ 」


 耳元でささやく 亜紀最期の言葉を聴くことによって、17年間 彷徨(さまよ )い続けた サクの 心の傷は ようやく癒(いや )されます - ここは、たいへん感動的です。そして彼は テープの中に遺されていた遺言どおりに、彼女の遺灰を ウルルの風に乗せ、空高く撒くのでした。

亜紀の声 ) 「わたしの灰をウルルの風の中に撒いてほしいの・・・ 」
「そして あなたは、あなたの今を生きて。 」
「あなたに会えて よかった・・・ バイバイ 」


■ サクには、バッハ=グノーの「アヴェ・マリア 」を B.G.M.に
   亜紀ラストメッセージで ウルウルしてほしかったのに。

 このラスト・シーン平井 堅超名曲「瞳をとじて 」が流れるエンディング・タイトルとの間、すなわち サク亜紀最期のメッセージを 17年めにして「初めて 」聴く場面で - 実際に使われているオリジナル・サントラ曲も 悪いわけではないので、それが とても主観的な意見であることは 自覚しておりますが -  J.S.バッハ=グノー作曲「アヴェ・マリア 」を、( 二人の挫折を象徴する 体育館のピアノによるヴァージョンではなく、 ) たとえばハープと弦楽合奏など ピアノ・ソロではない楽器編成による演奏を、亡き恋人の真意を知って 心の傷を癒された サクが浮かべる、救われた表情の背景に(画面のオフから )静かに流してもらえていたらなー・・・って、想像してしまいました。
大沢たかお_世界の中心で、愛をさけぶ_癒しのラスト・シーン_スケルツォ倶楽部
 それは なぜなら、同じ「アヴェ・マリア 」でも シューベルトの「アヴェ・マリア 」ではなく、リストのでも ブラームスのでもなく、ましてや 伝カッチーニの「アヴェ・マリア 」でもない、他ならぬ バッハ=グノーによる 「137年もの時空を超えた 」 特別な「アヴェ・マリア 」 を 行定監督がわざわざ選んだというところに、私は 「情報の発信者から 時間や場所を隔てた受信者との間に 呼応し合う相関関係 」を象徴させる 意図的なメッセージが仕込まれたのであろう、と解釈していたからなのです。
 だって 思い出してみてください、この映画の最初のシーンを。
 台風が近づく暴風雨が窓ガラスを叩く真夜中の病室の回想 - そこでは サクが 重篤な亜紀を「世界の中心 」に「必ず連れて行くよ 」という決意を伝えていましたが、その二人の会話の背景では バッハ=グノーの「アヴェ・マリア 」(体育館でのピアノ・ソロ演奏バージョン )の断片が しっかりと流れていたではありませんか。
 で あるにもかかわらず、主人公サク亜紀最期の言葉を 聴き、長い間 背負い続けてきた 苦しい心の重荷を下ろすことになる、その解放のラスト・シーンにおいて、 どうして 監督は せっかく仕込んでいたはずの バッハ=グノーを使わなかったのかなーって、私は ひとり勝手に残念がっています。
 よいですか、若い二人の目的を 阻止・阻害するような負の存在を、もし「」や「ピアノの音 」が 象徴していた と解釈すれば、映画のラスト・シーンである 晴天のウルルの空、そこで 三度(みたび )バッハグノーの「アヴェ・マリア 」を - ピアノ以外の演奏方法によって - サウンド・トラックで流すことによって、サクの心を締め続けていた苦しみのロックが 二重の意味で外れたという証しを 観客に対し 聴覚的にも表現し得たはずではありませんか? 行定監督?
 ・・・って、かなり主観的な直感で ココは書いてしまったことを、今も熱心な「セカチュー 」ファンの方々には、先だってお詫びいたします。 思わず熱くなっちゃって、( ため息 )どうもすみませんでしたー 。


世界の中心で愛をさけぶ_スケルツォ倶楽部 (8)
亜紀「てへっ、胸あたる? 」 、サク「あんまり ひっつくなよー ( ・・・って、実は 嬉しいぜ ) 」

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