本記事は 8月14日 「 注目記事ランキング クラシック音楽鑑賞 」で 第1位 となりました。
皆さまのおかげです、これからも 何卒よろしくお願い申し上げます。


スケルツォ倶楽部
名優ゲアハルト・シュトルツェの演技を聴く
 オルフ「オイディプス王」(クーベリック)D.G.ゲルハルト・シュトルツェ(最小サイズの肖像写真)   目次は こちら

(35)カラヤンの 「ジークフリート 」で ミーメ を演じる

■ 1969年「ミーメ 」 ~ ワーグナー : 楽劇「ジークフリート
ジークフリート(カラヤン) 舞台監督カラヤン
ワーグナー : 楽劇「ジークフリート 」
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
  ジェス・トーマス (ジークフリート )
  ゲアハルト・シュトルツェ (ミーメ )
  トーマス・スチュアート (さすらい人 )
  ゾルタン・ケレメン (アルベリヒ )
  カール・リッダーブッシュ (ファーフナー )
  キャサリーン・ゲイヤー (森の小鳥 の声 )
  オラリア・ドミンゲス (エルダ )
  ヘルガ・デルネシュ (ブリュンヒルデ )
録音:1968年12月、1969年2月 ベルリン、イエス・キリスト教会
ドイツ・グラモフォン(ポリドール:POCG-3885~88 )

 ワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環 」レコーディング史上に聳(そび )え立つ、ショルティ=カルショー(デッカ )盤と カラヤン(D.G. )盤という二つの重要なプロジェクト、その両方の「ジークフリート 」ミーメ役を演じたのが、ゲアハルト(ゲルハルト )・シュトルツェでした。
 特筆すべきことは、この二つの偉大な全曲セットに出演している すべてのキャスティング・メンバーを見渡した時、両方のセットで共通して 同じ配役に同じ歌手が起用されているのは、ただ一人 われらが ゲアハルト・シュトルツェ「ジークフリート 」におけるミーメ役 )だけなのです。 大拍手!
 ・・・とは申しても カラヤンが、D.G.のスタジオ録音「ジークフリート 」のミーメ役として この当時 バイロイトミーメを 連続して務め、好評を博していた 若手のキャラクター・テノールエルヴィン・ヴォールファールトを もともとは起用する考えを 持っていたことは 間違いありません。
エルヴィン・ヴォールファールト(PHILIPS) Erwin Wohlfahrt   
当初 カラヤンミーメ役にキャスティングしていた ヴォールファールト Erwin Wohlfahrt
  実際、カラヤンは 1967年12月に録音した 「ラインの黄金 」では そこに登場する 小ミーメヴォールファールトに任せていたことからも その意図が窺(うかが )い知れます。 カラヤンは、ザルツブルク・イースター音楽祭での リング・プロジェクトにおいて、シュトルツェローゲ役として 専念させようと考えていました。
 けれども カラヤンが 当初 ミーメ役として想定していたヴォールファールトが、前述の D.G.盤「ラインの黄金 」 レコーディング直後(1967年の暮れ )に倒れてしまったため、ここでも 1968年の バイロイト祝祭劇場における リング( 「指環 」 )上演と 似たような状況が起きました。 ⇒ 「1968年 バイロイト祝祭劇場でミーメを演じる 」 ご参照  そうです、ヴォールファールト の代役として、当代最高のミーメ歌手 ゲアハルト・シュトルツェ以外の 一体 誰に その代わりを委ねることができたでしょうか。カラヤンが下す判断は 常に必然でした。

 今回は、ここでカラヤン盤と その 約七年前に録音されたショルティ盤とにおけるシュトルツェの歌唱や 聴感覚上の差異など、ポイントを絞った上で 聴き比べてみることといたします。

