本記事は 6月27日「 注目記事ランキング クラシック音楽鑑賞 」で 第1位 となりました。
皆さまのおかげです、これからも 何卒よろしくお願い申し上げます。


スケルツォ倶楽部
「タイタニック船内のサロンにおける、
グスタフ・マーラーを 追悼する 架空の音楽会 」

Titanic 表紙 1912-3 甲板のウォーレス・ハートリー 
                                               もくじ                                       
(14)沈没の直前、最期に演奏されていた曲は
 - 二つの讃美歌「主よ、御許に近づかん 」、「オータム 」、
   そして チャールズ・アイヴズ、 ギャヴィン・ブライアーズ ・・・・


 すでに船体は 大分 傾いています。
 バンド・マスター、ウォーレス・ハートリーは、徐々に喧騒を増してきたサロン内で 楽団メンバー全員を 一度招集しました。そして 先ほどのアンドリューズから受けた要請を告げると、全員に意見を求めました。すると、
「ふふん、やってやろうじゃないか。音楽が実用に役立つなんて言われたの、初めてだよ 」
と、意外にも、彼らは 皆 陽気になって その企画にも大乗り気です。
ヘンデルの 『水の上の音楽 』と、シュトラウスの 『青きドナウ 』を演(や )ろう 」
「いいね、オッフェンバックの 『ホフマンの舟歌 』 も忘れるな 」
「お前ら、このスタインウェイ・コンサート・グランドを 甲板まで担いで運んでくれたら、 ショパンの 『バルカロール 』を弾いてやるぞ!」
と、パーシー・テイラー翁が 言い放つや、他のメンバーも 一斉に躁状態になりました。
「いや、貴方はむしろ モーリス・ラヴェル氏の 『海原の小舟 』をお弾きになるべきだ 」
と、フランス系のミュージシャン、ロジャー・ブリコーが口をはさめば、
「ああ、それを言うなら 俺たちが もしオーケストラ編成だったら、クロード・ドビュッシー交響詩『海 』を、全曲 演れるのになあ!」
と、テッド・ブライリー。すかさず、これに テイラー翁、
「ああ、それを言うなら タイタニック号が オペラハウスだったら、リヒャルト・ワーグナー『さまよえるオランダ人 』を、これから 甲板で上演できるのになあ! 」
音楽家たちは 互いの肩を激しく叩き合いながら 爆笑しました。もはや冷静さを保っているのは、リーダーハートリー独りだけのようです。
「静粛に、ジェントルメン 」
彼は素早く 考えを巡らすと、落ち着いて 全員に指示を与えました。
バンドを 二組に分けることにしよう 」

タイタニック・サロン楽師 ジョック・ヒューム Georges Krins (Violin ) Percy Taylor, (Piano、also Cello )
「 ・・・ 船の右舷側甲板には ぼくハートリー(ヴァイオリン )、ジョック・ヒューム(ヴァイオリン )、ジョルジュ・クリンズ(ヴィオラ )、それから テイラーさんのチェロ、以上4名のクヮルテット編成で。 」
メンバーは指示を聞きながら、いずれも真顔になって頷きました。ピアノだけでなく、実は 一流のチェリストでもあるテイラー翁、すでに愛用のチェロを収めたケースをしっかりと小脇に抱えています。
「あれ、いつの間に? 」
「備えあれば 憂いなし じゃ 」

Ted Briley(Piano,Organ ) Roger Bricoux( Cello ) Fred Clarke (Double Bass )
「 ・・・ ええと、それじゃ 船の左舷側甲板には テッド・ブライリー(アコルディオン )、ロジャー・ブリコー(チェロ )、フレッド・クラーク(コントラバス )のトリオ編成で、両側の一等船客の皆さんが 救命ボートへ乗り移る甲板で、それぞれ持ち場に着き次第 すぐ演奏を始めることにしよう 」
「ラジャー(了解 )! 」

