スケルツォ倶楽部
名優ゲアハルト・シュトルツェの演技を聴く
 オルフ「オイディプス王」(クーベリック)D.G.ゲルハルト・シュトルツェ(最小サイズの肖像写真)   目次は こちら

(36)ショルティの「魔笛 」で モノスタトスを演じる

■ 1969年「モノスタトス」 ~ モーツァルト:歌劇「魔笛 」
モーツァルト「魔笛 」ショルティ(デッカ=ロンドン )盤 ゲオルグ・ショルティ(Decca )
モーツァルト:歌劇「魔笛 」
 ゲオルク・ショルティ指揮
 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
 ウィーン国立歌劇場合唱団
   スチュアート・バロウズ(タミーノ )
   ピラール・ローレンガー(パミーナ )
   ヘルマン・プライ(パパゲーノ )
   レナーテ・ホルム(パパゲーナ )
   マルッティ・タルヴェラ(ザラストロ )
   クリスティーナ・ドイテコム(夜の女王 )
   ハンネッケ・ヴァン・ボルク、
   イヴォンヌ・ミントン、
   ヘティ・ブリューマッヒャー(以上、3人の侍女 )
   ゲアハルト・シュトルツェ(モノスタトス )
   ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(弁者 )
   ウィーン少年合唱団員(3人の少年 )、他
録 音:1969年 9月~10月 ウィーン、ゾフィエンザール
音 盤:デッカ(ポリドールPOCL-2141~43 )


 あまりにも短かかったモーツァルトの 生涯最後の年に作曲された「魔笛 」は、もうこれでもかとばかりに美しい旋律が 惜し気もなく溢れ出す天然の泉のようなジングシュピール劇 - 歌芝居 - で、これについての評論・分析・感想などを探せば、書物ばかりだけでなく ネット上も範囲に入れれば それこそ無数に存在するでしょう。そして公演や音盤についての批評や論評なども含めると、その量は さらにそれらの優に数倍にはなるものと思われます。
 ・・・それでも このオペラの登場人物の中でも 端役「モノスタトス 」について書かれた文章は - というと、ぐっと少なくなるものと察します。
 当文章は、ゲアハルト(ゲルハルト )・シュトルツェが この「邪悪なムーア人 」を演じている唯一の音盤、即ちショルティ(デッカ=ロンドン )盤について 少し語らせて頂くわけですが、付随的に モノスタトスについても多少 考察させて頂きます。

■ 西洋音楽の題材に頻出「ムーア人 」とは?
 さて、もし音楽好きの方に「ムーア人 」という言葉から連想させるものを尋ねれば、やはり 真っ先に ヴェルディ(あるいは ロッシーニ )作曲の 歌劇「オテロ 」タイトルロールが 出てくるのではないでしょうか。
 そう言えば、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「ペトルーシュカ 」にも、主人公の天敵としてムーア人形が登場しますが、いずれも彼らは 共通して肌の黒いアフリカ系人種というイメージが定着しているようです。
 しかしWikipediaなどによると、「ムーア人 」とは もともと「北西アフリカのイスラム教徒の呼称 」で、必ずしも黒肌の人種を指してはいなかったそうです。その語源は「ローマ時代に北西アフリカの住民( = ベルベル人 )を “ マウハリム ” と呼んだ事に由来 」し、ちなみに その“ マウハリム ”とは「フェニキア人の言葉で 『西国の人 』 」という程度の意味なのです。そして「7世紀以降には 北アフリカのイスラム化が進み、イベリア半島に定着したアラブ人やベルベル人は 原住民から 『モロ ( 言うまでもなく、ムーアの語源 )』と呼ばれ 」るようになり、次第に「アラブ、ベルベルを問わずイスラム教徒一般を指す呼称 」となり、さらに 「レコンキスタ ( 718年~1492年 : キリスト教国によるイベリア半島の再征服活動 )以降は、再び北西アフリカの異教徒住民を指すよう 」になった、というものです。
 博識な音楽評論家の長木誠司氏も、実際のムーア人を 「主としてベルベル人から成る彼らは、元来コーカソイドで 白人種 」であると指摘しておられます。それを「黒人にしてしまうのは、イスラムにイベリア半島まで侵入されたヨーロッパ人の眼から見た、“ 異人・蛮人 ”の姿の反映に過ぎ 」ず、「オテロ 」の原作者でもあるシェイクスピアの他の作品「タイタス・アンドロニカス 」に登場するムーア人アーロン という悪玉を引き合いに出しながら、 「その悪辣な人物像は、やはり後世のイスラム教徒ムーア人のイメージから遡及して作られたものであろう (長木誠司 「ディスク遊歩人 / 音盤街そぞろ歩き 」~ 12. 「沈黙する日本表象 」より ) 」 - という、実に鋭い指摘をしておられました。勝手に引用させて頂いた 上記の部分は、必ずしも そこで長木氏がお書きになっておられた文章の主文ではなかったのですが、私には この部分が たいへん興味深く感じられた次第です。