カラヤン盤のミーメショルティ 旧デッカ盤 と聴き比べる
ゲアハルト・シュトルツェ、ショルティ、カラヤン 両プロジェクトで ミーメを演じる
 シュトルツェが、ショルティ=カルショー(デッカ )盤で ミーメのパートを録音した1962年とは、前述のとおり ⇒ ≪第12回:1962年、病苦を克服する(上)≫ を ご参照  シュトルツェにとっては、その健康上 たいへん厳しい試練の年でありました。体調こそ 最悪でしたが、その不屈の根性によって 持ち前の才能以上のサムシングが シュトルツェ自身の残存能力をボトムアップしたとしか思えぬほど、ショルティ=カルショー盤「ジークフリート 」には 彼の卓越した歌唱表現の記録が刻印されており、感動的でした(必聴 )。

 さて、ドラマ「ジークフリート 」のストーリー上では 前史「ヴァルキューレ 」から十数年が経過、主神ヴォータンの子、ジークムントジークリンデの兄妹が遺した一人息子ジークフリートは、実の両親の顔も知らぬまま森の中で逞しく成長しています。奇しくもジークフリートの育ての親となったミーメが、第1幕冒頭から登場し、一心不乱に鍛冶仕事のハンマーを振るっています。かつてニーベルハイムで細工物を作るのが得意だったミーメといえども 武器を鍛える技術は専門外だったらしく、剣をいくつ作っても 剛健なジークフリートには どれも鈍(なまく )ら で、皆すぐ二つ折りに砕いて捨てられてしまうという毎日。どうせ今日も無駄になることと知りつつ、苦役の鍛冶労働に精を出さざるを得ないミーメの そんな嘆き半分の愚痴の歌で 楽劇「ジークフリート 」は開幕します。
 ショルティ=カルショー盤(以下、「デッカ旧盤 」と呼ぶことにします )の 嘆き・泣きが相当入った やや過剰演技な(?)歌唱に比較すると、同じ愁嘆場を歌うのであっても それから 7年後となるカラヤン盤のシュトルツェは、追い詰められたミーメの焦燥の激しさを 意外にあっさりとドライに、それでも的確にポイントを押さえた表現で聴かせます。
 ミーメのフラストレーションの原因は、八方ふさがりになっている彼の置かれた境遇にあります。そんな ミーメの計画 とは、
 1. 指環を手に入れる。
 2. 兄アルベリヒを 屈服させる。
 3. ニーベルングの王となって、世界に君臨。

