本記事は 9月28日 「 注目記事ランキング クラシック音楽鑑賞 」で 第1位 となりました。
皆さまのおかげです、これからも 何卒よろしくお願い申し上げます。


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Ivo Pogorelich - Chopin Recital(D.G. ) スヌーピーの大冒険_Snoopy, Come Home (24)
発起人の初恋物語 「縛ってほしいの 」

 こんばんは “スケルツォ倶楽部”発起人(夫 )です。
 今回は、私 発起人が 高校を卒業した年 - 1981年 すなわち 志望大学の受験に一度失敗して、灰色の浪人生活を過ごした年 - の回想を、私小説風に物語るものです。どうぞ ご笑納ください。


           ■          ■          ■

 親譲りの不器用で 子供の頃から損ばかりしています。
 はさみやペーパーナイフの扱いなど 側で見ている人が目を覆う程度の巧みさで、思えば指先のどこかに いつも小さな生傷の絶えたことがありませんでした。
 中でも困ったのは ヒモが上手に結べないことで、幼い時分から家事手伝いの時に締めるエプロンのヒモをひとりで後ろ手にキュっと結(ゆ )わえることもダメなら、運動会や体育祭でも素早さが要求されるスニーカーのヒモを格好よく締め直せないばかりに 周囲の注目を集めてしまう その気恥ずかしさから 靴を蹴って裸足でゴールまで走ったことも一度ならず、修学旅行先や夏合宿などでも 浴衣に着換えなければならないと判った瞬間から あのぞろーっと長い帯を見るだけでもう反射的に ぞーっとしてしまうほど、とにかく自分の持って生まれた不器用さのおかげで 私は ずーっと恥ずかしい思いをしてきました。

 さて、私は 中学時代から私立大の付属校でしたから、高校に進学した時と同様に そのまま無試験で母体の大学へ進学できたにもかかわらず、今にして思えば 一体何を考えていたのか、高3になってから 突然 別の大学を目指すことを衝動的に決め、付属大へのエスカレーター進学という特典を蹴った上、第一志望に決めていた一校だけしか受験しなかった結果、見事に不合格。あっさり翌年の「浪人 」が決定しました。かえりみれば、われながら 生き方まで不器用です。

 こうして その年の春から、私は 高田馬場の いわゆる13時ホールで有名なマンモス予備校に通うこととなりました・・・。

早稲田予備校13時ホール 早稲田予備校

 勉強のやり方も 不器用で自信がなかったため、進学指導も含めて いわゆる受験テクニックを教わりながら まあ一年も真面目に勉強すれば、何とか志望大学にも合格できるだろうと、心の内でもくろんだのでした。
 しかし その予備校の教室で、思いもよらず 高い障壁が、突如 私の前途をふさぐことになりました。それは、私にとっては 生涯でも初めて経験する 特別な感情・・・ 恥ずかしながら、プラトニックな初恋 です。

 なにしろ中学、高校と ずっと男子校だったので、小学校を卒業してから 6年間というもの、同年代の女子と話す機会が まったくありませんでした。とにかく不器用でしたから、その中学・高校時代は毎日 学校と部活と自宅の間を往復するだけ、休日ともなれば 自宅でひたすらレコードを聴くばかりという、今なら引きこもりを疑われそうな生活を送ってきたため、予備校に入ってから初めて間近に接する 同世代の女子学生ひとりひとりの姿が、当時の まだ初心(うぶ )だった私の目には 何と綺麗に美しく また瑞々(みずみず )しく映ったことでしょう。