■ 「ムーア人 」のイメージを築いた、シェイクスピアの影響
William Shakespeare(Wikipedia)
 「魔笛 」は その時代も場所も全く架空の設定ですから、モノスタトスの人物像の設定に細かいところまで拘(こだわ )る必要もないのでしょうが、やはり当時のヨーロッパ人が抱く一般的な「ムーア人 」という言葉からイメージされる「黒い肌の異教徒 」としての不当な描かれ方などから、シカネーダーモーツァルトだけでなく 当時の一般聴衆も含め、共通した認識というのも またシェイクスピア演劇からの影響が大きかった結果でもあろうと察します。
 モノスタトス第2幕で歌う唯一の小アリア「恋すれば誰しも嬉しいもの 」の中で、「肌の色が黒いというだけで、身も心も無く、血も通っていないとおっしゃるのか? 」という歌詞は、シェイクスピア作「タイタス・アンドロニカス 」の登場人物アーロンが、生まれたばかりの息子に 父親として語りかける場面の台詞「漆黒というのは、他のどんな色より上等なんだぞ。他の色に染まるのを潔(いさぎよ )しとしない色なんだ小田島雄志 / 訳 ) 」という言葉にも呼応し合っています。
 けれど、同じムーアの若者という設定ではあっても、シェイクスピアの創作した究極の悪役アーロンとは全く異なり、いえ、むしろ その屈強なイメージを逆手に取ったような、おっちょこちょいな性格キャラクター役であるがゆえに、一層ユーモラスで卑小な味わいを持つ モノスタトス は、 その最初の登場場面から 徹底的に喜劇的な存在として描かれています。

ショルティ盤で、シュトルツェモノスタトスを聴く。
 全身に鳥の羽根を植え込んだ衣装のパパゲーノと 振り向きざま鉢合わせして(片やパパゲーノの方は 生まれて初めて見る黒人の姿に )お互いにびっくり仰天し、両者別々の方向へと一目散に逃げてゆくという滑稽な場面。
晩年のシュトルツェ Hermann Prey
(左から )スタジオでレコーディング中のシュトルツェ、ヘルマン・プライ
 - ショルティ盤「魔笛 」では、名バリトン歌手ヘルマン・プライシュトルツェという、たいへん珍しくも豪華な顔ぶれによる歴史的(? )共演が聴けることも、このレコードの価値を さらに高めています
 その後 奴隷たちを伴ってモノスタトスが、宮殿からパミーナを連れて逃げだそうとするプライパパゲーノらを、大勢で取り囲んで捕らえようと追いかけてくる、手に汗を握るシーン、魔法の鈴を持っていたことを思い出したパパゲーノを振るやいなや 鳴りだしたその美しい音楽に、さっきまで険しい顔で迫ってきていた奴隷たちが 突然 表情を一変させ「ラララ・ラ・ラ… 」と全員で踊りだす場面は、いつ聴いても頬が緩みます。
 踊る奴隷たちが いつのまにか 彼らを監督する立場のモノスタトスの身体をロープでぐるぐる巻きに 歌いながら縛り上げ、喜色満面で遠ざかってゆく、という愉快な演出も かつて実際の舞台でもありましたが、そういう場面では ぜひシュトルツェにも 「あの声で 」奴隷達と一緒に「ラララ・ラ・ラ… 」を歌い踊ってもらいたかったですね( 残念ながら、ショルティ盤からは シュトルツェの声を 奴隷たちの合唱の中に 聴きとることは出来ませんでした )。
 第2幕、もはやザラストロからも見放された無頼漢モノスタトスは、それでも下心を抱いてパミーナを口説いてみたり、挙句の果て 夜の女王陣営に寝返ったりと、もうやりたい放題です。最早あきれるしかありませんが、これがシュトルツェによって演じられるのを聴くと、第1幕では道化的な存在だったキャラクターから脱皮・成長し、かつて他の歌手によって演じられた どんなモノスタトスよりも スケール大きな存在となってしまっていることに 心底 驚かされます。尤も、それに 必然性があるのか? ということになると、正直 首を傾(かし )げざるを得ない部分もあります。

シュトルツェモノスタトスは、ミス・キャストではなかったか

パパゲーノ  「みんな 気をつけて。またモノスタトスが追いかけてくるよ! 」
パミーナ    「ち、違うわ! あの男、モノスタトスじゃない! 」
タミーノ    「一体 何者だ? 」(立ち止まって 身がまえる )
モノスタトス  ( 上手から ゆっくりと姿を現わし、無言で隠れ頭巾を外す )
全 員     「うわー、ミーメだ! (爆笑 ) 」
 