 寒風吹きすさぶ 真夜中のタイタニック両甲板上で、二組のサロン・バンドは ほぼ同時に演奏を開始しました。
 ハートリーが加わる四重奏団は、右舷甲板上で まずポール・リンケ作曲の優雅な「ウェディング・ダンス 」を始めました。
「ところで、ウォーレス、考えてみろ。乗船客たちは 音楽が鳴っている間は この船は大丈夫だと信じきっているわけだろう 」
と、上半身を揺らして大きくリズムを取りながらチェロを弾くテイラー翁が、ハートリーに話しかけました。
「そのとおりです、テイラーさん 」
と、テンポを留めながらハートリーも器用に答えます。
「 - では 音楽が止んだ時は? きっと乗客は不安になるだろう 」
「そうですね、だから 私たちは 容易に音楽を止めてはならないんですよ 」
「それは 我々の音楽が止んだ時 = すなわち船の沈む時であると、乗客に知らせることになってしまうからだと 」
「うーん、結果的に そうなってしまう懸念は、あります 」
「つまり おれたちが 音楽の演奏を続けている間は 船は沈むことはない 」
「・・・ ? 」
「 - と 言うことはだ、おれたちが 演奏を止めない限り、タイタニック号は 決して沈まないという理屈だな 」
ハートリーの隣で演奏していたジョック・ヒュームが そこで口を挟みました。
「ちょ、ちょっと、それは あんまりな詭弁じゃないかな、テイラーさん 」
しかし 今度はハートリーが弓を上げて、若者を制する合図をしました。
「いや、ジョック。ある意味で テイラーさんの言うとおりかもしれない。おもしろいよ、これを信じて ぼくたちは音楽を演奏し続けようじゃないか 」

 一方、左舷側からは 6号ボートが アメリカの億万長者夫人モリー・ブラウンを含む28人を乗せて 海上へ出ました。ブラウン夫人は、甲板上で 三人の音楽家たちが演奏を始めたことに気づくと、離れゆくボートから手を振ってくれました。昨日まで船上のサロンで演奏している間、しばしば彼女からチップを貰っていたチェリストのロジャー・ブリコーは これに応えようと、仲間内に告げました。
「 『岸辺のモリー 』を演ろうよ、“モリー” ブラウンさんが無事に岸辺(陸地 )まで たどり着けるように祈ってさ! 」
「賛成 」
と、アコルディオン担当のテッド・ブライリーは即答。コントラバス担当のフレッド・クラークは、答えるより先 もうすでに イントロダクションのベースを ピッツィカートで ぽんぽんと弾(はじ )き始めてます。
 それは、オーストラリアの作曲家 パーシー・グレインジャーの「岸辺のモリー Molly On The Shore 」 - リズミカルなコントラバスのピッツィカートが刻む伴奏に乗せ、チェロとアコルディオンが八分音符で旋回する 楽しい無窮動風のアンサンブルを、彼らは いつまでも繰り返すのでした。

 一方、こちらは 右舷側です。
 演奏を続けるハートリーたちの目の前を、救命ボートへと順次 乗り込む一等船客たちの列が長く伸びています。次に降ろされるボートの順番を待っている裕福な人々の波の中、喪服の上に漆黒のコートを羽織って 不安そうに闇夜の水面を眺めている ひとりの美しい女性がいました。
Alma Mahler
 その女性(ひと )は、今宵の サロン・コンサート - マエストロ、マーラー追悼の音楽会 - を 最初から最後まで聴いてくれた 唯一のオーディエンスだった 「アルマ夫人 」ではありませんか。彼女の姿を見出した ジョック・ヒュームは、思わず楽器を抱えたまま 避難の人混みをかき分け、救命ボートのそばまで駆け寄ります。そして、彼女に向けて かろうじて 一言だけ叫びました。
「マダム、どうか ご無事でありますように ! 」
 「アルマ夫人 」は、今まさに 降ろされつつある 9号ボートに乗り込もうとするところでした。肩に羽織った高価なコートの隙間から、カンパネッラ(鐘 )がデザインされた白いカメオの、その黒衣に映えるブローチが目に入りました。彼女ヒュームの声に振り返り、そこに 片手にヴァイオリンを提げた若い音楽家が 自分を見送っている姿をみとめると、一瞬驚きに目を丸くしました。そして、ボートの中から 若いヴァイオリニストのことをゆっくりと見上げ、にっこりと微笑むと、黒皮の手袋をはめた両手を その豊かな胸の前で組み、少しドイツ訛りのたどたどしい発音ながら、よく通る声で 明瞭に英語で言葉を返しました。
「ミスター、今宵のコンサートは 最高に素晴らしかったですよ。 あなたがたジェントルマンのことを、わたし 決して忘れません! 」
ヒュームは これだけで もう満足でした。尊敬する マエストロ、グスタフ・マーラー未亡人「アルマ夫人 」から頂いた称賛の言葉を深く胸に刻みながら、彼は これから人生最後の役目となる仕事に殉じようと、心の中で誓いを立てました。