 ・・・という 遠大にして単純なものですが、そのためには まず最初の 高いハードルを飛び越えなければなりません。それは、指環の所有者である巨人ファーフナーを倒すこと - それが出来るのはジークフリートしかいない、ということも「賢い 」ミーメは よく知っています。そのための武器もジークムントの形見である豪剣ノートゥングしかない、ということもまた彼には判っています。
 しかし、その重要なノートゥングは、前史「ヴァルキューレ 」で、ジークムントフンディングと決闘した際、父ヴォータンの手によって真っ二つに折られて以来、今もそのまま欠片の状態でミーメの手元にあるのです。もしこれを接ぎ直すことが出来れば、それこそがジークフリートを満足させる剣となることは明白ですが、その豪剣の欠片は人間業(わざ )では鍛え直すことが出来ぬほど頑丈な(鉄鉱石を原料としているらしい )ので、少なくともミーメの乏しい鍛冶技量では鋳造し直して加工するなど、到底無理な相談なのです。
 では一体どうすれば良いのか、皆目わからぬまま 今日もひたすら 鈍(なまく )ら を長時間かけて鍛えた挙句、それも結局 ジークフリートに叩き折られ、また罵られることまでわかっていながらも これを繰り返すしかないのか。それこそが「ジークフリート 」第1幕で ミーメが陥っている深刻な閉塞状況です。
 その苛立ち、焦りなど、デッカの旧盤を すでに所有しておられる皆様も、ここではより自由自在に激しく表情を変えるシュトルツェと聴き比べることの出来るのが、カラヤン盤を聴く楽しみとなります。
 ジークフリートに哀れっぽく愚痴ってみせるミーメのいわゆる「養育の歌 」にも耳を傾けてみましょう。
 デッカ旧盤ではテンポを落として憐れみを誘うミーメの号泣の演技が勝っていますが、カラヤン盤でのシュトルツェは 少し速いテンポに乗って、意外にあっさりと さくさく歌っています。聴く側の好みにも拠るでしょうが、ドライに流すことによって、ふふん きっとミーメったら いつもこんな調子で 日頃から同じ文句の愚痴を繰り返し こぼしているんだろうなあ・・・という、日常性さえ そこに醸し出すことに成功している点が、私には意外な発見でした。
 また、それがきちんと「ウソ泣きに聴こえる(笑 )ことも、実は大事なポイントです。 ・・・そう言えば 旧デッカ盤においては、シュトルツェの「ウソ泣き 」が あまりにも見事な演技で真に迫っていたため、かなり多くの聴者が これにコロリと騙(だま )されてしまい、その結果「ミーメが可哀そうだ 」などという同情の念をリスナー側に起こさせてしまった(! )という 笑える事実は、考えようによっては シュトルツェの「役者冥利 」に尽きる逸話ではないでしょうか。
 ジークフリートに母ジークリンデの最期の様子をミーメが語って聞かせる場面でも、ワーグナーは「養育の歌 」の断片をしつこくミーメに歌わせていますが、その繰り言を カラヤン盤では 共通してドライな表情で演じてみせるシュトルツェの職人気質に、私は一貫した整合性を感じるのです。
 第1幕、ミーメが そこに訪れた さすらい人(実は ヴォータン自身 )につかまって、無理やり「クイズ 」を出題させられたり 回答させられたりという場面 - その長い 長い第2場 - も聴きものです。ここは「指環 」全曲の中でも「冗長である 」と言われる部分で、不幸にして 適材が得られなければ 聴衆を退屈させてしまう場面の筆頭に挙げられるシーンであるとさえ思いますが、シュトルツェミーメを演じている時ほど この場面に惹きつけられることはありませんでした。しかも旧デッカ盤 さすらい人を演じていたのが ハンス・ホッターでしたから、多くの音楽愛好家にとって ショルティの「指環 」は退屈するどころか、この一場面だけを採っても最強のコンビネーションが楽しめるディスクだったのです。
 ハンス・ホッターと比べられてしまったら 誰がヴォータンを演じても劣勢に立たされざるを得ません。カラヤン盤で さすらい人を演じているのはトーマス・スチュアートです。
Thomas Stewart
トーマス・スチュアート Thomas Stewart  

 スチュアートは、線の細い 暗い響きを持ったバリトン歌手で 硬質な黒光りするような美声の持ち主ですが、さすがにホッターの祓い清めたように厳粛な迫力には不足します。シュトルツェスチュアートさすらい人と まったく互角に張り合っており、特にミーメへの最後の問い「ノートゥングを鍛える者は誰か 」の回答に窮して 憑かれたように焦りまくる場面など、もはや完全に舞台の主役を務めているといっても過言ではありません。
 また、第2幕名バス・バリトン歌手ゾルタン・ケレメンの演じるアルベリヒと激しく口論する短い場面 - 巧みなケレメンの底意地の悪そうな性格表現も大したものですが、熟練のシュトルツェが演じるミーメの迫力は それを上回る、まさに圧倒的な出来です。そして、これに続くジークフリートとの対決場面から 遂に敗れて死に至るまでの強い緊張が続くミーメ最期の 6分間は まさに最高で、手に汗を握ります。


ミーメが 本心をぽろぽろ言葉にしてしまうのは なぜ?
 