 仙台出身のT.T.さん  ― 彼女は 上背がすらりと高く 天使の輪もくっきりと映える美しく長い髪、いつも複数の女友だちに囲まれて、常に その中心で 輝くような存在に見えました。そして何より魅力的だったのは、育ちの良さそうな仕草と 眩しいほどの可愛らしい笑顔でした。
 でも私は不器用でしたから、そんな憧れのT.T.さんに話しかけるのは 容易なことではありませんでした。彼女の前に立つと、何を話したらよいのかわからなくなって 絶句してしまうのです。彼女のほうは 普通に社交的であるらしく、女性との接し方に慣れている男子学生たちとは ごく自然に会話を交わしています。広い講堂や教室で そんなT.T.さんの姿を見かけると、ああ、もう ただ遠くから眺めているだけでいいや、という気持ちにさえなってきました。
 うーん、そうか、胸を焦がす想いとは こういうことだったのか、寝ても覚めても なんていう気持ちは こういう感情だったのか・・・などと、彼女のおかげで、まるで謎が解き明かされるように、それまで知ってるつもりだった「この感情 」の 真の意味を 初めて思い知りました。
 たとえば ケルビーノ伯爵夫人ロジーナへの憧憬、ロミオジュリエットへの純愛、ロドルフォミミへの慈愛、フレデリの名もなきアルルの女への未練、そして チャーリー・ブラウン赤毛の女の子への恋心 まで、それらすべてを 一度に理解することができました。そうだったのか、こんなにも辛(つら )い気持ちを 彼らは 抱(かか )えていたのか、みんな!

 さて、そんな苦しい胸の痛みのせいで 一向に受験勉強も捗(はかど )らないという焦燥感の中、早くも季節は汗ばむ5月を迎えました。ゴールデンウィーク中も開放されている予備校の涼しい自習室で、その頃 自分と同じように いつも一番前の席に独りで座って勉強している 別の女子学生と、私は言葉を交わすようになりました。
 その少女は、福島県出身のC.W.さん - 150cmそこそこの小柄な身長でしたが とても女の子らしい体つき、鼻筋の通った清楚で細面(ほそおもて )のきれいな顔、セミロングのストレート・ヘアが似合っていました。ただ、あまり笑顔を見せてくれないので、(もう少し親しくなってからのことですが )無表情の理由を尋ねてみると、「別に機嫌が悪いわけでもなく ただこういう顔なの 」と言って 少し困ったような表情で 笑顔らしきものを無理に作ってくれました。
 ちょっと変わった、おもしろい娘(こ )でした。私が よく記憶しているのは、彼女のタイプ(好み )が イーヴォ・ポゴレリチ Ivo Pogorelić (1958~ )だ、と言ったことでした。ポゴレリチは、今日(こんにち )では 十分よく知られた -  近年では さらに貫禄もその身に着けた - 大家のピアニストですが、まだ当時は 20代の美青年(って 繰り返しますが、「当時は 」 )でした。

Ivo Pogorelić Pogorelich (2) Pogorelich (1) Pogorelich (3)
 ポゴレリチは、この前年(1980年 )に開催された 第10回ショパン・コンクールにおいて、その演奏が あまりにも恣意的だとして セミ・ファイナル落選させられています。しかし その特異な才能の真価を コンクール審査員の中で唯一人 マルタ・アルゲリッチだけが鋭く見抜き、「ポゴレリチは ファイナルに残すべきピアニスト 」と主張したものの、他の審査員たちに受け容れられなかったことに激しく抗議し、「彼こそ天才なのに! 」と言い残すと その場で審査員席から降りてしまったという事件が、当時 話題になっていました。
 その他にも C.W.さんが ドビュッシーワーグナーの音楽、西洋美術、そして三島由紀夫の作品などが好みであるということを 彼女の少し舌足らずな福島訛りで語る様子に とても新鮮なものを感じたのは、それまで自分の勝手な思い込みから、女の子に音楽や絵画の話題を選んだりしたら 会話が続かなくなる、という男子校特有の迷信を信じていたためでしょう。
 でも不思議なことに、彼女となら 不器用な私でも自然に話が弾(はず )みました。C.W.さん自身も女子高出身だと話していたので、きっと彼女にも男友達などはおらず、そればかりか同性の友人さえ 当時は 都内にいないようにさえ思えました。このため 積極的に私の話し相手になることを C.W.さん自身も楽しんでくれているように見えたのです。

