本記事は 4月 5日「 注目記事ランキング クラシック音楽鑑賞 」で 第1位 となりました。
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今日は何の日? 
シベリウスの「交響曲第8番 」(! )

シベリウスの肖像(1915年 シベリウス博物館)
 おはようございます、“スケルツォ倶楽部発起人 です。
 今年2012年 - 早くも今日で 4月 1日を迎えました。ようやく朝晩の水も温(ぬる )くなり、待望の春の到来を感じております。
 ああ、それにしても 今年の冬は寒く、長く感じました。殊に 2月から 3月にかけて、仕事上での悩みが続いていた頃には、やはり眠れない夜もありました。
 そんな時、は、隣で すやすやと熟睡している愛妻を起こさぬよう 静かに寝室を出て、特に冷える真夜中の月明かりが差し込むダイニングルームへ降りると、そーっと石油ストーブを点火させます・・・。

Toyotomi 石油ストーブ
▲ それは、今年 量販店で購入した 「電気を使わない 」静かな石油ストーブ(トヨトミ社製 )です。 点火直後の炎の燃え上がる小さな音も懐かしい・・・ そして熱いコーヒーをポットに落とすと これをストーブで保温しつつ、深く椅子に腰掛けて 耳を傾けるのは、シベリウスの音楽です。
BIS_The Essential Sibelius Sibelius_Hahn(D.G. )
 不滅の七大交響曲以外にも、物思いに深く沈めてくれる「トゥオネラの白鳥 」、厳しい寒さにも耐え得る「ポホヨラの娘 」、こんな明け方近い時刻に相応しい「夜の騎行と日の出 」、稀代の傑作「タピオラ 」、そして静かに心躍る 大好きな「カレリア 」組曲、多言無用の名曲「フィンランディア 」や悲しいワルツ 、美しくも哀しい「鶴のいる情景 」、いつまでも繰り返し浸っていたい名曲「アンダンテ・フェスティーヴォ 」、さらに個人的には シベリウスの中でも 最も愛好する傑作 ヴァイオリン協奏曲
舘野泉_シベリウス (2) 館野泉_シベリウス
 また ピアノ曲も素晴らしい「抒情的瞑想 Op.40 」や 組曲「キュリッキ 」、さらに 舘野泉氏による美しい演奏が記憶に残る「花の組曲 」と「樹の組曲 」・・・中でも 感銘の深い一曲「樅の木 」 Op.75-5 は ホント 傑作!
 でも 今日は、特異な単一楽章でも知られる傑作にして 大自然が憑依したかのような 交響曲第7番 - やはり 個人的思い入れも深い サー・ジョン・バルビローリの指揮、ハルレ管弦楽団の録音でなければ・・・
ジョン・バルビローリ バルビローリ_シベリウス全集
 目も眩むような夜明け前の高い冬の空を ちぎれて流れてゆく雲が、まだ遠く朝焼けの光芒さえ届かぬ暗闇の中、少しずつ晴れ渡りゆくように キーンと頭も冴え渡ります。
 遥か遠くの山々へエコーのようにこだまするホルンと 天空に残る有明の月と星の瞬(またた )き、そして遠雷のようなティンパニの轟(とどろ )き・・・
 今年の冬は 幾晩 こうして まだ見ぬ北欧のフィヨルドに想いを馳せたことでしょうか。
 寒さが厳しければ厳しいほど、ストーブの炎とオーディオ機器の光だけが映える 暗いダイニング・ルームで独り過ごす時間に醸し出される空気感が どこかシベリウスの音響にぴったり - 実際のフィンランドの寒さなどとは比較にもならぬでしょうが - と勝手にイメージの世界を広げていると、おや、二階の寝室のドアが開閉して 妻が階段を降りてくる音が・・・

