スケルツォ倶楽部 Club Scherzo ⇒ Home
執筆するスヌーピー
短い オリジナル小説 ⇒ もくじ



「サロメ 」 異聞
Oscar Wilde Salomé_部分_Lucien Lévy-Dhurmer(1896)
(左 ) 戯曲「サロメ 」原作者 オスカー・ワイルド Oscar Wilde(1854 - 1900 )
(右 ) さて、あなたには この画が どう見えますか?
            - 正解は・・・ どうぞ 記事の最後までお読みください -

 こんにちは、“スケルツォ倶楽部発起人(夫のほう )です。
 新約聖書の伝承を題材に オスカー・ワイルドが戯曲にし、この独訳を台本にして リヒャルト・シュトラウスが作曲した 楽劇「サロメ 」 につきましては、当ブログ内 「ゲアハルト・シュトルツェの演技を聴く 」 のコーナーにおいて 再三 話題にさせて頂いておりますが - (18 )「サロメ 」その1:ヘロデ・アンティパスを予習する(2011.01.29. ) (19 )「サロメ 」その2:ヘロデの凄さを思いきり語る(2011.01.30. ) をご参照 - しかし 今回は このドラマが、もし「ヘロデひとりの 狂った頭から観た世界 」としての「結果 」だったとしたら? ・・・という 飛躍した仮定に基づく「もうひとつの世界 」を 勝手に描いた、“スケルツォ倶楽部発起人による オリジナル・ストーリーであります。

 サロメの置かれた境遇、義父ヘロデ、母ヘローディアスとの関係について ⇒ こちら を ご覧ください

■ 「サロメ 」異聞 
 ヘロデ・アンティパスの 常にローマ総督の顔色を窺い、出口の無い危機意識と強いストレスから来る焦燥感に、一瞬たりとも気を抜くことが出来ない日々。
 かつては美しかった妃ヘローディアスも、今ではすっかり太って醜い中年女となり果て、それなのにいまだユダヤ王家の末裔という高貴な出自を鼻にかけ口うるさく、最近では家臣や客人の前でさえ遠慮なくヘロデを見下す態度を取るようになっている、こんな女のために腹違いの兄を12年間も監禁した挙句に殺してしまったのか、という良心の呵責にも迫られ、昼夜深酒に逃避する毎日を繰り返すうち 身も心もボロボロになり、その精神も壊れ始めていたのです。

 一方、サロメは、物心ついた頃から母とその年下の夫であるヘロデに嫌悪感を抱き続けていました。
 義理の娘にして実の姪という関係にありながら、最近のヘロデは、思春期を迎えたサロメの胸や腰に表われ始めた美しく豊かな曲線を、あからさまに情欲をみなぎらせた眼差しで凝視してばかりいます。少女サロメが継父ヘロデを生理的に嫌悪、忌避する気持ちは、日増しに強まっていきました。

 彼女の境遇を哀れに思った第三者からでしょうか、あるいは お節介な従臣あたりが 「姫さま、あなたの愛する実のお父上 フィリポス殿は、実は 牢獄の古井戸の底で、まだ生きておられますよ 」という間違った情報をサロメに与えたとします。あるいは フィリポスが まだ生かされていた時期に教えたものかもしれませんが、いずれにせよ その後 彼女の実父フィリポスは処刑され、その事実をサロメは知らなかったものとします。地下牢に監禁されているのは、今は 聖者ヨカナーンに入れ替わっていました。しかし 彼女は、まだ幼い頃の若き父親の面影しか記憶には無く、暗い古井戸で佇む若い預言者の姿を見て、それが自分の父フィリポスであると錯覚してしまいます。
 ・・・ああ、父上は生きておられたんだ、どんなに会いたかったことか、お父さま! そして12年ぶりに「父 」と言葉を交わした感動に胸がいっぱいになります、「わたしが幼かった頃のように、お父さま、どうぞ抱きしめて、接吻してください! 」。
 地下牢のヨカナーンにとっては、自分が激しく糾弾しているヘローディアスの娘が なぜ自分を慕わしげに見つめているのか 理解出来なかったことでしょう。預言者は 警戒心から 決してサロメに目を合わせようとはせず、口づけも許さず、その代わり、重ねてサロメの母親の不倫を非難し ガリラヤ湖畔で伝道しているキリストに救いを求めるよう少女に諭してから、自ら牢へ戻ってゆきます。

 「父 」への無垢なキスを退けられたサロメは、ヨカナーンの不可解な言葉を「父の言葉 」として聞き、「やはりお母様がヘロデと共謀して お父上をお辛い境遇に陥れたのだわ 」という確信だけを強くします。そして固く誓うのでした、「わたしが必ずお救いしてみせます、お父さま。解放されたその時には、その唇に どうぞキスさせてくださいね! 」。