 船の海水位は、船首に表示されたTitanic というプレートの位置にまで達しました。タイタニック号は 左舷側に大きく傾き、甲板の傾斜も急角度になっています。徐々に迫りくる船外の海水の高さを睨みながら、一等乗船客の救助へと走り回る船員らの姿を監督しつつ 甲板を歩く エドワード・スミス船長が、ハートリーたち楽団員の前を 厳粛な面持ちで通り過ぎようとしました。
船長エドワード・スミス (2)
「船長、スミス船長 」
ハートリーは 遠慮がちに声をかけました、想定外の非常事態を 受け入れざるを得なくなった責任者としての船長の立場を 察したためです。
「 ・・・ああ、これは音楽家の諸君ではないか。ご苦労だね、先ほどは サロンで演奏途中に中座してしまって、たいへん失礼した 」 
「 - いえ、とんでもない 」
マーラーの『大地の歌 』 、あの最後の部分が聴けなかったことが 私には心残りだった。だが 今となっては、心残りは 他にも数えきれぬほどあるがな 」
「・・・ 」
「船員たちが 救命ボートを下す作業も どうやら軌道に乗ってきたようだ 」
「はい、ちょうど スミス船長と ご一緒に 今宵のコンサートを聴いてくださった アルマ・マーラー夫人が、ボートへお乗りになったところですね。今、うちの若い楽団員が 見送っているところでした 」
と、ハートリーの説明を聞くと、船長は意外な顔をしました。
「いや? あの婦人は マエストロ・マーラーの妻などではないぞ。タイタニックの乗船名簿には アルマ夫人の名前など 記載されてはおらぬ 」
「え? でも サロンで 船長ご自身が 『こんばんは、アルマ夫人 』 って、彼女に声をおかけになった、と聞いておりますが 」
それを聞くと、スミス船長は 少しだけ笑いました、
「ははあ、たしかに 彼女とサロンで挨拶を交わしたおぼえはあるが、『こんばんは、カールマン夫人 』と、私は言ったんだよ。“カールマン” が “アールマ” とでも聞こえたんだろうね。 いや、あの女性(ひと )は ウィーン出身で、ブルガリアの王侯貴族の末裔だった実業家の若妻だ。しかし気の毒に、昨年 その夫を亡くされたそうでね。聞くところによると、夫カールマン氏が所有されていたニューヨークにある会社の残務処理をするため 去年から何度も大西洋を往復しているということだ 」
「それで 喪服を着ていらっしゃったんですね ・・・ 」
「では 失礼するよ、私は 左舷側の様子も見に行かなければならぬ。諸君に 神のご加護が あらんことを 」
そう言って 立ち去ってゆくスミス船長の、どこか寂しげな後ろ姿を見送りながら、一方でハートリーは 何だか拍子抜けしていました。 - 何ということだ、ジョックのカン違いだったとは、人騒がせな。モチベーションを 返せ。
 そんなハートリーの表情を 読みとってか、傍で二人の会話を聞いていたパーシー・テイラー翁が 近づくと、彼にそっと耳打ちするのでした。
「いいか、ウォーレスジョックのヤツには “マーラー夫人”が 本物じゃなかったっていう事実を、わざわざ知らせたりするなよ 」
「え? 」
隣に立つ 無口なヴィオラ奏者 ジョルジュ・クリンズも 表情を変えずに 言い添えました。
「そうそう。言わないほうがいいことって、世の中には あるものなんだよ
よくわかっているさ、と 知らせるように ハートリーも 深く頷いてみせました。
 今や タイタニック号は、船体を右舷側へと大きく傾け、その船首は すでに海中へと没しています。そこへ 「グスタフ・マーラー夫人 」の乗った救命ボートを見送った ジョック・ヒュームが、笑顔で 仲間たちの許へと戻ってきました。その表情は どこか満足気で 幸せそうにさえ見えました。
 若者を出迎えた音楽家たちもまた 爽やかな笑顔を 互いに交わし合うと、サロン・バンドのリーダー、ウォーレス・ハートリーの合図のもと、一斉に楽器を構えます。それが、彼らの 最期の一曲でした。
映画「タイタニック 」に出演したサロン楽団 (3)