  「アナタ、おはようございます。こんな朝早い時刻から どうされたのかしら 」
  「・・・ああ、すまない、起こしてしまったようだな 」
  「お仕事のことで お悩みでも? それとも 北欧のフィヨルドに想いを馳せていらっしゃるのかしら? 」
  「うむ、どうにも寝つけなくてな。気にしないで 部屋に戻って 寝ていてくれよ 」
  「いいえ、アナタの悩みは わたしの 悩み。わたしもコーヒー、頂いてよろしくて? 」
  「もちろんだよ(と、のカップを持ってこようとすると - ) 」
  「あ、いいえ 自分でしますわ、アナタ。このポットに落としてあるのね 」
  「一体どうしたんだ (何だか いつもと違って 今日は 妻の態度や言葉使いが丁寧で優しい ・・・ ) 」
  「うーん 良い香り、あら、この音楽、シベリウスね 」
  「うむ、バルビローリ7番だよ 」
  「知ってますわ。EMI盤、もちろん ハルレ・オケ よね。わたし シベリウス 大好きだから 」
  「あ、そうだったな・・・ (二人でコーヒーを飲みながら )それにしても、1957年に亡くなるまで、シベリウスが 最後まで推敲を重ねていた 『第8交響曲 』 の楽譜がすべて 焼却されてしまった、というエピソード、かえすがえすも残念だな 」

■ 晩年のシベリウス、謎の空白期間
  「シベリウス第8交響曲を 最初に着想したのは、1924年頃でしたわね、そのアイディアを シベリウス自身から明かされたという指揮者シュネーフォイクトの証言が最も古い資料だって言われてますわね 」
  「へえー、お前ったら 結構 詳しいんだな 」
  「だって 短大のわたしの卒論って『戦後のシベリウス 』でしたのよ 」
  「あれ、そうだったっけ? 」
  「あらやだ、お忘れになってるのね。今 かかっている、この深遠な第7交響曲の手稿譜の一部に、すでに次なる第8番のスケッチが 不完全ながら記されていたことは 有名な話ですもの 」
  「でも その後シベリウスは 劇付随音楽『テンペスト 』(1925年 )や交響詩『タピオラ 』(1926年 )の作曲に入った筈だから、次の交響曲の創作活動などに集中しようとすれば、当然それ以降になっちゃうよね? 」
  「そのとおりですわ、アナタ。シベリウスは、1927年にはアメリカの音楽研究家ダウンズに『すでに2つの楽章を書きあげた 』と書き送り、翌1928年12月 デンマークの楽譜出版社ハンセンに『交響曲全体の構想をまとめている 』と知らせているくらいですから、仕事は順調だったことが判りますわね 」
  「ええと、たしか その頃のことだっけ? ほら、当時ボストン交響楽団の常任指揮者だったセルゲイ・クーセヴィツキーが、シベリウスの全交響曲連続演奏会公演シーズン中に断行したのって。 クーセヴィツキーは、その企画を高く評価した 作曲者 シベリウス自身から、次の新作となるであろう『第8番 』の 世界初演を行なう権利を 約束されたんだったな 」
  「そう、それは 1932年から翌年にかけてのシーズンでのことですわ、アナタ。1933年9月にシベリウスパウル・フォイクトに楽譜の清書代金を支払っているそうですから、少なくとも第1楽章に関しては この時点で 一度完成していたのではないか、と考えられています。さらにその翌年 レーヴィ・マデトヤという音楽家も、新聞記事に『シベリウスの第8交響曲は、間もなく完成する 』と語っているそうです 」
  「それって、根拠もなく発言できるようなことではないな。マデトヤシベリウス自身から 何らかの情報を得ていたと考えたほうが自然じゃないか 」
  「そうですわね。実際 1938年、新作の交響曲第8番は 遂に完成した、と推測されているのですが、なぜかシベリウスは この新作交響曲の初演を約束した相手クーセヴィツキーに これを送ろうとせず、総譜を手元に置いたまま 考え込んでしまうのですね 」
  「なぜだろう。少なくともクーセヴィツキーには楽譜を見せて、彼から意見を訊くことくらいは出来ただろうになー 」
  「シベリウスは、推定14年近くもかけて 一度完成させた第8交響曲に とうとう満足せず、公開演奏も出版も許さぬまま、1945年 8月『スケッチを含む楽譜の殆ど全てを 焼却してしまった(! ) 』と、秘書のサンテリ・レヴァスに語ったそうです 」    (・・・と、ここまでの記述は 日本シベリウス協会理事 神部智氏の文章を参考にさせて頂きました、ありがとうございます )