 不気味に鮮やかな赤い月が夜空を流れてゆく今宵も、視点の定まらぬヘロデが客人や廷臣たちを連れ、サロメを追いながら宮殿の屋外テラスにテーブルごと移ってきました。
 狂った継父ヘロデは、ヘローディアスの娘を手招きして呼び寄せ、あれこれと機嫌をとろうとしますが、やがて突然思いつきでサロメにダンスを所望します。サロメは、母とヘロデには もはや憎悪の感情しか持っていません。
 ・・・ふん、誰が踊るもんか。え? ご褒美をくださるって。しかも「何でもいいんだぞ 」ですって・・・ ヘロデは狂っています。「誓って、この国の半分でも与えよう 」、「誓いましたね、王さま 」サロメは真剣に念を押します。「誓ったとも、サロメ 」と、何の権限も力も無く 「王 」でさえない単なる「分封領主 」は答えます。
 母と共謀して父フィリポスを虐待し「続けている 」、そんな憎きヘロデの前でサロメは ある目的のために 羞恥心を抑え、忍耐強く「7枚のヴェールの踊り 」を 舞い終えました・・・。
「おお、見事であったぞ。素晴らしい、ヴンダーヴォル! 」。
ヘロデが興奮しながら 喝采しています。
 彼女の全身を濡らす清らかな汗を 乾かすかのように 涼しい夜風が 身体を吹き抜けてゆきます。しかし 次の瞬間 素早く衣服を羽織り、少女が その美しい身体を隠しながら ダンスの「褒美 」として 決然と要求したものは、ヘロデの想像を遥かに超えたものでした。
「約束ですよ、王さま。お願いします、わが父フィリポスを地下牢から出してください! 」
「な、なんじゃとお!? 」

 ・・・繰り返しますが、ここでのヘロデは 狂っています。
 預言者ヨカナーンと すでに死刑に処した筈の サロメの父フィリポスという、自分を激しく糾弾する両者の存在が、混乱しきったヘロデの頭の中では 判別不能の状態となり、現在(いま )二人の男が同時に牢獄の中にいるのです。
 不倫姦淫と殺人とを責める預言者の声が、いつのまにか 殺したはずの異母兄の声となって 真っ暗な古井戸の底から依然として叫び続けているかのように ヘロデの耳には聞こえました。
 その異母兄を「牢から解放せよ 」というサロメの要求は、ヘロデの思考をさらに混乱へと追い詰めます。それは、フィリポスの名前を抑圧する転換行為だったのか、「牢から出す 」という言葉への連想的訂正だったのか、あるいは何らかの代償行為だったのか・・・ この時 サロメが要求する声が、狂ったヘロデの両耳の管を通って頭蓋骨の内部に反響した時には、彼の心の中では このように「聞こえた 」のでした。
「約束ですよ、王さま。お願いします、ヨカナーンの首を 銀の盆に載せてください! 」
「な、なんじゃとお!? 」

 ・・・マルコによる福音書では「(ヘロデは )非常に心を痛めたが、誓ったことではあるし、また客人の手前、少女の願いを退けたくなかった。そこで衛兵を遣わし、ヨハネ(ヨカナーン )の首を持って来るようにと命じた 」と書かれています。

 ヘロデがさんざん躊躇(ためら )った末、遂に自分の要求を受け容れたことに、サロメは興奮していました。
 ・・・良かった。わたしの力で、とうとうお父さまをお救いすることが出来る! そんな喜びに浸っていたことでしょう。
 しかし、地下の階段を上がってくる足音が、解放された「父 」のものではないと気づいた、その次の瞬間、アフリカ系の大男の処刑人ナーマンによって 切断された「父 」の生首が 銀の盆に載せられているのを見た彼女が受けた衝撃は どれほど大きかったことか。スカルピアに欺かれ、銃殺されたカヴァラドッシの血潮に塗れた姿を見たトスカの心境に近いものがあったことでしょう。
 少女サロメは - 誤解から「父 」と信じて - 切断されたヨカナーンの首を掻き抱き、大粒の涙を流しながら 彼に別れの接吻をするのでした。
Salomé by Lucien Lévy Dhurmer, 1896
サロメ Salomé by リュシアン・レヴィ = デュルメル Lucien Lévy Dhurmer, 1896年
 
 ・・・ああ、お父さま。このようなお姿になってしまうとは、なんということでしょう。助けて差し上げられず、本当に申し訳ありませんでした。せめて お亡くなりになる前に、成長したわたしのことを、しっかりと その眼で見て頂きたかったものを!

 しかし、「狂ったヘロデ 」にとっては、与えられたご褒美を受け取った 少女サロメの姿は、決して父の死を悲しむ娘の姿には見えませんでした。
 ヘロデの異常な想像力を通して見た眼には、それが「狂気の恋に取りつかれた色情狂の女が、自分の思い通りにならなかった男の首を断たせた末 今や その生首を抱え、快楽に嬉し涙を滴らせながら その唇をむさぼり奪っている 」という 世にもおぞましき光景として、酷く歪んで 見えたのでした。
 そして 狂ったヘロデは、最後に 衛兵たちに命令します。
「殺せーい、あの女を! 」 
                                             ― 幕

 今回の オリジナル小説 「サロメ 」異聞 は、ゲアハルト・シュトルツェの演技を聴く - 番外編 - として 2011年 1月30日 “スケルツォ倶楽部” で 一度 発表した文章に、私 発起人 自ら 推敲の手を加えたものです。

 ↓ 清き一票を
にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ
にほんブログ村
blogram投票ボタン
人気ブログランキングへ
Club Scherzo, since 2010.1.30.

関連記事
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

トラックバック

トラックバック URL
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)