 そろそろ梅雨(つゆ )入りの頃、予備校の授業が早めに終わったある午後、二人で近所の新宿区立中央図書館までぶらぶら歩いてゆき、閉館時間近くまで 互いに不得意な教科を教え合ったり 一緒に次の模試の問題にヤマを張ったりして過ごしました。その後、高田馬場駅近く 早稲田通りに面した レンガ造りの古い建物の 名曲喫茶に なんとなく立ち寄り、そこで 私の知らないドビュッシーの長い声楽曲のレコードがかかっているのを聴きながら、私はダージリン・ティーを、C.W.さんは 赤いさくらんぼが沈んだ 冷たいソーダ・フロートを 飲みました。
 最近はよく知りませんが、普通 名曲喫茶というものは、原則 おしゃべり禁止なのです。だからC.W.さんは ごく「小さな声で 」私に顔を近づけてくると、三島由紀夫の「仮面の告白 」の中で、ゼノアパラッツォ・ロッソに所蔵されているグィド・レーニ「聖セバスチャン 」という絵画について、作者三島が 延々と感想を述べているくだりが好きだという話を熱心にしてくれました。

三島由紀夫「仮面の告白 」 グィド・レーニ「聖セバスチャン」(ゼノアのパラッツォ・ロッソ 所蔵 )
 それは、若く美しい聖者が両手を太い月桂樹に縛(いまし )められ、全身に矢を射られている痛ましい殉教画のことでしたが、当時の私には まだレーニの絵についての知識はなく、「仮面の告白 」も読んでいませんでしたから、ただ彼女の博識に感服するしかありませんでした。と言っても、もし その「くだり 」を私が読んで知っていたとしたら、やはりその場では知らないふりをしただろうなーと、今 思います。
 名曲喫茶での 周囲をはばかる「小声の 」会話は、やがてフランス革命の時代に活躍した画家ダヴィッドの画風から新古典主義絵画へと話題を移しました。
「そう言えば ダヴィッドのアトリエ出身者のひとりだったアングルの展覧会、上野の国立西洋美術館で始まってるんだよ 」
と、彼女が 急に思い出したように、でも「小声で 」言いました。
「本当? それは行かなくちゃ、でもどんな作品が来てるんだろう 」
私は この情報についても全く知りませんでしたから、「小声で 」驚きました。
「 『 オシアンの夢 』が来てるんだって。それと ルーヴル美術館から『 』も! 」
 今 思えば、これは日本で最初に開かれた 歴史的なアングル展だったのです。もともと前年(1980年 )アングル生誕200年を記念して開催される予定でしたが、フランス側の都合で、開催が一年遅れていたものでした。
「何でも詳しいんだなー、W.さんは 」
「先週、NHK日曜美術館で 紹介してたの。観に行きたいなー 」
「行っちゃおうか、明日 」
「予備校 サボってまで? 」
と、その時 まるで私を下から覗(のぞ )くように くりくりとよく動くC.W.さんの眼差しを、私は 今でも鮮明に憶えています。その長くてきれいな髪を 彼女がすくい上げた時に かすかに蜂蜜みたいによい香りがしたことも。
「たまにはいいんじゃないか、だって日頃 ぼくたち かなり真面目に勉学に励んでるほうだと思うし 」
「よーし、行っちゃおー 」
そんな風に 盛り上がる私たちのテーブルのそばに、お盆を脇に抱えた名曲喫茶の店主らしき人が いつのまにか立っていて、意味ありげな咳払いをすると「小声で 」言いました。
「すみません、他のお客様のご迷惑になりますので お静かに 」

 こうして 私たちは 初めて「予備校 サボって 」、翌朝 午前10:00に上野駅公園口、東京文化会館の前で待ち合わせました。午前中から蒸し暑さを感じる晴天の日でした。薄着の夏服で現れたC.W.さんの白い肌の露出を とても初心(うぶ )な私は 直視できなくて困りました。