 ・・・もとい。
 重ねて申し上げるまでもなく、「魔笛 」は 本来 ジングシュピール ‐ 歌芝居 - ですから、その台詞の表現は 大事な要素ではあるものの、モノスタトスの短いアリアの直前の台詞夜の女王2番目のアリア直後の台詞など、シュトルツェあまりにも劇的な表現は、その迫真性ゆえ 第2幕に進む頃には もはや 喜劇的存在であることを 自分から拒否し始めてしまっています。
 ここまでくると、一般の聴き手にとっても 好き嫌いが分かれてしまうところでしょう。
 特にドラマの最後近く では、シュトルツェ過剰な演技によって、かつては 卑小な奴隷だったモノスタトスが 今や 夜の女王拮抗するほどの強大な存在 となっていますが、そのことは 一般の聴き手には やはり違和感を与えるものではないか という危惧が拭えません。
 本来 端役であるモノスタトスに対して、一体これほど - オイディプス並み(! ) - のスケールの大きさを 期待する「魔笛 」の聴衆が 果たしているでしょうか。
 ・・・そして 気の毒に そんなシュトルツェが 彼の特異な個性を発揮すればするほど、ショルティ盤から流れ出すモーツァルトの音楽の中で、モノスタトス一人だけが空回りして 浮いてきます。
 このオペラにシュトルツェを配したのは - 主観的にはとてもオモシロく、私 個人的には ホント大満足なのですが - 俯瞰的に モーツァルトの世界劇場全体を眺めた時に、彼の起用ミス・キャスティングだったのではないか(? )という残念な想い ― このセットを30年以上 繰り返し愛聴してきた上で、敢えて申し上げますが - を やはり否定することは出来ませんでした。
 シュトルツェ自身も どこか感じるところがあったらしく、劇中で モノスタトスが歌う唯一の小アリア「恋すれば誰しも嬉しいもの 」では、この稀代の名キャラクター・テノールにしては珍しく、指揮者のテンポに - と言いますか「乗り 」に - 微妙に合わない瞬間を たびたび感じてしまうのです、ワーグナーベルク、オルフの舞台作品といった、技術的にはもっとずっと困難な歌を 常にパーフェクトにこなしてきた名手シュトルツェにもかかわらず・・・。オケの刻む細かい伴奏よりも ごく僅かですが、先を走ってしまう、そんな歌唱がシュトルツェ心の迷いまで映しているようにさえ思える ― とまで言ったら、それは やはり深読みし過ぎでしょうか。
 相当なシュトルツェ・フリークの私 でさえ、第2幕における彼の 迫真のキャラクターは、さすがにモーツァルトの世界に調和していない・・・と思いつつ しかしまた同時に、そんな「違和感 」を楽しむ 心のゆとりも持っています。 ・・・そんなショルティ盤「魔笛 」は、心中に いろいろと複雑な想いが巡るディスクでもあるのです。
Cristina Deutekom
 ・・・ところで 書くタイミングを逸してしまったので ここに付け足すように書きますが、ショルティ盤における クリスティーナ・ドイテコム夜の女王 は、どなたもご存知のとおり、史上最強 です。アリア「復讐の炎は地獄のように燃え 」をお聴きください! この人の喉は、もう「金管楽器 」そのもの、もの凄い威力を 発揮しています。

シュトルツェ、1971~1972年 「サロメ 」ヘロデを演じる、バイエルン、ニューヨーク
 その後、1971年7月 われらがシュトルツェは、フェルディナント・ライトナーが指揮する バイエルン国立歌劇場公演の R.シュトラウス 楽劇「サロメ 」で、十八番のヘロデ役を客演しています。
 この時の共演の顔ぶれは、サロメレオニー・リザネク、ヘローディアスアストリッド・ヴァルナイ、ヨカナーンディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ、これに シュトルツェが演じるヘロデ、さらには ナラボートヴィエスラウ・オフマン・・・などという、ある意味 理想的なキャスティングでした。
 その貴重な音源は、以前 Golden Melodram(海外盤 CDM27098 )からリリースされており、筆者“ スケルツォ倶楽部発起人も 実は もう随分探しているのですが、結局 今に至るまで入手できずにおります。拠って たいへん残念ながら、ここで感想を語ることは 出来ません。 !求む、どなたか どうか 譲ってください

 シュトルツェは その翌年にもカール・ベームが指揮するメトロポリタン歌劇場で 3月6日、10日、18日、23日、28日、および4月1日、5日に、やはり「サロメ 」のヘロデ役として招かれ、そこで客演しています。
 この1972年という年は、メトロポリタン歌劇場総支配人を1950年以来ずっと務め、戦後のメトの一時代を築いてきた - と伝えられる ルドルフ・ビングメトを勇退するという記憶すべき年でもありました。
メトロポリタン歌劇場で ヘロデを演じるゲルハルト・シュトルツェ   シュトルツェ、ヘロデ王を舞台で演じる
▲ メトロポリタン歌劇場で ヘロデを演じるゲアハルト・シュトルツェ