 ところで 楽劇「ジークフート 」第2幕のミーメについて、オペラの解説本などに目を通してみると、その多くで「どこまでも間抜けなミーメは、自身の企てを自分からジークフリートにぺらぺら喋ってしまうので、ジークフリートに返り討ちにあう 」などと よく説明されていますよね。
 ワーグナーの研究がご専門の音楽学者 三宅幸夫氏でさえ 「(ミーメは ) けっこう頭がよく回るんですけれども、その回り方が速すぎて堂々めぐりとなり、結局はこけてしまうわけですね。あと毒薬さえ飲ませればという、もう一歩のところで 自分の本心がぽろぽろと言葉に出てきてしまう 」 あるいは 「 空回りする、と言ったほうが適切かもしれない。ミーメは ワーグナーの創作ですが、かなり精神状態がおかしな人ですよ  ワーグナーヤールブーフ ~ 特集 / 笑い / 1997年、日本ワーグナー協会編、東京書籍 )より 」  などという見解をお持ちでいらっしゃいます。でも この部分をお読みになって、皆さまは 不自然に感じることはありませんか。
 
 私 “スケルツォ倶楽部発起人は、以下のように 考えています。
 ワーグナーの意図したところでは、ファーフナーを倒した後のジークフリートは もはや 第一幕無邪気な少年 ではないのです。彼は竜の生血を舐めたことによって、小鳥の囀(さえず )りの意味を理解できるようになったわけですが、その能力を獲得した瞬間から、音楽的にも 小鳥の声ソプラノ歌手が歌って聴かせる という ワーグナーのアイデアは、それが表面的な「言語 」としての言葉でなく、「ジークフリートは、話し相手の心の真実を聞く知恵を身につけた 」ということを意味している、と思うのです。
 ミーメは、ジークフリート本人の前では 少年を気遣うような優しげな言葉を投げますが、一度ならず 舞台で独りになった時のモノローグを聴いてみれば、彼の胸の内には陰謀と呪詛が満ちていることが判ります。ミーメワーグナーが書いた台本によって たいへん屈折した 複雑な性格を 与えられてはいますが、基本的に このドラマの中では 悪役 であるという事実を 見失ってはなりません。近年の演出(キース・ウォーナーなど )では、彼が ジークフリートの母ジークリンデを殺害した、という大胆な設定を加えられることさえあるほどですから、この 実は恐ろしいニーベルングの小人が 二枚舌であることは明白なのです。ファーフナーを倒したジークフリートに 睡眠導入剤を混ぜた「偽栄養ドリンク 」を勧めながら、ミーメの舌先は親切めかした労(ねぎら )いの言葉を並べています。しかし、心の中では どうやって小僧の隙を突いて殺してやろうか、と考えていたに違いないのです。
 
 今やジークフリートには ミーメ心の中の言葉が 明瞭に聴こえるようになった - それこそが 私たち聴衆の耳に届く、ワーグナー自身の書いた あの過剰な量の台詞なのです。
 ミーメは、今まで無知だと決めつけ バカにしてきたジークフリートが 自分の企てを すべて見透かしていることに気づいて驚き、まるでサトリを相手にしているかのように「何だって? いつ俺がそんなことを言ったんだ 」と 激しく狼狽します。彼は「お前を騙して 毒薬で眠っている隙に 殺してやるのさ 」などと 本当は口に出してはいないのですが、けれども 心の中では そう考えているわけです ‐ ワーグナーは、このとき舞台に立つミーメ歌手が その本心のほうを歌うように と台本を作り、そのように作曲もしています。
 そうなのです、このシーンで わたしたち聴衆の耳に入ってくる、ミーメが自分の企てを呟く時の言葉とは、本当は ジークフリートにだけ聴こえていた ミーメの内心の声だったのです。しかし、この二人の 手に汗を握る心理戦の綾を 聴衆に伝えようとしても、ワーグナーの時代には 惜しむらくは ここまでが限界だったのでしょう、おそらく作曲者自身も相当悩んだ末のことであったろうと察します - 。
 もとい、いずれにせよジークフリートの突っ込みは 正しくミーメ本心に対してですから、ミーメが否定しようと声を荒げれば荒げるほど その化けの皮は剥がれてゆき、その心中を見透かされ 醜い中身を露呈することになるわけです。
 すでに ニーベルングの指環ジークフリートの手中にあり、ファーフナー亡き後の洞窟の奥には 今は 誰のものでもなくなった財宝が打ち捨てられています。森のどこかには 憎み合う仇敵となった兄アルベリヒが身を潜めて隙を狙っているに違いない、油断も隙もない ヴォータンだって隠れて見ているかもしれない・・・と、この激しい焦りが ミーメから まともな判断力を奪ったのでしょう、ジークフリートの「殺害計画 」を フレキシブルに中止・延期しよう・・・などという選択肢や 心のゆとりなどを 彼は失っています。
 もはや その表情には 死相さえ浮かべ、王手をかけられたミーメを演じるシュトルツェの迫真の歌唱は もう痛ましいほどですが、さらにつけ加えれば、それらすべてが この稀代のキャラクター・テノールによる 声の演技であるという功績です。