  「あーあ、もったいない・・・ 」
  「でも ここからが大事なところなのよ、アナタ。驚かないでくださいね。つい最近、シベリウスの第8交響曲の草稿(1938年稿 )が 実際には焼却されずヘルシンキに住む遺族の子孫によって今も 保管されていたことが判ったんですって! 」
  「な、なにい! 」

■ “スケルツォ倶楽部発起人(妻 )が語る、
   シベリウス幻の交響曲第8番 楽曲解説!

 このシベリウス第8交響曲は 「三楽章構成(第2楽章 と 第3楽章 の間に配置された、短いインテルメッツォのワルツを含めると、事実上の四楽章構成 )で、しかも声楽入り(! ) 」です。

楽器編成
木管楽器: フルート2(ピッコロ1 持ち替え )、オーボエ3(イングリッシュホルン1 持ち替え )、クラリネット2(バス・クラリネット1 持ち替え )、ファゴット2、
金管楽器: ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、テューバ、
打楽器 : ティンパニ、トライアングル、シンバル、大太鼓、チェレスタ
弦楽器 : 弦5部、ハープ
声 楽(終楽章のみ ): ソプラノ独唱、バリトン独唱、男声合唱

第1楽章
 ト短調、緊張感に満ちたアダージョです。速度は緩慢でも ヴィオラとチェロによる力強い第1主題にホルンが呼応し、木管が風のように高く飛翔してゆきます。
 第2主題はニ長調、フルートに現れる 憧れを込めた旋律で、木管の“飛翔動機”から派生したもの。
 厳格なソナタ形式ですが、再現部で戻ってくる第1主題の上に、覆い被さるようなヴァイオリンによる新しい対旋律が登場するのが興味深いです。この音型も、実は 木管の「飛翔 」動機のヴァリエーションで、第2主題とも関連しています。
 コーダ直前には 4人のホルン奏者が 次々と立ちあがって順番に“呼応”動機を吹奏、その都度これを隈取って強調するかのように ティンパニが固い撥で激しい連打を4回繰り返す、という力技(ちからわざ )的な見せ場があります。ここはまるで二人の歌舞伎役者が(ティンパニ奏者が高い場所で、ホルン奏者が低い場所で ) 同時にポーズを決める いわゆる“天地の見得(みえ )”を切ってみせる(歌舞伎「楼門五三桐 」における、南禅寺山門の五右衛門と久吉との有名な場面の )ような、劇的な視覚的イメージを連想してしまいます。実に格好良い聴かせどころです!
 そして これが合図であったかのように、ここから速度はさらに落とされ、長いコーダに入ります。 コーダは、記譜上はニ短調とされているものの 実際にはニ調のドリア旋法を基調とした、まさにシベリウス独自の音楽となり、愛好家には堪(たま )らない部分ではないでしょうか。 その後 一旦 フェルマータのついた終止を経て、アタッカで変ロ長調の美しい第2楽章へと続くのでした。