 そのニューヨーク公演での「サロメ 」共演は、レオニー・リザネクサロメ 3/6、10、18、4/1、5 )、アニヤ・シリヤサロメ 3/23、28 )、アイリーン・ダリスヘローディアス 3/6、10、18、23、4/1 )、ミニョン・ダンヘローディアス 3/28、4/5 )、トーマス・スチュアート(ヨカナーン 3/6、10、18、28、4/1、5 )、ウィリアム・ドゥーレイヨカナーン 3/23 ) - という興味深いメンバーで、主演の歌手に関しては 殆んどダブル・キャストが組まれていました。
 しかしシュトルツェだけは、上記の七公演を通して一人でヘロデを演じています(と言っても、この時の上演は この後さらに二回 続きがあり、 ‐ 4月10日、14日 ‐ さすがに その最後の二回はシュトルツェロベルト・ナジ Robert Nagy というテノール歌手と ヘロデ役を 交替しました )。
 この時期のメトロポリタン公演 - ベームの指揮、歌手の顔ぶれには たいへん興味をそそられます。さぞや優れた上演だったのではないかと察せられますが、このライヴ音源のディスクは、現在のところ正規発売されておらず、拠って こちらも筆者である “スケルツォ倶楽部”発起人 は、未聴です。何も書けません。

■ 1972年秋、メトロポリタン歌劇場で「ジークフリート ミーメを演じる
 メトへのカラヤン演出によるザルツブルク「指環 」引越公演は、3年前の1969年2月に行われた「ラインの黄金 」及び「ヴァルキューレ 」から 暫らく中断されていました。
 これは、その年の秋にメトで出演者・舞台裏方をも巻き込んだ大規模なストライキ騒動が勃発したことが原因で、労働争議を嫌うカラヤンが これを理由に渡米をキャンセルしたものである、と伝えられてきましたが、実は それは表向きの理由で、すでに1967年~1969年の公演を通し、メトのオーケストラと相性が合わないことに嫌気が差し始めたカラヤンが、自分自身が大西洋を渡らなくても済むような 何らかの口実を求めていたところ、降って湧いたようなこの事件を「使える(! ) 」として 秘かに喜んだ、という信憑性高い情報もあったり - リチャード・オズボーン著「ヘルベルト・フォン・カラヤン ( 木村博江=訳、白水社 ) 」 - いろいろな点で興味深いです。
60年代のカラヤン ヘルベルト・フォン・カラヤン_0003
 
 いずれにしても メトにおけるザルツブルク「指環 」引越公演は、その後 1972年11月に「ジークフリート 」、「ヴァルキューレ 」、1974年3月に「神々の黄昏 」、そしてやっと1975年2~3月に「指環 」の全4部作と、断続的に実現されることになるものの、その指揮台にカラヤン自身が立つことは もう決してありませんでした(ちなみに、その後メトカラヤンの事実上の代行を務めた指揮者は、1972年 エーリヒ・ラインスドルフ、1974年 ラファエル・クーベリック、1975年 ジクステン・エーリング Sixten Ehrling という顔ぶれでした )。

メト出演時の G.シュトルツェ  
 ゲアハルト・シュトルツェは 1972年 3月~4月に 前述のとおり 楽劇「サロメ 」ヘロデ役として渡米したばかりでしたが、それから約半年後となる この楽劇「ジークフリート 」公演では、最大の当たり役 ミーメを演じるため、三度(みたび )メトの舞台に立つことになります。
 指揮は、前述のとおりラインスドルフ。11月17日(初日 )と28日、ジェス・トーマス(ジークフリート )、ビルギット・ニルソン(ブリュンヒルデ )、トーマス・スチュアート(さすらい人 )、リリ・コーカシアン(エルダ )、グスタフ・ナイトリンガー(アルベリヒ )、ハンス・ゾーティン(ファーフナー )、ジュディス・ブレゲン(森の小鳥の声 )という これも たいへん豪華な顔ぶれによる公演でした。
 同時に この時の公演は、シュトルツェメトへの最後の出演となった12月4日の公演を含んでいます(12月に入ってからの公演は、ニルソンに代わってウルスラ・シュレーダー=ファイネンブリュンヒルデ役を演じ、ゾーティンに代わってジョン・マカーディ大蛇ファーフナー役を務めていました )。この時のライヴ音源のディスクも、現在のところ 正規リリースはされてはおりません。

次回(37)ゲアハルト・シュトルツェの演技を「観る」 に続く・・・


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