アングル展 国立西洋美術館 国立西洋美術館
 美術史に詳しいC.W.さんに解説してもらいながら、私は 初めて触れたアングルの筆致に目を奪われました。
 「ラファエロとフォルナリーナ」の親密な官能性は言うに及ばず、それまで画集でしかお目にかかったことのなかった 「グランド・オダリスク 」の 美しい「顔の部分の習作 」に感嘆し、宗教画 「ポワティエの聖ラドゴンド 」の神秘性に打たれ、 「第一執政官 ナポレオン・ボナパルト 」、「彫刻家 ロレンツォ・バルトリーニ 」、「マルコット・ド・サント=マリー夫人 」、「ゴンス夫人 」、「ゴードリー夫人 」といった、対象モデルひとりひとりの個性を描き分けた肖像画群に感心しました。 
 さらに 画家の郷里であるモントーバンアングル美術館から出品された100点近くもの膨大な量のデッサン類の精緻さにも引き込まれ、また 高さ 3メートル48センチ、幅2メートル75センチという大作「 オシアンの夢 」の巨大さと幽玄な幻想性にも 深く圧倒されました。

1981「アングル展 」 アングル オシアンの夢
(左から ) 「1981年 アングル展 画集(カタログ )」、「オシアンの夢

 C.W.さんのほうも感銘深かったとみえて、画を眺める表情が 徐々に真剣になるに連れて 少しずつ言葉数も減ってきました。
 とりわけ 彼女は 有名な楕円形の「アンジェリカを解放するルッジェーロ 」と、その隣に展示された 同じモティーフから描かれた作品、涙の島の大岩に 全裸で繋がれた少女だけを 画家が取り上げ、救出の騎士海獣を除いた上 丁寧に描き直した「アンジェリカ 」(92センチ×73センチ )の前まで来ると、そこで立ち止まり、瞳を潤ませながら とても長い時間 この画をじーっと観ていたのが、印象的でした。

アングル アンジェリカを解放するルッジェーロ アングル アンジェリカ
(左から )アングル画「アンジェリカを解放するルッジェーロ 」、「アンジェリカ

 ゆっくりと常設も観てから ようやく美術館の外に出ると、何と もう夕方になっていました。朝から館内にいて、昼食をとるのも忘れていたことに 私たち二人は同時に気づくと、思わず顔を見合わせて笑いました。C.W.さんの めずらしい笑顔を見れたわけです。
 この当時 私たちは まだ未成年ですから、この後 二人で食事をしながら お酒を飲んだかどうかについてまでは 敢えて書きませんが、心地よく酩酊しながら、彼女の女子高時代の楽しい話で盛り上がりました。私のほうは 季節外れの話題ではありましたが、高校時代から温めていた オリジナル・ストーリー「サンタクロース物語 ⇒ 完成版はこちら  の草案について話してみたところ、C.W.さんは そのアイディアを「おもしろい 」と とても褒めてくれました。
 思わず嬉しくなって、私は その席で 自分の苦しい片想い について、C.W.さんに 異性の立場で相談に乗ってもらえる良い機会ではないかなどと思いつき、これを持ちかけてみたのでした。
「好意のある人に話しかけられないって、何で? わたしとは こうして普通にしゃべってるじゃない 」
「だから苦しんでいるんだよ。どうしてだろ 」
「知らないよ。それじゃ こうして普通にしゃべっているわたしには ヤマダ君、好意をもっていないってことかしら 」
と、冗談めかした口調でしたが、彼女の目は笑っていませんでした。
 それは どうやらC.W.さんにとっては あまり面白くない話題だったらしく、明らかに 彼女が不機嫌になってしまったことに気づいた不器用な私は、軽率な話を持ち込んだことを とても後悔しました。内心反省しつつ、そこで無理に話題を変え、とにかく 明日からまた受験勉強を再開するための志気を高めることができたし、今日は精神的にもリフレッシュしたよね - などと単純に喜んでみせてから、彼女に そろそろお開きを促(うなが )したのでした。

