本記事は 6月 5日「 注目記事ランキング クラシック音楽鑑賞 」で 第1位 となりました。
皆さまのおかげです、これからも 何卒よろしくお願い申し上げます。


スケルツォ倶楽部
「タイタニック船内のサロンにおける、
グスタフ・マーラーを 追悼する 架空の音楽会 」

タイタニック Gustav Mahlerの肖像写真(1909年 )Wikipedeia   もくじ

(12)「大地の歌 」から 第6楽章「告別 」 室内楽版

ショスタコーヴィチ
「もし 人生の最後に もう一曲だけ音楽を聴く時間が 私に与えられたとしたら、
 きっと 『大地の歌 』の終楽章を 望むだろう 」
          (ドミトリィ・ショスタコーヴィチ )

J Horenstein
「この世と訣別するに際し 最も悲しむべきことのひとつは、
 もう二度と 『大地の歌 』が聴けなくなるということだ 」
          (ヤッシャ・ホーレンシュタイン



                                    

 
 タイタニック号が 予定どおり 明日には その目的地であるニューヨーク港へ到着しようという前夜 - 今航海 最後の晩となる 4月14日 - 豪華客船の 一等船室サロンでは 乗船楽団員を中心に編成された室内楽団によって、昨年没した ウィーンの大指揮者グスタフ・マーラーの一周忌と その功績を称えるためのコンサートが開かれていました。
 その進行は 予定より大幅に遅れており、只今の時刻は すでに午後11時40分、やっと最後の演目が 始まったところでした。
 それはマーラーの遺作のひとつで、独唱つきの交響曲「大地の歌 」最終楽章・・・・ これには「告別 Der Abschied 」という標題が付けられていました。その最初の第一音は、深い慟哭に満ちたハ短調の和音でしたが、これが ホールに鳴り響いた瞬間、その大いなる感動は サロンで音楽を浴びている全員に - 聴衆にも また演奏家にも - まるでタイタニック巨大な船体が 大きく揺れたかのような衝撃を与えたのでした。
「素晴らしい ‐ 」
音楽への造詣も深いスミス船長は、思わず 呟きました。
「まったく - この 東洋的な深い嘆きの響きは、作曲者の人生への訣別を表現しているのでしょうか 」
と、隣席で タイタニック号の設計士トーマス・アンドリューズ氏も 小声で答えます。
「さもあらん。その真相は これを意図した作者にしか解らないことだ。だが 唯一人 それを解き明かしてくれるマエストロも すでにこの世にはいない。世界は 実に惜しい才能を 失くしたものだ 」
船長は サロンの豪奢なソファに 深く座り直すと 腕を組み、真剣に 音楽に聴き入りました。
 客席最前列に座った「アルマ夫人 」も また 緊張の面持ちで微動だにせず 音楽家たちの演奏に向き合っています。
船長エドワード・スミス (2) Thomas Andrews Alma Mahler

 交響曲「大地の歌 」 第6楽章「告別 」
 ( 前半は 孟浩然の「宿業師山房期丁大不至 」、後半は 王維の「送別
  - これらを ハンス・ベートゲが翻訳、さらにマーラー自身が ひとつに結合し、自由な改変を加え、追加を補したもの )

    夕陽が 西の彼方へ沈むころ 
    すでに 日没後の 涼しい空気が 辺りに満ちはじめ、
    やがて 迫りくる暗闇は 山も渓谷も 包みこもうとしている
    見上げたまえ! 月が、まるで 銀の船のように 
    ゆらゆら漂いながら 蒼天の湖へと昇ってゆく

    私は 松ヶ枝の暗い木陰に佇み、 
    涼しい夏の風を 身体いっぱいに受けている
    美しい小川のせせらぎが 心地よく、
    夕闇の隙間を 歌いながら 流れてゆく
    黄昏の徐々に薄れゆく光の中では
    花々も 枯れているのか 色を失ったのか
    もはや 判然とは しなくなってしまった

    憩いと眠りに満ち足りて、大地が息づき始める
    すべての憧れの夢を見ようとするかのように
    人生に疲れた人々は 家路を急いで帰る 
    彼らは みんな知っているのだ、
    とうに過ぎ去った青春の幸福が 再び 蘇(よみがえ )る場所、
    それは、彼らの夢の中だけにしかない - ということを