カラヤン盤、ショルティ盤における シュトルツェの表現の変化を聴く
 二種のレコーディングにおける 細かい差異を挙げてゆけば 限(きり )はありませんが、例えばジークフリートを騙そうと必死に言辞を弄するミーメが「Höre,was Mime meint! オレの言うことを聞け 」という個所、ここはぜひとも聴き比べてみましょう。
 この「聞けよ! Höre ! 」という動詞一言の発し方 - 旧デッカ盤におけるシュトルツェは 苛立ちを隠さず 拳を振り上げ、まるで怒鳴りつけるような命令口調で まさに「こら、聞きやがれ! 」っていう感じでしたが、カラヤン盤でのシュトルツェは この同じ一言を、旧盤とはまったく逆に そーっとジークフリート の耳元で囁くようにほーら、聞いておくれ 」と言わんばかりに 優しく歌ってみせるのです。 ・・・ その怖さ、その効果! 新旧まったく異なる声の演技でありながら、新盤ではこうして声をひそめることにより、却ってミーメが自分自身の焦る気持ちを 努めて落ち着かせようと 肩で息をする その呼吸までも伝えることに 成功しているのです。
 役柄に徹底的に同化する、いずれも最高のミーメ至上の必聴ディスクです。


■ 1969年のシュトルツェの歌劇場への出演状況
 1969年 カラヤンは、前年11月に続いて ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場へのザルツブルク「リング・プロジェクト 」引越公演を挙行しています。2月19日と3月1日には「ヴァルキューレ 」再演、2月22日・25日には「ラインの黄金 」を上演しています。シュトルツェは、今回もカラヤンに請われて ローゲ役としてニューヨークへ同行しています。
 メトロポリタン公演「ラインの黄金 」におけるシュトルツェ以外の配役は、テオ・アダム(ヴォータン )、アンナ・レイノルズ(フリッカ、及び 第1場のフロースヒルデ )、ゾルタン・ケレメン(アルベリヒ )、リリ・シューカシアン(エルダ )、マルッティ・タルヴェラ(ファーゾルト )、カール・リーダーブッシュ(ファーフナー )、ドナルド・グローベ(フロー )、シェリル・ミルンズ(ドンナー )、シモーネ・マンゲルスドルフ(フライア )、アンドレア・フィリス(ミーメ )、リゼロッテ・リーブマン(ヴォークリンデ )、エッダ・モーザー(ヴェルグンデ )、シャーリー・ラヴ(第4場のフロースヒルデ ) です。
 
 余談ですが、この公演でアンナ・レイノルズが 少し無理な二役を演じている理由は、もともとフリッカ役を演じる予定だったジョゼフィーヌ・ヴィージーが体調不良のため直前でメト出演をキャンセルしたため、当初ラインの乙女 フロースヒルデ役のみを演じる予定だったレイノルズが 急遽ヴィージーの代役を務めることになったためです。
Anna Reynolds
アンナ・レイノルズ Anna Reynolds
 