 二人で 暗くなった公園の中を抜けて、上野駅の方角へと向かっていました。歩きながら、C.W.さんの両腕が ゆっくりと絡まるように 私の右腕に回されました。同い年の女の子なのに、そこに大人の女性の 豊かな胸の形を感じた時、とても初心(うぶ )な私は、初めての柔らかい感触に 内心 激しく緊張していました。
さらに その時です、
「ねえ、今度 わたしを・・・ 」
と、暗がりの中で 彼女が 何か言ったような気がしたので、思わず立ち止まって聞き返しました。
「え? 」
不覚にも よく聞こえなかったのです。
「・・・何? 」
彼女が発する「小さな声 」を ようやく私はとらえましたが、それは 予想外の言葉でした。
縛ってほしいの
 ― きっと 自分の聞き違いだと思いました。私は ゆっくりと彼女の腕を解くと、屈(かが )みこみながら その白い顔に 自分の顔を近づけて、もう一度 聞き直しました。すると 伏し目がちに、しかし、上気しながら 彼女は 繰り返しました。
「ね、縛って わたしを。 ・・・アングルアンジェリカみたいに扱って 」
聞き違いではありませんでした。そう囁(ささや )く 彼女の吐息が 私の耳に当たった時の感触を、今も忘れません。さらに 彼女は うわごとを言うように、私の耳元に くちびるを近づけました。
「そうしたら、わたしも ヤマダ君のこと 縛ってあげるから、聖セバスチャンみたいに -  」
しかし 私の脳裏をよぎっていたのは、自分が親譲りの不器用で 子供の頃からヒモが上手に結べないという、そんなことでした。私にとっては 切実な問題でした。馬鹿にされる - エプロンのヒモでさえ、スニーカーのヒモでさえ、浴衣の帯でさえも満足に結べない不器用な自分は きっと彼女を失望させる、そうしたら どんな雰囲気でも白けてしまって、しまいには馬鹿にされるに違いない。それだけは避けたい - 。
 ・・・って、そこじゃないだろう、オイ! と すぐに もう一人の自分自身が 頭の中で 私に激しい突っ込みを入れていました。そのとおりです、私には そんな特殊なプレイを楽しむ趣味はありませんし、第一 未だノーマルな恋愛でさえ未経験のチェリー・ボーイでした。
 とても初心(うぶ )な私の知らないところで、実は C.W.さんは、しっかりオトナだったのでしょうか。あまりにも強すぎた刺激に、私は 頭の中が真っ白でした。
 中腰で屈(かが )んでいた姿勢から 急に立ち上がったのがいけなかったのでしょう、その瞬間 一気に酔いが襲って来て、まるで貧血を起こしたかのような自覚症状に 目が回っていました。
 私は 混乱し、その後、自分が 果たして上野駅まで辿り着いてから 紳士的に彼女と駅で別れたのか、それとも上野公園に彼女を放置して 先に走って逃げ帰ってしまったのか、いや その逆だったのか、いやいや それとも・・・? ホントに情けないことに、まったく正確な記憶がありません。気づいたら、ひとり 中央線の混んだ電車の座席で眠り込んでおり、自分が降りるべき武蔵小金井駅をひとつ寝過ごしてしまったところでした。

 これではいけない ‐ と、それから 私は 紐の縛り方を練習・・・って違います、そんなことをしてる余裕などありません。 - もとい、翌週から 私は 半ば本能的にC.W.さんに危険なものを感じ、しばらく彼女には会ってはいけない と、考えるようになりました。自習室でも意識して一番後ろの席に座るようにしました。もしC.W.さんが いつも使っている前のほうのドアから入室してくるのを見つけたら、自分は そっと後ろのドアから出てゆこう - などと考えていました。
 けれど、結論から言うと それは杞憂でした。C.W.さんの方でも 私のことを明らかに避けるようになっていたからです。
 放課後に C.W.さんの姿を見かけることは なくなりました。予備校の授業を終えると 彼女はもう自習室に立ち寄らず、すぐに下校してしまうようでした。一度など 廊下でばったり顔を合わせたことがありましたが、その瞬間 いつもの無表情な顔で視線を逸(そ )らされ、まるっきり他人の振りをされてしまいました。それは、けっこう寂しいものでした。
 しかし、今にして思えば、彼女のおかげで あの時期に目が覚めたような気がします。受験勉強に真剣に打ち込み始めたのは、たしかに アングル展 以降でした。