☆ おことわり ストーリー部分は フィクションであり、実在の登場人物も そのキャラクターは すべて架空のものです。


タイタニックサロン・バンド最期に演奏した楽曲は、何だったのか
 
 沈み行く豪華客船タイタニック号の甲板で 船舶付属の室内楽団員が、パニックに陥る乗船客を落ち着かせるため 最期まで演奏を続けたという事実は、この事故にまつわる多くのヒロイックな「伝説 」の中でも とりわけ有名なエピソードです。
 甲板上で演奏された最期の曲目は 何だったのか・・・ たいへん興味深いですが、実は 定かではありません。最期まで甲板で演奏を聴いて 尚且つ 生還もできたというような奇跡的な人は 僅かだったでしょうし、しかも残念ながら その人たちは いずれも音楽には詳しくなかったようです。と、言いますか、もとより乗っていた船が沈み、救命ボートも足りないという極限状態で、普通の人なら 冷静に音楽に耳を傾けていられるような状態ではなかった筈です。

(1 )讃美歌 第320番「主よ、御許に近づかん Nearer, My God, To Thee 」説
讃美歌 320番 Bethany

 不十分な複数証言によって諸説ありますが、おそらく最も広く知られているのは、讃美歌第320番「主よ、御許に近づかん Nearer, My God, To Thee 」ローウェル・メイソン作曲 Bethany 1856年 )だった、という説でしょう。
 最期の讃美歌のタイトルが これである と伝えたのは、救命ボートで漂っていたタイタニックの遭難者を 最初に救助に向かったとされる、キュナード社の カルパシア号が 無事ニューヨークに入港し、そこで 多くのアメリカの新聞記者が 複数の生存者に取材した結果、得られた情報だったとされています。
 それは、ニューヨーク= 4月18日発のニュースとして、有名な新聞記事の見出し「 『 主よ、御許に近づかん Nearer, My God, To Thee 』 - タイタニック号、船上バンドの演奏する讃美歌とともに 沈みぬ! 」( From ” Bisbee Daily Review、April 19. 1912. ” )によって、広く知られるところとなりました。
讃美歌「主よ、御許に~ 」をバンドが演奏したことを伝える 最初の新聞記事(April 19. 1912 )
 おそらく これら報道情報等によって、古くは宮沢賢治の童話「銀河鉄道の夜 」をはじめ、1953年に アカデミー脚本賞を受賞することになる ジーン・ネグレスコ監督による映画「Titanic 」から、近年のジェームズ・キャメロン監督による 傑作映画「タイタニック 」に至るまで、この歴史的な遭難事件を題材にした 多くの映画・文学作品において この曲は 採用されてきました。実際、楽曲としても、心に訴えかける 深いエネルギーを秘めた、よく出来た旋律だと思います。

映画「タイタニック 」サウンド・トラック (2012アニヴァーサリー・エディション ) イ・サロニスティ I Salonisti (2)
映画「タイタニック 」サウンド・トラック (2012アニヴァーサリー・エディション )
演奏 : (映画中では演技も ) イ・サロニスティ
音盤 : ソニーミュージック(SICP3457~8 2枚組 )