    鳥たちも その住処(すみか )とする巣の中で
    静かに 小さく羽をたたんだ
    世界中が眠りにつく 夜が訪れたのだ

    私が佇む松ヶ枝の 暗い木陰にも 夜の冷気が漂ってきた
    ここで 私は 友が来るのを ずっと待っている
    最後の別れを告げるため

    友よ、私は 君と一緒に
    今宵の 美しい夕暮れを 見たかったのだ -
    一体どこから 君は来るのだろう、 
    依然 私は独りで ここに佇んで 待っているというのに

    今まで 私は 楽器を携えて いろいろな土地を さすらってきた
    その道程で辿り着いたのが、
    ふわふわと草が繁る この肥えた土壌、
    この大地、ああ、この地は何と美しいんだろう
    大自然に命があるなら、この愛しい大地に永遠の愛を -


 孟浩然による原詩を基にした前半部分を過ぎると、王維の「送別 」を原典とする部分に移ります。しかし その前に しばらくの間、音楽は 室内オーケストラによる 美しくも感動的な経過部分を繰り広げるのでした。
 客席の聴衆は わずか三人だけ でしたが、浄化されつつある音楽の、その素晴らしさに 全員が固唾を飲んで真剣に聴き入っていることが、演奏している すべてのミュージシャンにもわかっていました。
 やがて 長い間奏の後、メゾ・ソプラノ歌手が 再び 朗詠を始めます。

    友が着いた、 
    彼は 馬から降り立つと、友に 別れの酒杯を 差し出した・・・
 

 と、女声歌手が そこまで歌った時です、突然 一等航海士のマードックが 音楽会場に駆け込んで来るなり 大声で叫びました。
スミス船長、ああ アンドリューズさんも! ずっと お探ししていました。ここに いらっしゃったんですか。大至急 デッキへ ご同行ください 」
著しく興を削がれたスミス船長は 思わず 顔をしかめ、
「何があったと言うんだ、マードック君。今 世紀の名曲が演奏されている最中だというのに 」
と、静かな声でベテランの航海士を叱りました。これに マードックは 激しく首を振ると、今度は あたりをはばかるように 船長の耳元に口を近づけると、しかし 鋭く囁きました。
「よくお聞きください、船長。今から約20分前 本船は 氷山と接触事故を起こしました 」
「何だと? 」
たしかに 20分前、船長(だけでなくサロンの全員 )が、今 演奏を中断している この曲 - マーラーの「大地の歌 」終楽章 - その 冒頭で感じた大きな衝撃は、音楽による感動が 呼び起したものだけでは なかったのです。
「しまった・・・ 」
スミス船長は 不覚のあまり 血がにじむほど強く 自分の唇を 噛みました。その傍らで マードックの 早口の状況報告は 続いています。
「・・・ 氷山に気づいた時、即座に 面舵を命じ 全速後退させて 迂回には努めたのですが・・・なにしろ 発見した時には もう遅かったのです 」
「・・・ 」
「船体の破損は 些少ではありません。お願いします、大至急 アンドリューズさんと一緒に おいでください 」
小声ではありましたが マードックの言葉は アンドリューズにも はっきりと聞こえたので、彼も すぐさま 船長のほうを 振り返って小さく叫びました。
キャプテン! 」
アンドリューズ君、マーラーの音楽を 最後まで聴けないのは 誠に残念だが・・・ さあ、行かねばならぬ! 」
二人は 一瞬だけ名残惜しそうに ステージに立つ音楽家たちのことを 振り返りましたが、しかし すぐソファから立ち上がると 先に駆けだした航海士マードックを追うように サロンを後にしました。
- 音楽会が終了する前に 彼らが ここへ戻ってくることは、ありませんでした。サロンの演奏は、一旦 中断していた個所から 再開されたのです。

    ・・・ 彼は 友に言った 「君は どこへ 行くのか 」
    そして また尋ねた 「なぜ行ってしまうのか 」

    友は答えたが、その声は 服喪のヴェール に覆われていた
    「わが友よ、聴いてくれ。私は この世では不運だった
     独りで 今から どこへ行こうか 決めかねているが
     さまよい入る道は、山中のみ 」