 一方、T.T.さんのことも 努めて忘れようとしました。もはや私のアイドルだった 美しい彼女の姿を遠くから見かけてしまうと、やはり 心がとても騒ぎましたが、そのうち ようやく「教室に きれいな花が 一輪 咲いているだけのことだ 」と開き直って考える、そんな平常心の境地にまで達することは - やはり ありませんでしたが・・・。

 さて、それから あっという間に年が明け、「2回目の 」大学入試も終わってしまいました。
 まだ 自分の第一志望の合否結果が発表される前のこと、最後まで 私の胸に刺さった棘(とげ )のように ずきんずきんと痛み続けていたT.T.さんへの片想いの気持ちに、自ら もういい加減 区切りをつけてしまおうと決意、そんな冬の夕方、私は 衝動的に T.T.さんの住む女子寮へ、ばらの花束を持って 自分の気持ちを一方的に伝えに行きました。無謀なことをしたものです。
 当然そこは男子禁制ですから、言うまでもなくT.T.さんには会わせてはもらえませんでした。しかし管理人の女性は とても親切な人で、私に彼女のことを「あの子、とても良い子よ 」と言ってくれた後、こんな軽率な私の花束を預かってT.T.さんに渡してあげると約束までしてくださいました。私は、心から感謝して、そのご厚意に甘えることにしました。
 その時、差しだされた紙に 何か手紙のようなものを書いた気もするのですが、動転していて その内容も全く覚えていません。ただ 自分の気持ちを伝えればよかったので、それは まるでアイドルファンレターを出すような心情に近いもの- 言い方を代えれば 玉砕でもOK みたいな - 刹那的な気持ち だったことは、正直 間違いなかったのです。
 身勝手なものですが、それでも自分の心の中では これで整理されたように 厚い雲が晴れた気がしていました。ああ、これでいい、とても初心(うぶ )な 私の初恋は これで終わった、と自分の心の中で終止符を打って 自己満足していました・・・。
ばらの花束_スケルツォ倶楽部

■ そして後日談。
 情けないことに そんな精神状態でしたから、第一志望の大学に またもや不合格だったという結果を知っても、不本意でなかったと言っては ウソになりますが、もはや 驚きも落胆もありませんでした。さらにもう一年の浪人を許されるような環境でもなく、当初すべり止めのつもりで受験していた 某私大への入学を、まったく抵抗なく 決めました。

 気づくと 梅の花が開く季節になっていました。晴れて大学生になるまでの約一カ月の間、私は 心ゆくまで 大好きな音楽を聴いたり、を読んだり、自分で 下手なピアノ曲を いくつも作曲してみたり、映画を観たりして過ごしていました。 かつてC.W.さんが熱心に解説してくれた 三島由紀夫の「仮面の告白 」も この頃になって ようやく読むことができました。
 C.W.さんに もう会うことはありませんでしたが・・・ でも オモシロい娘(こ )だったなあー、あと10年くらいしてから出会っていたら、もう少し上手に おつき合いできていたかもしれないなー などと考えていました。