 前回 ご紹介のとおり、2枚目Disc が、まるまる イ・サロニスティによるサロン・バンドの演奏です。甲板上での「主よ、御許に Nearer, My God, To Thee 」の演奏シーンの サウンド・トラック、すなわち 映画の中の ウォーレス・ハートリーが 呟く、格好良い台詞「君たちと演奏できたことを 私は誇りに思う 」まで 収録されています。

 でも、実は さらに興味深いのは、この音楽、そして このディスクなのです。
チャールズ・アイヴズ
アイヴズ作曲 交響曲第4番
讃美歌「主よ、御許に近づかん 」
併録曲:交響曲第1番、讃美歌集(交響曲第4番に引用された原曲 )「遥かに仰ぎ見る 」、「永遠の故郷(オルガン独奏 ) 」、「汝ら、キリストの先触れたちよ 」、「わが魂を、愛するイエスよ 」
マイケル・ティルソン・トーマス指揮
シカゴ交響楽団、合唱団、リチャード・ウェブスター(オルガン )
録 音:1989年4月 シカゴ
音 盤:Sony(ソニークラシカル SRCR-8518 )

 シェーンベルクと同年生まれ、20世紀アメリカに登場した 新しい音響の先駆者チャールズ・アイヴズ作曲の第4交響曲は、彼の個性的な作風の 文字どおり集大成的な傑作です。複調性、無調性、クラスター、コラージュ、そして引用など、誰よりも早く大胆に取り入れた 独自な音楽語法を誇る大作ですが、このディスクでは 第4交響曲の中に引用された、讃美歌の原曲も一緒に収録、私たちリスナーはシンフォニーと比較しながら聴くことが出来るという、M.T.トーマスによるアイディア賞ものの発案です。
 その讃美歌重要な一曲というのが、まさしく「主よ御許に近づかん Nearer, My God, To Thee 」なのです。あくまで このCDで 交響曲を聴いた発起人の勝手な憶測ですが、アイヴズは この第4交響曲の作曲中に、タイタニック号の事故を知って かなり影響を受け、その極限状態に置かれた人間の振る舞い、態度や精神について相当詳しく調べたのではないでしょうか。この大作の作曲年代が、1910年から6年間の歳月をかけて完成されたことは よく知られていますが、そう考えるのは、まさに1912年に起きた歴史的なタイタニック遭難という時期を含んでいるから という事実ばかりではありません。
 この事故によって、一部で新聞報道された讃美歌「主よ御許に近づかん 」の存在は、当時の欧米世界にとっては すでに特殊な意味を持った一曲となっており、これを「人間は何のために生きるのか 」、「なぜ生きるのか 」という 些か重いテーマを呈示する第1楽章 プレリュードにおいて 引用した上、さらに解決章となる終楽章の後半において、アイヴズらしい混沌とした音響の中から 徐々にその姿を明瞭に現わしつつ、 やがて「主よ御許に近づかん の旋律が 遂に登りつめてクライマックスに達するまでを描く そのプロセスは、感動的です。


(2 )讃美歌第351番(オータム Autumn )
「友という友は なきにあらねど One There Is ,Above All Others 」説

讃美歌 351番 Autumn
 
 タイタニックの 甲板での最期の楽曲を聴いた 生存者の数少ない証言のひとつに、以下のようなものがあります。
「船尾から楽団の奏でる音楽が聞こえてきました。ラグタイムでした。(中略 )曲名はわかりません。それから “Autumn” が聞こえてきて、(中略 )楽団が演奏し続けたのは立派としか言いようがありません。(中略 )最後に楽団を見た時、私は救命胴衣をつけて海に浮かんでいましたが、彼らは まだ “Autumn” を演奏していました。あの中で どうやって演奏できたのか、不思議で仕方がありません 」 (ハロルド・ブライドタイタニック無線電信技師
: 引用 「ザ・ホワイト・スター・オーケストラ / タイタニック 運命の航海に捧げられた音楽(ワーナーミュージック・ジャパン Rhino_Atlantic AMCY-2458 解説対訳より )