 彼女は、第1場ライン河底の場面では ラインの乙女フロースヒルデとなってアルベリヒに黄金を強奪された後、主神の妻 フリッカの衣装に大急ぎで着替えると、今度は第2場では寝ぼけているヴォータンを叩き起こすわけですから、その短い場面転換の舞台裏は かなり忙しかったことでしょう。しかも 第4場ではヴァルハラへ入城するフリッカ役を演じながら、同時に舞台裏で嘆くラインの乙女たちの列にも加わらなくてはならなくなり、それは さすがに不可能ですから、この最終場面だけは シャーリー・ラヴという歌手がフロースヒルデの「 」のみを務めることになったのでした。
 
 一方 この年(1969年 )、カラヤンも多忙を極めていました。
 メト公演に続き 同 3月30日から、68/69シーズンのザルツブルク・イースター音楽祭も始まっています。 3月30日及び 4月 2日・ 7日には「ジークフリート 」を 祝祭大劇場で上演、シュトルツェはここでもミーメ役で出演しています。
 その他の配役は、スタジオ録音盤と殆んど同じですが、個人的に注目しているのは 4月 2日のみ「森の小鳥の声 」を キャサリーン・ゲイヤーに代わって、あの可憐な声のレリ・グリストが歌っていることです(交代理由は不明ですが、ゲイヤーは 7日には きちんと小鳥の声を務めていますから、単にスケジュールの不都合だったのでしょうか )。
Reri Grist レリ・グリスト マーラー 交響曲第4番(バーンスタイン )Sony
レリ・グリスト Reri Grist ・・・ 個人的には、レナード・バーンスタインマーラー第4交響曲(CBS )の終楽章「天上の生活 」で起用したソプラノ歌手の あの美しく澄んだ声で、是非 森の小鳥も 聴いてみたかったなあ・・・というのが、率直な感想です。

 ザルツブルクにおいても「ラインの黄金 」が同時再演( 4月 1日・ 6日 )され、ここでもカラヤンシュトルツェローゲ役を充てています。
 その他の配役も 2月に渡米した時のメト公演キャストに近い顔ぶれですが、ドンナー役がロバート・カーンズに、ミーメ役がマルティン・ヴァンティンに、ファーゾルト役がリーダーブッシュに、ファーフナー役がヨーゼフ・グラインドルにと、それぞれ交代がありました。また、フリッカ役にはヴィージーが復帰し、ニューヨークで代役を務めていたアンナ・レイノルズザルツブルクでは フロースヒルデ役に専念出来たのでした。
 
 また、前回すでに述べたとおり 同年7月バイロイト祝祭劇場では、昨年に引き続いてロリン・マゼールが指揮する「ニーベルングの指環 」においては、亡きヴォールファールトの代役として、われらがシュトルツェミーメを 務めています。7月29日、8月13日の「ラインの黄金 」のミーメ役、そして 8月 1日、8月16日の「ジークフリート 」のミーメ役です。
 シュトルツェ以外の主要な配役は、トーマス・スチュアートテオ・アダムのダブル・キャストでヴォータンゲルト・ニーンシュテット(ドンナー )、ヘルミン・エッサー(フロー )、ヴィントガッセン(ローゲ )、カール・リーダーブッシュ(ファーゾルト )、ヨーゼフ・グラインドル(ファーフナー )、グスタフ・ナイトリンガー(アルベリヒ )、ジャニス・マーティン(フリッカ )、ヘルガ・デルネシュ(フライア )、マルガ・ヘフゲン(エルダ )、ジェス・トーマス(ジークフリート )、ベリット・リンドホルム(ブリュンヒルデ )という 新旧世代の歌手が混在する かなり魅力的な キャスティングでした。
 それにしても、シュトルツェを 無名の頃から育ててきたバイロイト音楽祭! 彼は、惜しくも この年をもって、「聖地 」バイロイトでの出演を終えます。その最後のパフォーマンスとなった 1969年「指環 」公演の音源テープ、どうやら 存在はあるらしいのですが、私 “スケルツォ倶楽部” 発起人にとって それは いまだ 未入手の幻なのです。少なくとも 正規盤としては 過去リリースされたことはありません。


次回(36)ショルティ盤 「魔笛モノスタトスを演じる  につづく

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