    「私は 自分の孤独な心を癒そうと、
     憩いを求めながら さまよい続けてきた
     しかし 私が歩もうとする その果てには、故郷たる 終(つい )の棲家がある
     私は もう二度と流れ歩いたり、さすらうことはないだろう
     私の心は、ずっと 安らぎの時を待ち受けていたのだ 」


 いまや サロンの聴衆は、最前列中央に座る喪服の「アルマ夫人 」ただ一人だけになってしまいました。しかしバンドの楽団員は、何事もなかったかのように 演奏を続けます。なぜなら 今宵、彼らは マーラーの音楽の価値が わかる聴衆が たとえ一人しかいなかったとしても、その価値のわかる 一人の聴衆のために すべての演奏を 全うさせる決意だったからです。
 若いメゾ・ソプラノ歌手、エキストラで加わったロンドン交響楽団の管・打楽器メンバー、リーダー ウォーレス・ハートリー、セカンド・ヴァイオリン奏者 ジョック・ヒューム、ヴィオラ奏者 ジョルジュ・クリンズ、チェリストのロジャー・ブリコー、コントラバス奏者 フレッド・クラーク、鍵盤楽器奏者 テッド・ブライリー、そして個性的なピアニスト、酔いどれの天才パーシー・テイラー・・・
タイタニック・サロン楽師 ジョック・ヒューム Georges Krins (Violin ) Roger Bricoux( Cello ) Fred Clarke (Double Bass ) Ted Briley(Piano,Organ ) Percy Taylor, (Piano、also Cello )

 ここからは 終楽章も大詰め です。浄化された春の美しさ音楽という無形の媒体を通して 一斉に噴き出し始め、静かなクライマックスに向けて 今や盛りとサロン一杯に「咲き誇る 」のでした。
 
     愛しい大地に 春が訪れ、いっせいに百花咲き誇る
     木々は緑に覆い尽くされる、
     永遠に、遥か彼方まで、
     青々と光り輝き続けることだろう、 
     いつまでも、 永遠に・・・  
                    (意訳 山田 誠 )


 ウォーレス・ハートリーは、バンド・リーダーとして 「大地の歌 」の 素晴らしい終楽章を演奏しながら この音楽を 文字どおり肌で味わいつつ、マエストロ・マーラー自身は まさに この曲自分が葬られるべき場所 - 大地 - に立てる 壮大な「墓碑 」として構想 したのではないか・・・ と、直観で感じました。
 マーラーが翻案した詩「告別 」に登場する「主人公 」を 待たせ続けた挙句、ようやく訪れた「」の存在が象徴するもの とは、まさしく「死 」 以外の 何ものでもない・・・・と。なぜなら 主人公が向かおうとしている先「故郷たる 終(つい )の棲家 」、そここそ 人間ならば誰しも最期は 生まれ出で来たりし処へと帰ってゆくものだ ― という命題を、まさにマーラーが 述べているのではないか、という推測です。 
 かつて マーラーは、自身の 第4交響曲のスケルツォ楽章の中で、「死の舞踏 」を 演奏するソロ・ヴァイオリンの調弦を「スコラダトゥーラ (異なるチューニング ) 」で表記していましたが、これも「一緒に 同じ音楽を演奏しているにもかかわらず ソロ・ヴァイオリン奏者ひとりが 次元の異なる空間に存在している 」 - つまり「 」の存在を象徴していることは明白で、マーラーは そこを「わが友ハイン( = 死神 )が演奏する 」と書き残しているではないか・・・・と、ハートリーは 演奏を続けながら、自分の考えを めぐらせ続けました。
 そうすると、この「大地の歌 」の終楽章 - 美しいけれど 一種謎めいた不思議な詩 - その結末の意味とは・・・? 
 孟浩然の詩による前半宿業師山房期丁大不至 」では 一人称で進行していたというのに、後半 王維の詩「送別 」を基にした場面では なぜか 三人称 - すなわち 「 」、「 」 - の行動や言葉が それまで主人公だった筈の「 」と 区別がつかなくなってしまう(しかも過去形になり )、馬から降りた「 」と 待っていた「 」とは、実は 同一人物の 生/死 を 表現しているのではないか・・・ さらに 結末の場面(シーン )まで辿(たど )りつくと、今度は 登場人物すべてが消え去り、その後には 大地の春を描く情景描写になってしまう・・・。
 もし この変遷が 単なる不注意からではなく 作者マーラーによって、そこに何らかの 意図的なもの が 隠されていたのだとしたら・・・? 
 ここで ハートリー仮説は、ひとつの結論へと至りました - 「大地の歌 」の主人公のもとを「 」である 彼自身の「死 」が 訪れる、その最期の場面は、ひとつの命が まさに この世に別れを告げ ながら、同時に 自己を滅却することによって 「大自然(大地 ) 」の中へと「永遠に ewig 」同化していく 魂 の変容 した姿( =現象 )に 他ならないのではあるまいか - と!