 そんなある日、ふらりと立ち寄った駅前のレコード店に、これも C.W.さんの オススメだった - そう言えば 彼女の「タイプ(好み ) 」だったという - イーヴォ・ポゴレリチの 既存のクラシック音楽の演奏家らしからぬ スタイリッシュな写真をあしらったジャケット・デザインの グラモフォンL.P. が並んでいるのに気づき、何となく買い求めて 帰宅しました。
 それまで 私が好んで聴いてきた ショパンのピアノ・ソナタ第2番の演奏といえば、おそらく ごく平均的なクラシック音楽愛好家であれば 誰しも似たような嗜好傾向かと思いますが、やはりヴラディーミル・ホロヴィッツ(CBS )盤や マルタ・アルゲリッチ(D.G. )盤でした。
 しかし、その日 新しく買ってきた このレコード - イーヴォ・ポゴレリチ盤 - の Side A に初めて針を降ろし、ソナタ第一楽章 冒頭の ごく短い序奏に続いて 始まった、2倍速スピードで翔ぶが如く疾走する第1主題、テンポの速さこそ想定内だったものの、まるで高熱にうなされているかのように息苦しく、終始 浅い呼吸で 執拗に繰り返される主題からは、今まで 私が耳にしてきた どのピアニストからも聴くことのなかった 未知の切迫感がありました。

ショパン
ピアノ・ソナタ第2番 変ロ短調 作品35「葬送行進曲付 」
イーヴォ・ポゴレリチ (ピアノ )

イーヴォ・ポゴレリチ Ivo Pogorelich - Chopin Recital(D.G. ) Ivo Pogorelić
▲ その衝撃の大きさによって、私の心の中の「ショパンの第2ピアノ・ソナタ 」のベスト盤は、ずっと このポゴレリチ盤でした。
ポゴレリチ・ショパン・リサイタル
収録曲:ピアノ・ソナタ第2番 変ロ短調 作品35「葬送行進曲付 」、前奏曲 嬰ハ短調 作品45、スケルツォ 作品39 嬰ハ短調、夜想曲 変ホ長調 作品55の2、練習曲 ヘ長調 作品10の8、練習曲 変イ長調 作品10の10、練習曲 嬰ト短調 作品25の6
録 音:1981年2月 ミュンヘン、レジデンツ
音 盤:D.G.(国内盤 POCG-1227 )
 
 
 苦しく辛(つら )く、しかし 憧れに満ちたような 5分56秒 が、あっという間に リスニングルームを駆け抜けてゆきました。特に 嵐が吹き荒(すさ )ぶような出色のコーダにおいては 一層加速したエネルギーが膨張を遂げた挙句、まだ最初の楽章が 果てたばかりだというのに、私は すでに床に倒れそうになるほど 心を動かされていました。
 そのフィーリングとは、まさに この一年間の 私だけの「個人的な感情 」を もし音で説明するとしたら「これしかない 」というほど、あまりにも適確でした。
 それは、一言で表現すれば、「焦燥感 」です。
 高校生でもなく、大学生でもなく、自分のことを自虐的に「浪人 」と呼ばざるを得ない 不安定な立場。社会的にも 精神的にも頼るところなしの茫漠とした気持ち。もし第一志望はおろか、しくじって どこの大学入試でも不合格だったら、と想像した時の恐怖。そんな環境の中にいるにもかかわらず、甘くも苦い 初めての恋愛感情という「恋の病 」に感染してしまい、しかも報われぬ片想い。もし安易に この感情に引きずられてみれば、きっと心も傾き、勉学が疎かになってしまうであろうという強迫観念とジレンマ。
 これだ、まさに この感情だ! と、激しい動揺のあまり、私は レコード・ジャケットに写ったピアニストに向かって 心の中で 叫んでいました。これは凄い演奏だ、イーヴォ・ポゴレリチ、お前は 何というピアニストなんだ、俺の個人的感情を、ショパンの作品を通して 代弁してみせるなどという 予想外のことを (あ、言うまでもありませんが、ポゴレリチ自身は 私のことなんか知りません。それは 私にも よくわかっています )。
 
 やがて 激しい緊張感は 第二楽章破壊的なスケルツォにも引き継がれ、まるでバネのように伸縮する 弾力あるリズムで襲いかかってきます。しかし その快さ。
 そして弱音が支配する世界、弔鐘が遥か遠くに鳴り響くのを 彼岸の彼方で耳にするような 静かな第三楽章「葬送行進曲 」 - 