 ・・・ 「オータム Autumn 」という曲だったそうです。
 それは、讃美歌第351番「友という友は なきにあらねど One There Is ,Above All Others 」(その原旋律は 1551年、Pseaumes de David, Geneve が原典とされ、これを1785年に François Hippolyte Barthélémon がアレンジを施し、さらに歌詞を付して讃美歌としたのは 1779年、ジョン・ニュートン John Newton )だった、という説です。この讃美歌には、たしかに オータム Autumn というタイトルがついています。そして、私 発起人にとって、この説の方が、ドラマティックで 意義深いものと感じています。
 その理由とは、この讃美歌歌詞にあります。
「友という友は なきにあらねど、比(たぐい )もあらぬは 主なるイエス、きみ、うから同胞(はらから )も およびはあらじ 誰がわがために いのちを捨てし 」 という 少し難しい文語体ですが、現代の言葉に意訳してみると、 「どんなに親しい友であっても、主イエス・キリストには及ぶまい。なぜなら、イエスは 私のために ご自分の命まで 捨ててくださったのだから 」 - といった意味です。
 ふつう讃美歌には、必ず聖書の特定の箇所と照合できる聖句が存在しています。それは 讃美歌の楽譜の右下に 小さく、その聖句の箇所が明示されていることで判ります。第351番「オータム Autumn 」には、「ヨハネ 15-13 」と書かれています - 新約聖書 ヨハネによる福音書 第15章 第13節 を ギデオンの聖書であたってみると、それは 以下のような聖句でした - キリスト・イエス自身が語った言葉です。
人が その友のために 自分の命を捨てること、これよりも大きな愛は ない
 ・・・これは、キリスト十字架にかかる前夜弟子たちに語った言葉のひとつだったのです - そのような精神が織り込まれた この一曲の讃美歌が、沈みゆくタイタニック船上という極限状況で選ばれていたとしたら、選曲者にとっては たしかに重い意味と必然性があったに違いないと、私は 想像します。
 沈没するタイタニック号の船上で、音楽を選ぶという状況になったとしたら - もしご自身が 音楽を提供する楽師だったら、と想像してみてください - 最初のうちは、ボートに避難する乗客たちを 落ち着かせようという目的のため、平穏で日常的な空気を取り戻せる、楽しいラグタイムワルツを 選ぶことが 穏当だったかも知れません、そこまでは。
 しかし、すべての救命ボートが 海上へ出てしまった その瞬間から 以後、船内に残った 絶望的な状況にある乗客に対し、提供すべき音楽とは、もはや ただ明るく楽しいだけの曲調では 不自然だ と思うのです。 - もう30分もしないうち タイタニック号は 水中に没する・・・という状態です。救援の船舶が 助けに辿りつけるのは、せいぜい早くても 2時間後、氷点下の海水には流氷さえ浮いている、そんな状況です。。。
 こんな、凍死することが約束された、沈みゆく船に残されし者たちの 絶望しかない心に わずかでも平安を与えようとすれば、限られた数しか用意されていなかった救命ボートに あなたがた「乗らなかった者 」のおかげで、「乗った者 」たちは その命を救われたのだ - という考え方です。
 最初から 数も少ない救命ボートには 乗客全員が乗れるわけではありませんでした。しかし あなた方は 皆、敢えて 自分の命を犠牲に捧げるのと引き換えに、実は 妻の命、子どもの命、母の命、友の命を 救ったのです。それこそは、尊いキリスト・イエスの行いにも匹敵する 偉大な愛なのですよ - 聖句「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない 」と。
 そう考えることによって、彼らは きっと そこに大きな慰め を見出せたのではないでしょうか。
 従って、この精神が織り込まれた 讃美歌351番「オータム Autumn 」を、もし楽師たちが 最期の曲として選んでいたとしたら、それは とても理に適った、納得のゆく選曲だったように思えるのです。いかがでしょうか。