第2楽章
この緩徐楽章は、前楽章から更にギア・チェンジしたかのようにテンポを落としたラルゴで、しかも極めて息の長い36小節にも及ぶ弦セクションによる変ロ長調の主要旋律は、気が遠くなるほどの美しさです。
 主題を奏し終え、穏やかな経過句を味わっているところへ、唐突に半音下がる中間部(イ長調となり )、初めての聴衆にとっては 良い意味で 意外な違和感の中に放り出される瞬間です。 そこは、まるで小川から広い大河へ流れ出たような感覚が新鮮です。
 クラリネットのソロによる新しい旋律が愛らしく印象的ですが、このメロディは1890年に作曲されたピアノ五重奏曲ト短調(JS 159 )の緩徐楽章から転用されたものとされます。
 やがて主調に戻ると、3本のトロンボーンと弦のピチカートによる 静かなコラールとなり、宗教的と言ってもよい感動的な静寂が広がります。テンポが ほぼ 1/2 になって 歩き出すと(アンダンテ )、フォーレの「レクイエム 第7曲(イン・パラディスム )に酷似したリズムと音型とがハープと弦によって刻まれつつ、この楽章冒頭の主要主題が 今度は木管によって回想され 天に召されるかのように穏やかな浮遊感の漂う中、静かにオーケストラ全体が消え去ってゆく結尾となります。

インテルメッツォ(ワルツ )
 第2楽章と第3楽章との間に置かれ、一楽章としては数えない「インテルメッツォ 」と題されたワルツです。それは 演奏時間も3分ほどの 穏やかで愛らしい変ホ長調のワルツ - 正確にはレントラーに近い雰囲気の民族舞曲です。そのあまりにも素朴な旋律(楽譜 )は、シベリウスの若き日の作風のようでもあり、グリークの抒情小曲集からの作品をも思わせる 北欧民謡風の古典的和声に支えられた、たいへん親しみやすい佳品です。
 そのカンタービレのメロディー・ラインは、木管セクションの各ソリストによって交替で演奏され、これを支える低弦はピッツィカートでワルツのリズムを柔らかく弾(はじ )きます。なお、ここではホルン以外の金管と打楽器は休んでいます。
インテルメッツォ(ワルツ )?
 これには ぜひ歌詞を付けて、平原綾香さんくらいの上手なJ.ポップ歌手に歌って頂きたいものです。これからは 名曲アルバム的な「これがシベリウスだ 」みたいな企画CDが作られるような際には、「フィンランディア 」とか「カレリア行進曲 」などと並べて、この「インテルメッツォ(ワルツ ) 」の収録も欠かせなくなるなあ、などと考えたりしました。

第3楽章
 いよいよフィナーレとなる長大な終楽章です。
 若き日の「クレルヴォ交響曲 」以来、ここでは久しぶりに合唱(クレルヴォ同様、男声合唱です )が導入されています。そのテキストは ウィリアム・シェイクスピア散文詩や、「リチャード三世 」、「リア王 」から シベリウス自身が選んだ英語の台詞の引用・抜粋などですが、テーマは「繁栄 」と「賛歌 」、そして「没落 」と「悲嘆 」という相反する二つの性格を有し、ソプラノとバリトンの独唱も活躍します。

 耐えねばならぬ、耐えねばならぬ、
 この世に生まれ落ちた時、わしらは泣いた
 初めてこの世の空気を嗅いで、わしらは泣いた
 わしらはみんな、この世に生まれて、
 道化ばかりの、この世界という、
 巨(おお )きな舞台に放り出されて、泣いたのじゃ

  ( 光文社 「リア王 」第四幕第六場から - 日本語訳は安西徹雄/訳 )
 