 けれど、その途中で、突然 電話のベルに 邪魔されました。
 ショパンに没入していた 私は、強引に現実に引き戻され、思わず小さく舌打ちしながら、自室を出、電話器が置いてあるリビングへと向かいました。
 大学入学を決めてからというもの、レジャーや海外旅行に適したクレジット・カードの入会やら英会話スクールの案内やらスポーツ・ジムの勧誘などといったセールス電話が、ひっきりなしに 自宅に掛ってきていました。
 どういう経路かは まったく知りませんが、私の名前と電話番号とが書かれた名簿が 業者に流出しているようでした。
 応対に慣れていない頃は、そういった事実を よく知らなかったので、一件一件 熱心に話を聞いていたものでしたが、当然ながら、それらすべてが商売に過ぎないのだと 遅ればせながら気づくと、これらに貴重な「春休み 」の時間を割かれる煩わしさが 急に我慢ならないものに思え始めた頃でした。
「はい、もしもし 」
ヤマダさんですか? 」
電話の向こうから 若い女性の声が、私の名前を尋ねるのが聞こえました。
「はい、なんですか 」
やはり 何かの勧誘電話だ - と思いました。
ヤマダさんは 今年 受験生でいらっしゃいましたか 」
「はい、そうです 」
「大学は どちらに決まったんですか 」
「○○大学です 」
「そうですか、おめでとうございます 」
私は、ポゴレリチの弾く第三楽章の続きが聴きたくて、早く電話を切ろうと、そればかリ 考えていました。
「ありがとうございます。あの、ご用件は 何ですか 」
「学部はどちらですか 」
「文芸学部ですよ、もうよろしいですか 」
とりとめのない会話のように感じ、私は 少し苛立ってきました。相手にも そんな私の癇(かん )が伝わってしまったのか、
「失礼しました、ヤマダさん。 それじゃ お元気で 」
「はい、それじゃ 」
電話器に戻そうとして、送話器を 耳元から離した瞬間、
お花を - ありがとう
という声が 受話器から こぼれ落ちてきた気がしました。 ・・・え?
 あっ! これはセールス電話ではない、と思った時には遅く、すでに 自分で受話器を置いてしまった後でした。
 T.T.さんだ - そうだ、あの夕方、寮の管理人さんに 花束を託した時、私は 一緒に 自宅の電話番号も 手紙に書き置いたことを 突然思い出していました。
 T.T.さんと 予備校で会話できたのは 数えるほど少ない回数でしたが、その時に発した 彼女の可愛らしい声が 記憶の中で鮮明によみがえり、電話の声と一致しました。
  
 ああー、どうして 先に名乗ってくれなかったんだろう、彼女は 志望校に進めたのだろうか、この春から どこで暮らすんだろう・・・ いろいろな想念が頭の中を勝手に駆け巡りました。
 うわああ、バカ野郎! なぜ すぐに彼女だと 気づかなかったんだろう?
 このバカ! せっかく 彼女が電話くれたのに!
 このバカ! 「どちらさまですか 」くらい なぜ聞かなかったんだよ?
 私は 自分で自分の頭を叩くという、意味のない行為を 気が済むまで繰り返しました。

 ・・・この時代の電話器には、着信番号が残りません。
 取り返しのつかない失敗に 心が深くへこんでしまうほど、これが 私 発起人の初心(うぶ )な 初恋ストーリー、親譲りの不器用で 子供の頃から損ばかりしています。

(実体験ですが 文章はフィクションです )

■ あとがき

  「・・・それで アナタ、この時 一体 何歳だったのかしら 」
  「えーと、高校卒業して その翌年だから、19歳になった年かな 」
  「 (爆笑 ) とことん初心(うぶ )だったのねー、今の世代だったら 中学生の作文程度なんじゃないの。ま、でもアナタらしいと言えば、らしいわよね 」
  「う、うるさいなー、今度は いつか お前の初恋物語を書いてみせろよ 」
  「いいよーだ、わたしに体験談 書かせたら、『 R-18指定 』よ。むふ ♡ 」
  「・・・ 」

次回は また いつになることやら

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