ギャヴィン・ブライアーズ作曲
 「タイタニック号の沈没 The Sinking of the Titanic 」

The Sinking Of The Titanic_ポイント盤 (1)
ポイント盤 「タイタニック号の沈没
演 奏:ギャヴィン・ブライアーズ・アンサンブル
録 音:1994年 ロンドン
音 盤:POINT-PHILIPS /PHCP-334
 
 ギャヴィン・ブライアーズ(Gavin Bryars 1943~ )は、現代イギリスの作曲家です。
 1969年、26歳のときにポーツマスの美術学生のために書いた、実験的要素の濃い この作品「タイタニック号の沈没 」の成功によって、世界的な注目を集めました。これは、沈没する豪華客船タイタニック号の甲板上において 最期まで演奏を続けながら水中で殉職した、と伝えられる楽団員たちによる音楽演奏の再現を、後に生き残った乗客や船員らの証言の記録をもとに 試みたものですが、再現 - とは言っても 安易なドラマ仕立てによる方法などではなく、今までになかった、まったく新しい方法が採用されています。それは、極めて「詩的 」な方法でした。
 海中に沈んだ音楽家たちは 冷たい海底で 死者の魂を鎮めるために 今でも(! )演奏を続けている、というブライアーズの詩的な着想によって、「水の中という特殊な 環境の中で、海底に沈んでいった音楽は、永遠に滅ずることなく 永遠に反復され 続けている 」という幻想的な仮説 (=“音は、密閉状態で永久に保存することが出来、もしもタイタニックを引き揚げることが出来れば、この時に音楽も一緒に空気中に流れ出し、再現されるであろう” ・・・ という あり得ないファンタジー )に、「音楽 」という実体を与えることによって、ひとつの「作品 」としたものである、とでも言い換えられるでしょうか。
 この作品は、ブライアーズにとって 「ライフワーク ("Work in Progress"、常に進行中の作品 ) 」と呼ばれ、新たな証言や資料を加える度、随時 上書きするように演奏に情報を加えてゆく - とされています。
 これまで すでに三種類の録音があり・・・
The Sinking Of The Titanic_ポイント盤 (2) The Sinking Of The Titanic_クレプスキュール(LIVE )盤
(左 )1975年(オブスキュア CDVE-938 7243 8 45970 2 3 )盤
(右 )1990年 4月12日 および 13日(クレプスキュール LTMCD-2525 実況録音)盤

 上記 最初の録音である 比較的テンポも速い(ブライアン・イーノの )オブスキュア盤(1975年、スタジオ・レコーディング )は 24分40秒 、二度目の録音であるクレプスキュール盤は 三層構造の給水塔を改造した空間で という興味深いライヴ・レコーディング(1990年 4月12日および 13日 )、演奏時間は 60分21秒です。
 そして、最初に紹介した 目下 最新録音となるポイント盤(1994年、61分13秒 )では、氷山に接触した時のものと思われる衝撃音からスタート、途中 新たにもう一曲、別の讃美歌と児童合唱なども加えられ、「さらに重層な音響空間が構築されて(Wikipediaより ) 」います。そういう理由で、新しい録音ほど この演奏時間は長くなる傾向にあることは 当然でありましょう。