 アレグロ・モデラート ト長調 → 変ロ長調 → ヘ長調 → イ短調 と、調性は めまぐるしく変わりますが、やがて 第2交響曲のフィナーレを思わせる、英雄的なニ長調の壮大なクライマックスを迎えます。そのままコーダへと突き進むのかと思いきや、突然 舞台裏から別働隊のブラスバンドが - あたかもマーラー「嘆きの歌 」第3部を連想させるような - 主調とは異なる調性(変イ調 )で突然参入して衝突、不協和な緊張が走ります。
 ここでソリストと合唱団はステージから退場してしまいます。
 声楽が途絶えてから、曲調は徐々に暗雲が立ち込めるようになり、管弦楽だけの悲しみに沈むようなアダージョ ハ短調の 長大な終結部へと移行します。
 ここでは 弦セクションが23ものパート(ヴァイオリン10、ヴィオラ5、チェロ5、コントラバス3 )に細分化され、まるで各々が好き勝手な自由意志で動き始めたのではないか、とさえ思えるような 複雑で繊細な音響が聴きどころです。戦後、R.シュトラウスが祖国の災禍を悼んで作曲することになる「変容(メタモルフォーゼン ) 」を先取りした感動が ここにあります。すなわち国策を誤って第三帝国に急接近してしまった 当時のフィンランドの不吉な空気を敏感に感じ取ったシベリウスが、再三のロシア(ソ連 )との避け得ぬ戦禍によって被(こうむ )る苦しみを まるで予期していたかのような、痛ましい祈りに満ちた葬送行進曲です。
 この部分の荘厳な楽想は、シベリウスが 友人のアクセリ・ガッレン=カッレラの死去に際して作曲した 1931年のオルガン曲「悲しみの調べ(葬送行進曲 )Op.111-b 」に基づくものとされ、断続的に響く重々しいティンパニが葬送のリズムを刻む中、苦渋に満ちた楽想を繰り返しながらも その苦悩の昂ぶりを徐々に鎮めてゆきます。
 やがてハ短調から変ホ長調 → 変ロ長調 → そして 主調のト長調へと転じ、あたかもフィヨルドの深い霧の中へ自分自身の姿を 少しずつ消し去ってゆくかのように、浄化された終わりを迎えます。ここでの幻想的なホルンのアンサンブルにも要注目です。
 第7交響曲の結尾部と同様、この第8番のコーダにも たいへん長い掛留が用意されています。 第7番の場合には 最後の音は解決に導かれていましたが、この第8番の結尾では 長七の和音のまま 最後まで解決されずに終わります、しかし ここは あたかも未知の世界に開きかけた静寂の扉のようでもあり、実に感動的な終結です。

  「・・・ところで お前さ、そのシベリウスの“第8交響曲”、実際に聴いたのかな?」
  「ううん(きっぱり )。 聴けたらいいのになーって 」
  「な、何じゃ そりゃ? (怒 ) 」
  「ふふん、アナタ、今日 4月1日ってさ、何の日だか知ってた? 」
  「え・・・ 児童福祉法記念日だっけ? それとも親鸞聖人のお誕生日か・・・って、コラ、ごまかそうとするなーっ 」
  「正解、エイプリル・フール だよーん! 」(逃げる )
  「コ、こいつ・・・ それじゃ、わざわざ掲載したインテルメッツォの楽譜は - 」
  「わたしが夢で聞いたメロディだよーん 」(逃げまわる )
  「じゃ、短大の卒論シベリウスだったって話も - 」
  「真っ赤な ウソだピョーン 」(爆笑しつつ 遠ざかっていく )
  「コンちくわ、ダマしやがったなー 」(追いかける、転ぶ )


スケルツォ倶楽部 会員の皆さまへ
お詫び 
本日は、悪意のないネタとは申せ、 エイプリル・フール の 冗談記事を発信したことを、深くお詫び申し上げます。
問題の個所は、妻の「ヘルシンキに住む遺族の子孫によって楽譜が保管されていた 」云々という文章以下、交響曲の楽曲解説のすべてがフィクションであることを、今更ですが、お断り申し上げます。
誠に勝手な物言いであることを恐れつつ、この記事を 架空の「小話 」として どうか寛大なる御心をもってご笑納くださり、もし従前と変わらぬ おつき合いをお許し願えれば、誠に幸いに存じます。

 エイプリルフール (April Fools' Day ) とは「毎年4月1日には嘘をついてもよい 」という風習のことである。英語の "April Fool" は、4月1日に騙された人を指す。直訳で「四月バカ 」「万愚節 」または「愚人節 」、フランス語では「プワソン・ダヴリル 」(Poisson d'avril, 四月の魚 )と呼ばれる。この個所のみ、Wikipedeiaより。

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