スケルツォ倶楽部 
「モーツァルト 最期の年 」 
モーツァルト 最期の年     ▶ もくじは こちら


(18) ジュスマイヤー、バーデンを訪れる

 一方、そのころジュスマイヤーは、ウィーン郊外のバーデンという、温泉地として知られる土地を訪れていました。なぜなら、ボヘミアの国立劇場でこの秋に上演されるオペラ・セリエの作曲を、サリエリ経由でW.A.に依頼することになったプラハの興行主が、ここに湯治を兼ねて滞在していたためです。
 ジュスマイヤーは、まだ脚本作家から台本さえ届いていない、そんな実体もわからない新作オペラについて、国立劇場の収容人員やそこで演奏が可能なオーケストラの規模や合唱の人数、また皇帝の戴冠記念上演であることに際して知っておくべき事前の注意点等を、温和な興行主から詳しく聴取すると、それら打ち合わせ内容をしっかりと書き留め、今まさに 興行主が滞在する豪華なホテルを後にしたところでした。
 ウィーンに戻る旅客馬車の復路時刻を確かめるために 彼はホテルのそばに設けられた馬車の停留所までぶらぶらと歩いてゆきました。しかし、掲示板に記された定期便の時刻までには、何とまだ2時間もありました。
「うーん、さすが 田舎 」
15分毎に馬車が走り回っているような ウィーン市内や王宮周辺の交通事情に比べれば あまりにも違います。仕方なく 若い音楽家は、時間をつぶすことを決めると、周辺を散歩しはじめました。
「それにしても このあたりは、とても風光明媚な土地だなー 」
見渡すと、少し離れたところに 村の小さな教会があり、その石造りの古い建物の内側からは どうやら稽古に励んでいるらしい聖歌隊の合唱がかすかに聞こえてきます。
 幼い頃、同じような教会で 聖歌隊員を務めていたことのあるジュスマイヤーは、自身の幼少時代を 何となく懐かしく思い出しながら 美しいソプラノ独唱の旋律にしばらく耳を傾けていましたが、次の瞬間 ハッとしました。
「あ、これは モーツァルト先生が 若い頃に作曲なさった『ヴェスペレ 』だ 」
ジュスマイヤーは、思いがけない場所で 敬慕する師たるW.A.の音楽が流れてきたことに驚き、思わず教会まで駆けていました。