☆ おことわり ストーリー部分は フィクションであり、実在の登場人物も そのキャラクターは すべて架空のものです。


                                    


マーラー 大地の歌 室内楽版Fuga Libera Ensamble Oxalys(httpwwww.homerecords.beanglaisen_oxalysen_bio_tusschen.php )
マーラー:「大地の歌 」 (シェーンベルク & リーン編曲 室内オーケストラ版 )
マルフリート・ヴァン・レイセン(メゾ・ソプラノ独唱 )
アンドレ・ポスト(テノール独唱 )
アンサンブル・オクサリス
  シリー・ラウプ、フレデリク・ドゥルセル(ヴァイオリン )、
  エリザベス・スマルト(ヴィオラ )
  マルティーン・ヴィンク(チェロ )
  ケーンラート・ホフマン(コントラバス )
  トーン・フレット(フルート )
  ナタリー・ルフェーブル(クラリネット )
  カレル・ショーフス(オーボエ )
  ゲールト・フィリップス(ファゴット )
  シモン・ハスペスラハ(ホルン )
  ピエト・クイケン(ピアノ )
  ディルク・ルイーメス(ハーモニウム )
  バルト・ヴァンデルベーケ、ガブリエル・ロフェル(パーカッション )
録 音:2005年8月、ブリュッセル近郊
音 盤:Fuga Libera(マーキュリー MFUG-516 )
 
 マーラー自身、生前「歌による交響曲 Symphonie in Gesangen 」と呼んでいた「大地の歌 」が作曲されたのは1908年夏の南チロル、トプラッハ(ドッビアーコ )でのこと。歌曲と交響曲という二つのジャンルを 実に興味深い形で融合させた、マーラーによる唯一無比の超傑作です。
 「さすらう若人 」の項 ⇒ こちら  でも触れさせて頂いたとおり、この室内楽版への編曲もまたアーノルド・シェーンベルクが 自ら主宰する室内楽演奏会「私的演奏協会 」のために、13人編成で演奏できるアレンジを 1921年頃に一度試みたものでしたが、いろいろな理由で協会運営が暗礁に乗り上げてしまったため この時は完成に至らなかったそうです。
 しかし近年(1983年 )になって これを惜しんだ現代作曲家ライナー・リーン Rainer Riehn (1941~ )が 補筆・最終校訂を施したところ、世界的にもたいへん高い評価を得、その後 主に1990年代以降 公開演奏・録音の機会も急速に増えて、今やコンサート・レパートリーとして 立派に定着したと言ってよいと思います。 
 さて、このアンサンブル・オクサリスとは 1993年にベルギーブリュッセル音楽院の学生によって設立された気鋭の団体で、私 発起人 は まだ実演に触れたことはありませんが、その合奏技術の高さ だけでなく、「華麗なコスチュームでも注目(HMV ) 」されているそうです。彼らオクサリス(Fuga Libera )盤は、この「大地の歌 」室内楽版が周知され始めた史上最初期 - 1993年 - に録音されたフィリップ・ヘレヴェッヘ(ハルモニア・ムンディ・フランス )盤以来の素晴らしさで、その音響は この大作の楽曲構造の骨格が いかにあるかを 粒立ちの良い線的な美しさで 巧みに透かして見せてくれる、古今のマーラー録音史に残すべき一枚と思います。

ちょっと一服・・・(笑 )



次回、 『沈没まで あと一時間半。楽器を持って、甲板へ! 』 に続く・・・


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