 冷たい氷の海に沈んでいった楽団員たちが、死の間際まで甲板で演奏していた「最期の曲 」として、ここで ブライアーズ讃美歌351番(Autumn )「友という友は なきにあらねど One There Is ,Above All Others 」を選んでいます。
 これを、タイタニック室内楽団の編成によって、異なった反響速度を持つ複数の場所で、想像を絶するほどの遅いスピードで演奏させています、そうして録音した音源を基本素材として、これを繰り返し(ループ )させながら、船体がきしむ音や船の衝撃音・水の侵入音・ベルの音・木片がぶつかる音、生存者(おそらくエヴァ・ミリアム・ハートのインタヴュー録音のテープを使用していると思われます )の声・・・ といった 様々な効果音をコラージュ&ミックスさせることで、水没イメージを喚起させられた聴き手は、ブライアーズの創った架空の世界に 耳と感覚を緩やかに耽溺させ、海中にゆっくりと 沈んでゆく豪華客船の乗員のひとりとなって、恐ろしいまでの「静けさ 」の中、約一時間の“疑似臨死体験(! )”が 出来るというわけです。
タイタニック 水の底のミュージシャン
 沈みゆく巨大客船の、悲痛な汽笛の響きを模倣するようなバス・クラリネットの響きに、とりわけ耳が引き寄せられます。その擬汽笛の音は もはや旋律ではなく、あたかも 望み得ぬ救援を求めているかのように姿形を変え、何度も繰り返されます。それは 傷ついた鯨の呻き声のようにさえ聞こえます。
 印象的なのは、客船と共に沈んだ サロン・バンドの楽団員水没してからも弾いている弦楽器の音でしょうか、弓が弦を擦り続け、不規則に分散和音を繰り返すボウイングの音も聞こえます。その旋律は、もはや楽譜の上から小節線が抜け落ちて、まるで音符だけが 水中に散らばって、ゆらゆらと漂っているかのような、そんなイメージです。

次回、最終回 に続く・・・

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国立国会図書館のデジタル本ライブラリー

ご謙遜を! それより 国立国会図書館のデジタル本 ( 近代デジタルライブラリー )の存在を教えてくださって ありがとうございます!
ご教示のとおり、「ベートーヴェンの知られざる顔でも見てみようかなー 」などと あちこち検索しているうち、なんと わが国の最も初期の音楽評論家として 知る人ぞ知る 兼常 清佐(1885~1957 )が、ドイツに留学(1922年~23年 )していた時の思い出を綴った「音楽巡礼 」(岩波 ) を 偶然見つけてしまい、これが読めることに感激しました。
自分勝手に脱線してしまいますが、そこでは 兼常氏は 戦前のベルリンで 天才少年コルンゴルトの「シンフォニエッタ 」を聴いたり、「マイ・ワイルド・アイリッシュ・ローズ My Wild Irish Rose 」のジョン・マコーマックが ブルーノ・ワルターと共演するのを聴いたり、そのほか 往年の大指揮者たち メンゲルベルク ( 「大地の歌 」 )、ニキシュ、アンセルメ ( 「春の祭典 」 )、フルトヴェングラー、そして 「グレの歌 」の おそらくベルリン初演に立ち会ったシェーンベルクの姿まで見て、それらの記録を付けているのです。興奮しました。
機会があったら、スケルツォ倶楽部でも この 忘れ去られようとしている 貴重な書物の中身も 紹介してみたいものだなーと 思いました。
山田武司先生には 重ねて 感謝を申し上げます!

URL | “スケルツォ倶楽部”発起人 ID:-

ベートーベンの顔

私は音楽が全くダメなのですが、貴方ではベートーベンの顔をやっておられますが、ご存知でしたら失礼しますが、国立国会図書館のデジタル本(近代デジタルライブラリー)に、ベートーベン で検索しますと27冊の本がありまして、けっこう彼の顔が出ています。私は素人ですが、なんとなく面白い写真や絵(みたいなモノ)もありまして、楽しいです。
使用する場合は国会図書館の承認が必要ですが、ご存知ありませんでしたら、一度のぞいてみてはいかがでしょうか(失礼がありましたらお詫びします)。

山田武司さま!

スケルツォ倶楽部に ご訪問くださり、誠にありがとうございます。
タイタニック号についての、客観性も高いアカデミックな研究内容に刮目です!

URL | “スケルツォ倶楽部”発起人 ID:-

タイタニックの曲

タイタニックのことをまとめて出しました。無料で読めますので、よろしければ読んでみてください。
インタネットの検索窓で 山田武司 としていただいてそこに行って
山田武司WOOK(ウック)とあるところをクリックしていただくと読めます(無料です)。
最後の曲 AUTUMN の歌詞と楽譜も出しておきました。
失礼します。

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