「おや、見学のかたですか 」
村の老若男女で構成されているらしい20人にも満たない人数の混成合唱を前にして、小さな据置型のポジティーフ・オルガンを弾きながら目で指揮していた 指導員らしき初老の男は、突然 教会に入ってきたジュスマイヤーに 優しく声をかけました。
「・・・あ、すみません。あまりに美しい合唱が聞こえてきたので、つい心惹かれて、お邪魔してしまいました。私はフランツ・ジュスマイヤーと申します、ウィーンから参った音楽家です。どうか失礼をお許しください 」
指揮者は ニコニコしながらも、よっこらしょとオルガンの椅子から降りると、
「ジュスマイヤーさん、どうかお顔をお上げなされ。音楽を愛する者同士なら すでに仲間。私はアントン・シュトールと申す者、この教会の『 楽長 』を 務めておるのじゃ 」
と軽くおどけてみせる、そんな「楽長 カペルマイスター 」という言葉の物々しさに 合唱団全員が 互いに顔を見合わせると楽しそうに噴き出しました。
「ぷ・・・先生ったら、おかしいなあ 」
「カペルマイスターだってさ 」
「おんぼろ教会の楽長先生、あははは 」
「わははは 」
とても良い雰囲気です。 “楽長”アントン・シュトールも苦笑いを隠せず、そこで ぱんぱんと軽く両手を叩きながら、言いました。
「さあ、ちょうど良い。ここで15分ほど休憩にしようではないか、皆さん。お水を飲んでおいたほうがよいじゃろう 」
三々五々散ってゆく合唱団員の姿を目で追いながら ジュスマイヤーが、
「今の曲は、ヴォルフガング・モーツァルトの作曲した『ヴェスペレ 』第5曲『ラウダーテ・ドミヌム 』ですね 」
そう指摘すると、先ほどまで この「ラウダーテ・ドミヌム 」で独唱を務めていた、妙齢のソプラノ歌手が 少し驚いたように振り向きました。
「あら、そのとおりですわ 」
「お若いのに よくご存知じゃの 」
と、シュトールは 若いジュスマイヤーの顔を眩しそうにみつめました。この小さな教会の祭壇の前には、今や シュトール、ジュスマイヤー、そして この女声歌手の3人だけになっていました。
「実は、私は ウィーンでモーツァルト先生の教えを受けている者です 」
「えっ? 」
と、それを聞いたシュトールと歌手の女性は なぜか表情を変えて 互いに顔を見合わせました。
「どうかされましたか 」
不思議に思ったジュスマイヤーは、当然尋ねます。
「それは偶然な・・・。失礼じゃが、ジュスマイヤーさんは 本当にモーツァルト師のお弟子さんですか 」
「はい。それが 私の誇りです。 でも『偶然な 』とは どういう意味ですか、シュトールさん 」
すると 指揮者はこれに応え、
「実は、この女性(ひと )は 間もなく この教会で結婚式を挙げるのじゃが - 」
と その言葉に かたわらで少し頬を染めているソプラノ歌手に視線を移しながら、彼は言葉を続けました。
「その祝別式で執り行われるミサ聖祭でも重要な儀式 - 聖体拝領、といっても お若いかたはご存知ないかな・・・ 」
「いえ、私は 幼い頃から教会で暮らしていたので、承知しております。婚姻の式では、主イエスさまの御身体の象徴でもあるパンとぶどう酒を 新郎と新婦が神の御前で共に受けることによって、結ばれることを証しするわけですよね 」
「おお、そのとおりじゃ。まさにその聖体拝領の時に 聖歌隊が歌う新しい 『モテット 』の作曲を、実はモーツァルト先生にお願いしようと ちょうど我らは考えていたところだったのですよ 」
新しい作曲の依頼を切望している恩師W.A.の経済状況をよく知っているジュスマイヤーは、それを聞くと思わず叫んでいました。
「それは良いお考えです! きっとわが師モーツァルトは 喜んで応えるでしょう 」
「そうでしょうか、依頼を受けてもらえるかしら 」
新婦である ソプラノ歌手の女性が、心配そうにジュスマイヤーに尋ねました。
「私が請け負いますよ。それよりご結婚おめでとうございます。お名前を・・・ 」
すると彼女は 少しうつむいて小さな声で名乗りました。
「わたし ・・・コンスタンツェ・ウェーバーと申します 」

  ― つづく ( この物語は パラレル・ワールドのフィクションです。史実との違いを お楽しみください )


■ 今宵の音盤
モーツァルト_ヴェスペレK.339 ホッグウッド、シュレーダー、エンシェント室内管弦楽団
「ヴェスペレ 」 ハ長調 K.339
クリストファー・ホッグウッド指揮
エンシェント室内管弦楽団
エマ・カークビー(ソプラノ ) 他
ウィンチェスター大聖堂聖歌隊、ウィンチェスター・カレッジ聖歌隊
( C/W 戴冠式ミサ ハ長調 K.317 )
録 音:1990年11月 ハムステッド
音 盤:オワゾリール(ポリドール POCL-1296 )

 ヴェスペレとは、いわゆる「夕べの祈り 」 - カトリック教会の日没時に執り行われる晩課です。モーツァルトには 実は 同じハ長調のもうひとつの「ヴェスペレ 」K.321 がありますが、こちらは 1780年、若きザルツブルク時代に作曲された、最後の教会作品のひとつでした。
 本日の文章の中に登場させた 第5曲が 美しいソプラノ独唱によって記憶に残る、隠れた名曲「ラウダーテ・ドミヌム 」です。エマ・カークビーの 清らかで美しいソプラノで聴けることに大満足で、ホッグウッド(指揮 )とエンシェント室内管弦楽団による雅びな古楽オケの音色も とりわけお気に入りの理由です。
 なお、同じディスクにカップリングされている「戴冠式ミサ 」ハ長調 K.317 のほうがおそらくずっと有名ですが、これもモーツァルトがザルツブルク時代に書いた教会作品の傑作です。こちらは レオポルド2世のボヘミア王としての戴冠式がプラハで行われた時、アントニオ・サリエリの指揮によって演奏された記録が残っています。おもしろいことに、この曲はサリエリのお気に入りだったらしく、前年にフランクフルトで行われた神聖ローマ皇帝としての戴冠式、さらに1792年に即位したフランツ1世の戴冠式にも使われたのだそうです。

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